人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 梅は夢をはらんで

















 

近所の香梅園の梅花が気になっていた。小さな神社の入り口の一画にある。まさに猫の額ほどの広さである。人の家の庭ともいえる。名が広がるにつれて新しく植えたのもあるのだろう、最近はあちらこちらに宣伝のポスターが貼られている。しかし、入場料もなし、売店もなし、休み処もなしである。ご自由にご勝手にご覧あそばせというところか。

 

2月の束の間の春の日の、春を告げつる観梅のひとときに、心弾み、心うれしく、一冬の無事を感謝した。下手なカメラをかざしながら。梅の一輪、一輪に、はちきれそうな夢が潜んでいるようで、我が夢と重なって楽しかった。

 








 
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日々の風から 束の間の春か
  束の間の春か

 

最高気温をにらんでいる。10℃以下は真冬だ。10℃以上の予報を知るとすでに体が軽くなるから不思議である。もちろん心もである。今日の予報は13℃。目覚めたときからすでに部屋の空気が違うのがわかる。目覚めも素早いし、床から早く起き上がりたくなる。このところ悩んでいた左肩や腕がらくである。痛いところがあると、大病の兆しではないかと不安を抱えるが、温かさとか、短期間で消えると、気温せいや単なる筋肉痛だったのだと安心する。おかしなものである。

 

一日延ばしにしていた手続きをするため郵便局へ行く気になった。外へ出てみたいのである。


放っておいた花壇にも念入りに水をやり、枯葉や咲き終わった花を摘み、もう少し賑やかにしたいなどと思いが走る。少し動くと、着こんでいる衣服がうっとうしい。一枚減らそうかとも思うが、いや、まてまて、夕方はどうなるかわからない、この冬も、ここまで守られた体調をもう少し維持し、春につなげなければいけないと言い聞かせる。


さて、午後からは返却期日の迫っている本をしょって、図書館に繰り出しましょう。

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日々の風から 落ち着かなかった一週間
 

落ち着かなかった一週間

 

先週末からの大雪が各地に予想もしなかった大きな被害をもたらしました。雪国ならまだそれ相応の備えもあるでしょうが、何十年ぶりとか、観測史上初めてという言葉が飛び出す場所ではそのうろたえは大きいものだったでしょう。うろたえどころか、命さえ落とす事態になったのですから、ほんとうにとんでもないことが起こったのです。報道に釘付けになった一週間でした。降雪の被害はまだまだ解決していません。雪が溶けてもなお傷跡は残るでしょう。特に農家の被害は痛ましい限りです。

 

おりしも、四年に一度の冬季オリンピックのまっ最中。日本代表で出場する敬愛する選手の皆様の健闘を願って応援したいです。さすがに深夜の放映は観ませんが、ニュースには時間を割いてしまいました。改めてスポーツ競技の厳しさを感じました。ふだんどんなに旨くできても、本番でミスったら取り返しがつかないのですから。やり直しなどないのですから。浅田真央さんが転んだとき、しみじみそう思いました。しかし、金メダルだけがすべてではないこと、金メダル以上の感動があることも知りました。スポーツ観戦はそうしたスピリット豊かなものでありたいと思います。選手たちも同じ弱き人間なのですから。

 

明日は2月最後の礼拝です。2週間続けて足を奪われた教会が、明日は元気な笑顔の信徒たちであふれますように。語られるみことばによって多くの方々が励まされ慰められ、魂に力をいただき、神様をほめたたえられますように。

 

苦難の日には私を呼び求めよ。

わたしはあなたを助けだそう。

あなたは私をあがめよう。

詩篇50・15

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日々の風から 雪の被害で孤立状態にある友人たちから
 

雪の被害で孤立状態にある友人たちから

 

今回の被害は単に雪が多いから大変というレベルのことではないのは、報道から思い知らされたことです。安中と山梨県北杜市に住む近親者からはほとんどSOSの叫びが、仙台の友人からも悲鳴が、唯一、メールのやり取りで届いています。一大事件のところは救助隊が真っ先に入るのは当然ですが、小さな暮らしの真ん中にまではいきとどきません。

 

車は姿が見えなくなるほど雪に埋もれ、人の手による雪掻きのレベルではないそうですが、それでも必死に掻いて家の外に出ても、路地もその先の一般道も雪の中。出るに出られず、訪れる人ももちろんなしで、精神的にも苦しいと。パニックとはこういうことだと思いました。北杜市からは、思考が停止しそうだ、介護者を抱えているが、受けているサービスはストップされ、雪掻きもあってダウン寸前だそうです。地方は車社会ですから、道路がないのは命を切られるようなものでしょう。長靴はあっても、膝上の雪の中では役に立たないと。

 

市町村は除雪車を豊富に備えているわけではなく災害対策も貧弱です。こうした場合は国が大規模に乗り出させねばならないでしょう。3.11以来、自然活動が変わってしまったようで、昨年の酷暑や台風、豪雨など今までになく激しいです。自衛隊はこうした危機にこそ活躍していただきたい。もっと迅速に対応していただきたいと腹立たしいまでに思います。隣近所の助け合いで何とかしのぐのも大事ですが、近代国家なのですから血の通ったやさしい目が隅々まで行きとどく行政力を強固にしていただきたいと痛感します。

 

 

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日々の風から 再び大雪 金メダルと転倒骨折とインフルエンザ
 再び大雪 金メダルと転倒骨折とインフルエンザ


まさか今週もとは正直思いませんでした。しかも先週にも勝る現象です。雪に雷なんて、ここはどこかしらと、一瞬疑うほどでした。異常気象なのでしょうか。

 

今朝、羽生選手の金メダルを知ってうれしくなりました。彼が仙台出身で、311を経験していると知って、東北のためにも入賞してほしいと願いました。よかったです。オリンピックは世界の大舞台ですから、そのプレッシャーは計り知れないものがあるでしょう。その重圧によく耐えて、堂々と演技してくれました。しかし、氷の上って、だれもが転ぶんですね。選手たちが転ぶ姿を見て驚きました。世界的選手でもああいうことがあるんだと、厳しい面を知りました。ジャンプの高梨さんは本当にお気の毒でした。彼女にもぜひ勝たせたかったです。これからの道のりは厳しいでしょうけど、英雄の苦しみに耐えてもっと大きく花開かせてほしいです。

 

長年の親しい友人が先週の雪で、そのさなかではなくて、数日後のおうちの前で、滑って、尻もちをつかれ、手をついて全身を支えたらしく、検査をしたら手首を骨折していたと連絡をいただきびっくりしました。すぐにギブスを巻かれ、様子によっては手術するかもしれないそうです。日常の不便さをお察しするとお気の毒でなりません。老いのせいばかりではないでしょうが、これはほんとに他人事ではないと、肝に銘じました。しかし、事故はどんなに気をつけても思わぬところの一瞬の出来事です。一秒前まで考えてもいないことが起こるのです。どうしたらいいのでしょう。

 

また、降りましたので、明日の礼拝の道が守られるように祈ります。買い物のお使いには行きません。いえにあるものを工夫して食します。友人たちとPCメールや携帯メールで安否を問い合い、慰めたり励まし合っています。これは感謝な方法です。老女は籠城よ、などと言い合いながら。

 

Mちゃんがついにダウン。クラスでは大勢の生徒たちがインフルエンザで欠席していると聞いていました。Mちゃんは免れていたのですが、昨日から94分まで高熱になり、検査の結果、B型だそうです。ちょっと辛いけど、じきに跳ね返して元気になると信じ祈り願っています。私は娘から面会謝絶とマスク着装を申し渡されました。冬との戦いもすさまじいです。

 

 

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日々の風から 45年ぶりの大雪 非日常の一コマから
 45年ぶりの大雪 非日常の一コマから


ついに降りました。こんどこそ予報は的中でした。的中どころか、16年ぶりが45年ぶりまで更新され、大いに驚き、あわてました。あわてたのは、翌日が日曜日だからです。教会に行く日です。私は教会が隣のようなものですから、慣れない雪上歩行ですが、なんとか行けるでしょう。しかし、車や電車で遠方から来られるあの方、この方を思い浮かべます。どうするのでしょう。休めば簡単ですが、そんなに簡単に答えは出せないでしょう。

 

我が教会は会員が責任を負う総会を予定していました。それが大きな問題でした。降り続け積もり続ける状況から、役員会は延期の決定をしました。すぐに連絡網で全員に通達され、この件はこれでひとまず落着しましたが、礼拝人数はいつもの半分ほどでした。顔ぶれを見ると、教会周辺の方ばかりです。少し遠くても同じ区内でいつも徒歩や都バス使用の方です。車の方々は来られませんでした。さらに、その車で送迎のお世話を受けている高齢者の皆さんも来られませんでした。無理からぬことです。

 

しかし、記憶をたどってみても、礼拝が雪に直撃されたことはなかったように思います。近年、思いがけない自然災害が頻発していますが、これもその一つかと考えさせられます。いつ何が起こるかわからないと、そんな不安の思いに駆られます。雪が降ったら家に籠城すればいいと、それで過ごしてきましたが、どうしても外出しなければならないことがあった場合の備えはしていないのです。雪道のために長靴くらいは必要だと思いました。とうとう母の杖を捜し出し、杖を頼りに一歩一歩ゆっくりと教会へ行きました。なにやら○年後の自分をみているようで楽しくなりました。


雪が降れば雪掻きがついてきます。これも慣れていませんから道具がありません。昨年も積雪量はさほどではありませんでしたが、雪掻きをしました。今年は数日前に娘がシャベルを買いましたので、早速それが大活躍をしました。掻き手はS君です。吹雪いている最中から飛び出して、路地に歩ける道をずっと先まで作っていました。半分は雪を楽しんでいるのですが。日曜の朝はいつもよりずっと早く起きて、私の教会への道を、通りへ出るまで作ってくれました。おかげで助かりました。

 

教会も周辺全面はできなかったようで、礼拝後、男性たちが老いも若きも総出で、しました。やはり道具が足りません。塵取りやらその辺の板切れなどを使っていましたが、45年に一度あるかないかではありますが、多少の用意は必要です。教会は公的な存在ですから、周辺ぐるりときれいにしたいなどと、手は出せませんが考えたことです。ついでに雪だけでなく危機管理の体制も教会は備えておくべきではないかと、思ったことです。


3.11のとき、被災地の教会は、自らも被害の中にありながらも、施設を開放し物資を分け合ってできるだけの援助をしたと聞いています。そのことから地域の方々との関係が深くなり、信頼されるようになったそうです。それは今も続いるそうです。45年ぶりの大雪は非日常の存在を教えてくれました。一つ、二つは実行したいです。

 

 

 

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日々の風から 立春寒波にめげず

 

 

立春寒波にめげず

 

立春寒波とはよくぞ言ったものだ。立春を境に真冬に逆戻りである。数日暖かかったので体感する反動は大きい。文字通り震え上がった。しかし、前からの約束で上野の都美術館へ行った。今は『世紀の日本画展』の前期を催している。日本画に思い入れがあるわけではない。絵画音痴である。でも、名画の前にたたずめるのは贅沢ともいえる幸いだ。それも本物である。作者も日本を代表する人たちである。心打たれ、心鎮められ、心洗われ、心楽しんだひとときであった。耳底に残る画家たちが大勢おられた。狩野芳崖、菱田春草、横山大観、下村寒山、前田青邨、小倉遊亀さんなどの作品とまじまじと相対した。

60点余りの大作が展示されていたが、絵画音痴の私が楽しく深く見とれたのは、横山大観の『紅葉』6曲1双、屏風のようだ。それと、小松均の『雪の最上川』2曲2双、一枚絵ではなく上下4枚に、白と黒で雪景色が広がり、壮観であった。

 

真冬の上野はさすがに人影が少ない。館内も閑散としている。それだけにゆったりと鑑賞で来た。こうした展覧会があまり好きでないのは、人が多すぎることが大きな一因なのだ。人の頭を見ているような時もある。大行列だと流れに沿わなければならない。さっと通りたいところもあるし、じっといつまでも観たいものもある。自分流ができないとつまらないところでイライラし心のリフレッシュにならない。しかし、今日はよかった。そのかわり外は猛烈な寒さであった。前日の雪がうっすらと残っている。さすが上野は山である。見難い光景に出会えた貴重な体験になった。

 

もうひとつ珍しいものに出会った。桜が咲いていた。梅ではなく桜である。一本だけである。名を見れば『寒ざくら』とあった。桜で有名な上野の山が満開になるのはあと一か月足らずであろうか。しかしその時はあまり行きたくない。桜より人の方が多いから。ちらりと見えた不忍池は、一面ハスの枯れ姿でうずまっていた。

 

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日々の風から 二月の過ごし方
 

二月の過ごし方

 

今年の冬の寒さは並なのだろうか、それとも特別なのだろうか。冬だからこんなものではないかと思ったり、寒すぎると思ったりもする。しかしまだ雪らしい雪が一度も降らない。昨年はすでに降った記憶がある。そうこうしているうちに早や2月を迎えた。寒さの底はこれからと聞きつつも、2月の声を聞き、4日は立春である。季節は確実に進んでいる。それだけですでに心は弾んでくる。いい気なものである。ところがこんな文章に出会った。

 

幸田文の一文を引用します。

「二月はものがしいんと、うつ静まる月。――――――二月はしいんと心うち静める月。一年は十二の月のあつまり、ひと月ひと月に季節もめぐるし、もの事も変わるし、各月各様の特徴がある。一年のうちに一度しかまわってこないその特徴。六十年の人生なら、たった六十回しか経験できないその一ヶ月一ヶ月。おそろかに行きすぎないで、二月は二月の特徴を知ろう。­­­­­―――――新年のせわしなさ、楽しくはあったが、身も心もざわつき通し。二月はしいんと打ち静めて、身を休め、こころを深くする月である」

 

読んだだけでこころがしいんとしてくる文章である。私などはちょっと暖かい日があると、うれしくなって梅は咲いたかな、木の芽は膨らんできたかなどと、そわそわとついついせわしく外へ飛び出してしまう。二月にして、すでにこうなのである。身を休めるどころではない、こころを深くするどころではない。ガサツな人間が丸見えである。

 

「二月はしいんと打ち静めて、身を休め、こころを深くする月である」

なるほどと思う。人の中にいようと、雑事に囲まれていようと、身を休め、こころを深くするすべを身につけなければいけない。つとめて身を休め、こころを深くしなければいけない。

私にとって何十回目かの貴重な2月である。文さんの言われるように、「しいんと打ち静めて、身を休め、こころを深くする月」にしたい。小さな努力でできるのではないだろうか。

 

 

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