心の風から 名作の背景から 体罰あるいは虐待、折檻

  • 2013.02.11 Monday
  • 11:45
 

 読書会で新年から読み始めたディッケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』は、なんといっても読みやすいので助かる。訳がいいのだろう。そもそもはディッケンズの文章がそうなのだろうと思うが、ストーリーの面白さもあって、軽いノリでどんどん読んでいける。作者の自伝物語とも言えるそうだ。自分の半生をこだわりなく受け入れられる健康な精神状態の作者が、悲劇も喜劇もなつかしみつつ楽しみつつ思い出して書いているせいか、ついつい引き込まれてしまう。こんな風に、自分史を書いてみたいなどと、そんな視点も教えられる。

 

第一冊目の初めの部分に、幼いデイヴィッドが、継父のいわば虐待方針で、愛する母から離されて送り込まれた寄宿制の学校生活が克明に描かれている。そこには、≪凶暴な韃靼人≫のような(この言い方は差別用語ではないか)校長に鞭打たれながら勉強する恐ろしい光景がある。手でたたくのではなく、鞭でひっぱたくのである。鞭など見たこともないし、それを振り回して叩くなど想像するだけでも恐ろしいの一言である。生徒たちは容赦なく振り下ろされる鞭の下で身もだえし、真っ赤なミミズ腫れの背中の痛みをこらえ、それでも我慢しながらたくましく成長していく。

 

ふと、最近、大きな社会問題になっている学校での体罰事件を思い出した。

体罰は今に始まったことではない。時々世相の表に現れるが、昔からあったことなのだろう。程度問題もあるが。殺人に至ったり、あるいは自殺に追い込んでしまうのは言語道断である。

 

中学生の頃、担任が若い男性だった。男子がいつも殴られていた。頬をぶたれていた。教室の後ろに10人くらい立たされて、端っこから順に大きな怒声を浴びながら激しくぶたれた。年中であった。原因はなんであったか覚えていないが、恐ろしくてじっと下を向き、身を縮めて終わるのを待っていた。

 

本では、よく体罰が描かれている。昨年読んだ『ジェーン・エア』にも陰惨な体罰と虐待の場面が延々と続いていた。『レ・ミゼラブル』ではコゼットが入った修道院の生活が身震いするほど恐ろしかった。日本でもそうだったのだろう。考えてみると幼い子どもたちはみなひどい目に会ったといえる。教育者たちは体罰や虐待を第一としてはいないのはもちろんだが、教育の過程でそうなるのだろうか。教育する者とされる者、訓練する者とされる者の間には、体罰や虐待が必然的に存在するのだろうか。《愛の鞭》という言い方があるが、これはそこから生まれた言い逃れなのだろう。

 

あるとき友人の教師が話してくれた。授業していると生徒の方から物が飛んでくる。けしごむであったり、紙つぶてであったりする。嫌がらせというか教師いじめである。冷静に講義するのは並大抵のことではないと。教師が脅かさないと生徒が脅かしてくる。なんという情けないことだろう。ここにも食うか食われるかという弱肉強食の構図があるのだろうか。

 

ふと思う。作家たちは思い思いに自分の子供時代を重ね合わせながら小説を書いているのだろうが、皆、心の奥深くに傷や痛みや恨みが消えないまま残っているのだ。思い出が強烈だから書くのだろう。あるいは傷が癒えていないから書くのだろう。暴力は人の人格を蝕む恐ろしい力を持っている。単に肉体を傷つけるだけでなく、むしろ、心の傷の方が大きい。暴力が大手を振るところに愛はかけらほどもない。愛の鞭なんて詭弁だ。感情に任せた暴力の中に人を生かし育てる力があるのだろうか。

 

教育や訓練の究極的な目標はなんだろう。学問では良い成績を得ること、スポーツなどの戦いでは勝利することだけであろうか。実利だけを負う成果主義ばかりが目につく。最終ゴールは高潔な人格を形成するためではないのか。これは空想めいた理想論だろうか。傷ついた心をいやすことこそ目指すところなに、かえって傷を深くしてどうなるのだろう。試行錯誤するだけで妙案はないが、一つだけわかるのは、受ける者、与える者の双方に愛と信頼が欠けているのだ。人間には心があるのだ。弱くて強い、ちょっとした刺激で生きもするし、死んでもしまう心があるのだ。考えはどこまで行っても止まらない。脱線したかもしれない。

 

 

また考えます。今は、教師側も生徒側も、お互いを尊重する同じ強さの愛と信頼で結ばれるように祈り願うのみである。

 

 

心の風から 24時間使い放題 その4

  • 2012.07.13 Friday
  • 11:03

一日は24時間がいい


ある日、忽然と思った。一日は
24時間でじゅうぶんだと。これ以上長くてその時間も何かしていたら、疲労困憊のあまり死んでしまうと、そう思った。たぶん60歳半ばを超えて、体力の限界を感じた時だったのだ。適当な時間に就寝できるのがどんなに幸いなことか、つくづくと思い知った。そして、ああ、神様はすべてお見通しだったのだと叫んだ。一日が24時間では少なすぎる。あと数時間あれば、あれもこれもできると、主のみわざにクレームをつけたことを、深く深く恥じて、亀のように首をひっこめ、身を縮めて、お詫びした。

 

改めて見直す一日24時間は、なんとバランスよく輝いて見えることか。主からいただいた貴い賜物なのだ。いとおしささえ感じる。この一日を感謝して、かけがえのないものとして、大切に使おう、使わせていただこうと、意気も高く喜びにあふれてそう思った。

『この日は主が造られた。この日を喜び楽しもう』聞き慣れたみことばが新鮮に思い出された。

 

手のひらに乗っている24時間は、今の私には使い放題なのだ。思い通りに自由に使えるのだ。この幸いなる境遇、この自由を心底ありがたく思う。24時間は希望の風の代名詞だ。

 

使い放題の24時間の自由を挙げてみた。

 

フラワーショップに何度でも通える自由

一鉢のお花を買える自由

好きな時に好きなだけ読書できる自由

好きなだけパソコンに向かえる自由

いつでもどこでも祈れる自由

大きな声で賛美できる自由

いつでも一杯のコーヒーを淹れてくつろげる自由

バッハを、ショパンを、メンデルスゾーンを聴ける自由

 

いつまでも雨の音を聞いていられる自由

いつまでも夕暮れの空を見ていられる自由

いつまでも、星や月をめでていられる自由

夜更けて、本を取り落とすまで、読書できる自由

真夜中に目が覚めたとき、座りなおして祈れる自由

今を感謝できる自由

何事も思い煩わないでと諭される主の御声を聴き分ける魂の自由

 

 

24時間使い放題余話


いつのまにか時間を軸にしたミニ半生史めいてしまった。しかし考えてみると人の一生は、時間とは切っても切れない関係にある。関係どころか、時間無くして人生は成り立たない。人生は時とともにある。時そのものである。ある時は時間を楽しみ、ある時はその戦いの上に人生が築かれていく。時に押し流されたり、時を追い越そうとしたり、時に置き去りにされてきた。時と歩調を合わせて上手に付き合えたことはあまりない。それは神様の意思に逆らう自我の表れでもあったのだ。

 

『年を正しく数えなさい』のみ声の前で『私の時は御手のなかです』と完全降伏した時、24時間、つまり人生の一日一日が使い放題の宝物として与えられたように思える。

 

さて、では、今日一日をどのように過ごしましょうか。

この宝の使途明細書を感謝してささげられますように。(おわり)

 

 

 

 

 

心の風から 24時間使い放題 その3

  • 2012.07.10 Tuesday
  • 10:51

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時間を気にし出したのはいつごろからだろうか。じっと幼い時からを思い出してみる。自分というものを意識しなかったごく幼少のころは、たぶん時間の存在も知らなかったろう。親のもとで、言われるままに寝起きし、言われるままに三度の食事をいただき、親の視界の中で子どもらしく生活していたのではないか。ちっとも時間など気にすることはなかったはずだ。気にする必要がなかったのだ。ここには24時間という区切りも制限も所有もなかった。時間は数えるもので、使い方次第では余ったり足りなくなるものだということも知らなかった。といっても、時間の外にいたわけではない。無意識に24時間使い放題の幸いの中にいたのだ。無意識だからそのときの自分がいかに幸いな者であったか、そのことすら認知しなかった。

 

時間を意識したのはいつごろからだろうか。

たぶん、学校生活が始まってからではないか。朝何時には家を出て学校へ行き、何時から一時間目が始まり、何時には下校して家に帰るという、時間に区切られた生活をするようになってから初めて、時計を気にしながら生活するようになったと思う。親も、遊びに行こうとすると何時には帰ってきなさいとか、もう何時だから寝なさいと、時間を告げたと思う。

夏休みになる前に、一日24時間の円グラフの中に、起床時間、就寝時間を決め、あとの時間をどのように使うか、計画を立てて書き込んだものだ。そのころから24時間は使い放題ではなく、円グラフに書き込んだ通りの制約された24時間を過ごす努力が始まった。それは自分と時間との最初の戦いだった。計画通りにできると満足し、そうでない時は敗者の失望を味わった。時間戦争が始まったのだ。

 

時間に追われるようになったのはいつごろからだろうか。

中学生になって、自分のしたいことと勉強がうまく24時間と折り合わなくなり、時間戦争は激しくなったように思う。そのころから次第に強く、一日が24時間では足りない!どうしてもっと長くないんだろうともどかしく思うようになった。せめて、あと数時間長かったら、もっと読書や勉強や友達とのおしゃべりに使えるのにと悔しかった。それでも24時間は自分の支配下にあったのだから、時間戦争の敵は自分自身だったのだ。

 

時間泥棒を知ったのはいつごろからだろうか。

社会に出て仕事に就くようになると、勤務時間は完全に他人のものである。どうあがいても私用はゆるされない。仕事は嫌ではなかったが、時間を拘束されるのはいい気持ではなかった。その頃になると、自分のしたいこともはっきりしてきて、そのためにもっと時間を使いたいと欲求が起こった。欲求が激しくなると、拘束時間が惜しくてたまらなくなった。我がままと言えば、そうなのだが、私の時間を奪わないで!と叫ぶこともあった。時間泥棒がいることに気が付いた。(もっともこの時間泥棒は『モモ』に登場するのと別種だが)

 

時間は神様から与えられるもの

家事も、育児も、教会奉仕も、私の人生をカラフルに染め上げてくれた、なくてならない時期だった。それに費やした時間が惜しいなんて決して思わない。むしろ、そうしたことに時間を使えたことに意義を感じ、そうしてくださった神様に感謝している。私の人生は神様のもの、時間の所有者は神様であり、私の私有物ではないとわかったのはいつごろからだったろうか。24時間丸ごと神様のものだ、そのなかで生かされているのだと、悟りきって、厳しく自己管理しながら、目の前に山と積まれたあれこれに24時間すべてを注入した。睡眠時間を削ることも惜しくなかった。50代から60代の十数年は、本心で、一日が48時間だったどんなに仕事ができるだろうと、ため息をついた。(つづく)

 

 

 

心の風から 24時間使い放題 その2

  • 2012.07.04 Wednesday
  • 07:36

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あれも足りない、これも、いつなくなるかーーー。

すきま風のもたらした土埃りのたまり場になったわが心に、神様は一条の明るい光を差し込んだ。7月の光である。もちろん希望の風に乗せて。

 

一瞬にして私は悟った。24時間使い放題の日々があるではないか。

時間はいのちと等価である。下世話には時は金なりともいう。その論からいえば、24時間使い放題というのは、使い放題のいのちと財宝を持っているということだ。つまり、私は稀有な宝を有する資産家なのだ。大真面目でそう思う。なんと感謝であろうか。

 

なぜ、私がそのような視点から自分を評価するかと言えば、昨今、近くの友人知人、あるいは遠方の方々が、様々な厳しい時間戦争のさなかで苦闘しておられるのを見聞きするからだ。

 

世の常とは言え、老親の介護に明け暮れておられる方がいる。入院、手術、遠方までの度重なる訪問、施設探し、手続き、そこへの訪問など、24時間気が休まらないそうだ。

 

ある方は、伴侶の老いと戦っている。伴侶の場合は心の戦いも大きく複雑らしい。ふと、若き日のまぶしいような思い出がよみがえるのだろう。あの壮烈な企業戦士であった夫、世界を走り回った夫、頼もしい父親であった夫―――が、である。大きな病に侵され苦しんでいる。特に、認知症が入ってきたとなると、葛藤は大きく、重い心に耐えながら、24時間目を離す暇もなく付き添わねばならないそうだ。

 

それに加えて自分自身の健康不安もある。逆に、お元気なご主人のお世話になる場合もある。

 

私はーーといえば、

 

伴侶はとっくにいない。

両親は、15年前に父が、3年前に母が、多少介護の時期があったがすでにイエス様の御国の民になった。私自身の健康は、明日はわからないが、今のところ自由に出入りができる。

同居の孫たちは、今やそれぞれの未来へ向かって全力疾走中である。私のところに宿題を抱えてくることもなくなった。こちらの方が時に手を曳かれる始末である。

 

身軽になったのだ。自由になったのだ。24時間使い放題の身分になったのだ。なんと幸いなことか。しかしである。これは神様からのいただきもの。預かりもの、賜物ではないか。

賜物とは神様の御用に使うべきもの。私的乱用は御法度だ。神さまに言われたわけではないが、そう思う。この24時間使い放題の自由な時間を、友のために、イエス様の喜ばれることのために費やしたいと切に思う。

 

不平不満、不安恐れを孕んだすきま風を、心に入れてはいけない。スキがあるからすきま風につけ込まれるのだ。心はイエス様の吹かせる希望の風で満ち満ちていなければならない。

 

『力の限り見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。』 箴言423

 

 

 

心の風から 24時間使い放題 その1

  • 2012.06.30 Saturday
  • 21:25

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我が家のベランダのミニトマト


心に吹きこむすきま風に季節は関係がない。どこからいつ忍び込むのだろうか。なにやら不満めいた、自己憐憫めいた風がひたひたと這うように寄せてくる。いささか心が重くなる。

 

自分の年齢を老いの視点からばかり見つめてしまう。40代、50代には目をつぶってもできたことができない。それが悲しいと思ってしまう。心の張りもたるんでいる。それも悲しい。

先のことを考えると、あれも足りない、これも足りないと、悲観的になる。

 

過去を振り返ると、いったいこの歳まで何をしてきたのかと、無駄に生きてきたような気がしてならず、自嘲したくなる。最後は、私一人など、この世にいてもいなくてもなんの関係もないのだ。

 

 

日ごろ、偉そうに、明日のことは思い煩うな、何事も思い煩わないでーー。あなたの道を主にゆだねよ。主が心配してくださる。と人にも声高にいい、自分にも言い聞かせ、アーメン、アーメンと祈る自分はどこへ行ったのか。

 

私には時々そのような精神の混乱がある。一瞬、濃い霧の中に迷い込むことがある。

 

幸いなことに、すきま風は間もなく消え去り、霧も晴れてくる。長く混乱にとどまることはない。生来、短絡的なのかもしれない。単細胞とか単純とか、そういった類の人間なのだ。

 

夕方、グループホームに入居した老姉妹を訪ねた。ちょっと散歩がてら覗いたというべきだ。姉妹は、こんな遠いところへざわざわ来てくださったのねと、大喜びしておられたが、気恥ずかしい。ちょうど夕飯時であった。姉妹は、嬉々としてお茶を配っていた。その姿を見て、安心して入り口ですぐ失礼した。

 

帰宅の道すがらに、見上げる空はどこまでも高かった。夕方がいつまでも長く、秋でもないのにさわやかな風が吹きわたっていた。

 

ふと、新しい思いが湧き上がった。
24時間使い放題の自分の今を、発見したのだ。

                         (続く)

 

 

 

 

 

 

心の風から 人生の七不思議

  • 2012.03.04 Sunday
  • 18:18

 

白梅


そのときは先の先まで考えたのではなく、目先の都合や好みや欲求などの小さな理由からスタートしたことが、途中止めもせず、他の力に引っ張られるように続けられ、気がつくと驚くほどの歳月が経っていて、しかも自分が思わなかったような場所にいることが、人生には多々あるのではないだろうか。

 

実に抽象的で理屈っぽくて回りくどく大げさな言い方だが、そうした事実に大いに驚き、それを人生の不思議などと、ドラマめかして言ってみて、一人うなずいてしまうことがある。年を重ねなければ知らなかった出来事であり、歳月を経なければ言い切ることのできない感慨の一つかもしれない。

 

基本的には今日生きていることそのものが、人生最大の不思議であり、不思議な出来事以外の何物でもない。つくづくそう思う。だた、小さな小さな人生の中にも、さらにいくつかの不思議があるのだ。


何か書きたくて、一人で書き散らしていたが、ふと、書きたい者たちの団体があることを知って飛び込んだのが
25年前。25年在籍しているなどと数えたこともなかったが、周囲を見回すと、リーダーだった方も天に帰り、やさしくしてくださった方々も次々に地上ではお会いできなくなり、一番若いと思っていたのに、今や、上から何番目かになって初めて25年を知った。今となっては長く居すぎたのではないかと腰を浮かせることもあるが、あと一年くらいはいいだろうなどと、妙な自己判断をしながら、なんという人生の不思議よと、その不思議を楽しんでいる。

 

まともに聖書の勉強がしたくて、開校なった小さな学び舎に飛び込んだが、面白くて楽しくて出るに出られず、留年したわけではなく、立派?に卒業したのだったが、そのまま通い続け学び続けて、これも数えてみたら21年が経っている。尊敬してやまない建学者学院長が思いがけなく早く帰天され、机を並べたあの方この方もあちらに居場所を移してしまい、残された第一期生は化石のように標本箱に入れられそうな昨今である。ふと、長居をしすぎたと恥じ入り、上着をひっからげて逃げ出さねばと足が浮くこともあるが、こちらももう一年くらいはいいだろうと、鈍くなった判断力の刃を振り回しては独断してみる。そうして、これも我が人生の七不思議のひとつ、イエス様のくださった飴玉だとばかり、口に中で転がしてはその甘さを楽しんでいる。

 

教会の生活は七不思議の最たるものだ。教会の道は往路しかない。引き返して出ていく道はないように思える。細い狭い道はひたすら前に前に伸びている。その道を歩き続けている。便利な交通手段もない。徒歩しかない。こちらの歩みは50年をとっくに過ぎた。帰天者は数えきれない。父も母もそのお仲間だ。その間、主管牧師は老齢その他で代替わりし、まもなく4人目を迎えようとしている。しかし、教会は長居をしすぎたからと逃げ出すわけにはいかない。なにしろ往路しかないのだから。地上の終点は御国への入り口へ通じているのみ。

 

思えば、我が人生の七不思議はまだまだいくらもある。

不思議という言葉であるが、この言葉は光を含んでいると思う。幸福感を滲ませていると思う。喜びや感動が詰まっている気がする。

不思議ですねえ。全く不思議なことだ。実に不思議だというとき、人は胸を膨らませているのだ。予想外のよいことなのだ。予想外に悪い出来事には不思議とは使わない。不思議とは、英語ではワンダフルとかミラクルという。そういえばイエス様をワンダフルカウンセラーと言い、不思議な助言者と訳す。

 

不思議の中にはイエス様がおられ、希望の風が吹いている。我が人生の七不思議はイエス様の御業そのものなのだ。人生の七不思議をもっともっと発見しよう。七つと言わず八つも九つも十も二十も。そう、私の人生は丸ごとイエス様の不思議で満ちている。希望の風の塊である。

 

 

 

 

心の風 希望の風はいずこに

  • 2012.02.09 Thursday
  • 10:08



六義園のぼたん



自分のブログ記事を読み返して気が付いた。昨今、希望の風が吹いていないではないか。思い返せば3・11以来かもしれない。あの大災害は私の心から希望の風を奪ってしまった。それに加えて昨年は悲痛な出来事が多かった。心沈み、心暗く、心痛むことが重なった。

 

しかし、私の立っているところはそこではないはずだ。

『この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、聖霊によって神の愛が私たちの心に注がれているからです』(ローマ55

私はここに立っていたはずだ。決して失望のまま終わることのない希望を、神様からいただいているはずだ。

 

何を見ているのかと問われた気がする。

 

思いは巡って多少脱線、飛躍するが、聖書の一つの物語が浮かんだ。

 

旧約聖書の初めの書、創世記に記されている悲劇の女性、女奴隷ハガルは、主人アブラハムの子を産み、子無き妻サラの同意のもとに、我が子イシュマエルが族長の跡継ぎになることを信じて13年を過ごした。ところがなんとうまず女のはずのサラが子を産んだ。その子こそ年下とは言え正当な跡継ぎである。年とともに女同士、子ども同士の確執は深くなるばかり。苦悩の末、アブラハムはハガル母子を荒野に放った。ベエル・シェバの砂漠のまなかでわずかなパンと水が尽きたとき、子は泣き叫び、母は死を覚悟した。

 

神は見ておられた。ことの始まる前からすべてを熟知しておられた神は、あわれな母子を追い続けた。神の使いは母に声をかけ、祝福を約束し励ました。我に返った母が、ふと見れば、水をたたえた井戸があるではないか。母子が命拾いしたのは言うまでもない。この井戸は神が見させたのであろう。絶望した目にはすぐそこにあるものさえ見えないのだ。

 

死の世界にも生があるのだ。砂と石ころと熱風の荒野にも清冽な水のあふれる井戸があるのだ。表層の下に息づく神の真実、神の愛を発見できる信仰の目を失なってはならない。

そこには希望の風が吹いている。希望の風をいつも感じていなければならない。そこにあるのだから。

 

『私たちはみえるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです』競灰螢鵐418

『いつまでも残るものは信仰と希望と愛です』汽灰螢鵐1313

 

 

心の風から 9月に刻まれたあの日々のこと

  • 2011.09.13 Tuesday
  • 11:44

 

9月には忘れてはならない日がいくつも刻み込まれている。記念日ということばで一括りにしていいものかとおもうけれど。ともかくも近年の筆頭は、2001年のアメリカ合衆国同時多発テロであろう。あれほど恐ろしい事はなかった。太平洋を隔てたよその国のこととはとても思えなかった。それほど強烈な衝撃を受けたのは、一つにはテレビを通して、まるでその瞬間、現場に居合わせたような気になったことだろう。あの事件は、単にアメリカ一国にとどまらず、その後の世界情勢を大きく変えてしまった。そして10年。負の状況はますます深刻さを増している。

そして、同じ911日は、私たちの国の、それこそ目の前で起こった東日本大震災からちょうど半年に当たる日である。被災の中心地三県にはいなかったものの、計り知れない影響を受け、小さいながら体験もした。あの時のあの瞬間も、テレビを通してリアルタイムで、まざまざと見聞きした。数日間はテレビに釘付けだった。我が事のように強い恐怖を感じ、痛み、悲しみ、苦しんだことはよかったと思う。たいしたことはできないまでも、何かしなければと、腰を上げたり、立ち上がったり、何よりも祈り続けていることは、私にとっては大きな行動である。

 

身近なことでは、昨年の94日は、かっきり20年間薫陶をいただいた偉大な恩師、お茶の水聖書学院理事長学院長増田誉雄師が天に凱旋した日である。このたび召天一周年記念の追悼会が持たれた。(私は原則としてブログには個人名は記さない主義であるが、有名人はゆるしていただこう)。学院だけで開いたのではない。先生が活動した5つの団体が係わった。5つの団体の方々がそれぞれに先生の力あるお働きを紹介された。私にとっては学舎の先生としてのお姿しかない。それで十分であり、十分以上のお方であった。しかし、多方面でのご活躍を知って、今さらながらに偉大なお働きに感動し主を誉めたたえた。こうしたお方に、20年間も、親しいお交わりをいただき、切っても切れない師弟関係にしていただいたことに、身に余る光栄を感じ、これも今さらながらに感謝した。

 

私一人がこうした思いを抱いているのではない。学院で机を並べた同窓生たちが、輝かしい同様の記憶をたくさん刻みつけている。会場で、多くの懐かしい友と再会した。めったにお会いできない先生方や知人たちにもお会いできた。会場は明るい雰囲気だった。その明るさは、先生が天におられるという福音の力からくるのだ。これは、うわべやいいならわしだけの天国感ではない。イエス・キリストの復活の事実に裏打ちされているのだ。会場のだれもが信じて疑わない確信によるのだ。悲壮感を秘めてしがみついている信念ではない。ごく、ごく自然に、満ちあふれる喜びであり平安なのだ。そして、この世にはこの麗しさを奪う力は存在しない。

 

9月は地球規模の悲喜哀楽を包んだ無数の過去を担いながら、さらに創造のみ業による今日という新しい一日を前進していく。神が造られ与えられた9月の新しい一日を、希望の風、秋の涼風に吹かれて雄々しく歩みたい。今日の一日はこの日限りであり、かけがえのない一日なのだから。

 

心の風から 讃美歌『ガリラヤの風かおる丘で』

  • 2011.05.26 Thursday
  • 21:50

農園3

クリスチャン生活に欠かせないものは聖書と祈りと讃美であろう。それは大切にし愛しているものでもある。聖書も、祈りも、賛美も、励ましと慰めと希望と愛を与え、さらに教え、戒めて、信ずる者たちを正しく生かしてくれる。神様からのいのちあふれる贈り物と言えよう。

 

特に賛美は即効性の早い薬のようだとおもう。

大きな苦難の最中にあって、聖書を開くことも祈ることもできないとき、ふと、唇に上るひとつの賛美歌で我にかえることがある。

 

賛美歌はメロディーに捕えられるのはもちろんであるが、歌詞にも心揺さぶられる。メロディーとともに歌詞が浮かんでくる。歌詞を噛みしめながら自分の思いを乗せるのである。

 

最近、しきりに歌っている賛美歌があります。

歌詞を味わってください。ご存じの方は歌ってください。

聖書の場面が浮かび、イエス様が生き生きと今、私に語ってくださるようです。

初夏の今にピッタリの賛美ではないでしょうか。ガリラヤに薫る風は希望の風です。

 

『ガリラヤの風かおる丘で』

歌詞・別府信男、曲・蒔田尚昊(日本基督教団出版局 讃美歌2157番) 

ガリラヤの風かおる丘で

ひとびとに話された

恵みのみことばを

わたしにも聞かせてください。

あらしの日波たける湖(うみ)で

弟子たちにさとされた

力のみことばを

わたしにも聞かせてください。

 

ゴルゴタの十字架の上で

つみびとを招かれた

すくいのみことばを

わたしにも聞かせてください。

夕ぐれのエマオへの道で

弟子たちに告げられた

いのちのみことばを

わたしにも聞かせてください。


(『聖書の緑風』にもアレンジして、この記事を載せました。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心の風から 8月の収穫

  • 2010.08.31 Tuesday
  • 17:35

バラ園9 


振り返れば今夏は梅雨明け以来今日まで、ほとんど熱暑の連続でした。でした、とうっかり過去形は使えません。現在形、いや現在進行形です。ほとほと疲れました。おまけに、政界の醜態も加わって、何とかしてくださいと叫びたいです。実際、神様に私たちに国を哀れんでくださいと祈っています。ともかくも、今日で8月が終わります。暑さも醜態もまだ続くでしょうが、気持ちの上で一区切りできるのはカレンダーのおかげでしょうか。

 

この夏は、恩師の病状が思わしくなく、今も重篤ですので、毎日が気が気ではなく、ただただ祈りに明け暮れました。旅行も研修会で京都へ行っただけ。その2はありませんでした。

それでいいと思っています。私の中年以後の人生に意義を与え導いてくださった方が、今、新しい国へ旅立つための最後の準備をしておられるのです。感謝の思いをこめてじっと見つめていたいと思います。

 

そんな緊迫した状況の中でも、主は感謝な時を与えてくださいました。ランチやお茶をして小さな集いを何回も持つことができました。こんなに集中したことはありません。教会の姉妹たち、学院関係の姉妹たち、ペンの姉妹たち、妹たち、また、娘や孫たちとでかけました。

 

中でも、友人たちとは心ゆくまで語り合い、密度の濃い交わりができたことは、大きな収穫になりました。語らううちに、あれやこれやと心に掛っていた薄雲が消えていき、主にあって、友情が深まっていくのを感じました。

 

老いていくと、行動力が鈍ります。思っていてもいざとなると、腰を上げ、一歩を踏み出すのが億劫になるのです。でも、思っていただけでは改善あるいは前進しないこともあります。

まあ、いいか、どうにかなるだろう。こんな小さなことをしたって、何も変らない。そう思えばそれで済んでしまうようなことも、じっと祈りつつ、考えつつ、確信が持てたら、行動へと進みたいと思います。それくらいのエネルギーはいつも持ち合わせていたいと願います。特に人間関係において。一本のメール、一本の電話、一枚のはがき、小さな声かけを大切にしたいと思います。

 

いよいよ待望の9月を迎えます。涼やかな希望の風を期待します。

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