人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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ブログのリフォームを思案中 その2
ブログのリフォームを思案中 その2
 
ブログを開いて8年あまりになりました。思いつくままにカテゴリーが増えて11個にもなってしまいました。家に例えればお部屋を増築また増築したということです。ある時、もう一つ新しいブログまで設けました。いわば別荘です。どの部屋も別荘もよく活用しました。しかし、気がつけば、使っていない部屋もあります。埃をかぶっているのです。そして考えたのです。年齢に応じて管理しやすいようにコンパクトにしようと。エコの時代でもありますから、使わない部屋は処分しなければいけません。
 
『ひかり(キッズ)の風』はいちばんに処分です。これは孫たちが幼かった頃でしたから、書けたのです。それまでも彼らのプライバシーもあり、まさかの事故を恐れて、実名や写真などは一度も載せませんでしたが、今後はますますそうなっていくでしょう。彼らの記事はどこかにほんの少しほのめかす程度にして、キッズの風は廃止します。
 
『銀(シルバーエイジ)の風』は、母を中心して書こうと設けました。その母も天に帰って6年です。高齢の友人知人のエピソードはこれからも書くつもりですが、これは既設の『風の仲間たち』に組み入れます。それに私自身れっきとしたシルバーです。わざわざ別室を設けることもないのです。『季節の風』はいつのまにか『日々の風』に合流してしまいました。『世相の風』もこれからは『日々の風』に合流です。
 
『聖書の風』はあるとき『聖書の緑風』としてもう一本別のブログを開きました。しかし、戸建ては一部屋よりもなにかと手間がかかります。この際、また本家に戻すことにしました。いままでわざわざ訪問してくださった方々にこの席から深くお礼を申し上げます。『聖書の緑風』としてこのブログ『希望の風』の中に新しくカテゴリーを設けますので、今後もぜひお訪ねください。こうして整理しようと思いはじめて、また、ここに宣言(おおげさですが)して、とても気分が軽く明るくなりました。と言って、今まで重く暗い気持ちでいたわけではありません。
 
夏が終わり、新しい季節を迎えるための、ちょっとした心の衣替えかもしれません。それに、身辺整理は年をとって来る者には一番気をつけたいことです。物理的にも精神的にも、ものは増やさないように努めたいのです。新しいことを始めるのはやぶさかではありませんが、そのためには今までして所有してきた物や事柄を捨てる、あるいは削除していきたいのです。
引き算もまた大切だと思います。いやおうなしに増えていくのは年齢だけで十分です。
 
トルストイの民話『人にはどれだけの土地がいるか』が、ふと頭の隅をかすめました。
ブログ整理から思わぬ方向に思いが走りました。これを迷走、迷想というのかもしれません。
 
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日々の風から ブログのリフォームを思案中 その1
日々の風から ブログのリフォームを思案中 その1
 
私にとって一年で一番長いと感じる8月もあと一週間を残すだけになりました。長いと感じるのはいわずもがな、暑さのためです。また、いつもいったり来たりして係わっている事柄が夏季休暇で、外出やそれに付随する机上の仕事も少ないからでしょう。やはりすべて夏休みなのでした。感謝なことに、体調は自己判断ですが、まあまあです。食欲が落ちることもなく、三度三度のささやか食事もおいしいッと自画自賛しながらいただけるのは幸いです。暑さ寒さも彼岸までといいますから、ここ数日の涼しさもいっとき中断して暑さのぶり返す日があるでしょう。冬から春に移行する不規則な天候を三寒四温と言いますが、夏から秋への移行時はさしづめ三暑四涼とでも言ったらいいのでしょうか。しかし涼しさは直ぐに寒さに直結します。
 
暑さの中で、朦朧としたなかで、いろいろ考えました。自分の生活圏は小さく狭いものですが、それを中心にしただけでも実に様々な思い巡らしができるものです。その中で、いかに生きて行くべきか、何を活動の中心とすべきか、あれは要らないのではないか、これはきっぱりと止めるべきではないか、むしろこのことに目を向け、心を入れるべきではないかなどと考えます。引き算と足し算のバランス、進路の変更です、しかし年齢を度外視できないでしょう。引き算を多くした方がいいのです。こうしたことを神様はどのようにお考えなのか、いちばん大切であり知りたいのは神さまのお心です。祈り静まる時を多くしつつも、神様に与えられた自由意志を正しく有効に活用しなければならないと思います。強制終了では遅すぎるし、幼稚ですから。
 
8年続けてきたこのブログも整理が必要だと最近しきりに思います。キリスト者としての証しの場でありたいと願ってスタートしたのでした。証しとは生き方で表現することですが、ブログは言葉の世界です。言葉には限界があり制約があります。そのあたりが思案のしどころになります。ゆっくり考えます。
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風の仲間たち 天に帰ったS姉の蒔いた種と実
風の仲間たち 天に帰ったS姉の蒔いた種と実
 
私の教会で、私より信仰歴が長くて存命しておられる兄姉は私を加えて5名しかいません。改めて数えてみて驚いてしまいました。現在、60名ほどの教会員が毎週礼拝を守っていますが、5名以外は、80歳、90歳以上でも私よりあとに教会員になった方々です。あとは年齢の若い人たちです。その、5人の内の一人のS姉が月曜日に天に帰られました。
 
S姉は子育てを終えて、これから第二の人生を始めようとする時、突然のように病に倒れ、20年以上施設にいることになってしまいました。ですからこの世の物差しで測ると決して幸福な人生だったとは言えないでしょう。一番親しいご主人や子ども、孫たちとも頻繁には会えなかったし、会っても元気に交わりができる状態ではなかったのです。教会にももちろん来られないので、ときおり、婦人会の有志たちが施設へ慰問し続けてきました。しかし、こんなに急に召されるとはだれも思わなかったのです。ですから、私たちは一様にびっくりしましたが、神様だけが一番良い時をご存知で、よい日を選ばれたのだと考え直しました。
 
S姉のご主人は先の5名の中のお一人で、最高齢です。3人のご子息はそれぞれご家庭を持って別に住んでいますから、ご主人は長い間一人暮らしをしています。息子たちは教会員ではないので、お葬儀はおそらく家族だけで教会とは関係なく行うのだろうと思っていました。ところが教会を会場にしてすることになりました。これは私には予想外でしたが、長年教会生活をしてきたご主人とS姉妹の信仰の表明であり、それに息子たちが賛成したのでしょう。
 
前日の午後、私は牧師夫妻とともに、S姉妹のお宅へ伺い、納棺式に立ち会いました。驚いたことに、夫妻のマンションのお宅には、あふれるほどの人たちがいたのです。S姉は20年も施設にいたのですから、日ごろは忘れられた人で、お気の毒だとさえ思ってきました。もともとS姉は6人きょうだい、夫君も地方に一族がおられ、その関係だけでもかなりな人数になります。また、夫妻は男ばかり3人の子どもがおりますから、お嫁さん、孫たちも集まっていました。部屋の奥に、色とりどりの花かごに囲まれて眠るS姉はさぞうれしく満足したことでしょう。なによりも私はうれしくて、こうした場を設けられた神様に感謝しました。
 
3人のご子息たちは赤ちゃんの頃からご夫妻に抱かれて教会につどっていましたから、ふいっと、〇〇くん、□□ちゃんと自然に呼んでしまったほどで、ここ30年ほどの空白は嘘のようでした。告別式にはさらに多くの親族、知人が会場の教会に来られて、近頃にない大勢のお式になりました。S姉は、教会が設けていた幼稚園の初代の教師でしたから、地域からもかつての園児やかつての父兄が参列していて、それにはまたびっくりしました。私はその幼稚園の最後に奉仕した者ですので、懐かしいお顔にも出会うことができ、私まで恵みのおすそ分けに与りました。
 
S姉妹の蒔いた種が確実に成長しているのを目の当たりにして、考えることがたくさん与えられました。姉妹を通して働かれた神のわざは決して終わってはいない、種はさらに成長し続け、実をつけるはずです。種を蒔く人と、収穫をする人は違うでしょう。それぞれに担当があります。大切なことは働きを継続させることです。
 
S姉妹から働きをバトンタッチした者として、地域におられる隠れた主の種を見つけ、もし、なにか栄養分が足りないのなら施さねばなりません。それが後継者の働きの一つでしょう。さしずめ、私は一人の老女性と懐かしい再会をしましたので、できるだけ接近し、もういちど主の教会への道を整えたいと強く思い願いました。S姉の大切な人でもありましたから、天国で永遠の再会ができるようにと願います。もしかしたらS姉はその宿題を出して行かれたのかもしれません。ちょっと難題ですが、主に導いていただいて挑戦したいと思います。
 
『一粒の麦、地に落ちて死なずばただ一つにてあらん。もし死なば、多くの果を結ぶべし』
ヨハネ1224
 
 
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日々の風から あさき夢みし
日々の風から あさき夢みし
 
またまた猛烈な暑さの日々です。これを残暑というのでしょうか。パソコンに向かっていると、いつの間にか思考停止して朦朧としてきます。実は昨夜は明け方まで寝られませんでした。うつうつとしながら、なぜ熟睡できないのか、あれこれと考えていました。昼間、大したことをしていないので疲労がないせいだろうか、それもあるかもしれない。いつもは夕食前までにしているコーヒーを、それも一杯にしているのを、わけがあって、ついに4杯も飲んでしまった。しかも最後は牛乳をたっぷり入れて冷やして寝る前にもいただいてしまった、きっとあのせいだーーー。就寝前の読書に熱中して、眠気が来たのを無視して読み過ぎてしまった、あのせいだーーー、いや、この暑さが最大の原因だ、などなど。
 
忘れたころにやってくる寝つきの良くない夜は、最後には起き上がって座り直し、主の御名を呼んで祈ることにしています。祈ると言っても、暑苦しい嘆願の祈りはしません。私のそば近くにおられて、私を見ておられる主を意識しながら、首を垂れるのです。今日までのあのこと、このことを数えて感謝し、今日までのあの不足、弱さ、そむきの罪などを一つ一つお詫びします。ただ恵みによって今日あるのですと、パウロのように心の底から申し上げます。最後に、願わくは朝まで少しの時間、熟睡を与えたまえとお願いするのです。
 
夕方、ガレージに飛び込んでひっくり返った蝉の姿がちらついている間に眠ったのでしょうか、いつもより少し遅くなりましたが、すっきりと目が開きました。また新しいいのちを与えられ、生かされることに深い恵みを覚えます。ハレルヤ!
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日々の風から 私のサマースペシャル 留守番の日々
日々の風から 私のサマースペシャル 留守番の日々
 

先週はお盆休みと呼ばれる日本ならではのサマーバカンスで、天候不順な中にも大勢の人々が国の内外に出て行って楽しんだ日々でした。ふだんは我が子の寝顔しか見られないパパたちにとって、家族そろって時を共有できるのは貴重なことでしょう。子どもたちにとってもです。我が家の娘家族にもそんな日が与えられたのです。子どもたちはもう幼子ではありませんから、それぞれのスケジュールはパパ並みに?混んでいます。仕事を持つママも、です。昨年はどうしても調整できませんでした。今年は、ようやく数日間、工面がついたのです。国内ですが、往復でおそらく2000キロに及ぶ車の旅にトライしました。超エコ、超ハードです。もちろんオババは留守番です。もう、気持ちも体もついて行けません。しかし留守番と言っても私の生活はふだんとたいして変わりません。変わることは24時間一人になるのが数日あるというだけです。式に表わすと自由×自由です。この答えは何と出るでしょう。
 
自由×自由は特別な答えを出さないまま足早に過ぎてしまいました。週の後半には皆、戻ってきましたから、またそれぞれの日常が個別に進んでいます。夏休も後半です。学校は最終の週にはもう始まります。かつてのように夏休は40日ではないのです。せわしいことです。
 
かくして新しい週が始まりました。週明けを待っていたかのように電話が鳴り、教会の古い古い姉妹の召天を知らせてきました。二十年近くも施設にいたので、知る人も少なくなっています。お見舞いにもめったに行けないままでした。たくさんの思い出はありますが、寂しい限りです。教会での葬儀が決まったので、その時はしっかり参加して、姉妹を偲びたいと思います。
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日々の風から 私の69年前の8月15日
日々の風から 私の69年前の815
 
あの日のことで小さな記憶があります。
父は飛行機を作る軍需工場で働いていました。国から徴用になってねと、母から聞きました。
元の仕事から一時でしょうか離れて、強制的に社宅に住まわされていました。昭和188月生まれのすぐ下の妹は東京で生まれたのを覚えていますから、その後のことです。終戦は昭和20年ですから、社宅住まいはわずか2年足らずです。私はそこが社宅だとか父が戦争のための飛行機を作る会社で働いていたなど、何も知りませんでした。父は毎日すぐ近くの会社に出かけ、夜になると帰ってきました。夜勤の日もあったと聞きました。
 
ある日、忙しいはずの父が、午後まもなく帰ってきました。隣近所のおじさんたちといっしょに帰ってきたのです。とても変な気がしました。でも、なんのことやらわかりません。幼い私に父も母も何も聞かせてくれませんでした。私が記憶していないのかもしれません。父がいて、母がいて、妹がいて、うれしい気持ちでした。その日こそ8月15日だったのです。
 
母が突然、「今日からこんなものかぶせなくていいのよ」と言って、いきなり部屋の電灯の傘から黒い布切れをはぎとり、スイッチをひねりました。部屋が今まで見たこともないように明るくなりました。母の声は大きく弾んでいました。その声も覚えています。母はひどくうれしそうでした。父の様子は覚えていません。母がまた言いました「今日からは安心して寝られるの。もう空襲はないんだから」私にはそれが何を意味するのか解りませんでしたが、安心して寝られる、空襲がないのはうれしいことなのだと感じました。
 
69年目の敗戦記念日を迎えて、日本中で平和を願う声や祈りが込められた一日になりました。私は幼い子供ではありましたが、渦中を潜った父母のそばで、確かに1945815日を体験したことをたいへん貴重なことだと思っています。戦後の一年、一年は、記憶もしっかりしてきたのでしょう、たくさんの鮮やかな思い出があります。まとめつつある自分史に、書き続けています。
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日々の風から 東京大空襲 友人の詩
日々の風から 東京大空襲 友人の詩
 
敗戦記念日が近づいてきた。あの日から69年が経つ。私には広島と長崎の被爆体験こそないが、あの時、私はこの世に生を受け、幼かったが一人の人間として親に抱えられながらも生きていたし、多少の記憶もある。戦争はどんなことがあっても決してしてはならないと今も単純に固く固く信じている。最近の日本を始め世界の動き方に言いようのない不穏を感じ憂いている。
 
被災体験のある先輩の友人が小さな詩集をくださった。許可を得てその中の一篇を掲載しますからどうかお読みください。

 
空襲
 
あの日のことを
忘れることができません。
 
1945年5月24日の東京の夜
 
太平洋戦争が
日本の敗色に染まりつつあった日
中学生のわたしが
母と二人住んでいた街は
アメリカの
無差別爆撃にあいました
 
神国日本が負けることはない
攻められることはない と
教えられていた
日本の街が
焼夷弾で
真っ赤に燃え上がっていったのです
 
その焼けている街の中を
わたしは布団をかついで
母と
燃えさかる火の中を
一所懸命
大勢の人と共に
逃げたのです
 
人々は
逃げ惑いました
 
親が 幼い子を背負っていましたが
その子はすでに死んでいたのも知らずに
親は 子に話しかけながら
逃げていたのです
 
年寄りの夫婦は
遅い足取りで
手をしっかりと握って
とにかく 逃げよう と
少しでも
火がない場所を と
歩いていました
 
誰かが転んでも
かまっていられません
とにかく
人々は
逃げていました
 
わたしも
母を見失わないよう
逃げました
 
途中で
落ちてくる焼夷弾にあたって
倒れる人もいました
でも
かまっていられません
 
わたしは
必死で
母の背中を追いました
 
でも
 
あまりの火の粉に
思わず眼をつぶった時
母を見失いました
どこにも
母の姿は
ありません
火の勢は
私の声をさえぎり
煙は
母を隠してしまったのです
 
それでも
逃げねばなりません
止まったら
焼け死ぬだけです
 
逃げる人の後を
追って
必死に走りました
 
気がついたら
朝になっていました
 
そこは土手の上でした
人々が
集まっていました
でも
回りを見ても
母の姿はありません
   もしかして……
 
あたりは
焼野原で
残っているのは
大きなビルの鉄骨でした
 
わたしは
家に帰る道を捜して
重くなった布団をかついで
歩いていきました
 
帰って
母がいなかったらどうしよう と
不安な気持ちを抱いて
歩いて行ったのです
 
途中で
黄色の死体を見ました
また 全部焼けていなかったのです
真黒な
丸太のような死体もありました
これが人間なのか
と 思いました
 
泣き叫んでいる人もいました
泣く気力もなく
呆然としている人もいました
焼け残った木で
死体を焼いている人もいました
 
もし 母がいなかったら
 
  不安な気持ちは
  ますます 広がって行きました
 
でも
母は
焼けた家の前にいたのです
 
何も言わずに
ただ
手を握りました
 
あの時の気持ちは
今でも覚えています
 
何ものにもかえがたい
安心した
あの気持ち
 
それから
防空壕生活が始まりました
じめじめした防空壕の中で
つてを求めて 疎開するまで
二ヶ月
過ごしたのです
 
これが戦争だったのです
 
人が人を平気で殺す
いくさ だったのです
 
どうして
なぜ
 
見ず知らずの人間が
見ず知らずの人間を
殺し合うほど
憎まねばならないのでしょうか
 
教えてください
        詩集「流れ」T・K氏著より
 
 
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日々の風から 私のサマースペシャル どこかへ行きたい病




日々の風から 私のサマースペシャル どこかへ行きたい病
 
夏に限ったことではなく、私はいつもどこかへ行きたいのだ。なんと落ち着きのないことと、自分でも思うのだから、当然、人には笑われるに違いない。この放浪願望はどこからくるのだろうか。定住農耕民族を祖とする一日本人としてはおかしいのではないか。私の体内にはどんな血が混じっているのだろう。しかし、そんなに大げさなことではなく、深刻に考えることでもなく、要するに、暇人であり、楽しみを追い求める軽薄な人間なのだろう。そうした自己評価をしても、それを機に、どこかへ行きたい病が収まるわけではない。この病気につける薬はないのだろうか。
 
年に一度の、日本中の人たちが旅をする民族大移動と言われる大きなバカンスを前にして、ますます私の思いは募る。予定がないだけに欲求不満も入り混じってふだんよりいっそう落ち着かない。手軽な癒しを求めて、娘宅から周辺を駆け足で走ってきた。すっかり燃焼してきたので、当分は静かにしていられそうである。結局、どこかへ行きたい病は、どこかへ行けば治るのだ。
 
今回の旅でいちばん目に焼き付いているのは、豊かに伸びた稲である。まっすぐに、真っ青に、力いっぱい伸びていた。穂に実の入るのはこれからなのか。見渡す限りの青田こそ、日本の象徴であり、平和のシンボルに思える。農村にも厳しい世相の風が吹き、農家の方々も苦労が報われないことが多いと聞くが、せめて自然災害からは守られて、予定通り豊かな収穫の秋を迎えられますようにと祈ります。
 
今、台風11号が暴れていて、せっかくのバカンスが妨害されている。庶民の小さな楽しみが予定通り実現しますように。子どもたちが、日ごろ多忙なご両親といっしょに、貴い時を過ごせますように。何かと傷の多い子どもたちの心が家族の愛で癒されますように。今現在、どこかへ行きたい病から解放されたオババは、しばらくはじっと家にして、祈りの手をしっかり組み合わせ、神様の御前に進み出るつもりである。


 
 

 
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日々の風から 秋立つ日 夕空に秋の気配が!


日々の風から 秋立つ日 夕空に秋の気配が!
 
昨夜カレンダーを覗きこんだら、7日が立秋とあった。今年初めて出会った秋の一文字が新鮮だ。立秋も立冬と同じで、ぬか喜びの期待外れは承知しているが、どこかにその兆しはないものかと、朝から目を凝らして探した。
 
朝からギラギラ照りである。台風のせいか湿気の多い南風が強く吹きつけて、不快である。
外へ出たくない。昨日はどうしても用があって電車にも乗ったが、今日は禁足日とした。冷蔵庫を開けるといくつか足りないものがある。しかし、スーパーへも行くまいと決めた。一つ、二つ食べなくてもいいではないか。納豆がなくてもお豆腐があるからよいとしよう。
牛乳は切れたがヨーグルトがあるからそれでよしとしよう。などなどーーー。
 
午前中も、午後も、集中してパソコンに漬かった。気になっていたが苦手なので先送りしていた作表に挑戦した。慣れた人なら10分でできるだろうに、手探りだから10倍もかかる。
しかも悪戦苦闘、無駄な汗を流したにちがいない。しかしどうやら予想通りに仕上がって満足した。
 
ふと、空を見れば、そこには、確実に秋があった!!薄い雲が夕日に映えて薄紅色になびいていた。秋の兆しがあったのだ。今年最初の秋を垣間見て、最高に感動した。日足も確かに短くなった。夕闇を吹き抜ける風は冷気を含んでいるではないか。日中には、まだまだ当分、暑い暑いの嘆き節が口をつくだろうか、日暮れが楽しみになった。季節を導かれる創造主なる神様に、心を全開して感謝の祈りを捧げる。
 
 
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世相の風から 防げなかったのか二つの悲劇


世相の風から  防げなかったのか二つの悲劇
 
世相に吹く風はたいてい後の祭りの悲風が多い。多すぎると言ったほうがいいかもしれない。
後悔先に立たずであって、これが人間の限界なのかもしれない。だから当事者を責めたり批判したりするのが目的で書くのではない。ただ、やりきれない思いでいっぱいである。
防げたかもしれない貴いいのちを惜しまずにはいられない。
 
一つは高校生殺害の事件。加害者になった女子については、多くの前兆があり、警告があったそうではないか。解釈の難しい特異な出来事ではあるが、注意深く見れば、周辺ではいくつもの兆候があった。しかし、だれしもああなるとは思わなかったし、思ったとしてもどうしたらいいのか方策がなかったのかもしれない。24時間、その人の一生涯、付き添ったり、見張ったりしなければならないだろう。それは不可能なことかもしれない。
 
もう一つはSTAP細胞騒動のさ中のキーマンとなっていた笹井氏の自殺である。氏が精神的に疲れていたことが分かっていながら、事前にだれも助けの手を差し出すことができなかったのだ。よもや死に至るとはだれも考えなかったかもしれない。それほどに深刻で複雑な問題と言える。しかし残念でならない。お気の毒でならない。そこに行きつくまで、どれほど苦しみ抜かれたであろう。その孤独な苦悩のただ中に他人は踏み込んでは行かれないのだ。しかしもどかしい気がする。病み疲れ、生きる気力を失った心が痛ましくてならない。
 
 
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