人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

日々の風から キャンドルライト礼拝に
 24日はどこの教会もいつもよりずっと門戸を広く開けて(教会はいつも歓迎体制ですが)一般の人が来られるのを心待ちにしています。

 私の教会は昨夜、燭火礼拝をしましたので、今日は親友の教会へ出席しました。

 この教会はプロの音楽家たちが何人もおられるので、奏楽も賛美も聞き応えがありました。信仰心だけでなく芸術ごころも快く刺激されました。ソロもコーラスも心にしみました。わけてもハンドベルの演奏は特別に感動しました。大勢でしているのにまるで一人の人が演奏しているように自然に美しく聞こえてきます。一致することの極地がここにあるように思いました。演奏者たちの緊張感が爽やかに伝わってきて、思わず背筋を伸ばして耳をそばだて、ベルの動きに目を凝らしました。

 大人に混じって子どもたちも聖書朗読に加わっていたのはとても新鮮でした。子どもたちはそれぞれ分厚い聖書を抱えて、けんめいにマイクに向かっていました。教会は大きな大きな家族なのだと実感しました。

 牧師先生は、クリスマスのメインデーは明日の25日です。イブは前夜にすぎません、クリスマスはイブで終りではなく25日が本番です。明日の礼拝にもおでかけくださいとお勧めをしておられました。

 ほんとうに、明日がクリスマスのクライマックスです。明日はいつもより身支度に気を付けて、一張羅を着込んででかけましょう。救い主イエスキリストの誕生パーティに招かれているのですから。

 イエス・キリストは『その名は不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』とも呼ばれるお方です。






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日々の風から イブイブ礼拝に
 クリスマスイブの礼拝は通常24日の夜ですが、私たちの教会では今年は1日早めて23日の祝日にしました。
 ウイークデーですと、仕事をしている社会人たちはなかなか出席できません。それで、お休みの日にしてみたのです。イブではないのでイブイブ礼拝です。

 正式にはキャンドルライト礼拝、燭火礼拝とも言います。それぞれに小さなキャンドルが渡され、その明かりの下で聖書が朗読され、クリスマス讃美歌をうたいます。ゆらゆらとキャンドルの炎が燃えていると、いつもよりずっと落ちついて優しい心になれるのはなぜでしょうか。

 礼拝が終わるとティータイムです。クレープとシュトーレンののったお皿が配られました。
 朝から気を入れてクレープを焼きました。健康が支えられて、クリスマスの奉仕ができるのは何よりもうれしいことです。
 
 明日はほんとうのイブです。この日には信者でなくても多くの人が教会に行きます。日本中の教会に、世界中の教会にあふれるほどの人が集いますようにと祈ります。
 平和の君、イエス・キリストに、世界の平和を祈らずにはいられません。
 

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日々の風から 園長先生の涙
 4歳になる孫娘は隣りの区にある教会の幼稚園に通っています。残念ながら私の教会にはないので、そうしています。

 クリスマスは教会の幼稚園では最大のイベントです。園児たち全員が参加して、聖書の記事に従ったキリストの降誕劇をします。この幼稚園は毎年ページェントにして降誕劇をします。孫は今年は天の軍勢の一人に扮しました。大きな星の冠を小さな頭に乗せて歌ったりせりふを言ったりして大熱演でした。

 最後に初老の園長先生がお祈りをしました。園児たちの成長と幸せを祈ったとき、突然、声がうわずり、つまって、止まってしまいました。涙があふれたようでした。

 園長先生がどうして泣いたのか真相はわかりませんが、おそらく、先頃、世相を騒がせたいくつかの悲惨な出来事を思い出したのでしょう。
 ここにいる子どもたちが、いや世界中の子どもたちが、何事もなくすくすくと成長してほしい、と切実に思ったのでしょう。それが熱い涙となったのでしょう。

 園児たちはすぐ察したようです。あっ 園長マンが泣いてる、園長マンが泣いてるよと口々に言い合っていました。園長先生の愛の涙は列席の大人たちにも伝わり、みな、目にハンカチをあてていました。

 涙を持って園児たちの成長と幸せを祈る幼稚園に、大切な我が子、我が孫を預けてよかったと、大人たちは一様に思ったことでしょう。

 ここには神さまの喜ばれるほんとうのクリスマスがありました。クリスマスの主人公イエス・キリストは、愛するために、心砕いて涙するために、降誕したのです。
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日々の風から あえて貧しくなるとは
教会暦では今日から待降節第4週にはいります。教会堂には4本の赤いキャンドルが燃えています。今日のメッセンジャーは、スイス人の協力宣教師です。説教題は『救い主の誕生』でした。宣教師は驚くほど立派な日本語で語ります。要約しますと、

当時世界の覇者はローマ帝国。アウグストが初代の皇帝になり、権力と名声をほしいままにし、死後は神格化され壮大な廟に葬られました。彼の誕生の日も没した日も記録に留められています。
このアウグストに時を重ねるようにして、神の御子イエス・キリストは誕生するのですが、その誕生日も、十字架上で息絶えた日も正確な記録はありません。しかも出生の場所は旅先の家畜小屋でした。
そこは現代人が嫌悪する汚い、暗い、臭いの3Kがそろった場所でした。イエス・キリストはあえてそのど真ん中に産声をあげました。仮の親となったマリヤとヨセフは片田舎の貧しい男女でした。キリストは自ら貧しくなられ、むさ苦しい場所を居場所としたのです。

考えてみますと、私たちの心こそ家畜小屋そのものです。自分の益を最優先させる、汚い、暗い、臭いエゴの塊の場所です。しかしイエス・キリストは身を屈めてあえて私たちの心を誕生の場所とし、しかも常住してくださるのです。喜んでイエス・キリストを我が内に迎えようではありませんかと。

 宣教師のメッセージに耳を傾けながらふと思いが広がりました。彼は故国を離れ、母語をあえて使わず、他国に住み、他国の言葉を用いてひたすらに使命に生きています。その姿勢に、イエス・キリストの姿をかいま見たような気がしました。

 いっそうキリストへの思いが深まっていきました。キリストは天のみ位を捨てて、人となられ、あえて貧しくなられ、しかも十字架で身代わりの死を遂げるために生まれました。

 世界中が血で血を洗いながら自分の豊かさを追い求めている今、キリストの生涯の語る物語に集中したいと思います。キリストの生涯に吹き渡る愛といのちの風を身体いっぱい吸い込みたいと思います。

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日々の風から 図書館への道
 リクエストしておいた本の用意ができたとの連絡があったので、空の袋を下げて出かけていきました。徒歩でわずか10分足らずですが、日々使う道ではないこともあって、ちょっとした外出気分です。新鮮で、うれしい気分がわいてきます。道のせいだけではないかもしれません。新しい本を手にする期待感がそうさせるのでしょう。
 
 半月ほど前に送られてきたある出版社の新刊情報をみていましたら、何冊かの本に読書欲をそそられました。自分の蔵書にするには内容と価格でためらいがありましたので、図書館を利用することにしました。時々この手を使います。図書館は区内に4つある内の1つですが、大きくはありません。自分の図書館にないときは区内、区外、都立図書館まで範囲を広げて捜してくれるのです。おかげで、多方面の書物に出会えています。この方法で、詩人長田弘、かの塩野七生、エッセイスト須賀敦子を知り、今では彼らの著書は私の本棚に市民権を得て、キリスト教信仰書類と仲良く肩を並べています。
 リクエストしたのは、はじめて読む詩人のエッセー集と現代フランスの小説家の最新作。ハードカバーですが分厚くはない2冊が、まず袋の中に収まりました。ついでにクラシックのCDを制限数いっぱい借りました。さらにクリスマス料理の本も一冊追加して。全部入れると結構な重さです。

 図書館の帰り道は、行き道にまさって心が満たされ、弾んできます。欲しかったおもちゃを手にした子どもと同じかもしれません。手にしただけですでに楽しいのです。実際、すぐにCDをかけ、すぐに読書できるわけではありません。日常の雑事、しなければならないことが待ちかまえているのですから。それらから解放されて自由になれるのは夜も更けてからです。

 図書館への往復は1ヶ月に1度くらいでしょうか。私はこの道が好きです。この道には特別な風がそよいでいます。無風の時も頬に気配を感じます。淡いオレンジ色の希望の風なのです。

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日々の風から 別離の悲しみを凌ぐ再会の希望
 昨日の前夜式から一夜明けて今日は告別式です。東京地方の朝は最低気温2度なにがしで、かなり厳しい寒気でしたが、空は透明度高く澄み渡り、風は弱く、日差しは強い、上々の天気となりました。

 棺の前に立つと、昨日にまして深いところから悲しみがこみ上げてきます。思えば彼女とは38年もの間、ほとんど毎週日曜ごとに顔を合わせ、会話してきたのです。この関係はただごとではありません。実の親子、きょうだいでもこうまで密にはなれないでしょう。お互いの心が強い絆で結ばれるのは当然かもしれません。そしてその分、別れが辛いのです。しかし葬儀社の方々は手際よく事を進めていきます。棺に蓋がされ、斎場行の車に案内され、またたく間に愛する彼女は小さな箱に収められてしまいました。

 ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに、もう会えないのだ。互いに名を呼び交わすことはないのだ。ともに手を取り合って祈りあうことはないのだ。声を合わせて讃美歌を歌うことはないのだ…。足下が揺れて、崩れてしまいそうな喪失感に襲われました。
 
  その間、一貫して牧師は聖書の信仰を説き続けます。死は終りではない。新しいいのちへの旅立ちです、彼女は一足先に天の御国に帰り、イエス・キリストの懐で憩うているのです、やがて私たちもそこに行き、彼女と再会するのです。御国には地上のような苦しみも悩みも嘆きも涙もありません。そこで永遠に住まうのですと。
 
 そうだ、再会があるのだ。再び会えるのだ。二度と別離はないのだ。いただいている信仰が力強く働きだして、別離の悲しみを凌駕し、変わって再会の明るい希望が輝き出しました。私たちは、涙の目の奥に宿る希望の光を確認し合い、うなずき合いました。
  足下から、いのちを孕んだ希望の風が束になって吹き上げてくるのを感じました。

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日々の風から 大きな別離
 今年、私の教会では3つの葬儀がありました。今日の前夜式の主役は12月24日に誕生して12月13日に83年の生涯を走りきった美しき信仰の友です。私の母と似た年代でしたから、よく、お母さん、お母さんと呼んで親しいおつきあいをしてきました。ですから、私にとっては格別に大きな別離なのです。
 
彼女は40代半ばでクリスチャンになりました。38年前のことです。3人のお子さんを抱え、ご主人やお年寄りのいるご家庭で、ただ一人信仰を持つことは並大抵のことではなかったと思います。忍耐強い方でした。しかし歯を食いしばってというような悲壮感は見られず、むしろ楽天的でした。イエス・キリストに自分の人生も家族も夫もいっさい委ね、神に期待しながら、しなやかに、静かに歩んでいました。
 
よく祈り、よく聖書を読む方でした。よくいっしょに祈りました。私にとっては最高の祈りの友でした。

  明日は告別式。一日、彼女の地上での最後の時をともにすごそうと思います。 
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日々の風から
 11日からは教会カレンダーではアドベント(待降節)第3週に入ります。会堂の前方に位置する講壇(牧師が説教する場所)の脇の机上に設置されたクリスマスクランツに、三本目のキャンドルが加えられ、先週、先々週のとともに点火されました。リース

今日の説教題は『ヨセフの信仰と神さまの愛』です。
ヨセフとはイエス・キリストの育ての父です。母がマリヤだとはあまりにも有名ですが、父の名がヨセフとは知らない人も多いでしょう。男尊女卑の色濃い人類の歴史に逆らうように、マリヤは聖母として特別な地位を得て賞賛されますが、彼の影は薄いのです。マリヤと同じくヨセフをも聖父としなければ不公平というものでしょう。神さまはイエス・キリストの地上の親としてマリヤだけでなくヨセフをも選んだのですから。

説教では、このヨセフがいかに深い愛と信仰に満ちた人であったか、彼の役割はだれもがたやすくできるものではないこと、さらにヨセフにもいや増して、神さまは無限大の愛で私たちを愛し赦し、しかも、いつまでもともにいてくださるお方であると語られました。

ヨセフはマリヤに比べると聖書の中でも登場する場面が少ない、地味で渋い脇役です。マリヤはイエス・キリストが十字架にかけられたその場所に居合わせましたし、お墓にも行きましたし、復活したイエス・キリストにも会っています。でもヨセフはキリスト降誕のあたりに顔を見せるだけで、その後の消息についてはなにも記されていません。後ろ姿さえ見えません。説教を聞いているうちに、ヨセフへの理解が深まっていきました。

同性として、ついマリヤに視線を向けることが多いのですが、片側からだけしか見ていなかったと反省しました。人間理解についても、主観や感情や自分だけの感性やセンスに偏っていることが多い、しかもそれに気づかないで得々としているのではないだろうかと、心の底をさぐられました。神さま理解も自分流が多いのはないかと。

そんな不完全な私のそばで、イエス・キリストは『わたしはいつまでも…ともにいる』と力と愛に満ちて宣言してくださっているのです。これが希望でなくて何でしょう。クリスマスのヒーローであるイエス・キリストは希望の風とともに降誕なさったまことの神さまだと改めて信仰を立て直しました。

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日々の風から 早朝に祈る人々
 7日水曜日は早朝に開かれているお祈りの集まりに出席しました。会場は隣りの区にある教会の一室ですが、その教会だけの活動ではなく、全国組織の一つの集いです。年に一、二回、声がかかって証しに行きます。クリスチャンはイエス・キリストの福音を証しする使命に生きる者ですから、オファーがあれば喜んで馳せ参じます。まだ夜が明けきらず、寒気もきつかったのですが、心も体もふだん味わえないような新鮮ないのちで満たされるのを感じました。
 
 今回は、新約聖書の一節『神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです』を引用しながら、人生のドラマを通して体験したイエス・キリストの愛と導きを具体的に語りました。

 それが終わるとみんなでお祈りをします。黒板に祈りの項目が書かれています。この朝は、私の教会と牧師、教会員のためにまず祈りがささげられました。また、底辺に生きる人々のため、現在、緊迫した世界情勢のただ中にいる人々のために祈りました。
 
 その後に、朝食をいただきます。それがこのお祈り会の特色の一つです。一人の年配の婦人が前日から泊まり込んで準備をなさるのです。イエス様のためですからと、いつもにこにこと、朝食とは思えないほどの品数を揃えてくださいます。500円の会費ではとてもまかなえないでしょう。おそらく労力だけではなく財もささげてのご奉仕でしょう。
 出席者は多くはありません。杖をついている方もおられます。白髪の男女が目立ちます。みなさんはお若いときから今日までずっと祈りの火を燃やし続けてこられたのです。
 
 おおかたの人がまだまだベッドの中にいるとき、このような一握りの人々が祈りの手を挙げて人類の悲惨な現状を祷告し、平和と幸福を祈り続けているのです。日本中、世界中で、クリスチャンたちは人目につかない時と場所で、熱い愛の祈りをささげています。愛の神はこうした祈りに必ず答えられるでしょう。
 祈りには希望の朝風がそよいでいます。

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日々の風から 旧友を天に送る
 大切な友が天に帰りました。
 前夜式(一般ではお通夜にあたります)に参列しました。式場は彼が所属している教会のチャペル、司式者は何十年と彼を愛し導いてこられた当教会の牧師先生です。

 彼とは聖書学院の同期で、いっしょに入学し、同じ教室で、しかも偶然隣りどおしになって、以来、卒業まで机を並べました。その時すでに古稀に近い年齢でしたが、その後もちっとも変わらず、清潔感の漂う、モダンで洒脱、なかなかスマートな紳士でした。
 
 彼は苛烈な戦争体験を持っておられ、ジャングルの中をさまよっている内に米軍に見つけられて捕虜収容所に収容され、まもなく解放されて帰国できたそうです。収容所内でそれまでの栄養失調が改善され、太って帰ってきたと、笑いながら話されました。どんなに辛いことでも楽しいことにしてしまう術を心得ている方でした。悲劇を楽劇に変えられるユーモアとウイットを持ち合わせておられ、なによりもキリストへの熱い信仰を持っておられ、日本の男性としては珍しい方だなあと、尊敬していました。

 尊敬を越えて感動させられたことは、病弱な奥様を30年も介護され、学院の卒業式には車いすの奥様と列席したことでした。麗しい夫婦愛を目の当たりにして、私たちはうーんと、声もなく、目をうるうるさせるばかりでした。3年前に奥様の召天を見届け、書道家であった奥様の遺作展もりっぱになさり、それから、奥様を追って行かれたのでした。何と美しい生涯でしょう。
 
 式では、メサイヤの中のソロが歌われ、悲しみの中ではありましたが、一瞬天の窓が大きく開かれ、御国の風が吹き込んできたような、生命力を感じました。クリスチャンは、死後も神とともに永遠に生きるという死生観を持っています。ですから、悲しみの中にも期待があります。希望の風がそよいでいるのがクリスチャンの死であり、葬儀です。
 
 写真の彼は、見慣れたジャケットを着込み、これも見慣れた笑顔を向けていました。豊かな出会いと別れさらに天国での再会を与えてくださった神に感謝しながら、少し遠距離だったけれど、参列できてよかったと、重ねて感謝しました。

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