人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 45年前のこの日 その1

 

あの日も朝から焼き尽くすような陽が燃えていて暑い日だった。夏休みもあと二日だけになり、月末が迫っていた。私はなんとなくせわしい思いに駆られ気が散っていたのだろう。家の近くを自転車に乗ってお使いをしていた。広い都道と狭い区道の交差点で信号が変わるのを待っていた。

 

私はまっすぐに都道を走って家に向かうつもりであった。信号ばかり見ていた。すぐ右側にいる巨大なトラックは気にしていなかった。青信号になって、走り出した。

 

右側のトラックが左折して区道に入ってくるのがわからなかった。あっと思った時、私の頭を超えるほどの大きなタイヤが私をめがけて突進してきた。もう一度気が付いた時、私は路上に投げ飛ばされていた。左折する車の後輪に引っかかったのだそうだ。よく下敷きにならなかったと後で言われたが、どうにもなるものではなかった。

 

けたたましい救急車の音も聞いた。大きな病院に運ばれるのも知っていた。真夜中まで手術を受けたことも、あとで知った。二人の娘が5歳と4歳だったこともよく覚えている。

 

今ここにすべてを書きつくすことはできないが、とにかくも、私は願ったとおり祈ったとおり、12月のクリスマスには家に戻って、娘たちとクリスマス礼拝に行くことが出来た。

 

あれから45年が経つ。足一本失うほどの大怪我であったが、今はどうにか自力で歩行ができている。『主の恵みによって今日のわたしがあるのです』!!

 

 

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日々の風から 涼風を求めて その4

 

 

 

明日から24節気の分け方によれば「処暑」に入る。だんだんと暑さが収まるころという。確かにひところの40度の暑さと比べると少し質が違ってきている。しかし実際とはずれることもあり、異常気象の昨今では大いに狂うかもしれない。台風のシーズンというのは当たっているようだ。まだまだ本格的な秋風には至らない。

 

この夏はヘンリー・ナウエンを再読している。彼は生涯に40冊以上の本を書いた。日本語に翻訳されているものもかなりある。時に応じて読んできたが、今回は手元にあるものを全部取り出し、娘の書棚からの応援も得て片っ端から読むことにした。この夏の霊の涼風はナウエン氏からいただいている。

 

氏の著書は、内容は途方もなく深いのだが、わかりやすく、しかも、一冊一冊が分厚くない。それで、片っ端から、などと不謹慎な思いになったが、どうしてどうして、スイカを食べるようなわけにはいかない。再読の再読になり、なんども行ったり来たりしている。初めて読むのは「最後の日記」だ。

 

ナウエン氏はわずか64歳で急死された。世界中が驚いた。もともとオランダ人だが、その十年前からカナダのトロントにある「ラロシュ」の「デイブレイク」という知的障害者施設の司祭を務めていた。

 

その年、1965年9月からは、一年間の特別研修休暇「サバティカル・イヤー」に入り、日常から離れて、彼を愛し慕い支える幾人かの友人から提供される住まいやお部屋で、思索と執筆など自由な時間を過ごすことにしていた。

 

日記は9月2日、休暇初日の日から始まっている。そして、一日も欠かさずに1996年8月30日、休暇を終えて再びデイブレイクの自室に戻り、荷解きをして「サバティカル・イヤー」は終わったのだ。帰ってきて、よかった、で終了している。

 

9月に入って2週間後の15日、ナウエン氏はロシアのサンクト・ペテルブルグへ行くために、一晩オランダで休息をとった。それが彼の最後の日と場所になった。彼は故郷オランダの地で、93歳の父やきょうだいたちに囲まれて天に帰った。

 

64歳とは地上の生涯を終えるには早すぎるではないか。事実、ナウエン氏は新しい働きのために具体的なプランをいくつも立てていた。その真っ只中の「死」である。いかにも残念だ。今生きていてもたかが?!86歳なのだ。神さまのなさることは凡人にはとうていわからない。

 

神様が彼を愛し、ナウエン氏も猛烈に主を愛していたことだけはわかる。彼はいつも主と密なる交わりを持っていた。今はそのまま、場所を変えただけでよりいっそう親しく過ごしているだろう。ナウエン氏にとっても神様にとっても、地上も天上も同じなのかもしれない。お二人の間には時と場所に制限されない涼やかな愛の風がそよいでいるのだ。

 

この本はすぐにまた読まねばならない。その涼風に、私も思いっきり浸りたいから。

 

 

 

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日々の風から 涼風を求めて その3

 

敗戦して73年になる。あの時わずかうん歳だった私は、玉音放送を聴いたわけでもなく、それを知ったのさえいつだったか、記憶にはない。だから戦争体験があるとは言えない部類に入るだろう。幸いなことに父は戦地に行かずに済んだ。徴用工として国の命ずる軍需工場で終戦の日の午前中まで働いていたという。しかしその日のうちに全員解雇された。しかも家族ともども強制的に移住させられていた社宅は早々に退去せねばならなかった。しかし以前の職場は閉鎖されたままで、経営者もすぐには事業を開始できなかったようだ。つまり、敗戦の翌日から、私たち家族は住むに家なく、父は働くに職場がなかったのだ。

 

我が家族が東京に戻り、父が元の職場に復帰したのは4年の後である。この間のことは記憶も鮮やかで、懐かしい思い出に満ちている。父母の苦労は並大抵ではなかったろうが、子どもの特権で、私はのんきなものだった。もちろん子ども心にも悲しいことや不快な思い出はいくつもあるが、今思い返しても、一巻のドラマのようで、どことなく現実味にかけている。それが子ども時代というものなのだろうか。それとも私は鈍感だったのだろうか。

 

15歳で洗礼を受け、その後の、今に至るまでの歳月は、脳裏には実にクリヤーに刻まれている。眠りから覚めたように、意識も感覚もはっきりしている。自己責任で生きねばならない年代に入ってきたせいだろうか。つまずいたり、失敗したり、絶望したり、病んだり、傷んだりと、人生の喜怒哀楽に見舞われながらも、とにかく戦後の73年をここまで生きてこられた。そこにはまがうことのない神の愛による唯一無二の涼風「生かされて」が吹いていた。それに包まれ運ばれてきたのだ。

 

神の愛の涼風は今日も35度の熱風にもびくともせずに吹き続けている。そのおかげで、私の心とたましいは涼やかである。

 

 

 

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日々の風から 涼風を求めて その2

 

あわただしく、いや、ちっとも忙しいことはないのに、一週間が飛んで行った。大きな出来事は、7日が24節気の「立秋」に入る日であった。どこかに「秋」がないかときょろきょろしたが、みつけたのは大きな台風13号であった。高気圧に挟まれて思うように進めないらしくのろのろである。ときどき台風情報を見るが、ちっとも進んでいない。しかし、今度ばかりは関東以北を目指している。できれば洋上を行ってほしいと願った。陸に上がることはなかったが、沿岸は猛烈な暴風や大雨に襲われた。とくに恐いのは短時間集中豪雨である。下水の処理能力以上に雨が降れば、その分は道路に溢れる。数年前にそんなことがあって驚いた。

 

我が家は東京の隅田川以東に位置する下町である。ところどころにここは海抜−2.6mなどの標識が立っている。マイナスである。まさか高潮にかぶさることはないが、周辺の川の堤防が決壊すれば洪水になる。今は川の堤防は分厚いコンクリートで護られているが、これで大丈夫などと言えることは天下にひとつもない。一抹の不安がよぎる。それでいて、いざという時の対策もしていないのであるが。

 

台風が北上中だけは北よりの風が吹いてぐっと気温が下がった。二晩ほどしのぎよい夜があった。涼風はこんなところにあったのかと、複雑な思いである、楽しくない。喜べない。

台風の生む風だから。台風の季語は秋である。今年一番先に見つけた秋は台風といえる。

もう少し、肉の目、霊のまなこを開いて、神様の用意されている「秋」をみつけたい。

 

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日々の風から 涼風を求めて その1

 

 夏も最高潮、極まれりというところだろうか。朝から熱風である。外出の時間を見計らっているうちに気温がぐんぐん上がって、もうアウトである。それでも昨日は月一回のかかりつけ医にでかけた。夏だから空いているだろうと安易な思いでいたが、座席がないほど大勢の人々がおられたのにはちょっとびっくり。暑いから出直しも出来ず、そのまま片隅に座し続けた。私のように月一回は定期的に行く人たちで満員なのだろう。固定客というところか。血圧を測って二言三言問診するだけである。

 

今年の冬から春先は風邪などが長引いて思わぬ症状が出て、そのたびに医院へ飛び込んだ。しかし、感謝なことに暖かくなり、暑くなって体調は回復し定まり、不快不調からは抜け出した。今はこの暑さにもかかわらずしいて言えば快調である。ただし、かつてのように無謀な外出は避けている。年齢は争えないし、このところの高温は「災害」とまで断言されているほどだから、台風や豪雨と同じだと思ったほうがいい。

 

昨日午後は、かねてからの約束で友人たちをお招きした。暑さの真っ最中で申し訳なかったが電車を乗り継いてお越しくださった。日常の真っただ中、生活臭充満のところへ、人を招くのはかなり気遣いが要る。その時のテーブルのもてなしはもちろんだが、まず、あるじとしてはお客様の目の届く範囲だけでもと、整理整頓お掃除がある。目配り、気配りが必要である。見栄を張るわけではないが、ふだんは殺風景な玄関にお花を生けたりもする。お帰りの時にお持たせするちょっとしたプレゼントまでの、AからZまで、分に応じたささやかなことばかりだがなんとたくさんの項目があることか。何度もメモを作り直し、シュミレーションした。歳を取るとかつては何気なくできたことも重く感じるが、めげずに挑戦してみた。

 

歓迎の祈りで始まり、途中もずっとお互いの信仰の証しが続き、二回目のお茶を出すタイミングを外しそうになるまで、充実した分かち合いができた。3時間弱がまたたく間に過ぎた。友が感謝の祈りを申し出て、私も再来を結び言葉に託して、散会となった。真夏の饗宴もまたよしである。ふと、歓談のただ中に霊の涼風を感じた。億劫がらずに腰を上げればいいのだ。シンクにあふれる食器を洗ながらも、涼風は吹き続け、疲れはなかった。感謝!!

 

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