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日々の風から 浅草雷門へ
日々の風から 浅草雷門へ
いっとき激しく襲ってきた風邪も、わりにあっさりと退散してくれて、ほとんどふつうに戻りました。最後の敵が喉の周辺にしがみついているのか、多少いがらっぽさが残りますが、あとはうがいと水飲み作戦を続けるほかはありません。薬は手放しました。
小さな用事を理由に浅草に行きました。時々、無性に浅草へ行きたくなります。特に近年そんな思いに駆られます。郷愁でしょうか。浅草の風景も時代の流れの中でずいぶん変わってきていますが、それでも私にはただ歩くだけで十分なのです。一瞬のうちに何十年間がぎっしり詰まった私だけの浅草空間に入り込めるからです。最近は、様々な外国語が飛び交い、日本の下町人間だけではない人々がひしめき、特に食べ歩く人たちが目につきますが、雷門の大きな提灯を見ると、顔がほころんできます。啄木は故郷のなまりが聞きたくてわざわざ上野駅に行ったようですが、私の浅草行きもそれに通ずる望郷感覚なのでしょう。お正月三が日はもっともっと混雑するでしょう。さすがに行くつもりはありません。しばらく間を置きます。
この一年の間、わざわざ『希望の風』をお訪ねくださった皆様に心からお礼を申し上げます。 思いがけなく「楽しんでいますよ」なんてお声を聞くとギクッとしたり、ひやっとしたり、 うれしかったりといろいろな刺激を受けますが、 これからも緊張感をもって、身辺を作文化していきたいと思います。
新しき2017年の祝福をお祈り申し上げます。 2016.12.31 Saturday 13:58
日々の風から クリスマスを終えて
日々の風から クリスマスを終えて
23日の老人施設慰問とクリスマス礼拝の聖歌隊賛美に、なんと、出られませんでした。歌を忘れたわけではないのです、声が出ないのです。つまり風邪、喉と咳の風邪に負けてしまいました。怪しげな前触れをかすかに感じてはいたのですが、このくらいなどと高をくくっていたのが間違いでした。施設には行かれませんでした。礼拝では聴く側になりました。たぶん初めてのことです。なんとも物悲しい思いをしました。皆さんの優しき慰めの声も上の空、クリスマス愛餐会のごちそうにも手が出ず、後片付けも失礼して早々に退散、安静が一番との治療法に身をゆだねました。一日、二日の蟄居で快癒するといいのですが。
2016.12.26 Monday 19:44
日々の風から アドヴェントの日々 その2
日々の風から アドヴェントの日々 その2
一年が終わろうとしているこの時期になると、日ごろ後回しにしていることがやたらに気になります。あのこともこのことも済ませておきたいとそんな思いにかられます。
五島の旅を終えて、旅日記も整理したところで、旅仲間数人が集まりました。日ごろ皆さんご活躍の方々ばかりなので日取りの調整に難航するのですが、今回は一声ですぐに決まりました。最優先してくださったのだと思います。場所も手ごろな町のレストラン。普段着でお付き合いできる友人は貴重です。それでもいそいそと心弾ませて集まりました。
ようやくまとめた「旅行記」を出しますと、向かい側の友がコンパクトにまとめた写真集数冊を卓上に乗せ、それを皮切りに皆さんいっせいにバッグを覗き、クリスマスカードを初め、プチプレゼントが飛び出しました。負担にならないようにとの心遣いがにじみ出るエピソード付きの重宝な品々が手に手に渡り、思わず小さな歓声が上がりました。
それから延々三時間半、話は尽きません。店員の方々は気にならない程度に上手に間を置きながら配膳してくれました。それが長居の出来た大きな理由かもしれません。また使いたいと思えるほど、料理だけでなく後味の良いお店でした。一人の友人はつい三か月ほど前に、長く介護された母上を天に送ったばかりで、心の整理、身辺整理の途上とのことですが、小休止と前に進むための良い時になったと、喜んでおられました。
二日置いて、上野の杜の「デトロイト美術館展」に、ようやく行きました。「大西洋を渡ったヨーロッパの名画たち」と謳われており、モネ、ルノワール、ゴッホ、セザンヌ、そしてピカソまで居並んでいました。作品数は全部で52点、作品目録も片面で済んでしまうミニ美術展、大きなものはなく、近づいてしばらくじっくり眺める、それを奨めているようでした。絵や音楽、読書に気の合ういつもの教友と二人連れ、帰り道に冬枯れの公園を歩きました。「10月さくら」と銘を下げた桜がぽつぽつと、ちょっと心なげに咲いていました。ところが不覚にもカメラを向けたとたん、周りの凹凸に足を奪われてしりもちをついてしまいました。上手に立ち上がるのは至難の業で、笑い事では済まないと思いました。
この日は写真撮影が許されていました。
昨日は、これも一番気にかかっていた友人と会うことができました。秋の初めに約束していたのに、姉妹は三か月も咳と微熱に悩まされていたのです。ようやく回復し以前のように動けるようになったとのことで、新宿を指定してこられました。都庁を横目に、西新宿の小さなお店でランチをいただきました。友は丸の内、新宿などを舞台に仕事をしまくってきたので、大きなところから路地裏までよくご存じで、行ったことのない通りをたくさん歩きました。私の土地勘の働くところは銀座までですから、ビルの林の中に入ると東西南北さえ分からなくなり、駅はどの方向なのとなんども尋ねる始末でした。これからしばらくは冬ごもりね、今度は桜の咲くころかしらと、お別れしました。
今日23日は休日ですが、我が教会では夜にキャンドルサービス礼拝をします。その前に、近くの老人施設にクリスマスの賛美を携えて慰問に出かけます。このところ数年恒例です。一人の姉妹が入居していることから導かれました。ところが、各フロアー4階まで、一階毎に廻ります。私たちは「4回も公演するのね」と、ちょっとした合唱団気取りですが、体力が要るのです。さて、夜の礼拝終了まで、元気でいられるでしょうか。
2016.12.23 Friday 10:41
日々の風から アドヴェントの日々
日々の風から アドヴェントの日々
教会堂のクランツに立つ赤いキャンドルの四本目が点火されて、待降の思いはいよいよ高まっていきます。キャンドルサービス礼拝はふつうは24日ですが、我が教会は近年23日の休日に行っています。その日の方が集まる人が多いんではないかと、そんな願いからです。24日の教会ももちろんありますから、ぜひこの機会に教会でクリスマスのひと時を過ごしていただきたいと祈っています。
昨日の日曜日には教会では礼拝の他に二つのクリスマスの集いがありました。午後はキッズ・クリスマス会です。あらかじめ地域にチラシを配布して、子どもたちに呼びかけました。 果たしてどのくらいの人数が集まってくれるでしょうか。プレゼントや楽しいプログラムを用意しますが、昨今はなかなか子どもを呼ぶのは困難です。教会学校に奉仕する兄姉は四苦八苦しています。私は高齢になりましたので、その奉仕からは解放されています。
礼拝前の30分、いつもの時間に、私の担当する成人科クラスのクリスマス会をしました。毎年のことですが、学びは前半だけにして、後半はミニお茶会をしながら、今年一年のクラスへの感想を分かち合いました。すでに20年になりますので、「継続は力なり」とは思いつつもマンネリになっていないか、また、リーダーの立場にいる者として「裸の王様」になっていないか、あるいは「老害」をまき散らしてはいないかと、絶えず揺れる心を抱きながら自己吟味してはいますが、さて、真実のほどはわかりません。メンバーの兄姉が、口々に、学びが自身の信仰生活のプラスになっていることを具体的に語られたので、今年もまた私への励ましメッセージだと額面通りに受け取って、新たな決意で新年から進んでいきたいと思います。
礼拝後はすぐに23日キャンドルサービス礼拝と、25日クリスマス礼拝での特別賛美練習があり、聖歌隊の一員として加わりました。奉仕の数が少なくなったとはいえ、アドヴェントの日々は多忙です。今年は高齢者数名が病や老いのために入院したり施設に入居したりしてともに相集ってクリスマスをお祝いできなくなっています。寂しい限りです。23日の午後は例年のように近くの老人施設へクリスマスの賛美をもって慰問に出かけます。これにも参加するつもりでいます。今の私にはできることがこの上ない感謝です。
2016.12.19 Monday 21:33
日々の風から 師走の風を受け入れて
日々の風から 師走の風を受け入れて
10月末に上五島の旅に参加して、五体五感で吸収した見聞や感動をせっせとブログに綴ってきました。いつもより多くの方々がお訪ねくださり、発信する大きな励ましと力をいただきました。そのあと、ブログ記事をもとにして、レター版「希望の風」を編集し、ネットを見ない友人知人に送ったりして、今もそのさなかですが、12月もすでに半ばになってしまいました。しかし私の中では四季のうちで貴重な「秋」を逃がしてしまったような無念さが残っています。とはいえ、あれだけ濃密な「旅世界」を味わったのですから、それ以上は欲というものでしょう。感謝して、12月半ばの師走の風を受け入れ、2016年の残りの日々の一日、一日を噛みしめ踏みしめて歩んでいきたいと思います。すでに教会の内外では、クリスマスの諸行事が始まっています。小さな奉仕を携えて、精一杯参加していきます。
2016.12.14 Wednesday 21:52
旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅 その13 最終日
旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅 その13 最終日
大釜で炊かれた鯛めし
夕食時のこと 二日目の夕食は前日に勝る大ごちそうでした。なんと伊勢海老のお刺身が加わったのです。調理を終えた伊勢海老の姿がお座敷の入り口に勇ましく飾られて、私たちを迎えてくれました。こんなお食事は生涯に一度でしょう。前日は旅のお世話役として奮闘されている副団長K兄の司会で20名全員が自己紹介をしました。二日目、最後のうたげでは名司会者として定評のあるN兄がほどよいスピードで「今回の旅で一番強く心に残っていること」を一人一人に振りました。もちろん旅は明日も続くのですが、この時点まででも話したいこと聞きたいことは山のようにあります。それを皆さんお一人ひとりが手際よくコンパクトにまとめて話されました。その新鮮な感想は、まるで生きのいいお刺身のようで、胃の府ではなく、心の奥深くにとどまりました。食事のメニューも皆さんの感想も記したいのは山々ですが、いつか後日に譲ります。
部屋友のこと 今回の2泊は学院創立時から今日まで25年間、変わらない友情でお交わりを続けているS姉と同室になりました。年齢も同い年。主にあって双子姉妹のようです。学院の大きな旅、イスラエル旅行、バッバ・ルターのドイツの旅もいっしょでした。いつも早朝の祈り、就寝前の祈りをともにしてきました。今回も同じスタイルです。プライベートな課題を出し合って祈りました。過去には同じデボーションテキストを使ったり、それそれで聖書個所を出し合ったりしましたが、今回は覚えている聖書個所をいっしょに暗唱しました。「主の祈り」、「使徒信条」は毎回ですが、それに「詩篇第1篇、23篇、103篇の一部、121篇」も加えました。親しき友と朝に夕に祈りあえることも、旅の大きな恵みです。
3日目最終日は帰路になります。教会見学は車窓から「桐教会」を眺めただけです。民宿「えび屋」前からバスに乗り込んで奈良尾港、そこからジェットホイルで長崎港、今度は一般のバスで長崎空港、そして羽田です。宿を8時に出発して羽田到着は夕方5時過ぎです。一昨日たどった道を逆に行くことになります。この旅はざっと往路一日、復路一日の道のりです。それだけ遠方なのです。めったに来られるところではありません。めったにどころか、確実に、二度とないでしょう。切ない思いがこみ上げてきます。
忘れがたき方々 三日目のバスガイドさんはかわいらしくたくましい女性でした。奈良尾港までのわずか90分、五島の海の飛び魚のように元気いっぱいにしゃべり続けてくださいました。忘れがたい女性です。「えび屋」の女将と次代の「女将」の2代の女性たちの姿も思い浮かびます。目鼻立ちのはっきりした五島肌の美女たちでした。お二人は道路まで出てきて、いつまでもいつまでも手を振りお辞儀をしておられました。ほとんど二度と客となることはないのに、精一杯、礼を尽くしてくださいました。
それにしても昨日一日中ともに歩いてくださった80歳の「巡礼ガイドM氏」に会えなくて、一抹の寂しさを感じました。氏のお人柄、そうでなく、風雪を経た信仰からにじみ出る渋い柔らかい温かい光が、私たち旅人をじわっと包み込んでくださっていたと、思えてならないのです。M氏は、迫害の凄惨な場面を決して声高に語りませんでした。この島全体に浸み込んでいる血やうめき声をことさらに掘り起こすようなことはしませんでした。そうした殉教者の悲しみや苦しみを、M氏が黙って一身に背負っているように見えました。M氏の血にはご両親、さらに隠れキリシタンであったであろうご先祖の方々のご苦労と祈りが流れていると想像しました。
信仰の証人 長崎空港で、チャプレンF師によって解団式が行われました。ひとまずここで解散という意味です。F師は、羽田の団結式の時に、「へブル書12章」を用いて、今回の旅の目的の一つは「信仰の証人」に会いに行くのだと言われました。その通りに、私も多くの歴史上の信仰の証人に会いました。書けませんでしたが、あの長崎西坂の丘で処刑された26聖人の一人は五島の出身者でした。「ヨハネ五島」と言い、彼を記念する像を2か所の教会で見ました。
しかし今回、出会った「信仰の証人」は過去の人ばかりではありませんでした。M氏を初め浜串教会の祈祷会の方々や江袋教会の鐘楼の下の老女性たちは「生きた信仰の証人」なのです。上五島の教会群は、隠れキリシタンゆかりの場所に建てられました。そのうちの29もの教会が今も信仰に生きているのです。私たちは、単に、止まった歴史、切り取った歴史、書き留められた歴史の「足跡を辿る旅」をしているのではなく、今も生きている教会とその証人に出会ったのだと思い当たりました。心が強く揺さぶられ、目の開かれる思いがしました。神のダイナミックなドラマは終わったのではなく、連続して今に至っているです。さらに、神は、進行する「神の大河ドラマ・信仰の証人」に、私たち一人ひとりをも巻き込んでおられるのだと強く教えられました。
『私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか』 へブル12・1
羽田へ帰る雲間から、夕日を浴びる富士山がはるか眼下にかすんで見えました。
10月末から書き始めました旅日記はひとまず終了です。 かなり根を詰めた感が残っております。ホッとした思いもあります。 思いがけなくおおくの方々がお訪ねくださって驚いています。 そして、心から感謝申し上げます。
これをもとに、ペーパーで「希望の風」を編集中です。 ネットを使わない友人、知人のためです。
12月はすでにアドベンド第2週目。 皆様の上にイエス・キリストの真理の光があふれますように。
2016.12.05 Monday 09:02
旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅 その12 江袋教会→仲知教会→「えび屋」で宿泊
旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅 その12 江袋教会→仲知教会→「えび屋」で宿泊
江袋教会 火災で再建される 上五島は十字架の形をしていると聞いたことがあります。それに見立てると残す二つの教会は縦の上へ上へと行きます。地図では北方向です。開通したばかりの「青砂ケ浦トンネル」997mを潜ります。このトンネルは島内で一番長いトンネルだそうです。32号線からその後、218号線に入ります。
9番目の教会は「江袋教会」 教会ははるかに東シナ海を見下ろす急斜面の中腹に海に向かって建っています。1882年(明治15年に)にパリ外国宣教会のブレル神父の指導で建設された、木造瓦葺き平屋建ての教会です。しかし惜しくも2007年に漏電によって全焼してしまいますが、それまでは五島で最古木造教会でした。火災後は、元の位置に復元することになり、焼け残った一部の建材を利用し、また全国からの支援を受けて2010年に完成しました。一目で新しい建物だとわかりました。一見、教会ではなく、日本家屋のようですが一歩堂内の入ると赤や黄色の美しいステンドグラスが輝いていて、やはりここは神をほめたたえる教会堂なのだと納得させられました。
急な階段を一歩ずつ上って左手に回ると海が大きく開け、教会の正面に出ました。と、数人の老女性たちが玄関わきの石に腰を下ろしていました。私たちの見学後に始まる祈祷会に出席するためでした。社交満点のM姉がすぐに話しかけました。女性たちは私たちよりもっと年上に見えましたので、階段はさぞきついだろうと思いました。みなさん一様に深く刻まれた皺深いお顔でしたが、こぼれるような生き生きした笑みにいっぺんに魅せられました。お顔の皺は荒い潮風のせいばかりでなく、絶えない笑い皺かとも思いました。女性たちは合図の鐘楼の鐘が鳴るのを待っているのだそうです。鐘の音に誘われて会堂に入っていくとは、なんと豊かな信仰生活でしょう。祈祷会が毎日なのか今日がちょうど祈りの日であったのかわかりませんが、いつもの時間にいつものように祈りをささげる生きた信仰がここにもあるのだと知り、主をあがめました。すぐに昨日の福見教会での祈祷会を思い出しました。
10番目は仲知教会・煉瓦造り・ステンドグラス(聖書場面)
218号線をさらに島の北端に向かって進むと、「仲知教会」です。よくぞこんなところまで教会を建てたものだと深く感動しますが、実際はこの先の北方にまだ教会があるのです。
現在の教会は三代目で、1978年(昭和53年)に建立されました。この地域に住む大部分がカトリック信者で、信者達の多額の献金と労働奉仕により造られました。仲知小・中学校の生徒も全員が信者。そのため学校行事は教会の行事を考慮することなしには組むことができないほどだそうです。なんとうらやましいことでしょう。
教会の外見は教会らしくなく、お役所のように見えますが、堂内は別世界でした。聖書の場面が描かれた14枚のステンドグラスがあふれんばかりにはめ込まれていました。イエス様が弟子たちと漁をする場面では、当時、信者の中心として建設に関わった住民も登場しているそうです。
教会を後にするとすでに5時近くになっていました。この日の見学はすべて終了です。ここからまっしぐらに南下するのです。北の果てから南の果てまでと言っても大げさではないほどです。もちろん最後に若松大橋を再び渡ります。そして、神部港に面する「えび屋」さんに帰るのです。今夜、もう一泊します。ドライバーさんに訊ねますと、約90分、ノンストップだそうです。折しも東シナ海には夕日が沈むところでした。
2016.12.04 Sunday 21:38
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