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書林の風から ジョン・バニヤンと祈り その3
書林の風から ジョン・バニヤンと祈り その3
明日一日だけで8月も終わります。気候がぐんぐんと変わっていきます。暑さは時に猛烈ですが、朝夕の空気や草花たちの元気度、雲の流れに、確実に秋を見ます。あの耐え難い巨大な猛暑の塊も、創造主は動かし溶かし消滅させるのかと、改めて目を瞠り、心震わせています。感動にです。一方、雨にも風にも負けてしまう弱い肉体は、四苦八苦しています。
ジョン・バニヤンの祈りの本を開き、続けていきます。 この本は31章に構成されていて、デボーションに用いるように配慮されているようです。
㉑ 御霊に照らされた知性 ㉒ 根気よく祈る ㉓ どうしても祈ることができないとき ㉔ 聖霊を求めて祈る ㉕ 恐れと望みをもって祈る ㉖ 聞かれない祈り ㉗ 力ある祈り ㉘ 励ましの言葉 ㉙ 恵みの御座に近づいて祈る ㉚ 聖霊を悲しませてはならない ㉛ 人ではなく神を第一に *祈りに関するジョン・バニヤンの臨終の言葉 *主の祈り *「霊的市民」のインマヌエルへの祈願 以上
一度に、一気に読むのもよけれど、それで終わりではなく、次は一日一章ずつ味わうのがいいと思って、そうしています。就寝前の祈りの時、まず開いて読み、霊性を整えてから祈ると、祈りの場が充実して、たましいに平安と喜びが与えられ、感謝です。
2019.08.30 Friday 11:54
書林の風から ジョン・バニヤンと祈り その2
書林の風から ジョン・バニヤンと祈り その2
本の目次の最初に「ジョン・バニヤンの生涯」が紹介されています。短い一文ですがさらにその要約をしてみます。
『ジョン・バニヤンは1628年(江戸時代の初めですね。家康が江戸に幕府を開いたのが1603年ですから)、英国のベッドフォードに近いエルストウに生まれた。両親が貧しかったため(家業は鋳掛屋とか)正規の教育は受けられず、読み書きは常に親しんでいた聖書で培われた。ピューリタン革命({1642年ごろ}の時はピューリタンの側について戦った。1643年に結婚。妻は持参金の代わりに信仰書2冊を送った。それをきっかけに霊的な生活への関心が高まり、1653年、独立派の教会に加わった。 教会で説教をし始めたが、正規の資格を持っていなかったので厳禁されたが従わず、その後12年間を牢で過ごした。王政復古で、スチュアート朝チャールズ二世の世になり、英国の教会は統一されて一つになり、一つの形をとることになった。礼拝の形式は「祈祷書」の通りにしなければならなかったが、バニヤンは反対した。 牢獄の中で、バニヤンは次々に名作を書いていった。「天路歴程」、「恩寵あふるる」など。そのほか、獄の中で書物やトラクトを書いた。その中の祈りに関する文章がこの本の元になっている。1672年、釈放された後も、ベッドフォード近辺で説教と伝道活動をした。1688年、波乱の生涯を閉じた』
次いで目次には「序」があり、編集者の一文があるので、そこも要約してみます。 『貧しくて、教育も受けられない鋳掛屋だったジョン・バニヤンは、資格なしに公に説教した罪で、また英国における信仰の自由のために活動したということで投獄された。しかし孤独な牢獄生活の中で、彼は祈ることを学んだ。また、たましいに感動を得て、こんにちキリスト教界で古典と呼ばれる書物を書いた。バニヤンが手元の書物から学んだことは、どんな苦難に中にあっても、たとえ断頭台へ登るようなことになったとしても、なお神に栄光を帰することができる道が一つある。それは絶えず祈ること、深く祈ることであると確信した。それを書き留めて牢獄の外に手渡して、妻を力づけ、迫害と投獄と死に直面している人々を励まそうとした。 英国国教会から分離した他のキリスト者と同じように、バニヤンもまた、キリスト者が自由に説教し、自由に祈れるようになることを望んだ。英国国教会の支配者層は、人々の宗教生活が「祈祷書」を中心して行われるべきだと考えた。バニヤンや他の独立派の人たちは、それぞれが聖霊に導かれて祈るべきだと考えた。 祈りに関するバニヤンの著作を31章の黙想に編集した。読者がバニヤンの原則のように自分の状況を当てはめて自分自身の祈りを祈ることができるようにと願っている。 1989年 神の国のために L・G・パークハースト
このあと、31章に渡って、バニヤンの勧めが書かれています。
2019.08.25 Sunday 22:36
書林の風から ジョン・バニヤンと祈り その1
書林の風から ジョン・バニヤンと祈り
まだ読書の秋の看板を掲げる時期ではではありませんが、このひと夏を、小さな一冊に費やしました。たぶんどなたでもお持ちではないかと思いますが、書棚の奥にあった一冊に心が留まって読みふけっています。なんどでも読み返しています。ブログ上でもしばらくこの本と過ごしてみようと思います。
『ジョン・バニヤンによる祈りの力』著者ジョン・バニヤン、編者ルイス・ギルフォード・パークバースト、訳者棚瀬多喜雄(いのちのことば社)1990年3月30日発行 です。ところどころ製本がほつれてバラバラになっています。
ジョン・バニヤンと言えば、不朽の名作『天路歴程』で高名ですが、私が手にしているのは、彼が信仰の故に投獄されていた時、そこで記した多くの著書の中から祈りに関したものを編集したものです。コンパクトにまとめられていて読みやすくなっています。
最初にバニヤンの言葉が書かれています。抜き書きします。 『祈りとは、誠実に、はっきりした意識を持って、熱意を込め、キリストを通してたましいを神に注ぎだすこと、また聖霊の力と助けにより、神の約束、神のみことばにかなうものを求めること、そしてそれは、教会の益を願い、信仰を持って神の御旨に従おうとする重いから出てくるものである』
1662年 ベッドフォード牢獄にて ジョン・バニヤン 2019.08.22 Thursday 17:10
世相の風から 戦後74年 昭和20年8月15日
世相の風から 戦後74年 昭和20年8月15日
今年も終戦記念日が巡ってきた。 74回目という。戦後74年になるということだ。 あの日のことを言い表すには、 昭和20年8月15日という呼び名が 私にとっては一番実感がわく。 幼いながらその日を知り、ずっとずっと聞き続けてきたからだろう。 また、1945年の表現も使い慣れた。
今年新しい元号になったが、私には今では西暦が一番慣れ親しんでいる。 おそらく今後、令和は使わないだろう。 とはいえ、 全国戦没者追悼式で代替わりした天皇ご夫妻が参列し、 お言葉を述べられたのは新鮮だった。 先の大戦を経験しなかった人たちに、 戦争を嫌い、平和を愛し、 平和のために尽くす人たちが勢いを増すことを願うばかりである。
台風10号も恐ろしい。被害がないように、素早く通り過ぎていくように祈ります。
2019.08.15 Thursday 21:37
日々の風から もう立秋!月齢は7日
日々の風から もう立秋!月齢は7日
猛烈に厳しい暑さが続きます。猛暑、酷暑、炎暑、極暑、厳暑と、 なすすべもないこの暑さへの呼び名があふれています。 どれが一番ぴったりするでしょうか。
今日8日から、今年は立秋に入ります。もう立秋です。 単に暦の上だけのことかもしれません。 毎年、この時期が暑さの頂点ですから。 しかし、日足は確実に短くなっています。 夏至からかれこれ40日になりますから、 時間で言えば日没は30分以上早くなっているはずです。 それがはっきりわかります。夕闇がすっと降りてきます。
台風の風の影響かもしれませんが、 空気が澄んでいるのか、夜の月が輝きを増しています。 今晩の月は7日。形は半月です。 フルムーン、満月は15日だそうです。 夜空が楽しみになりました。 結論として秋は近い、そう言いたいし思いたい。 これが本音です。 2019.08.08 Thursday 22:36
風の仲間たち
風の仲間たち 一気に猛暑 教友を天に送る
この猛暑もまだほんの短期間なのに、一か月遅れだった長い梅雨の日などすっかり忘れて、もうへなへなしています。改めて、夏は確かに来るんだなあと、妙なことに感心している有様です。しかしすでに八月です。今年の暑さは昨年に限って比べれば1か月は雨の中に隠れて、過ぎてしまったといえます。9月いっぱいは暑いとはいえ、先が見えたように思うのは愚かな判断でしょうか。暑さ対策の気休めにしているのですが。
この猛暑の中で、60年以上もともに教会生活に励んできた友、T兄を天に送りました。我が教会は今年創立70周年を迎えます。今は5人目の牧師を迎えています。草々の5年ほどの間に信徒になった人が現在わずかに4人、その一人が召された兄で82歳です。4人の中のしっぽが私です。最長老は88歳の男性、次が85歳の女性です。(現在の教会員には、96歳を頭に10名ほど私より高齢の方がおられますが、草創期の方々ではありません)
私が中学3年生の時、兄は早稲田の大学生でした。外資系の世界的企業に就職し、高度成長期の日本をまさに背負うがごとく、企業戦士として世界を走り回って働きました。単身赴任もあり、ご家族そろっての転勤もあり、出張は年がら年中で、礼拝もままならない時期がありました。しかし、教会の大切な時には必ず論を尽くして教会中を納得させ、教会の歩みをいつも主のみ心にかなう道に導かれました。私は彼の論にたいてい同調できました。
T兄は70歳を過ぎたころからいつくかの病に襲われましたが、何度も何度も奇跡的に回復し、よく、礼拝で主のみわざを証しされていました。しかし今回はついに力尽きたのです。もちろん神の時だったのです。容体が急変する数時間前まで、意識ははっきりしていて、自力で歩き用を足していたそうで、いかにも勇敢な兄らしい最期でした。万全を尽くした医療環境の中で、自宅から天に帰られました。理想的な生き方死に方をされたと、思い返しています。前夜式、告別式と、全葬儀に思いを込めて参列しました。
『主の聖徒の死は、主の目に尊い』詩篇116:15 『こうしてヨブは死んだ。年老いて、満ち足りた生涯であった』ヨブ42:17 2019.08.02 Friday 11:22
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