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旅の風から 紅葉の中へ 軽井沢雲場池
旅の風から 紅葉の中へ 軽井沢雲場の池
誘われて、渡りに舟とばかり北陸新幹線に飛び乗り、紅葉真っ盛りの軽井沢へ駆けつけました。軽井沢へは東京から一時間と少し。新幹線の威力でしょう。下車すると待機していた友人の車に移動し、いたるところ鮮やかに葉を染めた幾種類もの樹々の間を走り廻りました。今回はどうしても観ておきたい場所があり、そこへ案内してもらいました。
1990年代から約20年間、それまでは関係のなかった軽井沢の地が私の生活圏内に勢いよく入ってきました。御茶ノ水の学び舎が毎年その地でサマースクーリングを開催しました。また、同時進行で所属した「あかし文章」の書き仲間の合宿が同じ施設で持たれました。まだ新幹線のない時期もありましたが、毎年一回だけでなく、二回も三回も行くようになりました。そのたびごとにエピソードがあって、私の小さな人生史の中にかなりの分量で足跡を残しており、今では貴重な思い出、無形の財産になっています。
近年は、いっしょだった友も恩師も、ぼつぼつと永遠の御国へ旅立ちはじめ、思い出はますます濃密に結晶し、宝物のように光り、輝きを増しています。光が視線に入れば涙がこぼれ胸がうずくのです。「私には懐古趣味はないわ」と友に言い切ったものの、もしかしてこれが本物の懐古趣味かもしれません。理屈はさておき、思い出の象徴ともいえる雲場池の紅葉を訪ねてきました。もう一か所、恩師たち同窓の友たちと懇親会を開いたホテルのラウンジでお茶してきました。軽井沢でも奥まった地域なので森閑と静まり返り、ラウンジには人影もなく、椅子の配置も当時のままです。時が止まったようでした。あの時の一隅から、一人一人の姿が浮かび上がり、談笑する声まで聞こえてくるようでした。しばらくは我を忘れ、切ない思いが高まりました。浦島太郎の様な気分にもなりました。
紅葉に囲まれた池巡りをしているうちに、自分を取り戻し、感謝が噴き出しました。私の人生にあんなにも豊かな喜びに満ちあふれた一時期を築いてくださった神への感謝です。さらに、歳月を経て、かつての地を訪れ、恵みを思い起こすことのできる、今現在へ感謝です。
『まことに私の生きている限り、恵みといつくしみとが私を追ってくるでしょう。 私はとこしえに主の家に住まいましょう』詩篇23篇 2018.10.29 Monday 10:53
日々の風から 主の日礼拝風景
日々の風から 主の日礼拝風景
お天気が続いてまさに秋はたけなわ。過酷な夏を過ごしてきたこともあって、みな、ほっとしているのだ。あいさつの笑顔もひときわ輝いている。どんな時代も人間は自然に左右されながら生きているのだとつくづく思う。どんな高度な科学文明も荒れ狂う自然の力の前にはひとたまりもない。私たちの日常はたぶん昔から変わらず、今日のお天気は?雨は?風は?気温は?と日々刻刻気にし続けてきたのだと思う。
いい陽気になったこともあって、教会では皆さんの体調も安定している。高齢者や持病に悩む方々も心に病を持つ方々もわりあいお元気だ。皆さんいそいそと礼拝に来られる。このところ我が教会では地方から用事や旅行で上京し、礼拝を守ろうとするお客様が多く、会堂はひところよりずっと多い。うれしく感謝なことだ。礼拝後はあちらこちらでお客様を囲んで歓談の輪ができ、話が弾んでいた。
礼拝の説教は詩篇23篇5節が開かれた。このところこの有名な個所がワンフレーズずつ取り上げられている。今日の説教は5節から「私の杯(さかずき)はあふれています」とタイトルが付けられた。イエス様は御自ら私たちのために食事の支度をし、みずみずしい新しい高価な香油で歓待してくださる。しかも溢れるほど気前よく祝福し恵みを与えてくださる。
『私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、 私の頭に油を注いでくださいます。私の杯は、あふれています』
私たちは衣食住から始まってささいなことに気を奪われ、心配し、不安になり、思い煩ってしまう。頭ではわかっていてもいつのまにか足をすくわれて、主への信頼を失くしてしまう。しかし主の日のたびごとに教会へ急ぎ、恵みのみことばをいただき、不信仰を悔いあらため、信仰を立て直していただく。そして『私の杯はあふれています』との約束を握って、新しく一週間の旅路を進んでいくのだ。なんと幸いなことだろう。そうしたくり返しの中で、多少とも学習能力が身に付き、成長していけるのだろう。確かに主は成長させてくださる。 2018.10.23 Tuesday 21:12
日々の風から 芸術の秋・二つのコンサート
日々の風から 芸術の秋・二つのコンサート
秋は深まっていく。季節が進んでいくのを「深まる」と表現されるのは「秋」だけではないだろうか。ほかの3つの季節にはそうした表し方はないように思う。「深まる」とはいい響きであり、味わい深いものがある。秋は「芸術の秋」、「読書の秋」とも呼ばれる。これもそれだけで心の奥深くに浸み込んでくる。清少納言は「秋は夕暮れ」と、切れ味のいい一言で中心に迫った。
芸術の秋らしく、キリスト教界ではこれからクリスマスに向かって各所でコンサートが催される。「春のコンサート」より「秋のコンサート」の方が気持ちに添ってしっくりする。二日続きでコンサートに係わった。この土曜日は御茶ノ水の母校で、音楽教師によるコンサートが開かれた。近年恒例になった。日ごろ、教室で生徒たちに音楽理論、音楽実技を教える先生方が、この日だけは舞台に立つ。同じ音楽に携わるとはいえ、教師と演奏家は同じではない。先生方はさぞ大変だと思う。ふだんとは違う力が必要なのではないだろうか。
先生方の生徒たちや同窓生、ゆかりの方々が大勢来られて、盛大なコンサートになった。先生方に交じって、日ごろ薫陶を受けている聖歌隊も演奏の祝福に与かった。私もここ数年聖歌隊の末席に加えていただいているので、大いに緊張して舞台に上がった。ヘンデルの「メサイヤ」から12番「かみのひとり子を」と「ハレルヤ」を賛美した。神さまの恵みとあわれみを満喫して喜びの時になった。
明けて日曜日は「教会コンサート」。年一回開いている。外部からクリスチャン演奏家をお招きし、地域にチラシを配布しての開かれたコンサートである。チラシやHPの効果、また教会員家族や友人たちがお出かけくださって、ふだんとは違った賑やかな場になった。さすがに演奏家はその名にふさわしくプロとしての本領発揮、聴衆の心に訴える構成、コメント、演奏を熱演してくださった。牧師が核心をついた伝道メッセージをされ、教会ならではの「コンサート」になり、楽しくうれしかった。二つのコンサートとも、バッバがすべての作品の最後に署名したという「ただ、主だけがあがめらるように」が輝いていたことに大きく同感し感動した。かくて秋は深まっていく。ハレルヤ!
『御前に進み、感謝をささげ、楽の音に合わせて 喜びの叫びをあげよう。 主は大いなる神』詩篇95:2、3節 (ローズンゲン10/23日より)
2018.10.15 Monday 12:21
書林の風から 『トルストイの日記抄』古本のおもしろさ
書林の風から 『トルストイの日記抄』古本のおもしろさ
この夏にヘンリー・ナウエンの著作を立て続けに読んで、学ぶところ大なりの2乗、3乗の収穫をいただいた。その中で、初めて読んだ「最後の日記」は再読しているところだが、ふと、「日記」というジャンルに心惹かれた。「日記文学」と言っていいと思うが、以前に、ドナルト・キーンの「百代の過客」(続)についてはこのブログでも感想を述べたがあれ以来、「日記文学」に捕らえられていた。若い時から文豪たちの小説はずいぶん読んだが、「日記」は読まなかった。そこまでは思いが行かなかった。しかしここにきて偉人たちの日記を読みたくなり、手始めに、トルストイが頭に浮かんだ。それで、調べ始めた。簡単に文庫本でもないかとネット検索して見つけた。思ったものがなくて、岩波文庫の「日記抄」を買ってみた。
古いものしかなく、半分心配しながら取り寄せたが、開けてびっくりで、触りたくないくらい古い。中から虫でも出てくるような気配。手袋をして開きたかったがそれではページがめくれない。1,2頁立ち読みしたが、読み続ける気になれず、図書館を思い出して走った。
文庫はなかった。職員がていねいにパソコン遊泳してくださったが、私の持っているものが国会図書館にあり、データ化されたものを見るだけという。よく、現物がありましたねと感心されてしまった。そんな稀少なる本なのかとこちらも感心したが、しかし読み続ける気になれない。奥付を見ると、『昭和十年七月十五日 第一刷發行 昭和二十五年十二月十日 第十刷 発行 定価(価は旧字)六十圓』とあり、印紙が貼ってある。
もう少しきれいな本がないかとまた検索して、しかし、高額でないものを買ってみた。すぐに届いた。こんどは触われるし、シミも汚れも少ない。これなら読めると安心した。そして奥付を見た。『昭和十四年一月二十五日 第五刷發行 定価(価は旧字)四十銭(銭は旧字)』印紙は訳者除村氏の印鑑が押してあった。つまり、あとから買ったほうが前のより十年も前に発行され、戦前である、定価も四十銭と、想像もできない時代の本なのだ。さらに、表紙のタイトルの横書きは、右から始まっている。驚きの連続である。
私は本の内容や日記文学をさておいて、二つの本を前にして「本」に対して味わったことのない新しい興味が湧き、心が掻き立てられている。神田の「古本屋街」が意味を持って迫ってきた。「本」の持つもうひとつの一面を垣間見た気がした。 2018.10.07 Sunday 21:12
日々の風から 台風はもうたくさん!
日々の風から 台風はもうたくさん!
このブログの「日々の風から」を「日々の台風から」にしたいくらい、あとからあとから発生し、しかも、日本へ向きを変えて襲い掛かり、しかも今回はまるで巨大な大男が日本列島をくまなくのし歩いたように、足跡、いや、傷跡を残して去っていきました。なんということでしょう。違う話題を書きたいと思いながらもついついショックにかられて、心が他に向きません。
24号はひどかったです。真夜中の雨と風の音は近年聞いたことがないと、床に入ったもののじっと身をひそめていました。案の定、都心でも40m近く吹いたのです。観測史上3番目とか。私が最初に台風に恐怖を覚えたのは昭和24年8月31日のキテイ台風です。あのときは確か33mと聞きました。東京下町では焼け野が原に建ちかけた家が軒並み倒れました。今は家がもろに倒れることはありませんが、あの風の音は私の体の奥深くに刻み込まれていたと感じました。もう台風はたくさんです。
2018.10.01 Monday 19:53
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