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季節の風から 春を待つけやき

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 今日は澄み切った空の明るさが一段と増していました。さしもの冬将軍も一休みのようです。
 近くの団地のけやきのこずえが、天に手をさしのべて春を呼んでいるようでした。
2006.01.11 Wednesday 21:43 | comments(1) | - | 

聖書の風から 初心貫徹、前進また前進

 ヨシュア記1章9節、13章1節
『強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである』
『あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている』

 
 若い時の希望や目標に向かってひた走りに走り、臥薪嘗胆、粉骨砕身、刻苦勉励しつづけても、初心を貫徹させて勝利の旗を翻すことは難しいものだ。たいてい、それ相当の年齢に達すると、あきらめの心境になる。そこそこでいい…。
 これも一つの生き方かもしれないが、一つくらいは頂上目指して前進し続けたい。
 
モーセの後継者ヨシュアは強く、雄々しくよく戦って、モーセの目標をほぼ達成した。
 しかし晩年の彼に、神さまはまだ占領すべき地はたくさん残っていると言われる。

 わたしにとって占領すべき地は何か、神さまはなにを占領せよと言われるのか、たくさんあるとは、驚きである。よくよく神に聴き、ご命令に従いたい。

 ピリピ人への手紙2章13節
『神はみこころのままに、あなたがたの内に働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです』
 
2006.01.11 Wednesday 06:43 | comments(0) | - | 

世相の風から  赤ちゃん よかった!

 生まれたばかりの赤ちゃんがさらわれたニュースには、新年早々もあって、大きなショックを受けた。またなの?! 昨年末、幼い子どもを標的にした悪質な事件が立て続けに起った。まだ生々しく記憶にある。
 
 だれが犠牲になって困るが、新生児とはひどすぎる。しかもこの真冬にと、はらはらした。
 50時間ぶりに無事救出され、ご両親の胸に帰されたと聞いて、ほんとうによかった、よかったと、声をあげて叫んでしまった。奇跡であろう。
 
 A新聞にこんな記事が載っていた。
赤ちゃんが生まれた光ケ丘スペルマン病院の「光ケ丘」の由来は旧約聖書の一節だという。イザヤ書9章2節『闇の中を歩む民は、大いなる光りを見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた』(新共同訳)。
 
 病院のホームぺージには、「光ケ丘」には「苦しみを通して喜びを見いだすの意味が込められています」とある。小さな命が引きずり込まれた闇は深かったが、50時間の闇を抜けて、両親のあたたかい光に包まれた。

 
 赤ちゃんが、帰ってほんとうによかった!
 近頃まれに見るグッド・ニュースではないか。耳にする者たちも闇から光に移された喜びを味わった。
 闇から光に向かって、強い希望の風が吹き抜けたのだ。



2006.01.10 Tuesday 19:09 | comments(0) | - | 

季節の風から  パンジー満開!

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駅前のお花屋さんで店頭にならぶパンジーが咲き競っていました。春は案外近いかもしれません。
2006.01.10 Tuesday 13:56 | comments(0) | - | 

日々の風から  発信手段あれこれ


 今日の東京はほんの少し感が緩んだように感じました。風もなく晴天です。成人の日なので、和服姿の女性たちが町を飾っていることでしょう。

 午前中は事務局を引き受けている伝道機関のいくつかの事務を執りました。ニュースレターの原稿催促のメールを発信し、月末の定例集会の案内書を作成しました。明日にでも発信です。
 
 書類の発送に関して、ずっと以前は、印刷して郵送していました。ところがFAXが登場するようになると、一枚の書類で大勢に送信することができ、時間的にも費用的にもたいへん楽になりました。昨今はeメールです。これが一番簡単です。

 ところが、全員メールで済ませるわけにはいかないのです。今は、郵送組、FAX組み、メール組と三種類を使い分けねばなりません。煩雑です。あらかじめリストを作って、それに従わないと混乱します。

 メール組が増えていくことを願いますが、まだまだ郵送組が優勢です。電話連絡は間違いのもとなのであまり使えません、特にご高齢の方には不親切になってしまいます。

 便利な世の中になりましたが、事務を担当する者にとっては一概によくなったとは言いきれません。種類が多くなった分、整理管理が必要になります。
 今年も、臨機応変、機転を利かせながら、事務局を充実させ、イエス・キリストの事業に参加していけたらと願っています。
2006.01.09 Monday 22:30 | comments(0) | - | 

聖書の風から  時には立ち止まって

 申命記4章40節、8章2節、10章12、13節
『きょう、私が命じておいた主のおきてと命令とを守りなさい。あなたも、あなたの後の子孫も、しあわせになり、あなたの神、主が永久にあなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生き続けるためである』

『あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない』

『イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求められる事はなんであるか。ただこれだけである。すなわちあなたの神、主を恐れ、そのすべての道に歩んで、彼を愛し、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主に仕え、また、わたしがきょうあなたに命じる主の命令と定めとを守って、さいわいを得ることである』

 マタイによる福音書6章33節
 『神の国とその義とをまず第一に求めなさい』
 
 
 毎日、毎日、馬車馬のように走らねばならないのが、私たちの現実。それが義務的であろうと、自分の理想に向かう道であろうと、突進前進している。
 
 座するよりも、立って、歩いて、走ることの方が多いし、行動していることで満足感を覚える。
 しかし、時には立ち止まり、時には座すること。それが必要ではなかろうか。

 静止してなにをするのか。過去を思い出し、現在を確認し、将来を展望して、新しい希望を見出し、心身をリフレッシュして、立ち上がるためである。
 
 キリスト者は神の前に座し、神の愛と救いを再確認し、神とともに立ち上がり、再び神とともに歩き出す。
 イエス・キリストは最高の道連れである。

 
 
2006.01.09 Monday 08:43 | comments(0) | - | 

きのうの風から 読書の悦風

 今までに書いてきたもの、他のルートで発進した記事を転載します。
 読書の悦風 【風の又三郎】宮沢賢治 
  
  どっどど どどうど どどうど どどう
  青いくるみも吹きとばせ
  すっぱいかりんも吹きとばせ
  どっどど どどうど どどうど どどう

 童話『風の又三郎』の冒頭は秋の強風を模した調子のよいオノマトペ混じりの詩から始まる。オノマトペ(擬態語、擬声語)は宮沢賢治の得意芸である。まるでお芝居の幕開けを告げる太鼓のようだ。
   どっどど どどうど どどうど どどう
 いつのまにか、体の中から響いてくる。覚えやすく乗りやすいリズミカルなフレーズだからであろう。
 
 風の又三郎は、青空で風がどうと鳴る九月一日、二学期が始まる日に、教室がたった一つしかない村の小学校に転校してくる。今で言えば転勤族家庭の息子である。その学校には先生も一人、運動場はテニスコートくらい、その後ろは萱や栗の木のある草の山である。生徒は一年生から六年生まで、三年生は一人もいないが、総勢二十六名、又三郎は五年生に仲間入りする。
 
 又三郎は本名ではない。高田三郎という名がある。先生はそのようにていねいに紹介した。ところで、先生は一室に同居する一年生から六年生までを、それそれに応じた課題を出して授業していく。
 
 高田三郎がどうして風の又三郎なのかと言えば、クラスメートたちの付けたあだ名なのである。三郎は村の子どもたちに強烈な第一印象を与えた。まず赤い髪である。顔は熟したりんごのようで、目はまん丸でまっくろ、ねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、赤い革の半靴を履いている。子どもたちは外国人だとさえ思ってしまう。
 
 そのとき風がどうと吹いてきて教室のガラス戸ががたがた鳴り、学校のうしろの山の萱や栗の木がみんな変に青白くゆれ、三郎はにやっとわらって少し動いたのである。
 「ああ、わかった。あいつは風の又三郎だぞ」と五年の 嘉助がさけび、みんなもそうだっ、とおもうのだ。
 以後、子どもたちはだれ一人本名を呼ばず、その後仲良くなって谷川で水浴びするときも又三郎であった。

 子どもたちが放課後、川に飛び込んで遊び興ずるシーンはおそらく今ではすっかり消滅してしまった貴重な子どもの世界、子どもの領分であろう。幼年を都会ですごした私でも似たような経験があるが、今は目にしたことはない。

 九月一日は昔から大風の(今の台風であろう)荒れる二百十日と呼ばれてもいた。東北から北陸にかけて風の神を風の三郎と呼ぶ地方が各所にあるという。作者はそれを語呂よく又三郎としたらしい。
 
 一晩中(台風が村を襲ったらしい)ほえてうなっていた大風が、いっせいに北のはじめがけてかけて行った朝、六年生の一郎と、耕助がなにかに急かれたように学校に駆けつけると、三郎はきのうお父さんとほかへ行ってしまったと聞く。
 「やっぱり風の又三郎だったな」と高く叫んだのは耕助だった。
 
 風とともにやってきて、風とともに去っていった又三郎。作品あから、村を揺るがす地方風と又三郎の持ち込んだ都会めいた風が吹き上ってくるようだ。又三郎を風と捉える子どもたちは、長い触角をたてて飛び回る昆虫たちのようだ。
 
  どっどど どどうど どどうど どどう
 
 又三郎がすぐそばに座っているような気がする。一郎と耕助が「やっぱり、風の又三郎だったな」と張り上げる声が聞こえるようだ。
 
 名作を読むのは楽しい。名作の風に浸るのは悦楽である。

      (ニュースレター【希望の風】第2号より)
2006.01.08 Sunday 23:05 | comments(0) | - | 

日々の風から 週の初めは礼拝から 

 50年間そうしてきたように、今朝も教会へ行きました。 冷え込みの厳しい朝ですが、風はなく、少し暖かく感じました。お正月に帰省していた方々も無事もどって、おおかたいつものメンバーがそろいました。

 説教題は『あなたがたは地の塩、世界の光りです』。
 聖書は、イエス・キリストの有名な山上の説教の一節が開かれました。

 塩はなくてならないもの、腐敗を防ぎ、少量でも溶けこんで効果を発揮する。光りは周囲を明るくする。隠しておくことができない。
 クリスチャンは地味ではあるが、塩のように有益な存在である。またよい行いを通して光りとしての存在を明らかにするものであると、信仰者の立場が説かれ、生き方が勧められました。

 礼拝後は、2,3人づつグループになって祈り合いました。互いに安否を問いあい、また祈りのリストに従って、たくさんの課題を神さまに祷告、嘆願しました。

 クリスチャンとは別名祈る人と言っても過言ではありません。神は不可能と言う言葉を持たないお方ですから、どんなことでも、教会を上げて祈ります。
 また、クリスチャンの一日は祈りに始まり、祈りに終わります。
 祈りは最高にすてきな時です。
2006.01.08 Sunday 17:47 | comments(0) | - | 

日々の風から  母の誕生祝い


 母がまもなく88歳を迎えます。盛大な宴?を、とは考えていません。なぜなら、この数年、本人は家の周辺をシルバーカーで歩くだけで、電車や車に乗ることを好まなくなったからです。車で行けるからと、なんど誘っても腰を上げようとはしません。家の中で自由にしているのがいいようです。

 でも、今年は米寿なのだからお祝いしようと、家族とも、きょうだいとも、話し合っています。

 今日は前祝いとして、車で10分ほどのレストランへ昼食に行こうと誘いました。あんがい素直に受け入れ、身支度を始めました。寒いのでズボンを重ね着したと笑って、車に乗り込みました。若いころから車酔いがひどいので心配しましたが、そんな様子もなく無事でした。
 
 外の見えるエレベーターでは、さすがに恐いと言ってしっかり手すりを握っていました。
 孫たちの食欲に驚きながら、自分もけっこう食が進んで、米寿の祝い第一回はみな満足の内に幕となりました。
 
 8年前、父がわずか3週間の病床で召天してからも、さして悲嘆にくれることもなく、淡々と暮らし続けて今日に至っています。
 一度も大病したことがなく、寝ついたこともありません。介護保険を利用したこともありません。病院にもめったにいきません。

 そんなわけでいまだに子どもの手を煩わすことはあまりありません。たいへん子ども孝行な母親です。私はずいぶん楽をさせてもらったのです。
 しかし、さすがに昨年あたりから老いが目立ってきました。
 母に視線を向けなければと、ようやく思うようになった昨今です。
2006.01.07 Saturday 23:55 | comments(0) | - | 

季節の風から  寒風の中のピラカンサ

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ガーデニング用品のお店で、みごとな寄せ植えにみとれました。
ピラカンサの真っ赤な大粒の実の周辺だけは、さしもの寒風も穏やかに感じました。
2006.01.07 Saturday 18:47 | comments(0) | - | 
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