人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から インフルエンザ被害

日々の風から インフルエンザ被害

まだまだ冬枯れの上野公園

 

一月最後の日を迎えた。なんと早いこと。もう一月は終わりかとびっくりする。しかし、神さまの時計は狂ったことがない。創造の初めからそうなのだろう。これほど正確なことはない。これを正確というのだろう。人は一日を、一か月を、一年を、長く感じたり短く思ったりする。いったいどんな測り方をしているのだろう。よく言われることだが、子どもの頃は一日も一年も非常に長く感じた。年を取るごとに短く思うと。様々の理由付けがされるが、ほんとのところはだれにもわからないし、正解はあるのだろうか。

 

寒い寒いと言っても今冬は昨年に比べると気温が高い。私は早朝の室温を気にしているが、昨年は2、3度低かった。今、だれも暖冬とは言わないが、私は自分の部屋の室温から判断して暖かいと思う。だが、インフルエンザの猛威は昨年並みのようだ。予防注射をしても安心できない。もっとも予防注射をすれば絶対にインフルには罹らないとは医師は言わない。軽く済みますと教えられた。先だって定例の集会をしたが、急にバタバタとインフル罹患の連絡が入り、皆さん苦しめられているのがわかった。

 

今晩は雨が降り出した。乾燥が収まれば風邪菌も鎮まるだろう。

2月3日は節分。翌4日は立春である。心が軽くなる。

 

 

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日々の風から 大寒の歴史散歩・鹿鳴館跡

日々の風から 大寒の歴史散歩・鹿鳴館跡

 

 

 

 

この半年ほど追いかけている明治初期の女性の足跡が東京に集中している。もともとは京都のお公家さん出身だが、明治になると間もなく東京に住むようになった。もちろんみやこが遷都したのだから東京に入った人は夥しい人数だったろう。いずれ彼女のことは一文にまとめたいと思っているが、それまでにはたくさんの勉強が必要だ。歴史上の一人物が、私の中で今生きている人のように、親友のように、尊敬でき、愛せる人として、毎日私の隣に座ってくれるようになるまでには相当の時間がかかる。途中で、私自身がその人を受け入れられなくなり、やめた人も何人かいる。理由は、その人の生き方に共鳴、共感、感動できなくなった時だ。特に晩年時代の生き方による。その人の思想、信条、日常の言動に感激できなければとても書けるものではない。つまり、私がその人を最高に愛せなければ、例え一枚のエッセーでも書けない。私自身がその人のように生きたいと思わなければ書けない。

 

その意味で、小冊子にした『荻野吟子』と『若松賤子』は私の最愛の女性たちである。そこへもう一人、席を設けたいのである。さて、しかし、いつのことになるか。また、私が最後まで彼女について行けるか、それはこれからの学びと人間理解にかかっている。

 

彼女を巡る時代や事件、取り巻く人々を調べるのが先決である。それがまた楽しいのだ。というわけで、この一月になってから近場を歩くことにした。先週見に行ったのは、「鹿鳴館跡」である。彼女は鹿鳴館で踊ったことはないだろうが、その音楽が聞こえてくるほど近くに住んでいた人である。鹿鳴館とはだれでも知るところだろうが、いったいどこにあったのか、ずっと以前からかすかな疑問を抱いていた。と言っても強い思い入れはなかった。

 

ところが彼女の姉が鹿鳴館の花の一人だった。それを知って、鹿鳴館が一歩近くなった。ちょっと調べると、なあんだというほど、わかりやすい場所だ。しかし今は一枚のプレートがビルの塀に貼り付けられているだけという。

 

行ってみた。帝国ホテルの隣だった。通りをへだて日比谷公園がある。気が付かずに通り過ぎて当たり前の様な地味な碑であった。思い入れがあって見に来たのだから、私はしばらく立ち止まって数枚をカメラに収めた。碑文によれば、その場所は薩摩藩の装束屋敷跡だったそうだ。感想は沸騰する。しかし、いまは静かに歴史の流れを見つめ、何処も同じ栄枯盛衰のワン・パターン真理を納得するのみである。私の意中の人、彼女が、最後まで私の親友であってほしいと願うことである。

 

 

 

 

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日々の風から 希望の突風

日々の風から 希望の突風

 

赤坂迎賓館の門扉

 

南の国から10年ぶりにメールが舞い込んできた。名前はすぐに思い出したものの、びっくりしたのは言うまでもない。数年、上京してお仕事をしていた若き女性である。ご両親のことなどもあって故郷に戻られた。帰郷されてからしばらくはメールでやり取りをしていたが間もなく途絶えた。私も追及しなかった。ほとんど忘れかけていた。ところが、このたび数日上京するので、その間に会いたいと言ってきた。うれしかった!万難を排しても歓迎したい。

 

昨夜の事、携帯に、番号だけでSMSが入った。こんな場合無視してしまうが、文面を見てしばらく考え込んだ。私の名が書いてあり、お元気ですか、ご健在ですかと。う〜〜〜ん、たぶんだいぶ前の知人なのだろう。ご健在ですかとは、意味深長な一言ではないか。どうして私の携帯番号を知っているのか、なぜ、メールしてきたのか、などなど疑問があったが、とにかく黙ってもいられないので、おそるおそる、どちら様でしょうかと返信した。しばらくして、失礼しました、〇〇ですと返ってきた。なあんだ、姉妹だったのかと安心するやら驚くやらであったが、音信が途絶えてから何年も経ってしまっていた。姉妹のお仕事がら、近々にはお会いできないだろうが、またメールのやり取りを復活させたい。こちらは雪深い北国からだった。

 

年賀状でも思いがけないことがあった。一向に音沙汰がないのでただ思うだけだった姉妹が2名、賀状をよこした。病がちな方々であったので、仕方ないと思っていた。思いのほかお元気で一人の姉妹は息子が中学生になりますと写真が添えてあった。みなそれぞれ神様に守られて逞しく生きているのだなあと、しみじみと神の愛を実感した。春一番にはまだまだほど遠いが、今年は早々に神様から希望の春一番をいただいた。ハレルヤ!

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日々の風から 教会で開かれ語られるみことばを重視、傾聴

日々の風から 教会で開かれ語られるみことばを重視、傾聴

 

友人の教会堂の天井

 

元旦礼拝のメッセージは民数記13章、カナン入国を前にして、ヨシュアが遣わした12人の斥候たちの報告と見解から、『恐れではなく、信仰の目を持って』と題してメッセージがあった。同じ土地を実踏したのに感想は10対2に分かれた。なぜなのか。それは現象をどのように捕らえ解釈するかにかかっている。みことばに裏打ちされた信仰の視点でとらえることが大切であり、真の勝利はそこにあると、希望のメッセージが語られた。

 

『信仰は望んでいる事柄を保証し、目にみえないものを確信させるものです』。

多数決では解決しない神の真理を見極め、たとえ少数派であろうと、恐れることなく、信仰者としての歩み、生き方を貫いていきたい。「希望の風」の風向きに注視したい。

 

 

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日々の風から 身を伸ばして走る

日々の風から 身を伸ばして走る

 

 

新年あけましておめでとうございます。

皆様の上にイエス・キリストの恵みが

豊かにありますように祈ります。

 

神様の光に包まれて穏やかな数日を過ごしました。

日ごろ一堂に会する機会の少ない子どもたち孫たち全員と

あいまみえて、食卓をともにし、

ピアノの前に集まって

「ハレルヤ」コーラスを歌いました。

 

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、

感謝をもってささげる祈りと願いによって、

あなたがたの願いを神に知っていただきなさい。

そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、

ながたがたの心と思いを

キリスト・イエスにあって守ってくれます」

ピリピ4章6、7節(新改訳2017)

 

神様の約束だけに信仰の目を注ぎ、

「弱った手と衰えた膝をまっすぐに」して、

一日また一日と歩んでいきたいと願います。

 

変えられない過去にとらわれず、

前を向くように作られた顔と、

前を見るように作られた目と

前進するように作られた手と足を伸ばし、

そよ吹く希望の風を喜び楽しみながら

託されている使命を果たしていきたい。

 

 

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