人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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書林の風から ノーベル文学賞


書林の風から ノーベル文学賞
 
私の趣味は読書と、月並み過ぎて一笑される看板を恥じらいもなく掲げてうん十年、文字通りの趣味なので、好きなものをつまみ食いしただけだから、読書界の深さ広さなど知る由もなく、昨今ではただの趣味でよかったと、なお、好きなものだけを追かけている。ノーベル文学賞は世界最高峰の賞だから、だれが受賞するのかも毎年興味深く見ている。特に日本人では川端康成と近くは大江健三郎のお二人が受賞しているのは誇らしい気がしている。
 
今年はベラルーシ人のスベトラーナ・アレクシェービッチさんである。国もあまりなじみがない上に女性なので興味が強まった。読んでみたいと思った。すぐに図書館に行ったが、何もなく、ふと、昨年の受賞者の本を探してもらった。フランス人のパトリック・モディアノ氏である。この作家のことも気になって、その時の新聞を切り抜いておいた。読もう読もうと思っている間に一年が過ぎてしまったのだから、怠慢は言うまでもないが、月日の速さに驚くばかりである。氏の書棚に案内されて、見れば何冊も並んでいた。小さな図書館なのにと驚いたが、さすがにノーベル賞作家のせいだろう。3冊借りてきた。改めて昨年の10月9日朝日新聞の切り抜きを読んでみた。
 
モディアノ氏は今年70歳。受章の理由は『記憶を扱う芸術的手法によって、最もつかみがたい種類の人間の運命について思い起こさせ、占領下の生活、世界観を掘り起こした』、またスエーデン・アカデミーの事務局長は『彼は記憶やアイデンティティー、失われた時を探し求め、時代を超越した主題を書いている。繰り返しこの主題に回帰し、作品すべてが一つのジグソーパズルのように結びついている点がユニークだ』とたたえた、とある。
 
『作風は抒情的でミステリアス』の一文に惹かれた。氏の父はユダヤ人で、仏での迫害は切実な問題だった。フランスでは『モディアノ中毒』という言葉があるほど人気が高く、最も偉大なフランス作家の一人と言われている。
 
そんな前知識を持って作品を読みだした。初めに『パリ環状通り』、そしていまは『失われた時のカフェで』の頁を繰っている。しかし、である。う〜〜〜んと首をひねったり、ため息をついたりしている。ひとことで言えばわからない――――である。まるで抽象画を見ているようだ。考えてみれば私の読書はいわゆる世界名作全集に名を連ねる、だれでも知っている古典ばかりなのだ。20世紀の人では、プルーストまで。ジョイスになるとわからなくなってきた。今読んでいる『失われた時のカフェで』の題名でプルーストの『失われた時を求めて』を思い出し、どこかで重なる所があるのだろうかと、そんな思いで読んでいる。感想はまだ言えないが『作風は抒情的でミステリアス』は大いに感じている。もう数冊読んでみたい気にはなっている。それが氏の文学力かも知れない。
 
半年ほどしたら今年の受賞者ベラルーシ人のスベトラーナ・アレクシェービッチさんを読んでみたいと思っている。そもそもベラルーシという国すらよく知らないのだ。彼女は受章のことばを『私ではなく、私たちの文化、歴史を通して苦しんできたこの小さな国への受賞だ』と語っている。心に深く残る言葉である。
 
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日々の風から 木枯らし一号の中で
日々の風から 木枯らし一号の中で
 
昨年より3日早く東京に木枯らしが吹きました。今年の木枯らし第一号だそうです。いよいよ木枯らしという言葉が響いてきたと、なんだか新鮮な気がするからおかしなものです。しかし私にはこの第一号はあまり寒くありませんでした。鈍感になっているのでしょうか。それもあるでしょうが、礼拝前が忙しかったのです。
 
この日曜日は、年に何度もない教会の愛餐会の食事当番です。私のチームは若い女性2人との3人です。ふつうは2人ずつなのですが、私のチームはスペシャルです。メニューは天麩羅うどん。暖かいものにしてちょうどよかったです。天麩羅は朝、揚げるのです。野菜のかき揚げです。朝8時には教会の台所に入り、野菜を刻みました。今日はごぼうのささがきを加えてみました。ごぼうの天麩羅が好きなのです。ところが揚げるのは私ではありません。毎回、天麩羅になると婦人会長さんが引き受けてくれます。つまり私のチームは4人になるのです。
 
礼拝前に50個の大きなかき揚げが並びました。その合間に私は担当の成人科クラスを務めます。いつものように15名ほどの兄や姉と机を囲みます。この20年来の礼拝前風景です。台所に飛び込み、すぐにみことばの前に座し、「私たちは今日はマルタとマリヤの両方をやってるのよね」と姉妹たちと笑みを交わし合いながら、こんなことができるのは恵み以外にないと心から感謝しました。10時半には台所のシンクも整理し、カウンターにうどん用の丼も重ね、成人科の場所は教会学校用に並べ替え、汗ばみながら会堂へ急ぐことになりました。そんなわけで、外には木枯らしが吹いていることも気が付きませんでした。
 
来週はもう11月です。4週目にはアドベントに入り、教会はクリスマスの行事に忙しくなります。そういえば木枯らしはクリスマスを運ぶ「希望の風」でもあるのです。
 

 
 

 
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日々の風から 10月は行事の月
日々の風から 10月は行事の月
 
10月は一年の中で一番お天気が安定しているからでしょうか、行事の多い月です。学校もこの時期、運動会に学園祭にと、目白押しです。孫娘の中学校では運動会は9月でしたが、私は他の用事と重なって行けませんでした。今週は音楽祭が二つ続いています。一つは、区の連合音楽祭です。会場はトリフォニーホール。区の施設とはいえ、中学生があの舞台に立つのです。保護者は有名な演奏家の時には高額な席に、無料で座れるのです。他を置いても行かない手はありません。わくわくして出かけました。
 
孫娘は中3生です。学年全員250名が合唱しました。一つはアカペラで。すばらしかったです。一つは四部合唱。この伴奏者が孫娘なのです。歌はもちろんですが、合唱は指揮者と伴奏者の役割も大きいものがあります。みんながそれぞれの役割をよく心得ていなければ立派な演奏をすることはできないでしょう。技術だけでなく心を一つにすることは、若者たちには貴く大切な学びをさせる機会だと強く思いました。おばばバカとしては、孫娘の晴れ姿に目を潤ませたことですが、私情を捨てさせるだけの聞きごたえのあるすばらしい合唱でした。歌は「大地賛歌」と言います。歌詞も曲も感動的でした。全員が真剣に取り組み、熱中している様子がよく伝わってきて、子どもたちのすばらしさに改めて感動しました。
 
この土曜日は、校内での合唱コンクールです。学年と各クラスが合唱で競い合います。運動会の合唱バージョンです。昨年も行きましたが、これもまた感動の連続です。行こうと思っています。いつも思うことですが、終戦直後のあの時代は音楽どころではありませんでした。授業はありましたし、音楽の教科書もありましたが、私は今一つ乗れませんでした。
 
歌うことや聴くことに目覚めたのは教会へ行くようになり、賛美歌を歌い、宗教曲に出会ってからです。読書を通して文学の世界を楽しむようになったのは音楽よりずっと前です。文学とともに、音楽のすばらしさも片鱗ですが知ることができ、娘家族が歌や楽器演奏もするようになって、音楽の喜びはいっそう大きくなりました。家の中に響き渡る歌声やピアノやヴァイオリンの音を聴きながら、神様はなんと幸いな日々をくださっているのだろうと胸を熱くしています。
 
昨今では教会の聖歌隊に入って、がんばっています。楽しんでします。クリスマスには歌うチャンスがいくつもあります。練習も始まりました。いそいそと参加しています。
話がすっかり横道にそれてしまいました。
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日々の風から またまたあっという間の日々

日々の風から またまたあっという間の日々
 
九月の月を、長かったと感じ、書いたことですが、パソコンくんが元気になって帰ってきてくれたとたん、またまた虜になってしまいました。修理で入院中は、こんどこそ自制力を働かせ、大事にし、酷使しないようにと大いに反省し心に刻んだはずですのに、喉元過ぎれば〜〜〜で、元の木阿弥に戻ってしまいました。気が付けば10月も半ば過ぎではありませんか。クリスマスを見据えての、火を追かけていくのですが、いつの間にか追いかけられてしまいます。
 
今年は教会のクリスマス礼拝は20日でしょうか。早い設定です。その間に教会内部だけでなくいくつか参加するところがあります。お客さまでいいところと、お手伝いするところがあり、その準備がうれしくもあり多忙でもあるのです。
 
今は、クリスチャン・ペンクラブのニュースレター発行を急いでいます。特集は「クリスマス」。信仰の証しを書く者たちにとって、クリスマスは絶好の機会です。毎年同じテーマですが、内容は種々多様です。それぞれが書ききれないほどのドラマを持っています。会員からの原稿を待っているところですが、楽しみなのです。一人一人の、一つ一つの作品の中にイエス様が生きて働いておられるのを知ります。神さまってこんな働き方をするのだと改めて主を賛美しほめたたえ感謝します。一番先に作品に触れられる恵みでしょう。出来立てのまだ温かく、湯気の立ち上っているような作品の味はまた格別です。

早くも11月末にはカラフルなレターになって会員の手を通してあちらこちらに配布されるでしょう。今年も文書を通しての伝道が前進するように、祈り願いつつ小さな働きを積んでいきます。

 
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日々の風から 上野の杜 モネ展へ
日々の風から 上野の杜 モネ展へ
 
近場の美術館巡りの友と今回は上野の杜、都美術館の「モネ展」へ行ってきました。始まってそろそろ落ち着いてきたころだと勝手に計算して、お天気の良い日を確かめて、朝の早い時に出かけました。いつもの美術館友人です。私には神様が送ってくださった友人がたくさんおりますが、好みは一様ではありません。それがまた神様の絶妙な楽しいみわざで、感謝でいっぱいなのですが、「美術館めぐり、クラシック、読書」が一致するのははMKさんです。今回もずっと以前から約束して、いそいそとバス停で待ち合わせました。
 
いつも穴場の様な日を狙ってうまくいっているのですが、今回は外れました。今までない人の山で、係員が整理しているのです。さすがに「モネ」なのです。これではゆっくり見られない、見えるのは人の頭ばかりだとがっかりしました。私は王侯貴族でもないのに人混みで鑑賞するのはどうしてもだめなのです。もっともだれでもそうでそうでしょうけれど。なるべく人の山の小さいところを探して、うろうろしました。友人は、私よりはしっこくて、人の中をもぐりこんでいつのまにか最前にいたり、急に姿が見えなくなると、違う場所にいたりで、愉快です。
 
今回は、モルマッタン・モネ美術館所蔵品から90点ほどが飾られていました。パンフレットには目玉として、印象派のことばの起源にもなった『印象、日の出』と『サン=ラザール駅』が紹介されていました。その二つは目の奥に焼き付けました。睡蓮は、じっくりとみられる「西洋美術館」のモネの部屋の方が心に入るのでさっと通り過ぎました。モネは晩年白内障で不自由だったそうです。今の時代なら簡単に手術でき、どんなに助かったでしょうか。その晩年の作品が20点もありましたが、抽象画に近く、しかも暖色系の色彩が多く使われていて新鮮でした。モネの内の燃える創作魂が飛び出しているようでした。
 
美術館を出るとちょうどお昼時。いつもそうなのですが、手ごろなレストランに入ってゆっくりとランチタイムを楽しみました。これも私たちの目玉です。上野の杜は紅葉にはまだよほど早いのです。樹々の緑陰は意外に強い日差しを避けるための助けになってくれました。しかし通り過ぎる風はひんやりとして、そこには秋がくっきりと見えました。神様が老やもめたちに備えてくださった秋の日のひとときを惜しみつつ楽しみました。
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日々の風から 乾いた風に冬を想う
日々の風から 乾いた風に冬を想う
 
今日も日中の日差しは強く、日傘も帽子も持たずに外出したことを後悔したほどですが、意外に冷たく乾いた風に冬を見たような気がして戸惑いました。手を見れば指先がざらざらしています。夏感覚で素手のまま水仕事をしてはいけないのでした。これからは面倒がらずに手袋を使わねばと戒めたことです。夜具にも気を付けようと思います。昨夜は朝方に、掛物が薄いなあと感じました。
 
周囲に、風邪を引いている人がちらほらといます。高熱を出した人、もう一週間も声の出ない人、咳に苦しんでいる人もいます。つい先ごろまで熱中症に注意せよと大騒ぎしていましたが今度は風邪です。暑さ対策、寒さ対策と、日本の国はなんとめまぐるしいことでしょう。
 
しかし、他人ごとではありません。日曜の午後から何となく体がわざついてきて、風邪の予兆を感じましたので、近所への買い物も控えてじっとしていました。月曜から連日外出の予定があり、約束事も入っています。予定表を睨みながら、不安でした。パソコンが動き出したので溜めてあった作業にも取り掛からねばならないのですが、すべてストップして早々に就寝としました。なんとか大ごとにならずに3日間をこなして、ホッとしています。
 
区から、肺炎の予防注射、インフルエンザの予防注射の案内が届いています。体調を見ながら受けようと思っています。冬に向かって体調管理に神経を使います。つくづくと生きていくことの重さを感じます。いただいたいのち、預けられているいのちを神様のみこころにかなうように用いたいと祈らずにはいられません。
 
 

 
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日々の風から 長かった九月
日々の風から 長かった九月
 
いつもは時の経過を、あっという間にと、恐ろしく月並みな言い方を借りて済ませていましたが、この九月ばかりは長かったとため息を交えてつぶやかざるを得ませんでした。
もったいぶったいい方ですが、私にとっては一大事が起こってやきもきしたからです。
 
毎日毎日身の回りで何よりも長時間愛用している、いや、お世話になっている、そうではなく酷使しているパソコンがついに動かなくなってしまったのです。昔風に、揺すったり叩いたり、今風に、繋いでいるコードを全部外したり、入れたり切ったり、たいてのことは試みたのですが、作業の途中にもかかわらずまるで突然死のように凍結してしまいました。もう手も足も出ず、万事休す、です。気分がどんどん沈んでいき、力も抜けていきました。
 
努めて冷静に娘に話し、アドバイスに従って販売店に電話を掛け、状況を詳しく説明し、あちらの意見に従って見ていただくことになりました。つまり故障を直してもらうために持参することになったのです。パソコン入院です。むなしくも、モニターとキーボード、マウスを机上に残して、本体を包んで秋葉原へ出かけました。
 
やっとのことで、あの特殊な雰囲気の秋葉原電気街の細い路地の小さなお店の地下へ導かれました。一階のお店には見慣れた製品が美しく並び、背広姿の元気な店員さんがセールスに専念しておられましたが、地下は一転して恐ろしく殺風景でシンとしていました。冴えない色の作業着姿の、技術者なのでしょうか、若くない男性たちがごそごそと無言で動いておられ、それでも、一人の方が、狭い小さなカウンター越しに、とても丁寧に応対してくださいました。
 
娘と私を相手に一時間くらいあれこれとテストし、説明し、その場では無理とのことで、預けることになりました。一番気になる修理期間を問えば、あっさりと1,2週間と言われましたが、受け入れるしかありません。ちょうど折悪しくシルバーウイークとやらに突入、これではますます遅くなると、気分は滅入るばかりでした。
 
昨日、引き取って来るまでの10日間、マイパソコン不在の日々を書くとしたら、膨大な量になるでしょうから、割愛します。家族の大きな助けがあり、友の祈りと慰めや励ましがあったことだけは省くわけにはいきません。
 
最後に、修理の甲斐があって、今現在支障なく動いていることを伝えますと、驚いたことにみなさんから判で押したように同じ言葉が返ってきました。
「やりすぎないように」、「ほどほどに」、「休み、休み、ね」でした。肝に銘じます。
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