人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

日々の風から 如月ついたち多事多難の日

日々の風から 如月ついたち多事多難の日

 

 

 

近所の小さな「香梅園」に行ってみた。種類によっては満開を過ぎたものもあり、見ごろのものもあり、まだまだ固い蕾もあり、見飽きることはなかった。訪れる人もまばらで、こちらとしては好都合であったがもう一度来たいと思った。そのころは人混みであろう。

 

三日に上げずに安否を問うている一人暮らしの老姉にメールを送った。メール、電話、訪問を繰り返している。待たせることなく返信メールがくる。まめに応答できるのが大きな安心材料である。持病があって長年それと上手く折り合いをつけて賢く暮らしているが、一年ほど前に骨折して以来ほとんど寝たきりの在宅療養になっている。

 

「どちら様ですか、名字だけでもお知らせください」と返信メールである。びっくり仰天、呆然として、心が大いに騒いだ。気を取り直して電話した。「今、お繋ぎできません。後ほどおかけ直しください」と機械応答である。なんどでも同じことであった。

 

これは訪問しかないと緊張して出かけた。徒歩20分のところに住まっておられる。若い時に買ったといわれる小ぶりながらすてきな3Kのマンションである。発病して以来ずっとお一人暮らしである。遠くに弟妹がおられるが頻繁な行き来はないらしい。

 

ドキドキしながらチャイムを押した。いつもなら廊下を歩く気配がして大きな声で返事があり、ドアノブを回す音がするのに、無音〜〜〜。またチャイムを鳴らす。なんどか繰り返して、やっとドアが開いた!姉妹だった!どうぞの声も待たずに私はどんどん入り込んだ。

 

メールの件を訊くと、携帯をいろいろ触っているうちにだいぶ消してしまったそうだ。よくあることだから仕方ない。しかし理由がわかって一安心。謝っておられた。前回訪問の時よりユックリともろもろ語り合うあうことができ、少し立ち入ったお話も出来、手を取り合って感謝の祈りをささげておいとました。すべてが杞憂であったこともわかり、ハッピーエンドになった。これからもメール、電話、訪問が繰り返されるであろう。

 

夕方遅く、所属している日本クリスチャン・ペンクラブが今年の夏に出版予定の証し集「山川草木の」の初校ができたと、印刷所の担当者が届けてくださった。原稿を搬入してから半月と経たない。ペースが速い。いよいよかと心が引き締まった。もっともこれから一山、ふた山越さねばならないが。200ページほどの「本」が誕生することになるが、費用節約のこともあって完全原稿にしたはずである。入稿にはすでに数名の方々と汗を流した。寒いからと言って冬眠してはおられない。

 

つい、多事多難としたが、多難の方のいくつかは公開できない。すみません。いちどにどっと体当たりされた。北風のいたずらか、ともかくも傾いた姿勢を起こさねばならない。

 

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書林の風から 未知の人、未知の世界へ――読書街道から

書林の風から 未知の人、未知の世界へ――読書街道から

 

「堀田善衛」古い人である。生まれは大正7年(1918年)没年は1998年。名前だけは耳底にあるが著書を開いたことはなかった。まったくもって私の読書街道は貧弱なのだ。

それが、昨年晩秋辺りからまるで本人ご自身が近づいて来こられたような肉感を感じさせながら私の前に表れた。――いつまで私の存在に気がつかないのか――とじれったそうなのである。まずは手ごろな文庫本2冊を私のバッグに押し込んだ。『スペイン断章』の上・下巻である。

 

ああ、紀行文ね、ちょっと心が動く。

しかし、スペイン〜〜?

ここで私の食わず嫌いが頭をもたげる。旅行には目がないほうだが、どうもスペインには興味やあこがれがない。と言って皆無ではない。断片的には、プラド美術館には行きたいなあとか、フランシスコ・ザビエルの出身地バスク地方ってどんなところだろう。カトリックの巡礼地最後のサンティアゴ・デ・コンポステーラは見届けたいなどの思いがちぎれ雲のように漂ってはいた。

 

文庫本上巻の裏表紙の一文をまず読んだ。「歴史は読むものではなく見るものである――。スペインに強く魅せられ長く滞在した著者が、急峻な山々を分けて訪れたイベリア半島で眼にする有史以来現代史に至る、転変著しい歴史の足跡。感動と経験の積み重ねのなかから人間への深い洞察がにじみ出る、ノンフィクション文学の傑作」。

 

下巻の表紙裏の一文にも目を通す。「ヨーロッパ文化とアラブ文化の接点にあったスペインは、刻々の時代の爪痕を断層のように残す。キリスト教の奇蹟伝説、近くはスペインの内戦。その時代を動かそうと燃え盛った情熱の行く末とは―――。作家はスペインに腰を据え、人びととの触れ合いのなかで、人間とその歴史を、自らの眼で見据え、再発見する」

 

『歴史は読むものではなくて見るものである』との冒頭の言葉に深く納得しつつもスペインに長く滞在することなんてできない、滞在どころかたかが数日だって行けないんだから、と反発しながらもページを繰ることになった。すなわち、スペインという国を総なめする旅に参加することになったのである。当然ながら、私の幼稚なスペイン観が打ち砕かれ、現地へ行って「見て、住んだ」著者の世界に引き摺り込まれたのである。私のスペイン観は見事に変身した。それは単にスペイン観を変えただけでなく、今抱いている世界観にも大きく及んでいる。歴史は読むものであってもいいと思った。

 

堀田善衛氏は1952年「芥川賞」を受賞し、多くの小説を書いている。活躍のジャンルは広く、私としては大江健三郎氏を凌ぐ方ではないかと掛け値なしに言いたい。ノーベル文学賞をなぜ受賞できなかったのかと残念なほどだ。また稿を改めます。

 

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世相の風から トランプ氏第45代アメリカ大統領に就任

世相の風から トランプ氏第45代アメリカ大統領に就任

 

このブログはいつか再読する日もあろうと思い、

この激震的出来事を記しておきたいと思う。

後の日のために記録しておきたいのである。

この日以来この人によって世界がどのように変わっていくのか、

この人にどれほどの影響力があるのか、

良きにつけ悪しきにつけ話題に事欠かないだろうから、

できるだけ目を離さずにいようと思う。

世界がこれ以上悪い状態にならないように

切なる祈りをささげながら見つめていきたい。

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日々の風から 我が町の無電柱化

日々の風から 我が町の無電柱化

 

 

小池都知事が推奨しておられますが、実は、すでに数年前から我が家の脇を通る都道の無電柱化の工事が始まっています。今日まで何度道路を掘っては埋め、埋めては掘ったことでしょう。昼の工事、真夜中の工事、それがそれは大変でした。最後は一軒、一軒の家屋の電線、電話線の始末がありました。ようやく終わって、いちばん最後は電柱を撤去することでした。ちょうど在宅していたので、電柱が運び去られるのを眺めていました。今は歩道にカラータイルがはめ込まれて、結構見応えのある清潔感漂う道路に変貌しています。小さな通りは旧態依然ですが、少なくとも私の窓越しの景観はすっきりしました。空が大きくなりました。

 

 

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日々の風から 年賀状あれこれ その2

日々の風から 年賀状あれこれ その2

 

年賀状はそろそろ終わりです。今日、北風に紛れ込んだように懐かしい方からお便りがありました。内容は年賀状形式ですが、絵葉書でした。旅行先からかと思いましたが、そうでもなく、引き出しから取り出してきたような気配を感じました。何を考えて書かれたのだろうと想像をたくましくしました。この方とはある時期、一つのグループ仲間としてかなり親しい交流をしていました。もちろん個人的な友人ではありませんでしたが、 ある時、輪から離れていきました。転居が最大の理由ですが、国外ではないのですから、決まった集まりに出てこられないわけではないのです。

 

離れた理由はだれも知りません。しばらくの間は、どうしたのだろうねと首をかしげていました。唯一のつながりはメールアドレスだけでした。時々みんなでメールを送りました。すると、ときたま、元気でいますと紋切り型の返事が来るだけ。それだけでもほっとして、病気ではないみたい、無事でいるみたいねと話し合っていました。

 

そのうちに2つ3つとんでもないところからうわさが聞こえてきました。真偽のほどは皆目わかりませんが、あまりいいニュースではなく、メールもしずらくなりました。最近では集いに出ても口の端にも上らなくなりました。そこへ思いがけなく絵葉書の便りです。しかも新年早々に、です。文面にはないメッセージを聞き取りたいと思います。

 

 

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日々の風から 年賀状あれこれ

日々の風から 年賀状あれこれ

 

年賀状の扱いについて毎年試行錯誤しながら、結局は毎年同じことを繰り返し、今年もそうなってしまった。あるとき、年賀状はやめて、クリスマスカードにしょうと思い立ち、そうしたことがあった。クリスマスシーズンの多忙な時にせっせとカードを出した。カードは封書だから費用もかさむ。書き込むところも多いからかなり労力が要った。しかし良い気分であった。

 

ところがいざ新年が始まると、いつものように年賀状が届く。もう、クリスマスカードを出したのだからそれでいいのだと思いつつも、なにかすっきりしない。結局、大急ぎで遅ればせながら年賀状を書いた。クリスチャン同志はカードだけでいいのではないかと思いつつも、カードを下さった同じ友が年賀状もくださるとこちらもあわてて書くことになった。

 

何人かの方々はクリスマス25日がせまってくる頃、Merry Christmas & Happy New Year と年賀はがきで送ってこられる。これはとてもいいアイデアだと思う。しかしまだ踏み切れないでいる。自分の気持ち一つだのだが習慣を変えるのは難しい。結論は出ていない。クリスマスカードも年賀はがきもいただいてうれしいものだから、書けるうちはダブルになってもせいぜい送りましょうと今はそんな気持ちになっている。

 

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日々の風から 新年スタート!

日々の風から 新年スタート!

 

主の2017年がスタートしました。

新年おめでとうございます。本年もブログを通してよろしくお願いします。

来訪してくださる皆様の上に、この年、イエス、キリストの恵みが豊かに注がれますようにお祈りします。

 

元旦も二日も風もなく気温もそこそこ、何よりも快晴なのがうれしく感謝です。

今年は元旦が第一主日と重なり、一年の初めから聖日礼拝の出来たことは何よりの恵みです。いつもの日曜日のように教会へ急ぎました。お正月なので実家に帰省した珍しい方々が來教され、久しぶりのうれしい再会がありました。反対に地方へ行く方もありますが、今年は少なく、いつもの元旦より多くの出席者でした。しかし、このお正月も入院中の方、施設に暮しておられる方、自宅療養の方、高齢で一人暮らしのため来会できない方がおられ、今年もこれら愛する兄姉の皆さんのため、訪問や祈りが教会の大きな課題です。

 

私事で言えば、係っている文書伝道団体の節目の記念行事がいつくか計画されており、すでに走り出しているものもあって昨年以上に知恵と体力が必要です。主にすがるほかはありません。旅ともとの冒険の旅も予定しています。一人旅もしたい!これからはますます旅人になりたい!体において、心において、イエス様と道連れで、一本道を進んでいきたいと願っています。

 

『わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人が私にとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。

わたしを離れてはあなたがたは何もすることができないからです』

ヨハネ15章5節

 

 

 

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日々の風から 浅草雷門へ

日々の風から 浅草雷門へ

 

 

 

 

 

いっとき激しく襲ってきた風邪も、わりにあっさりと退散してくれて、ほとんどふつうに戻りました。最後の敵が喉の周辺にしがみついているのか、多少いがらっぽさが残りますが、あとはうがいと水飲み作戦を続けるほかはありません。薬は手放しました。

 

小さな用事を理由に浅草に行きました。時々、無性に浅草へ行きたくなります。特に近年そんな思いに駆られます。郷愁でしょうか。浅草の風景も時代の流れの中でずいぶん変わってきていますが、それでも私にはただ歩くだけで十分なのです。一瞬のうちに何十年間がぎっしり詰まった私だけの浅草空間に入り込めるからです。最近は、様々な外国語が飛び交い、日本の下町人間だけではない人々がひしめき、特に食べ歩く人たちが目につきますが、雷門の大きな提灯を見ると、顔がほころんできます。啄木は故郷のなまりが聞きたくてわざわざ上野駅に行ったようですが、私の浅草行きもそれに通ずる望郷感覚なのでしょう。お正月三が日はもっともっと混雑するでしょう。さすがに行くつもりはありません。しばらく間を置きます。

 

 

この一年の間、わざわざ『希望の風』をお訪ねくださった皆様に心からお礼を申し上げます。

思いがけなく「楽しんでいますよ」なんてお声を聞くとギクッとしたり、ひやっとしたり、

うれしかったりといろいろな刺激を受けますが、

これからも緊張感をもって、身辺を作文化していきたいと思います。

 

新しき2017年の祝福をお祈り申し上げます。

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日々の風から  クリスマスを終えて

日々の風から  クリスマスを終えて

 

 

23日の老人施設慰問とクリスマス礼拝の聖歌隊賛美に、なんと、出られませんでした。歌を忘れたわけではないのです、声が出ないのです。つまり風邪、喉と咳の風邪に負けてしまいました。怪しげな前触れをかすかに感じてはいたのですが、このくらいなどと高をくくっていたのが間違いでした。施設には行かれませんでした。礼拝では聴く側になりました。たぶん初めてのことです。なんとも物悲しい思いをしました。皆さんの優しき慰めの声も上の空、クリスマス愛餐会のごちそうにも手が出ず、後片付けも失礼して早々に退散、安静が一番との治療法に身をゆだねました。一日、二日の蟄居で快癒するといいのですが。

 

 

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日々の風から アドヴェントの日々 その2

日々の風から アドヴェントの日々 その2

 

 

一年が終わろうとしているこの時期になると、日ごろ後回しにしていることがやたらに気になります。あのこともこのことも済ませておきたいとそんな思いにかられます。

 

五島の旅を終えて、旅日記も整理したところで、旅仲間数人が集まりました。日ごろ皆さんご活躍の方々ばかりなので日取りの調整に難航するのですが、今回は一声ですぐに決まりました。最優先してくださったのだと思います。場所も手ごろな町のレストラン。普段着でお付き合いできる友人は貴重です。それでもいそいそと心弾ませて集まりました。

 

ようやくまとめた「旅行記」を出しますと、向かい側の友がコンパクトにまとめた写真集数冊を卓上に乗せ、それを皮切りに皆さんいっせいにバッグを覗き、クリスマスカードを初め、プチプレゼントが飛び出しました。負担にならないようにとの心遣いがにじみ出るエピソード付きの重宝な品々が手に手に渡り、思わず小さな歓声が上がりました。

 

それから延々三時間半、話は尽きません。店員の方々は気にならない程度に上手に間を置きながら配膳してくれました。それが長居の出来た大きな理由かもしれません。また使いたいと思えるほど、料理だけでなく後味の良いお店でした。一人の友人はつい三か月ほど前に、長く介護された母上を天に送ったばかりで、心の整理、身辺整理の途上とのことですが、小休止と前に進むための良い時になったと、喜んでおられました。

 

 

二日置いて、上野の杜の「デトロイト美術館展」に、ようやく行きました。「大西洋を渡ったヨーロッパの名画たち」と謳われており、モネ、ルノワール、ゴッホ、セザンヌ、そしてピカソまで居並んでいました。作品数は全部で52点、作品目録も片面で済んでしまうミニ美術展、大きなものはなく、近づいてしばらくじっくり眺める、それを奨めているようでした。絵や音楽、読書に気の合ういつもの教友と二人連れ、帰り道に冬枯れの公園を歩きました。「10月さくら」と銘を下げた桜がぽつぽつと、ちょっと心なげに咲いていました。ところが不覚にもカメラを向けたとたん、周りの凹凸に足を奪われてしりもちをついてしまいました。上手に立ち上がるのは至難の業で、笑い事では済まないと思いました。

 

この日は写真撮影が許されていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は、これも一番気にかかっていた友人と会うことができました。秋の初めに約束していたのに、姉妹は三か月も咳と微熱に悩まされていたのです。ようやく回復し以前のように動けるようになったとのことで、新宿を指定してこられました。都庁を横目に、西新宿の小さなお店でランチをいただきました。友は丸の内、新宿などを舞台に仕事をしまくってきたので、大きなところから路地裏までよくご存じで、行ったことのない通りをたくさん歩きました。私の土地勘の働くところは銀座までですから、ビルの林の中に入ると東西南北さえ分からなくなり、駅はどの方向なのとなんども尋ねる始末でした。これからしばらくは冬ごもりね、今度は桜の咲くころかしらと、お別れしました。

 

今日23日は休日ですが、我が教会では夜にキャンドルサービス礼拝をします。その前に、近くの老人施設にクリスマスの賛美を携えて慰問に出かけます。このところ数年恒例です。一人の姉妹が入居していることから導かれました。ところが、各フロアー4階まで、一階毎に廻ります。私たちは「4回も公演するのね」と、ちょっとした合唱団気取りですが、体力が要るのです。さて、夜の礼拝終了まで、元気でいられるでしょうか。

 

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