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日々の風から かくて7月は往く
写真は、孫たちが5分程先の横十間川の川沿いから写したものです。
先週の月曜日、大暑の日は東京でも40度を越える高温になった。そしてすぐに台風12号が動き出し太平洋上を北上し始めたが、なんと急に向きを変えて中部地方辺りで西へ逆走するという例のない進路を取り、ついに九州に逆戻り、未だ屋久島付近に停滞しているという。消滅してはいない。なんということだろう。この先どこへ行くのだろう。
この台風のため恒例の隅田川花火大会が日曜夜に順延になった。かつては一度きりでその日がダメなら中止だったはずだ。今回は翌日に延ばされた。私には夏一番の楽しみなのだ。本物が、我が家の通りから見物できるのだ。もちろんそば近くではないから笑われるかもしれないが、臨場感がたっぷり味わえる。「ドンと鳴った花火だ〜〜〜」の歌のように、音も聞こえてくる。煙のたなびくのも見える。小一時間、夜空にダイナミックに描かれる花火絵に釘付けになった。道路に立ちっぱなしの、まことに貧しき花火見物であるが、これで充分である。さすがにふくらはぎが痛くなった。夜風が思いのほか涼しかった。
西日本の豪雨、記録的高温、台風12号など大きな災害の爪痕を残したまま、7月は明日で幕を閉じる。しかしまだ夏は依然として続く。8月も暑いのだろうか。台風もくるのだろうか。すでに夏はうんざり、心身ともに疲弊気味である。神さまに支えられて何とか乗り越えて行きたい。高齢の多くの友垣のためにも祈ります。
2018.07.30 Monday 20:36
日々の風から 「大暑」、東京でついに40度
今日は二十四節気によれば「大暑」、 一年で一番暑い時期だそうである。 まさにその如くに、 前日にも増して気温上昇、 ついに40度を越してしまった。 さすがに恐ろしい。 メディアから盛んに注意や警告が出されている。 午前中に、今日こそはいくつかの用事を足そうと、 外出を予定をしていたが、 警告には素直に従ったほうがいいと思い直し、 蟄居している。
もともとエアコンは好きではない。 しかし、好き嫌いの問題ではないのだ。 今までこんなにエアコンを使ったことはないのだが、 これも素直に?そうしている。 頑固に自己流を通して、あたら命を失い、 さらに周囲に迷惑をかけてはいけない。 そう思い直している。 特に高齢者がそうだとのこと、 自分のことを言われいるようで、 恥じ入る思いである。 家人からも、「エアコン、入れてる?」と声がかかる。 問題視されているのだ。
この先2週間はまだ高温が続くと、 歓迎できない予報が出ているが、 「大暑」の次は「立秋」である。 あと一息だ、もうちょっとの我慢だ。
玄関先に蝉が落ちていた。彼の夏は終わったのだ。 季節は必ず移り行く、 秋は必ず来る、何度も言い聞かせている。
2018.07.23 Monday 16:55
日々の風から 安否を問われて
(写真は、梅雨明け前の一日、3・11で 大きな被害に遭った地域を訪問した時のもの)
長年、こちらから便りをしてもめったに応答のない友から、電話が掛かってきた。なんと、お元気ですかという安否確認のたぐいだった。友が言うには、そこへ行けばたいてい私がいるある学び会に行ったら、姿がないのでどうかしましたかとのことであった。翌日、もう一人の友からも電話があった。彼らはいまだに家の電話族なのだ。話の内容は同じようなものであった。自分が安否を問われてしまったと、味わったことのない立場に立たされて、ほんのしばらくの間、なんとも居心地の悪い奇妙な気分になった。
近年私は意識的に外出の場を減らしている。自分の年齢、体力などをよく見極めて、優先順位を明確にするようにしている。もちろん彼らにはそんなことまで言えない。心配してくださる友情をうれしく思い、感謝するばかりである。思えば友とはありがたいものだ。電話口で時の経つのも忘れて、ともに学んだ日々のこと、旅したこと、懐かしい恩師たちに話が広がっていった。同じ思い出を共有しているのはなんと貴重で豊かなことだろうか、御国へ帰ったら、日がな一日あの友、この友と語り続けるのだろうか。たぶん、永遠にできるだろう。そんなことにまで想像が深まって、至福のひとときになった。失礼を詫びながら、急いで暑中お見舞いのカードを送った。
2018.07.18 Wednesday 15:56
世相の風から 梅雨前線による大雨被害
あまりにも広範囲で, あまりにも大きな被害ではありませんか。 自然界は、日本の国は、 どうなってしまったのでしょう。 よその国でも起こっているのでしょうか。 自分の小さな身辺の、 小さな記事を書こうと思っているのですが、 とてもできません。 心も目も、報道から離れられません。 被災された方々が 一日も早く穏やかな日常生活に戻れますように、 しばらく沈黙して祈り続けたいと思います。 2018.07.10 Tuesday 19:35
風の仲間たち 幼なじみを天に送って
先月29日に、突然梅雨上げ宣言があって以来、まるで息もつけないような暑さの日々を過ごしてきました。もっとも、小さな生活の中にも、さらに何やらサッカーの大会などもあって、日ごろの静けさが破られ、あわただしく賑やかにまた騒々しくもありました。今朝は、オヤッとあたりを見廻すほどの涼しい気配、大いにホッとしています。神さまのご配慮に感謝します。
先頃、幼なじみの友人が召されました。友人とは召される近くまで交流がありましたので喪失感と感慨は思った以上に大きく、今も心の底に哀惜の情が留まっています。友人は病んでからしばらくして我が教会で救われ、以来、細々とではありますが教会生活を唯一のよりどころとしてきました。残念ながら事情によって教会でお葬儀をすることができませんでした。召されてふた月ほど過ぎてから、親族から教会へ短い一報があったきりでした。教会は礼拝の中で姉妹を偲ぶ時を設け、いちばんかかわりの深かった私が思い出を語りました。その時のメモをここに記して私自身の記念にもしたいと思います。
おはようございます。 ×月×日に召されたM・T姉とは、まもなく70年の長きにわたる友達ですがエッセンスだけを短くお話しします。姉妹はこの町で生まれ育った方です。H橋の土手の近くに住んでいました。私は小学五年生の時同じクラスになりました。中学もいっしょでした。その後は他の区に移転され、私たちは別々の道を歩みましたが、ちょくちょく会っていました。いっしょに旅行もしました。姉妹がお元気だった青春時代の楽しい思い出は尽きません。
ある時、三十代か四十代かに病気になり、それ以後はお仕事も出来ずずっと病院通いが続きました。そんな中で私は「教会に来てみない?」と誘いました。姉妹はこの地域をよく知っていましたし、移転前の最初の教会も知っていましたので、わりあい素直に来るようになり、やがて、受洗し、礼拝の交わりに加えられていきました。いつしか姉妹にとっては教会生活が大きなウエイトを占めるようになり、とても楽しんでいたと思います。教会の皆さんも、弱い姉妹をいたわり気遣って温かくしてくださいました。二人暮らしのお母さんが施設に入られた時期、みんなでよくお見舞にも行き、お母さんも病床洗礼を受けられました。
お母さんが亡くなった後は一人暮らしになりました。身よりは妹さんだけです。妹さんがすべてのお世話をされていたようですが、詳しいことは分かりませんでした。ある時、骨折して歩行が無理になった時、3年ほど前でしょうか、終の棲家になった隣の県の施設に入居しました。そこへも教会から折に触れて何人かの女性たちと訪問してきました。
最後にエピソードをご紹介します。 今年の3月初めの事です。姉妹が召される20日ほど前になりますが、はがきが来て、ドーナツが食べたいから送ってほしいと言ってきました。驚いて施設に電話をかけ、話を聞きますと、毎週教会に通っていたころ、JRの駅のそばのミスタードーナツに寄ってよくひと休みしたそうです。あのころがとても懐かしく、いつも決まって食べていたドーナツがどうしても食べたいというのです。2個でいいから送ってと。施設ですから通常、食べ物を送ることは禁止されているのですが、その時私はこの願いはかなえてあげたいと思いました。
姉妹のリクエストするドーナツを2つだけ、朝一番で買いに行ってすぐに送りました。3月初めなので傷むこともないと思いまして。まもなく電話があり、おいしかったわと満足そうな笑い声が聞こえました。そしてしばらく昔の思い出話をしました。私は毎月カードか電話でコンタクトを取ってきましたので、その後、4月半ばにもカードを送りました。今から考えると、その時、姉妹はすでに御国へ旅立った後だったのです。
姉妹は病弱だったこともあって、70歳過ぎまで生きていられるのは神様のおかげだと、とても喜んで、お互いに健康に気を付けてがんばりましょうねと明るく言っていました。ですからこんなに早く召されるとは、私も、そしてご自分でも思ってもいなかったと思います。詳しい事情は分かりませんが、つい20日前に姉妹と話したことを思うと、突然に召されたのかなと、そして、それが神様の最善の時だったと信じます。姉妹はよく『神のなさることは時に適ってうるわしい』とのみことばを愛唱されていました。姉妹を天に送って、寂しさはひとしおですが、主のみわざのゆえに、心から主の御名を崇めます。以上。
2018.07.04 Wednesday 21:32
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