人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から スーパーマーケット雑感

日々の風から スーパーマーケット雑感

 

 

コロナ感染予防対策で、特にGWを迎えるこの2週間は大事だと、小池都知事が盛んに説得している。毎日報道される数字を見るかぎり、決して鎮静化していない。それどろか、このまま上昇し、いつ爆発するかもしれないとハラハラする。諸外国の例が挙げられるが、もし日本がそのあとを追うようなことになったらとんでもないことだ。呼びかけられているように、一人一人の意識と行動によるなら、そうするべきだと当然思いう。

 

今回、日常の買い物場所であるスーパーマーケットの使い方が挙げられた。3日に1回にして下さいと。三密回避のためにはやむを得ないだろう。

 

我が家の周辺には徒歩で5分とかからないところに3店の中くらいのスーパーがある。大きめのドラッグストアーが2店、コンビニは4店ある。スーパーへはほとんど毎日、それも2店はいく。特別に買い物メモを持っていくほどではなくても、とにかく行く。ぶらり行くこともある。

 

今回3日に1回などと言われてみて、改めて自分とのかかわり方を振り返ってみた。実によく行くところなのだ。娘ファミリーと同居ではあるが、基本的には2世帯である。私は独立して生計をしている。だから、日用品はことごとく自分で揃える。食品だけでなく雑貨類もである。自然、必要品の数はかぎりない。それらをなんとなく365日の内にまんべんなく買い揃えていることになる。行けば何品か買ってくる。特価品が目に付けば買うこともある。今は要らなくても買うこともある。メモを持ってそれだけに突進する男性ではとても家庭運営はできない。

 

3日に1回は厳しいが、今は厳戒のコロナ非常時である。それこそメモを持って短時間で済ませるように工夫する。コロナが終わって平和になったら、また、一日に何回もあちこちのス−パーを廻って楽しむことにしたい。散歩がてらに寄る場所でもあるから。

 

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日々の風から 自粛慣れ 

日々の風から 自粛慣れ 

 

私の自粛が始まったのは、3月25日の小池都知事の第一声からであるから、国が7都府県に緊急事態宣言に出した4月7日に先駆けること、2週間前からである。一都民としてこの難事収束のために参加するべきと理解し、覚悟した。以後、公共の交通機関は使っていない。当然、遠方に出かけることはいない。予定はすべてキャンセルした。自分の足だけを頼りに、近隣を歩くのみである。現役ではない強みだろう。

 

最近は日用品の買い物すら最低限にして、たとえ、コンビニでもスーパーでも、ドラッグストアも行かない。時々、籠城だあ、蟄居だあ、いや囚人だあと我が身を例えて自嘲している。ウイスルは高齢者を好むようだし、もしも感染したら家族に迷惑が及ぶ。幸い、友人とは全く会うことはない。一番接触する教会も閉鎖だから、会わない。家にいてもほとんど自室にいるわけだから、24時間三密とはほど遠い。かくして、自粛生活も悪くないなあと、高齢老女は低空飛行の現状を受け入れている。

 

メールやラインで友人知人と絶え間なく安否を取り合っている。この繋がりは大きな威力がある。ありがたいご時世である。この利器を使えないさらに高齢の方々とは電話があり、また郵便がある。いつも間接ではあるが人の気配がある。心がある。愛がある。

 

そうした繋がりから「自粛慣れ」が見えてきた。この時期を好機としてとらえている。嘆き節も隠れ見えるが、大方の方は積極的に暮らしている。

「未読の本を読み始めました」

「家の片付けに取り掛かりました」

「料理する時間が増えました」

「外食しない分、ちょっと高価なスイーツや果物で気分転換しています」

「ラジオをよく聴くようになりました」

「本も飽きるしテレビは疲れる。腰痛がひどくなると遠慮しないで寝ています」

「家族みんな、いつものように仕事に出かけてます」

「老衰で死の瀬戸際にいるペットにかかりっきり」

「孫を預けられて、公園で一緒に遊んでいます。幸せです」

「幼稚園が始まっても登園できない孫が泊まりに来ています」などなど。

 

緊急事態宣言はひとまずGW明けまでとなっているが、果たしてそこで解除になるのだろうか。その時には感染者ゼロになっているのだろうか。諸外国は早くも期限を延長している。厳しいロックダウンしてもである。日本はどうなるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

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日々の風から イースター礼拝はネットで

日々の風から イースター礼拝はネットで

 

 

 

今年の復活祭、イースターは4月12日であった。世界中のキリスト教徒が、イエス・キリストのよみがえりを祝い、感謝する、いわばクリスマスと同等の喜びの日です。しかし、です。このコロナ禍では、三密がもっとも警戒されていますから、教会に集まることは控えねばなりません。

 

もう、とっくに、変則的ではありますが、非常時の手段として、ネットを使った礼拝が行われています。できる教会は動画配信を、設備のない教会は音声配信をしています。我が教会は音声配信です。大急ぎでその準備をしました。あらかじめ説教原稿と週報も郵送されてきます。先生は、いつもと違うスタイルに神経を使い、多忙を極めていると思います。

 

しかし、ネットの使用は個人差があります。アナログの人、高齢者は使えません。説教原稿を読むだけでは限界があります。厳しいことだと思います。

 

毎週、何十年と、顔を合わせてきた教会のメンバーと直接に会えないなんて、悲惨です。こんなにも寂しくつらいとは〜〜〜〜〜!。

 

教会以外にも、2、3の組織活動をしてきていますが、すべて休会です。そこのメンバーたちが恋しいこと!!。高齢ではありますが旧友が、ずっと療養したのですが、召されたと報がきました。そこへ、親しい友人のご主人が、施設に入所していたのですが、亡くなられたとメールが来ました。友人はここしばらく面会さえ禁じられていた最中だったと。嘆きはいかばかりでしょうか。

 

世界のコロナ惨状は報道でおおよそを知らされています。日本はこれからなのでしょうか。この闇はもっと深くなるのか、あるいは出口に来ているのか、知る由もありません。

 

ただひとつ、祈りの窓は大きく開いています。祈りを聴かれる神様に届いているはずです。祈る者の確信は大きいです。祈りの窓から希望の風が吹き込んできます。病と闘う専門家の皆さんのアドバイスをしっかり受け止めて、一人の人間として、社会に生きる人間として、その分を十分に果たしていきたいと、気を引き締めて、力の限り祈っていきます。

 

 

 

 

 

 

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日々の風から 十字架上の七つのことば その2

日々の風から 十字架上の七つのことば その2

 

 

『私の霊をあなたの御手にゆだねます』 

 聖書箇所・ルカの福音書23章44〜47節

『さて、時はすでに十二時ごろであった。全地が暗くなり、午後三時まで続いた。太陽は光を失っていた。すると神殿の幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。百人隊長はこの出来事を見て、神をほめたたえ、「本当にこの方は正しい人であった」と言った』

 

イエス様が息を引き取られる最後に言われたのは「「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます」であった。それも大声で叫んだ。これは父なる神への大いなる信頼を表わしている。死の直前という最も深い闇の中で、イエス様は父なる神を光として見て祈ったのである。そのときイエス様には神様からの平安が与えられたであろう。イエス様のこの言葉は私たちに貴い教えを与えている。

●私たちは神様を天の父として持っている。

この祈りは詩篇32篇5節からのものである。イエス様はそこに「父よ」と加えられた。主の祈りでも「天にいます私たちの父よ」と祈るように教えられた。イエス様を信じた者は神の家族に加えられ、神様を天の父とすることができる。「天の父」を持つことは、何も恐れることはないのだ。父はいつもともに居てくださり、どんな時も決して離れず、見捨てず、変わらない愛で愛してくださる。それが神を父として持つことである。

●私たちは信頼できる父を持っている。

イエス様は「ゆだねます」と言った。ゆだねるとは一番信用できる所に一番大切なものを預けることである。そこが一番安全だからである。信頼できるからである。イエス様は一番大切な霊を一番信頼できる父なる神さまに預けたのである。ペテロ第一5・7には『あなたがたの思い煩いをいっさい神にゆだねなさい。神があたながたのことを心配してくださるからである』とある。私たちは霊的孤児の様になり、天の父を持っていないかのように、思い煩っている。思い煩いの最高の処方箋は父なる神にゆだねることである。

●私たちは大きく強く優しい天の父の御手を持っている。

「あなたの御手に」とイエス様は祈られた。どんな力も神の御手から奪えるものはないと、イエス様は知っていたからである。私たちに、神様の御手を握る力がなくなっても、神様は私たちを見捨てず、勝利の右の御手で最後までしっかりと握っていてくださる。

●私たちは霊的な領域を支配する天の父を持っている。

「わたしの霊を」とイエス様は祈られた。

イエス様は、わたしのからだを、とは言わなかった。私たちは目に見えるからだだけで生きているのではなく、霊的な存在である。神さまは私たちをご自分に似せて創造された。死で終わりではない。死は新しい始まりである。イエス様は一番大切な霊を父なる神にゆだねられた。神様はご計画によって召された者たちにはすべてが益となるように働いて下さる。どんな苦境の中でも、「わたしの霊をあなたにゆだねます」と、父なる神様を信頼してゆだねて行こう。

 

 

 

 

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日々の風から 棕櫚の日、受難週の朝に 十字架上の最後のことば その1

 日々の風から 棕櫚の日、受難週の朝に 十字架上の最後のことば その1

 

 

 

今日から我が教会はネット礼拝になった。牧師の説教は音声で送られてくる。週報はすでに郵送されてきた。私はいつもの礼拝開始時間に、週報のプログラム通りに一人で礼拝を進めた。讃美歌も一人ではあるが、心を込めて讃美した。いつもは司会者が祈る開会の祈りもささげ、主の祈りも祈った。そして音源をオンにした。牧師の聖書朗読が聞えてきた。

 

しかしである、いままでにこんな朝を迎えたことがあっただろうか。自分の教会生活が思い出される。今年受洗してちょうど65年である。その65年間、一つの教会に通い続けて現在に至っている。その間、礼拝を休んだ日を思い起こした。出産の時は一か月くらい休んだ。交通事故に遭った時は退院まで3か月半休んだ。40代の終わりだったか、急性の髄膜炎で入院した時は1か月休んだ。60代半ばでがんの手術をした時は半月休んだかもしれない。その他の時は休んだことはない。わりあいに健康だったから体調が悪くて欠席したことはない。風邪はたいてい軽く済んできたので、欠席するまでもなかった。幸いに、教会は自宅のすぐ近くである。行かずにはいられない距離なのだ。今回、こんな近くで、しかも、こちら側は何の不都合もないのに教会に行けないことに大きな葛藤を感じている。

 

とはいえ、初めてのネット礼拝を経験して、終わった直後から兄姉たちのコメントが入ってくる。よかった、聴きやすかったと。在宅介護の姉妹からは、ずっと教会行けない老母も一緒に耳を傾けたと感動のメールがあった。家族が一つに集まって礼拝できてよかったとの報もあった。

 

十字架上の七つのことばの最後のことばからの説教は、これからまとめます。来週はイースターですが、またネット礼拝になります。コロナ禍が一日も早く終息するのを祈り続けます。

 

 

 

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