人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

日々の風から アドヴェントの日々 その2

日々の風から アドヴェントの日々 その2

 

 

一年が終わろうとしているこの時期になると、日ごろ後回しにしていることがやたらに気になります。あのこともこのことも済ませておきたいとそんな思いにかられます。

 

五島の旅を終えて、旅日記も整理したところで、旅仲間数人が集まりました。日ごろ皆さんご活躍の方々ばかりなので日取りの調整に難航するのですが、今回は一声ですぐに決まりました。最優先してくださったのだと思います。場所も手ごろな町のレストラン。普段着でお付き合いできる友人は貴重です。それでもいそいそと心弾ませて集まりました。

 

ようやくまとめた「旅行記」を出しますと、向かい側の友がコンパクトにまとめた写真集数冊を卓上に乗せ、それを皮切りに皆さんいっせいにバッグを覗き、クリスマスカードを初め、プチプレゼントが飛び出しました。負担にならないようにとの心遣いがにじみ出るエピソード付きの重宝な品々が手に手に渡り、思わず小さな歓声が上がりました。

 

それから延々三時間半、話は尽きません。店員の方々は気にならない程度に上手に間を置きながら配膳してくれました。それが長居の出来た大きな理由かもしれません。また使いたいと思えるほど、料理だけでなく後味の良いお店でした。一人の友人はつい三か月ほど前に、長く介護された母上を天に送ったばかりで、心の整理、身辺整理の途上とのことですが、小休止と前に進むための良い時になったと、喜んでおられました。

 

 

二日置いて、上野の杜の「デトロイト美術館展」に、ようやく行きました。「大西洋を渡ったヨーロッパの名画たち」と謳われており、モネ、ルノワール、ゴッホ、セザンヌ、そしてピカソまで居並んでいました。作品数は全部で52点、作品目録も片面で済んでしまうミニ美術展、大きなものはなく、近づいてしばらくじっくり眺める、それを奨めているようでした。絵や音楽、読書に気の合ういつもの教友と二人連れ、帰り道に冬枯れの公園を歩きました。「10月さくら」と銘を下げた桜がぽつぽつと、ちょっと心なげに咲いていました。ところが不覚にもカメラを向けたとたん、周りの凹凸に足を奪われてしりもちをついてしまいました。上手に立ち上がるのは至難の業で、笑い事では済まないと思いました。

 

この日は写真撮影が許されていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は、これも一番気にかかっていた友人と会うことができました。秋の初めに約束していたのに、姉妹は三か月も咳と微熱に悩まされていたのです。ようやく回復し以前のように動けるようになったとのことで、新宿を指定してこられました。都庁を横目に、西新宿の小さなお店でランチをいただきました。友は丸の内、新宿などを舞台に仕事をしまくってきたので、大きなところから路地裏までよくご存じで、行ったことのない通りをたくさん歩きました。私の土地勘の働くところは銀座までですから、ビルの林の中に入ると東西南北さえ分からなくなり、駅はどの方向なのとなんども尋ねる始末でした。これからしばらくは冬ごもりね、今度は桜の咲くころかしらと、お別れしました。

 

今日23日は休日ですが、我が教会では夜にキャンドルサービス礼拝をします。その前に、近くの老人施設にクリスマスの賛美を携えて慰問に出かけます。このところ数年恒例です。一人の姉妹が入居していることから導かれました。ところが、各フロアー4階まで、一階毎に廻ります。私たちは「4回も公演するのね」と、ちょっとした合唱団気取りですが、体力が要るのです。さて、夜の礼拝終了まで、元気でいられるでしょうか。

 

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日々の風から アドヴェントの日々

日々の風から アドヴェントの日々

 

 

教会堂のクランツに立つ赤いキャンドルの四本目が点火されて、待降の思いはいよいよ高まっていきます。キャンドルサービス礼拝はふつうは24日ですが、我が教会は近年23日の休日に行っています。その日の方が集まる人が多いんではないかと、そんな願いからです。24日の教会ももちろんありますから、ぜひこの機会に教会でクリスマスのひと時を過ごしていただきたいと祈っています。

 

昨日の日曜日には教会では礼拝の他に二つのクリスマスの集いがありました。午後はキッズ・クリスマス会です。あらかじめ地域にチラシを配布して、子どもたちに呼びかけました。

果たしてどのくらいの人数が集まってくれるでしょうか。プレゼントや楽しいプログラムを用意しますが、昨今はなかなか子どもを呼ぶのは困難です。教会学校に奉仕する兄姉は四苦八苦しています。私は高齢になりましたので、その奉仕からは解放されています。

 

礼拝前の30分、いつもの時間に、私の担当する成人科クラスのクリスマス会をしました。毎年のことですが、学びは前半だけにして、後半はミニお茶会をしながら、今年一年のクラスへの感想を分かち合いました。すでに20年になりますので、「継続は力なり」とは思いつつもマンネリになっていないか、また、リーダーの立場にいる者として「裸の王様」になっていないか、あるいは「老害」をまき散らしてはいないかと、絶えず揺れる心を抱きながら自己吟味してはいますが、さて、真実のほどはわかりません。メンバーの兄姉が、口々に、学びが自身の信仰生活のプラスになっていることを具体的に語られたので、今年もまた私への励ましメッセージだと額面通りに受け取って、新たな決意で新年から進んでいきたいと思います。

 

礼拝後はすぐに23日キャンドルサービス礼拝と、25日クリスマス礼拝での特別賛美練習があり、聖歌隊の一員として加わりました。奉仕の数が少なくなったとはいえ、アドヴェントの日々は多忙です。今年は高齢者数名が病や老いのために入院したり施設に入居したりしてともに相集ってクリスマスをお祝いできなくなっています。寂しい限りです。23日の午後は例年のように近くの老人施設へクリスマスの賛美をもって慰問に出かけます。これにも参加するつもりでいます。今の私にはできることがこの上ない感謝です。

 

 

 

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日々の風から 師走の風を受け入れて

日々の風から 師走の風を受け入れて

 

 

10月末に上五島の旅に参加して、五体五感で吸収した見聞や感動をせっせとブログに綴ってきました。いつもより多くの方々がお訪ねくださり、発信する大きな励ましと力をいただきました。そのあと、ブログ記事をもとにして、レター版「希望の風」を編集し、ネットを見ない友人知人に送ったりして、今もそのさなかですが、12月もすでに半ばになってしまいました。しかし私の中では四季のうちで貴重な「秋」を逃がしてしまったような無念さが残っています。とはいえ、あれだけ濃密な「旅世界」を味わったのですから、それ以上は欲というものでしょう。感謝して、12月半ばの師走の風を受け入れ、2016年の残りの日々の一日、一日を噛みしめ踏みしめて歩んでいきたいと思います。すでに教会の内外では、クリスマスの諸行事が始まっています。小さな奉仕を携えて、精一杯参加していきます。

 

 

 

 

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日々の風から 図書館脇のパン屋さん

日々の風から 図書館脇のパン屋さん

 

秋のど真ん中にいるのを実感させてくれるこの1,2日。腰が上がって外出した。区内を走る循環ミニバスに乗る。このバスは都バスの走る幹線道路を避けて、いわば横町から横町を細かく走ってくれる。料金は100円。都バスの半額なのも人気の理由である。徒歩の足代わり、自転車代わりに使われている。昼間は杖を突いたりシルバーカーを押す高齢者が乗り降りしている。

 

図書館の脇に自家製のパン屋さんがある。焼きたてのパンがガラス張りの窓越しに初々しく並んでいる。そこを素通りできる人はいないと思う。まして食欲の秋!店内に入ってしまうのは誘惑に負けたことになるのだろうか。「御自由に」と、無料のコーヒーコーナーがある。簡単な座席もある。今はイートインというのだろうか。入れ代わり立ち代わりトレーにパンを乗せて無料のコーヒーで一息ついている人がいる。

 

図書館に来るたびに必ず買う、いつものパンを袋に入れてもらって、ついでに「ご自由にコーヒー」を紙カップに注いて座った。隣には赤ちゃんを抱きおんぶしたママがいた。専業主婦なのだろう。ドアーが開くと、ベビーカーを押すママが入ってきた。座席を見ている。たぶんこのママもここでひとりお昼をするつもりなのだろう。私は早々に席を立った。小さなパン屋さんに集まってくる小さな日常をほほえましく懐かしく拝見した。帰りのミニバスには乗客は私を含めて3人しかいなかった。貸し切り同様である。まるで大きなタクシーに乗っているようだ。なんと贅沢なことだろうと、申し訳ないような思いがした。

 

 

 

 

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日々の風から 萩も見ず

日々の風から 萩も見ず

 

すっきりとした秋晴れの日がないまま10月もはや半ば近くになってしまった。今日はようやく空が高いのを確認できた。薄く白い雲が気ままに漂っていて、胸が開くのを感じた。このところ身辺穏やかならず、胸の縮むことがいくつも押し寄せている。私や家族に直接係ることではないが、心が萎えたり気が揉めたり気にかかったりで、落ち着かない。そのためか、抱えている仕事が進まない。それがストレスになる。秋の花を見に行くこともないままである。久しくカメラは置きっぱなし、美術展の案内を見ることもないままである。昨年の10月はどうであったかと手帳を繰ってみると、月末には、日本初の公認女医でクリスチャンの荻野吟子の生涯を追いかけた『利根川の風』が出来上がったと記してある。懐かしさがこみ上げてきた。今年は新しく一人の女性を追いかけているが、スピードがなくのろのろとしている。私を押してくれる風がほしい。希望の風よ吹け!!

 

 

 

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日々の風から いつもと違う朝

 日々の風から いつもと違う朝

 

娘が仕事で4日ほど家を空けることになった。こんなにまとまった日を不在にするのはおそらく家族にとっても初めてであろう。安心して子どもたちを置いて行ける状況になったからである。とはいえ同居のオババとしては知らん顔ではいられない。それどころかすでに娘から4日間の食事係りを頼まれている。原則として朝は婿殿をはじめそれぞれ自分たちですることになっている。お弁当もこの間はお休みである。みな、外食するらしい。孫たちはめったにない外食のチャンスに喜んでいる。

 

私は夕食だけ4回支度すればいいのである。洗濯もそれぞれするようだ。たいした留守役ではないのだがいい加減にはできない。日ごろ老女一人の食事にすっかり慣れてしまったので、食べ盛りの2人を入れて大人4人分ともなれば両手、両足、体いっぱい頭一ぱい使わねばと思う。この際私も同じメニューである。

 

前もって4日分のメニューは考えておいた。食事時間は全員いっせいにはならない。好みも違う。にわかおさんどんとしては厳しいものがある。全員に満足してもらって、さらにおいしかった!との賞賛も狙っているからだ。

 

朝は食事には係らないが、一人一人がそれぞれの時間に出ていくのを見送る。世話は焼かないが、オババとしてはいろいろ気になることがある。天気予報によっては傘も必要である。氷の入った水筒も必要である。一声かけずにはいられない。

 

いつもママがしているように、玄関先でひとこと祈ると、孫たちは弾丸のように飛び出していった。すぐに彼らのキッチンへ駈け込んで、食卓やシンクの様子を見て後片付けをする。大したことはしていないのに朝からすでに疲労感がある。労働量のわりには緊張しているのかもしれない。この4日間はいつもの、運動を兼ねての散歩はやめて、体力を消耗しないようにしよう。金曜日の夕食作りまで頑張らなくちゃ。

 

 

 

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日々の風から 羽田空港へ

 日々の風から 羽田空港へ

 

 

 

 

10月末にある旅行に参加する予定でいる。国内であるが、飛行機を使う。旅程をいただくと羽田空港第二ターミナルとあった。我が家から羽田は遠くない。以前はモノレールに乗ったが、今や京急一本で行ける。しかしまだ使ったことはない。ふと、様子を見に行ってこようと思い立った。本番は朝7時には家を出る。ラッシュの時間に当たってしまう。しかしその通りにすることはできないから、お昼近くの一番楽な時間に出かけた。自宅から押上まで都バスで15分ほどである。押上から京急、羽田空港行きの快速に乗ると40分ほどで到着した。

 

電車を降りて国内線出発ロビーの2階まではエスカレーターを乗り継ぐだけであっという間についた。これなら迷うことはない。集合場所の時計台1は一番奥に当たる。かなり距離がある。しかし華やかに並んでいるお土産店を覗きながらでもたいしたことはない。旅気分が掻き立てられる。お土産を買いたくなったり、レストランにも入りたくなった。混んではいなかったが旅支度の方々が足早に緊張気味に行き来している。小さな買い物バッグひとつでぶらぶらしている自分がこっけいに思えた。いちばん目についたのは2020年オリンピックの巨大な横断パネルだった。羽田は近い、海外もここから行きたくなった。

 

 

 

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日々の風から 小さな日常

日々の風から 小さな日常

 

暑さ寒さも〇〇までとあるが、長い間の経験から生まれた言葉には深くうなずけるものがある。八月初旬の「立秋」は暦の上だけとは十分承知していながらも、いっぱいの冷水のようにいっとき暑さを脇に追いやる役割を演じてくれる。しかしその後も延々と暑さは続き、9月になってもまだまだ汗は退かない。今年は台風が立て続けに暴れ、北海道が大きな被害にあった。台風だけに限らず、秋にも冬にも春にも、自然の災害は春夏秋冬絶えることがない。その大きな被害の後始末は容易なことではない。古来から連綿として世界中が遭遇する一つの大きな悲劇ではないだろうか。

 

人の起こす災害、事件もすさまじい。これにはどこかに必ず犯人、ことを起こした該当者がいるはずだ。犯罪と言っていいことではないか。政治の世界に起こることは何と言ったらいいのだろうか。その最たるものは戦争であろう。また、すぐに結果が出なくてもやがては人の命を脅かす災害に通ずるものがたくさんある。

 

東京都は小池知事になって以来、いや、選挙そのものからもことごとく日本中の、たぶん世界の注目を浴びきているのではないだろうか。イギリスのEU離脱事件も、リオ・オリンピックもなんとなく影が薄くなった今、いちばん熱いニュースは豊洲への市場移転問題であろう。私ごときまでが、絶えず気になって情報に敏感になっている。政治の闇が暴露されてくるたびに怒りを覚えてしまう。その情報が偏っていたり、操作されていることもあると聞くと、鵜呑みにはできないとは知りつつも、冷静ではいられない。

 

しかし、である。私たち一人ひとりには自分だけの小さな小さな日常がある。たとえ家族といっしょでも自分だけの日常がある。それを無視することはできない。むしろそここそが命を注ぐところである。人から見ればまことに平凡なとるに足りない日常であっても、そこに充実、充足がなければ切なくむなしい。いい時ばかりではない。この人生、不測の事態が起こり、大風に吹き飛ばされるような、大雨にずぶぬれになるような、想像もつかない悲劇が起こることもある。その連続かもしれない。自分のせいでないことだってある、しかし、人に責任を擦り付けることはできない。自分で何とかして立ち上がって、それなりに心の、身辺の、整理整頓をして、小さくてもいいから心底穏やかに満足して生きていかねばならないと思う。神様は人間にそのような力をはじめから与えておられると思う。

 

敬老の日と、世はなにやら謳ってくれるが、はなはだしく面はゆい。今や60代はその世代ではないが、70代を迎えれば老いの自覚は増してくる。後期高齢者に入り、80代、90代がある。後戻りはない。年齢はかさむばかりである。自他ともに老年者を認識して以降が生きる正念場だと思う。なにやら文章も歯切れが悪くなって、何を言いたいのかなかなか核心に至らないが、おゆるしください。要するに、小さな日常をありがたく大切にしたいし、今こそ自分自身と鎬を削るようなひそかなる激しさで生きたいと願う。怠けようと思えばいくらでも怠けられる。いい加減になろうと思えばいくらでもいい加減になれる。いいご身分であればあるほど、自己責任が問われる。規則や道徳で雁字搦めにするのでない。内側からあふれ出るいのち(イエス・キリストのみこころ)に徹底して生きたい。

 

 いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことについて感謝しなさい。

   これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに望んでおられることです。

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日々の風から 高校の運動会

日々の風から 高校の運動会

 

孫娘のMちゃんは今年都立高校一年生。兄のS君の後を追うのかと思っていたら、熟慮の末、敢えて自分の意志で違う学校を選び、難関を突破して推薦入学した。地域内ではない。通学には多少時間がかかる。大きなカバンを背中に肩に背負って出かけていく。朝はパパの次に家を出る。もちろんお弁当を持って。ママは毎日5時半からキッチンに入る。夕方も目いっぱい部活動してくる。疲れ果てて倒れんばかりになって帰宅する。おババとしてはハラハラもするが、若いんだから乗り越えて行け!と祈りながら心の中だけで檄を飛ばし、応援する。

 

今日は運動会。相次ぐ台風の暴挙でどうなるかと案じていたが、今日の33度との報には違った心配ができた。Mちゃんは思春期の不安定な体調で時々ダウンする。いくつかの役も担っているようなので、頑張りすぎて熱中症にならないかと思うのだ。

 

娘から、朝になって、行くけど、どう?暑いから誘うの迷っていたけど、行ってみない?と声がかかった。さすがの私も、どうしようと躊躇。33度の炎天下に長時間いたら、Mちゃんどころか私がダウンするかも。しかし、たぶん、運動会はこれが最後の観戦だと思ったら行きたくなってしまった。S君の時も一年生の時だけ観に行った。おそらくMちゃんも、来年は行かないだろう。

 

氷を入れた水筒、帽子、日傘、日よけの手袋などなどを詰め込んだ。ママは4時半にキッチンへ。Mちゃんは5時過ぎには家を出た。8時前、Mちゃんからもう父兄がたくさん並んでいるよと知らせがあった。まるで幼稚園並ではないかと思うが、そういう習慣らしい。私たちは、一つ二つ観たら帰ろうと、お昼少し前に到着した。生徒数は1000人ほど。それにもまして父兄がびっしりと広い校庭を取り巻いていた。驚いてしまった。校庭は珍しく土である。

 

校庭の四つのコーナーに縦割りで生徒たちが「団」に別れている。赤、白、青、黄である。四つの「団」が点数を競う形である。名物は応援合戦だそうだ。それが伝統とか。種目の名前もなんとなく古めかしい。踊りやダンスなどは一つもなかった。激しい戦いが多かった。それだけに観ているほうもいやがうえにも力が入る。個人競争ではなく、団体のプレーがほとんどであった。Mちゃんは赤である。しぜん、赤を応援してしまう。当初はどこかでゆっくりお昼をして帰ろうと思っていたのに、だんだん離れがたくなり、最後の男子リレーはどうしても観なきゃとなり、結局閉会式までいてしまった。ほとんどの父兄もそうであった。

 

優勝は「赤団」。Mちゃんが友達と抱き合って泣いているのが見えた。それにしても、炎天下、立ちっぱなしによく耐えられたと、娘にも、Mちゃんにも言われたが、守られたことを感謝した。もう運動会を観戦することはないだろう。帰途の電車の中でうとうとしながら、ちょっと感傷的になった。

 

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日々の風から 9月スタート

日々の風から 9月スタート

 

まだまだ暑いけれど、9月の声はひときわうれしい。近年は、夏の盛りに遠出することはない。貴重な夏休暇の子どもたちや社会人の方々のために、この時期、老人は動かないほうがいいと思っている。人のためばかりでなく自分のためでもあるのだ。家にいても熱中症になるといわれる。まして炎天下の旅などもってのほかというべきだろう。かくして、ひと夏、じっと我慢の日々だった。とはいえ、半日くらいの外出はたびたびできたのだから、感謝なことである。

 

友からメールが入る。「いよいよ9月ですね」とある。やはり同じように待ちかねていたのだなあと、友の顔が見えてきて、メールにうなずいてしまった。「まもなく涼しくなるでしょう、がんばらなくちゃと思います」とある。やはり涼しくなるのを待っていたのだと、ここにもうなずく。そして、夏の間どうしても手につかなかった、あのこと、このことをしようと思っているのだ。まったく同感である。

 

9月は希望を与えてくれる月だと思う。さらに、四季のある国に住む幸いを思う。四季を造られた創造主、神様をほめたたえる。四季があるから、そして、多少の狂いはあっても確実にやってくるから気持ちが落ち着く。暑い時は涼しくなる時を待望し、寒さが極まると春を待ち望む。なんと幸いなことだろうか。

 

親しい友に、暑い時期になると体調が弱って外に出られなくなり、蟄居してしまう方がおられる。持病のためであるが、ひどい時は食事も摂れない。昼も夜もベッド漬けである。心配するのだがどうにもならない。友は自分の体をよく知っているので、涼しくなればきっと元気になるという。一人暮らしだからハラハラするが主治医もあまり心配していないようだ。私にはどうも理解できない。友人たちの訪問も断ってしまう。メールと電話で様子を知るだけである。週に一度買い物をしてくれるヘルパーさんと違う曜日にお掃除のヘルパーさんが訪問してくれるので日常の最低ラインは保たれている。

 

最近「どん底は抜けたようです」とメールがあり、電話の声にも力が出てきた。今日は電話の向こうから「思い切って近くの美容室に行ってきました」とあった。ずっと在宅が続いていきなりの外出は危ないと言うと、シルバーカーを使って気を付けて行ってきた、冒険だったけど思い立ったのでと、うれしそうだった。だいぶ自信がついたとも言っておられた。

 

9月の効果だろうか。

敬老感謝礼拝には教会に来られるといいわねと添えた。

ちなみに、教会では送迎のお手伝いをする兄や姉が待機している。

 

 

 

 

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