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新年度スタート・希望の風は追い風

新年度スタート・希望の風は追い風

 
社会の最前線から退いて久しいが、新年度を迎えるとかすかながら新鮮な思いや緊張感を覚えるから不思議だ。体にしみこんでいる何かがそうさせるのだろう。学生たちの新学期はあと、1、2日先であろうが、会社や官庁のスタートはすんでいるようだ。この一年が、スタートを切ったすべての人々にとって充実躍進の日々でありますようにと陰ながら祈ります。厳しい社会状況下では、挫折や落胆や失望が、以前にもまして増えると想像する。
 
世の中の価値観も変わってきているから「おしん」流など通用しないのかもしれないけれど、それぞれが抱いている「初心貫徹」の道が開かれていきますようにと願う。若葉マークは美しい。春の陽を浴びてキラキラと躍るのはうれしい。たくましく繁茂して深緑に成長してほしい。希望の風は追い風である。抽象的ではあるが老女は祈り続けます。

 

日々の風から 枝垂れ桜は三分咲き

日々の風から 枝垂れ桜は三分咲き


 
先週のことになってしまった。次々に桜便りが聞こえてくるが、今年こそは満開の艶姿を観たいものだと、三年越しの念願を果たすべく、友人たちと六義園に繰り出した。ところが三分咲き。宿願は来年へ持ち越すことになった。しかし三分咲きは可憐であった。人影も多くなく、手の届くところで枝垂れ咲く花をまじまじと見つめることができた。見廻せば、花観る顔はみなほころんで美しかった。









 

日々の風から 仲直りは春の風

日々の風から 仲直りは春の風

 

東京に桜の開花宣言が出た。桜の花と同時に人の心も開く。映像を見ていたら、宣言が出たとたん、標本木を取り巻いていた人々から大きな拍手と歓声が上がり、いっせいにスマホがかざされた。思えば、おかしいほどのんき国ではないかないかと思ってしまう。

 

アメリカとキューバが長い間の国交断絶を解消して、両国のトップが握手した。88年ぶりという。わずか130キロしか離れていない国が、お隣りさん同士が、けんか別れしていたのだ。そうなったのには双方ともどもに立派な理屈や事情があってのことであろう。外野がとやかく言うことではないかもしれない。しかし、何はともあれ、双方が笑顔で握手したのだ。何と麗しいことあろう。なんとめでたいことだろう。何と感謝であろう。

細かいことはじっくり話し合えばいい。きっと乗り越えていけるだろう。

 

「和解」ほど困難なことはないだろう。国家間はさておき、小さな個人間でも、こじれた関係にある者が和解するなどは不可能に近く、実現は奇跡でしかない。当事者が自然に歩み寄って和解の握手ができれば一番いいが、両者の間に有力な仲介者がいれば、不可能が可能になることもある。また、お互いの利害のバランスが釣り合えば、仲介者がいなくても説得者がいなくても、和解ができるばあいもある。

 

アメリカとキューバはこの先どのような展開にいなるのだろう。よいモデルになるといい。

 

イエス・キリストは、神と人との間の仲保者として、ご自分の命を代償にして和解を成立させてくださった。支払った代価は途方もなく大きい。27日、復活祭を目前にして、和解の重さを考えてみたい。個人の人生史の中で、和解できないままになっている関係があるかもれない。私には、今思い出すと、うやむやのままの事柄が少なくとも2つはある。どう考え、どう扱ったらいいのか、まして、どのように行動したらいいのかわからない。遠い昔のことであっても、神は覚えておられるだろう、少なくとも、神のみ前に持ち出して真剣に祈ることから始めてみよう。

 

 


日々の風から 春風は希望の風

日々の風から 春風は希望の風

 



 

3月も半ばだというのにこのところ記録的な低温に見舞われている。気温の乱高下は体調だけでなく精神面にも影響が大きい。人間は機械ではないのだとつくづく思う。とても繊細に高度に、創られている。しかし実際にはこの霊肉と共に生きるのは並大抵ではない。創り主がいつもかたわらにいて、見守り、調整してくださらなければ生きていけない。

 

過日、スペシャル休暇の姉妹からドライブのお誘いがあって、飛びついた。開けられたドアーから飛び込んだというべきか。親しき友も招かれていて女性4人の日帰りの旅となった

 

東名を走り、国道一号線の西湘バイパスを通過して湯河原の梅園へ、その後熱海の海岸へ出た。久しぶりの海、久しぶりの熱海に歓声を上げた。大磯あたりの海岸線は雄大で、岸を洗う大きなうねりや波しぶきが、心に淀んでいた雑念にぶつかり、砕いて、沖へさらってくれたように思え、すがすがしい軽やかな気分になった。海は私の心の汚物などものともせず、エメラルド色を少しも変えることはなかった。細めに開けた窓から、潮のにおいを思いっきり吸い込んだ。荒い吸気の音に友は笑っていたが。

 

湯河原の梅園では、梅はすでに盛りを過ぎていたが、駐車場は満車に近く、大勢の人々でにぎわっていた。花を訪ねるのはいい、花を眺めるのはいい、花を愛でるのは人間に与えられた神様の恵みであろう。友とのフラットでオープンな語らいが喜びを倍加してくれた。

春風は希望の風、喜びの風になった。

 


日々の風から 震災五年、いまなお行方不明の方が2500人以上も

日々の風から 震災五年、いまなお行方不明の方が2500人以上も


あの地域で、直接に、地震や津波や原発の、未曽有の被害にあわれた方々に心からお見舞い申し上げます。ご家族、ご親族、友人、知人で、いまなお、行方のわからない方を追っている皆様に、心からお見舞い申し上げます。

あの地域で、元のように暮らしたいと切望している方々に心からお見舞い申し上げます。

あの地域へ戻ることを断念し、新しい生活を始めた方々に心からお見舞い申し上げます。

あの地域、その他で不自由不本意な仮設の暮らしをしておられる方々に心からお見舞い申し上げます。

あの出来事以後、心身に病を負うようになった方々に心からお見舞い申し上げます。

 

あの時だけでなく今も、自費で黙々と奉仕活動を続けておられる方々にお礼を申し上げます。

あの時だけでなく今も、神様だけが知っている支援と祈りを捧げ続けておられる方々に感謝します。

今、5年前の魔の時、2時46分になろうとしています。多くの善意の人たちの祈りに合わせて祈ります。


日々の風から 観梅、観桜いちどきに

日々の風から 観梅、観桜いちどきに


 





 

借り物のパソコンの使い勝手に難渋していていうちに、待っていた3月も足早に進んでいく。しかし、このところの寒さは真冬以上である。特に、どうして風がこんなにも冷たいのだろう。暖冬だと鳴り物入りで迎えた今冬は一時予報通りだったので、雪も氷も北風にも親しく出会うことはないだろうと、安堵する一方で物足りなさも感じていた。ところが、このとろこ、冬は最後で本性をむき出しにした。冬も負けてはいない。簡単には引き下がらないのだ。冬は叫ばせたいのだ、悲鳴を聞きたいのだ、「春よ来い、早く来い」と懇願するのを。あれこれと考えていたら、楽しくなり、パソコン不具合のストレスが消えていた。

 

関係する働きの会議があって、御茶ノ水まででかけた。解散直前に「湯島天神の梅を見に行きましょう」と声が聞こえてきて、すぐに同意した。方向は指させる。すぐそこといっていい。歩ける距離である。しかし、往年ならばである。みな、七十、八十代。ならば地下鉄でとなった。しかし、聖橋の地下鉄の駅まで歩き、そこからも下へ下へと長い長いエスカレーターに乗らねばならない。「いっそのこと、ここからタクシーに乗りましょうと」提案。あっという間に到着。一人分は地下鉄の運賃に満たなかった。そのうえ時間も労力も要らなかった。なんだか申し訳ないようだった。

 

境内は人でいっぱいだった。もともと広大な場所ではない。ぐるり周囲を見れば高層ビルばかり。それもマンションが多い。おそらく住人たちは自室からこの名所を、この名だたる観光スポットを、眺め下しているに違いない。ライトアップしているからさぞかし夜景の趣は格別であろう。昼間は食べ物やお土産の屋台がひしめき合っている。まぜこぜになった匂いが充満している。梅の香にみちた風情など味わうべくもない。しかしながらこちらも不快感はあるものの楽しむすべを心得ている。処々に咲く紅梅白梅に歓声を上げる。カメラに収める。折からまぶしいほどの日差しである。空いたベンチに腰掛けて、観光客気分に浸った。

 

帰途は男坂を下って、またタクシーに乗り、上野公園口で下車。そのまま電車に乗る人を見送り、残りは公園内へ入った。ここも桜の名所、今はどんな様子かと見に行くと、なんとちらほらと花開く樹もあって、ここでもまたまた歓声が上がった。一日に観梅、観桜を楽しむことができ、幸いなひと時であった。そういえば、二月の主役は梅でいいが、三月は桜に座を譲らねばならないだろう

 








 

 


日々の風から お詫び

お詫び

前回からだいぶ日が過ぎてしまいました。
またまたパソコントラブルが起きてしまいました。
半年ほど前?に修理したのですが、不十分だったようです。
完全に動かなくなりました。
ただいま、入院中です。
ようやく代替品が提供され、急場をしのいでいますが、ブログまでは手が回りませんでした。
というより、入り方がわからず、手をこまねいていました。
これからはなんとか進めると思います。

三月が目の前にいます。忍耐と試練の2月を乗り越えて、
賛美の三月を迎えたいと願います。

日々の風から 老女性の一念発起 その2 自分史出版

日々の風から 老女性の一念発起 その2 自分史出版
 
昨年の3月のことでした。80歳も半ばになろうとする老女性が、人生の総決算として、子どもや孫たちへの遺産として、祈りのなかで「自分史」を作ろうと思い立ったそうで、私を名指してきました。一面識もない方でしたが、主が姉妹に志を与えたのだと確信して受けて立つ決意をしました。
 
「自分史」と言っても、クリスチャンのものは、いわば「信仰の証し」です。どのようにしてイエス・キリストに出会い、救われ、その後、教会生活、信仰生活をしてきたか、どのような神の恵みをいただき、助けられ支えられてきたか、神がどんなにすばらしいお方であるかを綴るものです。私自身ずっとそうしたことを書いてきたし、他の方の「自分史」出版のお手伝いもしてきましたので、なにかできるかもしれないと思ったのでした。自分の「証し」も他の人の「証し」も私にとっては同じ「あかし文章」活動です。
 
MMさんは今日まで信仰の実践家でこられましたが、文章は書いたことはなく、片鱗も書いたものはないとのことでした。しかし書いてみようとの意志にあふれていました。それからは記憶を頼りにご両親のことから、出生のこと、幼少時代、青春時代を経て、今日までの歩みを事細かに書きはじめました。原稿用紙に鉛筆で書いていきました。幸田文のようでした。一区切りできると拝見し、次を書き、また次を書きして、それが半年以上続きました。
 
懇意にしている印刷屋さんをご紹介し、出版を念頭に置いて作業が進んでいきました。年末に、初めて原稿が出来上がり、初校が出るまでに至りました。MMさんは2名の友人に、私は3名の知人に校正を手伝ってもらい、二校、三校と続き、今日の午後、最終確認をして校了になりました。本の冒頭にフルカラーで8頁の写真集が入り、2月末には200頁ほどの立派な本が誕生する予定です。
 
MMさんは感謝の涙にくれながらも、今はもぬけの殻のようです、すべての力を出し切った感じがしますと言われました。そうであろうと思います。たかが編集者ですが、私も同じなのです。体がフワフワとして、頭も半分思考停止、しかし感謝があふれています。
 
思えば昨年の今ごろは「一文字」もなかったのです。「無」だったのです。それが一年後には神の恵みがぎっしり書き込まれた一冊の本として目に見える形になったのです。これが奇跡でなくてなんでしょうか。私はそう確信しています。「志を立てさせ、実現に至らせるのは主である」の成就です。主の聖名はあがむべきかな、ほむべきかな!
 
八十歳の坂を越してなお、意気高く高嶺目指して進みゆかれるMMさんをまぶしく眺めています。明日、明後日の私を重ねることができるだろうかと、いささか不安ですが、近いところにお手本があるのは大いなる励ましです。チャレンジ精神をかき立てられます。MMさんの一念発起の原動力は神の力なのです。まことに、主は生きておられます。「あかし文章」活動を通して、私の「主にある友情人名録」にまたお一人すばらしい主の器MMさんが加えられました。名簿は主の光で一段と明るさを増しています。
 
印刷屋さんが校了原稿の入った大きな紙袋を抱えて一足先に去られた後、私たちもお別れの御あいさつをしました。もう、本作りのためにお会いすることはないのです。完了したのです。私の立場は一編集者、陰の存在です。そっと舞台の袖に消えていけばいいのです。

ところが、MMさんは私を見つめて「今度はいつお会いするのでしょうか。それとも、もう、お会いすることはないのでしょうか。寂しいです」と言われました。確かに、実務はないのです。「そうですね、今度は、本の反響や感想が寄せられてくるでしょうから、それをお聞きしたいですね」とお答えしました。私にも先のことはわからないのです。しかしこれで終わりでないことは確かです。私たちはイエス・キリストの愛による「結びの帯」で一つにされていると信じています。地上にいる限り、また、きっと、そして、近いうちに、お会い出来るでしょう。二月の忍耐が生んだもうひとつの一つの希望です。

 

 

日々の風から 二月は忍耐の月

日々の風から 二月は忍耐の月
 
この半年ほど、身の回りのことで数件の課題を抱えてきた。私自身のことではない。しかし自分の事のようなものでもある。身内、親しい友人たちの、一身上の事柄である。もっぱら祈りだけのこともあれば、実務もあれば、仲介者的に双方へ身を運ぶこともある。それがほとんど同時進行なのである。一つ一つの繋がりは全くない。全く独立している。私の頭の中だけが沸騰しそうに忙しい。11月、12月、1月は闇の中であった。でも、ことが進んでいることがわかった。神が介入して進めておられることの手ごたえを感じていた。
私は創世記一章の冒頭をいつもいつも思いつつ、じっと神様の働きを期待し続けた。
 
地は茫漠として何もなかった。
闇が大水の上にあり、
神の霊が水の上を動いていた。
神は仰せられた。「光があれ」
すると光があった。
神はひかりを見て良しとされた。
神はひかりと闇とを区別された
 
立春を過ぎて、自然界の光が強くなり始めている今、二つのことが神様のあわれみの御手によって、願った通りの形になった。最高の願いの通りに実現した。私の祈りではなく、神様のご計画であり慈しみである。祈りのご奉仕にあずかれたことを感謝するばかりである。
 
大きな事柄がまだ3つほど進行中である。人の希望するところが必ずしも主のお考えと一致するとは限らない。人は短絡的で、目先の利益を求める。よくあることである。神様の最善を信じていくことが求められているとおもう。落ち着いて静かにして主を信頼すればいいのだ。総合的に言えば忍耐である。忍耐は希望を生み出し、希望は失望に終わらないと主は、人間の心理を先読みして答えをくださっている。

もう少し忍耐します。

 
 
 

日々の風から 老女性の一念発起

日々の風から 老女性の一念発起
 
ある会合で一人の老女性の隣の席に居合わせた。言葉を交わしたのは初めて、ほとんど初対面である。80歳を過ぎておられる。数年前に大きな集会でスピーチされたので、お名前だけは覚えていた。Rさんであった。お互いに差し障りのない話題といえば健康のことである。話が進んでいくうちに、数年前のお姿が浮かんできた。しかしどうも隣におられる方とは少し違うような気がした。数年も経っているのに、今の方が若く見える。
 
もちろんそんなことは口に出せないが、ほどなく謎が解けた。ある時、Rさんはバスから降りた。そのときひざに激痛が走った。脳天を突き抜けてめまいのするほどの痛みだった。バスは走り去ったがその場からしばらく動けなかった。不覚にも涙が噴き出たそうである。
 
診察を受けたところ、老化によるひざの骨の変形で、よくあることだと言われた。治療法を訊けば、減量することですと即座にあっさりと言われてしまった。ずっと健康だったし、多忙でもあったので、特別に食事にこだわることもなくきてしまった。もちろんひと昔、ふた昔、いや、昭和ひとけた、しかも女性だから暴飲暴食美食の習慣もなく、好き嫌いもせず、何でも感謝していただいてきた。しかしいつの間にかかなり体重オーバーになっていた。
 
膝の変形や痛みは体重のせいだとわかったので、それからは一念発起、ひたすら減量に励んだ。極端なダイエットではなく、三度のお食事で気を付けた。数キロ減っていくうちに痛みが取れてきた。歩くのも楽になった。体が軽いってこんなにも快適なのかと驚いている。しかし食事療法も長くなると手抜きしたくなるけれど、あの激痛を思うと耐えられる。そうお話くださった。顔色も肌のつやもほどよく生き生きとし、お声にも張りがあって澄んでいた。
 
長い間の生活習慣を改革するのは並大抵ではない。頭でわかっていても実行は至難の業である。私はほんの一キロ、二キロさえ落とせなくてぐずぐずしている。ひざが痛まないうちに大先輩のRさんを見習ってがんばらなくちゃ!!


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