風の仲間たち 「日本クリスチャン・ペンクラブ」創立65周年記念感謝会

16日土曜日、台風18号が九州から不気味に進行中の朝、東京は前日の雨も止んで外出には支障のない日よりとなった。会を主催する側にとっては、当日は最高に緊張が高まる時だ。うれしさというよりも、戦場に行くような気持ちである。ついにその日だ、一日が波乱なく済むようにと願うばかり。「水汲むしもべ」に徹するべく当日の準備のために早くから家を出た。
お客様の見える前にすべて整った状態にしておきたい。あたふたしているところはお見せしたくないと願う。しかし時間は限られている。そこであらかじめ一日と流れと自分の担うところを一覧にして配布し確認していただいていた。開室と同時に部屋に入ると、正面に設定された今日の会を記した真っ白な釣り看板が大きな文字で迎えてくれた。まずは一安心。
見とれているうちに皆さんが流れるように、熟練した作業員のように、またたくに会場が整った。テーブルや椅子は、あらかじめの配置図のように出来上がった。受付には座席表も用意した。いの一番に、いちばん遠方の関西からペン友が入場となった。5年ぶりなのに、昨日もお会いしたような気がしてくる。それでいてなつかしさが熱くこみ上げてくる。会うっていいな、再会ってすばらしいなと胸が詰まってくる。
午後から講演してくださる本日の賓客、船本弘毅先生とご夫人が到着され、私には最高に心張る一瞬であった。講師をお引き受けいただいてから半年余り、お手紙で、お電話でなんども往来があり、すっかり親しい気持ちを抱かせていただいた。高名な方なので実名を記す。実は本来なら私たちのような小さな会がお招きできるような方ではない。神さまの不思議な導きで実現に至ったのである。いくつかのエピソードがあるが、残念ながら省略する。
プログラム通り、予定通り11時に開会となった。まずは、いつも例会ように、礼拝を御願いしている親友のY女性牧師から説教いただいて、一同主の御前に頭を垂れた。最後に最長老87歳の今日まで一度も例会を欠かしたことのないK兄に感謝の祈りをしていただいた。
さて、いよいよ感謝の昼食会である。12時はスタート。それまでに配膳がある。ここで時間をロスしたくない。しかし、願った以上に静かに手際よくお昼が並べられた。お弁当もお茶も予定通りに届けられていた。お客様たちは三々五々席を立ったりして友人たちとお話をし、歓談されていていた。ごく自然にそうした流れができて、ここにもほっとした。
司会の姉妹のリードで賛美と祈りがささげられ、小さなどよめきの中でいっせいにお弁当の蓋が開いた。食べているときは至福の時、だれも怒りながら食べる人はいない。座はますます和やかに華やかに包まれていく。いつも思う、神様の下さった恵みの中で、食べることは思う以上に大きな位置を占めるのではないかと。
食べながらであるがプログラムは進んでいく。「賛美タイム」である。仲間内で音楽の賜物のある方が演奏してくださる。外部の演奏家ではない。そこが我が会の頼もしいところ。もちろんリーダーの姉妹は、いくつかのコーラスグループを率い、ソロ活動もされているプロであるが、ここでは奉仕者の一人である。姉妹がテーブルにやってきて、予定より一曲よけい歌いたい、最後に全員で「アメイジンググレイス」を賛美したいがという。姉妹は会場の雰囲気をつかむのが上手である。会を盛り上げ楽しませてくれる。OKを出す。
私は姉妹に特別に一曲を注文していた。最近、他のところで知り、ぜひ65周年には歌っていただきたい思いがあった。ヘンデルの「ああ 感謝せん」である。この65周年にこの賛美をもって主に心からの感謝をささげたかった。姉妹はみごとにご自分の歌にして歌いきってくださった。私はたった一人で聞いているような心の深まりを覚えながら聴き入った。
ああ 感謝せん ああ 感謝せん
わが神 今日まで 導きませり アーメン。
げに主は わが飼い主
強き手もて われを守りませり
ああ 感謝せん ああ 感謝せん
わが神 今日まで 導きませ離り
プログラムは順調に進んでいる。いよいよこの日のメイン、特別講演「書くこと、話すこと、伝えること」の時間がやってきた。わずかな時間に、かねて打ち合わせておいたように、手早く机上のお弁当の空箱やお菓子の包み紙などが集められ、昼食会は終了。ゴミはどんどん地下に運ばれ、会場はすっきりした。
先生のお話は歯切れよくわかりやすく、ひとつひとつ心に落ちた。と言っても克明にメモを取ることもなく、残ることを期待しながら聴き入った。ルターはじめ、古今の偉人たちが顔をのぞかせ、エピソードの花が咲き、時間の経つのを忘れた。ひとつ記憶にあるのは、長野県と言えばかつては岩波文庫が一番売れた読書県だった。今は書店のない、下から二番目とか。これには驚いた。
私たちは「読まず、書かず、話さず」の現実の中にいる。重大な時代に生きている。ペンクラブはこのただ中にいる。この中で、借り物ではなく、自分の信じていることを書く、確たる答えをえるまでは一歩たりとも引かない、その覚悟で書くことである。聖書の言葉を正しく伝えることが最も大切である。宗教改革はそこから始まったと、締めてくださった。
我が意を得たりであった。不器用と言われようと、頑固と言われようと、面白くないと言われようと、真理は一つである。イエス・キリストの福音を言葉に綴るほかはない。師の渾身のメッセージに何を付け加えようか、すべては蛇足である。終わりのあいさつなど要らない。賛美と祈りで短く閉じた。
当日キャンセルは一人もなく全員出席。こんなことは珍しいのではないか。
ああ 感謝せん ああ 感謝せん
わが神 今日まで 導きませり アーメン。