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2006.01.16 Monday

書林の風から  本の中の《いい時間》       長田弘【読書から始まる】  

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     今年の買い初めは。長田弘の【読書から始まる】。
    それをちびりちびりと嘗めるように読んでいる。それも何回目かの再読である。
     
     そうするのは、我が尊敬する大江健三郎が「真面目な読者とは、読み直すこと(re-reading)をする読者のことです」、「速読術ではなくて、遅読術つまり本をゆっくり読む法と言う本が必要だと思うほどです」と言っているのを読んだからであある。肝に銘ずべき至言であると思う。

     読書から始まる】に、
    「いい本とはその中に《いい時間》があるような本です。読書といういとなみがわたしたちのあいだにのこしてきたもの、のこしているものは、本の持っているその《いい時間》の感触です」、とある。

     
     たしかにいい本には《いい時間》がある。別世界がある。日常のまっただ中に居ながらにして、いつのまにか非日常の特別な世界に入り込んでいる。
    私にとってはそれが《いい時間》のひとつでもある。《いい時間》のある本、そんな時を過ごさせてくれるような本、そこから離れたくないような本、ずっと読んでいたい本がある。それだからこそ、遅読が必要なのだろう。
     
     もうひとつ、覚えておきたい文章は以下である。
    「読む本、読むべき本が、本のぜんぶなのではありません。本の大事なありようのもう一つは、じつは読まない本の大切さです。
    図書館が、一人一人にとっては、すべて読むことなど初めから不可能な条件のうえにたってつくられているように、本の文化を深くしてきたものは、読まない本をどれだけ持っているかということです」
     

     こんな考え方はしたことがなかった。なるほど、である。
     こんな文章を手がかりに、一本の木から空に向かって多数の枝が伸びるように思いが広がっていく。
     これも本の中にある《いい時間》のひとつであろう。


    2006.01.16 Monday

    聖書の風から 老人ケアーの大先輩       掃きだめのつるのような女性ルツ

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        ルツ記1章16、17節
       『あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所 に私も住みたいのです。あなたの民は私の民、あなたの 神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこ で葬られたいのです』
       
       
       老女ナオミは移住先で不幸にも夫や息子たちに先立たれ、やもめとなった嫁たちと3人暮らをしていた。
       ある日、ナオミは単身帰国を決意した。ルツは姑ナオミと離れたくなった。深い愛情から、姑を最期まで看取ろうと決めたのだろう。
       今風に当てはめると、老人ケアー、家族介護といえるであろう。その覚悟のほどが上記の引用記事である。

       ルツは自分の生まれ故郷を出るという。姑の国を自分の国と思い、姑の信じる神を自分の神とするという。さらに同じ墓に入りますという。徹底した献身である。捨て身である。自己犠牲である。この愛情が伝わらないわけがない。
       
       ナオミの国に同行したルツは、見知らぬ土地で落ち穂拾いまでして姑を養った。しかしルツの愛に甘え続けるナオミではなかった。ルツの真実を見逃す神ではなかった。その後のルツがどんなにすばらしい人生を送ったか、今は語りきれない。
       
       この物語の時代は、『めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた』退廃と無秩序の暗黒時代であった。
       他国人ルツが神の選民を向こうに回して神の愛を独占したのは、歴史の皮肉、神の警鐘であろう。
       
       ルツはイエス・キリストの予告編。
       系図的にはイエス・キリストの祖先となった。
       
       ちまたには他者への思いやり、親切心などと、うるわしい言葉があふれている。しかし言葉だけが先行しているような気がする。
       自分自身を顧みても、言葉だけで実質がともなっていない。恥ずかしい限りである。
       
       イエス・キリストのように、人の身代わりに十字架にかかることはとうていできないけれど、ルツのまねごとならできそうではないか。
       マザー・テレサにはなれないけれど、近くのお年寄りや、せめて自分の親には捨て身で係わりたい。

        ヨハネの福音書15章13節
        『人がその友のためにいのちを捨てるという、
         これよりも大きな愛はだれも持っていません』


      2006.01.15 Sunday

      日々の風から 汝の敵を愛せよ

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         今日の礼拝では新約聖書から【マタイによる福音書】が開かれました。
         説教題は『敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい』でした。

         これはイエス・キリストの山上の説教としてあまりにも有名です。キリスト教の代名詞のように思われています。文語調ですと『汝の敵を愛せよ』ですが、この句だけで世界中を一人歩きしています。しかし、なんと実行困難な教えでしょうか。
         旧約聖書ではモーセが『あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい』と教えましたが、イエス・キリストはより積極化しました。

         説教では、隣人とはだれだろうと、私たちはすぐ隣人選びをしてしまうが、隣人とは選ぶものではなく、それがどんな人であろうと、目の前にいる人が隣人である。その人を自分自身のように愛することであると、説かれました。

         これでも、実行困難です。これを完全に成し遂げたのはイエス・キリストだたひとりです。

        しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対するご自身の愛を明らかにしておられます』
         
         私自身を振り返れば、かつては神を神とも認めず、自分勝手に思うがままに生きてきました。そんな罪人の私のために、イエス・キリストは死んでくださったのです。

         難しい教えの前ではキリストの愛がいっそうくっきりと聳えて見えます。キリストの愛がわかったとき、実行の難しい教えでも、進んで励んでいこうと、上昇志向に変えられます。
         今週もみことばを熟読玩味しつつ、イエス・キリストともに歩んでいくつもりです。


        2006.01.15 Sunday

        日々の風から 今朝は春の朝のよう

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           昨日の東京は大雨、稲妻が走り、雷鳴まで聞こえました。真冬にこんなことってあるかしらと思っていましたら、ラジオが観測史上2番目の雨で47ミリ降ったと報じていました。

           今朝の町はまるでお風呂にでも入ったようにさっぱり、すっきりです。日差しも強く、一気に春の朝のようです。
            
           さあ、いつものように教会へ向かいましょう。花壇のパンジーもいっそう鮮やかな笑顔で迎えてくれるでしょう。
           日曜日の朝は、天からの希望の風が満ち満ちています。

            『天は神の栄光を語り告げ、
               大空は御手のわざを告げ知らせる』詩篇

          2006.01.14 Saturday

          日々の風から  雨のSaturday afternoon   

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             久しぶりの雨です。午後からは本降りになり、道路を打つ雨脚が新鮮に聞こえます。
            こんな日は外出を控えて本のページでも繰りましょうと、上げた腰を下ろして座り直しました。
             思いがけない詩に出会いました。
             今では知らぬ人のいない金子みすゞの小品です。
               
                 蜂と神さま

               蜂はお花の中に
               お花はお庭に中に
               お庭は土塀の中に
               土塀は町の中に
               町は日本の中に
               日本は世界の中に

               世界は神さまの中に

               さうして、さうして神さまは
               小ちゃな蜂の中に

              みすゞは神さまを蜂の中に見たのだと、説明がありました。
             
             みすゞのいう神さまは、天地宇宙万物の創造主であり支配者である、唯一の神さまではないでしょうか。詩人の感性の鋭さに驚くばかりです。
             
             私も、雨の音の中に、土曜の午後の静けさの中に、神さまを見たいと願わずにはいられませんでした。

            2006.01.14 Saturday

            聖書の風から  繁栄と驕慢、凋落と渇仰

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               士師記21章25節
               『そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分  の目に正しいと見えることを行っていた』

               
               満月のような日々が続くと、人はだれしも奢り高ぶり、闇夜のどん底に落ちると、自戒の涙に暮れ、神にまで助けを求める。それが人の悲しい習性だろうか。
               
               古代、イスラエルの民は艱難辛苦のはて、ようやく約束の地に入って、定住生活ができるようになったが、栄えてくると、大恩ある神を忘れて奢侈放縦に走った。
               外敵に攻撃、征服されてどうにもならなくなると、神に助けを求めた。すると、あわれみ深い神さまは見捨てるに忍びず、窮地から救われた。
               そんなくり返しの時代があった。しかし、それは歴史の一時期だけではないだろう。
               今も、小さな一個人の人生に至るまで同じ現象がみられるのではないだろうか。

              『……王がなく…』の王とは、私にとってなんだろう。
               自己中心に走るのを押さえ、戒め、正しく導いてくれる王とはだれだろう。
               私が喜んで服従できる王は、イエス・キリストである。 彼に従っていれば繁栄の時にも奢らず、嵐の日も希望の風を見つけることができる。

               ローマ人への手紙5章13節、
               『あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはい  けません。あなたがた自身とその手足を義の器として  神にささげなさい』



              2006.01.13 Friday

              世相の風 歌会始の歌から 再び少子化現象を思う

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                 12日、皇居で開かれた新春恒例の歌会始の儀で朗詠された作品を、あらためて活字で拝見した。真っ先にぐっと胸に迫るものが2首あった。皇太子ご夫妻のお歌である。

                   いとけなき吾子の笑まいにいやされつ 
                           子らの安けき世をねがふなり

                   輪の中のひとり笑へばまたひとり 
                           幼なの笑ひひろがりてゆく

                 
                親の愛をうたった名歌を思い出す。万葉集の歌人、山上憶良の一首を知っておられる方は多いだろう。

                銀も 金も玉も 何せんに 
                まされる宝 子にしかめやも

                親が子をいつくしむ思いは、貴賤貧富(こんな言い方は差別用語のにおいがするかもしれない)や時代を越えた美しいものだとあらためて思う。

                 そのいとしい子どもたちが生きにくくなっている。生まれにくくなっている。
                 生まない大人たち(個人的意志で)、生めない大人たち(身体的、状況的に)生ませない大人たち(社会的なある種の圧力)が少子化の原因を作っているとおもう。
                 政府は出産費用を無料にするための法律を考えているようだ。かねてから、まず何よりもそれが先決だと考えてきた。子どもの医療費も、せめて小学生の間は全額無料にしてほしい。
                 
                 少子化の壁は幾重にも層をなして立ちはだかっている。一度に突き破ることはできないだろう。でも多方面から多数のアイデアを出していけば、不可能ではないだろう。

                 何よりも小さな命を愛する愛が、女性だけでなく男性にも、日本中に、世界中に満ちることを願う。









                2006.01.13 Friday

                きのうの風から 超ミニ小説『来年の春には』  その2

                0
                  「みどりさん、あなたは、ほんとうに、私に来年の今ごろがあると思うの。来年の春なんて、私にあるかしら…」
                  「そう、ないと思えばないかもしれない。あると思えばきっとある。私はあなたの春を信じているわ。神さまにあって、希望を持ってる。希望は失望に終わらない、でしょ」
                  「……」
                   強気でたたみかけられて、咲子はまたひるんだ。口に出したかった。
                   ーーでも、知ってるはずでしょう。私のこの一、二年のことを。去年、病院の中庭の桜が散り尽くした四月十九日に、夫は死んだわ。一年八ヶ月、戦い抜いて……ーー

                   半年もしない内に咲子は子宮ガンの手術を受けた。初期ではなかった。いまだに術後の治療が続いている。ひそかに転移も覚悟しているのだ。

                   ーーみどりさん、あなたはずっとずっとそばにいてくださったわ、まるで小さなイエス様のようだった。
                   今の私には、外国よりも天国への旅を考える方が自然じゃないかしらーー
                   そう自答しながらも、天国はまだ遠くに思えてしまう。

                   里桜が満開になり、八重桜の枝が蕾でしなう頃、咲子は聖書の記事を思い出した。アブラハムの老妻サラを。
                  『来年の今ごろ……、男の子ができている』
                   サラは信じられなくて思わず笑ってしまった。神はサラの不信仰をたしなめられた。

                   あなたの春を信じている、希望は失望に終わらない。みどりの明るい声が響いてくる。
                   ーーそうね、希望を持たないのは神さまへの不信仰かもしれないわーー

                   咲子は、久しく開かなかったアンデルセン全集の一冊に手を伸ばした。(おわり)



                  2006.01.12 Thursday

                  きのうの風から 超ミニ小説『来年の春には』  その1

                  0
                     咲子は若い日からの信仰の友、みどりからしきりに旅の誘いを受けている。いささか辟易気味だ。
                     「来年の春にはぜひ実現させましょうよ」
                     みどりは海外に出かけようというのである。頻繁に電話してくる。会えば手を取らんばかりにしてくり返す。
                    「そうね……」
                     咲子はそのたびに語尾を曖昧にしてきた。胸がつまって、先が言えないのだ。

                     あなたにはわかっているはずよ。この一年の私の状況が。私に、来年の春があると、本気で信じているの。気やすめを言っているだけでしょう。

                     桜前線が日に日に北上している三月中旬の午後、咲子はまたみどりから言われた。
                    「来年の今ごろ、出かけましょう。よさそうなツアーがあるのよ。あなたの好きなアンデルセンの生誕地も入っているの」
                     アンデルセンと聞いて、みどりが本気なのが伝わってきた。それならと、声に出して訊いてみた。(つづく)

                    2006.01.12 Thursday

                    日々の風から  表参道から青山へ 

                    0
                       昨日は、青山で開かれている早朝のお祈りの会へでかけました。昨年から証し(自分の体験した神の恵みをお話しすること)の依頼をいただいていました。
                       地下鉄で表参道下車。東京でもトップクラスのファッションの町です。1,2ヶ月に1度は来ていますが、町の姿代わりは驚くほどです。今は地下鉄の駅が一大変貌中です。
                       
                       この祈り会はまず信徒が証をし、そのあと牧師が短く説教をします。
                       私は『忍耐力と継続力は神さまからの賜』と題して、神さまは、気が早くて、せっかちでイライラの多い私に忍耐という徳を付けさせるために、人との関係や病気や係わる組織など使って訓練してくださった。そのおかげで、一つのことを継続する力も養われたと、事実をあげてお話ししました。

                       続いて老齢のD教会の牧師先生は『あなたがたが神のみこころを行って約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です』と、説かれました。期せずして、忍耐の重要性が座を占領しました。

                       会が終わって、出席者の皆さんは、このような一致は珍しいと、鮮やかな神さまのお導きを喜び合いました。そして口々に、自分がどんなに忍耐力の欠けた者であるかと、話し始めました。

                       神さまは今も生きて、私たちのただ中で、働いておられるのがよくわかりました。
                       それは春風のような希望の風でした。

                       

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