人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 混乱混沌の一月もあと1日だけ
日々の風から 混乱混沌の一月もあと1日だけ
 
一月の月は「一月は往ぬ」と言って慌ただしく去ってしまう月と思われています。毎年そのように感じていましたが、今年はちょっと違う思いを抱いています。特にこの10日間は、固唾を飲んで刻々と報道されるニュースを見守るせいでしょうか、早いような遅いような、時が止まっているようなもどかしさばかりが募っています。
 
パリのテロ騒動が起きたのは7日でした。あれでお正月気分が一度に砕け散って厳しい世界の一面を見せつけられましたが、このたびはテロ地域とは遠いと思っていた日本が巻き込まれてしまったのです。神様のご介入によって一日も早く、願っているように解決することを祈っています。
 
小さな身辺にも、昨年末からただならぬ事態が起こり、いまだ完全解決を見ていません。こちらはお得意の曖昧な日本流で流れてしまいそうですが、根本を見つめればそんないい加減なことでは済まないはずで、わだかまりだけが残ります。しかし私とても事を荒立てたり、プロテストする急先鋒に立つ勇気も確信もなく、ひとりぐちぐちとしているだけです。
 
内憂外患ではないけれど、スカッと突き抜けない曇天の空の下で、一月はのろのろと過ぎていきます。おりしも今朝から一、二時間でしょうか、ぼたぼたと雪が降りしきりました。そのあとはみぞれ、そして雨。冷たさは極まっていました。一日中蟄居では体によくないと思い、少し外に出ましたが頭の芯まで突き刺すような寒さでした。来週の立春に期待します。
 
 
 
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日々の風から 愛唱の聖句考
日々の風から 愛唱の聖句考
 
このところ著名な信仰者の葬送の記を読んでいます。一人の人が神様と出会い、神様の愛に心打たれ、自分を明け渡して救いを受け入れ、以後、どんなに不都合なことがあっても、神様を愛し喜び、従い通して、やがて時が満ちて天に呼ばれていく、その一生の事実をまのあたりにして深く心揺さぶられています。自分史以上に重みがあり有益だと知ったことです。
 
その中で、新しい発見がありました。だれの葬儀でも「故人の愛唱讃美歌」が紹介され歌われますが、この方の場合は「故人の愛唱聖句」が紹介され読まれ、そのいわれが語られました。これは私には非常に新鮮でした。聖書のみことばですから、これが好き、これはどうも、などと自己の好みであれこれ言っては神さまに失礼だなどと思うものですから、愛唱聖句として考えたことはありませんでした。
 
考えてみれば、いくつかの愛唱讃美歌はときに触れ折りに触れて公言もし、私の葬儀にはこれをと決めてもいます。詩篇についてもこれを常日頃愛唱しているとはよく話し合います。
みことばにもあっていいのではないかと思いました。特に自分の葬儀の時、讃美歌とともに紹介していただけたら、これ以上の証しはないと思います。

さて、どのみことばにしたらいいのかと考えました。そして考え込んでしまいました。
たくさんありすぎてとても一か所だけに決められない、そんな心境ですが、それでもどうしてもひとつ決めておこうと強く思っています。主の恵みに生かされ続け、主のあわれみによって身分不相応な天のみ国へ招かれる幸いを、讃美歌とみことばで応答したいものです。

私の愛唱讃美歌と愛唱聖句をしっかり記して家族に託すのは今の私の急務です。
 


ちなみに今日の通読から、心に留まり、メモに記したみことばを紹介します。
『主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、
一つもたがわず、みな実現した』

ヨシュア2145
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日々の風から 大寒の風邪
日々の風から 大寒の風邪

このところ風邪ひきの便りが多く入ります。
「今年は珍しく風邪を引いて、数日寝込みました」とは85歳のK兄からです。
4日から咳が出始め、夜も寝られず、ダウンしています」こちらは71歳のM姉。
「インフルエンザにかかりました。咳のし過ぎで肋骨にひびが入ったようで、腹帯を巻いています」67歳のいつもお元気なT姉からです。
「休むほどではないけれど、ここ何年も引かなかった風邪のようで、食欲がありません」
 鼻にかかった風邪声は60歳になるK姉です。
「インフルエンザにかかり、高熱で苦しみました」とは50歳のバリバリのキャリヤウーマンD姉。
「施設にいる母が肺炎で入院しました。この施設はいったん出ると、空きないかぎり戻れないんです。お祈りしてください」55歳のH姉はお母上を施設に預けておられます。
 
いつもの冬より風邪便りが多いようです。かくいう私も、おかしいなと気づくことが数回です。熱はないけど、胃痛だったり、脱力感であったりして、風邪気味です。
大寒をじっと観察しています。大きな寒さの壺の底にいる気がします。大寒は「冷ゆることの至りて甚だしきとき」と定義します。寒いとは言わず冷えると表現するところに実感があります。確かに冷える、です。底冷えと言います。しんしんと冷えるとも言います。
 
人質はまだ解放されませんね。じっと、じっと、見えないかなたに目を凝らして、よい知らせを待っています。
 
 
 
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日々の風から 身も心も凍る大寒
日々の風から 身も心も凍る大寒
 
季節は大寒に入りました。24節気の最後の節気で「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」だそうです。大寒の期間は1月20日ごろから2月3日ごろまでです。つぎの節気はなんと「立春」です!いよいよ春と言う文字が見えてくるのです。春ほど待たれる季節はないでしょう。
 
寒さも極まれり、どん底なのでしょうか、今日の冷たさは並みではありませんでした。朝方、雪まがいのみぞれが落ちてきました。もっと降るかと思いましたが、雨に変わりました。
夜になっても降り続いています。大雨ではありませんが。

 
心の凍るような事件が起こって、なんと厳しい冬でしょう。新年早々フランスで大騒ぎをしたテロが現地から8000キロも離れているという日本にまで手を伸ばしてくるのですから。
どう考えたらいいのか解りませんが、犠牲者が出ないことを願います。
 
 
 
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心の風から AさんとZさんの対立のかたわらで
心の風から AさんとZさんの対立のかたわらで
 
新年早々から物騒な事件が起きている。フランスのテロではなく、ごく身辺である。そのことで悩みに悩んでいる。一人思いあぐんでいる。自分なりの見解に行きつくためにため息をついている。白か黒かで決着がつくことではない。こうした場所に書くべきではないのかもしれない。自分の心の奥深くで始末すべきなのだ。近くの人には言えない。遠くの人にも言えない。Aさん、Zさんと仮称を使っても、分かる人はわかってしまう。それでは困るのだ。
 
物事には発端がある。それは些細なことの時もある。第三者は、何だ、そんなことか、気にすることではない、聞き流して済むことだ、あるいは軽く答えればいいことだと、半分笑いながら片づけられることである。ところがAさんの一言にZさんが立腹して立ち上がってしまったのだ。Zさんは無口で冷静な人で通っている。一方Aさんはすこぶる明るい。よくしゃべる。そのおしゃべり、つまりひとことが多かったのだ。Zさんはとっさに自制がきかなかったのか、堪忍袋の緒が切れたのか、Aさんの過去のことまで持ち出して話を膨らませ、完膚なきまでにAさんを罵った。
 
Aさんは思いがけない展開に激しいショックを受けてパニックに陥った。ずっと信じて信頼してきただけにZさんの豹変ぶりに面喰い、今までのイメージが粉々に砕けてしまった。怒りが吹き出してしまった。同時に卑近距離から狙い撃ちされた人のように、心に深手を負ってしまった。私は現場にいたわけではないがその日のうちにAさんから聞かされた。Aさんは子どものように泣きじゃくった。ともかくも聞いてなだめた。しかし収まるものではない。傷口から血がしたたり落ちているようだった。この場合、Aさんは被害者、Zさんは加害者である。しかしここに至るまで、Zさんが加害者になるまでには、ある時被害者だったともいえる。
 
事件のきっかけになったことは間もなく事務的に解決した。しかし、事はちっとも解決していない。被害者のAさんの傷が治らないのだ。漏れ聞けばZさんは当然のことを熟慮の末に決行したのだと加害者意識は微塵もない。和解の握手など思いもよらない。
 
喧嘩両成敗だという人、あのAさんだからしかたがない、それにしてもZさんのやり方は問題だと、事を知った人々はそれぞれ自分の思いを言う。それらを総合して私は考え悩んでいる。なにはともあれ、道端に怪我をして血を流している人がいたら、手当てをしないで通り過ぎていいものだろうか。見てみぬふりをしていいだろうか。「よきサマリヤ人」のたとえがあるではないか。事情を詮索するのはさておき、いま、この人を医者や病院に運ぶのが先決ではないか。正しい人だから助ける、正しくないから放っておく、そんなことをイエス様は教えていないと思う。
 
イエス様は、『裸であったときに着せ、病気をしたときに見舞い、牢にいたときにたずねてくれた』、そして『これらの最も小さき者のひとりにしたのは私にしたのである』と言われた。『あなたも行って同じようにしなさい』とも言われた。今、私は、被害者のAさんに近づいている。しばらくそうするつもりでいる。
 
 
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日々の風から 今年最初のさいわい
日々の風から 今年最初のさいわい
 
孫たちの記事は差支えがあるからあまり書かないことにしている。プライバシーは大事だし、こうした場での発信はそれなりの危険もある。恐ろしい世の中である。好意的な読者ばかりとは限らない。警戒するに越したことはない。しかし、生まれたときからいっしょに暮らしてきた孫たちの様子には強く書きごころがそそられるのだ。おばばとしては、バカを越している。
 
S君は春からは高校三年生になる。Mちゃんは中学三年生になる。今年はダブル受験だ。我が家には緊張が走るだろう。私は口をきちっと閉ざして見守り、祈りに徹しようと決めている。二人とも音楽が好きだ。小さい時からS君はバイオリンを、Mちゃんはピアノを習っている。ぽつぽつではあるが続いている。それが学校でも教会でも活用されているようだ。
 
S君は高校生になると学校のオーケストラに入った。またたく間に部活に熱中。ラッシュの電車にバイオリンを抱えて通学している。早朝から練習があるようだ。時々コンサートがある。それには私もいそいそと出かけていく。びっくりするほど大勢の生徒たちが、びっくりするほど立派に堂々と演奏しているのだ。若者たちの健全なエネルギーを目の当たりにすると、日本の国の将来に希望を感じる。同時に日本の国は豊かだなあと思う。この年末には全国高校選抜オーケストラフェスタに参加し、マーラーを演じた。

 
そのマーラーであるが、パパからクリスマスプレゼントにマーラー全曲のCDを贈られた。大喜びである。かくして冬休み中、リビングにはマーラーが響き渡っている。S君はそのCDが特別にうれしいらしく、2、3枚を抱えては私の部屋にやってくる。聴かせてくれるのだ。私の小さなコンポにセットしてくれて、この曲のここがおもしろいよ、この演奏はここに特色があるなどと、オーケストラや指揮者の説明をしてくれる。私は日がな一日何度も何度も繰り返して聴いている。夕方になるとまた姿を現して新しいCDをセットしていく。私は天国にいるような喜悦感に浸っている。おばばバカのこの気持ちを共感していただけるでしょうか。
 
Mちゃんは新春早々に通っているピアノ音楽学院のコンサートに出演した。生徒全員が出演する。会場は地域のセンターである。おばばは近くに住んでおられる教会の姉妹たちにそっと声を掛けてしまう。毎年のことながら、である。長女たちはあきれているが。Mちゃんはショパンのエチュード『木枯らし』を演奏した。出来栄えは知らない。しかし私には天使のピアノに聞こえる。おばばバカを大いに笑ってください。
 
二人とも受験の今年は音楽から遠のくかもしれない。それはそれでよいと思う。自分の最優先事項を見極めて全力を注げばいいのだ。厳しい現実ときちっと対面して、一人の人間として生きていく常識や知恵や信仰を養い、成長してくれることを願っている。何よりも神様と人の心を深く理解でき、愛することのできる人格者に育ってほしいと祈っている。
 
 
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世相の風から 便利すぎて安すぎて恐ろしい
相の風から 便利すぎて安すぎて恐ろしい
 
元旦に、いつもより早く郵便受けを見れば、朝刊はもとより、どさっと年賀状の束が配達されています。いつものことながらとはいえ、この寒空の下、元旦であるのに駆け回っている方々がいるのです。申し訳ないような気がします。ところが、しばらくすると宅配の方が荷物を届けてくれました。ますます申し訳ない気がします。三が日くらいおやすみでもいいのにと思ってしまいます。しかしこれは旧人間の思考らしいのです。
 
今や、机のPC、それどころか、掌のスマホから、寝転んでもいてもほしいものが注文でき、また送ることができるのです。わざわざ電車に乗って買いに行かなくても、お店に行かなくても、指先一つで数時間後には手に入れることだってできるのです。あまりの便利さに返って唖然、呆然としてしまいます。しかし、その間には、受信する人、現場へ発信する人、そして倉庫?へ現物を取りに行く人、荷造りする人、必要書類を作る人、荷物を車に乗せる人、
運転して届ける人など、人の数だけでも10人以上は係わっているのだと思います。高価な物ならいざ知らず、文庫本などは、なんと本代0円というものさえあり、送料無料と言う契約もあるようです。いったい、係わった方々の労力はどうなるのでしょう。どこから出るのでしょう。会社のシステムがそうなっているのかもしれませんが、人間の労働力が軽視されているように思えるのです。宅配価格の競争は限界に達していると漏れ聞こえてきます。
 
慈善事業ではあるまいし、企業はどこかで利益を生み出さねばなりません。しかし、一見、どこに利益を生む余地があるのかと、利用者であって、安価を望む立場に居ながらも、心配になり恐ろしささえ感じます。しわ寄せは末端です。実際に一番労力を使う所に犠牲が強いられるのではないでしょうか。よく、メール便を使います。郵便局よりずっと安いので、喜んで利用しますが、A5版200ページもの本が82円とはあまりにも安すぎます。
 
昼夜を問わずこの空の上を無数の注文メールが走り、飛び交い、夜、夜中も荷造りの人たちが働き通し、道路と言う道路は荷物を満載したトラックが走りゆき、そしてある早朝に、玄関のチャイムが鳴るのです。とても便利で感謝です。年を取ってきて、重い物やかさばる品を運ぶのは辛いので、日常の雑貨や食料も定期的に組合の会員になってお願いしています。
本だって、今や書店で買うことはめったにありません。私も大いに利用しています。それでも、ある種の矛盾を感ずるのです。これが現代社会というものさ、でいいのかもしれません。
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日々の風から Happy new year! 
日々の風から Happy new year!
 

 

Halleluiah
新年おめでとうございます。
このブログにわざわざお運びくださるお一人一人に年頭のごあいさつを申し上げます。
今年もできるだけ回数も内容もともに充実させたいと心しています。
さて、初心をどこまで貫けるか、ちょっと心もとないのですが、励んでいきたいと願っています。
 
今年は主の2015年。覚えやすく区切りよく、きりっとしていて、使うのに便利な年号をいただいて、新鮮な気分を味わっています。世界中が、天地の創造主の祝福に満ちた平穏な一年でありますようにと祈ります。想定外とか、未曽有とか、観測史上初めてなどの、不気味な文言がくれぐれも頻発することのないようにと切望します。
 
うれしいメールが飛び込みました。年賀状代わりの新年の挨拶です。
なんと、ケニヤのナイロビからです。教会のF兄からで、年末からそちら在住のお子さん家族のところへ出かけました。ITは軽く国境を越えるとは知っていましたが、遥かな国からの便りはやはり大きなサプライズです。箴言2525節の『遠い国からの良い消息は、疲れた人への冷たい水のようだ』を思い出しました。あちらは程よい気候だとありました。

こちらは厳寒ですから、この消息は、冷たい水ではなく、香り高い熱い紅茶のように思えます。ナイロビとは『冷たい水』の意で、標高1600mに位置し、しのぎやすいそうです。
兄が帰国したら、珍しい旅話で賑わうでしょう。楽しみです。
 
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