風の仲間たち 立春から一週間

  • 2015.02.12 Thursday
  • 09:30
風の仲間たち 立春から一週間
 

一月は一日一日が遅く感じましたが、二月はすでに十日を過ぎ、あたふたとしています。
 
立春の朝に旅立った老聖徒の最期や葬儀の様子を、じかに係わった友人から直接に聞くことができました。昨今、神さまのお働きをもどかしく感じる不信仰に陥っていたのですが、友人が間近で遭遇した出来事は、まるで奇跡の連続、生きた神様の御業がいくつも重なっていて驚くばかりでした。
 
私のさもしい根性のせいでしょうか、神様は私の願っている周辺ではじっと座っておられ、遠くのほうでは生き生きと立ち働いておられるのだと、不公平感さえ抱くことがあります。
いえいえ、そんなことはないのでした。主は一見、沈黙しておられるように思える事柄の内にも働いておられ、人には測り知ることのできない御心で着実にご計画を推進されているのでした。そのことを改めて思い直し、不信仰をお詫びし、信じ直し、主の御名を賛美しました。
 
老聖徒はこの冬は越せないと医師に宣言されていました。ご家族は悩みつつも、年明けてついにご本人に告げたそうです。そうかとうなずいて静かに受け入れ、寝込むほどでない時は、いつものように奥様との生活を続けておられました。
 
突然のように天に帰ったその前日、H老兄は新車を購入し、銀行に行って支払いを済ませ、車のキーは自宅の玄関のキーといっしょにしてあり、上着のポケットに入っていたそうです。たぶん、運転しただろうとはご家族のことばです。机の上には完了と大きく書かれた車の請求書が乗っていたそうです。H老兄の心の内は見当もつきませんが、明日のことは主に全くお任せして、最後の覚悟をしつつも、昨日と同じように今日を過ごしたのだと思います。
 
老聖徒はわずか一年半前に、遠方に住むクリスチャンのご子息が、わざわざ教会を訪ねて、老夫妻を導いてほしいと依頼してこられ、以後、教会の熱心な祈りの中で伝道が行われ、わずかの間に信仰告白にまで導かれ、洗礼の恵みに与ったのでした。その後、嘘のように体力が回復し、昨年の真夏には、明日をも知れない82歳の老体にもかかわらず、重い草刈り機を持ち出して教会の駐車場の雑草を除去する奉仕をされたそうです。その時の汗まみれの中の笑顔がまぶしかったと友人は聞かせてくれました。
 
この地方は告別式、その後の火葬のあと、すぐに納骨までするそうです。すべて終わって親族だけが残った時、孫の一人が、まだ残っていた牧師に、求道中のまま長く怠っていた自分に気が付き、経緯を話し始め、今日、ハッキリさせたいと意思表示をしたそうです。そして、両親を初め親族の集まる中で、涙の悔い改めをし、イエス様を受け入れ、帰ったら無沙汰をしていた地域の教会に行くと告白しました。なんという御業でしょう。まるで絵に描いた話のようです。どこかで聞いた話のようです。救いのモデルパターンのようです。こんなことが現実にあるのです。老聖徒は最大、最高の伝道をしたのです。用いられた牧師と教会は主の栄光を目の当たりし、主の聖名を心から崇め、賛美したそうです。私もハレルヤ!
 
 

風の仲間たち 竹馬の友とのランチはお鮨

  • 2014.12.04 Thursday
  • 09:16
風の仲間たち 竹馬の友とのランチはお鮨



かつて、向こう三軒両隣の近さで戦後まもない時代を過ごしたS子さんと、今でも時どき会っています。60年以上の友です。辞書の定義通りの竹馬の友、幼なじみと言えるでしょう。けんか友達でもありました。今は他の区に住んでいますが遠くはないので、わりに頻繁に電話がかかってきます。お昼やお茶をいただきながら、身辺のよもやま話をし合います。待ち合わせ場所はたいてい浅草です。次に多いのが銀座、上野。下町っ子なのです。
 
とはいえ、S子さんは、ひところは年に何回も海外を旅し、日本の百名山を何十と征服し、ミステリーの本は今や海外ものも含めてほとんど読みつくし、いまだに趣味は数学の難問を解くこと、他の友人と古事記や日本書紀を読み合っている宇宙人的女性です。クリスチャンではないので、私にとっては数少ない貴重な未信の友なのです。
 
私と会うときは浅草が多いのは、私に合わせているのでしょう。私には好都合な場所です。今日も、スカイツリーの足に触るようにして浅草に行きました。S子さんは今日は何を食べたいかと必ず訊きます。たいてい私の言う通りなのがおかしいのですが。私はあらかじめ考えておきます。今や、料理は決まってしまいました。お鮨、天ぷら、中華の三種類をその時の気分でいただいています。今日はお鮨です。お店も決まっています。笑えるほどに同じことを繰り返しています。食事の後は浅草の時は新仲見世通りをまっすぐに進み、オレンジ通りと交差する角の舟和の本店に行きます。喫茶室があります。さすがに名物でも「いも羊羹」は無視して、コーヒーをいただくのです。ミスマッチかもしれませんが、メニューにあるのです。
 
S子さんがしみじみと話したことが胸の中に留まっています。
「いつのまにかこんな年になってしまった。やりたかったけど、どうしてもできなかったことがいくつもある。しかしいまさらどうにもならない」と。私も同感です。あの戦後の混乱期です、一般庶民の家は皆一様に貧しかったのです。例外はあるでしょうが。大学へ行くのすらわずかの人でした。S子さんは超優秀で勉強の虫、がむしゃらに勉強して現役でT大へ入りました。それでも、もっともっと専門に進みたかったと言います。しかし働かざるを得ませんでした。それは私も同じで、見果てぬ夢がいくつもあります。しかし、クリスチャンになって、無い物ねだりをする我執から解放されたことは何よりの幸いです。
 
S子さんは50代でご主人を亡くしました。息子と娘はそれぞれ結婚し、今やお孫ちゃんもいて、暮らしは独居ですが、そこそこの戸建ての家があり、悠々自適、健康そのものでしかも健脚です。かつての職場のお仲間といまだに軽い登山はしているようですし、町歩きも相当にこなしています。明日は、新聞に掲載中の「三四郎」が歩いた千駄木、根津、谷中界隈を歩くと言っていました。一方で「最近、ミスが多い。忘れ物や落し物が多い。この先どうなってしまうのだろう。自分に自信がなくなる」と不安げです。それはお互い様なのですが、自分だけが頼りの人生観、生き方には限界があるなあとつくづく思いました。
 
S子さんは私がキリスト信者であることをよく知っています。ですから、日曜日に誘ってくることはありません。今では、あなたは行けないわねと、こちらが断る前にその一言が自然に出てきます。私の食前の祈りの間は、有声の時も無言の時も静かに待っています。私の方がいくつか年上ですが、いつか彼女の心が干からびて荒野に伏すような時があったら、神の愛のいのちの水を差しだしたいと祈っています。
 
帰り際に、S子さんは息子が立ち寄っておいて行ったからと、キウイの袋を渡してくれました。私は、友人から送られた掘りたてのさつま芋数本を手渡し、じゃあねと、次回には触れずに別れました。たぶん、新年も終わって立春を過ぎたころだろうと推測しています。
 

風の仲間たち 天に帰ったS姉の蒔いた種と実

  • 2014.08.23 Saturday
  • 09:48
風の仲間たち 天に帰ったS姉の蒔いた種と実
 
私の教会で、私より信仰歴が長くて存命しておられる兄姉は私を加えて5名しかいません。改めて数えてみて驚いてしまいました。現在、60名ほどの教会員が毎週礼拝を守っていますが、5名以外は、80歳、90歳以上でも私よりあとに教会員になった方々です。あとは年齢の若い人たちです。その、5人の内の一人のS姉が月曜日に天に帰られました。
 
S姉は子育てを終えて、これから第二の人生を始めようとする時、突然のように病に倒れ、20年以上施設にいることになってしまいました。ですからこの世の物差しで測ると決して幸福な人生だったとは言えないでしょう。一番親しいご主人や子ども、孫たちとも頻繁には会えなかったし、会っても元気に交わりができる状態ではなかったのです。教会にももちろん来られないので、ときおり、婦人会の有志たちが施設へ慰問し続けてきました。しかし、こんなに急に召されるとはだれも思わなかったのです。ですから、私たちは一様にびっくりしましたが、神様だけが一番良い時をご存知で、よい日を選ばれたのだと考え直しました。
 
S姉のご主人は先の5名の中のお一人で、最高齢です。3人のご子息はそれぞれご家庭を持って別に住んでいますから、ご主人は長い間一人暮らしをしています。息子たちは教会員ではないので、お葬儀はおそらく家族だけで教会とは関係なく行うのだろうと思っていました。ところが教会を会場にしてすることになりました。これは私には予想外でしたが、長年教会生活をしてきたご主人とS姉妹の信仰の表明であり、それに息子たちが賛成したのでしょう。
 
前日の午後、私は牧師夫妻とともに、S姉妹のお宅へ伺い、納棺式に立ち会いました。驚いたことに、夫妻のマンションのお宅には、あふれるほどの人たちがいたのです。S姉は20年も施設にいたのですから、日ごろは忘れられた人で、お気の毒だとさえ思ってきました。もともとS姉は6人きょうだい、夫君も地方に一族がおられ、その関係だけでもかなりな人数になります。また、夫妻は男ばかり3人の子どもがおりますから、お嫁さん、孫たちも集まっていました。部屋の奥に、色とりどりの花かごに囲まれて眠るS姉はさぞうれしく満足したことでしょう。なによりも私はうれしくて、こうした場を設けられた神様に感謝しました。
 
3人のご子息たちは赤ちゃんの頃からご夫妻に抱かれて教会につどっていましたから、ふいっと、〇〇くん、□□ちゃんと自然に呼んでしまったほどで、ここ30年ほどの空白は嘘のようでした。告別式にはさらに多くの親族、知人が会場の教会に来られて、近頃にない大勢のお式になりました。S姉は、教会が設けていた幼稚園の初代の教師でしたから、地域からもかつての園児やかつての父兄が参列していて、それにはまたびっくりしました。私はその幼稚園の最後に奉仕した者ですので、懐かしいお顔にも出会うことができ、私まで恵みのおすそ分けに与りました。
 
S姉妹の蒔いた種が確実に成長しているのを目の当たりにして、考えることがたくさん与えられました。姉妹を通して働かれた神のわざは決して終わってはいない、種はさらに成長し続け、実をつけるはずです。種を蒔く人と、収穫をする人は違うでしょう。それぞれに担当があります。大切なことは働きを継続させることです。
 
S姉妹から働きをバトンタッチした者として、地域におられる隠れた主の種を見つけ、もし、なにか栄養分が足りないのなら施さねばなりません。それが後継者の働きの一つでしょう。さしずめ、私は一人の老女性と懐かしい再会をしましたので、できるだけ接近し、もういちど主の教会への道を整えたいと強く思い願いました。S姉の大切な人でもありましたから、天国で永遠の再会ができるようにと願います。もしかしたらS姉はその宿題を出して行かれたのかもしれません。ちょっと難題ですが、主に導いていただいて挑戦したいと思います。
 
『一粒の麦、地に落ちて死なずばただ一つにてあらん。もし死なば、多くの果を結ぶべし』
ヨハネ1224
 
 

風の仲間たち  手術を拒否して

  • 2014.07.12 Saturday
  • 11:36
風の仲間たち  手術を拒否して
 
信仰歴も年齢も数年上の尊敬する友が、70歳を過ぎてから数回大きな病に見舞われた。
最初は脳梗塞だった。再発した。しかし数年をかけて治療とリハビリでほとんど以前と変わらない回復をいただいた。お若いころのように姿勢よく軽やかに歩く。多少歯切れが悪いが、はっきりと大きな声でスピーチもなさる。2年前は、筋肉の病気になった。この時は食事も摂れなくなりすっかり痩せて別人のようになり、筆談する始末であった。しかし頭ははっきりしておられた。全て乗り越えて回復された。
 
最近、顎にガンが発生した。正式な病名は忘れたが、ほほの下に大豆粒ほどの赤い腫物がある。最初、手術すると聞いた。しばらくお会いしなかったが、礼拝に見えた。兄は皆に報告した。名のある医療機関の2つ、3つで検査したが、一様にすぐ手術すると診断された。術後のリスクも調べたがどうしても手術する気になれない。リスクは日々の生活にかなり支障をきたす。この年齢まで生きてこられた、生かされてきた、もう、なにがあってもいい、だから、手術をしないことにした、この先は神さまにゆだねると、いつものようにきっぱりと、
しかし確信をこめて語った。患部は痛くも痒くもないそうだ。
 
私は厳粛な気持ちで友の決断を聞いて、しっかり胸に収めた。私だったらどうするか、今は何も言えないが、友の選択に大賛成である。潔い信仰の勇気に感動したのである。私は友のそばに駆け寄って、主の最善を力いっぱい祈るからと声を掛けた。
 
信仰のある無しに係わらず、決断はいつも個人の意志である。決断に至る過程において、信仰は大きな役割をする。生死を握っておられるのは全能の神であること、神のお心ひとつで、生かされもするし、死ぬことにもなる。人間の努力を越えた神の領域はお任せするしかない。愛である神様は、一人一人にとっての最善をなさるのだ。友にはそれが分っている。
何よりも貴い、心の平安をまずいただいている。大きな戦いに向かう友に、神様が備えた恵みであろう。
 
私は私の信仰で、このかけがえのない友が病魔から勝利して、まだまだしばらくこの地上に生きてもらいたいと、信頼する神様に命乞いをするつもりだ。
 

『私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません』
   ローマ
83739

風の仲間たち 一通のメール『日々忙しくて感謝』から

  • 2013.06.06 Thursday
  • 15:00

 

SMSメールが飛び込んできた。「日々、何かと忙しくしていて、感謝です」とあった。忙しくしていて感謝とはーーー。深く胸にとどまった。姉妹は忙しいことを感謝してるんだ、とあらためて思ったからだ。私などは雑用に追われていると、いつのまにかしかめっ面になり、ブーブーと不満の笛を鳴らしてしまう。


姉妹の笑顔が浮かんだ。行動派である。じっとしているのが好きではないのだ。かといって、おしゃべりする時は、どっしりと腰を据えて、いちばん多く話しする。時の経つのなどお構いなしだ。もっともおしゃべりも行動の一部かもしれないが。ご主人は足腰を痛めてほとんど在宅である。リハビリを兼ねて週2回はデイサービスに行かれる。そのお留守の間が姉妹にとっては、快適なフリータイムなのだ。もちろん、理解のあるご主人だから、在宅の日々も姉妹を決して拘束しない。姉妹は蝶のごとくひらひらと、習い事に、教会奉仕に、学びにと、花から花へと飛んでいく。「何かと忙しくて感謝」と喜々としておられる。

 

ふと、私と同年齢前後の、親しい友人10名を思い出して、聞いている限りの姉妹たちの日々を思ってみた。私のようにシングルは2名。お一人は生粋の独身貴族。お一人は5年前からメリーウイドウになられた。あとの8名のうち、ご主人と二人暮らしが5名、同居のシングルのお子様のおられる方が3名で、孫と同居の方はいない。ご主人様方は全員リターアーされて在宅である。8名の男性のうち3名はデイサービスを利用しておられる。因みに年齢は60代後半から70代なかばである。デイサービスへ行かれる3名の方々は、病歴があり、現在も少なからず闘病中である。ご家庭でのお世話が大変な姉妹もおられる。

 

10名の女性たちは、それぞれに家庭の事情を抱えながらも、特別な病気はなくすこぶるお元気である。老親と同居している方はいない。4名の姉妹が、施設の親たちを時々見舞ったり、別に暮らす親を覗いたりしている。後の6名は介護の戦いはすでに終えてしまった。

 

「忙しくしていて感謝」とのメールから、思いが四方八方へはじけてしまったが、忙しく動けることが感謝とは、今の状況を積極的に受け入れて、明るくたくましく生きている証しなのだ。この際、忙しいことの内容は問うまい。絵に描いたような楽しいことばかりでないことは確かだ。泣くことだって、怒ることだって、しょんぼりすることだってあるのだ。それも忙しさの範ちゅうであろう。

 

エネルギッシュな友の便りに励まされて、目の覚める思いがした。心の隅に立ち込めるいくつかの暗雲に気を取られてはならない。雲はとどまってばかりはいない。やがて動く。いつか消える。後に残って動かないのは澄みわたる青空である。青空は消えない。動かない。

 

 

 

 

 

風の仲間たち 追悼号のご案内

  • 2013.05.20 Monday
  • 12:24
 

浅間

 

走り梅雨というのだろうか、たっぷりと水量豊かな大粒の雨が勢いよく傘を叩く。柄を持つ手にまで飛び散ってくる。道路の小さな凹凸に流れこみ、あふれている。快い降りである。

 

322日、満開の桜日和の日に天に帰られた、日本クリスチャン・ペンクラブ理事長池田勇人師を偲ぶニュースレター「追悼号」を発行した。会員たちそれぞれが、胸の奥に刻みこんだ先生を筆に載せた。A4版で6頁に及んだ。

 

興味のある方はペンクラブのHPからお読みください。

http://jcp.daa.jp/  (リンクしてます)


追悼とは、どの時期が最適なのだろう。追悼に、賞味期限はあるのだろうか。確かに日が経てば立派なものが作れるかもしれない。言い訳の言葉は拙速を免れませんがーーーである。

 

 

 

風の仲間たち 我が友、高齢の姉妹たち グループホームのK姉

  • 2012.11.27 Tuesday
  • 15:03
 

201211271106001.jpg

 
今年6月末、高齢者の症状が著しくなった一人暮らしの
K姉が、新設のケアー施設の中のグループホームに入居した記事は、すでになんども掲載しました。あれから5か月が経ちました。暑かった夏もすぎ、すでに冬です。施設暮らしの様子をお知らせしたいと思います。

 

入居当初はこの先どうなるのかと、教会では皆でひそかに心配し合いました。私は施設の近くですから、毎日のように訪問しました。教会への送り迎えも時にはしようと思っていましたが、暑い暑い夏がやってきて、K姉は少しづつ歩くのが辛くなってきました。熱中症の危険が声高に報道されるようになり、もしものことがあってはと、夏の間は、車で送迎することになり、日曜礼拝と木曜午前の祈祷会は、運転のできる方々が手分けしてするようになりました。

 

私は、何度か訪問しているうちに、職員の方々が実に行き届いたお世話をされ、ホームにいる限り何の不自由もないこと、外からの手は全く必要ないことがわかりました。ホームと公的なやりとりは地方におられる甥御さん夫婦がいっさいされており、かつてのように教会員があれやこれやと手出しすることは不要になりました。もちろんそのためのホームでもあるのですが、ホームに入居するとはこういうことなのだと、改めて知り、安心しました。

 

K姉は、ホームを嫌がる様子はありませんでした。時々、元の住まいにいろいろ物を置いてきているから早く帰らねばと言ったこともありますが、それはほんの初期の頃だけでした。

いまではアパートの前を通ってもなんの反応も示しません。無理にがまんしているようには見えませんので、忘れてくださったのだと感謝しています。教会で会うと、とってもいいところだし、みんな親切で、同じような年齢の者たちばかりなので話が合って楽しいと言われます。それを聞くとまた皆でホッとしました。

 

施設では定期的に健康のチェックがあり、時に医師の手が必要な場合には、あらかじめ医師と契約をしておけば、その都度出張してくださるそうです。つい先ごろは歯の具合が悪くなりましたが、歯科医は診療設備つきの車で往診し、すっかり新しい入れ歯になりました。至れり尽くせりだと感心したことです。医療費は別に発生するのですが、ホームから保護者の方へ通知があるとのことでした。

 

姉妹はごく自然にホームの人になってしまいました。教会へはきちんと出席されています。もちろん送迎は一仕事ですが、もう、徒歩での往復は無理になりました。生活全般も以前のように細かなところまでお世話することはありません。しかし、教会で毎週会っていても、かなり老化が進んでいることは確かです。しかし特別に命に係わる大きな病があるわけではなく、だれでもたどる老いの道を、最高の生活環境の中で、静かに明るく過ごしておられることもまた確かです。神様はK姉に《良くしてくださっている》いるのです。

 

風の仲間たち 天に帰った教友・今夜は前夜式

  • 2012.10.05 Friday
  • 10:11


コスモス



まだ62歳である、地上を去るには早すぎるではないか。しかし姉妹の最期の言葉は『神様の御心のままにゆだねています』の一言だった。覚悟の言葉である。姉妹にはこの数年、壮絶な病魔との戦いがあった。発病、手術、そのあとの厳しい治療、再発、手術不可能、治療と副作用との苦闘が続いた。しかしどんなに化学療法をしても苦しいだけで病巣は消えなかった。

 

姉妹はある時決断した。一切の医療行為をやめようと。しかしそれは今までの医師と病院のと決別することなのだ。医師の指示に従わない、治療も拒否するとは、病院も医師も無視することだからこれ以上係わることはできないとのことなのだ。医療者としてはそうかもしれないが、せめて経過観察くらいはできないのだろうか。それは今の医療制度や習慣では通らないらしい。私にもその経験があるが。とにかく病院を変えるしかないのだ。

 

姉妹は、生活の質、QOLを優先した。何もしなければ一日一日平穏に過ごせる。その日々を大切にしたいと思ったのである。食事や運動や自然療法を積極的に採り入れ、特に温泉療法には真剣だった。楽しみもあったのだろう。が、東日本大震災後はふっつりとやめた。

 

そのころから、体調が狂いだした。自宅近くの病院を訪ね、自分の意思を告げた。検査だけが続けられた。確実に悪化していった。酸素補給の装置を持ち歩くようになった。それも無理になり入退院を繰り返した。8月の初めにも入院したが、今までのようにすぐに退院にはならず、ベッドが空き次第近くのホスピスへと進路が決まった。

 

8月下旬に私はモンゴルへ旅した。同行の旅ともはお住まいが病院の近くだったので、何かとよく見舞っていた。私たちは姉妹の最期には間に合わないだろうと(口には出さなかったが、帰国して早速病室を訪問し、意外にお元気な姉妹のお顔を見てほっとしてからささやき合ったが)気持ちを引き締めながら、旅の間中、朝に夕に祈り続けた。

 

モルヒネとステロイドが投与され、一時期驚くほどお元気になった。食欲も出てきて、車いすでご家族と外出し、食事し映画まで見たと聞いた。姉妹も薬の効能に驚いたようで、このまましばらく元気でいられると本気で思ったようだ。来年3月に生まれる初孫に会いたいと言われた。姉妹の欲心を見たのは初めてであった。胸が痛くなった。

 

924日にスカイツリーが真正面に見える錦糸町のホスピスに転院された。見舞ったとき、大きな窓から見える空に目を馳せながら、空を見ているのが最高に幸せと言われた。手を取り合って祈り合って、また来るねと別れたが、また来る日がもうないとは、そのときは微塵も思わなかった。主はあえて地上の日を縮められたのだろうか、そんなことはあるまい、すべては主の最善であったのだ。神の時であったのだ。姉妹もこれでよし、御心を感謝しますと微笑んだに違いない。思えば潔い人であった。また、妥協しない人生を選んだ人であった。


       『わたしの時は 御手の中にあります』 詩篇31・15


人のプライバシーに深く係わることではあるが、敢えて書かせていただいた。この世の旅の仲間、主にあるかけがえのない友として、御国で会える友として、長く記憶にとどめておきたい。希望の風の仲間として。

 

モンゴルの写真を数枚持っていったとき、これが好きと言われたコスモスを掲げます。

風の仲間たち ホームの親友

  • 2012.08.13 Monday
  • 23:05

 

隣人だった教会の老姉、私の親友が近くのグループホームに入居したことはこのブログでたびたび物語ってきました。最近ちらほらと、老姉の様子が知りたいとコメントが寄せられています。老姉はブログでも人気者になってしまいました。そうなのです、どこにいても愛され慕われる神様の器なのです。

 

老姉というのも変ですし、我が隣人と呼ぶのも物理的にそうではなくなりましたので、今後はホームのK姉と名付け、そのようにお呼びします。それともホーム内の住所をとって、かえで一番地のK姉としましょうか。

 

K姉のお世話はもう何もないのです。すべてホームがしてくださいます。もちろん、事務的なことや身体の異常などがあれば保護者になっている地方の甥御さんに連絡があるのです。その状況によっては教会の私たちも動くことが必要でしょうが、いまのところ全く何もありません。

 

K姉は、日曜の礼拝と木曜午前の祈祷会には、車を持っている兄姉たちが連絡し合って送迎をされています。週二回は教会で会えるのですが、一対一で話すことはあまりありません。安否の声掛けくらいです。そこで私は週に一回はホームへ行こうと思い、そうしています。もちろん用事はないのです。顔を見るだけです。座り込んでおしゃべりするほどでもありません。

 

たいてい、夕方涼しくなってから行きますと、あちらも夕飯の準備です。リビングに皆さん集まってきており、職員さんたちが料理をしたり配膳をしています。そこに私は会いに行きます。姉妹は私を見つけると、「おおっー」と元気よく手を振って飛んできて、上がって、上がってと喜びます。

 

職員さんがすぐにスリッパを出してくださいます。玄関先で立ち話をしてすぐに失礼することもありますが、上がり込んで皆さんと同じテーブルに座すこともあります。K姉は、ずっと前から暮らしているように自然に振舞っています。職員さんは親切だし、みんな同じような年寄りなので話が合うし、楽しいわというのです。

 

ふと、新人を見ました。おやっと思って一瞬考えました。町でときどき見かける老女性でした。ああ、あの方もここに入れて、よかったなあと思いました。

 

しかしその老女性は、落ち着かない不安いっぱいの顔をして、ここにいてもいいの、どこにすわったらいいのと、そればかりを繰り返していました。心に平安がないのだなあとお気の毒になりました。親友K姉が安心しきって喜々としていられるのは、姉妹の魂の内にイエスキリストの御霊が宿っているからだと、つくづく実感したことです。

 

姉妹を訪問した帰途は、私の心は限りなくすがすがしくうれしくなるのです。私が姉妹を見舞っているのではないのです。私が慰められ元気づけられているのです。なぜでしょう。風です、姉妹の周辺には希望の風がそよいでいるのです。

 

 

 

 

風の仲間たち 我が隣人旧宅明け渡し

  • 2012.07.21 Saturday
  • 09:55
 

畑の歌1

  


教会の老姉、我が隣人が近くの高齢者施設内のグループホーム入居して3週間過ぎた。今日で二年半姉妹の城であった旧宅をオーナーに返還する。ホームは体ひとつで入っても十分生活できるようになっている。大きな家具はいらない。コンパクトな収納設備が備えられているし、冷蔵庫もレンジも炊飯器もいらない。もちろん洗濯機も。エアコンも暖房機も不要である。教会の兄弟姉妹で一つ一つ選別し、衣服や履物その他愛用の物だけを運び出して、あとは産廃業者に全部お任せすることにした。地方からただお一人の血縁である甥御さんご夫妻が何度も上京しては係わってくださった。何一つトラブル事もなく無事に今日に至った。

 

たった一つ私の手元にあった合鍵もオーナーへお返しした。もちろんのことであるが。まさかの時のためにと、隣人の私が預かっていた。忘れてはいけないと、教会用のバッグの内ポケットに収めておいたのだ。思い出して時々確認することもあった。しかし、ただの一度も使うことはなかった。なんと感謝であろう。

 

新居であるホームの一室に移った姉妹は至ってお元気である。木曜日祈祷会と日曜日の礼拝時には代わる代わる送迎する。その合間にも、近くに住む私は夕方のお使いがてら訪問することもある。姉妹は大喜びで、遠いところをありがとうと、恐縮しながら迎えてくださる。遠いところへ引っ越したような感覚があるのだろう。事実、そのあたりは再開発されたところなので、土地勘のある私でも一瞬知らない街に来たような気がするほどだ。

 

旧宅へ帰りたいとも言わない。ここの皆さんは親切にしてくださるから感謝だという。さらに、皆同じような年寄りだから、昔話をしあって楽しいと言われる。思っていた通り、姉妹は環境順応力が抜群であったのだ。残されている能力を発揮して、お元気でホーム生活を続けてほしいと願う。

 

暑くなったせいもあるだろうし、行動範囲が施設内だけになったためか、足元がおぼつかない。急に足腰の衰えが見える。転倒の危険も無きにしも非ず、徒歩で教会を往復するのは無理と感じた。そこで涼しくなるまで、車で送迎できる人がお世話しようと話し合った。

 

秋になったらーーーまた、姉妹と歩こう。ふと、そんなことができるかしらと、希望の風が消えてしまいそうな不信仰風がよぎるが、主だけがご存じのことによけいな詮索はやめよう。

 

 

 

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