日々の風から 十字架上のことば わたしは渇く

  • 2020.03.25 Wednesday
  • 10:23

日々の風から 十字架上のことば わたしは渇く・礼拝説教から

 

イエス・キリストは朝の9時に十字架にかけられ、午後3時に息を引き取られたが、その6時間に7つの言葉を言われたと聖書は記している。最後の3つは死の直前である。

 

5番目に当たるのは「わたしは渇く」である。渇くとは喉が渇く、お水が飲みたいという体の欲求である。ある程度想像はできる。しかし本当にはわかっていないことは確かである。

 

この時のイエスさまは、前日の夜に捕えられて以来、一晩中裁判にかけられ、数か所を引きずり回され、鞭で打たれ、いばらの冠をかぶせられ、全身から血が噴き出していた。体の水分が失われていた。十字架にかけられる時、手足にくぎを打ち込まれた。6時間絶え間なく出血が続いたのだ。それによる渇きである。いかばかりであったろうか。それしか言えない。

 

●イエス様の渇きは、

イエス様は100%神であるが、100%人間であった。私たちと同じ肉体を持つ人間であった。「わたしは渇く」は人間イエスの肉体の渇きである。なぜなら、この時イエス様は私たちの罪を一身に引き受けて罪の代価として十字架で死んでくださったからだ。痛みだけでなく、凄惨な渇きをも負ってくださったのだ。それは、イエス様が聖書の示すまことの救い主、メシヤであることを示すためであった。さらに、そのことによって神の愛を明らかにするためであった。

●他の人々の渇きを覚えて奉仕することを教えている。

 人はみな渇いている。体において、特に心において渇いている。他の人の渇きを知ったら、水を飲ませ、パンを与えるのを忘れてはならない。

●自分の渇きを満たす

 自分の魂がどれほど干からびているかを知ること、その渇きはイエス様のもとに来てイエス様の下さる水を飲まない限り決してうるおされることはない。

 

ヨハネ4章13〜14節

『この水を飲む人はみな、また渇きます。

しかし、私が与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません』

 

中国の武漢から発生した新型コロナウイスル肺炎は

今や世界中に禍を広げ

とどまるところを知りません。

必ず終焉の日を信じますが

一日も早まることを祈り続けます。

 

日々の風から コロナは欧米へ?

  • 2020.03.15 Sunday
  • 18:55

日々の風から コロナは欧米へ?

 

 

コロナ惨禍は今やヨーロッパに勢いを広げているが、中国は本当に下火になったのだろうか。それならいいのだが〜〜〜〜。

 

キリスト教界は今は受難節の日々を過ごしている。今朝の礼拝でも続いて十字架上の7つの言葉の一つがテキストとして扱われ、解き明かしがされた。イエス様が4番目に言われた言葉である。説教題は「私たちの代わりに罪とされたイエス様」。聖書箇所はマタイ27章45〜50節」『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』、これは、『わが神、わが神。どうして私をお捨てになったのですか』という意味である」

 

イエス様は十字架にかけられたとき最初に「赦し」の言葉を言われた。二番目に「救いの確心」を与えられた。三番目に「愛」を語られた。4番目は「身代わり」の言葉を言われた。

●イエス様の言葉は何を教えているのか?

 神は聖なるお方である。

罪は醜いものだ。

救いとは高価なものだ、御子のいのちと言う高い代価が支払われている

●私の応答はどうあるべきか?

 罪から離れイエス様と共に生きること

 感謝して生きること

 罪の誘惑に遭ったとき、十字架を思い出すこと

 この愛を伝えていくこと

 

イエス様の十字架は私の罪のためと認め信じることが救いの原点であり終着点でもある。

エリ、エリ、レマ、サバクタニとは、私の代わりにイエス様が言ってくださったのだ。イエス様は常日頃、父よと呼びかけて、父なる神さまとは親しい関係であった。しかしこの時、イエス様は神様とは断絶され、父よ、との三位一体の親しい交わりから見放されてしまった。「わが神、わが神」と遠くから絶望の叫びをあげるだけであった。

≪十字架の悩みは 我が罪のためなり≫を噛みしめ、ますます主を愛する者でありたい。

 

 

日々の風から 二月は逃げる、されどコロナは逃げず

  • 2020.02.29 Saturday
  • 20:35

日々の風から 二月は逃げる、されどコロナは逃げず

 

あれよあれよという間に二月も終わり、明日はもう三月、弥生の月である。いつもならお決まりではあるが、時の過ぎる速さを驚いたり嘆いたりするのだが、今年は大違い。このブログでコロナウイスルのことを書いたのは1月27日である。そのころすでに感染は広がっていたが、それ以後ますます拡大を続け、今や世界中の一大事件である。深刻さを増している。ついに全国の公立小、中、高校が休校となった。こんな事態を私は今までに知らない。

 

それにつけても付録としてはあまりにお粗末なしかし容易ならない現象が起きている。どこかの誰かの一言だったのだろうがトイレペーパーが不足する、紙製品が不足すると聞こえるとその声は日本中に響き渡り、今やお店の棚は空っぽである。マスクならまだわかるが、これはいったい何だろう。しかし笑ってはいられない、空恐ろしい気がする。

 

『あなたがたは、立ち返って落ち着いていれば救われ、

静かに信頼すれば、力を得る』

しきりにみことばが聞こえる。

 

日々の風から 断捨離&あとは野となれ山となれ

  • 2020.02.11 Tuesday
  • 22:37

日々の風から 断捨離vsあとは野となれ山となれ

 

 ひところ、「老年の美学」とばかり、断捨離に夢中になり、身辺の雑物がかなり整理できた。自分でも大いに満足し、人にも勧めたりしている。これからも事あるごとにしていくだろう。ところが、びっくりするような事を聞いた。

 

私とおつかつの年齢の女性である。長いお付き合いがある。決断力のある大胆な女傑と言える人だ。大きな働きもしている。あるとき、数名で雑談していたところ、彼女の元気のいい声が聞こえてきた。「死ぬ前に整理ですって。私は一切しない。死んだ後のことまで考えることはないわ。それは後の人たちのすることよ。捨てようがしまっておこうが、とにかく彼らのすることよ」と。私は彼女こそチリ一つ残さずに、身一つで、旅立つと固く思っていたのだから、ほんとに驚いたのだ。

 

そうか!そういう考え方もあるのか。なあるほど。それも一理あるなあと、声も出なかった。「後は野となれ山となれ」か!。無責任ではなく、そうした考え方なのだ。それもさっぱりしている。私は「立つ鳥 跡を濁さず」部類だが・・・。人それぞれなのだ。

 

しかし、「後は〜〜方式」の場合は、処理費用をしっかり遺していかねばなるまい。ただでは捨てられないのだから。後の人に迷惑をかける事になる。それは美学に反する。ところが、それは私の美学であって、彼女の美学ではないのかもしれない。

 

わからなくなりました・・・。

 

とにかく私は私の方式で行く。子どもや孫にできるだけ迷惑のかからないように、せめて身の回りだけは整理する。体の状況については私の願うようにはいかないもしれない。世話になることもあるかもしれない。いや。大なり小なりそれはあるに違いない。いのちの断捨離はできない。してはいけない。それは神様の領域だから不可侵である。小さな日常では、私の「老年の美学」を貫きたい。

 

 

 

 

日々の風から 立春を越して

  • 2020.02.06 Thursday
  • 12:28

日々の風から 立春を越して

 

今年は2月4日が「立春」である。春が立つとあるが、日本では実際には寒さが一番厳しいころだそうだ。毎年実感としても思う。ところが今年は暖冬だそうで、寒さはさほど厳しくない。雪の地方では降雪量不足で悩ましいところだ。寒くないのは大変結構だが、手放しで喜んではいられない。自然界の運行は定められた通りがいいのだろう。雪解けの水が少なければ今後の水不足の原因になるかもしれない。

 

今や新型肺炎のニュースから目を離せないが、いつもこの時期の話題をさらう「インフルエンザ」はどうなっているのだろう。ひとつが流行ると、インフルエンザは鳴りを潜めるのだろうか。菌は負けて退散するのだろうか。コロナウイルスももちろん怖いが、いつものインフルエンザ菌だって恐ろしくはないか。ちっとも報道されないけれど。かかりつけ医に行ったら先生に伺ってみよう。

 

コロナウイスルにしろインフルエンザにしろ、私にできることは限られている。今に限ったことではないが、季節に寄らず外出から帰ったら、うがい、手洗い、顔や頭髪の埃払い、衣服の埃払い、時によってマスク着用くらいである。そのマスクで混乱が起きているらしい。私の在庫はこのシーズンはまにあうだろう。慌てて買いに走らない。ないらしいが。それにしてもこの病はいつ収束するのだろう。必ず終わりがあり、その日は近いと信じる。しかも、医学、科学がここまで発達進歩した時代なのだから、強国を誇る国は率先して強さを発揮して収めてもらいたい。力のない国、弱い国、弱い人たちが犠牲になってはいけない。

強くそう思います。

 

 

日々の風から 一月の晦日に

  • 2020.01.31 Friday
  • 17:57

日々の風から 一月の晦日に

 

一月の風は速い。もう晦日である。それなのに家族そろって感謝の祈りを捧げた元旦の朝が、なぜか遠くに思える。わずか一か月前のことなのに。記憶の色合いが薄くなっていくのが速い。ということは私の脳の働きが衰えている証拠なのか。

 

年末の、ゴーンさんの日本脱出劇を、まるでフィクションの世界のことのように、驚きつつも全く他人ごとに眺めてきたが、この事件は、彼を、してやったりとにんまりさせながら終わりなのだろうか。続きのドラマはないのだろうか。

 

ところが、降ってわいたような新型肺炎は切実である。すでに世界規模の一大事件になった。一説には、報道されている数字などは当てにならない。広範囲に膨大な感染者が出ているという。いたずらに騒ぐことはないが、すべてにのんきで鈍感な私たちの国の雰囲気は問題があるのかもしれない。片隅と言えども東京23区、いちばん人の出入りの多い地域にいる、しかも高齢者としては、大いに自重したほうがいいと自らを戒めている。

 

この3日にあおむけに転んで腰椎圧迫骨折で入院した旧友はまだ依然として病院である。時々顔を見に行く。4月で86歳になる。元来健康で、過去一度も入院の経験はない。意志も強い。だからご本人はすぐにでも帰宅できると思っている。周囲もそうなることを願っているが、まだまだ退院の許可は出ない。病院にいるのだから、痛い苦しいの症状は緩和してもらっている。ところが、骨折はともかく、いろいろ検査されているうちに内臓に危ういところが見つかり、今後そのほうの治療に向かうらしい。長引かないようにと祈っている。

 

先輩年齢の友人知人の老いの進み方にとても興味がある。明日の自分だから。多くの有益な出来事を教えてもらえる。長い間深くお付き合いしてきたから、その人生史を詳しく知っている。神様はどのように守り導き、そこに栄光を表し愛を注ごうとされるのか、拝見できるのは光栄であり感謝である。とても厳粛なことだと思う。あらん限りの誠心誠意で接し、なによりも日々の祈りを続けようとこれも自分に負荷をかけている。

 

 

 

日々の風から アボンリーヘの道

  • 2020.01.21 Tuesday
  • 12:15

日々の風から アボンリーヘの道

 

偶然にネットで配信しているカナダのテレビドラマ「アボンリーヘの道」に出会い、年末年始を楽しんだ。30年も前に制作され、日本でもずいぶん昔に放映されたらしいが全く知らなかった。「赤毛のアン」で有名なモンゴメリーのいくつかの作品から作られた。これも有名なプリンス・エドワード島が舞台になる。

 

7シリーズ合計91本が放映されたが、気が付いたときは期限が迫っていて全部観ることはできなかった。とても心が残っている。全巻がDVDになっている。一瞬ほしくなったほど捕えられているが、いやいやとんでもない。無料だから見たまでのこと。しかしレンタルで借りてきて観ようかなどいまだに思う。多分それもしないだろうが。

 

作中人物の一人が忘れられない。彼女はヘティと言って、アボンリーの村に一つだけある学校の女教師である。独身で、毅然として、周囲には頑固者と言われるほど、自説を曲げす、ぶれず、プライド高く生きる中年女性である。

 

この物語はそもそも一人の少女を主人公に始まるのだが、私には子供達よりも、大人たちに心が傾く。その代表がヘティなのだ。50歳の誕生祝いの話があったから、今の時代ならまだまだ若い女性の部類だ。しかし、70歳くらいに見える。熱い親近感が沸く。毎日でも彼女の顔が見たい。ドラマにこんなに心奪われたのは久しぶりだ。ますます暇人になったせいだろうか。

 

 

 

日々の風から 私の新春 その2 多発する転倒、つまずき

  • 2020.01.13 Monday
  • 21:08

日々の風から 私の新春 その2 多発する転倒、つまずき

 

新年早々に私の周辺には思いがけない?つまずきや転倒が続発している。その一人は、何のことはない、私自身なのだ。笑うに笑えない。なんとなく気持ちがつかえている。

 

私より一日早い3日の日に、旧友があおむけに転んだ。最終的にわかったことは腰椎圧迫骨折とのこと、そのまま入院になった。早速お見舞に飛んで行ったが、どんな治療をするのかまだ結論は出ていない。友は85歳になる。近年、両膝を傷めて、あちこちにつかまりながらぎごちない歩き方をしていた。

 

その翌日、今度は私が普通の歩道を歩いていたのに突然、あっと声を上げる暇もなく、つまずいたのか転んでしまったのだ。地面に両膝と両手をついだ。素早く立ちあがってそのままバスに乗りJRに乗ったが、左ひざからは出血している感じがした。今も傷パットを貼っている。しかし、怖い気がする。突然転ぶんだから。これが老いというものかと、愕然たる思いである。この先、またないとは限らない。いや、あるに違いないが、しかし気のつけようがないではないか。いやあるのかもしれないが。杖を使うのか、シルバーカーか。

 

その失敗談をある集まりで話したら、なんとそばにいた60代半ばの女性が、実は初めて転んだと、ショックで打ちのめされたように話した。その年代なら驚くだろう。落ち込むだろう。それをきっかけに、実は私も、私もと、つい最近の転び物語が噴出した。インフルエンザじゃあるまいし、流行るのだろうか。

 

骨折しなくてよかったですねと声をかけられて、ほんとうだ、そうだ、そうなんだと納得し、おおいに慰められた。一歩一歩ますます主にすがって歩くほかはない。

 

主がわたしの手を取ってくださいます

どうしてこわがったり逃げたりするでしょう

やさしい主の手にすべてを任せて

旅ができるとは何たる恵みでしょう

日々の風から 新春にあたって

  • 2020.01.03 Friday
  • 22:10

日々の風から 新春にあたって

 

2020年を迎えて、感謝と喜びをもって、

新春のごあいさつを申し上げます。

今年が、皆様にとって

イエス・キリストの恵みと祝福のみちあふれる

一年でありますようにお祈り申し上げます。

 

このブログは2005年11月29日にスタートしました。

ブログが全盛時代に入ったころだろうと思います。

流行に疎く、流行を横目でちょっと冷ややかに見る私ですが、

「書く」ことに惹かれて、

はやりものに真正面から向き合う気持ちになりました。

今年2020年は15年目ということになりましょうか。

当時と比べると、記事のアップ力も衰えました。

自分の内にある燃えるものも、炎の勢いは弱く、

炎の質もダウンしました。

忍耐深くお付き合いくださる皆様に、

申し訳なく思い、クローズ宣言をしようと、

時々思います。

ところがそんな時に限って、友人知人から、

楽しみにしていますなどと、

もったいないコメントをいただきます。

ドキッとしながらも、

もう少し続けてもいいのかなと、

勝手な解釈をすると、不思議なことに

うれしく、元気になるのです。

神さまがくださった「希望の風」だと、信じてしまいます。

 

「希望の風」は愛の風、いのちの風、イエス・キリストです。

「希望の風」に包み込まれて、

今年も、小さなともし火をかざしていきたいと願います。

 

「その希望は失望に終わることがありません」ローマ5・5

日々の風から 私の年の瀬 アフタークリスマス

  • 2019.12.27 Friday
  • 19:44

日々の風から 私の年の瀬 アフタークリスマス

 

一か月に渡った教会のクリスマス諸集会は大きな喜びとあふれる恵みをいただいて無事に終了しました。多忙ではありましたが、集会ごとに語られるクリスマスメッセージを聴き入り、取り上げられるみことばを通して、神様のみこころを思いめぐらし、それでは、「いかに生きるべきか」を、考えさせられ教えられ、決意し決心する時になりました。クリスマスはまもなく訪れる新しい年を、前向きに希望をもって迎えるための、新しい心を与えてくれる準備の時でもあります。新しい年はクリスマスからすでに始まっているのだと思います。

 

24日のキャンドルサービスを終えて、翌25日早朝から、群馬県の知人宅へ出かけ、2泊してきました。あちらもクリスマスのすべてを終えて、新年を迎える備えの時でした。朝に夕に、四方を囲む山々を仰ぎながら、休耕のさなかの農道を歩き回りました。人家はありますがめったに人と出会いません。これが農村風景なのでしょう。もちろん町の中心へ行けば車の往来も激しく、スーパーは人であふれているのですが。のんびりと散歩する道もない私にとっては、限りなく新鮮で美しいのです。一方で、都会育ちの友人はイルミネージョンと人であふれる繁華街が恋しいというのです。それもわからないではないのですが〜〜〜。

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