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旅の風から いずこも同じ梅雨寒の空
いずこも同じ梅雨寒の空 SLに出会う
旅とは言えない外出である。新幹線や特急に乗ればこれはもうれっきとした旅であろう。たまに車に乗せてもらうこともあるが。最近はいわゆる観光旅行のチャンスがない。自分から計画を立てて友を誘うこともしていないし、誘われることもなくなった。高齢の故であろう。と言っても、旅心が消えたわけではない。旅の風はそよいでいる。弱風になったかもしれないが。ときどき折りたたんだ旅の翼がむずむずすることがある。その時は、いつでも歓迎してくれる2か所へかわるがわるに飛んでいく。今回は上州路である。
ツバメの巣に出会う
今回はお天気具合もチェックしない。先方と私の都合の良い日を最優先した。これがなかなか合わない。こちらは旅気分でもあちらは活動のさなかが多い。梅雨空を承知で出かけた。ごく軽装である。ふだんのバックと薄い手提げ袋一つである。リュックばやりであるが、背中がうっとうしい気がした。手に持つのもつらいものがあるが、そのくらいは我慢しなければならない。バスに乗り電車に乗り換え、新幹線ホームに行く。たどり着くと言いたいくらいそれだけでもハードになってくる。まして一人旅。勘違いも多くなるから、切符とホームの表示を食い入るように何度でも見て確認する。老いてしまったものだ。
幸い、大雨はなかったが、いずこも同じ梅雨空である。そして梅雨寒である。今年の梅雨は気温が低い。どことなく冷えを感ずる。妙義の山の頂上はけぶり、浅間は見えなかった。 2019.07.18 Thursday 14:58
日々の風から 歴史散歩 荻野吟子終焉の地再訪
日々の風から 歴史散歩 荻野吟子終焉の地再訪
歴史散歩と言っても遠方に行くのではない。時代も明治初期だからたかだか150年ほどに過ぎない。ここ数年、維新前後のクリスチャンで偉業を成し遂げた女性たちに惹かれているが、最初に心に入ってきたのは荻野吟子女医である。いくつか本を読み、実際に活動した地を踏んだ。遠くは北海道まで行った。そして私なりの視点で吟子を眺め、私なりの吟子像が生まれ、育ち、小さな一冊になった。
次は若松賤子を愛した。アメリカの女性宣教師に育まれ、英語で寝言を言うほど英語力に強く、文学能力も高く、小公子を最初に翻訳した。彼女を訪ねて会津若松まで旅した。こちらも冊子ができた。
昨今もある女性に魅力を抱いている。私の体内に宿っているというべきだろう。だが遅々として成長しない。作品として誕生させる力がない。母体が弱くなっている。心は熱っすれど肉体は弱い。日の目を見ないかもしれない。
荻野吟子は間もなく映画化されるという。社会派の女性監督山田火砂子女史が先頭に立っていると聞く。吟子は艱難困難の波にもまれながらも、ぶれずに初志を貫徹して、明治政府公認第一号の女医になった。その波乱に富んだ人生は映画化するにはぴったりだと思う。
吟子終焉の地が、我が墨田区なのだ。以前にもブログに書いているが、その場所を再訪してみた。吟子のことが忘れられない。ふと、思い出す。最近も、あの場所に立ってみたいと何度も思った。北海道後志半島の瀬棚町で長く暮らした後、老いて病の身で帰ってきた。しかし、女医第一号として華々しくデビューした本郷の地へはあえて戻らず、隅田川を越した掘割の川岸に医院を開き、付近の住民を診ながら幾年かを暮らしたという。患者たちも吟子が不朽の偉業を成し遂げ、名声を得た人だとは知らなかったという。そのつつましやかな生き方が心に染み入る。
梅雨空が低く垂れこめる日、私は源森橋のたもとにしばらく立ち止まって、区の教育委員会が設置した説明板に見入った。前回と全く同じ物である。スカイツリーが手に取るように間近に聳える有名スポットなのだが、吟子の記念地に立つ人はいない。その一角だけがひっそりと静まり返っている。時が逆流していた。その雰囲気がたまらなくいとしい。 2019.07.11 Thursday 10:00
日々の風から 今年後半の風はどこから吹くのか
日々の風から 今年後半の風はどこから吹くのか
台湾へ、若者伝道の奉仕に参加していた孫が無事に帰国しました。少人数のグループだったので、仲間たちとの数日の共同生活も楽しく有意義であったようです。台湾はすぐ隣とはいえ、気候も、文化もちがうので体調が狂ったり戸惑ったりと、異文化体験ができて、よかったのではないかと私は強く思います。まさに「百聞は一見に如かず」の典型でしょう。話を聞いたり、空港に行くと、すぐにでも飛び立ちたい思いに駆られますが、さてさて、そうもいきません。これからは送り出すことが多いかなと、うれしいけど、ちょっと寂しい気分です。
今年も後半に入り、教会や係わる組織の行事を考えると、かなり密です。それに参加し、担当をこなし行くだけでも体力、能力を要します。主に支えられて果たしていきたいです。一年ごとに高齢の坂を上りゆく我が身です。今の自分の持ち分、責務を果たすのは当然ですが、自分自身を客観的によく知り、見極めていきたいと常々思います。
このところ、親しい友人知人の身の上にかなり厳しい現実がのしかかっています。ご自身が老いによる障害や思わぬ難病、また、お子様方が大きな病に襲われ、あるいは90歳を超えたご両親の最終段階の介護に心身を痛める方々もおられます。私にできる唯一のことは祈ることです。また知人たちも祈ってほしいと言ってきます。みな、祈りの力と恵みをしっているからでしょう。
神様から預かった最大の宝、武器である祈りに、老いてますます励みたいと願います。今年後半の希望の風は、祈りから勢いよく噴き上げることでしょう。
2019.07.06 Saturday 13:20
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