希望の風
人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

日々の風から 台風はもうたくさん!

日々の風から 台風はもうたくさん!

 

このブログの「日々の風から」を「日々の台風から」にしたいくらい、あとからあとから発生し、しかも、日本へ向きを変えて襲い掛かり、しかも今回はまるで巨大な大男が日本列島をくまなくのし歩いたように、足跡、いや、傷跡を残して去っていきました。なんということでしょう。違う話題を書きたいと思いながらもついついショックにかられて、心が他に向きません。

 

24号はひどかったです。真夜中の雨と風の音は近年聞いたことがないと、床に入ったもののじっと身をひそめていました。案の定、都心でも40m近く吹いたのです。観測史上3番目とか。私が最初に台風に恐怖を覚えたのは昭和24年8月31日のキテイ台風です。あのときは確か33mと聞きました。東京下町では焼け野が原に建ちかけた家が軒並み倒れました。今は家がもろに倒れることはありませんが、あの風の音は私の体の奥深くに刻み込まれていたと感じました。もう台風はたくさんです。

 

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日々の風から 秋は雨から

日々の風から 秋は雨から

 

季節が刻々と進んでいる。夏から秋に向かっている。雨が多い。季節の変わり目はたいてい雨がふる。春の長雨、秋の長雨と。季節を先導するのは雨なのだろうか。

 

傘の出番が多い。出したり入れたり干したりたたんだりと、玄関先の傘立てと家の中の傘の収納場所への移動や整理は私の仕事になっている。5人分の傘が右往左往する。愛用の傘から折りたたみ傘、簡易のビニール傘も仲間入りして、傘立てはぎっしりと満員である。

 

傘と言えばかすかに思い出すことがある。須賀敦子の本に出ていたが、彼女が言うのは、イタリヤ人は雨が降ってもめったに傘は使わない、日本人のようにすぐに傘をさす習慣はないと。ある時、雨が降ってきたので傘を持って夫を迎えに行ったら、彼がけげんな顔をして、手にした雑誌を頭にかざして走って行ってしまったそうだ。司馬遼太郎の著書にもあったが、雨が降ると、東京の人はすぐに傘を差し、あっという間に傘一色の風景になる、その早いことに驚く、大阪はそうではないと。これらはだいぶ前に読んだので、記憶違いもあるかもしれない。

 

急に雨が降ってきた時は、帰る人を傘を持って迎えに行くという風景がよく見られた。童謡に「あめあめ 降れ降れ かあさんが 蛇の目でおむかえうれしいな ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン」と、こんな歌があった! 今は死に絶えた光景か。

 

今朝から雨がひどく予定していた外出がままならない。時折止むのでその合間に出ようと狙っているうちにまた降り出す。外出と言っても緊急ではない。いわば不要不急なのだ。玄関を開けたり閉めたりして様子を見る。玄関わきのミニ花壇に、まだ毎朝咲き続ける真っ赤なハイビスカスと、夏一杯咲いてくれて今もまだつぼみを膨らませているバラを見つめる。

あと3日を残すだけとなった9月が惜しい。

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日々の風から 高齢社会と高齢者

日々の風から 高齢社会と高齢者

 

 

敬老の日という祝日があり、その前後には高齢者の話題が市場に溢れる。長生きすることが珍しく大きな喜びであった時代ならいざ知らず、いまでは祝日という感は少ないのではないだろうか。反対に高齢者は社会のマイナス的な課題を多く抱える問題児になってしまったようだ。日本の総人口の4人に一人は65歳以上の高齢者だと大々的に報じられ、100歳以上が6万人以上もいる、今や「人生100年時代」だとかが、なにやら皮肉っぽく聞こえてくる。75歳以上を後期高齢者という通称もすっかりまかり通っている。その一人として、肩身が狭い思いがする。「後期高齢者ですみません」、「長生きしてすみません」とどこかに向かって謝罪したいような気になる。とはいえ断っておきますが、私は100歳にちかくはありません。

 

今ある命を投げやりにはしなくない。「もうじき死ぬんだから」と迫りくる壁を意識しながらも、それはそれ、どこか観念的で、他人事で、今すぐ死ぬとは思わないし、一日一日を大切にしたいと思うから不思議なものだ。

 

周囲を見廻しても、高齢者はせっせとジムに通い、運動に励み、水泳をし、ヨガをし、体力維持あるいは増強に命を懸けている。健康に良いと言われれば好き嫌いは別としてすぐに食べ、一日になんども医院を渡り歩く。そのエネルギーはすさまじい。特に女性たちに目を瞠る。その際、自分はその中に数えていないが、質において同じかもしれない。

 

開き直りの後期高齢者が吐き出している短文に出会ったので記します。

 

年を取れば、誰だって退化する。

鈍くなる。

緩くなる。

くどくなる。

愚痴になる。

淋しがる。

同情を引きたがる。

ケチになる。

どうせ「すぐ死ぬんだから」となる。

身なりにかまわなくなる。

なのに「若い」と言われたがる。

孫自慢に、病気自慢に、元気自慢。

これが世の爺サン、婆サンの現実だ。

六十代に入ったら、絶対に実年齢に見られてはならない。

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世相の風から スターは一夜にして誕生!

 

 

台風や大地震の被害状況を知って、心を痛め、うろうろしていたところ、突然に、「大坂なおみ」さんが日本だけでなく、世界中の絶賛を浴びて大スターになった。申し訳ないけれどグランドスラムで優勝されるまではあまり存じ上げなかった。そんなわけで私にはびっくり仰天の出来事であった。しかし、文句なくうれしい!これを快挙と言わずに他に何があるのか。おりしも日本中が痛みに苦しみ悲しみに沈んでいた真っ最中だった。しかもなおみさんの母上は北海道の方だ。現に祖父の方は住んでおられる。かの地は未曽有の災害のただ中にあるが、この朗報は言いしれない力と希望になったことだろう。

 

それにしても、今や、マスコミのどこを見ても「大坂なおみ」一色である。彼女のせいではないが、世相の風とはこうも時の話題に大揺れに揺れるのかと、多少斜めに構えたい思いも沸く。なおみさんにはますます大いに活躍していただきたいが、日本列島どこにもおられる被災者の涙の拭われる日が一日も早く来ますようとの祈りも忘れてはならない。そのように自分自身を戒めている。

 

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日々の風から 台風の次は北海道に大地震

 

 西日本を襲った台風20号、21号に心を痛め西の方ばかりを気にしていたら、今度は突然北海道で大地震が起こった。北海道の地名は読みにくい。なんと発音するのか戸惑うことが多い。こんども画面に厚真町、安平町と出ても、何と読むのか、いったいどのあたりなのか、見当もつかなかった。さらに胆振地方となるとこれにも困った。ぜひフリガナをしてもらいたい。しなくても済むことに神経が刺激されて、イライラと心が騒ぎ、被災地の思いが乱されてしまった。

 

それにしてもこんなに頻繁に大災害が起きていいのだろうか。いまやここに入れば安全というところはない、どこでいつ何が起こるかわからない、起きて当然だと、聞こえてくるが、そんなことで済まされることではない。起きたら困るのだ。被災者の皆さんは突然の出来事に生きた心地はしないだろう。「夢であってほしい」との嘆きが胸に痛く響いてきた。

 

今回は被災しなかった私たちが思いを馳せ、祈り、特に政府を始め各行政はできるだけの救援をしてほしい。東京都もいち早く液体ミルクなど支援が始まったそうだ。

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日々の風から 9月は台風からスタート

 

9月の幕開けは台風21号の襲来ですさまじいものとなった。西日本がこの度も標的になり、20号にもまして大きな被害が起きている。映像を通してではあるがその光景を目にするたびにため息の連続である。この台風は一地域だけにとどまらず、北海道を含めて正に日本列島に荒々しく乗り込んできた。台風の進路は日本を取り囲む気象状況によるのだろうが、地図を見ていると、なぜこの小さな日本ばかりめがけるのだろうかと、台風に訊いてみたいようだ。特に、関西空港が水浸しには驚いてしまった。最先端の知恵と技術の結晶である人工島なのだろうが、数時間の雨や風で機能不全になるとは、あまりにもはかない。

 

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日々の風から 45年前の事故 その2

 

待望の9月に入って、その感動を記そうと思っていますが、8月末の記事がその1なので区切りまで行かなければと、今回はその続きを進めます。

 

私の怪我は重く、当初は6か月の入院、その後はリハビリ専門病院で療養と診断されましたが、その半分の3か月で退院できました。リハビリ病院なんてとんでもない、まだ就学前の娘たち二人を置いて、これ以上どこへ行けましょう。何とか自力で歩けるのを良しとして、私は懐かしの家庭に戻りました。日々の家事や家業がリハビリの代わりをしてくれたと思っています。

 

今、45年経って改めて気が付くことですが、あの当時、私に対して集中された多くの人たちの愛の業と祈りです。私の病床にはひきも切らず身内を始め、教会の兄姉、その他の友人知人が見舞ってくださり、家族へまで救援、救助、お世話する方々で満ちていました。必要な物の差し入れ、励ましや慰めや希望の言葉かけなどが慈雨のように注いでいました。ある期間、教会の先生方は娘二人を牧師館に引き取り、24時間面倒を見てくださいました。何よりも気がかりであった娘たちが保護されていることに大きな安心と平安を得ました。

 

輸血のための献血が呼びかけられた時には、友人の友人、知人の知人など、私の存じ上げない方々まで協力してくださいました。弱い一人の者に対して、教会は一丸となり、家族親族は一つになり、友人知人も気に懸け心にかけ惜しみなく奔走してくださいました。そこには見返りを求めない与えるだけの真実な愛がありました。ほんとうに、みなさん優しかった、まぶしいほど愛に満ちていました。その美しい愛に囲まれて私は、医師が奇跡ですと叫んだほど見事に回復していったのです。

 

私は、多くの人たちのただ中に働く神の愛を決して忘れることが出来ません。私がいちばん弱い時に人びとの愛が強くなり、神の愛が完全に働いたのです。神の愛の本質を教えられたと信じています。私の身体は事故以前に比べると半分ほどに弱くなりました。しかし、神により頼み、すがる信仰は強くされたと思っています。

 

「キリストの力は弱さのうちに完全に現れる」

「キリストの力がわたしをおおうために、

むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」

 

近年は、「老い」という弱さも加わって、ますます弱くなりました。

しかし、あまり心配していません。

あの弱さの中で強く表れた神の愛が今も私を取り囲んでいるのですから。

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日々の風から 45年前のこの日 その1

 

あの日も朝から焼き尽くすような陽が燃えていて暑い日だった。夏休みもあと二日だけになり、月末が迫っていた。私はなんとなくせわしい思いに駆られ気が散っていたのだろう。家の近くを自転車に乗ってお使いをしていた。広い都道と狭い区道の交差点で信号が変わるのを待っていた。

 

私はまっすぐに都道を走って家に向かうつもりであった。信号ばかり見ていた。すぐ右側にいる巨大なトラックは気にしていなかった。青信号になって、走り出した。

 

右側のトラックが左折して区道に入ってくるのがわからなかった。あっと思った時、私の頭を超えるほどの大きなタイヤが私をめがけて突進してきた。もう一度気が付いた時、私は路上に投げ飛ばされていた。左折する車の後輪に引っかかったのだそうだ。よく下敷きにならなかったと後で言われたが、どうにもなるものではなかった。

 

けたたましい救急車の音も聞いた。大きな病院に運ばれるのも知っていた。真夜中まで手術を受けたことも、あとで知った。二人の娘が5歳と4歳だったこともよく覚えている。

 

今ここにすべてを書きつくすことはできないが、とにかくも、私は願ったとおり祈ったとおり、12月のクリスマスには家に戻って、娘たちとクリスマス礼拝に行くことが出来た。

 

あれから45年が経つ。足一本失うほどの大怪我であったが、今はどうにか自力で歩行ができている。『主の恵みによって今日のわたしがあるのです』!!

 

 

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日々の風から 涼風を求めて その4

 

 

 

明日から24節気の分け方によれば「処暑」に入る。だんだんと暑さが収まるころという。確かにひところの40度の暑さと比べると少し質が違ってきている。しかし実際とはずれることもあり、異常気象の昨今では大いに狂うかもしれない。台風のシーズンというのは当たっているようだ。まだまだ本格的な秋風には至らない。

 

この夏はヘンリー・ナウエンを再読している。彼は生涯に40冊以上の本を書いた。日本語に翻訳されているものもかなりある。時に応じて読んできたが、今回は手元にあるものを全部取り出し、娘の書棚からの応援も得て片っ端から読むことにした。この夏の霊の涼風はナウエン氏からいただいている。

 

氏の著書は、内容は途方もなく深いのだが、わかりやすく、しかも、一冊一冊が分厚くない。それで、片っ端から、などと不謹慎な思いになったが、どうしてどうして、スイカを食べるようなわけにはいかない。再読の再読になり、なんども行ったり来たりしている。初めて読むのは「最後の日記」だ。

 

ナウエン氏はわずか64歳で急死された。世界中が驚いた。もともとオランダ人だが、その十年前からカナダのトロントにある「ラロシュ」の「デイブレイク」という知的障害者施設の司祭を務めていた。

 

その年、1965年9月からは、一年間の特別研修休暇「サバティカル・イヤー」に入り、日常から離れて、彼を愛し慕い支える幾人かの友人から提供される住まいやお部屋で、思索と執筆など自由な時間を過ごすことにしていた。

 

日記は9月2日、休暇初日の日から始まっている。そして、一日も欠かさずに1996年8月30日、休暇を終えて再びデイブレイクの自室に戻り、荷解きをして「サバティカル・イヤー」は終わったのだ。帰ってきて、よかった、で終了している。

 

9月に入って2週間後の15日、ナウエン氏はロシアのサンクト・ペテルブルグへ行くために、一晩オランダで休息をとった。それが彼の最後の日と場所になった。彼は故郷オランダの地で、93歳の父やきょうだいたちに囲まれて天に帰った。

 

64歳とは地上の生涯を終えるには早すぎるではないか。事実、ナウエン氏は新しい働きのために具体的なプランをいくつも立てていた。その真っ只中の「死」である。いかにも残念だ。今生きていてもたかが?!86歳なのだ。神さまのなさることは凡人にはとうていわからない。

 

神様が彼を愛し、ナウエン氏も猛烈に主を愛していたことだけはわかる。彼はいつも主と密なる交わりを持っていた。今はそのまま、場所を変えただけでよりいっそう親しく過ごしているだろう。ナウエン氏にとっても神様にとっても、地上も天上も同じなのかもしれない。お二人の間には時と場所に制限されない涼やかな愛の風がそよいでいるのだ。

 

この本はすぐにまた読まねばならない。その涼風に、私も思いっきり浸りたいから。

 

 

 

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日々の風から 涼風を求めて その3

 

敗戦して73年になる。あの時わずかうん歳だった私は、玉音放送を聴いたわけでもなく、それを知ったのさえいつだったか、記憶にはない。だから戦争体験があるとは言えない部類に入るだろう。幸いなことに父は戦地に行かずに済んだ。徴用工として国の命ずる軍需工場で終戦の日の午前中まで働いていたという。しかしその日のうちに全員解雇された。しかも家族ともども強制的に移住させられていた社宅は早々に退去せねばならなかった。しかし以前の職場は閉鎖されたままで、経営者もすぐには事業を開始できなかったようだ。つまり、敗戦の翌日から、私たち家族は住むに家なく、父は働くに職場がなかったのだ。

 

我が家族が東京に戻り、父が元の職場に復帰したのは4年の後である。この間のことは記憶も鮮やかで、懐かしい思い出に満ちている。父母の苦労は並大抵ではなかったろうが、子どもの特権で、私はのんきなものだった。もちろん子ども心にも悲しいことや不快な思い出はいくつもあるが、今思い返しても、一巻のドラマのようで、どことなく現実味にかけている。それが子ども時代というものなのだろうか。それとも私は鈍感だったのだろうか。

 

15歳で洗礼を受け、その後の、今に至るまでの歳月は、脳裏には実にクリヤーに刻まれている。眠りから覚めたように、意識も感覚もはっきりしている。自己責任で生きねばならない年代に入ってきたせいだろうか。つまずいたり、失敗したり、絶望したり、病んだり、傷んだりと、人生の喜怒哀楽に見舞われながらも、とにかく戦後の73年をここまで生きてこられた。そこにはまがうことのない神の愛による唯一無二の涼風「生かされて」が吹いていた。それに包まれ運ばれてきたのだ。

 

神の愛の涼風は今日も35度の熱風にもびくともせずに吹き続けている。そのおかげで、私の心とたましいは涼やかである。

 

 

 

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