人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 枝垂れ桜は三分咲き
日々の風から 枝垂れ桜は三分咲き


 
先週のことになってしまった。次々に桜便りが聞こえてくるが、今年こそは満開の艶姿を観たいものだと、三年越しの念願を果たすべく、友人たちと六義園に繰り出した。ところが三分咲き。宿願は来年へ持ち越すことになった。しかし三分咲きは可憐であった。人影も多くなく、手の届くところで枝垂れ咲く花をまじまじと見つめることができた。見廻せば、花観る顔はみなほころんで美しかった。









 
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日々の風から 仲直りは春の風

日々の風から 仲直りは春の風

 

東京に桜の開花宣言が出た。桜の花と同時に人の心も開く。映像を見ていたら、宣言が出たとたん、標本木を取り巻いていた人々から大きな拍手と歓声が上がり、いっせいにスマホがかざされた。思えば、おかしいほどのんき国ではないかないかと思ってしまう。

 

アメリカとキューバが長い間の国交断絶を解消して、両国のトップが握手した。88年ぶりという。わずか130キロしか離れていない国が、お隣りさん同士が、けんか別れしていたのだ。そうなったのには双方ともどもに立派な理屈や事情があってのことであろう。外野がとやかく言うことではないかもしれない。しかし、何はともあれ、双方が笑顔で握手したのだ。何と麗しいことあろう。なんとめでたいことだろう。何と感謝であろう。

細かいことはじっくり話し合えばいい。きっと乗り越えていけるだろう。

 

「和解」ほど困難なことはないだろう。国家間はさておき、小さな個人間でも、こじれた関係にある者が和解するなどは不可能に近く、実現は奇跡でしかない。当事者が自然に歩み寄って和解の握手ができれば一番いいが、両者の間に有力な仲介者がいれば、不可能が可能になることもある。また、お互いの利害のバランスが釣り合えば、仲介者がいなくても説得者がいなくても、和解ができるばあいもある。

 

アメリカとキューバはこの先どのような展開にいなるのだろう。よいモデルになるといい。

 

イエス・キリストは、神と人との間の仲保者として、ご自分の命を代償にして和解を成立させてくださった。支払った代価は途方もなく大きい。27日、復活祭を目前にして、和解の重さを考えてみたい。個人の人生史の中で、和解できないままになっている関係があるかもれない。私には、今思い出すと、うやむやのままの事柄が少なくとも2つはある。どう考え、どう扱ったらいいのか、まして、どのように行動したらいいのかわからない。遠い昔のことであっても、神は覚えておられるだろう、少なくとも、神のみ前に持ち出して真剣に祈ることから始めてみよう。

 

 

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日々の風から 春風は希望の風

日々の風から 春風は希望の風

 



 

3月も半ばだというのにこのところ記録的な低温に見舞われている。気温の乱高下は体調だけでなく精神面にも影響が大きい。人間は機械ではないのだとつくづく思う。とても繊細に高度に、創られている。しかし実際にはこの霊肉と共に生きるのは並大抵ではない。創り主がいつもかたわらにいて、見守り、調整してくださらなければ生きていけない。

 

過日、スペシャル休暇の姉妹からドライブのお誘いがあって、飛びついた。開けられたドアーから飛び込んだというべきか。親しき友も招かれていて女性4人の日帰りの旅となった

 

東名を走り、国道一号線の西湘バイパスを通過して湯河原の梅園へ、その後熱海の海岸へ出た。久しぶりの海、久しぶりの熱海に歓声を上げた。大磯あたりの海岸線は雄大で、岸を洗う大きなうねりや波しぶきが、心に淀んでいた雑念にぶつかり、砕いて、沖へさらってくれたように思え、すがすがしい軽やかな気分になった。海は私の心の汚物などものともせず、エメラルド色を少しも変えることはなかった。細めに開けた窓から、潮のにおいを思いっきり吸い込んだ。荒い吸気の音に友は笑っていたが。

 

湯河原の梅園では、梅はすでに盛りを過ぎていたが、駐車場は満車に近く、大勢の人々でにぎわっていた。花を訪ねるのはいい、花を眺めるのはいい、花を愛でるのは人間に与えられた神様の恵みであろう。友とのフラットでオープンな語らいが喜びを倍加してくれた。

春風は希望の風、喜びの風になった。

 

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日々の風から 震災五年、いまなお行方不明の方が2500人以上も

日々の風から 震災五年、いまなお行方不明の方が2500人以上も


あの地域で、直接に、地震や津波や原発の、未曽有の被害にあわれた方々に心からお見舞い申し上げます。ご家族、ご親族、友人、知人で、いまなお、行方のわからない方を追っている皆様に、心からお見舞い申し上げます。

あの地域で、元のように暮らしたいと切望している方々に心からお見舞い申し上げます。

あの地域へ戻ることを断念し、新しい生活を始めた方々に心からお見舞い申し上げます。

あの地域、その他で不自由不本意な仮設の暮らしをしておられる方々に心からお見舞い申し上げます。

あの出来事以後、心身に病を負うようになった方々に心からお見舞い申し上げます。

 

あの時だけでなく今も、自費で黙々と奉仕活動を続けておられる方々にお礼を申し上げます。

あの時だけでなく今も、神様だけが知っている支援と祈りを捧げ続けておられる方々に感謝します。

今、5年前の魔の時、2時46分になろうとしています。多くの善意の人たちの祈りに合わせて祈ります。

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日々の風から 大雨降って春本番か
日々の風から 大雨降って春本番か

東側の窓ガラスに当たる雨の音で何度も目覚めた。昨夜半から明け方のことである。派手な音であった。天気予報通りだと、妙に感心、納得して朝を迎えた。月曜日の朝だから、婿殿を筆頭に、孫たちもいつもの通り学校へ出かけて行った。こんな大雨は久しぶりではないか。出勤、登校時の強い雨は歓迎できない。しかし、真冬の雨とはどこか違う。春を運ぶ雨だからだろう。春は風が運ぶと思っていたが、雨もひと役買っているようである。温かい朝である。寒いとそれだけで気持ちが萎縮するが、こんなに暖かいと雨も怖くない。気分は上向きである。

 
ふと、いつもいつも天気や気温や寒暖に振り回され、そのたびに心も体もアップしたりダウンしている自分に呆れてしまう。しかし切実でもある、気候、季節に合わせて、何を着ようか、何を食べようかと考えざるを得ない。時に悩むことも多い。そのたびに、イエス様の言葉が頭を横切る。『何を食べようか、何を着ようかと思い煩うな』。もちろんみことばの真意はほかにあるだろうが、案外、こんな些細なことをも指しているのではないだろうか。
 
午後になって雨は上がった。日差しまでには至らないが、外気はすがすがしい。ミニ花壇の花たちが喜んでいるのがよくわかる。水道の水よりずっとおいしいのだろう。神様からの慈雨なのだから。
 
『ほら、冬は過ごさり、大雨も通り過ぎていった。
地には花が咲き乱れ、歌の季節がやってきた。
山鳩の声が私たちの国に聞こえる』雅歌2章11、12節。
 
季節的にいくらか早いかも知れないが、一年に一度は載せずにはいられないみことばである。
 
 
 
 

 
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日々の風から 観梅、観桜いちどきに

日々の風から 観梅、観桜いちどきに


 





 

借り物のパソコンの使い勝手に難渋していていうちに、待っていた3月も足早に進んでいく。しかし、このところの寒さは真冬以上である。特に、どうして風がこんなにも冷たいのだろう。暖冬だと鳴り物入りで迎えた今冬は一時予報通りだったので、雪も氷も北風にも親しく出会うことはないだろうと、安堵する一方で物足りなさも感じていた。ところが、このとろこ、冬は最後で本性をむき出しにした。冬も負けてはいない。簡単には引き下がらないのだ。冬は叫ばせたいのだ、悲鳴を聞きたいのだ、「春よ来い、早く来い」と懇願するのを。あれこれと考えていたら、楽しくなり、パソコン不具合のストレスが消えていた。

 

関係する働きの会議があって、御茶ノ水まででかけた。解散直前に「湯島天神の梅を見に行きましょう」と声が聞こえてきて、すぐに同意した。方向は指させる。すぐそこといっていい。歩ける距離である。しかし、往年ならばである。みな、七十、八十代。ならば地下鉄でとなった。しかし、聖橋の地下鉄の駅まで歩き、そこからも下へ下へと長い長いエスカレーターに乗らねばならない。「いっそのこと、ここからタクシーに乗りましょうと」提案。あっという間に到着。一人分は地下鉄の運賃に満たなかった。そのうえ時間も労力も要らなかった。なんだか申し訳ないようだった。

 

境内は人でいっぱいだった。もともと広大な場所ではない。ぐるり周囲を見れば高層ビルばかり。それもマンションが多い。おそらく住人たちは自室からこの名所を、この名だたる観光スポットを、眺め下しているに違いない。ライトアップしているからさぞかし夜景の趣は格別であろう。昼間は食べ物やお土産の屋台がひしめき合っている。まぜこぜになった匂いが充満している。梅の香にみちた風情など味わうべくもない。しかしながらこちらも不快感はあるものの楽しむすべを心得ている。処々に咲く紅梅白梅に歓声を上げる。カメラに収める。折からまぶしいほどの日差しである。空いたベンチに腰掛けて、観光客気分に浸った。

 

帰途は男坂を下って、またタクシーに乗り、上野公園口で下車。そのまま電車に乗る人を見送り、残りは公園内へ入った。ここも桜の名所、今はどんな様子かと見に行くと、なんとちらほらと花開く樹もあって、ここでもまたまた歓声が上がった。一日に観梅、観桜を楽しむことができ、幸いなひと時であった。そういえば、二月の主役は梅でいいが、三月は桜に座を譲らねばならないだろう

 








 

 

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