人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

日々の風から 年賀状あれこれ
 年賀状も新年の特別行事です。
 一日にこんなにたくさんのお便りをいただくことは他の日には決してありません。
 出す時期がついつい遅れて、なかなか元旦に届くようにはできないのですが、いただいてみるとうれしいものです。
 一年間一度も交信のなかった方からいただいて、あわてることがあります。今朝もそうした方が数名おられて、ほっとするとともに、出しておけばよかったと後悔しました。

 いただいた中に同じ方のが2枚ありました。あわてているなと、笑いかけたのですが、自分も同じことをしているのではないかと心配になりました。
 この方にはすでに送ったはずだ、いや、出してないのでは、と、迷い出しました。一覧表にしるしを付けて出すのですが、しるしがあるのに出した記憶がないのです。いただきっぱなしでは失礼ですし、と言って2枚出したらみっともない、そんなことを考えてしまいます。
 
 くださった方に寂しい思いをさせるより、2枚になって笑われても、そのほうがいいかもしれません。そうです、迷った方には出すことにします。
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日々の風から 元旦は非日常
 さくらんぼ我が家では、ふだんは全員そろって朝食をいただくことはありません。生活スタイルの違いがそうさせないのです。しかし元旦だけは勢揃いして、あらたまって新年の挨拶を交わしあい、神さまに祈りをささげてからお雑煮をいただきます。
 
 ふだんできないことを、当たり前のように行えるのが新年の特権でしょう。元旦には日々の風は吹いていないかもしれません。日常であって日常ではないスペシャルなときと言えましょう。それが、新鮮です。
 
 クローバー元旦にそよぐ非日常の風が好きです。
 
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日々の風から まず元旦礼拝から
 元旦の朝は教会で礼拝があります。礼拝は通常は日曜日に行われますが、元旦に限っては日曜日でなくても礼拝があります。元旦礼拝、新年礼拝と呼ばれます。
 
 まず神さまに礼拝をささげてからでなければ、新しい年を歩き始めることはしませんし、できません。このひとときを無視して他のことを優先させることはまずありません。
 旅行もその他のレジャーも礼拝後です。もっとも、ふるさとに帰省する方はおりますが、彼らはふるさとの教会へ行くはずです。
 元旦礼拝はクリスチャンの事始めです。
 
 私の教会では、元旦に牧師が一年の主題のみことば(聖書の中の一節)を掲げ、そこから説教します。そしてこの一年、主題を学び、主題に生きることを目指して努力していきます。
 
 ずっしりと重みのある一年分の宿題を神さまからいただきましたが、決して苦になることはありません。みことばをいただき、みことばに生きることは大きな喜びですから。
 
 みことばの中には、キリストのみずみずしいいのちがあふれています。その躍動は希望の風を生み出します。希望の風を慕い求め、身を任せ、希望の風そのものであるイエス・キリストとともに、一年の旅に出発できるのはこの上ない幸いです。

 『あなたのみことばは、わたしにとって楽しみとなり、心の喜びとなりました』
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日々の風から 一年を振り返る 
 大晦日になると、どうしたって今年1年を振り返ることになります。資料となるものは2冊の手帳とパソコン内のダイアリーです。

 あんなこともあった、こんなことも。小さな旅もしたし、大きな旅もできた。あの家に赤ちゃんが生まれた、親類のお年寄りが相次いで2人亡くなった。親しい友人を数名も天に送った。自分の健康も定期検査の度にドキッとさせられて……。
 少し遠くなった出来事がもう一度よみがえってきます。その時の感情もついてきて、胸がいっぱいになります。

人間関係もいつも満月とはいきませでした。自分の体調や気分が多分に影響していると思うのですが、些細なことが気になったり、傷ついたり、それで失望したり、落胆したり、不愉快になったり、腹を立てたりと、1年365日、日々の風は決して快風ばかりではありませんでした。
 とりわけ、自分自身の内に潜むエゴや無慈悲、狭量、能力不足などとは、激しい葛藤がありました。

 そんな戦いで疲れ果てているとき、私のかたわらに立っておられるイエス・キリストに気がつきました。イエス・キリストは愛と赦しに満ち満ちた両手を広げて、私を受け入れてくださるのでした。傷ついては癒され、失敗しては赦され励まされ、失望の時は明るい希望の風を送ってくださり、こうして2005年も大晦日の今に至るまで、支えられました。

 改めて、いただいた信仰のすばらしさ、イエス・キリストを信じることのすばらしさに、感涙の時となりました。

 2006年も、イエス・キリストから視線を離さずに、仰いでいこうと思います。

『信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい』
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日々の風から ああ 大晦日!
 今年も、一年の最終の日を、なにはともあれ元気で迎えることができ、こんなにうれしいことはありません。
 
 生き抜いてきたなあと感動です。
 いや、自力で生きてきたのではなく、神さまの恵みによって生かされてきたのだと、実感し、感激と感謝でいっぱいです。
 確かに、確かに、生かされてきたのです。自分で生きているのではなく、生かされているのです。

 さあ、一日、おせちの準備にいそしみましょう。夜は年越しそばを囲みましょう。
 
 その後は2006年の始まる一瞬を心待ちにしながら、新しい年への期待や願いを神さまに祈るときにするつもりです。毎年毎年そうしてきましたが、今年もいっそう心を込めてそうしたいと思います。
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日々の風から 忙中の閑
 暮れの忙中に閑があったわけではありませんが、無理に時間をひねり出して銀座へ出かけました。親友と映画を見るためです。こんな時にわざわざ出かけるほど映画ファンではありません。それどころか前回は数年前になるでしょう。ふだんテレビすら見ない暮らし方をしていますが、新聞の広告を見て興味が沸きました。

 まずタイトルに惹かれました。『綴り字のシーズン』。
 広告には、言葉は、たった一言、わずか1文字でも相手の心に響けば絶大なパワーで、人の人生さえも変える。少女は、たった1文字で家族を救う、とありました。

 言葉とか文字についてはいつも少なからず関心を抱いています。それを主題にするとは、どういう物語だろう。もう一つは、家族問題を扱っていること。それと、耳にしたことのあるスペリングコンテストにも関心がありました。

 優秀な両親と兄のいる4人家族の平凡な妹は、単語の綴りを正確に言えるかどうかを競うコンテストに、次々に優勝していきます。彼女は卓越した言語能力をもっていました。

 それまで兄を溺愛していた父親は、手のひらを返すようにその愛情を娘に向け、全国大会に備えて付きっきりで特訓します。その辺りから、潜在していた家族の問題が表面化してきます。少女は自分のせいで家族が不幸になったと思いこみます。

 全国大会の最終まで勝ち進んで、最後の単語になったとき、少女はわざと間違ったスペルを言って優勝の座を捨てるのです。
 少女の犠牲を知った父と兄、そして母がこの時から不思議に癒されていきます。1文字に託された少女の愛が、バラバラになった家族の絆を一つにしたのです。
 1文字の背後に大きな犠牲の愛がありました。文字はいのちそのものでした。いのちに満ちた愛が家族を救ったのです。

 綴り字はさておき、言葉の力を信じています。
 とりわけ、神のことばを信じています。神のことばにあるいのちと愛に生かされている確信と体験があるからです。

『始めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった』
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日々の風から 少年の涙
 同居の娘が、子どもたちがまだ起きない早朝にでかけました。今日は一日2人の孫と過ごすことになります。
 いつもの時間に兄の方が起きた気配がしました。着替えたらリビングにくるだろうと心待ちにしていましたが、いっこうに足音が聞こえません。おやっ、と多少心配になり、様子を見に行きました。

 小2になる彼が、まだ目の覚めやらぬ妹の枕元にじっと座っています。見ると、目が真っ赤です。早く、着替えようね、と言いかけたとたん、彼の目から大粒の涙があふれました。びっくりです。
「起きたとき、ママがいないなんて、さびしいよー」
そう言うと、また涙が数滴頬を走るではありませんか。
 なにか慰めや励ましの言葉をかけようと思いましたが、見つかりませんでした。そっとしておく方がいいとも思いました。
 それよりも何よりも、私は大きく感動していました。なんといじらしく、可愛らしいんだろう。こんなにも素直に泣けるなんて、なんと貴いことだろう…。
 美しいものを見たなあと胸がいっぱいになりました。とても懐かしい気がしました。私の内にはいつのまにか消えてしまった情感でしたから。

 子どもが親を慕うのは本能かもしれません。親が子のために心砕くのも、人を恋い慕うのも、本能の一種かもしれません。しかしこの素朴さが何よりも大切ではないかと思うのです。そのたぐいまれな美を目の当たりにできる、我が身をつくづく幸いだなあと、神さまに感謝しました。

 彼はすぐに立ち直り、ママに言われたからといって、せっせと夜具をたたみ、着替えをして、いつもの彼に戻りました。
 4歳になる妹はわかっているのかいないのか、泣きもせず叫びもせず、朝の食卓につきました。

 午後になって、昼寝をさせてから、娘に報告しようと、携帯を取りました。
何気なく送信メールを開けると「ママ、いまどこにいるの。さびしいよ」とあり、涙顔の絵文字がいくつも続き、女の子が大泣きしているスタンプが貼り付けられていました。
 いつのまに送信したのだろう。口にも態度にも出さないのに、わずか4歳の子に、こんな感情があり、ここまで表現するとは…、またまた言葉も出ないほどの感動でした。

  よく友人たちから、お孫さんといっしょでうらやましいわと言われます。もちろん感謝していますが、毎日毎日感動しているわけではありません。あたりまえ、日常事になっているのです。
 でも、今日は改めて考えさせられました。
 美しいものや幸いは、日常のただ中にあるのだと。それを見つけ続けることが、神が与えられた人生の宿題であり、生きることの本質ではないかと、少年の涙から教えられました。
 涙の中に希望の風が光っていました。
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日々の風から 合羽橋へ
 一ヶ月あまりのクリスマスシーズンが無事終わりました。多忙の中にも聖なる喜びをたっぷりと味わいました。数々の恵みを記念の袋に詰め込み、さあ、今日から心も新たに前進です。来年のクリスマス目指して。快調なエンジンの音が聞こえてくるようです。

 遅ればせながら大掃除を開始し、その合間に、娘とお正月料理のメニューを考え、それぞれの分担を決めました。正月中は多少の来客もありますので、接待も加味した献立です。青りんご

 夕方、保存の利く食材を用意しに、合羽橋(かっぱばし)商店街にいきました。ここは全国的に有名な食に関する品々を扱う問屋街です。食料品はもとより、厨房の設備や道具、食器類、包装材、店内装飾品、店員の制服にいたるまで、あらゆるものが歩道にまであふれるように陳列されています。見て歩くだけでも楽しい町です。個人でも出入りできますので、ケーキの材料などをよく買いにきます。今日はレーズンやくるみ、スライスアーモンドなどを大袋で買いました。教会用にもよく買いにきます。スーパーで買うよりずっと廉価です。
 
強風 今日の風はいっそう冷たくとがっていて、肌がぴりぴりと痛いほどです。12月中にこんなに寒い年は珍しいのではないでしょうか。
 
 晴れ東京は寒いけれども毎日晴天続きです。大雪に見舞われている地方の方々のご苦労はいかばかりか、私などには想像もできないことなのでしょう。雪
 
 その雪の中で、特急いなほの脱線転覆事故を知りました。去る22日は新潟で大規模な停電が起って驚いたばかりでした。大雪の被害でしょう、全くの天災と言えるでしょう。
 寒さと戦うだけでも並大抵ではないのに、災害はよけいものです。被害を受けた方々、命まで亡くしてしまった方やご遺族の嘆きをお察しします。慰め主、イエス・キリストからほんとうの慰めが与えられますように祈ります。

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日々の風から メリークリスマス!
 今日こそが待ちに待ったクリスマスの日です。教会が一年中でいちばん華やぐときです。

互いにメリークリスマス!とあいさつを交わしあい、カードやちょっとしたプレゼントのやりとりがあり、ふだんはなかなか出席できない方々もこの日ばかりは休むことはありません。病気がちな人は車で迎えに行きます。教会員の家族も出かけてきます。友人たちを誘う人もいます。教会堂は、はち切れそうです。

 クリスマスがなぜうれしいのか、それは神の御子イエス・キリストが私たちを救うために降誕なさったからですと、牧師は聖書からそのほんとうの意味を説き明かしました。

 このイエス・キリストを私の救い主ですと受け入れた方が、今日は洗礼を授けられました。礼拝の中で洗礼式が行われました。41歳になる男性です。奥様と3人のお子さんたちも列席していました。彼は子どものころ教会にきていました。しばらく遠ざかっていましたが、思うところがあって一年ほど前から復帰し、ついに信仰の決断をして洗礼を受けました。

 神の家族がまた一人加えられました。教会にとってこれに勝る大きな喜びはありません。みんなが彼に心と手をさしのべ、歓迎しました。
 そこにはイエス・キリストの愛と信仰と希望の風が心地よく吹いていました。

『きょうダビデの町で、あなた方のために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです』



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日々の風から キャンドルライト礼拝に
 24日はどこの教会もいつもよりずっと門戸を広く開けて(教会はいつも歓迎体制ですが)一般の人が来られるのを心待ちにしています。

 私の教会は昨夜、燭火礼拝をしましたので、今日は親友の教会へ出席しました。

 この教会はプロの音楽家たちが何人もおられるので、奏楽も賛美も聞き応えがありました。信仰心だけでなく芸術ごころも快く刺激されました。ソロもコーラスも心にしみました。わけてもハンドベルの演奏は特別に感動しました。大勢でしているのにまるで一人の人が演奏しているように自然に美しく聞こえてきます。一致することの極地がここにあるように思いました。演奏者たちの緊張感が爽やかに伝わってきて、思わず背筋を伸ばして耳をそばだて、ベルの動きに目を凝らしました。

 大人に混じって子どもたちも聖書朗読に加わっていたのはとても新鮮でした。子どもたちはそれぞれ分厚い聖書を抱えて、けんめいにマイクに向かっていました。教会は大きな大きな家族なのだと実感しました。

 牧師先生は、クリスマスのメインデーは明日の25日です。イブは前夜にすぎません、クリスマスはイブで終りではなく25日が本番です。明日の礼拝にもおでかけくださいとお勧めをしておられました。

 ほんとうに、明日がクリスマスのクライマックスです。明日はいつもより身支度に気を付けて、一張羅を着込んででかけましょう。救い主イエスキリストの誕生パーティに招かれているのですから。

 イエス・キリストは『その名は不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』とも呼ばれるお方です。






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