人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅その5 希望の聖母像と浜串教会、民宿えび屋へ

旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅 その5

希望の聖母像と浜串教会、民宿えび屋へ

 

 

 

 

 

 

二つ目の教会、浜串教会に行く前に「希望の聖母像」を見に行きました。聞いていなかった場所ですが、教会が航海の安全と大漁を願って1954年に建立し1996年に建て替えたものだそうです。像は漁港の入口近く、五島灘に向かって突き出した岩場の先端に建っていました。像のそばに行くには岸壁を削って作られた曲がりくねった道を進むのです。道はところどころに波しぶきのためかぬかるんでおり、滑ったり転んだりしたら一大事ですので、おそるおそる一足一足慎重に歩きました。

 

辺りの岩場には波が轟音を立てて砕け散り、岩の裂け目めがけて生き物のように盛り上がって流れ込んでは引いていきます。柵にしがみつきながら見ていると吸い込まれそうで、ぞくぞくしました。聖母像にはライトはついていませんでしたが、船の上からは昼夜を分かたず見えて、漁師さんたちに大きな安心感を与えているのでしょう。プロテスタントの私たちにはこうした像には違和感があり手を合わせることはありませんが、心を鎮めながら、祈りの心で眺めてきました。

 

 

 

 

 

岩場の道を引き返してバス乗るとあっという間に浜串教会に着きました。おりしも祈祷会の最中だとのことでしたが、お許しを得て聖堂に入り、祈りの中に加えていただきました。迎えてくださった初老の女性が「今月はロザリオの祈りをしています」と教えてくださいました。ところで、「ロザリオの祈り」って、なんだろう。カトリックの集会についてはほとんど知識がありません。広々とした聖堂にはちらほらと信徒の方々が座っておられました。私たち20名も空いているベンチに座りました。前方で数名の子どもたちが大きな声で先導すると、会衆が祈りの言葉を唱えます。祈祷文の通りなでしょうか、しかし、聞き取れません。

 

しばらくすると日本語で祈っていることがわかり、じっと耳を澄ませました。聞き覚えのあることばに出会いました。主の祈りがあり、使徒信条があり、頌栄がありました。ところが、終わったかと思うとまた元に戻ります。それが延々と何回でも繰り返されるのです。いささか戸惑ってしまいました。時間がどんどん過ぎていくからです。宿に知らせてある時間があるからです。しかしそれは私たちの勝手な都合にすぎません。信徒の方々は熱心に時を忘れるようにして祈り続けました。私たちも最後まで参加しました。終わって、皆さんとお交わりをし、記念の集合写真も撮りました。聖堂内の撮影はここだけ許されました。

 

祈りを先導した子どもたちは最近洗礼を受けたそうです。びっくりしました。現に、伝道活動が行われ、実がなっているのです。教会は生きており、神は救霊の御業をなさっておられるのです。私たちは過去の歴史を見学に来たのでない、遺跡を見に来たのではない。今、正に生きている、活動している教会を訪ねているのだ、殉教者の血は無駄には流されなかったと改めて気づかされ、深い感動をおぼえて胸が熱くなりました。

 

浜串教会は外海地区から安住の地を求めて海を渡った信者が隠れ住んだ地域です。1899年、鯨捕獲の利益金で初代の教会が建立されましたが、その後老朽化したことから、1966年、海の近くに敷地を求め、現在地に新教会を建設しました。さらに教会から700m離れた港口に、先に見た「希望の聖母像」を建てました。

 

予定より小一時間遅れて、私たちは2日間お世話になる民宿「えび屋」に到着しました。

広間には夕食のお膳が並べられているところでした。

 

 

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旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅その4  五島のキリスト教史と最初の訪問、福見教会へ

旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅 その4

五島のキリスト教史と最初の訪問、福見教会へ

 

 

 

 

 

 

今回の旅行の目的は『上五島のカトリック教会群を訪ねて』です。《カトリック教会群》です。有名な教会を一つ二つ見学するのではありません。上五島には今現在活動している教会が29もあるそうです。私たちはそのうちの10か所を巡ります。どうして、こんなに小さな島にそんなに多くの教会があるのでしょうか。そんな素朴な疑問が生まれます。

 

日本に初めてキリスト教を伝えたのは、ご存知の通り、スペイン人イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルです。彼は1549年に鹿児島に上陸し、翌年、平戸で宣教を開始します。ザビエルは2年ほど滞在して中国宣教に向かう途中で病のため亡くなります。その後、コスメ・デ・トーレスがザビエルの働きを継承します。そこへ合流したポルトガルの宣教師ルイス・デ・アルメイダが1566年に五島へ渡り、宣教活動をスタートします。これが五島とキリスト教の最初の出会いです。

 

五島の藩主宇久純尭(うくすみたか)はキリシタン大名になりますが、その後の秀吉、江戸幕府による禁教令のために五島の信仰は一掃されてしまいます。しかし一部の信徒たちは潜伏キリシタンになって隠れた確かです。1597年に秀吉の迫害によって長崎の西岡で殉教した26聖人の一人、聖ヨハネ五島は島の出身者です。

 

その後年月が経って江戸時代中期に、五島藩は大村藩領から開拓民を移住させます。1797年(寛政9年)、外海地方から108名が五島へ移住しましたが、ほとんどが潜伏キリシタンだったようで、五島におけるキリシタン信仰がひそかに復活しました。移住者が土地を与えられたことを知ると外海地方からは続々と3000人以上の人たちが渡ってきます。しかし、移住民たちは山間部の僻地や小さな入り江などに住んで小さな集落を作りました。潜伏キリシタンはこうした集落に隠れ住んで信仰を維持し、特に明治維新前後の激烈な迫害をたえました。

 

幕末の1865年、居留地長崎の大浦に建てられた天主堂に浦上の潜伏キリシタンがプチジャン神父に信仰を表明し、これ以降続々と長崎各地で多くのキリシタンが表に出てきます。ところが江戸幕府のキリスト教禁止政策を引き継いだ明治政府は、「浦上四番崩れ」と呼ばれる過酷な弾圧を加えましTら。五島各地のキリシタンにも、長崎で指導を受けた信徒によってカトリックの教義が伝えられて、多くのキリシタンが信仰を明らかにしていきます。これに対して五島藩はキリシタンを捕え、「五島崩れ」と呼ばれる弾圧を繰り返しました。しかし政府は諸外国の圧力に屈し、1873年(明治6年)250年に及ぶキリスト教禁教令の高札を撤廃します。ここにようやく、キリスト教は晴れて日の当たる場所に出られるようになりました。

 

五島のキリシタン達は、キリスト教の信仰が認められると五島各地に次々と聖堂(教会堂)を建てていきました。教会は小規模のものが多いのですが、長崎にある日本最古のカトリック教会、国宝大浦天主堂建立直後に建てられて100年以上の年月を経ている建物もあり、その後建てられた新しい教会群とともに、今も五島のカトリック信徒たちが熱心に教会生活を続けています。今回の旅では、会堂で祈る方々の群れに加えていただくチャンスがありました。カトリック教会独特の祈りのスタイルをつぶさに体験し、考えらせられることが多々ありました。

 

最初の訪問、福見教会へ

ジェットホイルで下船した私たちはすぐに貸し切りバスに乗って最初の教会「福見教会」へと急ぎました。国道384号から右に折れ県道22号を10分ほど東に進むと五島灘に向かって立つ「福見教会」に着きました。教会は見上げるような階段を上ったところに建っていました。以後、多くの教会は岸壁のてっぺんか丘の頂上にあって、そのたびにため息をつくほどでした。

 

その代償のように眼下には青く深い海が広がって、塩の匂いを含んだ海風がそよいでいました。キリシタンたちは目を凝らしても見えない水平線のかなたの、福江島外海(そとめ)地区から、移住あるいは逃げてきて、ひっそりと集落を作ったそうです。教会の前にはどこも同じように統一された青地に白い文字で書かれた案内板がありました。またどこの教会にも鐘楼が建っていました。この教会の鐘は近くの「お告けのマリア修道会福見修道院」のシスター達が朝昼夕欠かさずに鳴らしているそうです。

 

≪教会と鐘の音≫は平和のシンボルとしてあこがれさえ掻き立てられますが、先輩キリスト者たちの血と涙とうめきの戦利品であることを忘れてはならないと心に銘じました。時刻は夕方5時になろうとしています。予定ではもう一つ、浜串教会へ行くことになっています。私たちは今度は急坂を下りてバスに乗り込みました。

 

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旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅 その3

旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅 その3

 

 

 

わずか二泊三日とはいえ、今回は飛行機あり、船もありで、まさに空を飛び海を渡る大旅行です。五島列島は九州の最西端に位置し、東シナ海に浮かぶ大小140余りの島々の総称です。浮かぶとは妙な言い方でしょうが、地図をみても、実際に海路から眺めてもそう思えてしまいます。そのうち大きな島が5つあるので五島列島といい、その5つも大きく2グループに分けて、南の方を下五島、北の方を上五島と呼ぶそうです。2008年に福江島へ旅した時は、羽田から福岡空港、乗り換えて福江空港でした。国内線を乗り継いだことになり、すっかり忘れていましたが、この旅も大冒険でした。

 

上五島は主に若松島と中通島からなり、総面積は213㎢、人口は約2万人。そのうち四分の一はカトリック教徒です。四人の一人が信者とは驚きです。うらやましい限りです。面積と人口ですが、東京23区が621㎢、人口はなんと約1千万人。面積はわずか3倍なのに、人口は500倍です。東京はすさまじいばかりです。

 

24日初日は、羽田空港の集合が朝8時半です。4時起きで家を出られた方もおられました。朝食なしだったかもしれません。しかも「旅の栞」には昼食はあらかじめ各自用意、機内または長崎空港までのバス中でいただくようにとありました。旅とは食事一つ考えても非日常です。こうした緊張感がずっと続くのが旅というものなのかもしれません。人ごとのように言えるのは、なんといっても20人中、羽田には私が一番近いからです。炊き立てのご飯で朝食し、昼食のおにぎりを二つ作ってバッグに詰め込みました。そのおにぎりを私は機内でいただきました。折よく、サービスの飲み物の中に「あご出汁」のスープがあり、飛びついたわけです。ところが隣のS姉は、空港で買った、テレビで紹介していた○〇肉の高価なすき焼き弁当を広げました。これもまた旅の一興かも。姉妹は旅の楽しみ方を知っておられる、旅の達人です。その隣のK兄は長崎に着いたら買うと、我慢?しておられました。

 

「ソラシドエア」は初めてですが、こぎれいですてきな機内でした。

 

長崎空港はこじんまりとしており、すぐに迎えのバスのトライバーさんと会えました。貸し切りバスなので安心です。乗り込むとすぐに港へ走り出しました。まずは第一の関所であるフライトを無事通過、大型バスにゆったりと身を沈ませながら小さく一息つきました。

 

午後2時、定刻通り長崎港を出港したジェットホイル「ペガサス号」は、75分、滑るがごとく海面を走り、15:15に奈良尾港に到着しました。船につきものの揺れは少しもありませんでした。空は快晴、さすがに東京より南西方向のせいか暑い、のひとことです。日差しは強く、風はかなり湿度が高いと感じました。思わず、用心のために忍ばせてきた夏の帽子を取り出しました。

 

下船すると、今度は三日間お世話になるバスが待っていました。このバスこそ、旅の本命である教会群へと案内してくれる強力な足です。今回の旅行には都合で旅行社から派遣される添乗員がいません。しかし島内巡りにはドライバーの他に「巡礼ガイド」といって、ボランティアの方でしょうか、ガイドさんが付き添ってくださることになっています。バスは中型かと思っていましたがデラックスな大型です。二人掛けを一人で使っても十分な余裕です。それでも班ごとに手際よくつつましく着席しました。

 

ところが、ところがです、ハプニングです。どうしたことか「巡礼ガイド」さんがいません。一瞬、そんなバカなことが〜〜〜と顔がこわばりました。団長のH氏があわてて東京の旅行社まで電話しましたが、手違いで、明日からだそうです。これから2つの教会見学がまっている、大事なスタート地点です。

 

しかし私たちは大して気にしていません。2つの教会は確かにこの島の、しかも遠くないところに存在し、そこに確実に連れて行っていただけるはずです。そこにはおそらくいくつかの掲示板があって、概要はわかるでしょう、いちばん大事なことは実際に現地に立って自分の目で見ることですから、今日のところはそれで良しとしましょうとそれぞれに納得しました。急きょ団長のH氏がにわか「ガイド」を宣言し、車内は笑いにつつまれ、島特有のきついアップダウンの多い道を北上しました。国道384号です。最初の教会は福見教会と言います。

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旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅 その2

旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅 その2

 

 

 

 

2008年に、五島列島の下五島と呼ばれる福江島へ渡りました。今回と同じように2泊3日でしたが、島へは初日の一泊だけ、もう一泊は雲仙に泊まり島原など殉教の跡をたどりました。そのときにH氏が、次回はぜひとも上五島へ行きたいと、力を込めて言っておられました。その声を記憶はしていましたが、8年後に実現するとは、正直のところ思っても願ってもいませんでした。しかしH氏はずっと祈っていたようです。今回は自ら団長を引き受け、旅行社と掛け合い、ふさわしい旅程が出来上がり公募に至りました。

 

私はこの春に北海道へ行ったこともあって、今度は九州に行きますとは、さすがに気が引け、なによりも自分自身との折り合いがつかず躊躇していました。しかし2008年以来の仲間たちが当然のごとくに次々に申し込み、私が行くのも当たり前に思っておられる様子、ついに手を挙げたのでした。なんだかいやいや行ったみたいで言い訳がましいのですが、そんな葛藤がありました。だれに反対されるのでもなく、大きな支障があるわけでもないのですが、しばらくうじうじとしていたのです。さて、心が決まればもう迷いは雲散霧消、もともと親しき友であるH氏からの要請もあっていつもの力強い旅友Aさんと雑務を担うことにもなりました。

 

今回の旅程は単純です。飛行機で羽田⇔長崎空港、ジェットホイルで長崎港⇔奈良尾港。島内は3日間貸し切りバスです。宿泊も一か所の連泊です。こうして文字にしてみると、ああ、そうなの、らくそうねと思われてしまいそうですが、旅にハプニングはつきもの、絵に描いた餅のようにはいかず、餅がのどに詰まるようなこともありました。

 

 

 

三日間の旅程を記してみます。

10月24日・月曜日、8時半羽田国内線乗り場集合→Fチャプレンによる団結式→フライト→長崎空港(12:30)→貸し切りバスで長崎港→ジェットホイルで奈良尾港(15:30)→貸し切りバスで福見教会→浜串教会→若松島神部港の前、民宿えび屋へ(18時)

 

10月25日・火曜日、8時えび屋発→徒歩で神部港→海上タクシーでキリシタン洞窟ハリノメンド→若松港→貸し切りバスに乗り換えて中ノ浦教会→大曽教会→鯛の浦教会→扇寿で昼食(12時)→頭ケ島天主堂→冷水教会→青砂ケ浦教会→江袋教会→仲知教会→えび屋(18時)宿泊

 

10月26日・水曜日、8時、えび屋発→若松大橋→車窓から桐教会→奈良尾港(10時発)→ジェットホイルで長崎港(11:10)→大波止から普通のバスで長崎空港へ(13時)

→ここで解団式、自由時間→15:25フライト→羽田空港17:05着。

 

3日間これ以上ない上天気だったのは感謝の一言に尽きます。旅は何と言っても晴れが最高です。高齢者ばかりの旅なので神はあわれんでくださったと、聖名をほめたたえました。

 

 

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上五島のカトリック教会群を巡る旅

上五島のカトリック教会群を巡る旅

 

24日月曜日から26日水曜日まで、念願の上五島カトリック教会群を訪ねる旅に参加してきました。所属するお茶の水聖書学院同窓会が一年をかけて企画主催したものです。20名の仲間たちといっしょでした。いつも年齢ばかりを話題にしますが、集約すると全員が70代です。三日間最高の上天気、さすがに五島は九州の先の東の海の中にあり、温かく湿った空気が流れ、東京とは3〜4度の差があって、一か月くらい前のような感じを受けました。長崎県に属し、長崎港から船に乗ります。

 

島の南から北まで、バスは曲がりくねった山道坂道を走り、私たちは、岬の先端や山のてっぺんに建つ教会目指して、急な階段を上がり下りして、歴史を訪ねつつ、誇り高くそびえる教会に、キリストのいのちを目の当たりにする時をいただきました。今日は予告編です。これからおいおいに旅日記を記していきたいと思います。

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心の風から 老親介護・老老介護

心の風から 老親介護・老老介護

 

私と同年齢の方々はすでに老親介護は終わっている。私は遅いほうだったが、それでも母を天に送ってすでに8年になる。人によって千差万別であるが、私の年齢になると介護される側である。問題なのは老老介護である。介護されても仕方のない方々が、幸い自分自身は今のところ元気ではあるものの、配偶者の介護をすることになってしまうことである。実際、私の友人知人でそんな苦境に立たされている方が何人もおられる。今では珍しくもない社会現象のひとつだが、実際は深刻である。深刻さを増しているのは、ずっと二人暮らしだった方々。同居する家族か、独身でもいいから同居の子どもがいる方々はその困難さが緩和されると思う。

 

ご主人を介護している方の方が多い。奥様のお世話をしておられる男性も存じている。ときにその内情を知ることがある。わりにオープンに話す方もおられる、こぼし話をするということである。一方で、固いガードを張り巡らし、弱音を吐かない人もおられる。それもこれもその人の生き方の姿勢の表れであるとおもう。良い悪いの問題ではない。ただ、外側から、あるいは人づてに、耳に入ることから、多くのことをあれこれ考えさせられる。

 

言葉選びが難しいが、介護するご本人の体力の限界が目に見えている、あるいは限界に達してしまう場合、もっと介護制度のお世話になればいいのにと、いちばんにそこに歯がゆさを感じてしまう。母の場合、介護制度がどんなにありがたかったか、身に染みている。申し訳ないほど便利に利用した。本人の使える保険点数の範囲内でケアマネさんと相談しながら、プログラムを立てていった。母の意志、私のスケジュールをミックスさせながら、日ごとに、時間ごとに、細かい表を作った。そしてその通りに進めた。感謝なことであった。

 

今は制度が目まぐるしく変わって、当時より不便、あるいは悪くなっていると聞く。費用の問題から使わない人もいると聞く。だから、一概に介護制度を利用したほうがいいとは言えないが、共倒れが目に見えている方にはお奨めしたいとおもってしまう。しかし総合してみるとこんな人が多い。

 

いつもそばにいてあげたい、自分のそばから、自分の家から出したくない、人に預けてまで楽するつもりはない。骨が折れてもつらくても、できるだけ頑張りたいというのである。この思いはどこから来るのだろうか。じっと考えるに、やはり最後に残るのは情であろう。愛情であろう。外側からはうかがい知ることのできない長年の絆、関係の深さがそうさせるのではないか。親を思う子の思い、夫を、妻を思う配偶者の思いは一つなのだろう、当事者の関係のただ中に、第三者はうかつには入れない。愚痴を聞かされるときは深くうなずいて聞き、じっとガードを固くして頑張っている人には、背後から祈っていくほかはない。ついに共倒れになった方々には駆け寄って行きたい。

 

 

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日々の風から 図書館脇のパン屋さん

日々の風から 図書館脇のパン屋さん

 

秋のど真ん中にいるのを実感させてくれるこの1,2日。腰が上がって外出した。区内を走る循環ミニバスに乗る。このバスは都バスの走る幹線道路を避けて、いわば横町から横町を細かく走ってくれる。料金は100円。都バスの半額なのも人気の理由である。徒歩の足代わり、自転車代わりに使われている。昼間は杖を突いたりシルバーカーを押す高齢者が乗り降りしている。

 

図書館の脇に自家製のパン屋さんがある。焼きたてのパンがガラス張りの窓越しに初々しく並んでいる。そこを素通りできる人はいないと思う。まして食欲の秋!店内に入ってしまうのは誘惑に負けたことになるのだろうか。「御自由に」と、無料のコーヒーコーナーがある。簡単な座席もある。今はイートインというのだろうか。入れ代わり立ち代わりトレーにパンを乗せて無料のコーヒーで一息ついている人がいる。

 

図書館に来るたびに必ず買う、いつものパンを袋に入れてもらって、ついでに「ご自由にコーヒー」を紙カップに注いて座った。隣には赤ちゃんを抱きおんぶしたママがいた。専業主婦なのだろう。ドアーが開くと、ベビーカーを押すママが入ってきた。座席を見ている。たぶんこのママもここでひとりお昼をするつもりなのだろう。私は早々に席を立った。小さなパン屋さんに集まってくる小さな日常をほほえましく懐かしく拝見した。帰りのミニバスには乗客は私を含めて3人しかいなかった。貸し切り同様である。まるで大きなタクシーに乗っているようだ。なんと贅沢なことだろうと、申し訳ないような思いがした。

 

 

 

 

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日々の風から 萩も見ず

日々の風から 萩も見ず

 

すっきりとした秋晴れの日がないまま10月もはや半ば近くになってしまった。今日はようやく空が高いのを確認できた。薄く白い雲が気ままに漂っていて、胸が開くのを感じた。このところ身辺穏やかならず、胸の縮むことがいくつも押し寄せている。私や家族に直接係ることではないが、心が萎えたり気が揉めたり気にかかったりで、落ち着かない。そのためか、抱えている仕事が進まない。それがストレスになる。秋の花を見に行くこともないままである。久しくカメラは置きっぱなし、美術展の案内を見ることもないままである。昨年の10月はどうであったかと手帳を繰ってみると、月末には、日本初の公認女医でクリスチャンの荻野吟子の生涯を追いかけた『利根川の風』が出来上がったと記してある。懐かしさがこみ上げてきた。今年は新しく一人の女性を追いかけているが、スピードがなくのろのろとしている。私を押してくれる風がほしい。希望の風よ吹け!!

 

 

 

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世相の風から 小池劇場に気を取られて

世相の風から 小池劇場に気を取られて

 

都知事選のころから都政にいや応なしに目が向くようになった。政治には音痴と、ずっとそっぽを向き、政治の風に吹かれることもないだろうと思っていたが、昨今は今までとは違う風圧を感ずる。ひとえに「小池劇場」のせいだろう。これは私に限ったことではないだろう。私のごく小さな周辺でも、すぐに話が出て、花が咲く。「劇場」と言っても単なる観劇ではない。自分たちの生活に直結する問題が展開されていくのだから、他人ごとではないのだ。

 

築地市場には30分もあれば行ける。時に出かけることもある。移転すると知って以来、あまりいい感じはしなかった。郷愁があるからだろう。東京の歴史が消えてしまうようで、無意識の内にも一抹のさびしさがあるからだろう。しかし、移り変わりは世の習い、良くなってくれればそれでよしとしなければと納得したことであった。

 

ところが思わぬ問題が噴出して、びっくり仰天である。報道の一つ一つに釘つけになった。まだまだ先は見えないが、あまりのひどさにあきれ果て、心の隅には、政治の世界ってこんなことなんだと、怒りもそこそこに早くも白け気分になった。野次馬にすぎないから無責任を決め込んでいられるが、渦中にいる新都知事さんはさぞ大変だろうと思う。政治家に同情するなんていままでなかったことだが、今度ばかりはハラハラするくらい気持ちが接近している。一歩も体を動かすわけではないのに、見聞きする、それだけでかなり疲れてしまう。

 

小池さんはもちろん超人、巨人であろうが、生身の人間であり、しかも女性である。女性は弱いなんて私自身少しも思っていないし、現に女性の方が生命力はあることは確かだが、男社会にトップとして立つのは容易ではないとは推察する。女性が上に立つのには男の4倍働かねばならないとは以前から聞いているが確かだろう。4倍も5倍も活躍して、いや応なしに表沙汰ざたになってしまったたくさんの闇の部分がはっきりと解決されることを願っている。都民は、国民は、みなそう願っていると思う。

 

 

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日々の風から いつもと違う朝

 日々の風から いつもと違う朝

 

娘が仕事で4日ほど家を空けることになった。こんなにまとまった日を不在にするのはおそらく家族にとっても初めてであろう。安心して子どもたちを置いて行ける状況になったからである。とはいえ同居のオババとしては知らん顔ではいられない。それどころかすでに娘から4日間の食事係りを頼まれている。原則として朝は婿殿をはじめそれぞれ自分たちですることになっている。お弁当もこの間はお休みである。みな、外食するらしい。孫たちはめったにない外食のチャンスに喜んでいる。

 

私は夕食だけ4回支度すればいいのである。洗濯もそれぞれするようだ。たいした留守役ではないのだがいい加減にはできない。日ごろ老女一人の食事にすっかり慣れてしまったので、食べ盛りの2人を入れて大人4人分ともなれば両手、両足、体いっぱい頭一ぱい使わねばと思う。この際私も同じメニューである。

 

前もって4日分のメニューは考えておいた。食事時間は全員いっせいにはならない。好みも違う。にわかおさんどんとしては厳しいものがある。全員に満足してもらって、さらにおいしかった!との賞賛も狙っているからだ。

 

朝は食事には係らないが、一人一人がそれぞれの時間に出ていくのを見送る。世話は焼かないが、オババとしてはいろいろ気になることがある。天気予報によっては傘も必要である。氷の入った水筒も必要である。一声かけずにはいられない。

 

いつもママがしているように、玄関先でひとこと祈ると、孫たちは弾丸のように飛び出していった。すぐに彼らのキッチンへ駈け込んで、食卓やシンクの様子を見て後片付けをする。大したことはしていないのに朝からすでに疲労感がある。労働量のわりには緊張しているのかもしれない。この4日間はいつもの、運動を兼ねての散歩はやめて、体力を消耗しないようにしよう。金曜日の夕食作りまで頑張らなくちゃ。

 

 

 

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