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日々の風から 5月は往く コロナは行かず
日々の風から 5月は往く コロナは行かず
風薫る5月、だれもが大好きな5月、麗しの5月が過ぎ行く。 だれもかれもがコロナに心奪われ、 5月を楽しむことができなかった。 山に海に野原に行けなかった。 庭園にも行けなかった。 家の周りをウロウロするだけだった。 海外の悲惨な状況を見聞きするにつけ 明日は日本ではないか、東京ではないかと オロオロした。
緊急事態宣言と言う聞きなれない言葉が主役になり 自粛要請と言う見えない鎖に縛られた。
宣言が解除され、捕虜から解き放たれたが 足元にはまだまだコロナ弾が飛び交っている。 一刻も早く戦場を逃れ、 安全地帯に出たいものだ。
こうしているあいだに、 風薫る5月、だれもが大好きな5月、麗しの5月が過ぎ行く。
今日、5月の最後の日曜日も、 教会は閉鎖、オンラインの礼拝でした。 来週から、待望のリアル礼拝が再開します。 しかし、密を避けて、3回に分けます。 新しい生活様式に従って。 2020.05.31 Sunday 18:08
日々の風から 日本全国の緊急事態宣言解除!とはいえ〜〜〜
日々の風から 日本全国の緊急事態宣言解除!とはいえ〜〜〜
1か月半、東京では2か月に及んだ自粛生活要請が解除された。確かに、他国のようなオーバーシュートはなくロックダウンもせず、グラフで見る限り収束に向かっていることはうれしく感謝なことである。
先が見えず増え続ける感染者、死者が続出した日々は身の縮む思いがした。次は自分の番だろうと思ったのは私だけではないだろう。ちょっと熱っぽかったり咳が出たりだるかったりするとギクリとしたこともあった。私が罹ったら家族に迷惑だととっさに思ったこともあった。一方で、近くのスーパーだけでは物足りなく、一駅先の駅ビルに行きたくなったこともあった。しかし、しかし、自分の手足を自分で縛って、心も縛って、ぐっと我慢の日々が続いた。今も、であるが。皆さんそうであろう。今また、第二波、第三波などと不気味な言葉が大きく聞こえだしている。
このさなかでの解除である。危ういとはみんな思っている。しかしあの自粛生活はもう限界だとも思っている。経済優先であることは間違いない。だれもがわかっている。今回の解除はショートブレイクなのだろうか。とりあえず一息ついてコーヒーでもいただきましょうという程度なのだろうか。二波、三波が来ないように祈りつつ、政府から送られた「新しい生活様式」という重たいリュックを背負って、未知の道をスタートしたい。
2020.05.26 Tuesday 11:31
日々の風から 自粛は続くよ どこまでか
日々の風から 自粛は続くよ どこまでか
39県が自粛要請を解除された。 該当県はずいぶんホッとされたことだろう。 感染者数などいくつかの懸案事項がクリヤーされたからだろう。 何と言っても明るいニュースである。 といっても「新しい生活様式」という条件付きではあるが。
残る9都府県はおあずけである。当然でしょう。 まして東京は都知事の言うように「まだ真っ赤です」である。 3月25日以来の非日常の生活を続けているが、 自粛スタイルがだんだん当たり前になってきているのは感謝なことである。 友人知人に会うことはないが、 今は、メールで繋がり、話ができる。すばらしい世の中である。 皆さん、それぞれに工夫して積極的に乗り越えていこうとしておられる。 いたずらに時を浪費し、嘆いてはいない。励まされうれしくなる。 東京は最後まで残るかもしれない。 一回でもいいから感染者数がゼロの日があればいいねと、 期待する日々である。 2020.05.19 Tuesday 13:08
日々の風から コロナ自粛の緩み
日々の風から コロナ自粛の緩み
人間はどれくらい束縛の緊張に耐えられるのだろうか。圧力の種類にもよるが、難しい課題だと思う。自粛というのがよけい難しさを増している。しかも要請であって命令ではない。法律に違反するとか、違反したら罰則があるとなれば、耐えざるを得ないし、耐えやすいだろうが、コロナに係わる自粛要請はあくまで個々人の判断にゆだねられている。
とはいえ、自分の生活状況と一般常識の範囲内で解決できる課題であろう。そして、全国民が、幼い子どもたちから高齢者まで、忍耐した。まだしている。その成果が出たのだろうか、このところ全国的に感染者数、死者数が減少してきている。なんとうれしいことだろう。そうなると、先へ先へと思いが走る。これもまた自然なことなのだろう。自粛の緩みと言われ、警戒されるが今までの反動が出るのだろう。
GWが明けて、どことなく人出が多いように思う。それを観察する私が早くも自粛違反だと言われそうだが、いえ、いえ、固く守っていますよ。唯一の散歩場所、近くの公園に行くまでの道々でそう思う。社会的距離の危うさを感ずる。そんなときは、一歩も二歩も下がってちょっと待って、大切な空間を作ることにしている。
明日にも、39県で解除されるそうだ。私のところは特別警戒都道府県だから、解除の解放感はおあずけである。きちんと解除宣言が出ない限りじっと忍耐するのみである。諸外国の例にあるような、第二波、第三波の悪夢は見たくない。最後の5分間を大切にしたい。
2020.05.13 Wednesday 20:48
日々の風から 自粛要請の続き 新しい生活様式考
日々の風から 自粛要請の続き 新しい生活様式考 日本のコロナ禍はほんとうに収束に向かっているのだろうか。様々な情報が飛び交っているが、ほんとのところは誰にもわからないのではないか。暗闇の中で手探りしているような状況ではないだろうか。諸外国の実情が参考になるかもしれないが。また、ひと月ほど自粛要請が延長した。文句を言っているのではない。素人でもそう思うから。一人一人が精一杯励まねばと自分自身に言い聞かせている。期間ではなく、感染者数や亡くなる人が納得のいく数値にならねば、自由な日は来ないだろう。
今回の自粛延長で「新しい生活様式」が提示された。イラストに見入ったが、自粛生活がより強化された気がする。自粛から解放されても当分は守るべき事柄なのだろう。コロナは私たちの日頃の生活習慣をも変えるのだ。なるほどとうなずくこともいくつかある。
食事の仕方が提示されていた。対面で食べないこと、大皿盛りにしないでめいめいに盛るなどがあった。家庭でもレストランでも対面は当たり前になっている。家庭ではたとえ二人でも向かい合う。横並びはない。これを、どこででも横並びにするのは今までの習慣からは不自然と思える。できるだろうか。
ふと、思い出すことがあった。かつては日本旅館に行くと、めいめいにお膳が配られた。今もそうしたところもある。右左の人とも適当に距離がある。対面になる時も真ん中はお給仕する方が入れるくらいに距離がある。あの様式は実に衛生的で、感染症対策にも適している。 また、もっと昔は、家族も大きな食卓ではなく、一人一人が箱型のお膳の前に座った。映画のシーンなどによく出てきた。そして、食事中は話をしてはいけないのだった。学校では、給食の前には厳しく手洗いをしつけられ、食後はうがい、歯磨きも教えられた。
考えるに、日本型食事スタイルはコロナ防疫で、新しい生活様式としてラッパを吹くまでもないことなのだ。一つテーブルを囲み、大皿を回し、談笑し合いながら食事をするのが、愛のあるファミリーのモデルのようになったのはいつごろからだろうか。戦後であろうか。欧米文化だろうか。良し悪しは別として、定着したスタイルを変えるのは容易ではないが、コロナに押されて、この際、生活スタイルの見直しをするのは大事なことだろうと思う。
2020.05.06 Wednesday 18:06
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