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日々の風から 5月も往ってしまうのか
さつきの薫風と新緑を楽しんでいたら、突然真夏がやって来て、大あわてをした。衣服もまだ春のものである。真冬のコートこそ整理したものの、真夏のものは整えていない。でも、全てが暑苦しい。大急ぎで取り出す始末である。寝具もしかりである。扇風機にも登場してもらった。いつになく季節の歩みが乱調であり番狂わせである。
教会では面白い光景が展開する。90歳近い老姉は冷房を入れると寒い寒いと言われ、上着をまとい、襟元にはショールを巻く。反対に中年男性たちは暑い暑いとエアコンの温度を下げる。暑がりの人、寒がりの人、年齢によっての感じ方も違うのだ。大勢の人々が一様に快適に過ごすのは難しい。私はどちらかと言えば寒がりである。冬の寒さには最近は特に弱くなった。かといって、かつては夏女だからと豪語して暑さをものともしない時期があったが、今や昔日の強さはどこへやら、日差しを見ただけで家の中に引っ込んでしまう。
かくして、異常な暑さを抱きかかえながら5月も去っていく。この月はいつもより世相の映像に時を奪われた。天皇の代替わり風景や、直近では初の国賓トランプ夫妻をお迎えしての行事を楽しく観た。雅子皇后が優雅にお客様をお迎えする姿がうれしかった。長く病んで不本意な年月があったと思うと、それだけで胸に迫るものがある。
2019.05.30 Thursday 12:46
旅の風から 新緑降る中へ
旅の風から 新緑降る中へ
5月も早や下旬に入る。あの歴史的10連休も終わって、日本中が日常に戻ったので、高齢者が街歩きしてもお邪魔にはなるまい。そんな意味づけをして、中央本線あずさ号に乗った。春に秋にと訪問する親しき友人宅にお邪魔することになった。目当ては新緑である。桜もいいけどその時は行けなかった。次は新緑である。生まれたばかりのあの柔らかな若葉の真ん中にいたいと、その一念である。山々が接近する甲斐路は巨大なグリーンボックスだ。
友人宅の周辺の林や庭の樹木はさしずめ新緑の箱である。そこに入ると、緑は上から降ってくる気がする。風に吹かれて樹の花や小さな葉が霰か雹のように降ってくる。樹も花も草も地から上へと向かうが、上から、空から、天から、神様のみもとから、地上に向かって降り注がれるのだ。と実感である。思わず知らず主への感謝と賛美があふれる。
庭の一隅にしつらえた木の椅子に座し、お茶を啜った。とたんに耳が開いたのか、鳥たちのさえずりが不規則に聞こえてくる。鶯の声だけは聴き分けられる。愛好家なら鳴き声で鳥の名をすぐに並べるだろう。かなりの種類の鳥たちが乱舞している。この光景を忘れてはならないと、目を見開いて凝視し、頭にも力を入れて記憶に努めてみた。緑少ない自宅に戻っても、しばらくは楽しめるだろう。
2019.05.20 Monday 09:05
世相の風から 母の日に
世相の風から 母の日に
母の日は今やこの時期の商売の一大広告塔になっている。母の日の起源やスピリットなどどこへやら、とにかく「セール」である。そしてシンボルは「カーネーション」である。昨日、駅前のお花屋さんに近づいてみた。なんと大行列である。いままでも人だかりはあったが、こんなに多くの人がお店を取り巻いていたのには驚いた。今まで見た事もない人員整理のポールまで立っている。とてもおかしく楽しく愉快な気持ちで眺めた。
一人ひとりにインタビューしたらどんな答えが聞けるだろうか。遠方のお母さんに送るのなら、当日の夕方では間に合わないだろう。同居のお母さんさんにだろうか。近くに住むお母さんにだろうか。実母だろうか。ご主人のお母さんだろうか。若い女性が多かった。鉢を抱える人も、花束の人も、ほんの数本の人もいた。バレンタインの時の「義理チョコ」を思い出した。とにかく世間の風の手前、「義理カーネーション」でも送らねばという人もいたかもしれない。一人ひとりの理由と心情を知りたい思いになった。たくさんのドラマがあるだろう。贈り物は人の心を和らげるし、なだめる。愛と呼ばれる行為はしたほうがいい。
お母さん側からは「その気持ちだけでいい」との意見が多いそうだ。気持ちってなんだろう。目に見えない気持ちはどうやって伝わるのだろう。もちろん日ごろの関係でわかるだろうが、行為や物で伝えるのも一つの方法ではないか。受ける側は素直に感謝して受ければいい。電車の中で席を譲られるのと同じように。素直にシンプルに。贈るほうも「ありがとう」。受けるほうも「ありがとう」。そこに美があり、愛が見える。希望の風が吹く。 2019.05.13 Monday 12:56
日々の風から 私の10連休
日々の風から 私の10連休
去年から大騒ぎの10連休が終わろうとしています。高齢者に休日の喜びは無関係です。休日を喜べるのは現役の方々でしょう。しかし、現役で懸命に働いていても、会社との契約によっては休日は収入がない人もいるので、手放しで喜べる人ばかりではないようです。また、職種によっては休めない人もいるようです。世の中は多面的で複雑になりました。 高齢者に限れば、こうした休日の時期は敢えて外出しないと決めている人も多いのです。私もちろんそのひとり。皆さんがお仕事しているときに出ればいいのです。かくして私の10日間は家の周辺をうろうろして終わります。
近くに小さな小さな公園があります。桜の時期には待ち焦がれる場所です。今は若々しい葉が空を覆っています。そこへ、朝に昼に夕に出掛けました。散歩です。散歩という新しい仕事です。そう思って、なるべく気を入れてさっそうと歩くように心がけました。膝も股関節も腰も痛くないことはないのですが、かばいすぎるのはどうなのかと思います。
歩いていると心が開いてきます。心の向かう先は神様です。いつの間にか、神に呼びかけ、祈りが生まれてきます。歩いている間、ずっと祈りが続きます。祈りがどんどん生まれてきます。一つのことを思い続け祈り続け、心ゆくまで祈れます。また新しい祈りが生まれ、祈り続けます。家が見えてきても祈りが終わらない時は、家の前を素通りして、また一巡りして祈り続けます。清々しいさわやかな思いが満ち、心が弾んできます。このような祈りをしている人はたくさんいると聞いています。陽気のいい5月は、歩きながらの祈りには最適です。神さまは「絶えず祈れ」、「目を覚まして祈り続けなさい」と言われます。
2019.05.06 Monday 21:18
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