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日々の風から 人の生き方、その人の美学

日々の風から 人の生き方、その人の美学
 
甘利氏の突然の辞任は世界を駆け巡るショッキングな出来事であった。氏は、政治家としての美学、生きざまに反する、やせ我慢の美学だと辞意の理由を表現した。ことの真偽は私にはわからない。知らないことが多すぎるから。しかし実に多くの人々が意見を述べられていて非常に興味深い。誉める人、けなす人、それぞれが持論を展開している。理由づけもそれぞれで、双方にうなずけるところもあった。
 
言葉だけをつまむことになるが、生きざま、美学に反する、が心に残った。日頃、自分自身の生き方に、美学と言う言葉を使うことがあるからだ。さしずめ「老いの美学」である。
 
先日、懇意にしている知人宅を訪問した。ずっと前に伴侶を亡くして、長く一人暮らしをしておられる。私よりいくらか年下だがすでに老女である。もう一人の友も交えて、いっしょにキッチンに立ち、お昼を作り、そのあとはお茶にして、午後いっぱいを過ごした。
 
知人が、「ほら、来てるでしょう」とリビングのガラス戸越しを示す。見れば庭の片隅の鳥のエサ台に小鳥が飛んできたのである。雨のひそ降る冷たい午後である。雨にもめげず、小鳥は小さな器に入っているひまわりの種をついばむのだ。正確には種をくわえると飛び立っていく。小鳥はシジュウカラとメジロであった。そばにみかんの二つ割りも置いてあった。そこへ体の大きなヒヨドリがやってきた。ヒヨドリは盛んにみかんをついばむ。
 
「ヒヨドリは憎らしいことをするのよ」という。なんどもなんども飛んできては食べ、食べては飛んでいく、繰り返しているうちにみかんはみごとに皮だけになってしまった。また飛んできた、ところがみかんは空っぽ、失望したのか怒ったのか、皮だけのみかんを突っつくと、皮はあっという間に下へ落ちてしまった。「ね、ひどいでしょう。いつもあれをするの。皮を突き落すのよ」私は唖然とした。おかしかったが、小鳥のドラマに感動した。
 
知人は「こうして一日中ここにくる鳥たちを見ていると、もうどこにも行かなくても楽しくてうれしくて、幸せを感じる。これで十分よ」という。意外な発言であった。それにはわけがある。知人は旅好きで、事情がゆるすせいもあるが、年中旅をしている。旅だけでなく、おそらく今でもスケジュールノートで在宅の日はないのではないかと思う。それが、日がな一日家にいて小鳥を見るのが至福だと言う。これは知人の到達した「老女の美学」ではないかと思った。
 
甘利氏の美学とはおよそ似ても似つかぬが、人それぞれ、しっかり自分の「美学」をもって自分に正直に生き抜いたらいいと思う。美学と言う以上、そこには人を魅了する、あるいは納得させ、心ふるわせる「美」があってほしい。かくいう私にももちろんいくつかの「老女の美学」がある。そのうちに御披露します。
 
 

日々の風から スカイツリーそらまちで

日々の風から スカイツリーそらまちで
 

またまた荻野吟子ですが、そのからみで幕末から明治維新ものを漁っています。発端は、吉村昭の「ふぉん・しいふぉるとの娘」です。シーボルトの娘、俗にオランダおいねと呼ばれていますが、本名は楠本イネといい、日本初の産婦人科医として活躍した人の物語です。荻野吟子と比較されることがありますが、吟子は明治政府になってから、国家試験を受けて初めて政府公認の女医となった人です。参考にと、読んでみたのです。忘れられない本です。
 
吉村昭物に惹かれて、最近は「桜田門外の変」を読みました。これも引き込まれて、疲れ果てても本から離れられないほど引きずりこまれました。そのつながりで、また何か幕末か維新ものが読みたくなりましたが、吉村昭はあまりに濃厚すぎてひとまず距離を置きたくなり、他の作者をあれこれと物色し、今は司馬遼太郎の「最後の将軍」を繰っています。
 
司馬遼太郎はひところ夢中になり、代表作はほとんど読み、「街道を行く」も楽しく読みました。ところが贅沢というのでしょうか、私の読書欲は御馳走を食べすぎた胃袋のようになり、当分はもういいと、離れてしまいました。ですから久しぶりの司馬遼太郎です。しかし、さすがに、さすがに、大小説家だなあと、改めて唸りながら読んでいます。
 
一日に一度はしたい散歩の行先に、ときどきスカイツリーのそばのそらまちへ行くことを覚えました。歩いてもよし、バスに乗ってもよしで、気軽手軽です。最近は真冬のせいか平日は閑散としています。早やお昼を済ませて出かけます。どこも広々とゆったりしていて解放感を味わえます。ところどころにくつろげるエリヤがあるので、おもむろに文庫本を取り出します。そっと見回すと、読書している人がちらほらとおられるのです。
 
小一時間、読書に没頭です。周囲に人がいても邪魔にはなりません。騒がしいことがあったらさっさと離れればいいのですから。じっと坐っているだけなので万歩計も止まったままですが、これも都会の中の散歩風景の一つだと勝手に満足しています。暖冬とはいえ、さすがに外は寒くて長く歩けません。
 
それにしてもここは世界の観光地なのだと実感です。日本語と半々くらいに外国語がきこえてきます、最近は中国語です。韓国語はあまり聞きません。先日は、白人女性の振り袖姿を見かけました。成人の日でしたか、日本の女性といっしょでした。とっても清々しくすてきで、ちっとも違和感がありませんでした。上手に着こなしておられました。
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

日々の風から 心残りの場所

日々の風から 心残りの場所
 
 





昨年後半は「荻野吟子・日本公認第一号女医」を追かけてゆかりの地をいくつか訪ねました。最遠方北海道はちょっとやそっとでは行けませんので、近場ばかりを巡りました。幸い吟子の活躍した場所は、ああ、あそこね、あの辺りねと、すぐにも思い浮かぶところでしたので、地図に弱く、体力にも自信のない私でも行けたのでした。一つだけ気になりながら行き残したところがありました。ずっと心に引っかかっていたのですが、あまりにも近いので、ついでの時についでの時にと延ばし延ばしにしていました。しかしどうにも気持ちが落ち着きません。
 
吟子は埼玉県熊谷の利根川べりにある俵瀬の実家に出戻ってからしばらくの後、女医になることを秘しつつも学問で身を立てると言いきって単身上京します。当時は女性が学べる医学校はなく、国学者井上頼圀の塾で男尊女卑の塊の男たちに交じって学問にはげみます。すぐれた吟子の学才は人の知る所となり、甲府で女子の私塾を開いている内藤満寿子塾長のたっての招きに応じて「内藤塾」の教師になります。女医への道がないのと自活していくための苦渋の選択でした。そこへ故郷俵瀬時代に吟子の学問への芽を開かせた恩師松本万年の娘荻江が、女子師範学校が出来るからそこで学んではどうだろうかと誘いに来るのです。
吟子は女子教育のための学校が出来るなら、女子の医学校もできるかもしれないと、一縷の望みを抱きながら回り道と知りつつも女子師範に入学します。そこでの5年に及ぶ厳しい学びを貫徹して、主席で第一回の卒業生になります。明治12年、吟子は29歳になっていました。
 
この女子師範学校は現在はお茶の水女子大として大塚にありますが、もともとは御茶ノ水にありました。この場所を訪ね遅れていたのです。調べてみるとわずかに説明板があるだけとのことです。味気ない気もしますが、明治女学校跡も墨田区の終焉の地も案内板だけ、最初の医院開業地などはひとかけらの碑もありません。地番を頼りにそこに立っただけでしたので、もう失望もしませんでした。幸い、今年の冬は日々暖かく、外出の足を阻まれることもありませんから、冬休みの宿題をこなすつもりで出かけました。
 
御茶ノ水駅を聖橋口で降りて、橋を渡りました。渡り切ったところにわりあい目立つ説明版が建っていました。医科歯科大の隅っこです。こ
んなところだったのと、自分の粗忽さにあきれ、申し訳ない気がしました。なんど行ったり来たりした道でしょう。それなのに気が付かなかったのです。こんな節穴のような目では見るべきものさえ落としてしまいます。 


立ち止まって眺めている人もいました。通りの向かい側は湯島聖堂です。説明板は「近代教育発祥の地」とあり、説明の文言の中に女子師範学校の名が見えました。この辺りに当時を思わせるものは何一つありません。想像のしようもありません。学校はここにあったのだ、吟子は歯を食いしばって学びに励んだのだという、一片の知識をたよりに、心に生きる吟子を偲ぶだけでした。しかし、返し損なっていた借りを清算したような軽い心になりました。
 
蛇足ながら、「荻野吟子」についてはメモめいた記事をこのブログに掲載しましたが、それらをもとに著した小冊子「利根川の風」は友人知人に歓迎されているようで感謝です。
この度は、多くの方々からお手紙や長いメールで具体的な感想がたくさん寄せられ、意外な反響に驚いています。それも実在の人物の強さ、荻野吟子のすばらしさだとつくづく感じました。ただに吟子の偉業を紹介するだけでなく、一般の歴史からは欠落しているキリスト者としての吟子をアッピールできたことが、なによりも心うれしい事でした。そもそもそのためにこそ書いたのですから。これからも隠れたクリスチャン偉女たちを探してみたいと思っています。
 
吟子の愛唱聖句を掲げて筆を置きます。
『人、其の友の為に己の命を損なう 之より大いなる愛はなし』ヨハネ15章13節
 
 
 

日々の風から 関口カトリック教会へ

日々の風から 関口カトリック教会へ
 


日々あまりの暖かさにかすかに不穏を感じつつも、暖かいのはいいものだと歓迎してしまいます。外へ出るのも寒さ対策どころか、暑さ対策をする有様です。歩けば体が熱を発し、建物に入れば暖房の中です。とたんに汗が噴き出ます。その不愉快なこと。バーゲンセールでも見ようと思っても、いたたまれず早々に飛び出してしまいます。これでは物は売れないのではないでしょうか。売り手も考えたほうがいいと思います。
 
お正月と言ってもどこへ旅するわけでもありません。それでもいつもとは違う気分になっていることは確かです。最近興味をそそられた関口カトリック教会を観に行ってきました。観光的好奇心だけではありません。信仰的好奇心と名づけたていいかどうかわかりませんが、壮大なるカテドラルに惹かれたのです。JR飯田橋から有楽町線に乗り換えて、江戸川橋で下車、神田川沿いに歩いて椿山荘の裏から入って庭園を突っ切り、正面に出ると、道路を挟んで目の前にカテドラルが聳えていました。ここはカトリック東京教区の司教座聖堂とのこと、東京ではこの教会が中心だそうです。
 
大聖堂には自由に出入りが出来ます。巨大な近代的な大聖堂でした。歴史の風格は感じませんでしたが、最前列の長椅子に座ってしばらく心を静めました。ほとんど人影はなく静寂そのものです。その静寂に導かれてしばらく祈りをささげました。しかししんしんと体が冷えてきて長くはいられませんでしたが、すがすがしい気持ちになりました。
 
都バスに乗って目白に出て、山手線内回りで秋葉原に戻り、総武線各駅停車で我が家まで帰ってきました。締めて3時間弱。新年初の散歩は成功でした。
 
 

日々の風から 空は快晴 暖かな日差し

新年あけましておめでとうございます。
 
変わりなく同じ時刻に目覚めを与えられ、基本的な活動を始めることができる、その一つ一つに神様の具体的な生きた助けと愛を体いっぱい、心いっぱい、知り感じることができ、深い感動と喜びに満たされ、聖なる御名を崇めます。
 
空は快晴です。風もさして冷たからず、日差しには冬とは思えない力があり、ミニ花壇の小花たちが色も鮮やかに咲き競っています。思わず、胸を反らせ両腕を天に向けて体いっぱいに朝日を浴びました。太陽の熱が体内の奥に沁みとおっていくようです。背骨に力が入る気がします。なんと幸いな朝でしょうか。
 
いつものように、創世記から読み始めています。今年はみことばの暗誦に励みたいと心に言い聞かせています。期せずして、一人の兄が、何と言ってもみことばの暗誦です、暗誦したみことばを入れながら祈りたい。祈っていると神様のより近くにいることがわかると発言されていたので意を強くしました。今年は50くらいに増やしたいと目標も聞かされ、大きな刺激を受けました。
 

今日は創世記1章1節から5節までのカードを作り、手元に置いて口ずさんでいます。
 

はじめに、神が天と地を創造した。
 
地は茫漠として何もなかった。
やみが大水の上にあり
神の霊が水の上を動いていた。
 
神は仰せられた。
「光があれ」すると光があった。
 
神は光を見てよしとされた。
神は光とやみとを区別された。
 
神は光を昼と名づけ、
やみを夜と名づけられた。
 
夕があり、朝があった。第一日。
(新改訳聖書第三版より)
 

 
 
 
 

 
 

日々の風から 年末年始は非日常

日々の風から 年末年始は非日常
 
平凡な一老女である私の日常は判で押したように同じ時間割で営まれています。起床から床に入るまで、365日ほとんど狂うことはありません。ずれるとしたら家にいない時、めったにない旅行の時くらいです。しかし年末年始は家にいてもいつもと違う時間割、非日常になるのでとても新鮮に思えます。精神の昂揚する時です。感慨にふけり、時に感傷的にさえなる時です。安っぽいセンチメンタルと言われるかもしれませんが、心が刺激を受けるのは貴重なことだと思います。
 
大晦日のこの日、いつもならとっくに入浴も夕食も済ませている午後8時に、長女家族との恒例の年越しそばでの夕食が始まります。私を交えて家族全員が揃って食卓を囲むのは年に何回もありません。この時から三が日だけは貴重な家族タイムです。日本中、どこのご家庭もそうなのかもしれません。忙しいのは家長のパパだけではありません。子どもたちもそれぞれに多忙です。朝早く家を出る時もあれば、夜も会社員並みに遅いこともあります。めったに全員で食卓を囲むことなどできません。
 
我が家はふるさとがありませんから帰省文化はありません。また、元旦は礼拝がありますから、この時期に旅行することもありません。私はすぐそばの教会へ、娘家族は奉仕教会へ出かけていきます。明日もそうです。我が家の文化とまでいえるこの習慣はまだ当分続くでしょう。元旦の夕方はまた全員が揃いますから、貴重な夕食会になります。この時のためにも暮れから準備があります。メニューは平凡ですから言うのも恥ずかしいので秘しますが、楽しみです。
 
そろそろ2015年が終わろうとしています。今晩だけは起きていて、2016年の時が刻まれるのを見届けるつもりです。神様の助けがなかったら越えられなかった2015年を感謝し、新しい年に希望を繋ぎたいと思います。

日々の風から クリスマス説教の不思議 その3

日々の風から クリスマス説教の不思議 その3
 
もう2015年のクリスマスは終わりました。商店街や店頭を飾ったクリスマスデコレーションは一夜のうちにすっかり和調になり、迎春一色なりました。そのすばやさに驚嘆します。
 
私はまだクリスマスを続けています。クリスマスの説教集を繰り続けています。秋たけなわの頃、銀座の教文館へ出かけて行き、クリスマスにちなむ数冊を求めてきました。調べものに使いたい意図もあったのですが、その中の一冊がシーズンが終わっても書棚に帰すことが出来ずいまだに机上に置いてあります。『光の降誕祭』20世紀クリスマス名説教集と言います。教文館発行、R.ランダウ編、加藤常昭訳です。
 
ここには20編のクリスマス説教が収められています。訳者の加藤常昭先生はまえがきで、「これらの説教の理解のために大切なのは、いつ、どこで語られたかということである。近代ヨーロッパ崩壊の予感を示すブルームハルトの十九世紀末の説教に始まり、第二次大戦末期、国土の廃墟を目の当たりにしながら語るイーヴァントや強制収容所で語るニーメラー、最近ではドイツ統一後の幻滅の事実に言及するユンゲルに至るまで、説教が語られた現実を色濃く反映している」また「あまり急いで読まないでいただきたい。説教はゆっくり味わうべきものである」と忠告しておられます。
 
事実、一篇、一篇が急いでは読めないのです。続けても読めないのです。深い説教です。一つずつ、日を空けて読んでいます。今晩は読もうと決めると、読む前から期待感が高まってくるのです。原文の力か、翻訳の巧みさか、両者でしょうが、語り口調が聞こえてくるようで、その一言一言を聞きのがすまいと身を乗り出している自分がいます。
 
そんなわけで私のクリスマスはまだ終わりません。我が家の玄関ドアーに掲げたリースのように、まだ仕舞い込むわけにはいきません。当分リースは玄関を、この一冊は私のかたわらにあって、私の視線を受け続け、時に読まれるでしょう。

クリスマスの不思議 その2

クリスマスの不思議 その2
 


23日に、我が教会で行われた地域の老人施設へのキャロリングは昨年にも増して感動的でした。過去2年は、一階のデイサービスのルームと、4階の特養ホームのフロアーでしたが
今年はさらに2階、3階のフロアーが加わりました。ここは特養ですが一人部屋で暮らす方々がおられるそうです。ほとんど方が車いすで、職員さんに連れて来られていました。
 
まず一階のデイサービスルームに行くと、最前列には我が教会のメンバーO姉がニコニコして手を振っていました。姉妹は93歳で、お一人暮らしです。施設に入居を希望しているのですが、介護2なので入れません。そこで月曜から土曜日まで、木曜の祈祷会の日を除いて毎日デイサービスを受けています。日曜日は教会です。教会への往復は兄姉が送迎します。
食事は毎日給食です。木曜午後だけヘルパーさんがお掃除など家事介護で家にきます。自力で歩き、金銭管理他日常のことも自力です。しかしシャキシャキと言うわけにはいきません。
その姉妹が、目を輝かして私たちの賛美を楽しんでいました。
 
2,3,4階と、そのたびにエレクトーンを台車に乗せて運びます。すべて職員さんたちが手際よくリードしてくだいます。私たちの賛美を大勢の職員さんもいっしょに聞いてくださいました。私たちが歌いだすと何人かの方々が身振り手振りで合わせます。「もろびとこぞりて」や「きよしこのよる」は知っている方も多く、唇が動き声の出ている方もいました。
大勢の方が目を潤ませ、涙を流しているのです。こちらも胸がいっぱいになります。讃美の力でしょうか。お別れの時は皆さんに声をかけ、握手などをしますが、私が接した一人の方は「息子がキリスト教の幼稚園に行っていたのです」と言われ、泣いておられました。在りし日を思い出したのでしょう。
 
特記すべきことは、一階の奥に2つあるグループホームに入所している教会員で私の親友のK姉が、今年も私たちの輪に加わって4回とも全部出演できたことです。往年の姉妹は保育士で教会学校教師、ご自分の地域ではこども会を結成し、家庭集会も開き、伝道一筋に来られた方です。賛美歌はびっしりと頭にこびりついているのです。悠々と楽しそうに歌っていました。職員さんがわざわざ姉妹を連れてきてくださったのです。
 
別れ際、姉妹はなんども振り返りながら手を振ってご自分の部屋の方に付き添われて戻っていきました。すっかり丸くなった背を見ながら、私たちも目をしょぼつかせました。とはいえ、姉妹とは次の日曜日には教会でお会いできるのですが。
 
教会に戻って、夜のキャンドルサービス礼拝に備えて一休みしている時、つと私の隣に一人の姉妹がぴったりと坐り、「私たち夫婦は子どもがいないから、やがてはホームに入ることになるとおもう」とぽつりとつぶやくように言いました。「今から考えておかなきゃと思う。老いても二人の時はまだいいけど、一人になる時が来るわ」これもつぶやきのようでしたから私は軽くうなずくだけにしました。50代前半の現役真っ最中のキャリアウーマンです。専門のライセンスをお持ちで、男性の中でバリバリと働いておられ頼もしい女性なのです。ああ、何の心配もない様に見えるこの姉妹も、忍び寄る老後問題で、時に心を悩ますこともああるのだなあと、ふと、地上の生の厳しさを感じました。
 
クリスマスには、神は一人一人になにか大切なメッセージをささやいておられるのかもしれないと思いました。ところで神は私に何を語りかけておられるのだろうと、考えてしまいました。
 
 
 
 

日々の風から クリスマス礼拝の不思議


日々の風から クリスマス礼拝の不思議
 
今年は22日がクリスマス礼拝でした。教会がいちばん賑やかで明るいのはこの日ではないでしょうか。闇深きこの世に、苦難のご生涯を送られるために降誕されたイエス様を偲びますと、手放しで浮かれて(決して浮かれてはいませんが)「クリスマス おめでとう!」などと言い合えることではないのでしょうが、この日を暗く過ごす理由はないでしょう。イエス様は「光」としてこられたのです。闇のなかの光として輝くために来られたのです。光を見て喜ばないわけにはいきません。光を知った者たちが手を取り合い躍り上がって喜び楽しまないわけにはいきません。みんなで光のそばへ駆けつけないわけにはいきません。
 
昨日は教会には珍しい方々が多く来られました。日頃何かと欠席がちな兄姉が来られました。
距離のあるところに移転されて、日常は近くの教会に行っておられる兄が、久しぶりにやってきました。ご家族ぐみるで遠くから来られたファミリーもいました。
一年に一度クリスマスだけ来られる方もおられました。「クリスマス信者」大いに歓迎です。教会には初めてという方も来られ、うれしい限りでした。
 
クリスマスには特別に主が激しく働いておられるのでしょう。ふだん忘れている人たちに語りかけておられるのでしょう。それを聞きとった方々が来られたのでしょう。
 
午後には、送迎しても礼拝堂に座っていられない方を、愛餐会のスペシャルなお食事を包んで訪問し、クリスマスの讃美歌を何曲も歌い合って、小さなクリスマスタイムを過ごしました。クリスマスはプレゼントをもらう日ではなく、すでにいただいているイエス様の恵みを分かち合う日だとつくづく思いました。
 
23日に、私の教会ではキャンドルサービス礼拝をします。その日は午後から、この2、3年依頼のある近くの老人施設に賛美とメッセージを携えて出かけます。そのための聖歌隊でもあります。昨年までは2つのフロアーで行いましたが、今年は4回お願いしますとのこと。どこのフロアーに行くのでしょうか。とても楽しみです。
 

日々の風から 先人たちの降誕メッセージ その2



ドイツ告白教会に属し、ナチと戦った一人の牧師の戦時下の説教から抜粋要約しました。(『光の降誕祭』20世紀クリスマス名説教集 R・ランダウ編 加藤常昭訳 教文館)
 
★救いは上から始まる★ ハンス・ヨアヒム・イーバン
 

御使いは彼らに言った『恐れることはありません。私はすばらしい喜びを知らせに来たのです。今日、ダビデの町であなた方のために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたたがは布にくるまって飼い葉桶に寝ておられるみどり子を見つけます。これがあなたがたのためのしるしです』
*ルカ二章一〇〜一二節*

 
 降誕の物語は上から始まります。救いの物語は上から始まります。私どもはいつも下から始めざるを得ないのです。立っているところ、苦しんでいるところ、絶望しているところから始めざるを得ないのです。しかし、救済の物語は天の一角が開かれて、明瞭な言葉で語りかけるところから始まったのです。

『恐れるな』、『すばらしい喜びを』と声は言います。しかし天使に、地上に何が起こっているか知っていますかと言いたいのです。私どもは大きな喜びなど何一つ知りません。知っているのは苦しみがどんどん増し、苦悩が深まっていることです。陰のごとく迫る死であり恐怖です。自分はしあわせから追放された者、悲惨な者でしかないと知るのです。闇が、人間の苦悩が、人間喪失が起っています。これがすばらしい喜びといえましょうか。

天使に、一度我々とともに全世界をへめぐって見ませんかと頼みたいのです。崩れかけた家に老夫婦います。戦争が子どもたちを奪いました。二人とも悲しみに沈んでいます。天使よ、ここに喜びがありますか。

天使とともにさらに遠くへ行きます。戦争が行われているところへ。一人の人間が他の人に武器を向けています。前方の塹壕に何人かの兵士が潜んでいます。ここに喜びがありますか。

最後に、天使に見てもらうために一つの扉を開きます。私たちの心の扉です。思い煩いが巣くっています。暗い暗い将来への思い煩いです。罪悪が巣くっています。大切な物を壊し、多くのことを怠けてきた嘆きが巣くっています。ここに喜びのメッセージを携えて来たいと思われますか。

しかし天使は黙っていません。天使は神からの知らせを変更することはありません。『あなた方のために』、『今日、救い主がお生まれになった』と天使は言います。いったい、神のキリストとはどなたですかと尋ねます。天使は飼い葉桶に眠る幼な子を示します。すべての人間の子と変わらない幼な子です。それではなぜ幼な子が私たちの救い手になれるのでしょうか。

天使は言います『これがあなたがたへのしるしである!』この幼な子は、神があなた方の所におられるしるしなのです。この王であるみ子はこの世の牢獄に入って来られました。困窮と暴力支配の束縛を受け入れられました。だがなおそこで王であり続けます。
もう一度皆さんの心の扉を開いてみませんか。そこに、この幼な子は留まろうとしていてくださいます。

私どもは天使といっしょに行かなければなりません。私どもを束縛するものから離れて、出ていくのです。自分自身からも出ていくのです。この幼な子のところへ行かなければなりません。『ベツレヘムへ行こう』と立って行くのです。幼な子のおられるところ、そこでこそ天は開かれます。そこでこそ、喜びは大きくなります。そこでこそ、牢獄は開かれ、死人は生きます。疲れた者たちが新しい力を得ます。不治の病も清くなります。そこでこそ喜びの知らせを聞くのです。
 
この幼な子はすでに私どものそばにいてくださいます。大切なのは、私どもがなお間に合ううちに、このみ子のところに来ることができるということです。  


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