人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅 その2

旅の風から 上五島のカトリック教会群を巡る旅 その2

 

 

 

 

2008年に、五島列島の下五島と呼ばれる福江島へ渡りました。今回と同じように2泊3日でしたが、島へは初日の一泊だけ、もう一泊は雲仙に泊まり島原など殉教の跡をたどりました。そのときにH氏が、次回はぜひとも上五島へ行きたいと、力を込めて言っておられました。その声を記憶はしていましたが、8年後に実現するとは、正直のところ思っても願ってもいませんでした。しかしH氏はずっと祈っていたようです。今回は自ら団長を引き受け、旅行社と掛け合い、ふさわしい旅程が出来上がり公募に至りました。

 

私はこの春に北海道へ行ったこともあって、今度は九州に行きますとは、さすがに気が引け、なによりも自分自身との折り合いがつかず躊躇していました。しかし2008年以来の仲間たちが当然のごとくに次々に申し込み、私が行くのも当たり前に思っておられる様子、ついに手を挙げたのでした。なんだかいやいや行ったみたいで言い訳がましいのですが、そんな葛藤がありました。だれに反対されるのでもなく、大きな支障があるわけでもないのですが、しばらくうじうじとしていたのです。さて、心が決まればもう迷いは雲散霧消、もともと親しき友であるH氏からの要請もあっていつもの力強い旅友Aさんと雑務を担うことにもなりました。

 

今回の旅程は単純です。飛行機で羽田⇔長崎空港、ジェットホイルで長崎港⇔奈良尾港。島内は3日間貸し切りバスです。宿泊も一か所の連泊です。こうして文字にしてみると、ああ、そうなの、らくそうねと思われてしまいそうですが、旅にハプニングはつきもの、絵に描いた餅のようにはいかず、餅がのどに詰まるようなこともありました。

 

 

 

三日間の旅程を記してみます。

10月24日・月曜日、8時半羽田国内線乗り場集合→Fチャプレンによる団結式→フライト→長崎空港(12:30)→貸し切りバスで長崎港→ジェットホイルで奈良尾港(15:30)→貸し切りバスで福見教会→浜串教会→若松島神部港の前、民宿えび屋へ(18時)

 

10月25日・火曜日、8時えび屋発→徒歩で神部港→海上タクシーでキリシタン洞窟ハリノメンド→若松港→貸し切りバスに乗り換えて中ノ浦教会→大曽教会→鯛の浦教会→扇寿で昼食(12時)→頭ケ島天主堂→冷水教会→青砂ケ浦教会→江袋教会→仲知教会→えび屋(18時)宿泊

 

10月26日・水曜日、8時、えび屋発→若松大橋→車窓から桐教会→奈良尾港(10時発)→ジェットホイルで長崎港(11:10)→大波止から普通のバスで長崎空港へ(13時)

→ここで解団式、自由時間→15:25フライト→羽田空港17:05着。

 

3日間これ以上ない上天気だったのは感謝の一言に尽きます。旅は何と言っても晴れが最高です。高齢者ばかりの旅なので神はあわれんでくださったと、聖名をほめたたえました。

 

 

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上五島のカトリック教会群を巡る旅

上五島のカトリック教会群を巡る旅

 

24日月曜日から26日水曜日まで、念願の上五島カトリック教会群を訪ねる旅に参加してきました。所属するお茶の水聖書学院同窓会が一年をかけて企画主催したものです。20名の仲間たちといっしょでした。いつも年齢ばかりを話題にしますが、集約すると全員が70代です。三日間最高の上天気、さすがに五島は九州の先の東の海の中にあり、温かく湿った空気が流れ、東京とは3〜4度の差があって、一か月くらい前のような感じを受けました。長崎県に属し、長崎港から船に乗ります。

 

島の南から北まで、バスは曲がりくねった山道坂道を走り、私たちは、岬の先端や山のてっぺんに建つ教会目指して、急な階段を上がり下りして、歴史を訪ねつつ、誇り高くそびえる教会に、キリストのいのちを目の当たりにする時をいただきました。今日は予告編です。これからおいおいに旅日記を記していきたいと思います。

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心の風から 老親介護・老老介護

心の風から 老親介護・老老介護

 

私と同年齢の方々はすでに老親介護は終わっている。私は遅いほうだったが、それでも母を天に送ってすでに8年になる。人によって千差万別であるが、私の年齢になると介護される側である。問題なのは老老介護である。介護されても仕方のない方々が、幸い自分自身は今のところ元気ではあるものの、配偶者の介護をすることになってしまうことである。実際、私の友人知人でそんな苦境に立たされている方が何人もおられる。今では珍しくもない社会現象のひとつだが、実際は深刻である。深刻さを増しているのは、ずっと二人暮らしだった方々。同居する家族か、独身でもいいから同居の子どもがいる方々はその困難さが緩和されると思う。

 

ご主人を介護している方の方が多い。奥様のお世話をしておられる男性も存じている。ときにその内情を知ることがある。わりにオープンに話す方もおられる、こぼし話をするということである。一方で、固いガードを張り巡らし、弱音を吐かない人もおられる。それもこれもその人の生き方の姿勢の表れであるとおもう。良い悪いの問題ではない。ただ、外側から、あるいは人づてに、耳に入ることから、多くのことをあれこれ考えさせられる。

 

言葉選びが難しいが、介護するご本人の体力の限界が目に見えている、あるいは限界に達してしまう場合、もっと介護制度のお世話になればいいのにと、いちばんにそこに歯がゆさを感じてしまう。母の場合、介護制度がどんなにありがたかったか、身に染みている。申し訳ないほど便利に利用した。本人の使える保険点数の範囲内でケアマネさんと相談しながら、プログラムを立てていった。母の意志、私のスケジュールをミックスさせながら、日ごとに、時間ごとに、細かい表を作った。そしてその通りに進めた。感謝なことであった。

 

今は制度が目まぐるしく変わって、当時より不便、あるいは悪くなっていると聞く。費用の問題から使わない人もいると聞く。だから、一概に介護制度を利用したほうがいいとは言えないが、共倒れが目に見えている方にはお奨めしたいとおもってしまう。しかし総合してみるとこんな人が多い。

 

いつもそばにいてあげたい、自分のそばから、自分の家から出したくない、人に預けてまで楽するつもりはない。骨が折れてもつらくても、できるだけ頑張りたいというのである。この思いはどこから来るのだろうか。じっと考えるに、やはり最後に残るのは情であろう。愛情であろう。外側からはうかがい知ることのできない長年の絆、関係の深さがそうさせるのではないか。親を思う子の思い、夫を、妻を思う配偶者の思いは一つなのだろう、当事者の関係のただ中に、第三者はうかつには入れない。愚痴を聞かされるときは深くうなずいて聞き、じっとガードを固くして頑張っている人には、背後から祈っていくほかはない。ついに共倒れになった方々には駆け寄って行きたい。

 

 

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日々の風から 図書館脇のパン屋さん

日々の風から 図書館脇のパン屋さん

 

秋のど真ん中にいるのを実感させてくれるこの1,2日。腰が上がって外出した。区内を走る循環ミニバスに乗る。このバスは都バスの走る幹線道路を避けて、いわば横町から横町を細かく走ってくれる。料金は100円。都バスの半額なのも人気の理由である。徒歩の足代わり、自転車代わりに使われている。昼間は杖を突いたりシルバーカーを押す高齢者が乗り降りしている。

 

図書館の脇に自家製のパン屋さんがある。焼きたてのパンがガラス張りの窓越しに初々しく並んでいる。そこを素通りできる人はいないと思う。まして食欲の秋!店内に入ってしまうのは誘惑に負けたことになるのだろうか。「御自由に」と、無料のコーヒーコーナーがある。簡単な座席もある。今はイートインというのだろうか。入れ代わり立ち代わりトレーにパンを乗せて無料のコーヒーで一息ついている人がいる。

 

図書館に来るたびに必ず買う、いつものパンを袋に入れてもらって、ついでに「ご自由にコーヒー」を紙カップに注いて座った。隣には赤ちゃんを抱きおんぶしたママがいた。専業主婦なのだろう。ドアーが開くと、ベビーカーを押すママが入ってきた。座席を見ている。たぶんこのママもここでひとりお昼をするつもりなのだろう。私は早々に席を立った。小さなパン屋さんに集まってくる小さな日常をほほえましく懐かしく拝見した。帰りのミニバスには乗客は私を含めて3人しかいなかった。貸し切り同様である。まるで大きなタクシーに乗っているようだ。なんと贅沢なことだろうと、申し訳ないような思いがした。

 

 

 

 

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日々の風から 萩も見ず

日々の風から 萩も見ず

 

すっきりとした秋晴れの日がないまま10月もはや半ば近くになってしまった。今日はようやく空が高いのを確認できた。薄く白い雲が気ままに漂っていて、胸が開くのを感じた。このところ身辺穏やかならず、胸の縮むことがいくつも押し寄せている。私や家族に直接係ることではないが、心が萎えたり気が揉めたり気にかかったりで、落ち着かない。そのためか、抱えている仕事が進まない。それがストレスになる。秋の花を見に行くこともないままである。久しくカメラは置きっぱなし、美術展の案内を見ることもないままである。昨年の10月はどうであったかと手帳を繰ってみると、月末には、日本初の公認女医でクリスチャンの荻野吟子の生涯を追いかけた『利根川の風』が出来上がったと記してある。懐かしさがこみ上げてきた。今年は新しく一人の女性を追いかけているが、スピードがなくのろのろとしている。私を押してくれる風がほしい。希望の風よ吹け!!

 

 

 

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世相の風から 小池劇場に気を取られて

世相の風から 小池劇場に気を取られて

 

都知事選のころから都政にいや応なしに目が向くようになった。政治には音痴と、ずっとそっぽを向き、政治の風に吹かれることもないだろうと思っていたが、昨今は今までとは違う風圧を感ずる。ひとえに「小池劇場」のせいだろう。これは私に限ったことではないだろう。私のごく小さな周辺でも、すぐに話が出て、花が咲く。「劇場」と言っても単なる観劇ではない。自分たちの生活に直結する問題が展開されていくのだから、他人ごとではないのだ。

 

築地市場には30分もあれば行ける。時に出かけることもある。移転すると知って以来、あまりいい感じはしなかった。郷愁があるからだろう。東京の歴史が消えてしまうようで、無意識の内にも一抹のさびしさがあるからだろう。しかし、移り変わりは世の習い、良くなってくれればそれでよしとしなければと納得したことであった。

 

ところが思わぬ問題が噴出して、びっくり仰天である。報道の一つ一つに釘つけになった。まだまだ先は見えないが、あまりのひどさにあきれ果て、心の隅には、政治の世界ってこんなことなんだと、怒りもそこそこに早くも白け気分になった。野次馬にすぎないから無責任を決め込んでいられるが、渦中にいる新都知事さんはさぞ大変だろうと思う。政治家に同情するなんていままでなかったことだが、今度ばかりはハラハラするくらい気持ちが接近している。一歩も体を動かすわけではないのに、見聞きする、それだけでかなり疲れてしまう。

 

小池さんはもちろん超人、巨人であろうが、生身の人間であり、しかも女性である。女性は弱いなんて私自身少しも思っていないし、現に女性の方が生命力はあることは確かだが、男社会にトップとして立つのは容易ではないとは推察する。女性が上に立つのには男の4倍働かねばならないとは以前から聞いているが確かだろう。4倍も5倍も活躍して、いや応なしに表沙汰ざたになってしまったたくさんの闇の部分がはっきりと解決されることを願っている。都民は、国民は、みなそう願っていると思う。

 

 

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