人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- - -
日々の風から 人の生き方、その人の美学
日々の風から 人の生き方、その人の美学
 
甘利氏の突然の辞任は世界を駆け巡るショッキングな出来事であった。氏は、政治家としての美学、生きざまに反する、やせ我慢の美学だと辞意の理由を表現した。ことの真偽は私にはわからない。知らないことが多すぎるから。しかし実に多くの人々が意見を述べられていて非常に興味深い。誉める人、けなす人、それぞれが持論を展開している。理由づけもそれぞれで、双方にうなずけるところもあった。
 
言葉だけをつまむことになるが、生きざま、美学に反する、が心に残った。日頃、自分自身の生き方に、美学と言う言葉を使うことがあるからだ。さしずめ「老いの美学」である。
 
先日、懇意にしている知人宅を訪問した。ずっと前に伴侶を亡くして、長く一人暮らしをしておられる。私よりいくらか年下だがすでに老女である。もう一人の友も交えて、いっしょにキッチンに立ち、お昼を作り、そのあとはお茶にして、午後いっぱいを過ごした。
 
知人が、「ほら、来てるでしょう」とリビングのガラス戸越しを示す。見れば庭の片隅の鳥のエサ台に小鳥が飛んできたのである。雨のひそ降る冷たい午後である。雨にもめげず、小鳥は小さな器に入っているひまわりの種をついばむのだ。正確には種をくわえると飛び立っていく。小鳥はシジュウカラとメジロであった。そばにみかんの二つ割りも置いてあった。そこへ体の大きなヒヨドリがやってきた。ヒヨドリは盛んにみかんをついばむ。
 
「ヒヨドリは憎らしいことをするのよ」という。なんどもなんども飛んできては食べ、食べては飛んでいく、繰り返しているうちにみかんはみごとに皮だけになってしまった。また飛んできた、ところがみかんは空っぽ、失望したのか怒ったのか、皮だけのみかんを突っつくと、皮はあっという間に下へ落ちてしまった。「ね、ひどいでしょう。いつもあれをするの。皮を突き落すのよ」私は唖然とした。おかしかったが、小鳥のドラマに感動した。
 
知人は「こうして一日中ここにくる鳥たちを見ていると、もうどこにも行かなくても楽しくてうれしくて、幸せを感じる。これで十分よ」という。意外な発言であった。それにはわけがある。知人は旅好きで、事情がゆるすせいもあるが、年中旅をしている。旅だけでなく、おそらく今でもスケジュールノートで在宅の日はないのではないかと思う。それが、日がな一日家にいて小鳥を見るのが至福だと言う。これは知人の到達した「老女の美学」ではないかと思った。
 
甘利氏の美学とはおよそ似ても似つかぬが、人それぞれ、しっかり自分の「美学」をもって自分に正直に生き抜いたらいいと思う。美学と言う以上、そこには人を魅了する、あるいは納得させ、心ふるわせる「美」があってほしい。かくいう私にももちろんいくつかの「老女の美学」がある。そのうちに御披露します。
 
 
日々の風から comments(0) -
心の風から 縮こまる
心の風から 縮こまる
 
暖冬だ、暖冬だと、冬を軽く見ていたらとんでもないことになった。耳ざとい冬将軍があらゆるご自慢の武具を総動員して立ち上がってしまった。今朝の東京はマイナス2、6度とか。暖かい地方も氷点下になり雪まで降った。びっくりである。さすがに大寒である。冬将軍の前に素直に平伏するしかない。すっかり縮こまっている。
 
寒さもさりながら、最近心も縮こまっている。これは加齢による悲しい現象のようだ。いや、加齢のせいではなく私自身の問題かもしれない。往年の私なら気にもとめないような事柄だったろうに、気になり、いつまでも気になり、吹っ切れない。こんな私ではなかったのにと、気が付くまでに時間がかかる。気が付けば方向転換できるし、立ち上がれる。そんなことがちょくちょくある。心が縮こまっているのだ。自分を、ちょっと離れた位置から総合的によく観察し、判断し、修正していかねばならない。尺度は恵みによっていただいている信仰であり、みことばである。季節の刃に負けるな。自分の弱さにたじろぐな、弱いところに働かれる主を寄り頼み、喜んで凍てつく道を歩くのだ。
心の風から comments(0) -
世相の風から 人気アイドルグループ解散騒動  
世相の風から 人気アイドルグループ解散騒動  
 
芸能界音痴の私でも耳に、眼に、入ってきたこの騒動は日本中を巻き込んだ一大事件のようだ。国会で総理大臣が触れるほどとは、一体なんだろう。狭い小さな日本ならではのことなのだろう。人気のあるすばらしいグループだからとか、それはさておき、日本という国を象徴する現象ではないか。当時者、関係者にとっては重大問題だろうけど、野次馬にとってはこれほどたまらなく美味しいエサはないであろう。私もその一人、いつの間にか、今後を興味津々で見ている。
 
 
世相の風から comments(0) -
日々の風から スカイツリーそらまちで
日々の風から スカイツリーそらまちで
 

またまた荻野吟子ですが、そのからみで幕末から明治維新ものを漁っています。発端は、吉村昭の「ふぉん・しいふぉるとの娘」です。シーボルトの娘、俗にオランダおいねと呼ばれていますが、本名は楠本イネといい、日本初の産婦人科医として活躍した人の物語です。荻野吟子と比較されることがありますが、吟子は明治政府になってから、国家試験を受けて初めて政府公認の女医となった人です。参考にと、読んでみたのです。忘れられない本です。
 
吉村昭物に惹かれて、最近は「桜田門外の変」を読みました。これも引き込まれて、疲れ果てても本から離れられないほど引きずりこまれました。そのつながりで、また何か幕末か維新ものが読みたくなりましたが、吉村昭はあまりに濃厚すぎてひとまず距離を置きたくなり、他の作者をあれこれと物色し、今は司馬遼太郎の「最後の将軍」を繰っています。
 
司馬遼太郎はひところ夢中になり、代表作はほとんど読み、「街道を行く」も楽しく読みました。ところが贅沢というのでしょうか、私の読書欲は御馳走を食べすぎた胃袋のようになり、当分はもういいと、離れてしまいました。ですから久しぶりの司馬遼太郎です。しかし、さすがに、さすがに、大小説家だなあと、改めて唸りながら読んでいます。
 
一日に一度はしたい散歩の行先に、ときどきスカイツリーのそばのそらまちへ行くことを覚えました。歩いてもよし、バスに乗ってもよしで、気軽手軽です。最近は真冬のせいか平日は閑散としています。早やお昼を済ませて出かけます。どこも広々とゆったりしていて解放感を味わえます。ところどころにくつろげるエリヤがあるので、おもむろに文庫本を取り出します。そっと見回すと、読書している人がちらほらとおられるのです。
 
小一時間、読書に没頭です。周囲に人がいても邪魔にはなりません。騒がしいことがあったらさっさと離れればいいのですから。じっと坐っているだけなので万歩計も止まったままですが、これも都会の中の散歩風景の一つだと勝手に満足しています。暖冬とはいえ、さすがに外は寒くて長く歩けません。
 
それにしてもここは世界の観光地なのだと実感です。日本語と半々くらいに外国語がきこえてきます、最近は中国語です。韓国語はあまり聞きません。先日は、白人女性の振り袖姿を見かけました。成人の日でしたか、日本の女性といっしょでした。とっても清々しくすてきで、ちっとも違和感がありませんでした。上手に着こなしておられました。
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
日々の風から comments(0) -
日々の風から 心残りの場所
日々の風から 心残りの場所
 
 





昨年後半は「荻野吟子・日本公認第一号女医」を追かけてゆかりの地をいくつか訪ねました。最遠方北海道はちょっとやそっとでは行けませんので、近場ばかりを巡りました。幸い吟子の活躍した場所は、ああ、あそこね、あの辺りねと、すぐにも思い浮かぶところでしたので、地図に弱く、体力にも自信のない私でも行けたのでした。一つだけ気になりながら行き残したところがありました。ずっと心に引っかかっていたのですが、あまりにも近いので、ついでの時についでの時にと延ばし延ばしにしていました。しかしどうにも気持ちが落ち着きません。
 
吟子は埼玉県熊谷の利根川べりにある俵瀬の実家に出戻ってからしばらくの後、女医になることを秘しつつも学問で身を立てると言いきって単身上京します。当時は女性が学べる医学校はなく、国学者井上頼圀の塾で男尊女卑の塊の男たちに交じって学問にはげみます。すぐれた吟子の学才は人の知る所となり、甲府で女子の私塾を開いている内藤満寿子塾長のたっての招きに応じて「内藤塾」の教師になります。女医への道がないのと自活していくための苦渋の選択でした。そこへ故郷俵瀬時代に吟子の学問への芽を開かせた恩師松本万年の娘荻江が、女子師範学校が出来るからそこで学んではどうだろうかと誘いに来るのです。
吟子は女子教育のための学校が出来るなら、女子の医学校もできるかもしれないと、一縷の望みを抱きながら回り道と知りつつも女子師範に入学します。そこでの5年に及ぶ厳しい学びを貫徹して、主席で第一回の卒業生になります。明治12年、吟子は29歳になっていました。
 
この女子師範学校は現在はお茶の水女子大として大塚にありますが、もともとは御茶ノ水にありました。この場所を訪ね遅れていたのです。調べてみるとわずかに説明板があるだけとのことです。味気ない気もしますが、明治女学校跡も墨田区の終焉の地も案内板だけ、最初の医院開業地などはひとかけらの碑もありません。地番を頼りにそこに立っただけでしたので、もう失望もしませんでした。幸い、今年の冬は日々暖かく、外出の足を阻まれることもありませんから、冬休みの宿題をこなすつもりで出かけました。
 
御茶ノ水駅を聖橋口で降りて、橋を渡りました。渡り切ったところにわりあい目立つ説明版が建っていました。医科歯科大の隅っこです。こ
んなところだったのと、自分の粗忽さにあきれ、申し訳ない気がしました。なんど行ったり来たりした道でしょう。それなのに気が付かなかったのです。こんな節穴のような目では見るべきものさえ落としてしまいます。 


立ち止まって眺めている人もいました。通りの向かい側は湯島聖堂です。説明板は「近代教育発祥の地」とあり、説明の文言の中に女子師範学校の名が見えました。この辺りに当時を思わせるものは何一つありません。想像のしようもありません。学校はここにあったのだ、吟子は歯を食いしばって学びに励んだのだという、一片の知識をたよりに、心に生きる吟子を偲ぶだけでした。しかし、返し損なっていた借りを清算したような軽い心になりました。
 
蛇足ながら、「荻野吟子」についてはメモめいた記事をこのブログに掲載しましたが、それらをもとに著した小冊子「利根川の風」は友人知人に歓迎されているようで感謝です。
この度は、多くの方々からお手紙や長いメールで具体的な感想がたくさん寄せられ、意外な反響に驚いています。それも実在の人物の強さ、荻野吟子のすばらしさだとつくづく感じました。ただに吟子の偉業を紹介するだけでなく、一般の歴史からは欠落しているキリスト者としての吟子をアッピールできたことが、なによりも心うれしい事でした。そもそもそのためにこそ書いたのですから。これからも隠れたクリスチャン偉女たちを探してみたいと思っています。
 
吟子の愛唱聖句を掲げて筆を置きます。
『人、其の友の為に己の命を損なう 之より大いなる愛はなし』ヨハネ15章13節
 
 
 
日々の風から comments(0) -
日々の風から 関口カトリック教会へ
日々の風から 関口カトリック教会へ
 


日々あまりの暖かさにかすかに不穏を感じつつも、暖かいのはいいものだと歓迎してしまいます。外へ出るのも寒さ対策どころか、暑さ対策をする有様です。歩けば体が熱を発し、建物に入れば暖房の中です。とたんに汗が噴き出ます。その不愉快なこと。バーゲンセールでも見ようと思っても、いたたまれず早々に飛び出してしまいます。これでは物は売れないのではないでしょうか。売り手も考えたほうがいいと思います。
 
お正月と言ってもどこへ旅するわけでもありません。それでもいつもとは違う気分になっていることは確かです。最近興味をそそられた関口カトリック教会を観に行ってきました。観光的好奇心だけではありません。信仰的好奇心と名づけたていいかどうかわかりませんが、壮大なるカテドラルに惹かれたのです。JR飯田橋から有楽町線に乗り換えて、江戸川橋で下車、神田川沿いに歩いて椿山荘の裏から入って庭園を突っ切り、正面に出ると、道路を挟んで目の前にカテドラルが聳えていました。ここはカトリック東京教区の司教座聖堂とのこと、東京ではこの教会が中心だそうです。
 
大聖堂には自由に出入りが出来ます。巨大な近代的な大聖堂でした。歴史の風格は感じませんでしたが、最前列の長椅子に座ってしばらく心を静めました。ほとんど人影はなく静寂そのものです。その静寂に導かれてしばらく祈りをささげました。しかししんしんと体が冷えてきて長くはいられませんでしたが、すがすがしい気持ちになりました。
 
都バスに乗って目白に出て、山手線内回りで秋葉原に戻り、総武線各駅停車で我が家まで帰ってきました。締めて3時間弱。新年初の散歩は成功でした。
 
 
日々の風から comments(0) -
日々の風から 空は快晴 暖かな日差し
新年あけましておめでとうございます。
 
変わりなく同じ時刻に目覚めを与えられ、基本的な活動を始めることができる、その一つ一つに神様の具体的な生きた助けと愛を体いっぱい、心いっぱい、知り感じることができ、深い感動と喜びに満たされ、聖なる御名を崇めます。
 
空は快晴です。風もさして冷たからず、日差しには冬とは思えない力があり、ミニ花壇の小花たちが色も鮮やかに咲き競っています。思わず、胸を反らせ両腕を天に向けて体いっぱいに朝日を浴びました。太陽の熱が体内の奥に沁みとおっていくようです。背骨に力が入る気がします。なんと幸いな朝でしょうか。
 
いつものように、創世記から読み始めています。今年はみことばの暗誦に励みたいと心に言い聞かせています。期せずして、一人の兄が、何と言ってもみことばの暗誦です、暗誦したみことばを入れながら祈りたい。祈っていると神様のより近くにいることがわかると発言されていたので意を強くしました。今年は50くらいに増やしたいと目標も聞かされ、大きな刺激を受けました。
 

今日は創世記1章1節から5節までのカードを作り、手元に置いて口ずさんでいます。
 

はじめに、神が天と地を創造した。
 
地は茫漠として何もなかった。
やみが大水の上にあり
神の霊が水の上を動いていた。
 
神は仰せられた。
「光があれ」すると光があった。
 
神は光を見てよしとされた。
神は光とやみとを区別された。
 
神は光を昼と名づけ、
やみを夜と名づけられた。
 
夕があり、朝があった。第一日。
(新改訳聖書第三版より)
 

 
 
 
 

 
 
日々の風から comments(0) -
CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< January 2016 >>
PROFILE
MOBILE
qrcode
COMMENT
ARCHIVE
RECOMMEND
美しき姉妹たち
美しき姉妹たち (JUGEMレビュー »)
三浦 喜代子
最新本です。
ぜひお読みください。
SPONSORED LINK