<< January 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

日々の風から 若者の夏、高齢者の夏

日々の風から 若者の夏、高齢者の夏

 

8月1日がスタートしました。高温に呻吟し、突然の豪雨に仰天し、隅田川の花火が中止になるのではないかとハラハラしながらも夏は進んでいます。そして、小さな日常も生きている限りなにやかやと多忙です。身の回りの断捨離と同じように活動の場も少しずつ整理してきてゆとりある日々に移行していますが、まだいくつかとは関係を続けています。負担になるようなことはなく、むしろ楽しみであり、生活のメリハリとなり、ストレスになるどころか反対にストレス解消にもつながっています。しかし気を付けなければならないことがあると自戒しています。一つは《老害》であり、《裸の王様》であり、《鈴をつけるに手を焼く猫》にならないように自分自身を見張ることです。

 

夏休みといっても高齢者には関係がありません。一年中夏休みのようなものです。特別にこの時期に遠出することもありません。この時期だからこそかえって遠出は避けます。日ごろ働きづめの現役の方々に席を譲るのが礼儀でしょう。子どもたちが夏休みの日記帳に(いまごろはそんな課題はないのかもしれませんが)書ききれないほどたくさんの思い出ができますように。とは言っても、家族そろってたとえ故郷へ行くにしても出かけられる人たちばかりではないでしょう。まして海外へ、などは、飛行場があんなに混雑していても少数の人たちでしょう。この時期にお仕事から離れられない親たちもいます。学童保育で日々過ごす子どもたち、保育所に通い続ける子どもたちもいることでしょう。

 

我が家の孫たちは今では大学生と高校生。すっかり大きくなりました。同じ家にいても、婿殿と同じように顔を見ない日もあるくらいそれぞれに多忙です。夏休みも同じです。昨日は大学生が大きなスーツケースを牽き、さらにリュックを背負って研修旅行に、今朝は下の孫が真っ赤なスーツケースとともに部活動の合宿に出かけました。無事を祈りつつ見送ったことです。

 

 

2017.08.01 Tuesday 10:48 | comments(0) | - | 

日々の風から 友が言うには

日々の風から 友が言うには

 

今日は驚くほどの激しい雨が降って、排水処理能力を超えるのではないかと恐ろしくなった。いつだったか、またたく間に道路が一面冠水したことがあった。なにしろこちらは海抜ゼロメートル以下の地域なので。午後になって上がったので一安心した。30度を切って、北風なのだから、昨日とは天地の差があるように感ずる。

 

体調を崩していた友から久しぶりにメールが入った。私よりもいくつか年上だが日ごろ頭の回転がよく舌鋒も鋭くシャキシャキした老女性である。その彼女が「脳が溶けようで思考停止、考えがちっともまとまらない」とおっしゃる。才女も暑さには勝てないというところか。

 

まして、愚鈍女には炎暑はきつい。画面に向かっていても、ただそうしているだけでキーが叩けない。言葉は指先からは生まれてこない。脳の指令によって動くのだ。ところが脳が指令を出さないのだ。停止しているのがわかる。暑さとは恐ろしいものだ。

 

 

2017.07.26 Wednesday 22:09 | comments(4) | - | 

日々の風から 一気に梅雨明け これからが夏本番とは〜〜

日々の風から 一気に梅雨明け これからが夏本番とは〜〜

 

 

気象庁から宣言が出て、

四国から関東甲信地方の梅雨がいっせいに明けた。

梅雨はどこへ?

と言ったばかりなのでちょっと笑いたくなった。

ずっと真夏並み、それ以上の猛暑で、

すでに夏負け状態ではあるか、

こうして公に「梅雨明け」と言われると

かえって覚悟ができるからこれもおかしなものだ。

 

ともかくも夏本番なのです!

 

例年7月20日前後が平均らしいので、

今年は異常ではないようだ。

かつて、雷が鳴ると梅雨が明けると聞いてきたが、

今年の東京はゲリラ豪雨、雹のプラスαまで加わって、

鳴り物入りの立派な?梅雨明けとなった。

さあ、これからどうしましょう。

 

「暑さ寒さも彼岸まで」の約2か月間、

暑さ戦争が続くのだ。

エアコンを入れたり切ったり、

扇風機の風力を強めたり弱めたり、

努めて水分補給して、

一日、一日、いつものように暮らすしかない。

家に閉じこもりすぎて足腰が弱くなるのが心配です〜〜〜。

 

2017.07.20 Thursday 09:03 | comments(0) | - | 

日々の風から 梅雨はどこへ行ったやら

日々の風から 梅雨はどこへ行ったやら

 

私の記憶にある梅雨は、何日何日も雨が降り続き、

すべてが湿っぽくなり黴臭くなり、布巾などは煮沸消毒したものだった。

蒸し暑い日もあるが時に肌寒い日もあり、小さなストーブは片づけられなかった。

近年はそうした時期はすっかり影を潜め、

ゲリラ豪雨とか集中豪雨などと物騒な名前のもとに荒々しい現象が起こりその被害も驚異的になった。

本来の梅雨はどこへ行ってしまったのでしょう。

 

だれもが何かが狂っていると感じている。

その原因は人間の側にあるとこれもかすかに感じている。

単なる自然現象ではないとわかってきている。

世界中が一致協力すれば遅ればせながらではあるが何かできると、そう考えている人たちもいる。

世界に大国だと自負する立派な国のリーダーの皆さん、

どうかかけがえのない地球のため、そこに住む同じ人間のため、愛のわざに励んでください。

2017.07.17 Monday 13:05 | comments(0) | - | 

日々の風から 断捨離後遺症 

日々の風から 断捨離後遺症 

 

断捨離完了などと大げさな勝利宣言をしてしまって今さらであるが、前後左右、アップダウンする情けないわが心境を隠すのはフェアーでないと思い恥をさらします。

 

実は、私の断捨離は「捨」の他に部屋の模様替えも含めて部屋そのものも替える大掛かりな改革、革命ともいえるものであった。おなじ小さな一軒の家の中ではあるが常住する「わたしの部屋」を替えたのである。これがまた一大決心なのであった。思うところがあってそうした。

 

最初は小さな断捨離であったが日ごとに規模が大きくなった。今の内なら大抵のところは自力でできると、若い者たちが出払った日中に、ひとりでせっせと汗を流した。ところが汗といっしょに涙も流したのである。今だから言えるが、大声で泣きながらゴミにした。

そんな自分をバカみたいと笑う自分がいるのだが、感情というものは理屈には絶対に屈しない。

 

「捨」とはわずか一文字にすぎないがほんとのところ「捨」なんてないのだ。自分の生きた確かな跡であり、その時は「いのち」でもあったものだ。それを捨てるとは、自分の人生を消していくことに他ならない。片手をもぎ取り、片足を切る、そんな思いになった。私が無くなっていく、私が消えていく、死ぬような思いになった。

 

なんどか大波にさらわれてアップアップしたが、次第に感情は収まってきて理屈が勝つようになってきた。かつては大事であり必要であったが、今、今日を生きるために不要であれば、「捨」でいいのだ。明日のことはあまり深刻に考えなくてもいい。「明日は明日自ら思い煩わん」とイエス様も言われた。そういうことからも断捨離は「己を捨てて我に従え」の実践編、応用編として腑に落ち納得できてくる。

 

時々揺れ戻しが来る。余震のようなものであろうか。後遺症と言ったが、後々まで残る負を引きずるものではない。それはわかっている。

 

みことばの励ましをいただいた。

『ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろの物を忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです』ピリピ3章13、14節

2017.07.09 Sunday 22:28 | comments(3) | - | 

日々の風から 断捨離完了宣言

日々の風から 断捨離完了宣言

友人からいただいたジャカランダ

 

一年の後半期に入り、スタート地点にシャキッと立とうとしている。日常はまったく代り映えしないのだが、せめて心持ちだけでもそうした心境に向けたい。体力、体調は梅雨の時期もあってシャキッとなどとは程遠く、立つにも座るにも掛け声の連発ではあるのだが。

 

この一両日は一大イベントである「都議選劇場」にすっかり釘づけにされてしまった。特に開票の夜は途中経過もすっかり観戦し、就寝がいつもより大幅に遅れてしまった。テレビの前に座り込んだのはトランプ氏がトップに就いた時以来である。思えば、若いころから政治には無関心で、無責任な国民、都民、区民であったが、昨今、多少でも関心を持つようになったのはネットの力に影響されてのことだと思う。手軽にみられるからだ。パソコンは一日中ほとんど開いているからついつい見てしまう。しかしネット記事、ネットニュースはテレビ以上に選択や判別力が問われるそうだから気を付けたいと思う。

 

今日のテーマの「わたしの断捨離」であるが、ほぼ完了である!

だいぶ時間がかかったが、かなり徹底したと我ながら思う。要するに「捨」以外の何物でもない。

今や私は身一つになった。

もともと大したものはないのだがますます無くなった。

あまりにも身軽になったせいか、わずか一陣の風でも空中に舞い飛んでしまいそうである。

 

しかし、である。老いたとはいえ神の創造のわざである私が有る。物としての私が存在し、私の中には肉の目には見えないが神の霊が宿っている。聖霊がおられる。愛の神が住んでおられる。「日ごとの必要を備えてくださる」神がともにいてくださる。これで十分ではないか。これ以上なにが欲しいというのか。「原点」を心に刻もう。すっきりシャキッとしてまずは真夏の希望の風に吹かれたい。

 

 

 

2017.07.05 Wednesday 09:17 | comments(2) | - | 

日々の風から  今年半年を生かされて

日々の風から  今年半年を生かされて

 

6月30日は半年後の12月31日と対になる大きな節目の日である。若い時は今のように大きな感慨は持たなかったように思うが、この年になると、過ぎた半年がとても貴重でしかもいとおしい。そして、ともかく半年を何とかクリヤーできたことは、神によって生かされたこそであると、本心からしみじみと思い、頭を深く垂れて感謝せずにはいられない。

 

生きるも死ぬるも、いのちは創造主である神様の御手の内にあり御心によるのだからと、理屈と信仰では理解しているが、いざ、今日一日、明日一日と、目の前の現実に直面すれば、正直なところ大過なく過ごせることが願いであり祈りである。そしてこれこそが最大の恵みでありあわれみである。もちろん、無理に求めはしないが思わぬ嵐に遭うことは無きにしも非ず、その時はまた助けぬしなる神様に解決を祈り求めるだろうが、その時はその時のこと、今、2017年6月30日を閉じるにあたって、ここまでのあわれみと恵みを心から感謝せずにはいられない。

 

この半年、あるいは昨今、大過なく過ごすことができなかった愛する友人たちの苦悩へと思いを馳せる。加齢によるのだろうか、脊椎損傷や圧迫骨折で激しい痛みと体の不自由を強いられている友には限りなく同情する。膝の痛みが続いてついに手術した友が早く以前のように自転車に乗りたいともがいている。突然膠原病と診断され、ステロイド投与のためにお月さまのように真ん丸の赤い顔をしてベッドから離れられない友がいる。幼なじみであるが持病があってずっと独身を通してこられたが、ついに一人暮らしが困難になり、ホームに移った友がいる。かなり遠方なのでめったに訪ねられない。ようやく先日会いに行った。元気にしていたのでほっとしたが、帰り際の玄関先で、抱きついてきた。頬に大粒の涙が流れたのを、まさかここで泣くとはと、言葉もなかった。道々も、帰宅してから、就寝してからも、大粒の涙が忘れられず、切ない思いは今も消えない。

 

明日から今年の後半が始まる。あと半年、何があるかわからないが、神の御手の中にいることを日々実感しながら、神の御前で、平安に、思い煩うことなく、生まれたばかりの赤子のように神を信頼し、慕い、喜び、楽しみ、賛美して、一日一日を精一杯、神のくださるいのちを巧みに用いて生かされていきたい。

2017.06.30 Friday 23:56 | comments(4) | - | 

日々の風から 試みの逆風 

日々の風から 試みの逆風 

 

旅の記事を書き続けているうちに6月が終わりそうです。本来ならあと一回締めくくりをしようと思っていたのですが、突然ブログに入れなくなり、だいぶ日数が過ぎてしまいました。

 

問い合わせると一日ほどで回答メールが来るのですが、その通りにしてもちっとも解決には至らず、なんども繰り返して、本日ようやく入れました。私の単純なミスだったのです。

 

ミスに気付かせてくださったのは神様に違いないのです。気がつかなかったら何度でも質問メールをし続けて、あちらも困り果てたでしょう。すぐに解決した旨知らせまして、あちらからもよかったと返信が来て、一件落着と相成りました。一時は、もうこのままブログから引退しようと思ったほどです。しかし、また書いていきたいと気を取り直したところです。

 

希望の風は試みの逆風には弱く、じきにあきらめ風に倒されそうなります。今夜はしっかり祈って、新鮮な希望の風をいただき、6月のみそかを迎えたいと願います。

2017.06.29 Thursday 22:12 | comments(0) | - | 

旅の風から 金沢に吹く伝道の風  その6

旅の風から 金沢に吹く伝道の風  その6 

北陸初のプロテスタント宣教・トマス・ウイン、イライザ宣教師夫妻

 

 

 

トマス、イライザ・ウイン夫妻はどんな迫害にもまた教会内の意見の対立にも耐え、決して初心を忘れることはなかった。キリストの福音を伝えるという一点に焦点を合わせ働きを進めていった。トマスは金沢だけでなく北陸の各地に宣教を広げ教会の元を築いていった。

イライザは教育と慈善活動に精を出した。その間、夫妻は契約書にある有給休暇をとることなく、日本滞在は20年に及んだ。一度だけトマスの眼底出血治療のため一時帰国したことがあったが。すぐに金沢に戻った。

 

1897年6月、夫妻は20年ぶりに一年間の休暇をとり、サンフランシスコ港に着き、大陸横断鉄道で懐かしのゲールズパークに帰った。休暇を過ごすとウイン夫妻は1898年9月に再び金沢に帰ってきたが、まもなく大阪に転任することになった。ミッションからの勧めであった。夫妻にとっては金沢を離れることは断腸の思いであったが、潔く決断し、大阪へ向かった。その地で8年間、夫妻は金沢と同じように誠心誠意働きに従事した。やがて1906年、日本基督教会宣教師として満州に渡った。今度は遠く中国大陸である。夫妻は祈りに祈って主の御心と確信して旅立った。満州では、大連、旅順、撫順を中心に伝道した。

 

1912年10月8日水曜日、その日夫妻は奉天で手術する一人の婦人を見舞う予定であった。イライザは早朝から朝食の準備にと台所に入った。トマスが隣室で祈っていると台所で異様な音がした。行ってみると、イライザ夫人が倒れていたのである。抱き起した時にはすでに息絶えていた。死因は脳溢血であった。時に59歳であった。葬儀は「大連教会」の教会葬として行われ、イライザを慕う500名の人たちが参列し、国葬級であったという。

 

トマス・ウイン師の嘆き、打撃はいかばかりであったろう。イライザはトマスにとっては最愛の妻だけではなく最高の同労者であった。周囲の者たちは、ウイン師は再び立ち上がれないのではないか、もはや満州にはとどまれないのではないかと心配した。しかし、ウイン師は主の召しに従った。その後12年もとどまり続け、諸教会に奉仕し、72歳で引退した。しばらく帰米したが再び来日し、かつて築いた「金沢教会」、「殿町教会」で説教奉仕をした。1931年(昭和6年)2月8日の主の日、「金沢教会」の説教壇に立つ直前に倒れ、天に帰って行った。79歳であった。20年も前に召されたイライザ夫人とともに、夫妻のご生涯は神の御前にも人の前にも実に光輝にみちたものであった。

 

ウイン夫妻の生涯をこんなに小さくおおざっぱに、しかも、参考図書を熟読する間もなく生かじりのままでまとめたことがいまさらながらに悔やまれ、申し訳ない気がして恥じ入るばかりである。お二人とも二十代半ばのうら若き日に日本に渡って以来、生まれ育った故郷にほとんど帰ることもなく、親兄弟、親族、旧友と会うこともなく、老いて病んで息絶える時まで日本で生きた。日本人以上に日本人だったのかもしれない。いや、この世の国籍などにはとらわれずに、神の国からの大使として、その重責に生きて死んだのだ。大使と言っても高位に胡坐をかくのではない。キリストのように「仕える人」、「愛する人」に徹したのだ。

 

イライザ夫人が、手術前の女性を見舞うその朝に召されたとは、いかにもイライザらしいといえる。いつもの生き方の真っただ中からそのまま御国へ駆けていったのだ。イライザ夫人は正に「北陸のマザー・テレサ」であった。イライザ夫人が孤児院を開いたきっかけは、雪降る早朝の町で、家々のゴミ箱をあさる孤児たちを見たからであったという。偉大な愛の人であった。小柄な女性であったウイン師は語る。また金沢の町ではいつも自転車に乗ってあちらこちらと用事に走り、その手が何かをしていないことはなかったという。

 

「ウイン館」資料室にはイライザの愛唱聖句が掲げられていた。『エホバを畏るゝことハ智慧の根本なり』。詩篇111篇10節のみことばである。

 

2017.06.22 Thursday 16:51 | comments(2) | - | 

旅の風から 金沢に吹く伝道の風  その5

旅の風から 金沢に吹く伝道の風  その5

北陸初のプロテスタント宣教・トマス・ウイン、イライザ宣教師夫妻

 

伝道の風が勢いを増すにつれ迫害の逆風も強烈であった。岩盤のように分厚く固い仏教王国地域である、その壁にどのようにして穴をこじあけ福音の風を吹きめるだろうか、ウイン夫妻ほかツルー婦人宣教師たちの戦いはまさに命懸けであった。「異人」、「毛唐」、「耶蘇」、「邪教」などと罵られ蔑まれ、罵詈雑言が浴びせられ、石つぶてが飛んできた。しかし中には、好奇心から集会に参加する人も現れ、好意を抱く人もいたのである。

 

ウイン夫妻の伝道は早くも実を結び、伝道開始後の翌年1880年4月には7名が洗礼を受けた。6月には2名、9月には4名、12月に2名が受洗し、翌年1881年に19名、1882年は11名83年15名、84年は12名と、5年間で72名に及んだ。この集まりは81年に「日本基督一致教会」の年会で審議され、「金沢教会」として正式に発足した。信者となった人たちの中で特筆すべきは80年に受洗した「長尾八之門(はちのもん)である。

 

長尾八之門はもともと加賀藩の2030石の中級武士であった。明治2年、556名の「浦上四番崩れ」のキリシタンたちが金沢に流されてきた。藩主の前田慶寧(よしやす)は彼らを卯辰山開墾に従事させ、八之門に監督を命じた。これが八之門とキリスト教との最初の出会いである。彼はキリシタンたちの極度の貧困と屈辱の中でも神を信じて揺るがない不動の信仰を目の当たりにして大いに感ずるところがあった。時を経て、ウイン宣教師の講義を毎晩のように聞く一人になり、コリント13章の愛の章で心動かされ、入信した。彼は土地を購入し建物を建てて提供した。81年には按手を受けて「金沢教会」の最初の長老となった。次男長尾巻も続いて受洗した。また三野季暢(きちょう)は加賀藩で洋才教育を受けたエリートであったがさらに英語を勉強しようとしてウイン宣教師から学ぶうちに信仰に入り受洗した。彼を見て家族5人が救われ、のちに「明治学院」に勤めた。

 

1881年9月、トマス・ウインととツルーの中等師範学校教師としての任期が切れた。しかしウイン夫妻は金沢に留まって伝道したかったので、県と外務省に許可を申請したところ滞在許可が下った。ツルー婦人宣教師は東京の「新栄女学校」に帰り、やがて「女子学院」を成立させた。彼女の功績は大きい。「女子学院」は今現在も女子名門校である。

 

ウイン夫妻は長尾八之門、三野季暢らの協力を得て県に学校設立を申請し82年に私立男子校「愛真学校」が開校した。さらに、85年にはイライザ夫人が発想し願っていた女子だけの学校「金沢女学校」が開校した。ここに」北陸における女子教育がスタートし、現在の「北陸学院」に発展した。その後、イライザは学校はメリー・ヘッセルなどに任せて、教会の婦人会を」積極的に指導した。

 

婦人会ならではの活動に、パンやお菓子を皆で焼く、ミシンの使い方を習う、毛糸の編み物を習う、西洋料理を作る、アイスクリームを作る、パッチ・ワークをする、バザーを実施する、衣類や食物を困窮者に届けるなどがあり、思えば現在、私たちの教会婦人会も同じようなことをしている。1890年の大飢饉の時に、イライザ夫人は率先して救済事業にあたり、アメリカからも寄付を募って困窮者を助けた。これは北陸初の「社会事業」であった。また、貧窮者の子どもたちを救済する「孤児院」を開設した。(今回で終わりにしたかったのですが、続きます)

 

 

 

 

 

2017.06.20 Tuesday 22:18 | comments(2) | - | 
<< | 4 / 177 PAGES | >>