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2018.02.24 Saturday

日々の風から 捕まえられない逃げる二月

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    日々の風から 捕まえられない逃げる二月

     

    一年で一番日数の少ない二月はよく『二月逃げる』と言われるが、まさにその通りである。

    特に平昌オリンピックの真っ最中の日々、前評判の高い競技は見逃せないと、映像に見入ってしまい、どんどん時間が日が消えてしまった。明日はもう閉会式である。真冬であり外出も少なかったので、我ながら驚くほど観戦できた。現地は想像を絶する極寒だそうだが、実感できない。屋外の選手たちは悪天候や強風に襲われて実力が十分に発揮できなかった悔しさがあるだろうが、後日はない。一回きりである。厳しいことだと思う。

     

    暖かい部屋で映像を観る限りにおいては、良いものを見たと思う。贅沢なことだ。観る者には、勝つも負けるも紙一重。勝利の涙も敗北の涙も、当事者の思いは複雑であろうが、ただただ美しい。アスリートたちの気の遠くなるような鍛錬や練習や研究を少しばかり知って、良い刺激をいただいた。競技は他者に勝つことであるが、幾人かのメダリストたちが「自分に勝った」と言っていたのが心に残った。「自分に勝った」とは金メダル以上に輝きと重みのある言葉ではないか。

     

     今日の聖書通読から

    『強くあれ。雄々しくあれ。アッシリアの王に

    彼とともにいるすべての大軍に、

    恐れをなしてはならない。おびえてはならない。

    彼らとともにいる者よりも大いなる方が

    私たちとともにおられるからである』

    歴代誌32章7節

     

    ローズンゲンより

    『神は言われたことを、なされないことがあろうか。

    告げられたことを、成就されないことがあろうか』

    民数記23章19節

     

     


    2018.01.29 Monday

    日々の風から 室温談義から

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      日々の風から 室温談義から

       

       

      どこへ行ってもだれに会ってもひとつの言葉しか聞こえてこないし、言えない。「寒いわね」、「寒いわ」である。風邪をひいているとか具合が悪いとかは二の次である。単なる挨拶言葉ではなく実感のこもった切実な一言である。東京の雪は4年ぶりと騒いだが、それをはるかに上回って、低温注意報である。こちらは50年ぶりだとか。半世紀も前である。そんな冬があったかなあと記憶を辿ってみても思い出はない。たぶん、気象庁からそんな呼びかけもなかったに違いない。

       

      この冬、私は一つの事を試みている。それは、自室の室温を注意深く点検することである。特に、朝、目覚めた時の室温に興味がわいたのだ。夜は消灯とともに暖房は止めるから、朝、暖を入れるまでは自然のままである。朝いちばんは自室の最低気温といえる。12月8日は15.4度だった。15度を切ったのは12月20日。大寒波襲来と言われた1月13日は13.1度。1月23日大雪の朝は12.6度。また大寒波の1月26日はついに11度。今朝1月29日は12.6度で、少し高くなった。暖房を付ければすぐに20度を越える。

       

      友人たちに訊いてみた。「10度を越えてるなんて、暖かいお部屋ね」。我が家より西の郊外の一軒家に住む友人である。同じく年数の経った一軒家に住む友人は「うちは7度以下」。ところがマンションに住む友人は別世界のようだ。8階に住む友人は、両隣に囲まれているのでホットカーペットだけ、たまにエアコンを入れるくらいだと。うらやましい限りである。ところが、埼玉県の北部の友人は「4度よ。いくら炊いても暖かくならない。角地に建っているせいかもしれないけど、まるで冷蔵庫に入っているみたい」と嘆いていた。

       

      寒さ、暑さを感じるのは個人差がある。寒さに強い人もおられる。反対に寒さには弱いが暑いのは大丈夫という人もいる。ある人は「寒さは防寒対策さえしっかりすれば外出は苦にならない。しかし暑さはどうにもならない」と言う。なるほどそうかもしれない。今は「寒い!」しか聞こえてこないし言わないが、もう半年もすれば「暑い、暑い」が聞こえる季節になる。思えば、今年の寒さは格別、今年の暑さは過去最高を繰り返しながら、うん十年を生きてきたのだ。

       

      心の歴史にも、こんな苦しみに遭ったことはない、こんなに悲しいことはない、今の苦痛に比べればあの時はまだましだった、などなど冬の日々が刻まれている。逆に、天に舞い上がるほどうれしいことだってあった。ハレルヤジャンプを繰り返したこともあった。ジョイフルダンスに興じたこともあった。こうして今の日があり、私がある。寒くても暑くても永遠に誠実なキリストの愛がある。

       

      今日の聖書通読から

       

      士師記21章25節

      『そのころ、イスラエルには王がなく、

      めいめいが自分の目にただしいと

      見えることを行っていた』

       

      ローズンゲン1月29日より

       

      『私は彼らに一つの心を与え、

      かれらの中に新しい霊を授ける』

      エゼキエル11・19

       

      『キリストと結ばれる人はだれでも、

      新しく創造された者なのです。

      古いものは過ぎ去り、あたらしいものが生じた』

      第二コリント5・17

       

       

       

       

       

       

       

       

       


      2018.01.22 Monday

      日々の風から 東京4年ぶりの大雪

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        日々の風から 東京4年ぶりの大雪

         

         

        天気予報が的中して、東京は4年ぶりの大雪になりました。いつもは夕方、散歩がてらに出かける日常の買い物を午前中に済ませました。ちらちらと雪の舞う中を歩くのは雨より心が浮きっとします。吹雪いたら出かけませんが。

         

        かかりつけ医にも行きましたし、もう一軒スーパーに行ってみました。ここは千葉県の農場と直接取引しているようで、よそよりずっと野菜が安いのです。はたして小松菜もほうれん草も他のところの半値ほどでした。

         

        お昼を過ぎると雪は本格的に降り出しました。孫の高校生も娘も早めに帰宅できました。私は窓を開けたり閉めたり、玄関を出たり入ったりして吹雪いている様子を眺め続けました。ついでながら、独り暮らしの友人たちとメールおしゃべりを楽しみました。

         

        夜になって娘と孫のMちゃんが完全防寒して外へ出て、表通りまで雪をかいて一本道を作りました。まもなくその道を使って婿さんが早めに帰宅しました。予報によれば雪は夜半にはやむようですが、さて、明朝はどうなるのでしょう。雪は降った後が大問題。電車は通るでしょう、大通りに、車は走れるでしょう。しかし、果たして人の歩く道はどうなっているでしょうか。心配です。凍ってしまったら一大事です。それを恐れます。

         

         

        今日の聖書通読から

         

        申命記30章14

        『まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、

        あなたの口にあり、あなたの心にあって、

        あなたはこれを行うことができる』

         

        ローズンゲン1/22より

        『心に隠していることを神は必ず知られます』、

        詩篇44章22節

         

        『最初の者にして、最後の者である方、

        一度死んだがまた生きた方が、次にように言われる。

        「わたしは、あなたのお苦難や貧しさを知っている」

        黙示録2章8−9節

         

         

         

         


        2018.01.20 Saturday

        日々の風から 年賀状雑感 その2

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          日々の風から 年賀状雑感 その2

           

          1月も下旬に入った今日、いまさら年賀状の話など賞味期限切れではあるが、一言、二言添えたい。過日、親友の一人とお茶した。話が多岐にわたり年賀状にも及んだ。姉妹はいつもびっしりと近況を綴ってこられる。ご自分の友人関係にも敏感である。姉妹が言った。

           

          「毎年きっちりと元旦に届くRさんからのがないの。お身内の喪中ではないはず。何かあったのかと気になって、数人の友人に尋ねたら皆さん同じことを言ってたわ。電話しても応答がないので、これは何かあったと思っていたら、遠方の息子さんから私の携帯メールに伝言あったのよ。12月に入って急に体調に異変があり、近所の方のお世話で緊急入院しました。しかし落ち着いてきているので一月下旬には退院予定ですって。様子がわかってひとまず安心。こんなこともあるのよね。年賀状は安否確認のためにも必要だと思ったわ」。なるほど年賀状にはそんな役目もあるのかと思った。

           

          もうひとつある。

          お年玉付き年賀状だから、期待したり欲心があるわけではないが、あたり番号を調べるのも恒例である。ざっと見ていたら、三等があった。今年は一枚かと思ったらなにやら引っかかる番号があった。なんと「二等」が見えた!。まあ、こんなこともあるのね!ちょっと気分がいい。近くの郵便局へ行ったら窓口の職員さんが「ほっ―――」と笑顔になり、カタログを渡された。何か選べと言うのだ。そのカタログは今ソファーの上にある。そのうち何かを決めねば―――。年賀状雑感はこれをもって終了します。


          2018.01.11 Thursday

          日々の風から 年賀状雑感

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            日々の風から 年賀状雑感

             

            年賀状のやり取りは日本の社会的な大きな習慣の一つであろう。子どもから大人まで全員参加する。個人も家族も、企業までがあいさつと宣伝を兼ねて使う。安価で便利なコミュニ―ケーションのツールだと思う。もちろん例外も多々あるだろう。

             

            年賀状の全盛時代はいつ頃だったのだろうか。昨今はずいぶん変わってきたように感ずる。

            私自身の中にも夢中になって書いた時とは意識が違う。やり取りした友人たちが老いてきたことは大きい。もちろん自分も。

             

            いただいた賀状の中で考えさせられるものがいくつかあった。90歳近い姉妹から、昨今の体調や身の回りの環境が具体的に添え書きされていて、年賀状は今年最後にしますとあった。無理もないと思った。

             

            また、長い間お世話になりましたときっぱりと過去形の友人があった。ああ、これでお仕舞にしようということかと察した。寂しかったが。

             

            ショックだった一枚があった。実はだいぶためらった。先輩だし先にいただいては申し訳ないと思って書いた。ためらったというのは近ごろ老いが著しく目立ってきていたから。三が日もだいぶたってから返事の賀状が届いた。儀礼的な一文のみ。ボールペンだろうか鉛筆だろうか、かすれてところどころ判読不可。もう、来年はいいからという意味か、精一杯頑張って出されたのか、友の心が汲めなかった。悲しかった。

             

            ユニークで楽しくなったのは、携帯Eメールからとパソコンメールに届いたものだった。携帯の友人は、往年は筆達者であったが数年手足が痛み出して病んでいる。それでもEメールでくださった。「謹賀新年」がピカピカ光って動いているのだ。ユーモラスで楽しく、使いたくなった。パソコンの方は大きな図柄の元気あふれる一通だ。これもいいなあと思った。

             

            若い人たちのからは早く読んでください、見てくださいとの声が聞こえてくるようだ。お仕事のことやご家族の写真が張り付いている。充実した生活ぶりがあふれている。年賀状の一等賞は何と言っても6人の子どもたちがずらりと並んだ一様である。ご両親たちは子育てで天手古舞だろう、食べさせて着せて学ばせて寝かせるのに無我夢中であろう。しかし見ているかぎり思わず笑いたくなる。実に楽しい。神様の守りと祝福を祈らずにはいられない。

             

            総じて、やはり年賀状はいいものだ。大切な友人たちの一人ひとりの現況を思い浮かべながら、出すも止めるのも知恵をいただいて係わっていきたい。

             

             

            今日の聖書通読から

             

            レビ記27章30節

            『こうして地の十分の一は、地の産物であっても、木の実であっても、みな主のものである。それは主の聖なるものである』

             

            ローズンゲン1/11より

            『彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、

            私たちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。

            イザヤ53・4

             

            『罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。

            わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです』

            第二コリント5・21

             


            2018.01.04 Thursday

            日々の風から 冒険の元旦礼拝

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              日々の風から 冒険の元旦礼拝

               

               

               

              我が教会は年末年始のカレンダーの状況から、今年に限って元旦礼拝は省くことにしました。年末の31日は日曜日でしたから当然主日の礼拝をおこないました。明けて元旦月曜日は礼拝の日として特に聖書では言及されていない、いわば習慣です。二日続くので無しとしました。そうした教会はちらほらとあります。

               

              元旦の朝は自宅で静かにゆっくりと主の前に静まろうと考えていました。ところが期せずして長女の教会も元旦礼拝はやめにしたそうで、急きょ他教会の礼拝に行こうと話が進み、群馬県安中市にある二女の教会へ行くことにしました。カレンダー的にもまた我が家の状況からも全員そろって行けるのはおそらく、たぶん、二度とないでしょう。

               

              胸弾ませて、元旦早朝の関越道をひた走りました。免許を取ってまもない孫息子が婿さんとかわるがわる張り切ってハンドルを握りました。途中、若葉マークが風で飛んでしまい大笑い。全く渋滞にも遭わず、実に爽快な往路でした。礼拝の始まるころに合わせてそっと会堂の隅に着席し、今年初の礼拝を主の教会でささげました。子や孫たち全員そろって主の御前に集えるのは、私にとっては何にも替えがたい幸いです、主のあわれみと恵み以外のなにものでもありません。ただただ感謝のみでした。教会の皆さんもたいへん喜んでくださり、これも感謝でした。

               

              礼拝後、二女宅で持参したおせちを囲み、夜の早いうちに帰途につきました。Uターンは始まっておらず、ガラガラの高速を走り切りました。二女と私はあと片づけをして、翌朝の新幹線で帰宅しました。列車はこちらもガラガラで、往復とも混雑の間隙をぬう名プランでした。もちろん主がその知恵を与え導かれたのです。こうして新年早々の冒険の礼拝は大成功、大きな祝福と喜びをいただきました。

               

              さらに教会で、私にとっては珍しい出会いがあり刺激を受けました。近年教会員になられ兄で、群馬県在住のクリスチャン詩人です。お名前は存じており詩集も拝見しておりました。詩人氏も私と話したがっておられたようで、期せずしてお互いの思いが叶いました。私は散文書きで詩を志したことはありませんが、文字を綴ることにおいて根底は一つですので話題は尽きません。元旦早々に、散逸的ですが文学談義が弾み、今年の文章道に少なからず刺激と幻が与えられ、気持ちが引き上げられました。不思議な出会いに感謝でした。

               

               

              元旦の夜の月

               

              時々、この日出会った『みことば』を載せていくつもりです。

               

              今朝の聖書通読より。

              『まことに主がこのところにおられるのに、私はそれを知らなかった。

              この場所はなんと恐れ多いことだろう。

              こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ』

              創世記28・16、17

               

              ローズンゲン・1/4(木)

               

              『主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、

              あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。

              あなたたちが他のどの民よりも貧弱であった。

              ただ、あなたたちに対する主の愛のゆえに選ばれたのである。』

              申命記7、7−8

               

              『神はこの世の無力な者や見下されている者を選ばれました。

              神の御前で誰をも誇らせないためです』

              汽灰螢鵐函Γ院■横検檻横


              2018.01.01 Monday

              日々の風から はじめに神が〜〜

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                日々の風から はじめに神が〜〜〜

                 

                主の2018年1月1日 

                新年あけましておめでとうございます。

                今年こそ『みこころが天でなるように

                 地にもなさせたまえ』の祈りが

                実現する年になりますように、

                願い祈ります。祈り続けます。

                 

                この年も出来る限り紙面つくりに

                励みたいと願います。

                ときどきお訪ねくださいますように、

                よろしくお願いします。

                 

                『初めに、神が天と地を創造した』

                 


                2017.12.29 Friday

                日々の風から この年のうちに

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                  日々の風から この年のうちに

                   

                   

                   

                   

                   

                  いつも気にかかっていながら一日伸ばしにしていたことが、

                  年が押し迫ってくるといつもよりずっと強く大きく迫ってくる。

                  この年のうちに済ませておきなさいとどこからか声が聞こえる。

                  その強い促しに押されて列車に飛び乗った。

                  迎えてくれたのはすっかり冬支度をした見事な山並みであった。

                  感動して眺め、こちらがリフレッシュされて帰ってきた。

                  写すのは難しいが、富士山と南アルプス、北岳もくっきりと見えた。

                  反対側は八ヶ岳連峰、こちらはどうにかカメラに収まってくれた。

                   

                   

                   


                  2017.12.24 Sunday

                  日々の風から メリー クリスマス! 教会のクリスマス

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                    日々の風から メリー クリスマス! 教会のクリスマス

                     

                     

                    年々諸団体、諸教会の催すクリスマス行事から退いてきているが、最後の残るのは自分の所属教会のクリスマス行事である。第四日曜日のクリスマス礼拝、これがメインであるが、やがて礼拝参加が最後の砦になる日が来るだろうが、動ける間は何がしかの奉仕があるし、係っていきたいと願う。聖歌隊の一員として賛美するのも大切な一役である。

                     

                    ここ数年、我が教会は地域の老人施設からの依頼で賛美を届けに行っている。今年もまた出かけることになった。秋以降、礼拝のあとに練習を重ねた。有名なクリスマスの讃美歌を歌う。その施設は4階まであり、各階の入居者の集まるフロアーが舞台となる。私たちは今年も4回公演よと冗談を言いながら各階で賛美歌を歌った。歌の合間に牧師が短くクリスマスのお話をする。皆さん熱心に聞いてくださり、途中で歌い出す方、手を振って拍子をとる方、中には涙を流す方もおられ、毎年の事ながらこちらも次第にうれしくなり、感動の渦に巻き込まれていく。その施設に入居されている姉妹は、飛び入りで私たちの輪に加わってともに賛美歌を歌った。昔取った何とかで、楽譜を見たくても朗々と歌った。そこでまた新たな涙にくれた。

                     

                    夜は教会で燭火礼拝である。たいていの教会で行われている。いつもの照明を消したキャンドルだけの灯の下で、賛美歌を歌い、聖書を朗読するひと時である。ひごろ教会とは無縁の方々が来られる。クリスマスだけでも教会へ行って雰囲気を味わいたいという方々が来られる。友人知人、家族が来てくださる。ここでもまた聖歌隊は特別に賛美をした。クリスマスは音楽が豊かに用いられるときである。

                     

                    今日の礼拝は今年のメインであるクリスマス礼拝である。講壇脇のクランツに立つキャンドル4本全部が点火されて、クリスマスメッセージが語られた。その前に聖歌隊の特別賛美があり、そこでもまた皆さんの前に出て賛美した。役があるのは感謝である。

                     

                    礼拝後は恒例の祝会になる。お祝いの食卓を囲むということである。これもまた大きな喜び、楽しみの時である。婦人会が総出で、あらかじめ割り当てられた料理を持参して、いっせいにお弁当箱に詰める。持ち寄りパーティーをする教会もあるが、我が教会は近年、高齢者や独身男性が増えてできなくなった。そこで手作りのお弁当スタイルにした。大変好評である。日ごろご無沙汰している方々もこの日は頑張って参加する。そうした方々と安否を問い合って食事の席はにぎやかである。時の経つのも忘れて話し続けている。これもまたイエス様の喜ばれるクリスマスの一場面かなあとそんな思いになりながらひと時を楽しんだ。

                     

                    イエス様の遺産である教会、主の弟子たちから始まった初代教会の活動を想像しながら、教会が主の御心の通りに、キリスト者の共同体、慰めの共同体、宣教の共同体として生き生きと機能していくことを切に願う。そして、物理的に教会へ来られない方々、最近は増えているが、そうした方々へも愛のメッセージを運ばねばならない。訪問し、あるいは便りをして、寂しい思いから解き放たれるひと時を作りたい。今できるうちに出来るだけの事をして、ともに主の恵み深いことを味わい合いたい。

                     

                    クリスマスを最後に今年も年末へ向かう。一年の感謝を充分にささげたい。

                    『主の良くしてくださったことを、何一つ忘れるな』

                     

                     


                    2017.12.13 Wednesday

                    日々の風から キッテのクリスマスツリー

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                      日々の風から キッテのクリスマスツリー

                       

                      友人が丸の内のキッテに飾られたクリスマスツリーの写真を送ってきましたので、貼り付けてみます。

                      1Fアトリウムに立っているそうです。

                      このツリーは今盛んにPRしてますから、

                      珍しくはないでしょうけれど。

                      飛んで行きたいところですが〜〜〜。


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