人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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心の風から 記憶ちがい、勘ちがい

心の風から 記憶ちがい、勘違い

 

最近、ひとりの人を調べていて、過去の人だから書物に頼るばかりだが、書かれている出来事が著者によって一致していないのに気が付いて驚いてしまった。著者の一人は親類縁者で、主人公とは親しい間柄だから、昔話としてではあるが出来事について直接聞いている。もう一人は学者で、綿密に資料に基づいて事実関係を調べている。主人公の年表も作成している。もう一人は晩年の主人公に直接インタビューしている。

 

私が驚いたのは、主人公の生涯にとって二つとないような大事件のとき、主人公の親はすでに亡くなっていた。年表によればである。しかし親類に当たる人の著書には、その事件の時にはすでにこの世にいないはずの親が大きく影響を与え、事件の原因にもなっていると説いている。これはおかしいではないか。明らかに記憶ちがいではないか。思い込みで書いているとしか言いようがない。

 

私は主人公にとってあってはならない悲しい大事件がなぜ起こったか、その真相が知りたくてたまらないのだ。だから、あれこれと資料を探している。何とかして理由が、原因が、またそこに直接かかわった人がだれであるのか知りたいのだ。ところが、信用していた親類縁者の本には、すでにこの世にいないはずの主人公の親がでてくるのだ。著者は親の心の内にまで想像の筆を差し込んでいる。著者の勘ちがいにちがいない。

 

「記憶にはございません」、「全く覚えていません」は、どこかで、偉い方々が逃げ切るための方便としてよく使うセリフであるが、実際問題として記憶ちがい勘ちがいは大いにありうる事だとつくづく思った。自分を振り返ってみても、覚えているようで覚えていないことも多い。年代も曖昧な部分も多い。ましてその時自分が言ったこと、相手が言ったことをその通りに覚えているかと言えば、自信はない。もちろん、あの時のあの人の一言で死ぬような思いをしたとか、反対にあの一言で生きる力が生まれたとか、鮮やかな記憶もあるが、全体としては不正確である。まして、自分以外の人のことについては、早く言えば霧の中である。

 

話が枝葉にまで分かれて、本筋が見えなくなってしまったが、私には著者たちの記憶ちがい、思い込み、勘ちがいからいくつかのことを発見した。あることを、一人の人の言うことだけで鵜呑みにするのではなく、複数の人の言うことや、本を読み、比べること、その大切さと、また楽しさを知った。それらを使ってなにか大層なことをしようとは毛頭思ってはいない。ただ、その作業が実に楽しいのだ。すでに世の多くの方々はしておられることだろうが、私はこの歳になってようやく発見した新しい世界なのである。

 

すぐに「白」だとか「黒」だとか決めて、それを振り回して判断の物差しにしたがる私であるが、待て待て、神様じゃあるまいし、白も黒も一応受け止めて、灰色も緑も黄色も赤もあることを知って、深く大きく考えていきたい。そのためには、もっともっと読み、聞き、調べる作業を深めていきたい。手元に集まった資料を咀嚼消化する時間も楽しみたい。つまり思いめぐらすこと、思索することを楽しみたい。できればそれらをベースにして、隠し味にして、エッセーなり、童話なり、物語などに挑戦してみたい。

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昨日の風 130年前の2月11日のこと

きのうの風 130年前の2月11日のこと

 

1889年(明治22年)2月11日、今からちょうど130年前、この日は日本の国にとって忘れてはならない歴史的大祭の日であった。大日本帝国憲法発布の式典が行われた日である。ただしここはその憲法の内容がどうのこうのと、たいそうなことを論ずる場でないことは明らかである。

 

日本の国に、明治維新というかつて経験したことのない大改革が行われて20年余、ようやく国の基本法が作られ、発布されることになったその日、一大事件が起こった。その大事件に興味(野次馬で申し訳ないのですが)をそそられている。

 

事件は、時の文部大臣森有礼が、大礼服に身を包み威を正して正に家を出ようとした矢先に、刺客よって命を奪われたのである。なんとすさまじいことか。又もいいわけであるが、そのことの詳細を記すのが本意ではない、私は歴史の研究者ではない。ただ、被害者と言える森有礼その人に関心を抱いている。有礼その人と共に、もっと思い入れているのはその夫人の森寛子である。

 

何冊かの本を通して、今、私は森寛子夫人に熱を上げている。寛子夫人が愛した森有礼という政治家にも親近感を抱いている。一番の理由は、寛子夫人は逆境のなかでクリスチャンになったからである。特に晩年は朝な夕なに数時間も祈り通したと知ったからだ。今、生涯を掌篇にまとめている。森寛子は、かの明治の元勲岩倉具視の五女なのである。

 

 

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日々の風から 春はいずこに

日々の風から 春はいずこに

 

 

 

最強寒波襲来、東京も積雪すると報じられ、日曜日の空模様がとても心配だった。幸い土曜日の雪は束の間で、積もる程でなかったが冷え込みは厳しい。教会へ行くと、さすがに高齢の兄姉がそろって欠席である。インフルエンザとは聞かないが、腰痛がひどくて歩けない、胃腸の具合が悪いなどなど、この寒さのせいで体調がダウンしている。ご家族に止められる方もおられる。真夏の暑さと真冬の寒さは外出にはつらいし、危険でもある。

 

礼拝後、80歳になる兄と玄関先で立ち話をした。彼とは50年以上もともに教会生活をしてきた。大きな病もなく無事にこんにちまで来られた。夫人も同じ年齢で同じ教会員である。そもそもかつて教会で結婚式を挙げたカップルである。最近夫人がなかなか来られない。理由は、ご実家でただ一人残っているお姉さんの介護に係っているためである。

 

80歳でさらに年上の姉をケアーするのは大変なことである。しかし種々の理由で施設に入居することができない。自分たちのところに引き取りたいが、姉が同意しない。それもあるが自分自身の老化がとみに進んで姉を見る自信がない。自宅から教会までの往復さえも時々電車を間違えてしまう。兄はしみじみと80歳を過ぎたら急な坂を下るように老いが進むのがよくわかる。こんなことはつい昨今まで考えもしなかった。若い時はもちろん老いなんて知らなかった。老いるとはすさまじいことだと語っておられた。うなずきながら、気を付けて帰ってくださいねという言葉しかなかった。

 

 

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日々の風から 手袋も、ショールも、マスクも忘れて

日々の風から 手袋も、ショールも、マスクも忘れて

 

 

先月下旬から今週初めまで、教会を始め係わっている組織の活動でいささか多忙であった。一段落ついてホッとしているところへ節分、立春と季節の節目が心楽しい名前をつけて巡ってきた。折しも、一足飛びに気温が上昇し、冬を忘れそうになった。

 

近所へお使いに出て、気が付けば手袋もなし、ショールも忘れ、マスクもしていない。暖かさに浮かれている自分に呆れ、笑いだしてしまった。歩いているとコートさえ放り出したいくらいだ。束の間の、仮の、慰めの、春シーンだろうが、なんとうれしいことだろう。明日は一気に寒くなるとか。気を付けねばと言い聞かせる。昨年は三月だったか大風邪をひいてひどく体調を崩した。冬将軍は簡単には矛を収めてくれないのだ。

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