人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 宗教改革記念日・ルターのエピソード

日々の風から 宗教改革記念日・ルターのエピソード

 

2012年の秋に、お茶の水聖書学院の研修旅行【宗教改革の足跡とバッハをたどる10日間】に参加しました。5年前の事です。今年はルターが今に言う『宗教改革』の発端となったウイッテンベルグ城の扉に「95ケ条の質問状」を張り出してからちょうど500年に当たります。この年を記念して世界中で多くの記念事業が行われていますが、この地を初めルターゆかりの地への旅行も企画されています。ルターについては書物などを通して大方のことは知られていますので今さら私ごときが記すこともないでしょうが、5年前の旅日記からあまり知られていないと思われる一節を見つけましたので、記載してみます。アイゼナハという町で知ったことです。この町はバッバの生誕地です。ルターもかかわりがあり、町には「バッバの家」と「ルターハウス」がありました。

 

 

 

アイゼナハは修道僧になる前(献身する前)のルターが、父の命で、家を離れて聖ゲオルグ教区学校に入学し15才から18才までの3年間ラテン語の勉学に励んだ町です。この町で、ルターは早くも一人の夫人の心を捉えました。ルターは教会や街道や家々の門前で歌を歌う合唱隊に入っていました。当時、少年たちは、大人になってから慈悲深い人になるために合唱隊に入り、街頭や家の門前で歌を歌い、食物をもらう習慣がありました。ルターは熱心に歌を歌いました。その態度が一人の名家の女性、コッタ夫人の目に止まり、心を動かしたのです。やがてルターはコッタ夫人の手厚い保護を受け、寄宿するようになりました。ルターはコッタ夫人の子どもたちの世話をしたり家庭教師の役割をもしたようです。さらに、名家に出入りする宗教界の人々に接して影響を受け、音楽を学ぶこともできました。ルターは宗教改革の嵐の中で再びこの町のワルトブルク城に起居することになります。ルターはこの町を「なつかしきよき町」と呼んだそうです。  

 

 

 

私は、若き日のルターに目をかけたコッタ夫人に非常に惹かれました。こうした話は珍しくはないのでしょう。近代国家が出来上る前は、社会保障や公的救済は皆無でしたでしょうが、日本はさておき、キリスト教信仰が社会の隅々にまで浸透いた西欧には、心ある富者が社会的弱者を積極的に救済した話はよく聞きます。それは慈善とか慈悲という美しい言葉を作りましたが、コッタ夫人もそうした慈悲深い女性だったのでしょう。その彼女が、知らずして後の英雄ルターに目をかけ、ルターを庇護したのです。ただ通りいっぺんの慈悲ではなく、自分の家に寄宿させて養ったというのですから、ルターの中にあるある種のエネルギーに強く打たれたのではないかと思うのです。ルターは幸いでしたが、コッタ夫人もまた、ルターゆえに幸いな女性であったと思います。『ある人は知らずしてみ使いをもてなした』と聖書にありますが、これも主の不思議の一つではないでしょうか。

 

この町の山の上にそびえたつヴァルトブルク城こそ宗教改革の一つのクライマックスです。ここはローマ教皇から国外追放の命を受けたルターが、友人たちの助力によって城の一室に匿われ、わずか3ヶ月で、新約聖書をラテン語からドイツ語に翻訳した場所だからです。

それまで聖書は一般民衆は読むことができませんでした。難しいラテン語でしたから。しかしドイツ語の聖書ができたのです。人々は自分たちの言語で書かれた聖書を手にすることができました。これはそれまでの宗教界(ローマ教皇を中心とするカトリック教会支配の世界)を根底から揺り動かし、改革の一大原動力になりました。ちょうどルターの聖書を待っていたかのように、グーテンベルグの発明による活版印刷の技術が普及し初めました。印刷された聖書、さらにルターの著した書物は、印刷の力によってドイツのみならず他国にまで行き渡り、改革の推進力の一つになりました。ルターは有能な著作家でもあったのです。

 

 

旅の記録は、写真入りで【レター希望の風】に収録してあります。改めて読み返してみて、忘れていた情景を目の当たりにし、ひと時を楽しみました。今、あの10間を再びと言われても体力はないだろうと思い、自信はありません。

 

 

 

 

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日々の風から 喜べない10月

日々の風から 喜べない10

 

雨の日も晴れの日も神様がくださったのだから感謝し喜ばねばと、理屈ではわかっていてもこんなに雨ばかり、曇りばかりでは空を見上げる度に恨み節が出る。他の地方はどうなのであろうか。紅葉を楽しんでいるのだろうか。その上、大きなおまけがついた。週末台風と妙な異名のついた季節外れの台風が、日本列島を貫通する。愚痴ばかりだが、心底から困惑している。先週の嵐の中の選挙にも不満がいっぱい。心は不完全燃焼の黒い煤でいっぱい。私はお天気病なのだろうか、体にも意志にも力がない。老いのせいにはしたくない。と言ってお天気を犯人扱いにもしたくない。しかし非生産的な10月もあとわずかである。11月に期待しつつ、10月の一日一日を歩めたことに感謝する。31日は宗教改革記念日。今年は発端となった日から500年の大きな記念の日を迎える。この500年を歴史はそれぞれの立場からさまざまに評価するが、私たちプロテスタントにとってはルターとルターを用いた神様への感謝を忘れてはならない。明日は特別な礼拝をささげる教会もあるようだ。

 

『義人は信仰によって生きる』。この一言に無限の喜びを覚える。

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日々の風から 来る日も来る日も雨ばかり

日々の風から 来る日も来る日も雨ばかり

 

どうしてこんなに雨ばかり降るのでしょう。振り返ると8月も、9月も、そして10月も20日になるのに雨ばかり。からりと秋晴れになった日はほとんどありません。こんなことってあるでしょうか。ずっと梅雨の続きみたいですが、気温はぐっと下がって60年ぶりの寒さとか。一気に防寒具です。ダウンを着込んで手袋までしている方も見かけます。それなのに大型台風が日本列島を狙っている始末です。なんとなく落ち着きません。

 

 

 

昨日は地方まで知人を見舞った。思いがけない病名を付けられて気落ちしている。当然である。私が押し掛けたところでなにができるわけではない。それは十分承知しているつもりである。メールや電話はたびたび交し合っている。だがそれだけでは満足しない心がある。顔を見る。顔を見せる。目と目が合う。そこに通い合うものはいかなる文明の利器もかなわないのではないか。しぼんでいた知人の頬が心なしかふっくらして来た気がする。話す声に力が入ってきたのを感じる。うれしいではないか。滞在時間は往復の時間よりずっと短かった。だが長居は無用である。潔く立って降りやまぬ雨の中を帰ってきた。祈りを置き土産にして。

 

 

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書林の風から 雑読の楽しさ【カメラが撮らえた幕末300藩「藩主とお姫様」】

日々の風から 雑読の楽しさ【カメラが撮らえた幕末300藩「藩主とお姫様」】

 

図書館へ行くと思いがけない本に出会う。本命のものは予約しておき連絡が来ると借りに出向くのだか、それだけで帰ってきてしまうのはもったいない。そこでひとしきり館内を巡り歩くことになる。昨今は幕末から明治初期に生きた女性たちを拾い読みしている。会津若松の新島八重、大山捨松など有名人はいくらでも本があるから楽しめる。昨年、思い立って冊子にした「若松賤子」は資料が少なかったので書く気になった。そのつながりで、興味深い女性たち浮かび上がってくる。

 

今、机上にあるのは【カメラが撮らえた幕末300藩「藩主とお姫様」】と題する文庫本サイズの本である。カメラが撮らえたとある通り、ほとんど全ページが写真なのだ。大名家の藩主とお姫様たちが美しく盛装してカメラに収まっている。驚いてしまった。御姫様(奥方様)は和装の人もいるが鹿鳴館時代の方はヨーロッパの宮廷の貴婦人たちのような夜会服を着ている。一人ひとり見応えがあり、数奇な生涯が紹介されている。最初に登場する姫は徳川慶喜の長女鏡子である。大河ドラマになった篤姫は「大奥に送り込まれた島津の姫君」とのコメントで全身写真もある。会津の箇所では紋付き袴で帯刀した新島八重の写真があり、坂本龍馬の妻お龍、姉の坂本乙女も登場している。コメントによれば、乙女は身長5尺8寸(約174センチ)体重30貫(112キロ)の大柄な女性だったとのこと。

 

維新前後の大混乱の激動の時代に、肖像画でなく写真を写したことがまず驚きであり、それらが残されており、さらにコンパクトな一冊にまとめられているのは、私にはほとんど驚異でしかない。藩主とその妻(姫時代の実家に当たる藩の様子)の生涯はドラマ以上のドラマであり、美しき姫たちが時代の犠牲にされながらも気丈に生き抜く姿には、深く感動する。女性は強いと思う。芯の強さに勇気付けられる。読むだけでとても記憶にとどめて置くことなどできないから、いつでも見られるようにそばに置いておきたい。

 

 

 

 

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日々の風から 映画「アメイジングジャーニー神の小屋より」

日々の風から 映画「アメイジングジャーニー神の小屋より」

 

久しぶりに映画を見た。春にこの原作の本を読んでいた。本は「The Shack 神の小屋」

という。興味深く面白く読んだ。その映画化である。原作はウイリアム・ポール・ヤング(William Paul Young)といい、敬虔なクリスチャン。作家を目指していたわけではなく子供のクリスマスプレゼントに書いた物語だったとか。それを数人の友人が読んだところ、あまりに好評だったので刊行することにした。出版当時は全く売れず、彼の名を知る人はゼロに等しかったが、一部の熱狂的な支持者によって瞬く間にベストセラーになった。ニューヨーク・タイムスでも、20086月から2010年の初めまでの、最も売れた書籍として紹介している。

 

原作は、キリスト教の三位一体(父と子と聖霊)の概念を取り入れていてそれがストーリーの中心を構成している。しかしながら、三位一体の解釈を巡って物議を醸しだし、大々的に「The Shack」をボイコットしようとする動きもあったそうである。総じてキリスト教を汚しているとの意見も出ているという。

 

そうした賛否はさておき、普通のクリスチャンならすんなりと受け入れられる。多くの場合、三位一体の神の教理を知りながらも、文字や講義で説明されても具体的なイメージが浮かばず、難しい教理だというくらいで素通りしているのが実情だと思うから。

 

映画では、三位一体の神が、一人一人の人間として登場する。一つ小屋にうるわしい関係で住みながら、それぞれの働きを絶妙な調和でなしていく。神は黒人のふくよかな女性。その神を「パパ」と呼ぶ。女性なのにママではない。原作者の深慮が見える。愉快な設定である。しかしこんなことろはとうてい受け入れられない人たちもいるだろう。イエス様は中東の青年が演じる。聖霊はすみれという日本人女性。この三人が、憎しみに燃える一人の中年男性と生活しながら彼の魂に働きかけていく。ついに彼は娘を殺した憎い犯人をゆるしますと告白するまでに至るのである。三位一体の神との交わりの中に真の解決がある、平安と解放がある、喜びがある。私にはすんなりと受け入れられる真理である。観ていて楽しかった。

 

もちろん「本」も「映画」もいわゆるキリスト教の匂いがプンプンする。鼻に付いたら本も読めないし映画も見られないだろう。三位一体を知らない方々がみたらどうだろう。それでもそれなりに深いものを得るだろう。神の愛を信じられたら、たとえ敵でもゆるせるところに心を揺さぶられるだろう。こうした「本」がベストセラーになり、「映画」まで作られるアメリカの文化、キリスト教文化の奥の深さ豊かさをうらやましく思った。

 

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日々の風から 待望の10月スタート

待望の10月スタート

 

月が変わって最初の日に記事をあげたいと毎月思っている。月の最後の日には感謝と別れのあいさつを、新しい月には期待と歓迎のあいさつをしたいと思うが、最近は手際よく物事を進める能力が鈍っておたおたし、この両日に失礼している。9月は大きな行事をこなすことができ、いつまでも思い出に残る感謝あふれる月になった。体調を崩すという招かざる客の到来もあったがこれもまたセットになって記憶に留まるだろう。

 

新しい月を歓迎する。神さまは何事があっても歴史の先頭に立って進んで行かれる。個々人にとってうれしかったこともつらかったことも、大御心に包み込んで深いあわれみの内に先へ先へと歩みを進められる。神の歩みにへばりついてこの月も歩んでいきたい。10月は気候的には最高に過ごしやすいはず。ちょうど5月に相対するのではないか。今年は8月、9月が異変続きだった。雨が多くて梅雨時のようだった。これが私の体調を狂わした大きな原因だと思っている。

 

この10月は、早々から身勝手な解散劇のために小さな狭い日本の国が振り回されている。「おごれるものは久しからず」の大風が吹くことを願っていたがひとまずそのようになること希求する。とってかわる新しい勢力が何をするかわからないが、神様は見ておられる。それもまたいつか「風の前の塵に等し」のルールから外れることはないだろうが、祈りつつ見つめていきたい。私の体調はほぼ回復した。いのちの主に感謝するばかり。爽やかな秋風と澄み渡る空の青さを楽しみながら人生にたった一度の2017年10月を主とともに歩んでいきたい。

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