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世相の風から 真夏の饗宴その2 大雨のオリンピック閉会式

世相の風から 真夏の饗宴その2 大雨のオリンピック閉会式

 

台風9号で東京は土砂降り。外出もあるが緊急ではないので控えることにした。ふと、思いついてリオ・オリンピックの閉会式の生中継を観ることにした。最後の最後で生を観た。あちらも激しい雨が降っていたようだ。あの会場は青天井なのだとわかってびっくり。東京はどんな会場になるのだろう。当然屋根があると思っているけれど。

 

オリンピック旗を受け取った都知事の和服がびしょ濡れになったのではないかとつまらぬことに気が走った。和服姿はよかった。たぶん和服だろうと予想されていたようであるが、色まではわからなかった。赤ではないかとの予想もあったが、あの会場では赤は平凡だ。飲み込まれてしまう。真っ白ではない、薄いグリーンがかっていたように思えるが、それに金の帯が引き立った。よく考えられたのだろう。いざというとき、やはり和服は特別な役割をする。もっとも私が日本人のせいもあるだろう。それにしてもブラジルは雨の国なのだろうか。聖火を消すのに滝のような雨が用いられた。

 

テレビではあるが、長時間、趣向を凝らしたショーを観て、大いに愉快だった。オリンピックの功罪は多々あるだろうが、小さいようで大きい地球上の、ふだんはなじみの薄い国々の人々が、一堂に会するのは大きな意義があると単純だがそう思う。人と人を隔てる宗教、人種、信条、貧富などの不幸な壁をいっときでも脇に置いて、一つになれるのはこんな時しかないだろう。そこには世界の平和に向かう小さくとも新しい発想やアイデアや友情の種がまかれるにちがいない。私はそのように信じ祈ります。

 

 

 

 

 

 

 

2016.08.22 Monday 12:29 | comments(0) | - | 

世相の風から 戦後71年 争いのない世界を

世相の風から 戦後71年 争いのない世界を

 

 

世界中を巻き込み、日本の国が大敗した先の戦争から71年。

その歳月とともに生きてきて、当時とその後の10年、20年、30年を振り返ると、

現実のこととは思えないほど遠い日の気がする。

記憶もおぼろの幼い時だったせいもあるかもしれない。

 

この71年、世界はさておき、日本の中では戦争と呼ぶ出来事はなかった。

平和の定義は多様だが、戦争のないことをその一つにすれば、日本は平和であった。

いまも平和である。

そしてかろうじて安全でもある。

 

世界からは「水と安全はただ」の国としてうらやましがられてきた。

平和のありがたさ、戦争のないことの幸せを噛みしめた人たちが亡くなっていく。

戦争を知らない人たちが政治を司るようになっている。

世界の情勢もそうである。

あちらこちらで、当時以上の惨劇が繰り返されている。

だから、だから、いざというときのために戦える備えをしていいのだろうか。

法律を変えてまでそうするべきなのだろうか。

 

真の平和が末永く保持されるように、日本のため、世界のため、祈り続けます。

2016.08.15 Monday 17:13 | comments(0) | - | 

世相の風から 真夏の饗宴 都知事選終わる

世相の風から 真夏の饗宴 都知事選終わる

 

 

今回の都知事選ほどまじまじとその経緯と付き合ったことはなかった。なぜだろう。もともと政治には音痴のひとことで平然と片づけてきた。ところが昨今、特に今回は自分としては深入りしている。大きな原因はネットでニュースを見ていることだと思う。いつのまにかネット―サーファーになっていた。これはよくない。大波に飲み込まれない前に引き上げようと思うけれど。

 

劇場型選挙はどうのこうのとその賛否は両論あり、良し悪しもあるだろうけど、候補者の政策などを熱心に読んだり、演説会に行ったりはとてもできないので、映像で手軽に見聞きできるのは大変ありがたい。またリアルタイムでハプニングも飛び込んできて、下手なドラマを見るよりずっとスリリングだし迫力もある。

 

候補者たちの活動を目の前に見ていると、おのずと伝わってくるものがある。その人の中身まで見えるものだ。怖いほどよくわかる。また応援?する人たちからもドラマが起こる。品位なきパワハラ、セクハラめいた毒舌合戦には嫌気がさしたが、無責任かもしれないが面白かった。近県の友人たちが、私も一票を投じたいと叫んでいたがさもあらん。私は痩せても枯れても、いや、老いても一票があるのよと、胸を張って朝早く投票所に行った。

 

かくして東京中を、いやおそらく日本中を巻き込んだ都知事選は終わった。300万票に近い票を獲得して新知事になった百合子さん、頑張って、大いに頑張って、みなと協力して、一身賭けて、投げ捨てて、都政に励んでいただきたい。

 

 

 

 

2016.08.01 Monday 22:19 | comments(0) | - | 

世相の風から 人気アイドルグループ解散騒動  

世相の風から 人気アイドルグループ解散騒動  
 
芸能界音痴の私でも耳に、眼に、入ってきたこの騒動は日本中を巻き込んだ一大事件のようだ。国会で総理大臣が触れるほどとは、一体なんだろう。狭い小さな日本ならではのことなのだろう。人気のあるすばらしいグループだからとか、それはさておき、日本という国を象徴する現象ではないか。当時者、関係者にとっては重大問題だろうけど、野次馬にとってはこれほどたまらなく美味しいエサはないであろう。私もその一人、いつの間にか、今後を興味津々で見ている。
 
 
2016.01.20 Wednesday 21:55 | comments(0) | - | 

世相の風から 友人が国会前のデモに

 
世相の風から 友人が国会前のデモに
 


台風11号が荒れる中、東京もときおり激しい風雨が地をたたき、傘を広げるのも危うい2日間でした。友人知人たちとそれぞれにメールで連絡を取り合いながら国会の動きを探りつつ祈り合ってきました。これからも祈って行きましょうねと、残念な結果を嘆きつつまた励まし合いました。四方八方閉ざされても、天の窓は大きく開いており、天におられるお方は聴く耳があり、すべてを見わたせる御目をお持ちですから、信頼して訴えていきます。近しい友人から、これからデモに行きますとメールがありました。友人の勇気に拍手しつつ、励ましと感謝のメールを送ったところです。
2015.07.17 Friday 17:44 | comments(0) | - | 

世相の風から 新幹線初の火災事故

世相の風から 新幹線初の火災事故
 
 
2015年も半分が過ぎ、いよいよ後半に入るのかと、前半の最後の日と後半最初の日を多少の感慨と緊張感を抱いて(信仰的には感謝と希望)身構えています。そこへ突然、世相の風が突風となって吹いてきました。新幹線の火災事故です。
 
新幹線は1964年に東京、新大阪間が開業して以来、すでに50年も、当時は驚異的スピードであった時速200キロで走り続け、その間、大きな事故もなく、安心して使える国民的交通機関です。安全性を込めた「新幹線神話」という栄光の呼び名まで獲得しました。庶民にとってもかつては高根の花のようなまぶしい存在でしたが、今や普通電車感覚で当たり前のように利用できるようになりました。飛行機もあるけれど、いろいろ比べると新幹線の方が気軽で便利だと言う方もいます。
 
その新幹線で事故があったとは聞き捨てにできません。原因は非常識な一個人の引き起こした出来事でした。これについては私の論ずるところではありませんが、昨今の世界的な「どこにいてもとんでもないことが起こる、安全なところはどこにもない」の潮流が、ついに「安全神話」の冠をも引きちぎったかと嘆かざるを得ません。今後はちょっと身構えて新幹線に乗ることになるでしょう。ストレスが一つ増えました。
 
50年の太平の夢を破ったこの事故で迎えた2015年後半最初の日、東京は音高く激しい土砂降りの雨です。雨に閉じ込められたこの一日、特に世相のために神様のお守りを祈る日にしたいと思います。
 
『わたしは山に向かって目をあげる。私の助けはどこから来るのだろうか。
私の助けは天地を造られた主から来る』詩篇121篇1節
2015.07.01 Wednesday 09:33 | comments(0) | - | 

世相の風から GW最高のニュース

世相の風から GW最高のニュース

王室びいきでも皇室ファンでもないが、赤ちゃんの誕生はうれしい。こんなうれしいことはない。生まれたてのプリンセス「シャーロット エリザベス ダイアナ」のあのお顔はなんともうれしい。一目見て、エリザベス女王によく似ておられると感じた。子どもの顔はどんどん変わっていくから、そのうちご両親の顔にも似てくるし、祖母ダイアナさんの面影もみえてくるかもしれない。
 
出産して10時間後に退院、しかも簡単な籠に入れて人前に出てくるとは、理解できないほどの驚きである。その籠を王子が車の後部座席にひょいと乗せたのも驚きである。もちろん中ではどなたかがしっかりと受け止めているのだろうけれど。世界のイギリス王室の方であるのに、何と自然体で生活していることか。
 
しかもエリザベス女王自らが、これもひょいと孫夫妻の住まいを訪れて、ひ孫ちゃんとご対面したとは、これも驚きである。女王は、ひ孫の面差しにご自分の幾分かを発見してほほえんだのではないだろうか。ついでだが89歳の女王の若々しさにはため息が出る。
 
長い間に積み重ねられてきた文化の違いなのだろうから良し悪しを言うことではないが、一人の人間としての動かしてはならない大事な部分がしっかりと確立されているのを見た気がする。一朝一夕のことではない。その時の人の頑張りでも考え方でもないかもしれない。
慣習なのかもしれない。それにしては、異文化で満ちたアジアの片隅から眺めるだけでしかないが、好ましく望ましいと思ってしまう。いったい基本的人権とはなんだろう。
 
 
 

 
 
2015.05.06 Wednesday 11:08 | comments(0) | - | 

世相の風から 飛行機事故

世相の風から 飛行機事故
 
机の前の小さなエリヤに陣取ることの多い毎日ですが、ひとたびネットの世界に入り込めば世界の隅々まで見渡せるような広大な世界が展開します。テレビを見ないで通してきた私も、ネットニュースはついつい見てしまい、今やネットサーファー?かもしれません。世界の大ニュースがいつでも見られるようにしつらえてあるのか、それにやすやすと乗せられているのです。テュニスのテロ事件に見入っていた矢先に、今度は飛行機の墜落事件です。新しいニュースの方についつい関心が向きます。私は愚かな野次馬なのです。
 
飛行機事故は原因究明のただ中にあって、外野が口を挟むのは時期尚早ですが、報道は一致して副操縦士の恐ろしい行為によると述べています。テロなどの政治的理由からではなく、心の病を患ったことのある人だとの見方が有力です。こんなことってあるのでしょうか。やがていろいろ明白になって来るでしょうが、心の病の人は珍しくなく、自分もいつかかるかわからない身近な疾患です。病気は本人が一番つらいのでしょうが、こうした事件に繋がることもあるとしたら、どうしたらいいのでしょう。自分一人ならともかくも、150人もの命とその家族、関係者を極限の苦しみに陥れるようなことは絶対に避けねばなりません。予想外、想定外の出来事の多いことにやりきれなさを覚えます。
 
2015.03.27 Friday 21:26 | comments(0) | - | 

世相の風から 戦災と震災と

世相の風から 戦災と震災と
 

東京大空襲から70年、東日本大震災は4年を迎えました。70年を経たとはいえ、今、大空襲あった地域のど真ん中に住む私にとっては、どこの災害よりも身近です。もちろん私は片鱗も経験していませんが、日常的によく出てくる出来事です。「そこはね、震災記念堂の前を通って行くのよ。近くにバス停があるわ」とか、隅田川を渡っていると「この川に、みんな飛び込んだのよ」と、どこからともなく聞こえてきます。教会の高齢者の方は、敷布団を体にぐるぐる巻きにして逃げたわと、当時を語ります。あの空襲で父方の伯母夫婦が亡くなったと聞いたことがあります。
 
A新聞の一面に、南三陸町の防災対策庁舎の前で祈る人々が映っていました。忘れられないあの庁舎、昨年、旅の途中で急きょ訪れたところでした。その後、この建物を取り壊そうか、そのままで保存しようかと現地でも迷っているそうです。とりあえず数年は現存すると漏れ聞きました。津波のために、ビルの鉄骨が飴のように曲がって、赤茶けた肌をむき出しにてるのをまじまじと目にし、息を呑みました。最後まで職員を避難させ、自分は波に呑まれていった女性職員が、クリスチャンであったことを知り、誇らしく思うとともに、同じことができるかと自らに問い、深い思いに導かれました。
 
仙台の友人から当時を思い出していますとメール入りました。姉妹の教会ではこの間に、石巻に教会を建て、昨年秋から活動を始めていますが、11日は、記念のコンサートを開いたそうです。毎週日曜日午後、仙台から通って地域の方々と礼拝を捧げているそうです。並みのわざではありません。被災地と被災者への熱い愛がたぎっているのです。どんなに保障されても、心の傷は物質では癒すことも満たすこともできないと、多くの人々が真の平安を求めて教会に来るそうです。姉妹も、高齢になっていますが、牧師の車に同乗してなにがしかのお手伝いをしているとのこと、心打たれます。風化させてはいけないとの悲痛な叫びを聞きます。襟を正して、せめて思いを馳せ、祈っていきます。
 
 
2015.03.13 Friday 16:48 | comments(0) | - | 

世相の風から 鼻濁音が消えていく

世相の風から 鼻濁音が消えていく
 
ある時、賛美練習の楽譜に注意書きがありました。歌詞では鼻濁音を使ってくださいと。
当然でしょうと思っていましたが、いざ、歌っていると、鼻濁音発音をしない方々がほとんどなので驚いてしまいました。そもそも鼻濁音ってなあに、なのです。それまでは、特別な意識なしに使っていた鼻濁音が急に気になりだしました。日常会話でもそこばかり神経が尖り、が、なくて(が)でしょう、ぎ、じゃなくで(ぎ)でしょう、ぐ、じゃない、(ぐ)でしょうと、どうしてなの、どうしてと、気が変になりそうになりました。一時期ですが。
 
一方、自分では、し、ひ、を混同し、意識しても間違ってしまい、笑われてきました。そのたびに首をすくめて退けた気持ちになります。鼻濁音も方言の一つなのかもしれない、思うようになりました。しかし、私としては鼻濁音の微妙さがとても好きで、以前より意識して使うようにしています。
 
ところが新聞に『消えゆく鼻濁音』の記事を見て、興味深く読みました。見出しに、「日常で使用、5人に1人」をみて、これは方言ではなく、言葉使いの変わりゆく一現象なのだとわかりました。地域性がこの現象傾向には表れていますが、どこかの地方の方言ではないのです。
 
記事には「全国的に著しく衰退しつつある、来世紀には東北地方でわずかに残るがそれ以外では消滅する可能性が高い」とあります。
 
「鼻濁音は、ガギグゲゴの濁音を、息を鼻に抜いて柔らかく発音する。「学校」のガは通常で、「鏡」のガは鼻濁音。アナウンサーの場合、鼻濁音の発音は欠かせない」とあります。また、ある調査で「日本語」、「東」、「鏡」、「中学校」、「英語」の五つのことばで鼻濁音を使う割合は、高齢者で高く、地域では東高西低です。「鏡」で鼻濁音は、九州、中国、四国では皆無、近畿でも4.3%とのこと、驚きました。方言的地域性があると思いました。
 
なぜか鼻濁音が好きな、というより、自然に発音していたためでしょうか、習慣的なものかもしれませんが、好きな日本語発音です。それが消滅していくとはもの悲しいです。ちなみにこの、もの悲しいとなった場合、悲しいのガは鼻濁音ですが、これは全国的でしょうか。ことばは生きているから、時の流れとともに変化していくとはいえ、追いついては行けず、戸惑いが多いです。
 
 
 
2015.03.10 Tuesday 09:42 | comments(2) | - | 
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