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日々の風から

 待降節2週目の12月4日は、友人の牧会する教会へ招かれ、礼拝で聖書のお話をしました。天気予報は今冬いちばんの寒さとか。多少北西へ向かう地域なので今冬初めてロングコートを着込みました。念のため携帯傘も忍ばせました。

 中年時代にそろって聖書学院を出られた友人ご夫妻は、近年、長年のお仕事を潔く整理して教会運営と宣教の働きに専心しはじめました。すばらしい生き方だなあとまず、その志に感動します。まだ決して大きな群れではありませんが、ここを神の家、教会として集ってくる方々をハート全開で歓迎し、キリストの福音を伝えています。教会のお父さん、お母さん役に徹するご夫妻の姿は美そのものです。

 とは言え、神に仕え、人に仕えるとは、生やさしいものではないでしょう。ただの信念や理想主義や一時の熱心だけではとてもできないことです。時間も経済も家庭も、つまり人生そのもの、自分のいのちを注ぎ込んでいるのです。いったい、ここまでご夫妻を駆り立てる原動力はなんだろうと、単純な疑問が生まれてきます。

 察しますに、ご夫妻には過去に確かな神との出会いがあったのです。人生の暴風の最中で、神に出会い、助けられ、救われて、今日があるのでしょう。キリストの圧倒的な愛を実体験したのでしょう。神から無代価で受けたこのプレゼントを、今度は他の人にぜひとも贈りたいと願ったのでしょう。356日昼夜を問わず、キリストの愛を配達するサンタクロースに志願したのでしょう。
ちなみに私は『救いは神からの贈り物』という主題で語りました。
 
 クリスマスとは、神が私たちに、イエス・キリストというとてつもないプレゼントを気前よく無償供与された出来事です。

 
 帰途は霙まがいの冷たい雨が落ち始めましたが、不思議に寒さを感じませんでした。教会の交わりからいただいたホットな愛の風が私を温めていたのです。


日々の風から

 所属する教会のクリスマス行事がはじまりました。いつも皮切りは婦人クリスマス会です。12月最初の土曜日と決まっています。現役主婦、かつての主婦だけでなく、シングルの方もメンバーです。はじめに礼拝をささげ、その後は持ち寄りのパーティーをします。
 
礼拝では、今回は外部から一人の講師をお招きして貴重なお話を伺いました。三十代の女性ですが、かねてからの志を貫いて、来春エチオピアに渡るそうです。飢餓を救済する国際的な組織から派遣されていきます。現地の状況をスクリーンに映しながら語ってくださいました。世界の飢餓についてはメディアもよく報道していますが、実際にみてきた方が目の前に立って語られると、はるかに強く心打たれます。世界の飢えの現状は、1分間に17人(うち12人が子ども)、1日に2万5000人、1年間では1000万人の人が飢えのために生命を失っているとのことです。身震いするほどの数字です。
 
講師の女性は聖書のことばに迫られて決意をしました。
『世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう』。
神の呼びかけに素直に勇敢に従っていく姿に感動し、尊敬の念を抱きました。 
 
彼女のまねはとうていできないけれど、その働きが実り豊かなものになりますようにと、一同で神さまに熱い祈りをささげ、お財布を開いて支援に参加しました。持ち寄りのご馳走の一部は、入院中の教会員や介護の家族へと届けられました。こうした愛の行為の中にいると、心のなかに暖かい熱いものがあふれてきて、穏やかなやさしい思いになります。

クリスマスの主人公イエス・キリストは『あなたの隣人を、あなた自身のように愛しなさい』と言われ、ご自分のいのちさえ惜しみなく与えてくださいました。クリスマスには愛に満ちた希望の風が勢いよく吹いています。


日々の風から

 2005年のlast month 12月に入りました。12月のもう一つの名は師走といい、ふだん落ちついている先生まで走る多忙な月だからと、よくその由来を聞きます。先生でもなく、貧乏暇なしとばかり、いつもあたふたとしている私などはなおさらなのは当然なのかもしれません。でも、どこかで、忙しがって喜んでいる気がしないでもありません。
 
しかし本当のところ、12月は師走ではなく、クリスチャン走る月と言い換えたいと思うのです。教会は12月25日だけが特別の日ではありません。24日の燭火礼拝はもちろんのこと、子どもクリスマス会、ジュニアクリスマス会、青年クリスマス会、壮年クリスマス会、婦人クリスマス会、クリスマスコンサートなどなど、一つの教会だけでも5指をこえる特別なプログラムがあります。その他教会外のたくさんのキリスト教団体がクリスマスの行事をします。それらに参加したり、お手伝いしたりで、走り回ることになるのです。
 
そして、それがうれしいのです。楽しいのです。おなじみの讃美歌を口ずさみながら、12月は心弾む月なのです。12月には希望の風が軽やかな音を立てて生き生きとそよいでいます。神の御子、イエス・キリストが私ごときをまで救うために、降誕されたからです。


季節の風から・桜の紅葉

桜の葉が紅葉している。実を言うと、長い間桜は花と決め込んでいた。桜花散って若葉が見えてくるころになると、来年までさようならねとすげなく別れ、以後は立ち止まることもなかった。
 
歳月が過ぎて、歩くペースがダウンしたのか、ふと桜樹の紅葉に気がついた。なんという美しさであろう。すっかり見とれてしまった。桜樹は春は花で、秋は葉で、年に二度咲くのだ!

それからは、この時期になると外出の行き帰りに、遠回りをしても樹々の間を歩くようになった。桜花はほとんど一色だけど、紅葉の色合いは様々である。深い紅もあれば、黄葉も混じる。若葉から約半年、強風の日もあったろう、寒風の夜もあったであろう。暴風雨にも、長雨にも耐えたのだ。そう思うと桜花にまさっていとしさがこみ上げる。
 
人の一生だって桜花と同じだと思えてくる。青春だけが美しいのではない。熟年の美だってあるのだ。桜の一生を造られた創造主である神さまは、人間にも美しい秋を用意してくださっているに違いない。そう思ったら、そう信じたら、心に張りが出て、元気が出てきた。

聖書のことばが思い出された。
『夕暮れどきに光がある』
 

日々の風から

 27日の日曜日は、いつもそうしているように教会へ行って礼拝をささげました。今年はこの日曜日からクリスマスを待ち望むアドベント(待降節)に入ります。教会はこれから約一ヶ月間、様々なクリスマス行事に没頭します。私の所属する教会では礼拝後、いっせいにお掃除をして、若者や男性を中心に、クリスマスツリーの飾り付けをしました。皆さんのお顔がいつもより紅潮し、若やいで見えました。
 
今年のクリスマスは私にとって51回目になります。クリスチャンになって50年が経ちました。その間、様々な人生の苦楽を経験しましたが、クリスマスを教会でしなかったことは1度もありません。これは私の人生史を飾る美しいページだと思っています。

はじめに

ようやくブログにたどり着きました。長年愛用のワープロからパソコンにしたのが2000年、メールは2003年からです。そして、今年2005年晩秋にブログというわけです。ITには弱い年代ですが、幸い、娘たちが世話役を負ってくれますので安心です。

ブログ名【希望の風】は私のニュースレター名からとりました。
由来は聖書のことばです。『希望は失望に終わることがない』と『風は思いのままに吹く』を結びました。風は天地創造の神、愛と赦しの神イエス・キリストと聖い霊を表しています。
 人生稼業は60年を越えましたが、希望の風のつばさに乗り、ブログの世界への旅立に、夢膨らませ、胸をときめかせています。



〜希望の風の紹介〜

人生の逆風の中で見つけた希望の風を、
小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。


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