人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 私のサマースペシャル 映画を観に

日々の風から 私のサマースペシャル 映画を観に
 
知人が急に声を掛けてきた、「映画に行かない?」。
「題名は?」
「大いなる沈黙へ」
「知らないなあ、でも、行く、行く」
かくて、神田神保町の岩波ホールへ出かけた。

道々聞くところによると、フランス・アルプスの山中にある「グランド・シャトルーズ修道院」の修道士たちの沈黙と祈りの日々をはじめて紹介するドキュメンタリー映画で、上映時間は約3時間。この映画を作るためにドイツのフィリップ・グルーニング監督が1984年に撮影を申し込んだ。許可が下りたのは16年後のこと。監督はおよそ半年間修道院の一員としてほかの修道士同様に独房生活を送ったそうである。
 
この修道院はカトリック教会の中でも厳しい戒律で知られるカルトジオ会の男子修道院。修道士たちは、藁のベッドと薪ストーブが備えられた独房で、それぞれ毎日祈りと瞑想をして生活する。互いに集まるのは朝と晩のミサ、日曜の昼食、会話は日曜の午後だけが許される。
あとは一切沈黙である。映画では作られた音はない。生活の音だけである。薪を切る音、散髪のバリカンの音、独房へ食事を運ぶ運搬車の音。廊下を歩く音。衣服の擦れる音。ミサの時の聖歌は楽器はなく、修道士たちの声だけである。

自然界の音は豊富である。修道院を取り巻く自然界の音はどんな名曲にも勝ると思った。風の音、とどろきわたる雷鳴の音もあった。いっさいの説明はない。ストーリーが展開していくことはない。ただ、あるがままが映るだけである。照明もない。院内の自然な明暗だけである。修道士たちはそれこそ黙々と日々の日課をこなしていく。淡々とである。悲壮な感じは微塵も伝わってこない。静寂の中にしっかりいのちが生きている。

 
プロテスタントの私にはカトリックの知識はあまりない。修道院の名は知ってはいても、内情は全く知らない。教会史で学んだだけで、日本にもあると聞く修道院を見学したこともない。しかし町では独特の制服に身を包んだ修道女たちをよく見かけるし、親近感は抱いている。神様のみ前に、清貧と労働と慈善の生涯を送る方々を立派だと尊敬している。
 
フランスのアルプス山中にある修道院のことは、カトリック作家の高橋たか子の作品を通して知っていた。興味も抱いた。私もそんなところでしばらく瞑想と祈りの生活をしてみたいものだとあこがれていたが、最近は、漠としながらも、しきりにそう思う。短期間でもいいから実現できないかと思っている。若い時のように活動力で神さまに仕えることが難しくなってきているので、これからは祈りをもって仕えたいと思う。いや、そんな大上段に構えたことではなく、神さまの近くに導かれ、深い静寂の中で主との交わりを喜び楽しみたいと思い願う。
もちろん、神様は遠いお方ではなく、信ずる者とともにおられ、我が内を住まいとしておられるから、山中に籠らなくても、家にいても十分可能ではあるが。
 
映画を観た限り違和感はない。あのように神様に近づく人たちが、清められた信仰でこのおぞましさに満ちた世界のために祈ってくれることを感謝している。祈りに没頭する人たちがもっともっと起こされることを願う。
 
この映画を一般の人たちが見るのもいいが、プロテスタントのクリスチャンに、ぜひぜひ観ることをお奨めしたい。クリスチャンと言えども、私たちの信仰生活になにが欠けているか、それが見えてくる。イエス様の願っていることのいくらかが分かってくるような気がする。聖書のみことばがはっきりと聞こえてくる。
 
 
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日々の風から 私のサマースペシャル
日々の風から 私のサマースペシャル
 
前回に続き夏休みの話になる。夏を迎えてももはやこの年になると今日から夏休みとのはっきりした色分けがあるわけではない。子ども時代のように山のような宿題があるわけではなく(今や、宿題は懐かしい)臨海学校、林間学校、部活があるわけでもない。迎えてくれるふるさともない。旅の計画もない。無い無いづくしである。しかし有り有りづくしの人をうらやましがるのはさもし過ぎる。老女の顔にしかめっ面は禁物、笑顔を絶やしてはならない。
 
家に静かにしていればいいではないか、そうなのだ、家に居ても不足はない。それでも十分である。それなりに、することは山のようにある。没頭するとあっという間に一日が飛んでしまう。でも、それではいけないとも思うのだ。人は植物ではなく動物である。人には大地にしがみつく根はない。どこへでも移動できる足がある。神様が深遠なご計画の中で与えてくださったものだ。老いた足は使わなければ急速に根と化してしまう。命の制限時間は一年ごとに短縮しているのだから、使えるのは今のうちだと、焦りもある。最近は、一日のうち、1,2時間は外へ出ることにしている。特別な予定のない日は、日ごろ心に留めておいたところへ出かけていく。電車を使いバスに乗り、気を入れて出かけていく。この夏は小さいけれど、私だけのサマータイムを過ごしたいと思っている。
 
その、サマースペシャルの手始めに、上野の西洋美術館へ行くことにした。上野は自宅から30分である。往復で一時間。館内はせいぜい一時間とする。長すぎると疲れるし、印象も薄くなるから。さて、特別展はさておき、常設展だけに限ることにした。いつも素通りしてじっくり見ていない。
 
入ったとたん、別世界が待っていてくれた。館内の整った空調のせいだけではない。空気の動き方が違う。時の刻み方が違うのだ。芸術家たち一人一人が命を注ぎ込んで制作したであろう展示品が作り上げる雰囲気なのだろう。ただ単に静かでゆったりしているだけではないと感じた。その空気が体内にじわっと滲みこんでくる。血液の流れが変わり、呼吸が変わる。
肩の力が抜け、背骨に弾力を感じ、心が軽く弾んでいた。館内は空いていた。ノートを手にした小学生たちが不規則な直線で動き回っていたのが、ほほえましいアクセントになった。
 
モネのスイレンの前の椅子にしばらく座って眺めつづけた。舟遊びの前では、ボートの二人の女性たちより、水に映った二人の影に惹かれた。あんな風に映るものかと、興味深かった。
見落としを承知でさっと引き上げた。また来よう、その時はじっくりとと、近々の次回来訪を秘めて希望に託した。
 
梅雨が明けて、いよいよ盛夏である。梅雨明けの頃は一番日差しが強いそうだ。熱中症が叫ばれている。暴挙は慎みたいが、臆病風の餌食にはなりたくない。そのバランスが問題だ。バランスは自己判断はできない。誰かに教えてもらうか、見ていてもらわねばならない。
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日々の風から 子どもたちは夏休み
日々の風から 子どもたちは夏休み
 
ごくごく幼かったとき、夏休みが近づくと特別に気持ちが高鳴ったものだ。『待ちに待った』夏休みだった。いつもとは違う一日、一日がうれしかった。自分の考え一つで自由に時間を使えることが魅力だった。と言っても、小学生、中学生のあのころ、どのようにしてひと夏を過ごしたか、あまりよく覚えていない。家族そろって避暑に出かけるなどと、私の周辺でもあまり聞かないことだった。両親の田舎へ行くのだとは、ちらほらと聞いた。
 
私にも母の郷里があった。まだ祖父母がいた。小学校5,6年生の頃になると、一人で行った。十日、半月もの間、祖父母や母の長兄の大家族とともに過ごした。母はその間に妹たちを連れてやってきたが、一日か二日で帰ってしまった。父はほとんど来ることはなかった。
仕事で明け暮れていたのではないかと思う。
 
中学生になると、長期では行かなくなった。自分の生活が忙しくなったからであろう。
私はよく一日の時間割を円グラフで作った。起床から就寝まで、きっちりと区切った。色鉛筆で囲ったり、塗ったりした。それが楽しみであった。ところが早々に計画通りに行かなくなる。そうすると不具合を修正してはまた新しい円グラフを作った。その記憶はこびりついている。
 
今、他から拘束される時間を持たない私は、一年を通して夏休みのようなものである。いっとき、退職した男性が、仕事から解放された日々を、毎日が日曜日などと言ったようだが、今や私は毎日が夏休みである。日々、この自由を感謝しつつ、楽しみながら有効に使わせていただいている(つもりだ)が、子ども時代の習慣だろうか、一日のスケジュールを立てないでは一日として過ごすことはない。円グラフまでは作成しないが、起床から就寝まで、太い柱が立っている。思わぬ朝寝をしたとか、思わぬ夜更かしをしたなどのハプニングはない。ごくゆるいプランであり、いまさら目の色変えて自分を縛ることではないから、苦痛を感じたことはない。身についた習慣なのだろう。こんなことはとりたてて言うことでもないが、子どもたちが夏休みに入ったと知って、思い出したまでのこと。
 
ところで、孫たちの夏休みであるが、昔のようにはじめも終わりもきっちりしていないようだ。今日は夏休みであり、休日なのに二人とも朝から制服姿である。聞けば、部活だという。お弁当に氷一杯の水筒を持って飛んで行ってしまった。家の中はいつものように森閑としている。ときどき学校に行かない日もあるだろうか、一夏こんな調子のようだ。
 
夏休みにはいつもは起きない事故がある。海の事故、山の事故などである。早くもニュースが入って来るが、今年は悲しい出来事がないようにと切に願う。まして、おぞましい事件は絶対に起きてはならない。凄惨な戦争が起きてはならない。飛行機が撃ち落とされはならない。何もできないおばばとしては、一日の時間割に、朝、昼、夜の祈りタイムをたっぷりと取り、孫たちを含む世界中の子どもたちのために祈り続けていくことにする。
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日々の風から 異常な疲労
日々の風から 異常な疲労
 
連日真夏のような暑さが続いているが、梅雨明け宣言はまだのようだ。近年はこんな大げさなことはなくなったのだろうか。ともかく、古い人間だから、はっきり聞かないうちは覚悟ができない。今からこんなに暑くては、本格的になったらどうなるのだろうと、中途半端な思いを抱えている。熱中症問題も声高に報道されているが、半日くらいの外出ならば基本的に水は持たないし買うこともしない。汗をかいても喉が多少渇いても、家に帰れば大いに飲めるのだからとがまんしてしまう。それが危険なのだと叱られそうだが、甘く見ているのだろうか。
 
眼科の定期検診に行ってきた。特別な異常があったわけではないが、ある時から通いだした。3、4か月に一度出かけていく。予約制で、担当医も決まっている。視力と眼圧は予備室で済ませてから主治医の診察を受ける。その前に瞳孔をひらく。これがうっとうしい。診察を待つ間にしだいに本が読めなくなる。受診後もしばらく不快感がつづく。
 
検査はずっと異常なしで来ている。白内障は進んでいるが、視力は普通に出ているからそのままでもいい、したければいつでもどうぞと、判断の難しいことをいつも言われるが、そろそろとの思いを引きずったままで腰が上がらない。
 
帰宅して、すぐにパソコンを入れたが、まだ瞳孔が正常に戻っていない。このまま無理をしてはいけないと自制しているうちに、どうしたわけがいつになく頭が重く、積極的になれない。異常な疲労感が襲ってくる。かすかにむかっとする。これは一休みしたほうがいいと、横になった。もしかして、軽い熱中症の症状だったのかもしれない。ギクリとした。
 
一休みがすばらしい回復剤になった。買い物がてらの近所ひとまわりを、一時間遅くした。陽が落ちたせいか、涼やかな風がそよいでいる。何とも快い風である。これではまだ梅雨明け前かもしれないと感じた。本格的真夏なら夜になっても熱風にまとわりつかれるのだ。
 
涼風は夜になってもそよいでいる。窓からほどよい勢いで吹き込み、カーテンと戯れている。なんと爽快であろう。扇風機も止めて、風に浸って楽しんでみた。昼間の疲労が嘘のように、体は軽くなり、頭は働きだし、心には雲がない。なんと感謝であろう。今日一日はこうして乗り越えることができた。安眠をいただいて、明日の朝はすっきりと目覚めたい。

 
『それゆえに明日のことを思い煩うな。
明日は明日みずから思い煩わん。

今日一日の苦労は一日にて足れり』マタイ6章34節
季節の風から comments(0) -
風の仲間たち  手術を拒否して
風の仲間たち  手術を拒否して
 
信仰歴も年齢も数年上の尊敬する友が、70歳を過ぎてから数回大きな病に見舞われた。
最初は脳梗塞だった。再発した。しかし数年をかけて治療とリハビリでほとんど以前と変わらない回復をいただいた。お若いころのように姿勢よく軽やかに歩く。多少歯切れが悪いが、はっきりと大きな声でスピーチもなさる。2年前は、筋肉の病気になった。この時は食事も摂れなくなりすっかり痩せて別人のようになり、筆談する始末であった。しかし頭ははっきりしておられた。全て乗り越えて回復された。
 
最近、顎にガンが発生した。正式な病名は忘れたが、ほほの下に大豆粒ほどの赤い腫物がある。最初、手術すると聞いた。しばらくお会いしなかったが、礼拝に見えた。兄は皆に報告した。名のある医療機関の2つ、3つで検査したが、一様にすぐ手術すると診断された。術後のリスクも調べたがどうしても手術する気になれない。リスクは日々の生活にかなり支障をきたす。この年齢まで生きてこられた、生かされてきた、もう、なにがあってもいい、だから、手術をしないことにした、この先は神さまにゆだねると、いつものようにきっぱりと、
しかし確信をこめて語った。患部は痛くも痒くもないそうだ。
 
私は厳粛な気持ちで友の決断を聞いて、しっかり胸に収めた。私だったらどうするか、今は何も言えないが、友の選択に大賛成である。潔い信仰の勇気に感動したのである。私は友のそばに駆け寄って、主の最善を力いっぱい祈るからと声を掛けた。
 
信仰のある無しに係わらず、決断はいつも個人の意志である。決断に至る過程において、信仰は大きな役割をする。生死を握っておられるのは全能の神であること、神のお心ひとつで、生かされもするし、死ぬことにもなる。人間の努力を越えた神の領域はお任せするしかない。愛である神様は、一人一人にとっての最善をなさるのだ。友にはそれが分っている。
何よりも貴い、心の平安をまずいただいている。大きな戦いに向かう友に、神様が備えた恵みであろう。
 
私は私の信仰で、このかけがえのない友が病魔から勝利して、まだまだしばらくこの地上に生きてもらいたいと、信頼する神様に命乞いをするつもりだ。
 

『私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません』
   ローマ
83739
風の仲間たち comments(0) -
日々の風から メタボ検査と空腹
日々の風から メタボ検査と空腹
 
年に一度の区からの健康診査が、いつの間にか特にメタボ検査に関心やら重心が置かれるようになり、かつては敬老の日を意識して9、10月に行われていたのが近年は春から始まる。
受診者が増えたせいかもしれない。
 
これから行ってきます。
あらかじめ分厚い資料が来ていたので、やおら開封し、チェック項目に目を通して印をつけた。かなり認知症を意識した設問があると感じた。高齢者にとってメタボと認知症が課題なのだろうか。認知症はさておき、いわゆる後期高齢者の方々にはメタボ、いわゆる肥満者はあまり見かけない。年相応に、枯れてくるというのか、痩せてくるのでないかと思う。ある書物には、体重の増加より減少に気をつけたほうがいい、カロリーを気にして、今の日本人は栄養失調の傾向が顕著だと書いてあった。
 
それはともかく、近くのかかりつけ医での受診であるが、朝食抜きで来てくださいと言われている。うっかり食べないようにと昨夜から気にしている。食べてはいけないとなると、いつもより空腹感が強い。これは一体どんな生理作用なのだろう。自分ながら滑稽だと思う。
 
体重、身長の計測から始まる。この二、三年、気になることがある。身長が縮んでくることだ。初めは計測間違いだと思ったが、聞くところによると、皆、縮んでくるそうだ。原因は背骨を構成する一つ一つの椎骨の間にある椎間板の水分が、加齢によって減少するからだそうだ。水枯れということである。老化の一現象で、ごくごく自然なのかもしれないが、縮んでくるのは悲しい。孫が2センチ伸びて、私が2センチ縮んだらその差は4センチ。目線の差は相当なものだ。孫がグングン伸びるのは誠にうれしいが、ますます見下ろされることになるが受け入れるしかない。さて、今年はどのくらい減っているだろう。悲しき結果を抱いて帰宅することになるだろう。
 
 
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旅の風から 文章合宿へ




旅の風から 文章合宿へ
 
所属している小さな会の書き仲間たちと、年に一度の旅に出た。題して『文章合宿』とした。
あいことばは『喜んで書き、楽しんで学ぶ』である。この会は『あかし文章をもってイエス・キリストのすばらしさを伝える』との鮮明な旗印を掲げている。主への奉仕がすべてそうであるように、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝しながらの歩みである。
 
昨年も同じ場所へほぼ同じメンバーと出かけた。6月の初めであった。今年は一か月遅い。
会場としてお借りする教会の都合でこの日どりになった。梅雨のさ中であるから天候が気になった。仲間たちはいわゆる高齢者が大半である。無理はできない。しかし導き手である神様にお任せして決行となった。
 
旅慣れてきたせいか、新幹線を降りた駅を最終集合場所とした。教会までは20分ほどローカル線を使うので、そこからはいっしょがいいねと決めた。東京駅から新幹線に乗る5名は待ち合わせして乗り込んだ。途中から在来線で間に合う方々もおられた。車組もあったが予定通り11時半には全員が教会に着いた。心配していたお天気も主のあわれみで日差しが与えられ、最初から喜びと感謝に包まれ、一同の顔には笑みがあふれていた。イエス様といっしょの遠足気分である。開会には『見よ。兄弟がともに住むことは、なんという喜び、なんという幸せであろうか』(詩篇133篇)を分かち合って、祈りをささげた。
 
せっかく旅に出たのだから、例会のように礼拝と学びだけでは物足りない。その地の名所のひとつくらいは見物したいではないか。昨年は、ちょうど新島八重のドラマがブームだったので、会津ではないが新島襄ゆかりの安中教会を見学した。今回は、妙義山ドライブを企画した。2時間もあれば十分である。ただし、お天気次第では中止も変更もありとゆるゆるのプランを立てた。つい先ごろ世界文化遺産に登録された冨岡製糸工場も考えたが、今は連日人の波だそうなので、今回は見送ることにした。
 
山頂を目指すドライブは翌日朝いちばんでと予定していたが、天気予報はあまりよくない。そこで、この貴重な晴れ間を活用して、昼食後すぐに出かけることにした。最初から遊ぶことにいささか気が咎めたが、祈って許可をいただき、出発した。車2台に12人が分乗した。
妙義山は赤城山
、榛名山共に上毛三山の一つであり、その姿の異景から日本三大奇勝の一つとされる。一般の山のイメージからはほど遠く、奇妙な形の岩がいくつもそそり立っている。山頂に近い場所に大きな駐車場がある。そこに車を止めて四方を見廻した。ほとんど人影はなかった。時々雲が薄く伸びて、奇岩の峰になびいていた。若いころ登山したメンバーもおられて、話が弾んだ。帰途は地域産物の直売場に立ち寄って、さっそくソフトクリームに挑戦し、さらに満足感を味わった。
 
いよいよ第一回集会を始めた。集会は明日の午前中の二回を含めて三回である。集会ごとに分担している司会者の誘導で、賛美、祈りと進めた。今回初参加の姉が特別賛美をされた。ふだんプロとして活躍しておられるが、今回は時間が取れ、参加された。会堂のピアノが動き出すほどのダイナミックな演奏とともに讃美歌を歌いあげてくださった。姉妹は翌日には、サプライズタイムとして、私たちにゴスペルを教え歌わせてくださった。
 
さて合宿の本命はそれぞれの作品の合評とそれに伴う学びである。作品の主題は『水』とした。ジャンルは問わずで、童話、エッセー、小説、詩文など、9作品が集まった。毎回3つの作品をテーブルに乗せることにした。様々な水が集まった。川の水、海の水、泉の水
しずく、和解の水、歳月の流れ、愛の水、試練の水、友情の水などなど。それぞれの人生から流れ出た水を、それぞれが持っている柄杓で汲み上げて作品ができた。
 
合評は温かい中にも文章作法にのっとった指摘や忠告もあって、弁解に苦慮する姿もあり、素直に感謝して受け入れる人もあり、黙って鋭い一太刀に耐える場面もありで、実利の多い時になった。ひとりひとりが、甘いも辛いも飲み込んで懸命に消化し、滋養高い栄養分として吸収したにちがいない。次作が楽しみである。もちろん私もその一人である。感謝。
 
夕方5時すぎに、車で数分の温泉街へ。昨年と同じ臼井川の川岸に立つ老舗旅館に入る。一年ぶりだけどひどく懐かしい。一年に一度同じ旅館を訪れるなんて、なんという贅沢なことと思う。温泉を楽しみ、絵に描いたような日本旅館のもてなしを満喫して、もったいなく申し訳ないような気になる。過分な主のお恵みにただただ感謝するばかりである。
 
夕食後は一部屋に集まって、昨年と同じように分かち合いをした。持ち時間は一人3分である。オーバーすると係の兄が湯飲み茶わんを軽く叩いて合図する。30秒がおまけにつく。
笑い合いながらも、皆さんひとりひとりが文章道への情熱を簡潔に、熱く、熱く語られた。信仰の友であると同時にさらにペンの友であることを実感、再認識し、たまらなくうれしくなった。
 
最年長の兄は数年後の88歳には一冊を出したい、日々励んでいると明かされた。81歳の兄も、書き溜めたものを整理して200ページくらいの本にする予定だと言われた。次々に具体的な希望や予定が飛び出して圧倒されてしまった。もちろん、主に生かされ、主が許し給うならばとの暗黙の大前提のもとであるが、それ故にこそ明るく大胆に言いきれるというものだ。
 
激しい雨の音を聞きながら就寝したが、朝は早朝から勢いよく光が差し込んできた。真っ青な空に夏雲が大きな塊で浮かんでいる。予報に反して上天気ではないか。一瞬、ドライブは今日の方がよかったかもと後悔したが、やさしい友たちは、昨日で正解、これでは暑すぎると慰めてくれた。日本旅館の昔ながらのきっちりした静かな朝食をいただいて、やおら教会へ移動した。
 
午前中はしっかり2回の集会である。途中のブレイクには熱いコーヒーとアツアツのピーチマフインが供された。予定通りプログラムは進み、無事完了した。一つの心残りもなく、最後のランチを囲み、こうしてかっきり24時間の合宿は終了となった。駅への車中から振り返れば妙義山はいくつものとんがった峰々をくっきりと見せてくれた。さすがに季節がら浅間山には出会えなかった。



 
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