日々の風から 棕櫚の日、受難週の朝に 十字架上の最後のことば その1

  • 2020.04.05 Sunday
  • 13:25

 日々の風から 棕櫚の日、受難週の朝に 十字架上の最後のことば その1

 

 

 

今日から我が教会はネット礼拝になった。牧師の説教は音声で送られてくる。週報はすでに郵送されてきた。私はいつもの礼拝開始時間に、週報のプログラム通りに一人で礼拝を進めた。讃美歌も一人ではあるが、心を込めて讃美した。いつもは司会者が祈る開会の祈りもささげ、主の祈りも祈った。そして音源をオンにした。牧師の聖書朗読が聞えてきた。

 

しかしである、いままでにこんな朝を迎えたことがあっただろうか。自分の教会生活が思い出される。今年受洗してちょうど65年である。その65年間、一つの教会に通い続けて現在に至っている。その間、礼拝を休んだ日を思い起こした。出産の時は一か月くらい休んだ。交通事故に遭った時は退院まで3か月半休んだ。40代の終わりだったか、急性の髄膜炎で入院した時は1か月休んだ。60代半ばでがんの手術をした時は半月休んだかもしれない。その他の時は休んだことはない。わりあいに健康だったから体調が悪くて欠席したことはない。風邪はたいてい軽く済んできたので、欠席するまでもなかった。幸いに、教会は自宅のすぐ近くである。行かずにはいられない距離なのだ。今回、こんな近くで、しかも、こちら側は何の不都合もないのに教会に行けないことに大きな葛藤を感じている。

 

とはいえ、初めてのネット礼拝を経験して、終わった直後から兄姉たちのコメントが入ってくる。よかった、聴きやすかったと。在宅介護の姉妹からは、ずっと教会行けない老母も一緒に耳を傾けたと感動のメールがあった。家族が一つに集まって礼拝できてよかったとの報もあった。

 

十字架上の七つのことばの最後のことばからの説教は、これからまとめます。来週はイースターですが、またネット礼拝になります。コロナ禍が一日も早く終息するのを祈り続けます。

 

 

 

日々の風から 十字架上のことば 6番目「完了した」

  • 2020.03.31 Tuesday
  • 10:13

日々の風から 十字架上のことば 6番目「完了した」

 

 

29日日曜日に、東京では雪が舞った。この時期に1僂寮兩磴錬械嫁ぶりという。礼拝中に降りしきっていた。折しも、コロナ禍のために多くの教会はネット配信となったようだが、我が教会は小さな群れでもあるし、近所からの人が多いので、極力気をつけながら行った。高齢者や子供のいる方々は見えなかった。讃美歌も1曲を1番だけ歌った。説教も短かった。しかし、東京の感染者数は日ごとに増加している。来週は無理かもしれないので在宅で礼拝できるような方法をとるとのことであった。

 

礼拝説教では、イエス様の十字架上の七つのことばから六番目の「完了した」から語られた。歴史上でこれほど偉大な言葉はない。神が、すべての仕事は終わったと言われたのである。勝利宣言である。神にしか言えない言葉である。イエス様はご自分の使命は「神のみこころを行うこと」と言われた。神のみこころは十字架の上で「完了した」のである。

 

神のみこころとは全人類の救いである。全人類を滅びから救うのが、神様の創世の初めからの御計画であった。滅びの原因は「罪」にある。罪は人の力では滅ぼすことはできない。罪は最強の敵である。罪との戦いに勝利できるのは神だけである。神様はその戦場に愛するひとり子イエス・キリストをただ一人派遣された。他に誰が同行しても無駄死にするだけである。イエス様は身代わりの死を覚悟して、ただ一人戦場に向かわれた。神様がイエス様に持たせた最強の武器は、十字架の上で「死ぬこと」であった。身代わりに「死ぬこと」、究極の「愛」だけが、「罪」を滅ぼすたった一つの方法であり武器であった。神様はその使命をイエス様に託された。イエス様はその「神のみこころ」を行ったのだ。

 

ご自分のいのちがまさに終わろうとする時、イエス様は「神のみこころ」を果たせたことを知り、任務は「完了した」と宣言されたのだ。その時、イエス様の肉体を襲う絶え間ない傷み、苦痛、渇きが止んでわけではないだろう。しかし、それを超える歓喜があったに違いない。「彼は自分のたましいの激しい苦しみの後を見て、満足する」と預言者イザヤは記した。

 

イエス様は罪と死に勝利し、サタンを打ち負かしたのである。もう一ランクも二ランクも上の、復活の勝利が待っている。

 

 

世界をわがもの顔に跋扈する疫病、

新型コロナウイスルに勝利するのはどんな武器だろう。

一人一人の徹底した予防だろうか、

特効薬やワクチンだろうか。

一日も早くそれらが整うことを願う。

すべてをお見透しの神様が、何を持って終息させるのか、

固く祈りの手を組んで、懇願していきたい。

 

 

日々の風から 十字架上のことば わたしは渇く

  • 2020.03.25 Wednesday
  • 10:23

日々の風から 十字架上のことば わたしは渇く・礼拝説教から

 

イエス・キリストは朝の9時に十字架にかけられ、午後3時に息を引き取られたが、その6時間に7つの言葉を言われたと聖書は記している。最後の3つは死の直前である。

 

5番目に当たるのは「わたしは渇く」である。渇くとは喉が渇く、お水が飲みたいという体の欲求である。ある程度想像はできる。しかし本当にはわかっていないことは確かである。

 

この時のイエスさまは、前日の夜に捕えられて以来、一晩中裁判にかけられ、数か所を引きずり回され、鞭で打たれ、いばらの冠をかぶせられ、全身から血が噴き出していた。体の水分が失われていた。十字架にかけられる時、手足にくぎを打ち込まれた。6時間絶え間なく出血が続いたのだ。それによる渇きである。いかばかりであったろうか。それしか言えない。

 

●イエス様の渇きは、

イエス様は100%神であるが、100%人間であった。私たちと同じ肉体を持つ人間であった。「わたしは渇く」は人間イエスの肉体の渇きである。なぜなら、この時イエス様は私たちの罪を一身に引き受けて罪の代価として十字架で死んでくださったからだ。痛みだけでなく、凄惨な渇きをも負ってくださったのだ。それは、イエス様が聖書の示すまことの救い主、メシヤであることを示すためであった。さらに、そのことによって神の愛を明らかにするためであった。

●他の人々の渇きを覚えて奉仕することを教えている。

 人はみな渇いている。体において、特に心において渇いている。他の人の渇きを知ったら、水を飲ませ、パンを与えるのを忘れてはならない。

●自分の渇きを満たす

 自分の魂がどれほど干からびているかを知ること、その渇きはイエス様のもとに来てイエス様の下さる水を飲まない限り決してうるおされることはない。

 

ヨハネ4章13〜14節

『この水を飲む人はみな、また渇きます。

しかし、私が与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません』

 

中国の武漢から発生した新型コロナウイスル肺炎は

今や世界中に禍を広げ

とどまるところを知りません。

必ず終焉の日を信じますが

一日も早まることを祈り続けます。

 

世相の風から コロナはどこまで

  • 2020.03.20 Friday
  • 10:10

世相の風から コロナはどこまで

 

 

こんなにフットワークのいいウイスルがいるだろうか。

こんなにわがままなウイスルがいるだろうか。

東の果てから西の果てまで

北の果てから南の果てまで

地球上は隅から隅まで彼らの快い運動場だ。

とはいえ、彼らは人にくっついて動いているだけなのだ。

人から人へが、このウイスルの性質らしい。

だから、人がうつしているのだ。

 

濃厚接触とはよく言ったものだ。

わずか1〜2m離れていれば、彼らはうつれない。

単独では空気中に3時間ほどしか生きられない。

思えばかよわい生き物ではなか。

 

なにが彼らを強くしたのか。

 

人しか考えられない。

天災ではなく、人災かもしれない。

 

これ以上彼らをのさばらせないために、

人間様が賢くならなければいけない。

確かな治療薬もワクチンもない現在、

行き来も、集まりも、避けなければならない。

 

彼らをばらまいてはならない。

お金をばらまいても、特効薬にはならない。

 

 

日々の風から コロナは欧米へ?

  • 2020.03.15 Sunday
  • 18:55

日々の風から コロナは欧米へ?

 

 

コロナ惨禍は今やヨーロッパに勢いを広げているが、中国は本当に下火になったのだろうか。それならいいのだが〜〜〜〜。

 

キリスト教界は今は受難節の日々を過ごしている。今朝の礼拝でも続いて十字架上の7つの言葉の一つがテキストとして扱われ、解き明かしがされた。イエス様が4番目に言われた言葉である。説教題は「私たちの代わりに罪とされたイエス様」。聖書箇所はマタイ27章45〜50節」『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』、これは、『わが神、わが神。どうして私をお捨てになったのですか』という意味である」

 

イエス様は十字架にかけられたとき最初に「赦し」の言葉を言われた。二番目に「救いの確心」を与えられた。三番目に「愛」を語られた。4番目は「身代わり」の言葉を言われた。

●イエス様の言葉は何を教えているのか?

 神は聖なるお方である。

罪は醜いものだ。

救いとは高価なものだ、御子のいのちと言う高い代価が支払われている

●私の応答はどうあるべきか?

 罪から離れイエス様と共に生きること

 感謝して生きること

 罪の誘惑に遭ったとき、十字架を思い出すこと

 この愛を伝えていくこと

 

イエス様の十字架は私の罪のためと認め信じることが救いの原点であり終着点でもある。

エリ、エリ、レマ、サバクタニとは、私の代わりにイエス様が言ってくださったのだ。イエス様は常日頃、父よと呼びかけて、父なる神さまとは親しい関係であった。しかしこの時、イエス様は神様とは断絶され、父よ、との三位一体の親しい交わりから見放されてしまった。「わが神、わが神」と遠くから絶望の叫びをあげるだけであった。

≪十字架の悩みは 我が罪のためなり≫を噛みしめ、ますます主を愛する者でありたい。

 

 

日々の風から 受難節に入って

  • 2020.03.11 Wednesday
  • 11:04

日々の風から 受難節に入って

 

今年の復活祭、イースターは4月12日です。あと一か月ですが、このコロナ騒動はどうなるのでしょうか。先が見えず、社会は不安と不便で満ち満ちています。収束に向かう時なのか、さらに拡大するのか、今は闇のまっ只中です。国からの大規模イベント自粛要請もさらに10日間延長されました。しかしそれで済むのでしょうか。

 

受難節に入ってから、日曜の礼拝には、イエス・キリストが十字架の上で発した7つの言葉が取り上げられています。記してみます。

 

一番目

『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです』

ルカの福音書23章33〜34節

●これはイエス様の祈りの言葉でした。

●また赦しの言葉でした。イエス様は自分を十字架につけて殺す人たちを赦したのです。

●平安の言葉でした。十字架のみわざのおかげで、今、私たちは平安を与えられています。

 

二番目

『今日、あなたはわたしとともにパラダイスにいます』ルカ23章39〜43節

イエス様が十字架にかけられたとき、左右に二人の極悪人がともに刑を受けました。ゴルゴタの刑場には3本の十字架が立ったのです。その一人が、「イエス様、あなたが御国にはいおられるときは、私を思い出してください」と言いました。

この罪人は

●死んだ後、神様の御前に立つことを知っていた。

●神様に対して罪を犯したことを知っていた

●イエス様が人間ではなく神様だと知っていた。

●神の恵みだけが自分を救うことができると知っていた。

●もし、イエス様に願えば、救ってくださると知っていた。

 まことの救いとは、直ちに救われ、確かに救われ、イエス様とともにあり、永遠の場所に導かれることです。

 

三番目 

『イエスの十字架のそばには、イエスの母とその姉妹、そしてクロパの妻マリアとマグダラのマリアが立っていた。イエスは、母とそばに立っている愛する弟子を見て、母に「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です」と言われた。それから、その弟子に「ご覧なさい。あなたの母です」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分のところに引き取った。

ヨハネの福音書19章25〜27節

イエス様は十字架の足元を取り囲む数人の女性たちと愛する弟子ヨハネに語り掛けました。特に母マリヤとヨハネに。母マリヤには、これらかはヨハネが息子と同様になって世話をするから安心するように。また、ヨハネには母マリヤを、自分の母のように親身になって世話をするようにと母を託したのです。人類救済という神様からの命令を遂行するために一身なげうっているイエス様ですが、老いた母を脇に置くことなく、最高の愛を示されたのです。

イエス様の愛から大切なことを教えられます。

●自分の家族を顧みる。

●神の家族を顧みる。

●苦しみの時にも他の人の苦しみを顧みる。

●必要に満たされていない時にも他の人の必要に応える。

 

今日は、東日本大震災 3・11から9年になる当日です。

惨禍に遭遇した方々や地域の嘆きは変わらないでしょうが、その他のところには「風化」という無常風が吹いています。私もその風に身を任せる一人です。申し訳ないと思います。

 

世相の風から 荒れ狂うコロナウイスル旋風

  • 2020.03.06 Friday
  • 11:15

世相の風から 荒れ狂うコロナウイスル旋風

 

今や、おそらく世界中がコロナで一色ではないでしょうか。コロナは目に見えない風に乗って世界中を駆け巡っています。感染者、死者は日に日に数を増すばかり。それにつられて、マスク、マスクと、今やマスクが救いのヒーロー扱いです。でも、マスクって本当に特効薬なのでしょうか。もちろん私も着装しています。この時期特有の花粉や埃予防のためにも。

 

真偽ないまぜで、様々なニュースがコロナに負けず世界中を駆け巡っています。こんなにも一つの出来事で世界がひとつになって騒然としたことがあるでしょうか。情報の功と罪であることに間違いないでしょう。情報を取捨選択する個人個人の良識がどれほど重く問われることでしょうか。しかし多かれ少なかれ、コロナ鬱に影響されています。大きなイベントから小さな集まりまで、自粛要請が出ていることから、外出の機会が減っています。自己防衛の一つでもあります。わずかな集まりもやめています。楽しみにしていた会食も延期です。

 

東京の感染者数が減ってきているとの報に出会いました。1000万を超える人口を抱える東京で、そうした現象が出てきていることにホッとします。まさかフェイクニュースではないでしょう。一人一人の防疫の力でしょう。このまま鎮静化に向かってもらいたいと日夜祈るばかりです。

 

『滅びのあらしの過ぎ去るまでは

あなたの翼の陰をわたしの避け所とします』

詩篇57・1

日々の風から 二月は逃げる、されどコロナは逃げず

  • 2020.02.29 Saturday
  • 20:35

日々の風から 二月は逃げる、されどコロナは逃げず

 

あれよあれよという間に二月も終わり、明日はもう三月、弥生の月である。いつもならお決まりではあるが、時の過ぎる速さを驚いたり嘆いたりするのだが、今年は大違い。このブログでコロナウイスルのことを書いたのは1月27日である。そのころすでに感染は広がっていたが、それ以後ますます拡大を続け、今や世界中の一大事件である。深刻さを増している。ついに全国の公立小、中、高校が休校となった。こんな事態を私は今までに知らない。

 

それにつけても付録としてはあまりにお粗末なしかし容易ならない現象が起きている。どこかの誰かの一言だったのだろうがトイレペーパーが不足する、紙製品が不足すると聞こえるとその声は日本中に響き渡り、今やお店の棚は空っぽである。マスクならまだわかるが、これはいったい何だろう。しかし笑ってはいられない、空恐ろしい気がする。

 

『あなたがたは、立ち返って落ち着いていれば救われ、

静かに信頼すれば、力を得る』

しきりにみことばが聞こえる。

 

世相の風から 新型コロナウイルス 異常風景

  • 2020.02.24 Monday
  • 17:39

世相の風から 新型コロナウイルス 異常風景

 

 

今や連日連夜コロナオンリーである。情報から目が離せないとはこのことだ。山奥にいるならまだしものこと、下町とはいえ都会の真ん中いるのである。すぐ近くの都立病院には早々に感染者が収容されていると聞いた。

 

わりに早い時間に近くのスーパーに行った。途中、ドラッグストアーの前に初めて見る風景、長蛇の列に出会った。何事だろうと通り過ぎて、あっ、マスクを求める人たちだと気が付いた。なんということか。びっくりである。

 

そんなことを関東以外に住む友人と話をしていた。翌日、マスクが送られてきた。こちらもビックしたがうれしかった。マスクのプレゼントなどおそらく後にも先にもこれだけだろう。いざとなったら洗濯して使おうと思っていた。大事なハンカチを洗うようにていねいに手洗いして屋内に干せば使えるだろう。

 

ついでに友人のいうのには、そこは避暑地で、あちらこちらに別荘があり、退職者たちが第二の人生を送っている地域であるが、この時期、いつもは静かな場所だが、なんと、人が押し寄せているという。車のナンバーを見ると、とんでもない遠方から来ていることが解かり、スーパーにはいつになく人があふれているという。つまり、危ない地域から避難してきているのだ。さもありなんである。できる事なら騒動が収まるまでしばらく逃避するのもいい。

 

友人は、こんなに多くの人たちがあちらこちらから押し寄せてきているのだから、ここも安全じゃない。保菌者がいるに違いない。ウイスルはばらまかれているに違いないと。それもありかもしれない。要するに防ぎようがない。しかし必ず収まる。そう祈るばかりである。

 

 

世相の風から 新型コロナ肺炎感染不安の中で

  • 2020.02.20 Thursday
  • 11:59

世相の風から 新型コロナ肺炎感染不安の中で

 

この新型疫病の影響力は測りがたいほど大きい。もう、人のいるところはどこも安全というところはないかもしれない。私のすぐ周辺にもウイルスは活動しているかもしれない。みなそう感じているだろう。そこには不安が付きまとう。人込みを避けることや不要不急の外出は控えるとはいえ、じっと24時間蟄居しているわけにもいかない。

 

今週、電車で移動しての集まりが二つある。一つは昨日であった。東京のど真ん中で開かれた。20名ほどの、ほぼ高齢者が集った。小さな部屋である。あらかじめ、集会を中止するとか無理しないようにとの連絡もなかった。私は役割もあったからいつものように出かけた。朝はラッシュアワーの時間帯であったから車内はぎゅうぎゅう詰め、マスクだけは厳重に着装したが、それしかできない、仕方がない。車内はせき込む人もなく、至って静かであった。会はいつものように和やかに進んだ。唯一のハプニングはがんの宣告を受けている体調不良の高齢女性が遅刻しただけだった。

 

土曜日にもう一つ集会がある。近県からの参加者が多い。都内の人のほうが少ない。10日ほど前から「東京に行くのが怖い、不安だから申し訳ないけど欠席したい」と言ってきた方がおられる。87歳の一人暮らしの男性である。無理もない。その後、こんな時期だから見合わせたいと数名の女性たちも連絡してきた。これも仕方がない。私も迷っているがこの先の情勢をにらみながら最後の判断をしようと思っている。今は行くつもりでいるが。

 

騒動の最中のクルーズ船を思う。限られた場所に大勢の人が一定時間一緒にいるのは危険かもしれない。一日も早く収束するのを祈るばかりである。特効薬があればと、それにも期待する。いのちを落とす人がこれ以上ありませんようにと切に祈ります。

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