<< January 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

日々の風から ブログ3ヶ月目へ突進!

 ここ数日、世相の暴風が耳元でうなり声を上げています。ライブドアー事件、パレスチナの選挙のこと……
 ふと、思い出した詩がありました。抜粋してみます。

 みみをすます    谷川俊太郎
 
 みみをすます
 きのうのあまだれに
 みみをすます

 みみをすます
 いつからつづいてきたともしれぬ
 ひとびとの
 あしおとに
 みみをすます

 おかあさんの
 こもりうた
 おとうさんの
 しんぞうのおとに
 みみをすます

(ひとつのおとに
 ひとつのこえに
 みみをすますことが
 もうひとつのおとに
 もうひとつのこえに
 みみをふさぐことに
 ならないように)

 みみをすます
 いちまんねんまえの
 あかんぼうの
 あくびに
 みみをすます

 みみをすます
 じゅうまんねんまえの
 こじかのなきごえに
 ひゃくまんねんまえの
 しだのそよぎに 
 いっちょうねんまえの
 うちゅうのとどろきに
 みみをすます

 みみをすます
 きょうへとながれこむ
 あしたの
 まだきこえない
 おがわのせせらぎに
 みみをすます (179行の大作です)
 
 もう一つの音に、もう一つのこえに、耳を澄ませたいものです。
 そこに吹く希望の風の音に、希望の風のささやきに耳を澄ませたいものです。
   
 

2006.01.27 Friday 08:15 | comments(2) | - | 

日々の風から ブログ2ヶ月 若葉マーク中

 昨年11月25日からブログを書き始めて、ちょうど2ヶ月です。ブログの若葉マーク期間はどれほどなのか、聞いたことがありませんが、若葉マーク中であることは確かです。

 ちょっと一息ついて、振り返ってみることにします。
 
 ネット上にホームページなるものがあること、個人でも開いている人がいることを知ったのは10年以上も前でした。その時、ああ、してみたいなあと熱く思いました。
でも唯一ワープロで書き物をしていただけ、パソコンすらそら恐ろしく見えました。

 しかし、必要に迫られて携帯を持ち、携帯メールのやりとりが始まると、e―メールをしないでどうすると、またまた圧力。
 とうとう、パソコンを机の前に置くことになり、メール発着も始まりました。

 昨年秋、私の願いを察したのか、ある日、娘が、お母さんのブログ作ったよ、記事を投稿すればいいだけにしておいたから、と連絡があり、手取り足取りで厳しく教えられ、ようやく2ヶ月が過ぎたというわけです。

 早速友人知人にアドレスを送って読者になっていただきました。ぞくぞくと率直な感想をいただき、励まされて、持続力になっています。

 思いつくままにカテゴリーを増やしていますが、だんだん上手に整理できると思います。
 ある友人が、大作に取りかかったら、毎日あれだけの記事は書けないでしょうねと言われ、はたと戸惑いました。そのとおり、この2ヶ月間、頭の中はブログ、ブログではち切れそうでした。

 そして、私って、結構、はまるタイプなんだなあ、熱中型なんだなあと、自己診断したことです。すこし年を取って、物事に冷静に対応できるようになってきたと思ったのは甘い評価でした。
 いや、いや、ブログには人を惹きつける魅力があるのです。
 若葉マークを飾りにしながら、三ヶ月目に飛び込んでいきたいと思っています。

 賢者の言葉
 
 年老いているということは、
 もし人がはじめるということの真の意義をわすれていな ければ
 すばらしいことである。   
  マルティン・ブーバー『かくれた神』
           田口義弘訳・みすず書房


  老いても何事かを創められるということは、
  私たち人間に与えられた特権ではなかろうか。
         
日野原重明『道をてらす光』
春秋社



2006.01.26 Thursday 19:23 | comments(1) | - | 

日々の風から 一日の終わりに

 早朝のあるラジオ番組の終り際で、アナウンサーは必ずと言っていいほど「今日もよい一日でありますように」と挨拶します。その言葉を感慨深く聞き入っています

 一日はわずか24時間ですが、この間に体験する喜怒哀楽は計り知れないものがあります。一人として同じ一日を過ごす人はいないでしょう。

 ある人にとっては最高!ある人にとっては最悪…、朝に生まれる人がいれば、夕に死ぬ人もいる。そのそばで、歓喜する人もいれば、悲嘆にくれる人もいる。
 朝に、世の中にお金で買えないものはないと豪語した人が、あわれなるかな、夕べには獄を宿とする羽目になる……。

 さて、私の今日一日はどうであったろうかと、思い見ます。
 起床時には神さまの前に跪いて、家族を始め係わりのある友人知人一人一人の今日一日の加護を祈りました。
ある友からは、あの問題に、よい兆した見えたと朗報がありましたが、一人の愛する友からは、このところ体調が悪くて伏せっていますとメールがありました。

 今日もよい一日でありますようにとは、祈りの言葉です。そう願わない人はいないでしょう。

 でも、よい一日とはどんな日をいうのでしょう。
 よい一日とは、その人の価値観がきめることです。生き方の姿勢が決めることです。
 たとえ病床にあっても、勝利している人がいます。

 さあ、就寝の前にもう一度神のみ前に祈りの手を組みましょう。
 愛する人たちの一夜が守られますようにと。
 安眠して健康が回復しますようにと。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい』聖書
2006.01.24 Tuesday 23:03 | comments(0) | - | 

日々の風から  降雪のいたずら         旧友との再会を阻まれて

 昨日の都心は9センチの積雪だったとのこと。
 実は、昨夕は、関西から上京していた旧友Nさんと会う約束をしていました。ところが時ならぬ大雪。予報も悲観的だったので、朝すぐに、このまま降り続くようだったら行けませんと、宿泊先へ一報を入れました。夕方には止んでくれることを期待していましたが午後になってもその気配すらなく、とうとう断念しました。

 私は30年前の交通事故の後遺症で、左足に多少の障害があり、すこしの雪道でも無理なのです。
 Nさんは76歳になる女性です。やはりお若いときに怪我をして、充分な治療が受けられなかったことからずっと杖を使っています。私の事情をすぐ理解してくれました。

 Nさんの生き方には深く感動し、また、多くのことを学ばされています。
 戦前の方らしく実に忍耐深い方です。無理解な舅姑にいじめ尽くされ、これも輪をかけて無理解なご主人の横暴にじっと耐えて立派に嫁として妻としての立場を守り、子どもたちも育て上げました。それらを事細かに話してくださるのですが、ちっともじめじめしたところがありません。ユーモアさえ混じえたからりとした語り口にいつも引き込まれていました。
  
 先年ご主人を見送って一人暮らしになると、子どもたちに世話をかけてはいけないからと、一人でホームを探してきて、アッという間に入居してしまいました。その手際の良さ、潔さにはたいへん驚きました。
 ホームでも持ち前の賢さを上手に生かして、日々の生活をエンジョイするとともに、教会生活も規則正しく送り、時に、キリスト教団体のセミナーや修養会、祈祷会などに出かけます。今回もその一つで、2泊の集会に参加するための上京でした。
 
 昨夜遅く、思い立って再度宿泊先のお部屋に電話をしてみました。
 今晩は彼女のそばにいるつもりで、とことん話をしてすごそう。会いに行けなかったお詫びも兼ねてそうしようと考えたのです。
 語り始めたら話しは尽きず、ベッドの傍らに腰掛けておしゃべりをしているように、時の経つのを忘れてくつろいで語り合うことができました。
 気がつくと、なんと2時間余が経っていました。
 
 昨今、友人たちとは携帯やメールが多くなり、長電話をすることが少なくなりましたが、時に電話のおしゃべりも捨てがたいと、あらためて思い直したことです。会話のやりとりの豊かさを感じました。
 そこにはお互いのいのちと愛の交流があるからでしょう。


2006.01.22 Sunday 23:29 | comments(0) | - | 

日々の風から スイス人宣教師の説教

 今日の礼拝のメッセージはスイスから来られている宣教師がしました。奥様は日本人で3人のお子様がいますが、成人してスイスで暮らしています。巧みな日本語を駆使して説教しますが、難しいといわれる日本語をここまで使えるようになるには、並でないご苦労があったろうと察します。

 その彼が、日本語で自由にお祈りをするのはいまでも難しいと前置きしながら、今日は『祈り』について聖書から解き明かしてくださいました。

 開かれた聖書は【マタイによる福音書】6章5節から15節まで。ここには有名な『主の祈り』が記されています。
 
 
 説教を要約しますと以下のようです。 
 神さまは人間とコンタクトを取りたいと願っておられる。交わりの中に入れたいと望んでおられる。そしてそのように人間を創造された。これは人間にとってまたとない特権であり、神さまからのプレゼントである。

 その道は祈りである。神は祈ることを人間に教えられた。イエス・キリストも、父なる神に絶えず祈っておられた。神は遠い存在ではない。私たちの言葉にならないうめきでさえ、聞いてくださっている。
 
 祈りには美しい言葉はいらない。長々しい祈りもいらない。正直に心を開いて自発的に、祈ればよい。神は私たちの祈りをどんなに待ち望んでおられることか。

 聖書を読むこととお祈りすることは、まるで三度の食事のように日々の生活に密着していますが、ともすると、心がともなわないときがあります。上の空で聖書を読み、祈りの最中に雑念にとらわれてしまうこともあります。が、大いに反省しました。
 愛である神さまが祈りをとおして、取るに足りない私ごときとコミュニケーションを取りたいと望んでおられるのです。なんともったいないことでしょう。

 ひれ伏して、神さまの前に出て行き、人様には見せられない心の扉を大きく開いて、見栄も外聞もかなぐり捨てて、子どものように、慈父のみふところに飛び込んでいきたいと、熱く、熱く、願ったことです。

 神との交わりの中にこそ、まことの【希望の風】があると気づきました。



2006.01.22 Sunday 18:05 | comments(1) | - | 

日々の風から  雪の思い出           一日違いの父の死と孫の誕生 

 明け方から降り出した雪がだんだん激しさを増し、またたく間に銀世界が広がっていき、見慣れた近隣が別世界となりました。
 降りしきる雪を見ながら、8年前のことが思い出されました。

 父が、その年の元旦早々に倒れ、救急車で近くの病院に運ばれましが、すでに意識不明の重体でした。脳出血を起こしていて、出血の大きさと86歳と言う年齢から手術は難しいと、医師から説明されました。
 
 その年は一ヶ月の間に何回雪の日があったでしょうか。東京にしては記録的でした。
おぼつかない足どりで雪道を辿りながら、日に3度づつ病院に通いました。
 かっきり3週間、父は病院のベッドに伏していましたが、22日に、ついに帰らぬ人となりました。父は晩年になってからですがクリスチャンになりましたので、教会を式場に、2日間の葬儀が行われました。

 告別式の日に、娘が初めての子を出産したのです。男の子でした。父は楽しみにしていたひ孫の顔を見ることができませんでしたが、今、神さまのおそば近くにいて、すべてを知っていると信じます。

 ひいおじいちゃんの生まれかわりだね、と孫はよく言われますが、そんなわけはありません。神さまはひとりひとりをこよなく愛し、その人だけの特別の人生設計を立てて、この世に送り出してくださっているのですから。
 
 孫は23日に8歳の誕生日を迎えます。今日の雪はいちばんうれしい誕生日プレゼントだと言って、雪の中に飛び出して、走り回っていました。

 雪のせいで騒音が消された静かな一日を過ごしながら、ふだんはあまり思い出さない父のことがつい昨日のことのようによみがえってきました。



2006.01.21 Saturday 23:55 | comments(0) | - | 

日々の風から 前夜式(お通夜)を終えて   あるご夫妻の人生

 昨年は親類も含めて6人の方の葬儀に参列しましたが、今年、こんなに早くまた一人の友Hさんを見送ることになろうとは思っていませんでした。思い出を記してみようと思います。

 Hさんは84歳でしたが、クリスチャンになったばかりでした。奥様は一足早く、昨年12月13日に天に帰りました。 奥様は38年の信仰生活を見事に貫いた方でした。

 Hさんは信念の人で、妻の信仰を横目で見るだけで、自分から進んで神を求めることはありませんでした。時に妻の信仰を妨害することもありました。
 
 妻が年老いて病気がちになってくると、非常にいたわり、教会への往復も付き添ってくるようになりました。そこには麗しい夫婦愛が見えました。
 しかし教会には入らず、集会が終わるころになると玄関に立っているのでした。

 いつの間にか教会の人たちと顔見知りになり、奥様を私たちはお母さんと呼ぶとともに、Hさんをお父さんと呼びかけるようになりました。

 3年前に胃ガンの手術をしてから体調が崩れ、入退院をくり返すようになりました。
 身体のあちらこちらに病気が出てきて、昨年8月にも何度目かの入院になりました。
 ところが、奥様がご主人の心配と、夏の暑さのために衰弱し、彼女もまた入院してしまいました。
 
 そして、大事件が起ったのです。

 入院中に脳梗塞を起こして意識不明になり、命の危険にさらされることになりました。方やHさんの病状も思わしくなく、ご家族はふたつの病院を駆け回って看病に全力をあげました。
 しかし、父親に母親の危機を知らせることができずにいました。奥様は3ヶ月半、実に静かに昏睡したまま、ついに目を覚ますことなく、年末に神さまの元に帰っていきました。

 こうなっては隠し通すことはできません。子どもたちは意を決して真相をお話ししました。Hさんは努めて冷静に受け止めたようですが、激しいショックだったようです。

 その中で、初めて神への思いに導かれました。
 牧師に会いたいと言いだし、イエス・キリストを信じますと明確に告白しました。38年も閉ざしていた心が、妻の死をきっかけに一気に全開したのです。
 まもなく洗礼式が行われ、Hさんは正真正銘のクリスチャンになりました。

 そして、急激に体力を失って、ついに18日真夜中、命の最後の火が消え果てました。奥様の死からわずか1ヶ月しかたっていませんでした。

 花いっぱいの祭壇の奥に、白い花で覆われた十字架を背にして、Hさんは凛とした背広姿を見せてくれました。
 棺の上には、奥様のミニの遺影が乗っていて、おもわず胸がつまってしまいました。
 お2人を代わる代わる見ながら、80余年生き抜いたひと組のご夫婦の人生が限りなく貴く美しく、大切なものに思われてなりませんでした。

 人の価値は存在そのものにあり、神さまは人間をあるがままの姿で、愛し赦し受け入れてくださっていることをしみじみと思い返しました。

 どんな状況にあろうとも、人が真実に生きていくところ、そして、天に帰っていくところには、神の愛の希望の風がひたひたとそよいでいると信じなおしました。


『あなたは高価で貴い。私はあなたを愛している』 聖書
2006.01.20 Friday 23:18 | comments(1) | - | 

日々の風から 昨夜、天に旅立った友

 私の教会の祈祷会は、毎週木曜日に午前と夜の2回行われています。
 午前の部には主に主婦の方や高齢の会員が集まります。私はほとんど夜です。仕事を終えてそのまま駆けつける方もいます。
 日曜日の礼拝と、週の半ばの祈祷会はだいたいどこの教会でも行われている定例集会です。
 祈祷会でも、聖書が開かれ、牧師がメッセージをしますが、そのあとに、祈祷会の名の通り、祈りの課題にしたがって祈り合います。課題は、教会全体のこともありますが、今、神の助けを必要としている人々や事柄のために具体的に祈ります。
 昨今は闘病中の方や、高齢の方々のために祈ることが多くなりました。
 今晩も、今週手術した2人の方の経過が報告され、祈りが積まれました。 

 そして、
 
 特別に、昨晩、真夜中に、84歳で天に帰った兄弟(教会では会員同士を兄弟姉妹と呼び合います。男性は兄弟、女性は姉妹です)の葬儀が明日と明後日行われることが報告されました。
 教会が式場になるので、できる人はお手伝いをします。

 彼の奥様はつい1ヶ月前に天に帰ったばかりなのです。病床で愛する妻の死を聞かされて大きな打撃を受けたのでしょう、まるであとを追うようにして亡くなりました。
 ご遺族の嘆きはいかばかりでしょう。想像にあまりあります。

 悲しみの中の唯一の慰めは、おふたりとも神のみもとに帰ったことです。このことは私たち教会員にとっても大きな慰めです。

 さあ、明日、明後日と、できるだけ教会に行って、できることをお手伝いしながら、彼を天に送りましょう。神さまのもとに帰る彼を、祈りと賛美をもって見送りましょう。

  『私たちの国籍は天にあります』 聖書
2006.01.19 Thursday 23:10 | comments(0) | - | 

日々の風から 友人からのうれしい知らせ

 地方の友人からうれしい知らせがありました。
 お嬢さんの結婚が決まったとのこと。ほんとうに、ほんとうにうれしいニュースです。婚約式の日取りもきまり、結婚式の準備も進んでおられる由。友人ご夫妻の喜びが目に浮かびます。私の顔もほころんできます。信仰を貫いてすべてキリスト教式で行えるそうで、それもうれしい限りです。

 最近、同世代の旧友たちから知らせてくる慶事は、お孫さんの誕生や進学のことが多いのです。年を取った証拠なのでしょう。そのニュースももちろんうれしいのですが、結婚の知らせはなんといってもトップをいきます。

 友人との年齢差は10歳以上です。気がつくと、数名、そうした若い方々が友人として受け入れてくださっています。なんと幸いなことでしょう。
 最近はメールというまことに便利な通信手段が使えます。居ながらにして、やりとりができます。友情を培う大きな役目を果たしてくれています。大いに活用しようと思います。

 友人は我が娘の結婚のことなどを尋ねてきました。
 そういえば娘の結婚からまもなく10年になります。
 当時のことをあれこれと思い出し、胸が熱くなりました。そして、手放したはずの娘が、4人家族となって同じ屋根の下に暮らしているのを、今さらながらに不思議なことだと思い、幸いなことだと感謝しました。

2006.01.18 Wednesday 19:32 | comments(0) | - | 

日々の風から 絵本の書き写し

20060116_45085.jpg
4才の孫娘は勉強好き。遊び感覚です。そこで絵本の書き写しを始めました。ノートに赤ペンで書いた上を2Bの鉛筆でなぞらせます。真剣そのものです。絵本はアーノルド・ノーベルの「とうさん おはなしして」です。
2006.01.16 Monday 22:17 | comments(0) | - | 
<< | 82 / 86 PAGES | >>