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日々の風から  とても切実な?話 

 仕事で、関東の北部に一人暮らしをしている次女が言いますに、
 
 今年は原油高騰の影響で暖房用の灯油が驚くほど高値である。それに加えてこの寒さ、室内でも水道が凍る日が続いている。
 ストーブを炊かないわけにはいかない。灯油の缶がじきに空っぽになってしまって、ひどく気が重く滅入ってしまう。節約も限界で、切ない。
 今朝はカーテンが凍ってガラス戸に張り付いていた。
 これじゃ、凍死してしまうかもしれないと。

 凍死だなんて、冗談で言っているのはわかっていても、こんなこと聞かされては親心が穏やかではありません。不憫でたまらなくなり、涙が出そうです。
 とっさに、毛布でもセーターでもショールでも、ありったけのものにくるまってやすむのよと、幼児にでも言い聞かせるように言ってしまいました。

 
 おそらく娘は高笑いしたでしょうが、寒さには慣れていない家族なのです。

 それにしても、ニュースで聞いていたことが、こんな形で我が娘の日常を圧迫しているのは困ります。豪雪地帯の方々のご苦労には比較にならないでしょうけれど
 
 早くストーブを付けなくてもいい季節になりますようにと祈ったことです。


 

2006.02.06 Monday 22:51 | comments(0) | - | 

日々の風から 賢い人になりたい 

 礼拝説教から  
 今日の礼拝では先週の続きで、マタイによる福音書7章24〜29までが開かれました。
 説教題は『人生の土台を築く』。世に有名なイエス・キリストの『山上の説教』の締めくくりとなる箇所です

 説教を要約しますと、
 イエス・キリストはガリラヤ湖の小高い丘の上で、集まってきた群衆や直弟子たちに向かって一連の教えを説いたが、最後に聴衆に決断を迫った。
 説教の聞き方には2種類あるとはっきり分けられ、聞いて行う人を賢い人と呼び、聞いても行わない人を愚かな人と呼んで、その違いを示された。
 
 聞いてそのとおりに行う人はしっかりした土台の上に建てた家のようで、激しい嵐(人生の困難艱難)にもびくともしない。しかし聞いても行わない人は、砂のようなもろい土台の上に建てたようなもので、人生の雨風に遭うとひとたまりもなく押し流されてしまう。その違いはこの世のことだけでなく、最後の審判の時、さらに歴然とされる。
愚か者にならないで、賢い人になろう。

 キリスト教は啓示の宗教と言われる。人間の側から精進して道を求めるのではない。神の方から近づいてご自分(道)を明らかにしてくださる。人間のすることは信頼して従っていくだけである。


『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです』ヨハ ネ14章6節
『あなたがたは、自分の持っているもっとも聖い信仰の上 に自分自身を築き上げ……なさい』ユダ書20節
 
 
 聞くことと、それを実行することの間の隔たりは実に大きいものです。天と地ほどの差があるとも言えましょう。
聞いたことを全部そのとおりに実行できたら、神さまもどんなに楽になるでしょう。ところが、そうはいかない、人はいつまでたっても手に負えないわがまま者です。父や母を泣かせる放蕩息子です。

 自分を見ますに、今日の朝から今までのわずかな間にもどれほどつまらないことを考え、口に出し、情けない行動をしたことでしょうか。ああ、私は聞くだけの愚かな人間だと痛感するばかりです。
 
 しかし、神さまはおそらくそれらをもすべてご承知の上で、賢い人になりなさい。私に従ってくれば賢い人になれるよ、賢い人にしてあげようと、手を差しのべてくださっていると、信じるのです。
 
 今週も自己の実体をよくよく知りつつ、赦しと愛のイエス・キリストにすがって、一週間の旅路を続けていきたいものです。



 
2006.02.05 Sunday 19:23 | comments(0) | - | 

日々の風から 今日は聖餐式礼拝

 昨日、立春の声を聞いて多少ほっとしましたが、冬将軍が、まだまだとばかり剣を振る上げたような厳しい寒さに戻り、がっかりしました。
予定していた外出も取りやめて近所で済ませ、日曜日の礼拝に体調を整えておくため、早々にやすみました。
 
 今朝は快晴ですが、ラジオの報じるところによりますと、最低気温は今冬最低で、東京は氷点下1度5分だったとか。早速靴下を重ねばきし、背中に使い捨てカイロを貼り付けました。
 
 さあ、今から教会へ出かけましょう。インフルエンザだと聞いていた方々が元気になって出てこられるか心配です。高齢者もこの寒さでは体調が狂うでしょう。幼い子どこたちはどうでしょうか。
 
 今日は第1聖日なので、聖餐式(せいさんしき)が行われます。
 
 イエス・キリストが、十字架にかかる前夜、弟子たちと過ごした最後の晩餐の席上、これからは記念として行うようにと遺言された儀式です。
 私たちを罪からあがなうために、キリストが十字架上で流された血と裂かれたからだになぞらえた、バンとぶどう酒(実際はぶどうジュースです)をいただきます。しるしですから、パンは1センチ角ほど、ジュースも特別の小さなグラスに2ccほどでしょうか。

 
 プロテスタント教会では、特別な儀式は洗礼式と聖餐式の2つだけです。これはイエス・キリストが聖書の中で行うように明言されていることなので、実行しています。
 
 聖餐式は月に1度ですが、キリストの愛と赦しと、いただいた永遠のいのちを再確認するためにもなくてならない時です。信仰のリフレッシュの時です。心も爽快になります。 
 
 今日の教会生活を、礼拝前の聖書の学びのクラス、成人科から始めます。
 

2006.02.05 Sunday 09:01 | comments(0) | - | 

日々の風から 続く母の米寿の祝い

 この1月から母の米寿の祝いが続いています。
 日曜日の午後には、母の子どもたち、つまり長女である私を含めて、4人の娘たちだけで祝いの宴を設けました。
 
 ああ、私たちはこの人から生まれたんだと、当たり前のことですがしみじみと実感しました。今は年老いて、手を引かなければ一歩も歩けなくなったけれど、かつてはこの手に抱かれ、育てられたのだ思うと、夢を見ているような不思議な気持ちになりました。
 
 母は生涯にひとりの男の子も産めなかったと、少々悔しそうに言っていた時代がありました。それを聞く度に私たちきょうだいの胸は騒いだものです。
 しかし、今ではすっかり忘れてしまったようです。
昨今は、私は嫁さんを知らない、姑になったことがない。娘ばかりでこんな幸せなことはないと、口癖のように言うようになりました。私たちきょうだいは、そうだ、そうだとばかり、満足しています。

 妹たち3人はわりあいに近くに住んでいるせいか、ちょくちょく顔を見せます。
 昨年冬ごろから、母の体力が目に見えて削られてきています。それとなく察した妹たちは以前より頻繁に母を訪ねてきます。来るたびに母の部屋の掃除をし、いっしょに買い物に行ったりして世話をしてくれます。
 おかげで、母はまだ介護保険のお世話になることはありません。
 
 今日も、米寿の祝いと称してミニ宴をしました。
 我が家に牧師夫妻がおいでくださって、ともに讃美歌を歌い、聖書のお話をし、祈ってくださいました。
 母は時々うなづいて牧師のお話に聞き入っているようでした。
 
 今は、90歳、100歳と長生きする人が珍しくありません。しかし、人のいのちは神さまの御手の中に握られています。どんなに知恵の長けた人でも、自分の終わりの時を知っている人はいません。
 
 一昨年来、死につながる病を負うことになった私は、自分のいのちは神さまに委ねつつも、母のいのちが気になります。母が自分の意志で神さまにいのちを委ねられるようにと、今年はいっそう強く思っています。
  
     『人は新しく生まれなければ、
       神の国を見ることはできません』
  


2006.02.02 Thursday 18:57 | comments(1) | - | 

日々の風から 5年前の2月1日 その2

(続き)
 2003年2月1日 土曜日 二日前から孫がふたりともインフルエンザで40度近くの熱を出しぐったりとねている。前日の午後、猛烈社員の婿さんが発熱で半休して医院へ行った。
 夕方84歳の母が8度8分の熱。都立病院へ連れて行く。A型インフルエンザだった。タミフルを注射した。
 
 担当している聖書学院のあかし文章講座が来週で15回を終了する。最終回の授業の準備をする。受講生のあかし集300冊が刷り上がってきた。

2004年2月1日 日曜日
 いつものように教会へいった。主任牧師が体調を崩して入院したが、日曜日は病院の許可を得て説教した。
 担当の成人科クラスは、今日もピリピ人への手紙。30分レクチャーする。
 肩こりがひどくてつらい。コレステロール値も高値が続いている。明日は医院へ。

 2005年2月1日 月曜日 
 母が2回も転んだ。転ぶと自力では起きあがれない。一度は玄関を出たところで。通りがかりの人が助け起こしてくれた。今日は自室のベッド脇ですべった。どうにか捕まって起きあがったが、ショックと風邪気味もあって食事も取れず一日寝ている。
 妹が子宮筋腫で手術を勧められているとか。長女の体調が崩れている。貧血か。
 木曜日は私の検診日。気分が落ち着かない。

 そして、今年2006年の2月1日は、家族全員インフルエンザにも襲われず、雄々しく?寒さと戦っています。88歳になった母も、元気で身の回りのことができていることは、なんと言ってもいちばんの感謝です。
2006.02.02 Thursday 08:05 | comments(2) | - | 

日々の風から 5年前の2月1日 その1

 この年になるまで、日記めいたものを書かかないで済ませた年はありませんでした。なかには破棄したいものもありますが、今は家のどこかで眠っていることは確かです。

 近年はパソコン上での日記と、常時携帯している2冊の手帳を使って書き留めています。読み返すことはめったありませんが、今年も早2月を迎えたので、5年前からのダイアリーを拾い読みしてみました。なんとなつかしいことでしょう。
 ここに拾い書きして、あとで家族に話して聞かせましょう。

 2001年2月1日 木曜日 雨 
 同居の長女は3月に第2子出産予定。大きなお腹を抱えて、雨の中、奉仕教会であるK教会まででかけた。4歳になったばかりの孫息子と留守番。彼は4月から隣りの区にある教会の幼稚園に行くことに決まっている。
 夕方、B印刷所M氏とミーティング。一年がかりで取材し編集したH兄のあかし集がまもなくできあがる。わくわくしてくる。


 2002年2月1日 金曜日  
 M姉宅訪問、自分史出版の依頼で取材を続けている。編集もだいぶ進んだ。本になる日が待ち遠しい。
夜、サポートしている神学生のY君が来る。卒業後の進路などを聞く。海外在住の日本人へキリストの福音を伝える志を持っている。(続く)

2006.02.01 Wednesday 23:01 | comments(0) | - | 

日々の風から  祈りに行こう

 今日で一月がおわります。早いものです。光陰を凌ぐスピードを持ち合わせているものが他にあるだろうかと思います。
 
 係わっている聖書学院の祈祷会に出席しようと家を出ました。空は朝から曇天です。予報は雨。いまにも冷たいものが落ちてきそうです。天候によって気分が左右される性質のせいか、いささか心がひるみ、暖房の効いた自室に思いが走りかけました。
 
 そのときです、心の中に波のようにうねってくるものがありました。
 祈り場に行こう、祈り場に行こう。
 波はそう叫んでいるようでした。
 そうだ、祈りに行こう、祈り場に行くのだ。
 足が軽くなって、歩調に勢いが出てきました。

 
 聖書の中の一人の女性が浮かんできました。紫布の商人ルデヤです。その日も祈り場にいたルデヤたちのところに、アジアから渡ってきたあの偉大な使徒パウロが訪れたのです。ルデヤはパウロからイエス・キリストの福音を聞いたとき、真っ先に信じ、ヨーロッパで最初のクリスチャンになりました。
 
 祈り場には恵みがある。祈り場にはキリストがおられる。祈り場に行こう。 
 ちょうどそこへ実にタイミングよくバスが来て、私をさらうようにしてJRの駅まで届けてくれました。
 
 祈祷会で私は一つの讃美歌を選びました。
   
   主は いのちをあたえませり
   主は 血潮をながしませり
   かくも 我がために いのちを捨つ
   われは 主のために 何を捨てし

2006.01.31 Tuesday 18:30 | comments(3) | - | 

日々の風から  空の鳥を見よ

 今日の礼拝ではマタイによる福音書5章25〜34節が開かれました。
空の鳥を見よ、野の百合を見よ』として人口に膾炙されてきた有名なくだりです。
 イエス・キリストの愛がキラキラと光り、何度読んでも、何度聞いても、その度に、信仰の襟を正され、また励まされるところです。

 説教をまとめますと、
 だれもが日々捕われてしまう心配と思い煩いは度を超すと害になる。
 そこから解放されるためには、今持っているものに満足する心が必要である。
 自分の持っているものは突き詰めてみると全部神からいただいたものである。
 感謝して、賢く管理していくべきである。

 何年生きられるかではなく、なんのために生きるのかを考えたい。もちろん神の栄光のために生きるのである。
神の支配に委ねる信仰が求められる。神の価値観に徹底して堅く立つことである。

 過去に捕らわれることなく、いたずらに明日を心配するのではなく、今日一日に集中していく。過去も現在も未来も神の支配の中にある。
 神に見られ、知られているのだから、信頼していけばよい。
信仰はすべてを乗り越えていく力である。

 説かれてみると、そうだ、そうだと全身でうなずけます。

 2000年前、イエス・キリストがガリラヤ湖を見下ろす丘に立って、一日を生きることに精一杯の弱く貧しく悲しい群衆に向かって語りかけたメッセージが、今、自分向かって、すぐそばで語られたように響いてきます。
 
 説教を聞きながら、説教を越えて、イエス・キリストが見えてきます。イエス・キリストの声が聞こえてきます。イエス・キリストの愛がやさしく激しく迫ってくるのです。
 私のためにご自分のいのちを十字架のうえから差し出してくださった、いのちがけの、いのちを捨てての愛が、押しよせてくるのです。

 圧倒されるような希望の風に包み込まれ、喜びが満ち満ちてきます。

2006.01.29 Sunday 18:06 | comments(0) | - | 

日々の風から  今日も冬晴れ 

 早朝に、今日の天気予報を確かめます。ずっとラジオでそうしてきました。

 この冬になって、関東南部は今日も冬晴れですと報じます。冬晴れ?昔からそう言ってきただろうかとかと、耳に残りました。
秋晴れ、五月晴れは有名ですが、冬晴れとは、良いような、悪いような気がします。

 雪空の下で豪雪と戦っている方々に申し訳ないような気がするのです。

先日、琵琶湖の北に暮らす友人としばらく電話で話をしました。かなりの積雪で、車での外出が困難だと聞きました。距離にすればたいしたことはない湖西方面に出かけるのも、ままならないと。そうですか、そうですかと、同じ言葉をくり返すだけで、どうにもなりません。

 予報では2月も厳しい寒さとか。まだまだ雪が降るのでしょうか。インフルエンザに罹っている人が多くなりました。
今日の礼拝に、皆さんお元気で参加できるだとうか案じられます。
 幸い、今のところ我が家は全員元気です。88歳の母から4歳の孫娘まで。神さまに助けられて、冬を乗り切りたいと祈ります。

 さあ、神さまを崇め、賛美し、祈るために、今朝も教会へ急ぎましょう。
2006.01.29 Sunday 08:46 | comments(0) | - | 

日々の風から 欠席のY子さんへ

 Y子さん、今日はお加減いかがですか。
 隔月で開いている例会に、欠席との連絡をいただいて、とても残念におもっていました。あなたの方がもっと残念で悔しかったでしょうけれど。 

 あなたがお小さいころから病気がちだったこと、2003年に大きな手術をし、今も強いお薬を服用しておられることを知って祈ってきました。

 そして、まるであなたと時を合わせるように私も思いがけない病を得て、あなたと同じように今も医師の手と薬から離れられない戦いの日々が続いているので、あなたの健康は人ごとではありません。あなたの体調に自分を重ね合わせて、一喜一憂してしまいます。
 早くお元気になってくださいね。

 今日の礼拝の時間で、牧師は『癒されて証する』と題して、私たちに今年の目標を示し、聖書の記事の病人のように、イエス・キリストから病や罪を癒していただいた私たちは、不都合な状況の中にいても、信仰の勇気を持ってキリストの愛を伝えていきましょうと説いてくださいました。
 
 そのあと、熱いお茶にイチゴ大福をいただきながら、この年、神さまにあって抱いている抱負や計画を披露し合いました。どの方の発言も聞き耳を立てずにはいられない、ユニークで希望にあふれたものでした。

 80歳を迎えようとしている先輩の言葉が強く心に響きました。
 このところ立て続けに6名の方を天に送った。
 明日お見舞いしようと思っている矢先に葬儀になって悔 やまれてならなかった。
 今年は、思い立ったらすぐに訪問しようと決め、早速実行した。
 励ましてともに祈ったひとりの姉妹は翌日、イエス様のみもとに旅立って行かれた。


 80歳にして、この信仰と実行力に生き生きとしておられることに、心から敬服しました。すでに『癒されて証する』を実行しておられる先輩を前にして、足りなさを恥じ、反省しました。

 Y子さん、イエス様はあなたにも『癒されて証する』大切なお仕事を託しておられますよ。
 働きはまだ始まったばかりです。
 きっとお元気になって、証できると信じます。
 イエス様がそうしなさいとおっしゃっているのですから。お祈りを続けます。

2006.01.28 Saturday 19:06 | comments(2) | - | 
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