人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- - -
日々の風から 九月を送る

 


 

9月は夏と秋の二つの季節が本気でぶつかり合う一騎打ちの場なのだ。今年は特に双方とも荒々しく出会い、すれ違った気がする。夏もしぶとかったし、秋もそっと品よくやってこなかった。あの台風は夏の産物だろうか、秋の足音だろうか。仲秋の名月の夜の満月の輝きは正真正銘の秋だろう。夏はすでに過ぎ去ったのだ。朝夕の気温が20度を切った。

 

 

いよいよ10月、秋たけなわを迎える。家庭では、暖房も冷房も使わない、いちばん感謝な月である。熱中症やインフルエンザなども鳴りを潜め、比較的体調管理も神経質にならなくてすむ。初夏5月と10月は一番ほっとする。思えば、春夏秋冬、1月から12月まで、季節、季節、月々の表情を窺いながら、それに合わせて生活するのが基本と言える。時代が変わっても、地球上にいる限り大差ないのではないか。天地創造の初めから定まっているのだ。

 

明日から23日で、金沢へ行きます。所属する学び舎の研修旅行です。テーマは『キリシタンの足跡と兼六園を訪ねて』です。加賀藩前田家には有名なキリシタン大名高山右近が客人格で匿われていました。後に家康のキリシタン国外追放令に従って、加賀を出て、長崎からフィリピンのマニラに逃げ、かの地で亡くなります。どのような圧制にも屈せず、裸の身一つになっても信仰を捨てなかった右近の生涯には深く胸を打たれます。右近と家族、志を一つにする人たちの苦難の足跡を厳粛な思いで学んできたいと思います。

 

 

 
日々の風から comments(0) -
日々の風から 三連休の賑わい・私の初日




今は、
92回目の三連休である。先週は台風18号が暴れていた。被害も大きかった。

 

ずっとキリスト者として信仰中心、教会生活中心で生きているから、世の中のカレンダーは横目で見るだけで、しるしのある休日めがけて、レジャーや帰省などの計画を立てる習慣はない。もっとも東京土着人間には帰る故郷さえない。無い無いづくしのそんなこんなで、世の賑わいを肌で感ずることは少ない。さらに、こうした時期は意図的に在宅に徹することが多い。

 

三連休の初日、我が家の在宅組は中一生のMちゃんと私の二人になった。婿殿は会社である。いつも仕事が山積しているらしい。自主出勤のようだ。高一生のM君は部活で学校へ、娘は23日教会バザーの準備で、大きな荷物を山と積んで教会へ走った。Mちゃんと在宅組となったが、Mちゃんも忙しい。ピアノのレッスンに行って、ブックオフに行って、図書館に行くという。最後に、JR駅ビルの食堂街にある老舗のてんぷら屋さんで、バザーの焼きそば用にあげ玉を買うように頼まれているそうだ。そこで、ブックオフからMちゃんと同行することにした。図書館とブックオフは揚げ玉のJR駅とは正反対の方向である。道順も考えて、図書館方面を先行することにし、都バスに乗ることにした。

 

朝一で、自転車でピアノの先生宅に出掛けたMちゃんはあっという間に帰ってきた。もちろんすべてを終えてである。その素早いこと、風のようだ。

「じゃ、お昼前に出掛けて、どこかでランチする?」

「ママがお弁当作ってくれてるから」

なるほどーーー。でも、楽しみが一つ消えた。

「じゃ、おひる済ませたらじきに行くことにする?」

「う〜ん。暑いよ。それに、シンクの洗い物をしとくように言われてるから」

 娘は最近Mちゃんに家事をよく頼んでいる。

「そうなんだ、じゃ、がんばってね」

私は手を出さない。無理にでもひっこめる。

 

ようやく都バスに乗って3つばかり先のブックオフへ。

「何か買うの。私も文庫本でも探すわ」

「立ち読みするの。ちょっと見たいマンガがあるから」

「へえーー」立ち読みって?!

「店員さんに叱られないの」

「大丈夫。ただ、ママに、とうさつに気をつけなさいって言われた」

「とうさつ???」

「盗撮よ」

「ああ、そんな人がいるんだ。よし、Mちゃんの周りを私がうろうろすることにする」

「うん」これだけはすぐに返事があった。

 

ブックオフにかれこれ30分ほどいたであろうか。私は100円の文庫本をよくよく眺めまわしたが読書欲をそそられるものには出会わなかった。それに、これから図書館へ行くのだから荷物が増えるのは困るのだ。店内には立ち読みらしき女子たちがいたし、休日だからか、子連れもちらほらといた。どんな人が盗撮するのだろうかと、それとなく視線を散らしたが、いたとしても私のふしあなの目にはわからないだろう。

 

歩いて図書館へ。Mちゃんの背には大きなリュックが乗っている。返却本である。私も二冊提げている。本は重いものだと最近つくづく思う。Mちゃんはネット予約だから、さっさと所定のコーナーの棚から引き出して、貸出機で手続きを済ませた。これから4階のキッズコーナーで雑誌を読むという。私は例の幸田文全集の二冊を返却し、3階でまた続きを借りた。全集もちょうど半分に来た。今日は13巻目と薄い文学アルバムにした。全集二冊を提げて、もう一か所廻るのは重すぎる。


待ち合わせた4
階のキッズコーナーはさすがに席があった。大人の閲覧席は今日も満席だ。
中三生だと思われる女子が数名勉強していた。さすがに静かだ。受験勉強だと思った。Mちゃんは隅の席で、少女雑誌というのだろうか、家では買わない本を繰っていた。ファッションも出ているようだ。そうしたものにも大いに興味があるのだろう。ひやっとしないでもないが、無菌状態でもいられないだろう。よいものわるいものを見分ける力が与えられようにと祈るばかりだ。

 

東武線でJR亀戸駅へ。最後の仕事、揚げ玉の大きな紙袋を提げて、予定通りすべて終了。

「スタバでお茶して帰ろう」

「やったー!抹茶フラペチーノにするっ」

「家を出てからどのくらいになるかな」

「まだ2時間ちょっと。早いね」

「ここで少し休もう」

私はシンプルで、ドリップの軽めのSサイズ。

それぞれ借りてきたばかりの本を取り出した。

「携帯、貸して。ママに連絡する」

Mちゃんはまだ持たせてもらえない。しかし人の物でも巧みに使いこなす。iphoneもお手の物、時代の子である。

「ママったら、お茶、いいね。私も入りたいって」Mちゃんはにっと笑った。

「いつ帰るんだろう。夕飯はどうするのかな」

「遅くなるだろうって。行きの渋滞はすごかったらしい。夕飯はパパがしてくれる」

「そう―――」

家族のチームワークはよくできている。

う〜ん、私の出る幕はないのだ。それでよしであるが。

 

おもえば、父の招天後、母と私の暮らす古家を二世帯住宅に建て替えて長女ファミリーと同居して14年余りが経つ。みんなで母を在宅で看とり、私が一人になって5年になる。孫たちが小さい時は私もかなり長女ファミリーに接近していたが、あまりおばばが大きな顔をしているのはいろいろな意味でよくないと思った。出せば出せる手も一つ一つ引っ込めた。今はごく自然に二世帯である。長女ファミリーは夫婦と子どもがしっかり良質の絆で結ばれていると思う。また、それを祈り続けるのが私の大きな仕事ではないか。

 

ふと、外を見ると、親しい友人らしき姿がある。こんなところで会うのは珍しい。飛んで行って声をかけた。「あらッ」「どうしてッ」とのことで、姉妹は時間があるようなのでお交わりすることにした。

「Mちゃん、先に帰りなさい。パパもじきに帰るでしょう。私はしばらくここにいるから。大丈夫よね」
「うん。毎日通ってるもん」
Mちゃんは本のリュックを背負いなおして立ち上がった。ここは通学途中の駅だから問題はないだろう。そのあと2
時間ほど、姉妹と積もった話に熱中した。めったにない良い時だった。

 

三連休の初日は、Mちゃんとのデート、友との再会と、神様から二つも楽しいプレゼントをいただいて幸いであった。

 

 

 


日々の風から comments(0) -
日々の風から 萩のトンネル
 

 



 
 




抜けるような青空とは、快晴のたとえによく使われるが、今朝、秋晴れの空を見上げて、ふと、なにがどこへ抜けるのだろうと考えてしまった。そうではなくて、透き通ったということらしい。今朝の青空にはどこを探しても雲の姿はなかった。空全体が青に染まっていた。その青もひどく明るい。台風で大気のゴミが吹き飛んだからだろう。陽がまぶしかった。

 

こんなにお天気の良い日で、約束のない日はめったにない、家にいるのはもったいないと、ふっと体が持ち上がって外に出た。頭の片隅にひらめく行先は向島百花園。知る人ぞ知る下町の名所である。今は萩のトンネルが賑々しいだろう。それを見てこようと、都バスで5つほど先へ急いだ。ミニ散歩、エコ散歩である。今年は春にも来ている。園の歴史は古く、200年も前である。広さは約3200坪。下町のど真ん中なので周辺は閑静とは言えない。


良く知っている旅行社のワッペンを突けている人たちがいた。観光バスだろう。人影は多かった。樹木も花もさりながら、私は人を観察する。さすがに方言は聞こえてこない。ぶらりと訪れた人が多いのだろう。かなり高齢の方々が多かった。身内の方に庇われ杖を突いてゆっくり散策する老女性もおられた。単身の老人男性が多かった。三脚付の立派なカメラを持っている。背には小さなリュック。女性たちはほとんどカメラを持っていない。時たま携帯で写す程度。しかし男性たちは本格的なカメラを据え、時間をかけて花や木を撮っている。カメラは男性の楽しみなのだろうか。

 

藤棚の下のベンチに腰を下ろしてしばらく休憩した。なんとのんびりとした豊かな時間であろう。陽は強いが空気は乾いてさらりとしている。なんとも快い。座る方がたはおもむろに水筒を傾けて何か飲んでおられる。おにぎりの男性もいた。

 

私は?地元人間ですから、帰宅してから昼食です。それにエコ散歩ですから。

 

親友にメールしたら、もう少し遠方の庭園に走っている途中とか。この秋空だもの、出ずにはいられないのだ。季節が移って寒風が吹くころになれば、ぶらり散歩というわけにはいかない。こんな良い時は束の間のことだ。まるで人生の縮図のようだ。

 

伝道者の書から

『見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。 実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日々の風から comments(0) -
日々の風から 暴れまわった台風18号

 

今回の台風には発生当初から釘づけにされた。秋台風だから太平洋上を行ってくれるものと思っていたが、進路は北へ北へと向かう。しかも、発達しながらと、聞き慣れないおまけつきで進んだ。早く東へ向かってくれないかと願っていたがそうはいかなかった。空気はねばねば、蒸し蒸し、体にまとわりついてくる。これは海へは行かないなと変な確信が来た。

 

それというのも、今ほど気象情報がしっかりしていなかった戦後まもなくから何度も痛めつけられてきたからだ。〇メートル地帯と蔑視された東京下町は、風にも水にも弱かった。強風が吹く度におびえた。激しい雨になると、浸水した時の恐怖と後の不衛生が思い出されて身が縮んだ。しだいに、台風の正体や進路による気象の状態を肌で覚えていった。

 

今年は、台風以外にも≪ゲリラ豪雨≫という新しい言葉が大きな顔をするようになり、また≪今までに経験したことのないような――≫とわかったようなわからない説明が生まれ、自然界は様変わりした。肌で知った過去の経験は役に立たなくなるのだろう。

 

あの有名な京都の観光名所嵐山の浸水には目を見張った。被害はどこも同じようにあってはならないことだが、自分と関係の深い地や行ったことのある場所になると大きなショックを受ける。

 

台風が過ぎ去ってしまえば、メディアはいつまでも被害地を報道してはくれない。土砂に埋まった家々、泥水をかぶった室内、まして身に被害を受けた方がたのこれからは、いかに厳しいことだろう。一日も早くもとの平穏な暮らしができますようにと祈ります。 

 

 

 

 

日々の風から comments(0) -
日々の風から 9月11日を迎えて

 

あの311から2年半が過ぎた。原発も含めてこのことは礼拝、祈祷会のたびごとに祈っており、詳しい情報は、被災地の教会が発信するレターなどでも知らされ、忘れたことはない。しかし直接に人々と接したり現地と係わることはしていない。まことに申し訳ないと思います。今日はテレビ映像を通して現状を知った。これからも心を寄せながら祈り続けます。

オリンピック東京開催が、被災地の復興に大いに役立ちますように。きっとそうなることを信じ、祈ります。

 

911はそもそも2001年のアメリカでの同時多発テロの日であった。大震災が想定外の惨事であると同様に、あの出来事もテロという手段による未曽有の悲劇であった。あれ以来、世界から平和の影は薄くなり、武力という怪物が世界中をのし歩くようになった。そんな気がしてならない。

 

そして、この911の日、私のごく親しい知人のガン細胞が、強い増殖力を持っているとわかった。詳しい病理検査の結果である。これから厳しい治療が始まっていく。

 

この日が悪いなどと、迷信めいたことを言っているのではない。もともと私の思考にはそうした発想はない。ただ、悲しい日だなあと思う。忘れてはならない祈りの日だと思う。

 

 

 

 
日々の風から comments(2) -
世相の風から オリンピック開催の年は〇〇歳

 

この日曜日、教会は恒例の敬老記念歓迎礼拝と銘打って、特別なプログラムで内外の70歳以上の方々を招待した。内とは教会員、外とは、教会員の関係者で、時どき教会へきてくださる方々である。婦人会特製のお昼をいただき、プレゼントも用意された。

 

2020年のオリンピックがこの東京に決定したことについて、その良し悪しなどは取り立てて話題にはならない。東京人はすべての事柄に意外に冷えてひねた見方をするものと、昔から相場が決まっている。スカイツリーの時もそうだった。オリンピックも同類だ。被災地や原発、特に昨今の汚染水問題に頭を抱えている時、浮かれ気分など微塵もない。

 

愛さん会の時、70歳以上の方々にひとことモノ言う場があった。皆さんは、女性も男性も、実年齢を言うことには少しも抵抗なく、この年まで元気でいられるのは感謝です、ありがたいことですと一様に語られた。

 

もう一つ多くの人が「オリンピックまであと7年。その時私は○○歳です。とても生きてはいないでしょう」と言われた。ほんとうにそうだ。7年後の自分の姿を明確に描くことはできない。今年のようなむごい夏をあと7回も過ごせるものか、私だとて思ってしまう。

 

私は2020年は、実に○○歳だ。孫のMちゃんに、その時は何歳になるのって尋ねた。

「わたしは19歳」と明るいキラキラしたソプラノの声が跳ね返った。ああ、19歳!19歳になるMちゃんの娘盛りをぜひ見たいものだと、俄然、私の内で何ものかが躍動した。

 

世相の風から comments(2) -
日々の風から 聖路加病院礼拝堂の夕の祈りへ



2011年に訪問したアイゼナハのバッバハウスの前で

 

誘われて、友人二人と参加した。手にしたチラシにはオルガン演奏30分、夕の祈り30分とあった。チラシはこの日のパイプオルガン演奏者からいただいた。かの有名な聖路加病院がキリスト教系であることはよく知っていたし、入院した教会の友を見舞いに何度か行っている。しかし礼拝堂に入ったことはなかった。カトリックかと思っていたが聖公会であった。聖路加病院のある築地は銀座のひと足先である。昔から土地勘のあるところである。

 

オルガン演奏に期待して出かけた。先日演奏者の音楽セミナーに参加し、音楽音痴の私がパイプオルガンの構造や音の出る仕組み、また、礼拝での奏楽の意味などを教わり、強い興味を抱いたからである。また、めったに聴けない教会堂でのパイプオルガン演奏にときめきを感じた。一昨年、『ルターとバッハの足跡を訪ねて』の旅で訪問したドイツの聖堂が懐かしく重なって思い出された。

 

初めての礼拝堂に驚いてしまった。一瞬、外国にきたような気がした。カトリックのカテドラルとはおよそ違うが、シンプルの中にも荘重な雰囲気と、観光名所では味わえない静寂が漂っていた。1936年、米国ペンシルヴェニア教区からの支援で建ったそうである。戦争を経てきた強さも感じた。演奏曲目はブクステフードの前奏曲とバッハの小品二曲であった。

 

演奏が終わって、司祭があとの30分をリードした。あらかじめ渡された分厚い聖歌集に挿入された式文カードに従って聖書からの抜粋のみことばの交読があった。その後メッセージがされた。これが、想像をはるかに超えてすばらしかったのである。若さを感じさせる痩身の司祭が、驚くような流暢な日本語で話された。出身のお国は存知あげぬが、長く日本にお住まいなのであろう。

 

説教はマタイ182135節が朗読され、イエス様のたとえ話『仲間をゆるさない家来』をかみ砕いて語られた。家来に貸した一万タラントという途方もない借金を気前よく帳消しにして赦す王様は神様のこと、私たちは赦された家来であると説かれ、神の恵みとイエス・キリストの贖いの福音が明確に語られた。すっと魂に届く爽やかな説教であった。正に伝道説教であった。正直なところ聖公会を知らないので、夕の祈りは祈祷文に従って形式通りに進められると思っていた。

 

いちばん驚いたことは、会衆の数である。会堂の収容人数は知らないが、ほとんど空席はなかった。100人はいただろうか。どこから来られたのだろう。周辺はオフィイスであるから、会社からの帰途ではないだろうか。ほとんど若い人たちであった。男性も多くおられた。クリスチャンであるか否かも知らないが、勤め帰りに、礼拝堂に立ち寄って、一時間ほど音楽と聖書の言葉に聴き入るのだ。なんと素晴らしい光景だろう。都会砂漠の中のオアシスではないだろうか。そしてこれが伝道でなくてなんだろう。こうした場を提供している聖路加病院の働きに尊敬を抱いた。最新の医学をもって人の体を癒し、最高の福音を伝えて人の魂を癒しているのである。

 

私たち三人は期待以上の魂の饗宴に与って、満足、満腹であった。感謝して少し涼しくなった初秋の町に出た。期せずして「また来たいね」と言い合った。

 

 

 

 
日々の風から comments(2) -
心の風から この秋こそ願うこと 


友人提供による 

 

91日が日曜日、私たちクリスチャンにとって主日とか聖日と呼ぶ日に重なったのはなんといってもうれしい。月の初めの日に、キリストの体である教会へ行き、父なる神のもとに兄弟姉妹と呼び合う多くの友と会いまみえ、ともに礼拝をささげるのだ。これはなにも勝る喜びであり、感謝である。顧みれば、クリスチャンになって以来半世紀以上も、日曜日は教会へ行く以外には使わず、自分や身辺の一大事件で、足を阻まれることもめったになく、なんとかここまで来られた。自力の意志や努力でできることではないのは明らかだ。

 

人が何と言おうとも、私は納得している、神様の強力な愛の力が私を捕え、私を引き寄せ、離さないのだと。人は、神様に愛されていると言い切るなんてずいぶんな自惚れじゃないの、自分を何様だと思っているの、どんなに偉いことしたの、特別な才能でもあるのって、詰め寄られるかもしれない。ああ、そんなふうに羨ましがってくれる人がいたらどんなにいいだろう。その人の魂は神様に近づいていると思う。そのような人と語り合いたい。そのような人には、私の心と体の傷跡を見せながら、私の弱さ醜さに愛を注いで清め、癒し、赦してくださった神様の配慮あふれる働きを心ゆくまで証ししたい。

 

91日、神様は私の心に生き生きした聖霊の涼風を吹き込んでくださったらしい。熱く、熱くそう思う。こんな思いも生来の怠惰で臆病な私は持ち合わせていない心情である。この秋こそ、この身を大きく差し出して、神様のお働きに使っていただきたいものだ。

 

 

 
心の風から comments(0) -
CALENDAR
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< September 2013 >>
PROFILE
MOBILE
qrcode
COMMENT
ARCHIVE
RECOMMEND
美しき姉妹たち
美しき姉妹たち (JUGEMレビュー »)
三浦 喜代子
最新本です。
ぜひお読みください。
SPONSORED LINK