人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- - -
旅の風から 一足遅い新緑の中に




      

旅の風から 一足遅い新緑の中に
 
このところすでに真夏である。都心の緑は初々しい新緑を過ぎて青々と深くたくましく成人の観がある。先日、緯度、海抜ともに高い地域を駆け巡った。さすがに緑は柔らかく若かった。鶯の声は完璧にホーホケキョと聞き取れて、心が弾んだ。
 
心に厚い雲を置き、胸を刺すあのことこのことが、新緑の中に溶けていく。いい加減にするつもりはなく、卑怯なエスケイプでもないつもりだが、そんなに根を詰めて悩まなくてもいい、心を広げてしばらく立ち止まって待ってみたほうがいい、そんな思いが生まれてくる。神様が自然界に担わせた役割であろう。自然を礼賛したり崇拝する思想はない。もっぱら創造主あっての自然界である。被造物としての新緑であり山々である。
 
 


 



旅の風から comments(0) -
日々の風から  あれから10年 検診に行って

日々の風から  あれから10年 検診に行って
 
病巣が発覚して、私も家人たちも仰天し、あわただしく手術、その後治療、今に至るまでの服薬の10年でした。しかし、病に完治は無いようです。今回もいつものようにいくつかの検査があり、結果を待たねばなりません。いやなものです。
 
とはいえ、ストレスの多かったのは最初の2,3年でしょうか。それを過ぎると、喉元過ぎれば――式で、自分の体と折り合いをつけながら、新しいマイペースでどうにか快適な日々を過ごしてきました。抱えている病の動静よりも顕著に体調、体力に影響を及ぼすのは、言わずと知れた老いの力です。このすさまじい万民的な現象との格闘の方が大きいかもしれません。格闘と言っても、具体的にどうこうするわけではありません。老いを認識するだけです。こんな風に人は老いて行くのだなあと、体感、実感して、受け入れていく、そのプロセスが忙しいのです。
 
昨日は大雨、大風でした。往路も吹き降りで傘の根元を抑えながらの歩行でした。病院内の1,2時間は午後だったせいか静かでしたが、久しぶりの院内雰囲気に浸りながら、やはり病院は来たいところではないなとしみじみ感じました。お見舞いには最近も頻繁にあちらこちらと行きますが、その時には感じない、妙に重いものを感じました。たぶん、10年前の必死だった時のことが、無意識下からにじみ出たのでしょう。ふと、自分の最後は、自室のパソコンの前で、作業しながら迎えたいなんて、考えたことのない願望を抱きました。
 
二週間後の検査結果の日を予約して外に出ましたが、まだ降りしきっていました。ときどき手や顔にまでしずくが跳ね返ってきました。悪天候がこの10年の象徴のように思えましたし、これから先のしるしのようにも思えました。だいぶ感傷的になってしまいました。
 
しかし、目を内側に転ずれば、そこにはイエス様の友情があふれていました。この10間、私に密着し、みことばを通し、臨在を通して、励まし続けてくださいました。さらに、医学を越えて復活のダイナミックないのちを与え続けてくださいました。人に、そんな病気をしたとはとても思えない、それは何時のことだったのですかと、いわれるゆえんは実はそこにあったのです。明日のことはわからなくても、今日、今この時を、100%生き抜くいのちをふんだんに注がれる主を讃えます。
 
しかし、私にとっては、神の近くにいることが幸いなのです。詩篇83・28
 
 
日々の風から comments(0) -
日々の風から ある3・11被災地支援活動を知って


日々の風から ある311被災地支援活動を知って
 
友人の教会を訪問した。主なる要件は被災支援のことではなく、次の機会にご紹介しますが、
支援活動の実際をこの目で見て、311への思いを新たにしました。教会は仙台市内です。
この地域は直接には地震や津波の大きな被害はなかったようですがインフラの混乱によって極端な不便を味わったそうです。
 
災害があってしばらくしてから、友人が、教会が支援活動を始めたことをたびたび知らせてきました。教会はすぐに支援センターを組織し、教会の隣接地に、支援専門のプレハブの施設を開所し、関東方面からの物資の受け入れや作業、奉仕者の宿泊ができるようにしました。
 
また、教会全員が奉仕に係わり、特に石巻に支援グループを派遣し、今も月に2回は交友のできた仮設を訪問し、配給や慰問、傾聴などの奉仕活動を続けているそうです。さらにその地域に教会を建設している最中で、近々常駐の牧師を派遣し、被災者の心身のケアーに務めるビジョンに向かっています。地方の一教会がここまでやるのです。頭が下がりました
 
姉妹が案内してくださったのでセンターに入りましたが、生活物資が山と積まれ、ダンボールがゴロゴロしており、現地へ向かう宿泊者もおられるようでした。現地からはいまだにトイレペーパーに至るまで物資のリクエストがあり、公の手の届かないところで苦労しておられる方々の声を聞き、手を伸べています。不公平が随所にみられるそうです。教会はそうした悲しい谷間を見つけては、ささやかではあってもきめ細かい支援を続けているのです。
 
当時の様子を写したDVDをみました。流された跡地の惨状をバックミュージックだけで写しただけのものでしたが、昨今はあまり目にしないあの頃の姿をまの当たりにしました。
しばらくは声も出ないほど胸に迫りました。なんと広大な地域が被害を受けたのでしょう。手付かずのままのところがまだまだ無数にあるそうです。それを知らないわけではないのでしょうが、国も、そして私たちも、何か知らないけれど、先へ先へと追い立てられるように
走っています。あの日のまま、時が止まったままの、苦悩する方々への意識が薄くなっています。風化させないでとの必死の叫びを、せめて、聞きつづけたいと思います。
 
日々の風から comments(0) -
世相の風から 歩きスマホに思う


世相の風から 歩きスマホに思う
 
街を歩いていてふと感ずることがあった。歩く人たちのスピードである。なんだかのろい。今までは、バッグが人に当たろうが、悲鳴を上げようが、そんなことなどものともせずに駆け去る若者が多かったが、その人たちがのろのろ歩くのである。見れば、みんなスマホを片手にして、画面に見入りながら歩いているのだ。は〜ん、原因はこれだなと納得した。しかし、危ない。危ない。迷惑だ、迷惑だ。
 
本人が何かにぶつかって、あるいは溝に落ちて、大ごとになるのも困るが、ぶつかられる方はもっと困る。年を取ってくると全体に力がないから、小さな外圧でも倒れてしまう。倒れたら一大事である。
 
今や歩きスマホは社会的に大きな問題になり、規制すべきだろうかとの議論も出ている。しかしである。罰を受けるからやめようでは、あまりに情けないではないか。幼稚ではないか。もっとも判断力、自制心などを育成中の小、中学生が問題を引き起こしているらしい。高校生以上は自己判断で使い分けるべきではないか。自制心の未発達な児童には持たせないことだ。いろいろ事情もあるだろうが、持たせないことが一番ではないか。
 
昨日、電車で、立っていた。立つ人も多かった。かろうじて吊革につかまっていた。突然、背中に当たってくる人がいた。電車が揺れたのだ。まともに背中に人間の体が当たった。いつもと違う当たり方なので振り向いた。すみませんと言ったが彼の手にはスマホがあった。
何にも捕まらないでふらりと立っていて、スマホに夢中だったのだ。普通なら、バランスの良い若者が少々の揺れで人にぶつかることはない。やはりスマホは大事な力を奪っている。
たかが電車の揺れで、若者が年寄りに倒れ掛かるとは、なんという醜態であろう。
 

しかし、怒ったり、批判したりしている暇はない。自衛しなければならないと思った。彼のそばから少しずつ離れた。そして改めてしっかり吊革を握った。スマホ被害をまともに受けて、自分が使わないから無関係では済まされない現実を知って、改めて考えさせられた。
 
一時期、自転車や車に乗りながら携帯電話をしている姿をよく見た。この時、なんて危ないことをと思ったが、今や視界を奪うスマホである。視界は20分の1に狭まるそうだ。自分の足元さえ見えないのだ。ホームから転落する。人や物にぶち当たる。なんということだろう。
 
それにしても、分からいのは、彼らはスマホで何を見ているのだろう。そんなにも心惹かれることがあるのだろうか。気になることがあるのだろうか。一日に何時間も見ているとか。大事な人生の時間をそれに費やしてしまうのだ。勉強するなど遠い世界のことなのだろうか。全ての人がそうなのではないだろう。しかし、総体的な現象であることには間違いない。
 
人には、歩きながら考えるというすてきな世界と時間があった。散歩は単に体のためだけではない。心にも頭にも新鮮な空気を入れるリフレッシュの時だ。だから人は用事がなくても無理にでも時間を作って歩いた。歩いていると、机の前にいるだけでは詰まって動かなかった頭や心が動きだし、すばらしいアイデアが沸いたり、心踊るインスピレーションを受けることもある。萎れていた心が立ちあがることもある。
 
スマホ片手に、スマホを見ながら散歩することも、これからの人たちにはあるのかもしれない。それはそれとして、少なくとも、人通りの多い場所では謹んでいただきたい。今シニア向きのスマホが売り出されているという。まさかシニアが歩きスマホなどという器用なことはしないだろう、したくてもできないだろうが、おもわぬ事故が増えるかもーーー。
 
 
世相の風から comments(0) -
世相の風から ネット検索サイトの不具合でおろおろ
世相の風から ネット検索サイトの不具合でおろおろ
 
なにがどうなっているのか分らないまま、そこからメールやネットに入ると危険だと、友人知人から忠告の声が届き、慌てふためいた。なにしろ入口で事件発生なのだからどうしようもない。ところが中に行きたいのだ。やりかけのことがある、連絡が入ったり、したりする必要がある。
 
代替の入り口を作る手段があると教えられて、聞き慣れないカタカナ語を頼りに、恐る恐る新しい入り口を作ることができた。にわか大工さんである。すぐにでも我が家に入れると思ったが、鍵を新しくしなければならない。あの部屋、この部屋に行きたいのに、いちいち関所がある。その準備をするために疲れ果ててしまった。
 
ふと、今まで何気なく出入りしていたエリアが、ファンジーの異次元の世界だったような気がした。ちょっとしたことであっという間にすべてが消えて、着の身着たままで原野に放り出されたような、恐ろしさとむなしさを感じた。私の場合はあまり関係ないかもしれないが、
今まで築いてきたものが、破壊されあるいは盗まれ、悪用されることもあるとか。もろくて恐ろしい世界に、無知なまま、めくら蛇におじずで、遊んでいたのだ。
 
のど元過ぎればーーーで今は新しい入り口から入ることも新鮮に思え、日々に慣れて、いつものように駆けずり廻っている。愚かだとは思いつつも、やめられない。中毒かもしれない。
GWの前半はそんことで過ごした。肩はこりこり、腰も痛い、それは続いている。
 
 

 
世相の風から comments(2) -
CALENDAR
S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< May 2014 >>
PROFILE
MOBILE
qrcode
COMMENT
ARCHIVE
RECOMMEND
美しき姉妹たち
美しき姉妹たち (JUGEMレビュー »)
三浦 喜代子
最新本です。
ぜひお読みください。
SPONSORED LINK