人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 梅に誘われて
日々の風から 梅に誘われて
 
 
 

徒歩5分ほどのところに猫の額ほどの「梅香園」があります。昔からある地域の神社の入り口の一画です。いつのころからか梅の木が増え、観る人も増え、ますます梅の木が増え、いつの間にか「梅香園」と称し、いつのまにか近くの四つ辻に案内板も出て、いまでは、遠方からも多くの人が訪れるようになりました。しかし、これも私には近場の範囲になる「亀戸天神」には及びません。もっとも亀戸の方は、5月の藤の方が有名ですが。
 

 

 
 

狭いところに重なるようにして様々な種類がいっせいに咲いているので、目を瞠る美しさ、あでやかさがあります。「梅一輪」とはかけ離れた、絢爛たる風景です。人の波でごった返すほどではありません。それがいいところです。近くの介護施設から、車いすや杖を使うご老人たちが、職員に引率されてきていました。

枝垂れた梅の花の真正面に車いすを置かれ、しばらくそのままの人たちがいました。桜と違って、梅は見上げなくてもすぐそばで観られます。親しみのある優しい樹木だなあと感心しました。匂ってもいるのでしょうが、お花に気を取られていると嗅覚が意外に働きません。花に鼻をつけるようにして匂いを嗅いでいる人がいておかしくなりました。カメラを振り回していたら、近所の人と顔と出会って、思わずいつもより大きくほほえみ合いました。花の力でしょうか。

 
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日々の風から 春を呼ぶ雨
 

日々の風から 春を呼ぶ雨

昨夜は道路をたたく雨の音で何度も睡眠を妨げられました。激しい雨だ、久しぶりなことと、意識が戻るたびにそう思いながら朝を迎えました。これまでとは全く違う感覚です。季節の動きを一番先にキャッチするのは体でしょうか。脳髄でしょうか。五感、六感が渾然一体となっているのかもしれません。うれしいことで、楽しいことで、感謝です。
 
今日この頃は、二十四節季では一番目の「立春」に続いて二番目の「雨水」の季節だそうです。雪が雨に変わって降るようになり、雪が溶けはじめ、また雪や氷が解けて、雨水となるのだそうです。春一番が吹き、鶯の声が聞こえるとも言われます。なんとも待ち焦がれたうるわしい季節が始まるのです。
 
気温が20度を超えると予報されたので、身支度も多少薄着にしました。気になっている近くの梅園に飛んでいきたいのを堪えて、午前中はパソコンに向かわねばと言い聞かせる始末です。しかしパソコンとは魔物です。メールチェックや返信している間に時は進み、梅の園へはなかなか行き着きません。花より団子?で、まずは食料を求めにスーパーへ。いつもよりずっと人が出ていて、賑々しいことでした。短いコートにしたのに、暑いことでした。

どこからか「暑い」、「暑い」とつぶやく声が聞こえ、昨日までの「寒い」、「寒い」は一瞬にして死語になったようです。明日こそは早々に梅園に行きたいと思っています。
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日々の風から 春を呼ぶ賛美
日々の風から 春を呼ぶ賛美
 
立春を過ぎても現実には真冬、一年で一番寒い時期だとはわかっているのに、気持ちは焦り気味。一日くらいは春を体感したい思いでいっぱいです。特に昨日、今日の雨や雪模様には閉口してしまいます。生憎、こんな言葉は使いたくありませんが、外出が続いています。
昨夜は遅くまで、今日は早朝からで、さすがに自分ながら心配になりました。娘から警告が出たのも無理はありません。身近な者の意見は無視してはいけないと思いました。
 
外出の内容は、あいにく、なんてほんとに使ってはいけない、恵みの時でした。昨夕は、聖書学院の音楽科のミニコンサート、生徒たちの日ごろの学びのご披露の時でした。前から楽しみにしていましたので、拝聴してきました。オルガン、声楽、指揮を学ぶ方がたが精いっぱい演奏されました。
 
演奏曲目を見ていると、ほとんどがバッハ、ヘンデルの作品です。彼らの宗教曲が300年以上も延々と世界中で親しまれているのは驚くべきことです。これは一体なぜでしょう。
生徒の演奏ですから、たぶんプロの水準ではないでしょう。しかし、次々と演奏される小作品の何と楽しいこと、何と心休まることでしょう。有名ホールの有名演奏家のコンサートよりずっとリラックスして、私なりの音楽の世界に浸り切りました。
 
一つの賛美を記します。
シャルル フランソワ グノー作曲 
セシル フランシス アレクサンダー作詞
 
十字架に架かりて 世の救いを
成し遂げたまいし 救いぬしよ
受けさせたまいし み苦しみの
深さをわれらは  知るあたわず
 
知るはただきよき ながちしおの
われらを変えうる 妙なるわざ
 
罪消しさるもの 世にはあらじ
ただ 救い主の ましますのみ
かくも愛したもう 主にこたえて
いかになさばよき ただ 主のみむねを
いのちかぎり なすほかなし

愛しまつらん 
仕えまつらん

とこしなえに
 
ヘンデルの「メサイヤ」から「あがない主はいく」と「いともうるわしきは」が歌われました。歌えないけれど親しんでいてほとんど覚えているメロディーなので楽しさはひとしおでした。心の温まりに加えて会場も暖かかったせいか、帰宅するまで寒さ知らずでした。
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風の仲間たち 立春から一週間
風の仲間たち 立春から一週間
 

一月は一日一日が遅く感じましたが、二月はすでに十日を過ぎ、あたふたとしています。
 
立春の朝に旅立った老聖徒の最期や葬儀の様子を、じかに係わった友人から直接に聞くことができました。昨今、神さまのお働きをもどかしく感じる不信仰に陥っていたのですが、友人が間近で遭遇した出来事は、まるで奇跡の連続、生きた神様の御業がいくつも重なっていて驚くばかりでした。
 
私のさもしい根性のせいでしょうか、神様は私の願っている周辺ではじっと座っておられ、遠くのほうでは生き生きと立ち働いておられるのだと、不公平感さえ抱くことがあります。
いえいえ、そんなことはないのでした。主は一見、沈黙しておられるように思える事柄の内にも働いておられ、人には測り知ることのできない御心で着実にご計画を推進されているのでした。そのことを改めて思い直し、不信仰をお詫びし、信じ直し、主の御名を賛美しました。
 
老聖徒はこの冬は越せないと医師に宣言されていました。ご家族は悩みつつも、年明けてついにご本人に告げたそうです。そうかとうなずいて静かに受け入れ、寝込むほどでない時は、いつものように奥様との生活を続けておられました。
 
突然のように天に帰ったその前日、H老兄は新車を購入し、銀行に行って支払いを済ませ、車のキーは自宅の玄関のキーといっしょにしてあり、上着のポケットに入っていたそうです。たぶん、運転しただろうとはご家族のことばです。机の上には完了と大きく書かれた車の請求書が乗っていたそうです。H老兄の心の内は見当もつきませんが、明日のことは主に全くお任せして、最後の覚悟をしつつも、昨日と同じように今日を過ごしたのだと思います。
 
老聖徒はわずか一年半前に、遠方に住むクリスチャンのご子息が、わざわざ教会を訪ねて、老夫妻を導いてほしいと依頼してこられ、以後、教会の熱心な祈りの中で伝道が行われ、わずかの間に信仰告白にまで導かれ、洗礼の恵みに与ったのでした。その後、嘘のように体力が回復し、昨年の真夏には、明日をも知れない82歳の老体にもかかわらず、重い草刈り機を持ち出して教会の駐車場の雑草を除去する奉仕をされたそうです。その時の汗まみれの中の笑顔がまぶしかったと友人は聞かせてくれました。
 
この地方は告別式、その後の火葬のあと、すぐに納骨までするそうです。すべて終わって親族だけが残った時、孫の一人が、まだ残っていた牧師に、求道中のまま長く怠っていた自分に気が付き、経緯を話し始め、今日、ハッキリさせたいと意思表示をしたそうです。そして、両親を初め親族の集まる中で、涙の悔い改めをし、イエス様を受け入れ、帰ったら無沙汰をしていた地域の教会に行くと告白しました。なんという御業でしょう。まるで絵に描いた話のようです。どこかで聞いた話のようです。救いのモデルパターンのようです。こんなことが現実にあるのです。老聖徒は最大、最高の伝道をしたのです。用いられた牧師と教会は主の栄光を目の当たりし、主の聖名を心から崇め、賛美したそうです。私もハレルヤ!
 
 
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日々の風から 立春の朝の旅立ち
 日々の風から 立春の朝の旅立ち

 
 


一年ほど前から、親しい友人に祈ってくださいと乞われていた一人の老信徒が天に帰っていきました。立春の朝に報をいただきました。余命三か月と言われたのをきっかけに教会に導かれました。解き明かされるイエス様の救いが鮮やかに分かって受け入れ、昨年の元旦に洗礼の恵みに与ったのでした。天に帰る日を覚悟しつつも、不思議にその日が延ばされていきました。夏を過ごし、秋を過ごし、晩秋頃から病院通いが頻繁になり、数日入院することもありました。
 
ご本人と教会の願いは、何とかして受洗一周年の元旦礼拝を迎えたいとのことでした。厳しい願いでもありました。しかし、神様はみごとにその祈りに応えてくださり、老兄は元旦に礼拝を捧げることが出来ました。その後も静かに日々を過ごしておられました。そして、立春の声を聞いた日、ご自宅で、最愛の夫人はじめご家族や看護者たちの見守る中を、平安に包まれてイエス様のみもとに召されていきました。知らせをいただいて、私の胸には久しぶりに暖かさが戻りました。
 
一連のおぞましいテロ事件の中で、心が萎えふさがれてしまい、
このブログもしばらく沈黙に入ろうと思っていた矢先でした。
主の光が心の暗雲を裂き、心のペンが動きました。
 
『――主のみ告げ――
それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、
あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ』
エレミヤ29章11節
 
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日々の風から 明日は立春なれど
日々の風から 明日は立春なれど
 
2月を迎えて、寒さはまだまだですが、せめて春に寄せる心楽しい思いを綴りたいのですが、とてもそんな思いにはなれません。いっとき夢中になって拾い読みしたネットの記事も今は遠ざかりたい心境です。犠牲者の最も近い方々の張り裂ける悲しみに思いを馳せながら、私なりに祈り考えたいと思います。
 
『平和を作る者は幸いです。
その人たちは神の子どもと呼ばれるから』
マタイ5・9



 
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