人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

旅の風から 金沢に吹く伝道の風  その2

旅の風から 金沢に吹く伝道の風  その2

 

 

 

 

玉泉院丸庭園の広いお茶室でお抹茶のおもてなしを受け、その後縁側に腰を下ろしてお庭を拝見した。自分の呼吸が変わってくる。いつもとは時間の速度が違う感じがする。日ごろいかに浅いところで呼吸しているのかよくわかる。ゆっくりと吐き、ゆっくり大きく吸う、自然に深呼吸のような息遣いになっている。ふだんは何に合わせて呼吸しているのだろうか。通りを走る自動車の速度か、電車の速さか、人びとの足音か、ラジオのアナウンサーの話し声か、次から次へと頭をよぎるあのことこのことか〜〜〜。一服のお抹茶のひとときが心の隅々にまで馥郁たる初夏の緑風を吹き込んでくれたようだ。

 

午後4時。いよいよ今晩の宿泊先へ向かった。日本旅館でお宿「やました」という。湯涌温泉にある。今回は敢えて純日本旅館を選んだ。最初は当然のように市内のホテル群の中から決めようとしたが、ふと、ホテルのデメリットに気がついた。それは、団欒の場がないことである。シングルあるいはツインでも、一部屋に5人全員が集まってゆっくりと歓談できるスペースはない。それにひきかえ日本旅館なら十分に叶う。大きな座卓を囲んでお座布団に座ってお茶をいただきながらそれができる。もう一つは食事である。ホテルは外でとるか別の場所に移動しなければならない。朝食もビュッフェ形式でせわしい。

 

金沢通の友が、このお宿に泊まった経験もおありだ、あらかじめの食事の様子を訊いてくださった。個室の別室を用意するとのことであった。こじんまりとした旅館で、客室数はわずか10室だから移動も簡単である。それに本物の温泉がある。私たちはよい選択に導かれたようだ。

 

「やました」は出羽町から北鉄バスで南東へ約40分、金沢の奥座敷と呼ばれる湯涌温泉にあった。湯涌は加賀のお殿様が湯治場として使ったそうだ。バス終点からは宿の迎えのワゴン車に乗り換えた。ほんの数分であったが坂道を上がり、山肌に触れるようにして建つお宿「やました」の打ち水された玄関に降り立った。玄関わきに水琴窟がしつらえてあった。私たちはかわるがわる耳を当てた。「歓迎」とささやかれているようであった。

 

その夜のことは語るまでもない。ところで、ブログタイトルの「金沢に吹く伝道の風」はどこに?と思われてしまいそうだが、次回は今も生き生きといのちあふれる風の行方を追いかけることにする。(つづく)

 

 

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旅の風から 金沢に吹く伝道の風  その1

旅の風から 金沢に吹く伝道の風  その1

 

 

 

 

 

親睦と学びを両輪にした旅列車は、5名の老女軍団を乗せるとゆるゆると金沢に向かった。5月の末である。学びと言っても今回は冒険や探検はないはず。そのぶん緊張も気負いもなく、まして一泊なので旅装もいたって簡単、全員キャスター付きのキャリーバッグは持たず、軽やかに北陸新幹線「かがやき」に乗り込んだ。

 

前回は2013年9月に団体16名で「金沢のキリシタン迫害の足跡を辿る」をテーマにした手製2泊3日の旅をした。時にまだ北陸新幹線は開通していなかった。その時は高山右近を中心に迫害の歴史を追いかけたが、右近はもちろん金沢城も兼六園も特別にお願いした懇意な専門家にガイドをお願いし、くまなく廻った。

 

今回はまったくの私的な旅である。と言っても金沢通の姉妹がガイドさん以上に詳しくていねいにさらに老女たちのスローなペースに合わせて付き添ってくださった。いわば極上の希少な旅なのである。学びは「ウイン宣教師夫妻の足跡を訪ねて」とした。夫妻は北陸に初めて福音を伝えたパイオニアである。私は特に夫人のイライザ・ウインに関心を寄せ期待を抱いた。

 

朝8時16分上野発「かがやき」521号は10時47分には金沢駅に着いてしまった。なんという早さだろうか。前回は越後湯沢で乗り換え、4時間半ほどかかったと思う。金沢での最初することは昼食なのだ。予約していただいている。着いてすぐ直行した。朝食は家ですませたが旅気分でそわそわし、食べた気がしなかった。駅から北鉄バスに乗って尾張町で下車した。金沢通の姉妹が地味だが珍しいお麩の専門店「不室屋」に案内してくださった。蔵を改造したシンプルなこじんまりとしたお部屋で、手の込んだ珍しいお麩のお料理を楽しんだ。

 

お腹の支度ができたのでいよいよ見学に向かう。金沢城を通り抜け、兼六園に入り、有名な徽軫灯籠(ことじとうろう)をみながら虹橋を渡った。観光客は思ったほどではなかったがさすがに虹橋の上でゆっくり記念撮影ができないのはしかたがない。途中、「玉泉院丸庭園」に入り、お抹茶でティータイムになった。(つづく)

 

 

 

 

 

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日々の風から 断捨離中の思わぬ展開

日々の風から 断捨離中の思わぬ展開

 

一大決心をして「断捨離」を初めて早やくも一か月が過ぎた。順調に進んでいる、そのように言い切っていいと思う。断捨離と言っても、中心は「捨」である。ちなみに「断」とは不要なものを入れないの意だそうだ。この年まで生きてきた習いから、不要なものを簡単に買ったり引き受けたりはしないようになっている。いわゆる衝動買いなどからも解放されている。第一、経済力もないから。努めて「エコ」に生きるようになっている。

また「離」とは、物への執着から離れることだそうだが、これはたぶん「断」と「捨」の両方に影響してくると思う。執着がなくなれば「断」はたやすい。また、今あるものを「捨」できないのは、強い執着があるからだろう。

 

なんといっても中心は「捨」である。この場合は不要な品物を捨てることである。しかし「捨」とはむごい言葉である。捨てるという言葉にはいいイメージはない。暗く悲しい響きがある。捨て子、捨て犬、捨て猫、家庭を捨てる、妻を捨てる、夫を捨てる、恋人を捨てる、故郷を捨てる、仕事を捨てる、世を捨てる、信念を捨てるなどなど山のようにあるだろう。捨てるとは、破ることであり、壊すことである。もちろん、捨ててから向かう方向によっては「希望の捨」があるだろう。

 

「断捨離」の「捨」は新しく生きるための生活革命、改革の一つの手段にちがいない。捨の持つマイナスイメージを越えて、明日に向かう「希望の風」を呼ぶ「捨」でありたい。例えば、一つの物を捨てるについて、手に取ってそのまま座り込み、まつわる過去を思い出し、つい涙を流し、ああ、捨てられないとまたも度に場所に戻してしまう、この繰り返しでは前にすすめない。「捨」は心でするものだ。強い気持ちが要る。思い出のあるもの、思い入れのあるものを捨てるのは、まるで自分を捨て、自分がなくなってしまうような気になる。むなしくなり寂しくなる。「捨」には感情をかき乱す魔の力が潜んでいる。初心が見えなくなってしまう。「捨」に勝利するためには強い意志が要るのだ。まさに戦いである。それも自分との戦いなのだ。様々な思いを模索しながら、自分なりの、独断かもしれないが、頭の仲も心も整理整頓しながらの「断捨離」に励んでいる。

 

「捨」の部分で、時間を取られているのは「本」である。何十年も前からの手放せないものがかなりある。しかし、もういい、そんな思いもある。これから先、ふと開きたくなることもあるかもしれないが、子供や孫はおそらくないだろう。あまりにも古い。ほしかったらネットできれいな中古本でも買うだろう。今やそんな時代である。私自身が昨今は読みたい本はネットで買う。こざっぱりとクリーニングされた本が安価で買える。それらを考え併せて思い切って処分した。

 

ところが忘れていた数冊の本に再会して、心動かされ読み始めている。かつて読み込んだしるしのたくさんの付箋が貼られていてびっくり、こんなことをしていた自分がいたなんてと、懐かしい限りである。一冊は「フランス歴史の旅」(朝日選書 田辺保著)である。すっかり忘れてしまっていた。昨年の夏以来、遅まきながら堀田善衛に出会い、ずっと読み続けていた。主にスペインが舞台であった。当然フランスも出てくる。改めてフランスの歴史を見たくなっていたところであった。読み終わると同じ著者の本が読みたくなり「フランス 心の旅」を取り寄せた。たぶんこのまま田辺保とフランスへの読書の旅は続くはずだ。「断捨離」は思わぬ展開になった。私は「捨」の中から新しい読書の旅路を見つけた。このところせっせとその旅路を急いでいる。

 

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世相の風から イートインって?

世相の風から イートインって?

 

最近、スーパーの一隅やコンビニ、お弁当屋さん、自家製パン屋さんなどで簡単に飲食できるスペースが設けられ、利用している人たちをよく見かける。なあるほど〜〜〜いいアイデアだなあと思う。商売する人たちはよく次々に新しいこと考えるものだと感心してしまう。

 

若い人やお勤めの方が一人でスマホ片手に飲食されているのは当たり前の風景だと気にもしないが、近所の方であろうか、高齢の方々がコーヒーなどをいただきながら談笑しているのはなんともホッとする光景である。むかしの時代を思い出す。あのころ大人たちはイートインではないが路地のかたわらでよく話し込んでいた。下町風景かもしれないが。

 

高齢の方々が、一軒家で一人暮らしをしたり、団地の一室に閉じこもっていると聞く。孤独死までには至らなくでも、さまざまな悲劇につながりかねない。もちろん地域にはその気になればケアーの準備は十分あるが、その気のない人は取り残されてしまう。そんな方々でも、買い物のついでにイートインで気軽に一息つき、一休みできる。お友達がいなくても周りに人がいる。人が見える。声が聞こえる。それだけでもどんなに力付けられることだろう。

 

人とは、人と人の間に生きる、人間なのだ。神様は創造のはじめからともに生きるように配慮してくださった。夫でなくても、妻でなくても、子どもでなくても、24時間いっしょにいられなくてもいいではないか。努めて友を作ることが必要だと思う。そのためには多少の犠牲がいる。イートインに出かけるのもひとつの努力であろう。束の間であってもいいではないか。ひと時小さな交流ができたら、それこそ血液循環がよくなるであろう。

 

 

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日々の風から 母の日に

日々の風から 母の日に

 

我が教会では月に一回礼拝後に婦人の集いを設けている。「婦人会」と称している。昨今、婦人という言葉に神経質になり、「女性会」と改称している教会もあると聞く。私も本当はそちらに賛成だが、急に声高に叫んでも当惑させるだけではないかと現状をみすえつつ、「婦人会」で甘んじている。この婦人会は実によく働く。《教会の主婦群》である。

 

食事作りや衛生美化など奉仕が主であるが、月一回の「婦人会」は交わりと祈りの場である。長年にわたって女性二人がペアーでその月の会を主催する。メンバーは未婚の若い女性を除く教会の女性全員である。全員と言っても昨今は超高齢の姉妹たちは参加しなくなったので十数名である。

 

今月は年に一度ぐらいの割で回ってくる担当月になった。相棒の姉妹は50代のキャリアウーマン。うちの会社はブラック企業と言いながらも高い地位に就いてバリバリと働いておられる。姉妹と相談してプログラムを作った。メインは「我が母を語る」とした。折から世は《母の日》で盛り上がっている。赤いカ―ネーションをあしらった案内文書を配って呼びかけた。午後だからティータイム付きである。

 

テーブルを囲んで話が始まった。メンバーの中には子供のいない姉妹たちもおられる。しかし、生みの母のいない人は一人もいない。その意味では公平な話題であると思う。最初に85歳の老女性が「やさしい母でした」と一言だけ語られた。息子、娘、孫もおられ、お耳がだいぶ遠くなられたが静かにはっきりそう言われた。私はそれだけで胸が熱くなってしまった。次の姉妹は70代半ば。「私は若いころ反抗的で母につらく当たったが、母は何も言わずいつも大きく受け止めてくれた」と語った。私は同じ地域なのでお母上を存じ上げていたから、姉妹のいうことに間違いはないと頷きながら聞き入った。

 

全員のお話を記すことはできないが、総じて知ったこと感じたことは、皆さん一人一人が母の生き方を胸に秘めそれに倣いたいと思っていること、ある時の母のひとことが忘れられず、その言葉に励まされ、実行したいと願っている、などなどであった。人の前であるから100%実像を語っているとは思わないし、美化していることもあるだろうが、強い母が嫌だったとか、どうも性格的に合わなかったなど率直な話も出た。

 

「我が母を語る」とはほんの数分で済むことではない。たぶん会が終わってから、みなさんの思い出の袋はさらに大きく口を広げ、家で、子どもたちにその続きをしたかもしれない。

 

私はちょうど「断捨離中」で古いアルバムを広げたばかりなので、娘家族に父や母の写真を見せていくつかのエピソードを披露した。母にはひ孫にあたる私の孫たちは、この家から母を天に送ったので記憶の底に留まっていることもあるらしかった。ほんのひと時ではあっても話題を共有できたことは、私はもちろん彼らにも心温まるものがあったにちがいない。古いアルバムの役目は済んだ。もうこれでよい、さらに縮小し処分することにしよう。

 

 

 

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日々の風から 70歳代のひとつの現実

日々の風から 70歳代のひとつの現実

 

 

17歳、セブンティーン、Seventeenは青春真っ盛りの象徴であろう。おなじセブンに係るがセブンティー、Seventy、70歳代はどうであろうか。老年真っ盛りではないだろうか。私を含めて親しき友はまさに70代を生きている。私は自分の周辺の方々しか知らないが、皆さんほとんど一日として家に居ることはない活動家である。それぞれに今までの歩みの中から自分だけのスペシャルな働きや活動場所を持っておられる。老親をケアーしながらの主婦であれ、配偶者との二人暮らしであれ、単身者であれ、「一人の個」として自立しておられる。見習うことの多い友垣である。

 

17歳前後も話題は多いが70代も、出来事、それも危険な事件が頻発する。今、私の耳に盛んに届くのは70代「喜怒哀楽たより」である。うれしいことにしろ、困った問題にしろおもわず身を乗り出して聴き、受け止め、場合によっては手を出し足を出すこともある。とはいうもののこちらも70代、限界のある状況下にいる。まさに「ともに喜び、ともに泣く」の最前線なのだ。

 

最近ではあまり出番のない家の電話が鳴り、いつもはメールの友の声が聞こえた。

月末には会うことにしている近県の友である。

 

「わたしね、困ったことになったの。脚立に乗って高いところのお掃除をしていたの。降り際に、ステップを踏み外してひっくり返って、右手首の上を骨折してしまったの。お医者様はギブスよりも手術したほうがいいと言われるので、明日入院して手術になってしまったわ。3か月は安静にしているようにと言い渡されてしまった、遠出はダメですって。そんなわけで久しぶりに皆さんとお会いするのを楽しみにしていたけど、しかたないわ。ごめんなさね。メールも左手が慣れるまで無理かもしれない」

 

愕然とした。この友に限って「骨折」は近づかず、逃げていくだろうとさえ思っていたのだ。友はいつもには似合わず、自分の愚かさを責める理由を挙げ、悔いておられた。また、先のことを案じ、活動を縮小しなければなど、自分自身に言い聞かせるように語られた。じっと聞いていた。

 

友は多少トーンダウンしていたが、いつものように明快で歯切れのよい落ち着いた話しぶりであった。

 

話に耳を傾けているうちに、友は療養の期間を過ぎれば、軌道修正をした賢い方法を見つけ、自分の賜物を生かしていっそう質の高い活動をされるにちがいないと確信し、早くも安心した。一日も早く回復されることを祈り続け、秋になったら、闘病談をたっぷり聞かせていただこうと思った。

 

ところでただいま「断捨離中」であるが、私も脚立に乗り降りして、重い箱を上げ下ろししている。まだまだこのくらいは大丈夫、若い者の世話にはならずともできる、心の中はそんなツッパリでいっぱいなのだ。しかし、友を思うと、手が出ない、足が出ない。どうしましょう。

 

 

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日々の風から もう一つのブログ【聖書の緑風】ニュース

日々の風から もう一つのブログ【聖書の緑風】ニュース

 

GW中に整理したことを記します。

 

 

私のもう一つのブログ【聖書の緑風】に掲載してきた『利根川の風・日本の女医第一号・荻野仁子の生涯を追って』が終了しました。

これは小さいながら「本」として発行し、友人知人たちに読んでいただいたものですが、

直接「本」を手に出来ない方や、さらに一人でも多くの方々に読んでいただきたくて掲載しました。

最後に取材した各地の写真をアップしました。

 

もし、直接「本」をご所望の方がおられましたらお声をかけてください。

また、私の活動組織である日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のホームページ内のメールからご連絡ください。ペンクラブのURLは http://jcp.daa.jp です。

 

次回からは昨年末に、これも小さな「本」にした『サムエル記を愛して』を発信するよていです。

聖書のサムエル記第一、第二の各一章ずつを考察したもので、

エッセーとでもいえるスタイルあり、内容です。

こちらもご連絡いただければお送りします。

 

少し前の『ただいま断捨離実践中』はまさに苛烈な実戦のさなかです。

果たして勝利宣言ができるでしょうか。

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日々の風から 今年はスペシャルGW!

日々の風から 今年はスペシャルGW!

 

8月の夏休み、年末年始の休暇と並んで日本の三大大型連休ともいえるゴールデン・ウイークの時期となり、このところ日本中が湧きかえっている。折から季節は最高の初夏である。日ごろお忙しいパパ、ママ、子どもたち(小学生までか)にとっては待ちに待った休暇であろう。もちろん例外は山のようにあり、絵に描いたようにはいかない。それも少なからず承知しているつもりだが、海に山に温泉に海外にテーマパークに、行ける時は行ったらいい。無責任であるが、老女としては大いにお勧めしたい。その代わり、私はじっとしている。本心からであるが、この時期こそ、一年中が大型連休の高齢者は一歩も二歩も下がっていたい。席を譲ろう。いつも譲られるばかりが能ではない。そのかわりGWが終わったら、ちょっとにんまりしてやおら腰を上げ、外に出ることにしよう。

 

ところが、思いがけない誘いが来て、ふわっと腰が上がってしまった。近くの錦糸町トリフォニーホールでの「メサイヤコンサート」のチケットがひざ元に舞い落ちてきたのである。薫風の粋な計らいか。「メサイヤ」はほとんど一年中、CDやユーチューブで聴きまくっている。しかし生の演奏会はめったに行っていない。ほんとに久しぶりである。心が弾んだ。

 

全席自由のせいか開場30分前に就いた時はすでに4人一列で長蛇の人であった。あっという間に満席状態。こんなにも「メサイヤ」を愛する人がいるのかと驚いた。それでも友人と私は中央より少し前のほぼ真ん中に着席できた。指揮者、音楽監督の三澤洋史氏のプレトークに早くも魅了され、それから延々3時間弱、救世主物語ど真ん中に引き込まれた。

 

歌詞は英語であるが横断幕のように字幕が流れたのはよかった。歌詞はほとんどが「聖書」の言葉である。こんなに大勢の人に福音の結晶ともいえる箇所の「みことば」が大きな文字で読まれるのだ。そのことに感動し感謝した。「メサイヤ」はまさに音楽による伝道メッセージではないか。思えば1741年ダブリンでの初演以来今日まで270年余りの間に、この作品はどれほど多くの人々の信仰心を掻き立て、与え、高めたことだろう。隣席の友人にはどのように響いたのだろうか。友人曰く「ヘンデルの曲って、やさしくてドラマチックで親しみやすわね」。それだけ?。神様の不思議にお任せしよう。ヘンデルだって当初はここまで自分の作品が広く愛され演奏されるなど考えもしなかったろう。まして、神のために役立っているなど思いもしなかったであろう。

 

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日々の風から 見てきたGINZA SIX 

日々の風から 見てきたGINZA SIX 

 

ちかごろ銀座にまた新しい商業施設ができたとの報に、野次馬根性が大いに刺激され、見てこようと、出かけていきました。飲食のためでももちろんショッピングのためでもありません。見るだけです。いちばん短時間ではあるのですが、JRを使うのは能がなさすぎるので、敢えて時間を使って行くことにしました。いまのところ自由に使える時間をたっぷりと与えられていますので、都バスを乗り継いでいくことにしました。30分のところをたっぷり一時間半もかけてしまいました。スカイツリー前から銀座四丁目までやく40個の停留所がありました。木場を通り、豊洲を通り、築地を通り、歌舞伎座の前を走って四丁目の交差点の手前で下車しました。バスの終点は新橋駅です。こんなバスがあるのです。

 

私にとって銀座は故郷のようなところです。終戦前に住んでいましたから。詳しいことはいつか書きたいとも思いますが、新宿、渋谷は全く苦手ですが、銀座はいつ行っても郷愁に胸が熱くなるのです。

 

GINZA SIXには特別に新鮮な大きな感動を受けたとは言えません。もともとブランド物やお店には大した興味もありませんので、そうしたフロアーには立ち寄らず、ざっと見まわして屋上へ上がりました。屋上庭園を宣伝していたので見たかったのです。さすがに見晴らしがよくて爽快でした。スカイツリーもすっきりと見え、東京タワーが近くに見えました。庭園と言っても植えられたばかりの植物群はまだまだ借り物のようで自力で生きていませんが、数年たったら見栄えがするだろうと思いました。飲食店がないのはよかったです。私のように、とにかく≪見てこよう族≫とすぐにわかる人々であふれていました。わずかなベンチでおにぎりを食している老女などがいて、なんといっても銀座は下町なのだと、ほほえましくなりました。これが銀座の良さなのです。帰りもJRを避けて、都営地下鉄浅草線を試してみました。これは正解でした。何十年とJR亀戸、秋葉原、有楽町下車でしたが、今後は地下鉄にしようと思いました。さすがにバスは止めておきます。

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日々の風から ただいま断捨離実践中!  

 

日々の風から ただいま断捨離実践中!  

 

さくら以来日ごとに変わる風景はまことに目まぐるしい。あのあでやかであった桜樹は今や淡いグリーン一色に変身である。枯れ木だった公孫樹に小さな小さな芽が出たと思ったら日に日に成長し早くも立派な緑の大木になった。つつじが咲き出し、薄紫の藤の房が揺れている。ハナミズキも真っ盛り。白やピンクが青空に映える。なんと麗しい季節であろう。

 

ブログ更新がついつい遅れているが、春の陽光の心地よさにうつらうつらとしているわけではない。またまた一大決心のもとに「断捨離」に励んでいる。今回には大きな理由がある。一日の大半を過ごしている部屋を取り換えようと思い立ったのだ。そのためには荷物の移動が先決である。移動に先立ってまず「捨」である。この際、思い切って「捨」に徹しようと決めた。ほんとうに、ほんとうに、しばらくは「捨」一色で行く。完了はいつになるか、目標は梅雨入り前あたり。さて、どうなるであろうか。

 

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