人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 息つく暇なしの自然災害


日々の風から 息つく暇なしの自然災害
 
木曾の御嶽山の噴火はまたまた大きな驚きでした。広島の土砂災害、16日の茨城県北部のM5.6の地震、そしてこの噴火です。次から次へと自然災害が続いていて、恐ろしいほどです。待ちに待った紅葉の秋ですが、あちらこちらで悲しみや苦しみがあふれています。日本だけでなく、世界はもっともっと深刻です。自然災害だけではなく、人間同士の引き起こす惨事にはもっと心が痛みます。憤りも吹き上げてきます。神様が一番平和を望んでおられるでしょうに。世界中が狂っているとしか思えません。しかし、私の悲嘆などごまめの歯ぎしりでしかありません。心静かに、全能の主に祈りをささげるのみです。
 
 

 
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日々の風から ブログのリフォームまた試行錯誤


日々の風から ブログのリフォームまた試行錯誤
 
いろいろ思案の果てに8月末、もう一つのブログ『聖書の緑風』を閉じることにしましたとお話しました。昨今の自分の管理能力に限界を感じたからです。ま、二件の家を維持する力が足りないと痛感したわけです。いろいろ工夫整理して、もう一部屋設ければ、一軒でなんとか切り盛りできるはずだったのです。
 
ところが同居はかなり難しいことが分かってきました。同居とか統合、合併、吸収と、いろいろ言葉がありますが、根っこは一つであったものでも、いざ、ひとつになると、違った問題も出てきて、当初の考え通りにはいかないのです。もの言いが大げさですが、要するに、
当面はまた以前のように小さいながらも二軒の家を維持することにしました。
 
そういえば、似たようなことが世界で起こっていましたっけ。スコットランドの独立です。
世界的な一大事件を引き合いに出すなんて、私の頭も相当に混乱していると思いますが、
小さくても大きくても根本の根本、細胞的サイズのところでは共通項が無きにしも非ずと思うのですが。
 
しかし、こうした思考錯誤を通して、頭が整理され、家の整理整頓が多少はできたと思います。なんだ、結局のところ元の木阿弥、すべては徒労に過ぎなかったのかと言われそうです。しかし、弁解がましいのですが、やってみてよかったと思っています。ただし、二つのブログで、これからは一つにします、そして、これで終わりですさようなら、なんてごあいさつまでしてしまったことは、誠に申し訳ございませんでした。どうかおゆるしください。
 
今後は『聖書の緑風』の方では、カテゴリー【風の置いた籠】に記事を入れます。早速、聖書エッセー『ハガルの泉』をアップしました。原稿用紙21枚の、ブログとしては長いものですが、そのまま載せました。どうぞ、そちらへもお立ち寄りください。お詫びまで。
 
 
 
 
 
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日々の風から もうひとつの秋の庭で
日々の風から もうひとつの秋の庭で





16日に関東を襲ったM5.6の地震には強いショックを受けました。私には311の次に大きかったような気がします。心はじきに立ち直ったのですが、体そのものが無意識のうちに反応したのか、ガクガクとして、しばらく両手が震えていました。それにもまた驚きました。突然のことには弱いものだなあと実感しました。先日のゲリラ豪雨といい、この秋は慌てふためいています。
 
一方で、自然界は予定通り運行して、美しい秋へと進んでいます。今年は一か月早いと言われているように、秋のスピードは加速しているようです。公園ではすでに落葉が始まっています。
 
知人に誘われて、江戸川を渡って市川へ行きました。京成線国府台で下車し、江戸川堤を里見公園に向かって歩き、横切るようにして東へ進み、とある園芸農園に入りました。小さなカフェもあって、一休みしました。そこで、カメラを取り出したわけです。最近はふだんの外出でも万歩計を持参しますが、この日は期待したのですが一万歩には届きませんでした。




 


 
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日々の風から 教会の敬老愛餐会 その2




日々の風から 教会の敬老愛餐会 その2
 
スピーチの二番手は75歳のF兄。まだ70そこそこしか見えません。健康に極度に気をつけ、聖霊の宮である体を大切にしています。それも兄の場合は明確な目的があります。中年以降、長年のご希望だった絵の道を進むために早期退職、絵かき街道をまっしぐらに進んでおられ、いろいろ受賞もされて、私たちは画伯と呼んでいます。年に2回は個展を開きます。そのたびに喜んで駆けつけます。残念ながら高価な絵を買うことはできませんが。
 
兄は数年前に最愛の奥様を壮絶ながんとの戦いの果てに天に送りました。ご夫婦だから当然かもしれませんが、それでも周囲がハラハラしてするほど密着して精力的に看病されました。ですから、お一人暮らしになった時は別の心配もしました。大きな喪失感に打ちのめされてしまうのではないかと思ったからです。
 
みごとに立ち上がった兄は、絵と伝道に情熱を傾けました。近くの公園を始め、東京近郊の有名な公園や庭園に出かけて衆人の中で絵を描かれます。人が寄ってきますと、すぐに福音を語りだすのです。兄はそっと言うのです、絵は、どうでもいいのです、伝道ですと。
それくらい熱心に福音を伝え、教会に誘いますので、毎週、入れ代わり立ち代わり様々な方がたが教会を訪れます。全員が定着するわけではありませんが、その後もできるだけケアーしているようです。求道者クラスの学びを始めている方もおられます。兄の働きに驚かされ、チャンレンジを受けている昨今です。
 
兄はまた日々の食生活について話をされました。女性も顔負けです。初老の男性にとっていちばん家事、特に三度三度の食事つくりは弱い部分ではなかろうか思うのですが、兄は食材から調味料、メニューまで吟味工夫し、主食は玄米ですとのこと。産地から直接購入するのです、時に海外からも。その効果でしょうか、スリムなられたのはもちろんですが、姿勢もシャキッとして動きも軽やか、スピード感があるのです。内側から高温の炎が燃えているのが分かります。この10月は海外の組織に従事するご子息家族を訪問して孫ちゃまに会い、絵も描くと意気込んでおられました。
 
私はM兄、F兄から大いに刺激を受けました。とかく、身体的にもこころ的にも昨今は座り込みたがる傾向にあるので、そこを一突きされた思いです。信仰には≪立つ≫のであって、
安易な座り込みは避けねばと、ひそかに言い聞かせました。




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日々の風から 教会の敬老愛餐会で


日々の風から 教会の敬老愛餐会で
 
教会では毎年敬老歓迎礼拝をおこなっています。70歳以上の会員と日ごろ時々教会にお越しくださる方々に祝い品が用意され、特に、礼拝後はともに婦人会の準備した食事会が催されます。70歳では早すぎる、75歳以上にしましょうと声が上がっているものの、なかなか改革には踏み切れないようです。ともあれ、一堂に会して食卓を囲むのはうれしいことです。
 
92歳で、そこそこお元気、一人暮らしのO姉、グループホーム入居の86歳のK姉、同じくホーム暮らしの85歳のH姉(車いす)、83歳のT姉(クリスチャンホーム大家族暮らし)、81歳のM姉(教会員の娘さんと二人暮らし)、80歳になったばかりの独身N姉(独居ではない)の女性の皆さんがいつものように来られましたが、私の目を引いたのは、姉妹たちの装いでした。皆さん、いつもよりおしゃれしているのです。この日を意識して、心がけたのだとよくわかりました。これって、とても大事ですてきなことではないでしょうか。
私は思い立ってカメラを持って行きました。教会ではあまり写したことはないのですが、食事中にテーブルの間を縫って、ご本人の意志を確かめつつ写しました。近頃ではカメラブームは去ったようで、写真を写したり、いただいたりすることはあまりありません。敬老記念になればと思ったことです。我が家のプリンターでは限度があるので、専門店に持っていき、すでに出来上がりました。お渡しするのが楽しみです。
 
さて、男性たちですが、78歳のM兄と75歳のF兄が、メッセージの最初に立ちました。
80歳以上の男性が二人おられるのですが欠席でした。M兄は華麗なる経歴をお持ちの方ですが、70歳を過ぎてから2度も重病にかかり、今は3度目で、最近、ガンを発病しました。
深慮の結果、手術を拒否して日々のQOLを選択しました。幸い、今のところ体調には何の影響もないそうです。
 
その病のお話は忘れたように一言もなく、マイクを持って立ち上がると、歯切れよく語りだしたのは、サミュエル・ウルマンの詩『青春』でした。朗々と読み上げさらにその歌をアカペラで歌いました。退職後はお住まいの地域では有名な合唱団の団長を長く務めました。
 
『青春』は私も時々目にしていましたので、その全文を掲げます。
 

邦訳 岡田 義夫
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相(ようそう)を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や狐疑(こぎ)や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰(あたか)も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう。
 
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
 

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、
希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。
 
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷(あつごおり)がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。

 
愛餐を共にした若者たちが、半世紀以上も年齢差のあるこうした方々をどのように眺め、なにを感じたか、興味があります。若いと言っても、皆さん信仰者であり、クリスチャンホームで育った方が多いので、世の中一般の若者とは見方も判断基準も違いますが、老いた信仰の先輩者たちを目の当たりにするのは決して無駄ではないと思います。
 
さて、次にコメントしたF兄のことは次回にします。先のM兄に劣らずユニークな生き方で、エネルギーあふれる輝かしい日々を送っておられるのです。




 
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日々の風から 秋の庭で
日々の風から 秋の庭で
 
仲秋の名月の翌夜、十六夜の月は夜空のヒロインを堂々と演じましたが、翌日は荒々しい秋の嵐が日本全国に大きな被害を置いて行きました。季節はすんなりとは移り変わってくれないようです。
 
近くの庭園で秋のやさしい一面を見てきました。植物たちは無言の内にも巧みに季節の力を取り込んで、自分を表現していました。そのたくましさに感動しました。













 
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日々の風から ゲリラ豪雨に襲われて

日々の風から ゲリラ豪雨に襲われて
 
昨日は全国的に8か所でゲリラが出没したそうです。東京も局地的で、同じ区内でも大したことはないところもあり、驚きの連続でした。我が家の周辺はまさにゲリラが通過したのです。隣の区が87ミリとのことなのでたぶんそのゲリラだと思います。またたく間に我が家の脇を走る都道が車半分くらいまで冠水しました。排水が間に合わないのです。
 
何よりも驚いたのは、家の中で聞いたことのない音がするので耳を澄ますと、トイレから聞こえてきました。見ると、ぼこぼことお鍋が煮え立つような音で、水が下から盛り上がって上へ上へと上がってくるのです。どんどん増してくるのです。ただ、驚きの声を上げるだけで、手も足も出ません。どうしようもないのです。幸いにしてあふれる寸前で止まりました。
 
それから次第に少しづつ退きはじめました。1時間は掛からないうちに平常に戻りましたが
なんと驚いたことでしょう。水洗トイレになって初めてのことです。道路もじきに退きました。思えば、昭和20年、30年代は、台風による洪水が何度かあって、ひどい時は畳が水浸しになることもあり、予報が出るようになると、予め荷物はできるだけ押し入れの上段に入れ、畳みもやぐらを組んでその上に乗せて待機したこともありました。洪水で避難したこともありました。水洗トイレ以前の時は、惨憺たるものでした。よく病気にもならず生き延びてきたと感心するほど、不衛生に満ち満ちていたのです。
 
トイレに水が上がってきた時、もしこれが土砂だったらと想像してぞっとしましたが、すぐに先ごろの広島の大惨事が思い浮かび、実感として迫ってきました。自然の猛威にはなすすべを知りません。改めて被害に遭った方々の苦悩を推察し、一日も早く平安な生活に戻れるようにと祈り続けます。
 
 
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日々の風から 敬老雑感・『老いを生き抜く』から【鬱病】


日々の風から 敬老雑感・『老いを生き抜く』から【鬱病】
 
かつて、私は森本哲郎さんのファンでした。切れ味のよい文章がとても好きでした。また文明論に惹かれました。行動力にも驚嘆しました。氏が長い朝日新聞記者を定年より早く引退して『私のいる文章』を書き始めた動機などに興味を感じました。ずっと氏の著書を追いかけていました。しかしあるとき、ふっと氏の姿が見えなくなったように感じました。
もしかして私の知らないうちに亡くなったのか、あるいは文筆生活から退かれたのかと、腑に落ちないような寂しさをかすかながら感じていました。
 
ところが、偶然に図書館で氏の新作に出会ったのです。急いで奥付をみると、2012918日初版発行とありました。ご健在であったのか、新著を出されるなんて、ご活躍なんだなあとうれしくなったのです。氏は1925年生まれですから、今年89歳です。長寿時代とはいえ、著作活動をされているのには、いっそううれしくなりました。
 
今回の著書の一篇に『鬱病』があり、食い入るように読みました。氏は数年間、この病と闘っておられたのでした。78歳の時、軽度の狭心症にかかり、心臓冠動脈へカテーテルを差しこんでステントを入れる処置をうけ、たいへんなストレスだったそうです。
 
 一文を抜粋します。
『鬱病というのは憂鬱に閉ざされる心の状態だが、それが何の原因によるのかよくわからない病気である。理由不明のまま気分が沈み、すべてを悲観的にしか考えられなくなってしまう心の症状なのだから、確かに深刻な精神の危機である。もちろんそれなりの原因があるはずだ。私は自分なりにいろいろ自己分析を試みた。そして自分の意識が意のままに働かないのに愕然とした。私はただ己の気分をもてあますだけだった。そのうつがあまりにも長期に及び、自分でも心の置場がないようなやりきれない状況に追い詰められた。そして、それが生理的な異状となってあらわれたのである。
 
第一に眠れぬ夜が続くようになった。ついで極端に食欲が減退し、ほとんど食事が取れない有様となった。体重が目に見えて減ってくる。三キロ痩せ、五キロ、十キロ激減し、同時に体力がひどく衰えて深刻の度を増してくる。それが半年、一年もつづく。紛れもない鬱病だと認めざるを得なくなった』
 
氏はついに心療内科の医師にかかり、クスリを服用するようになります。なんとか脱出口が見え出したのは一年半もあとでした。食欲がいくぶん戻りはじめ、時とともに回復し、声にも力が出てようやく三年以上もかかって脱出に成功したのです。
 
氏はさらに続けます。
『七十代後半のこの失われた年月は少なからず損失のような気がしたが、自分はまさしく「老い」を生きていたのだ。そして「老い」そのものを痛切に自覚しつつ一日一日を過ごしたことは、わたしにとって、けっしてマイナスではなかった。老いの自覚とは、それなりの試練を人間に課すのである。
 
今にして思うと、心因の一つは老妻が認知症になったことである。六十年間、生活を共にした妻とのあいだにコミュニケーションが成立しなくなるということはなんと侘しいことだろう。それが、否応なく、私に老いの自覚を迫ったのである。こちらの受ける打撃は計り知れないものがある。私が鬱病からやっと抜け出すことができたのも、妻の認知症に慣れて、順応できるようになったためであろう。こうして老いは回りから迫ってきたのだった』
 
なんとも深く深くうなずける出来事です。氏はご自身の鬱を青春期によくある青春病と重ねて、老年病に冒されて『老人性鬱病』に陥ったのだ、明らかに老齢のなせる症状に違いないと結んでおられます。老人性鬱病とは、他人事ではないと思いました。
 
また氏は『老いの自覚とはそれなりの試練を課す』と言われますが、確かに、すんなりと老いるわけにはいかない、それなりの試練があるとは私も実感です。試練ですから、甘くはありません。私はある時、老いを、森本氏のように周りから迫ってきたのではなく、自分自身の中から、それも肉体の症状から、具体的に言えば、思わぬ病気を通して、はっきりと知らされました。それは愕然とする大きな試練でした。振り返ってみれば、その試練で支払ったものは大きかったですが、真正面から老いと死の顔を直視することになり、それは、その後の生き方、考え方に確かな導きとなりました。神様のお心だと感謝しています。
 
森本氏が89歳をお元気に過ごしておられることに大きな励ましと喜びを感じます。回復されて、往年と少しも変わらぬ明晰でリズミカルな文章を書かれていることも驚嘆します。老いを感じさせない筆力はうらやましい限りです。
 
『しかし、主を待ち望む者は新しい力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない』イザヤ4031


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日々の風から まもなく敬老の日
日々の風から まもなく敬老の日
 
9月の休日に、敬老の日が設けられています。1964年に国民の休日と制定されたとか。ちょうど半世紀前からです。50年の間に、いわゆる老人、高齢者ほど、存在や扱いや本人たちの意識が変わった世代はないと思います。五十年前に、少子高齢化がどれほど社会問題として話題になっていたか、よく知りません。平均寿命がどのくらい伸びたのかも調べたことはありません。もちろん介護保険制度もありませんでしたね。老老介護とか認知症とかもあまり聞かなかったことです。そして、なによりも、自分自身が高齢とか敬老の対象者になるとは50年前には思いもよらないことでした。古稀とはかつては『古来稀なる年齢』と珍しい存在だったようです。それが今では、70歳なんてまだまだ若いと言われるほどです。いろいろと意識改革が必要だと思います。
 
最近、一冊の本を熟読しています。森本哲郎さんの『老いを生き抜く 長い人生についての省察』(NTT出版 20129月初版)です。1925年東京生まれの方です。存命しておられますから今年89歳。長い人生と言われるのは実体験から言葉です。本の全てをご紹介したいくらいですが、まずは一言、氏の説に耳を傾けたいと思います。
 
『論語』には人生の節目についての名言がある。「十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順い、七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず」。八十については言及していない。七十が古来稀なのだから八十歳は考える必要がなかったのだろう。寿命が二十年、三十年のびた現代では九十歳、百歳でもよさそうだ。孔子の言う人生の節目も順次繰り下げねばなるまい。少なくとも不惑は六十歳、知命は七十歳、耳順は八十歳、矩を踰えずは九十歳ということになろうか。
九十歳を過ぎれば矩を踰えて、心の欲することもなくなるだろう。人生の諸段階も、こうして改めて考え直さねばならなくなった。
 
確かに、俗に、今は寿命が延びたから、20年は引き算、あるいは足し算したほういいと言われます。一理あると思います。童謡に≪村の渡しの船頭さんは/今年六十のお爺さん≫とありますが、今の時代は、たとえ孫がいても六十歳の男性をいわゆるお爺さんとは考えられません。20年プラスして八十歳ならなんとか納得できますが。
 
孔子の説く、五十にして天命を知り、が、七十にしてーーーなら、何とかついて行けそうです。分るような気がします。寿命が延びて助かったと思います。しかし、いただいた20年をいかに生きるかという大きな課題もいただいたのです。
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日々の風から 連絡待ちでそわそわ
日々の風から 連絡待ちでそわそわ
 
この月末に、通っている学び舎の後援会主催で「東北南部キリシタンの足跡を訪ねる」旅に出かけます。昨年は金沢へ行きました。手作りの旅ですので、乗車券はそれぞれが買います。仙台までですから自由席でも簡単なのですが、20名以上、それもかなりの高齢者ですので、大いに注意が必要です。世話人がまず指定席を取り、知らせてきますので、その周辺に集まるようにしようと決めました。
 
今日はちょうど1か月前で、切符が取れます。世話人が午後にお住いの近くの売り場に行くというので、私も近くのJRの窓口近くで連絡を待つことにしました。今回は教会のM姉を誘いましたので、一緒に亀戸まででかけました。ところが、約束の時間をかなり遅れも知らせが来ないのでそわそわしていました。ようやく連絡が来て興奮しながら指定を取りましたが、世話人のすぐそばにはすでに席がなく、ようやく近くに確保できましたが、かなり混んでいるなあと驚きました。後から世話人のメールで知ったことですが、あちらは1時間も順番待ちをしたとのこと。さすがに旅行シーズンなのです。
 
この旅のことは、終わったら記事にしようと今からそのつもりでいます。旅の中心は、支倉常長と後藤寿庵です。また、名もなき多数の殉教者です。涙と祈りの旅になるでしょう。
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