人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から お詫び
お詫び

前回からだいぶ日が過ぎてしまいました。
またまたパソコントラブルが起きてしまいました。
半年ほど前?に修理したのですが、不十分だったようです。
完全に動かなくなりました。
ただいま、入院中です。
ようやく代替品が提供され、急場をしのいでいますが、ブログまでは手が回りませんでした。
というより、入り方がわからず、手をこまねいていました。
これからはなんとか進めると思います。

三月が目の前にいます。忍耐と試練の2月を乗り越えて、
賛美の三月を迎えたいと願います。
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日々の風から 老女性の一念発起 その2 自分史出版
日々の風から 老女性の一念発起 その2 自分史出版
 
昨年の3月のことでした。80歳も半ばになろうとする老女性が、人生の総決算として、子どもや孫たちへの遺産として、祈りのなかで「自分史」を作ろうと思い立ったそうで、私を名指してきました。一面識もない方でしたが、主が姉妹に志を与えたのだと確信して受けて立つ決意をしました。
 
「自分史」と言っても、クリスチャンのものは、いわば「信仰の証し」です。どのようにしてイエス・キリストに出会い、救われ、その後、教会生活、信仰生活をしてきたか、どのような神の恵みをいただき、助けられ支えられてきたか、神がどんなにすばらしいお方であるかを綴るものです。私自身ずっとそうしたことを書いてきたし、他の方の「自分史」出版のお手伝いもしてきましたので、なにかできるかもしれないと思ったのでした。自分の「証し」も他の人の「証し」も私にとっては同じ「あかし文章」活動です。
 
MMさんは今日まで信仰の実践家でこられましたが、文章は書いたことはなく、片鱗も書いたものはないとのことでした。しかし書いてみようとの意志にあふれていました。それからは記憶を頼りにご両親のことから、出生のこと、幼少時代、青春時代を経て、今日までの歩みを事細かに書きはじめました。原稿用紙に鉛筆で書いていきました。幸田文のようでした。一区切りできると拝見し、次を書き、また次を書きして、それが半年以上続きました。
 
懇意にしている印刷屋さんをご紹介し、出版を念頭に置いて作業が進んでいきました。年末に、初めて原稿が出来上がり、初校が出るまでに至りました。MMさんは2名の友人に、私は3名の知人に校正を手伝ってもらい、二校、三校と続き、今日の午後、最終確認をして校了になりました。本の冒頭にフルカラーで8頁の写真集が入り、2月末には200頁ほどの立派な本が誕生する予定です。
 
MMさんは感謝の涙にくれながらも、今はもぬけの殻のようです、すべての力を出し切った感じがしますと言われました。そうであろうと思います。たかが編集者ですが、私も同じなのです。体がフワフワとして、頭も半分思考停止、しかし感謝があふれています。
 
思えば昨年の今ごろは「一文字」もなかったのです。「無」だったのです。それが一年後には神の恵みがぎっしり書き込まれた一冊の本として目に見える形になったのです。これが奇跡でなくてなんでしょうか。私はそう確信しています。「志を立てさせ、実現に至らせるのは主である」の成就です。主の聖名はあがむべきかな、ほむべきかな!
 
八十歳の坂を越してなお、意気高く高嶺目指して進みゆかれるMMさんをまぶしく眺めています。明日、明後日の私を重ねることができるだろうかと、いささか不安ですが、近いところにお手本があるのは大いなる励ましです。チャレンジ精神をかき立てられます。MMさんの一念発起の原動力は神の力なのです。まことに、主は生きておられます。「あかし文章」活動を通して、私の「主にある友情人名録」にまたお一人すばらしい主の器MMさんが加えられました。名簿は主の光で一段と明るさを増しています。
 
印刷屋さんが校了原稿の入った大きな紙袋を抱えて一足先に去られた後、私たちもお別れの御あいさつをしました。もう、本作りのためにお会いすることはないのです。完了したのです。私の立場は一編集者、陰の存在です。そっと舞台の袖に消えていけばいいのです。

ところが、MMさんは私を見つめて「今度はいつお会いするのでしょうか。それとも、もう、お会いすることはないのでしょうか。寂しいです」と言われました。確かに、実務はないのです。「そうですね、今度は、本の反響や感想が寄せられてくるでしょうから、それをお聞きしたいですね」とお答えしました。私にも先のことはわからないのです。しかしこれで終わりでないことは確かです。私たちはイエス・キリストの愛による「結びの帯」で一つにされていると信じています。地上にいる限り、また、きっと、そして、近いうちに、お会い出来るでしょう。二月の忍耐が生んだもうひとつの一つの希望です。

 

 
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日々の風から 二月は忍耐の月
日々の風から 二月は忍耐の月
 
この半年ほど、身の回りのことで数件の課題を抱えてきた。私自身のことではない。しかし自分の事のようなものでもある。身内、親しい友人たちの、一身上の事柄である。もっぱら祈りだけのこともあれば、実務もあれば、仲介者的に双方へ身を運ぶこともある。それがほとんど同時進行なのである。一つ一つの繋がりは全くない。全く独立している。私の頭の中だけが沸騰しそうに忙しい。11月、12月、1月は闇の中であった。でも、ことが進んでいることがわかった。神が介入して進めておられることの手ごたえを感じていた。
私は創世記一章の冒頭をいつもいつも思いつつ、じっと神様の働きを期待し続けた。
 
地は茫漠として何もなかった。
闇が大水の上にあり、
神の霊が水の上を動いていた。
神は仰せられた。「光があれ」
すると光があった。
神はひかりを見て良しとされた。
神はひかりと闇とを区別された
 
立春を過ぎて、自然界の光が強くなり始めている今、二つのことが神様のあわれみの御手によって、願った通りの形になった。最高の願いの通りに実現した。私の祈りではなく、神様のご計画であり慈しみである。祈りのご奉仕にあずかれたことを感謝するばかりである。
 
大きな事柄がまだ3つほど進行中である。人の希望するところが必ずしも主のお考えと一致するとは限らない。人は短絡的で、目先の利益を求める。よくあることである。神様の最善を信じていくことが求められているとおもう。落ち着いて静かにして主を信頼すればいいのだ。総合的に言えば忍耐である。忍耐は希望を生み出し、希望は失望に終わらないと主は、人間の心理を先読みして答えをくださっている。

もう少し忍耐します。

 
 
 
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日々の風から 老女性の一念発起
日々の風から 老女性の一念発起
 
ある会合で一人の老女性の隣の席に居合わせた。言葉を交わしたのは初めて、ほとんど初対面である。80歳を過ぎておられる。数年前に大きな集会でスピーチされたので、お名前だけは覚えていた。Rさんであった。お互いに差し障りのない話題といえば健康のことである。話が進んでいくうちに、数年前のお姿が浮かんできた。しかしどうも隣におられる方とは少し違うような気がした。数年も経っているのに、今の方が若く見える。
 
もちろんそんなことは口に出せないが、ほどなく謎が解けた。ある時、Rさんはバスから降りた。そのときひざに激痛が走った。脳天を突き抜けてめまいのするほどの痛みだった。バスは走り去ったがその場からしばらく動けなかった。不覚にも涙が噴き出たそうである。
 
診察を受けたところ、老化によるひざの骨の変形で、よくあることだと言われた。治療法を訊けば、減量することですと即座にあっさりと言われてしまった。ずっと健康だったし、多忙でもあったので、特別に食事にこだわることもなくきてしまった。もちろんひと昔、ふた昔、いや、昭和ひとけた、しかも女性だから暴飲暴食美食の習慣もなく、好き嫌いもせず、何でも感謝していただいてきた。しかしいつの間にかかなり体重オーバーになっていた。
 
膝の変形や痛みは体重のせいだとわかったので、それからは一念発起、ひたすら減量に励んだ。極端なダイエットではなく、三度のお食事で気を付けた。数キロ減っていくうちに痛みが取れてきた。歩くのも楽になった。体が軽いってこんなにも快適なのかと驚いている。しかし食事療法も長くなると手抜きしたくなるけれど、あの激痛を思うと耐えられる。そうお話くださった。顔色も肌のつやもほどよく生き生きとし、お声にも張りがあって澄んでいた。
 
長い間の生活習慣を改革するのは並大抵ではない。頭でわかっていても実行は至難の業である。私はほんの一キロ、二キロさえ落とせなくてぐずぐずしている。ひざが痛まないうちに大先輩のRさんを見習ってがんばらなくちゃ!!
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