人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から あと一時間ほどで

日々の風から  あと一時間ほどで

 

あと一時間ほどでこの年も幕を下ろす。

あと一時間ほどで新しい年の幕が上がる。

幕の上げ下ろしは創造主の神の御手である。

 

人は、神様の時の進め方をよく観察して時計を作った。

カレンダーを作った。

いまでは、人は時計やカレンダーで、

神様の指の業を確認しながら、

思い思いの地で生活している。

極寒の地に住む人も

常夏の国に住む人も

春夏秋冬の季節をあわただしく生きる人も、

24時間を一日とし

365日、4年に一度だけ366日を一年として、

自分の年齢を数えながら生きている。生きて来た。

たぶん、御心ならば新しい年も迎えられるだろう。

 

もう、やすみます。いつもはずっと早く床に就きますが

大晦日の特別な雰囲気が好きなので、遅くなりました。

床の中で、2018年のメモ帳を初めから繰って、

忘れかけていたあのこと、このことなどを思い起こしながら

しばらく、感謝の祈りを捧げるつもりです。

 

明日は元旦礼拝に行きます。

真っ先に教会に行きます。

神さまが牧師を通して何を語られるのか、

じっと耳を澄まして聴いてきます。

 

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日々の風から クリスマスの余韻と余話

日々の風から クリスマスの余韻と余話

 

 

 

クリスマスの諸集会のために走りに走った12月。ここ数日は余韻に浸って楽しんだ。友人たちから自分たちの教会の様子を知らせたメールが何通か届いて、うれしく感謝に満たされ、いたるところで表されている神の恵みと栄光を知り、クリスマスの喜びが何倍にも膨らんだ。

 

若い人たちが一度に9名も洗礼を受けた教会、いつものクリスマスに増して大勢の新来者が来られた教会、3・11被災地のど真ん中に建てられた教会に地域の方々が40名も来られたクリスマス、来春に退任の決まっていた牧師があと3年留まることになった喜びの教会、愛餐会に教会員の家族友人たちが大勢加わって華やかだった教会、12月から新しく家庭集会が一度に2か所も開かれた教会、この秋から開拓された教会に導かれて牧師夫妻とわずか2,3名で初めてのクリスマス礼拝を捧げた姉妹、いくつかの事情で離れていた教会で、3年ぶりにクリスマスを祝った姉妹などなど。

 

クリスマスは伝道の時とよく言われるが、教会の信仰が復興し強められるときでもあると知った。ひとつひとつの事柄をじっと思いめぐらすと、確かに主は生きておられ、ご自身の民とご自身の体である教会を何にも勝って愛しておられることがよくわかった。これらの恵みを噛みしめ噛み砕いて味わい、血肉にし、前に向かっていくエネルギーにしていただきたい。

 

 

この希望は失望に終わることはありません。

なぜなら私たちに与えられた聖霊によって、

神の愛が私たちの心に注がれているからです。

ローマ5・5

 

 

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日々の風から クリスマスはお祝いの時、喜びの時

日々の風から クリスマスはお祝いの時、喜びの時

 

なぜお祝いなのか、なぜ喜びの時なのか、それは救い主がこの世に誕生したからである。この世に、いたいけな赤子として生まれたイエス・キリストが、私の救い主だとわかって、受け入れた人が、感謝のあまりお祝いし喜ぶ時なのだ。

 

私たちの教会では毎年近くの老人施設へキャロリングに行く。施設側は待ちかねたようにして喜んで迎えてくださる。過日、皇太子ご夫妻も慰問に来られた施設である。そこには2人の教会の姉妹たちが入居しておられる。今年は22日に伺った。1階から4階まで各階ごとに入居者がラウンジに集まってこられる。車いすに介護されてくる方もおられる。

 

皆さんを前にしてクリスマスの讃美歌を数曲歌い、牧師が短いメッセージをし、祈りを捧げる。それを4回繰り返すのだ。今年、牧師はイエス・キリストは「心配するな、恐れるな」と語りかけておられ、それを取り除くためにこの世に生まれてくださったと強調された。

讃美を聞き、説教を聞く間に、皆さんの表情が変わって目が輝き、生き生きとしてくるのがよくわかった。涙を流す人もおられ、「きよしこの夜」の讃美歌は多くの方がともに歌った。

私たちもだんだん心が高まり、喜びが満ちてくるのを感じた。感謝なひと時なのだ。

 

23日クリスマス礼拝は今年のクリスマス諸行事の中ではメインである。講壇脇のクリスマスクランツには点灯した赤いローソクの炎が静かに揺れている。この日の音楽は前奏を始め、すべてクリスマスの賛歌、賛美歌である。私たち聖歌隊は特別に「ハレルヤ」コーラスを歌い、音大での若い姉妹がカッチーニの「アヴェ・マリヤ」を歌った。そのあとに牧師のメッセージが続いた。牧師は「クリスマスの目的」と題して、クリスマスは喜びの知らせを全世界に伝える「祝い」の日である。またクリスマスは私たち人間に「救い」が訪れた日であり

「和解」の時であると神の恵みを語った。

 

終了後は恒例の「愛さん会」である。いつもよりごちそうが並んだ。婦人会が総出で料理した。「祝い」の時であるが、派手な催しはなく、テーブルの近隣の方々との語らいが続いた。クリスマスだから教会に来ましたという方もおられ、教会員の友人たちも加わった。やはりクリスマスはスペシャルな時である。

 

24日は夜に燭火礼拝が行われた。私たちの教会は聖書朗読と賛美が交互に入るクリスマスページェント式で進められた。聖歌隊は「ハレルヤ」コーラスも歌った。日ごろ多忙な青年たちが久しぶりに参加していてうれしかった。終了後はティータイムである。女性たちがそれぞれの家庭で作ってきたスイーツが並べられた。和やかなひとときになり、たいへん心温まりまた励まされ、心には希望がふつふつと湧いてきて力を感じた。

 

こうして教会のクリスマス諸行事はすべて祝福の中で終了した。今年もすべてに参加でき、ささやかではあるが奉仕にも加わることができたことは、何といっても大きな大きな喜びであり感謝であった。高齢の方々はだんだん参加できなくなっている。人の定めではあるが、確実にそうした現象が現れている。自分にもその日が来ることは間違いない。主の御心の通りにしてくださいとのマリヤの祈りを思いつつ、ひとまず家路に向かったことであった。

 

御使いは彼らに言った。

『恐れることはありません。

今、私は、この民全体のための

すばらしい喜びを知らせに来たのです。

今日ダビデの町で、

あなた方のために救い主がお生まれになりました。

この方こそ主キリストです』

ルカ2章10、11節

 

 

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書林の風から ビブリア古書堂の事件手帖に捕まって

書林の風から ビブリア古書堂の事件手帖に捕まって

 

この忙しい時にエンタメの本なんかにうつつを抜かしてと笑われそうだが、急に読みだしたのではない。7巻読み終えたところである。第一巻が2011年に出ているからずいぶん前のことだ。全然知らなかったのだか、あることから俄然とりこになった。

 

ことは、以前に書いたが「トルストイ日記抄」から始まった。しばらく日記文学に取り組みたいと思って、手始めに、文豪トルストイを選んだ。ネットで買った本があまりにも読みにくいのでもう一冊買ってみた。そこから古書への扉が忽然として開いた。2冊の本の奥付から意外な事実が見えてきた。詳しくは過去のブログを見ていただくとして、本には内容もさりながら、本自体にドラマがあることを知った。

 

そのことを知人に話したところ、まるでドローンが運んできたように私の机上に「ビブリア古書堂の事件手帖」の文庫本5冊が置かれていた。いわゆる古本屋さんの扱う本にまつわる奇想天外な物語である。単なる空想話でないことは明らか。作者の三上延氏の取材力にまず仰天する。大変なご苦労だったろう。

 

登場する古書は太宰治の『晩年』から第7巻では、シェークスピアの本まで登場する。骨董品のように、ある本はその定価に寄らず億単位の値段が付く。古書を巡る別世界があるのだ。神田の本屋街が思い浮かぶがあそこにもこうしたドラマがあるのだろうか。

 

惹き込まれて読みに読んだ。最後の2冊はネットで買い、なりふり構わず読みふけった。これが読書の醍醐味ということか。本来、本とは読者を別世界へ引き摺り込んで離さないものなのだろう。本の筋を追いかけながら、登場する実在の古書に興味を抱きながら、作家の腕に唸りながら、多くの学びをさせてもらった。

 

 

 

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日々の風から クリスマスの思い出話し

日々の風から クリスマスの思い出話し分かち合い

 

 

昨日、アドベント第3週の聖日、教会で長年担当している成人科「グローアップクラス」のクリスマス会をしました。毎年の恒例です。礼拝前の30分が当てられるのですが、いつもはレクチャーと分かち合いです。熱々の淹れたてのコーヒーを啜りながら進めます。礼拝だけ出席する方々より30分以上早く来られるのです、熱い香り豊かなコーヒーの一杯に、寒さや緊張がやわらぐとよく感謝されます。もちろん礼拝堂ではありません。多目的ホールです。

 

クリスマス礼拝の前の週、第三週にクリスマスと一年の感謝を合わせて、ふだんのプログラムから離れてひと時を過ごします。特別にクリスマスケーキが振舞われます。朝っぱらからですが、皆さん別のお腹に、喜んで、上手に納めてくださいます。昨日は17名がテーブルを囲みました。レクチャーがない分、分かち合いの時間に余裕があり、全員がわりにたっぷりとクリスマスの思い出やクリスマスの聖書箇所から話が弾みました。クリスチャンホーム出身者でない方のほうが多いので、世の中のクリスマスを経験した方からふだん聞いたことのないお話が飛び出して珍しかったです。お父さんが毎晩のようにバタークリームたっぷりのケーキを買ってきて食べさせられたというお話は面白く拝聴しました。

 

聖書では、女性は受胎告知されたマリヤのおどろきや主に従う信仰など、女性目線の感想が聞かれました。面白いことに男性の数人がヨセフを賞賛し、彼の信仰がなかったらクリスマスはなかったと強調され、一躍ヨセフがヒーローになりました。

 

今年、成人科のサプライズは牧師夫人のリードで賛美が豊かになったことです。この12月は「ノエル ノエル」というフランスキャロルを教えていただき、高音、低音、さらに輪唱が入って楽しく歌いました。今年のクラスは新年まで休会になります。来週はクリスマス礼拝で大型のプログラムですからクラスはお休み。30日は越年感謝礼拝と教会の内外を新年バージョンに整理整頓するため休会です。主が許してくださればクラスは来年も続いていくでしょう。信じて祈って備えていきます。

 

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日々の風から 計画倒れ

日々の風から 計画倒れ

 

以前にこのブログで、「トルストイ日記抄」を紹介した時に、彼が自分自身に課したいくつかの項目を書き出したことがありました。その一つに、「必ず実行すると定めたことは、どんなことがあっても実行せよ」というのがありました。その時私は思うところがあったのでこれについては後日にしますと述べました。今さらの感がありますが思い出したので、年の瀬も迫っていますから、果たしたいと思います。

 

「必ず実行すると定めたことは、どんなことがあっても実行せよ」とは、自分が自分に誓ったことですから、実行してもしなくても他人にはあまり関係がありません。まして迷惑の掛かることではないでしょう。あくまでも自分の事です。自分の内面の問題です。私自身を振り返ってみても、実行しようと決めたことはいくらでもあります。大きなことから毎日の小さなことに至るまで、いつも決め事をして進んでいます。だれでもそうでしょうけれど。トルストイが自分に課した「実行すると決めたこと」が何であるか、具体的な内容は知る由もありませんが、たぶんかなり大きな難題なのかもしれません。

 

私がこの項目に出会ってふと思っことは、昨今の自分のことです。トルストイの思いからはだいぶかけ離れ、「実行すること」が「大きな目標」ではなくて、単に予定、計画、プランのたぐいで、「しようと思ったことは必ずし終えたい」程度のレベルのことです。実はそのことなのですが、往年の自分は、たぶん、しようと思ったことは必ず完了させていたと思うのです。ひと様に係りあることはもちろんですが、自分だけに課したことでもやり遂げねば自分で自分がゆるせない、そんな人間ではなかったかと思います。

 

ところが、最近気が付いたことがあります。今日中に、あるいは何日までに「しようと思ったこと」をしないのです。し残したことがあっても、「明日ね」で済ませることが多くなりました。いわゆる計画倒れというのでしょうか。無理なプランを立てているつもりはないのですが、「明日ね」が多いのです。そして、そんな自分をゆるせないって𠮟る自分がいないのです。これも老いの一現象でしょうか。老いのせいではなく、私自身の人間性が退化したのか崩れたのでしょうか。

 

若き日の、一途に人生をひた走る偉人トルストイに刺激されるのも、そもそも分に似合わないことですが、「必ず実行すると定めたことは、どんなことがあっても実行せよ」のトルストイを懐かしみながら、あれこれと頭の散歩をしたことでした。それにしてもこの12月は「明日ね」に延ばせない事柄がいくつかあります。「どんなことがあっても実行せよ」と言い聞かせねばなりません。

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日々の風から 教会が主役・クリスマスの月

日々の風から 教会が主役・クリスマスの月

 

12月は教会が多忙である。一年で一番行事の多い月である。師が走る。信徒が走る。11月最後の週からすでに始まっている。12月第一週からの降誕節を迎えるために、まず教会の大掃除をした。毎年のことなのでそれぞれ自分がするべきことはわかっている。最後にクリスマスツリーを立てた。教会の外と会堂の中に、本物ではないが飾りつけもして楽しみながら進めた。大勢でいっせいに働く姿は麗しいかぎりだ。台所もピカピカに磨き上げるので、今日だけは炊事は無しで、近くからお弁当を買ってきてすませた。これもまた楽しからずやであった。

 

12月1日土曜日、降誕節の始まるその一日前、教会は恒例の婦人会主催のクリスマス会が開かれた。対象は教会の婦人会メンバーが主で、家族友人知人の方々も参加された。やや内向きの会で外部には大々的には呼びかけない。婦人たちがそれぞれにお料理を持ち寄る。「一品持ち寄り」が原則である。

 

まず牧師のクリスマスメッセージを中心にして礼拝が持たれた。クリスマスとは、神が地上に来られた、それも私たちと同じ人間となってこられた、さらに、ごく平凡な貧しい家庭に赤子として生まれてくださったこの奇跡の出来事をいうのであると説かれた。この事実を、私のためなのだと受け入れる時、クリスマスは単なる年末の一行事ではなく、私個人の喜びと感謝のうるわしいクリスマスになるのだと思う。

 

集まった女性たちの中には、まだ個人的な関係でクリスマスを理解できない方々も何人かおられた。そうした方々がメッセージを聴いてくださったことに大きな意義がある。「良い知らせ」はまず伝えなければならない。知ってもらわなければならない。実際に教会へ来られて、自分の耳でじかに聞くことに大きな意味があると思う。神のことばはきっとその人の魂に入り込み、救いのみわざをなすだろうと信じる。たとえ時間がかかろうとも。

 

礼拝のあとはお待ちかねの食事会になる。ともに食し、ともに語り合う時こそこの日のもうひとつのメインである。二十数名の人たちが、二十数種類のお料理の前でひとつテーブルを囲んだ。なかなかの壮観である。既製品ではないのだ。それぞれが心を込めてお得意のお料理を作ってきた。世界で一つしかないテーブルなのだ。その合間に、証しがあり、ソロの賛美があり、ゲームがあって、プチプレゼントがあり、最後にキャンドルライトで「きよしこの夜」を賛美して散会となった。世界でたった一つの小さいけれど恵みに満ちたクリスマス会であった。

 

教会は23日のクリスマス礼拝、24日夜の燭火礼拝に向かって、途中、いつくかのクリスマス会を重ねながら進んでいく。教会を建て上げるために来られたイエス・キリストの目的に向かって、教会はますます力強く進んでいく。今年もそのクリスマスでありたい。

 

 

 

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