人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- - -
日々の風から 8月よ 夏よ さようなら!


 

空前の酷暑続きだったさしもの8月も今日で閉幕。明日からは9月という言葉が飛び交うことになる。8月にはかなり乱暴に扱われたので、9月は歌の通りの小さい秋をたくさん運んできてほしい。台風月ではあるがやさしく穏やかな月であってほしい。

 

しかしながら、去っていくものには、人であれ時間であれ、別れの挨拶をしたい。8月よ、炎暑の夏よ、さようなら!来年はもうちょっと歓迎される月になってお越しください。

 

さあ、9月から1231日までは4か月。分量としては一年の三分の一になるが、長年、この時期を過ごしてみて、とても三分の一とは思えない。せいぜい5分の一ほどに感じる。

それだけ多忙でせわしい時期なのだろうか。それとも、めまぐるしく気候がかわるからだろうか。たしかに9月初めはまだまだ夏で、35度の日だってあるだろう。しかし1231日ともなれば、気温は10度を割り、北国はとっぷり雪の中である。

 

一年という四季列車に乗って、春夏秋冬を体験できるのは、思えば恵まれているのだ。暑いだの寒いだの、雨だ台風だの、雪が多いの少ないのと、自然の表情を窺っては一喜一憂して暮らせるのは幸いかもしれない。もちろん大震災などはあってはならないが。

 

内乱だの、化学兵器使用だの、戦争だのと、人為の災害は絶対に避けてもらいたい。人の努力で回避できることは、世界の為政者の皆さんよ、なんとしても食い止めていただきたい。

 

一人一人が自分の人生に温めている【I have a dream】を安心して喜んで追いかけられる世界でありますように。8月を送り、新しい月9月、新しい季節、秋を目の前にして切に願い祈ります。

 

 
日々の風から comments(2) -
日々の風から 図書館に空席なし

この4月からわが町の図書館は移転してしまった。区内のもう一つの図書館と合併することになり、新築のビルに入った。徒歩は不可能ではないが、ちょっと歩いて行く距離ではなくなった。しかしおかしなもので今まで以上に通っている。なにぶんにも新しがり屋である。

 

墨田区ゆかりの作家のコーナーに『幸田文全集』、『幸田露伴全集』など、幸田父娘の著作が多大な場所を独占するように並んでいる。いつかも書いたが、幸田文24巻に読書ごころが刺激され、いつか全巻読破しようと思ってしまった。


途中挫折ありを最初から心の片隅にちらりとささやきながらまずは2巻借りてきた。それがずっしとり重いのである。図書館は機械化されている。返却はポストへ入れるだけだが、借りるときも機械操作である。コンピューター管理ということだ。職員の座るカウンターでの手続きは一切しない。操作に疑問があるとき助けていただくだけである。

 

閲覧席が部屋の窓際にずらりと設けられている。一つ一つ小さく仕切られていて、ちょっとしたプライベート空間ができている。ちょっと座って、借りた本をめくり、一息つくのには好都合だ。別に予約席のスペースもある。ちらりとのぞくと、学生たちが夢中で勉強している。

 

ところがいまはどこも満席。自由席の方にところどころ空席があるので座ってみた。なかなかいい、落ち着くのだ。これからはここに立ち寄ろうと思っていた矢先、青年に声を掛けられた。僕の予約席ですがーーという。あら、ごめんなさいと慌てて飛びのいたが、ここは自由席ではないかと、職員に訊いてみた。

 

職員はのたもうた。「たしかに柱のこちら側、東武電車の走っている方は自由ですが、あちら側、スカイツリーが目の前にみえるところは予約席です。いまは夏休みで混んでいます」


たしかに私がちょっと座った目の前にはスカイツリーが手に取るようにくっきりと聳えていた。もっともそれが魅力で座ったのでもあるが。ちなみに、図書館の位置するところは、スカイツリーの隣駅である。我が家よりさらにツリーの近くである。

 

残念至極、私は汗の引くのも待たず帰らねばならなかった。重い2冊を提げてである。もう少し閲覧席を増やしてもらいたいと不満が残ったが、すぐにはどうしようもない。


しかし、学生たちはよく勉強している。夏休みの宿題をする子どもたちというよりは、受験生なのだろう。けなげである、しっかり頑張ってねと心の中で声かけしたことである。私の全集読書も
9巻、10巻へ進んだ。もう幸田文さんは隣りのおばさんのように親しい。

 

 

 

 

 

 
日々の風から comments(0) -
日々の風から 何を食べようか、何を着ようか
 

 


昨日のゲリラ豪雨を書いていて、筆先が着るものだとか食べることに走って終わってしまった。あのあと、何か思い足りないような気がしていた。その先に、山上の説教が聞こえてきたのは夜が明けてからだった。もしかしてイエス様は途方もないことを言っておられるのではないかと、耳を澄ませた。

 

私だけが例外ではなく、人は衣食住のことを絶えず考えているのだとおもう。どんな人も生きている限り、生きていくための最小限度のこと、衣食住から思いを離すことはない。天才や超偉人はいざ知らず、小市民の日常はそうしたものだろう。主婦であるならば、できるだけ家族に喜ばれる食事を作り、いつも小ざっぱりとした身なりをさせ、いつもこぎれいに整理整頓した住まいにともに暮らしたいと考え、知恵と体を惜しみなく使うだろう。

 

ところが、いつもいつも喜んでそれらに専心できるなら問題はない。そうして愛する者のために自分を使い尽くして死んでいくことに微塵も心乱れることがないなら、それでいい。しかし、人はそうはいかない。たとえば、自分の衣食住状況がもう一ランク上だったらいいのになあと思ったらどうだろう。そうはいかない現実と自分の欲望との間に葛藤が起きないだろうか。その葛藤が膨れ上がったら、羨望や不満や怒りになって心を蝕んでいく。また、いつまでこの生活が続くのだろう。病気にならないとも限らない、ガンにーーーなどなど不安に思い始めたら、鳥越苦労、思い煩いの虜になってしまう。

 

イエス様は言われた『何を食べようかーーー、何を着ようかーーーと心配してはいけません。空の鳥を見なさいーーー野のゆりがどうして育つのかよくわきまえなさい。栄華を極めたソロモンでさえこの花の一つほどにも着飾っていませんでした。今日あっても明日は炉に入れられる野の草さえ、神はこれほどまでに装ってくださるのだーーーー何を食べようか、何を着ようかと心配するのはやめなさい。だから、神の国とその義とまず第一に求めない。そうしればこれらの物はすべて添えてあたえられる』(マタイの福音書6章)

 

あたふたと日常にのめり込みそうになった時、ちょっと立ち止まって耳を澄ませてみたい。

きっとイエス様のささやきが聞こえてくる。同じことをしていても、主の御声を聴き、主のみ心を知っているなら、心の状態が全く違ってくる。どんな時も≪神の国とその義とをまず第一に求めなさい≫の教えに目覚めているなら、食べることも着ることもまことに楽しい。

 

私のところは今のところゲリラ豪雨の被害はない。これだけ降ってくれたので、さすがに多少涼しい。天のシャワーの効き目は大きい。家々がお風呂に入ったようにさっぱりと見える。

 

 

 

 

日々の風から comments(0) -
日々の風から ゲリラ豪雨 涼もたらさず

 



水源地の水不足が報道されていたので、ぜひ水瓶に満たされるようにと願っていた。しかし一向にその気配はなく、よその地方では被害の出るほどあふれているのにと、やきもきしていた。ようやく昨日午後、強い雨脚がわっと地面に跳ね返った。ああ、よかったと思う間もなくやんで、月が出てしまった。残念な気がした。

 

ところが夜になってまた降りだした。今度は本格的。蛇口を開けたようにジャージャーと音がした。ついでに激しい雷鳴と閃光が散った。我が家の真上にきているようで恐ろしくなった。光るたびに思わず悲鳴が飛び出して、年甲斐もないことだった。就寝してからもしばらく雨の音がしていた。これで地面のほてりもおさまって、涼やかな風に出会えるだろうと楽しみだった。

 

夜中に気が付いたときはもう雨の音はなかった。早朝、涼風を期待して窓を開けた。だいぶ冷えていて、さすが雨の効用だとほっとした。今日からきっぱり秋だと願いたかったが、そうはいかない。だんだん暑さが戻ってきた。しかたがない、まだ8月だもの。こうしたくり返しで、秋になるのだろう。しかし意外に秋の足は速いものだ。

 

ふと思う。どうしてこうも一年中晴れだ、雨だ、暑いの寒いのと言い暮らしているのだろう。

寒暑に合わせて何を着ようかと衣類を考える。もちろん寝具もそうだが。さらには、季節に合わせて何を食べようかと三度の食事を気にする。自然の推移に合わせてできるだけ快適に暮らしたいからなのだ。自然界の姿に合わせて工夫をしていく。

 

なぜか今日はごぼうが食べたくなった。ごぼうはこの一か月ほど見向きもしなかったと思う。急にきんぴらが恋しくなったのだ。そのまえにお赤飯が炊きたくなっていた。私のは簡易お赤飯。いつもの炊飯器で作る。ごぼうだけの積りでスーパーへ行った。わざわざ暑い中をごぼうだけ買いに行くなんて、私もずいぶん食い意地が張っているなあと自嘲しながらである。

ごぼうの前で品定めしていると、ついと脇から手が出た。おや、ここにも私のような人がいるわとおかしくなった。体はすでに食欲の秋を先取りしているようだ。

 

日々の風から comments(0) -
日々の風から 今日からは日常の風が吹く

 


日本中がそれぞれのカラーで塗りたくった夏休みも終わったようだ。今朝からは町の音も平常に戻った。休みの期間は車の音も途切れがち、全く音無しの時もあったりして、その静寂にかえって聞き耳を立てたりした。騒音は嫌だと思いつつも、あまり静かだと落ち着かないのはどうしたことだろう。私も騒音の子なのだろうか。

 

今年は我が家は婿殿の夏休暇が7月下旬だったから、全国的休暇の時期はいつもの通りだった。とはいえ、婿殿の帰宅は早かったし、孫たちの部活など学校行事はさすがにお休みのようで、在宅の日々だった。毎晩のように家族向けDVD(内容は知らないが)に興じていた。これも日ごろは持てない貴重な家族団欒のひとときだ。

 

孫たちは休み明けには大きな試験が待っているとのことで、宿題に没頭し備えている。私も暑さの中だもの、外出は極力控えた。畢竟、机上の人とならざるを得ない。机上といっても読み書きはしない。たかがパソコン漬けに過ぎない。しかし、秋から年末までの、係わっている仕事がどんどんはかどった。立案したものを次々に発信し、返事をいただいては段取りをつけていった。なんとよく働くことかと、満足し、感謝しながら、アリとキリギリスを思い出し、いつになっても働きアリだと、おかしくなった。

 

夏休暇の時期は毎年世相にも特別の風が吹く。大事件がよくあるのは困ったことだ。皮切りに隅田川の花火が大雨で中止になった。延期の覚えはあるが中止とは異常事態ではないか。今年は突然の豪雨がたびたびある。新しい現象だ。どうしたことだろう。花火といえば、京都福知山の会場での爆発惨事は目を覆うばかりだ。そして昨日は桜島の大爆発、噴煙は5000mにあがったそうだ。このまま収まってほしいと願う。静かな日常のそよ風を祈る。

日々の風から comments(0) -
世相の風から 世界がいちばんほしがっているもの

 

 

 

68回目の終戦記念日を迎えた。この日こそ一年中でいちばん声高に平和が叫ばれる日であろう。当然であろう。その声が、地球を揺るがすほどにもっともっと大きくなればと狂おしいほどに思う。

 

68年前、私は、まだ自分が自分であることさえ知らない小さな存在であった。が、その時、一人の人間として呼吸し、この国の一人の国民として、終戦という場面に居合わせたのだ。これは大きな貴重なことだ。何もできないからといって、無関心でいていいはずはない。

 

あの日以来、私たちの国は、国内で直接他国に暴力を振るわれる不幸は避けてこられた。これは、奇跡に近い幸いであろう。今、ほとんどリアルタイムで地球上に起こる戦争や内紛を目の当たりにする時、あの大戦のほとんど中心的存在であったこの国が、いかに特別に幸いであるかを思わずにはいられない。

 

平和こそ、世界中がいちばん欲しがっているものではないだろうか。今戦っている人たちも平和がほしいのだ。平和な社会で豊かに暮らしたいのだ。理解し合い愛し合って平和に暮らしたいのだ。みんなそのように願っていながら、祈っていながら、努力していながら、どうして平和は得られないのだろう。求め方、願い方のどこかにまちがいがあるにちがいない。それはなんだろう。そこを徹底的に研究したら、すばらしい答えを見つけられるに違いない。

 

人類は何千年も平和を求めてきた。戦っても平和がほしかった。人をいじめても、殺しても平和がほしかった。みんなみんな平和がほしかった。だから戦争した。世界中が平和になることを願った。だから戦争した。でも、おかしくはないか。ここに間違いがあるのでないだろうか。平和のために戦争したって平和にならない。

 

では、平和はどこにあるのだろう。幸福の青い鳥は外にはいなかった。自分の家にいた。幸福の青い鳥である平和は、近いところにあるのかもしれない。私たちは、ほら、ここにあるよという声を、小さな細い声を、聞き逃しているのかもしれない。

 

 

世相の風から comments(2) -
日々の風から 高温の更新

 

連日の暑さについては、どんな報道にもあふれているし、人と顔が合えば暑いですね、だし、自分でも我知らず暑い、暑いとひとりごとにさえ言っているから、いまさらここにまで書くとことはないと開き直ってみるが、40度というとんでもない数字が何度も飛びだすに至っては、空恐ろしささえ感じて、記録しておかねばならない出来事ではないかと思うのだ。

 

最高気温の出た昨日、一昨日は敢えて外出は控えた。幸いなことに教会はすぐ近くだから礼拝には行ける。寒さにも暑さにも左右されずに出席できるのは幸いである。それ以外は蟄居していた。今日は所用があって電車に乗った。多少気温が下がったのか、倒れんばかりには至らなかった。出会った知人が、ネコも熱中症になるそうだ。ネコは暑さが分らないらしい。階下の涼しいところにいればいいのに、暑い二階の廊下に寝そべっていると心配していた。

 

公園の中を抜けたら、ちょうど目の前の木に蝉の姿を見た。いっせいに地響きのように鳴いているから、彼の声がどれなのか分からない。静かな止まり方である。鳴いていなとすれば何をしているのだろう。以前に、足元に転がり落ちてきたことがあったので、この蝉はどうなるのだろうと、しばらく佇んでした。種類はわからないが、しっかり畳んだ大きな羽は濃紺の上にうっすらと粉をまぶしたようで、生き生きと見えたが、あと何日のいのちだろうか。

 

知人が、かつて33度との報に驚いたのをハッキリと思い出すと言った。あら、34度も、35度も、38度もあったと応じた。しかし、40度とはと、そこで二人とも絶句した。ほんとうに、かつては40度になったら人は生きていられないと真剣に思ったことだ。昨日、今日、死にそうです、脳みそが溶けてしまいそうですと、メールが入る。たしかに、集中力はなく、うろうろとするばかりで事が進まない。しかし、生きている。実に、実に不思議である。

 

 

 

日々の風から comments(2) -
日々の風から 立秋と感傷

 


 

連日の暑さに気を取られていたら、日足が短くなっているではないか。もう、梅雨明け前のあのゆったりした明るい空はない。昼間にかっかと陽が燃えても、いつのまにか薄闇が忍び寄って、かすかだが風の温度が違っている。だてに立秋じゃないのだ。きちっと秋を告げている。それがわかるとこの暑さも時間の問題なのだと、ホッとする。そして、そこはかとない寂しさを感じてしまう。毎年のことだと思いつつも、一年としてそう思はない年はない。

 

私の感傷は早すぎるようだ。すっかり涼風が立ったわけではない。またまた熱中症が大きく取り上げられた。さらに≪経験したことのないような大雨≫の被害が報じられている。こんな言い方は今年が初めてではないか。近頃の気象はますます荒々しいとおもう。日本中が、激しい自然活動に右往左往させられている。気の休まる時がない。

 

来週からは日本中を巻き込んで、人々の移動が始まる。一年に一度の楽しみの時期でもある。家族そろって帰省したり旅行する貴重な時でもある。皆さん何事もなくすてきな夏休みを過ごされますようにと祈ります。家族の愛が深まり、子どもたちは一生忘れないほどの美しい思い出を刻めますように。

 

心配していた二人の姉妹が、手術の戦いを終えてそれぞれ懐かしの我が家に帰る。うれしい知らせである。ひとまずは感謝である。一人の方は一か月の入院、もう一人の姉妹は2週間。さぞ厳しく辛い戦場であったろう。しかし退院は戦いの終わりではないのだ。治療という新しい戦場が待っている。そのことを思うと胸が痛む。何もできないが目と心を離さないで見続けたい。これからの戦いに耐えうる唯一最高の武器であるイエス様の平安を身に着けられんことを祈ります。

 

 

 

 

 

 
日々の風から comments(0) -
旅の風から 子・孫に牽かれて高原巡り その3 (終わり)

 

 

 



ホテルの前の道を隔てて、東館山と呼ぶ

2000mの山がそびえている。山頂近くまでスキー用のリフトがある。明朝、これに乗って山頂まで行くことにした。私はリフトが大好きだ。乗れるとは思わなかったので、走行距離350キロに揺られた身ではあったが、急に軽くなり、わくわくしはじめた。単純人間だなあと苦笑した。

 

 

さて、夕食までは近くの湿原地帯を歩く。木道が通っている。足元が不安だが尻込みしてはいられない。置いてけぼりにはされたくない。傘を丸めて杖代わりにした。いのち杖である。木道の両側は丈の低い草木が生い茂り、水が流れている。花が終わった水芭蕉がゆさゆさと大きな葉を広げていた。

 

その他、私の知らない多くの草や花が個性豊かに自分を表現しながら思い思いに咲き広がっている。見上げるような大きなものから、しゃがんで覗き込む小さなものまで、一つとしてしょんぼりしているものはない。草々花々はだれに誇ることもなく、だれに気兼ねすることもなく、それこそ自然体で生きている。その中を潜り抜けて行くうちに不思議に優しく穏やかな心持になった。

 

いつのまにか胸が広がって大きく深く息を吸いゆっくり吐いている。深呼吸である。体内にま新しいいのちを取りこみ、よどんでいた不要物を排出している気がする。体の大掃除をしているようだ。さっぱりと清々しい思いに満たされる。これが、神様が自然界に与えた癒しの力というものなのだろう。残念ながら都会にはない。人と人との間にもめったにない。

人が山川草木を恋い慕うのは、無意識のうちにストレスいっぱい、疲労いっぱい、無数の傷に悲鳴を上げる心身を癒したいためかもしれない。

 

翌朝、リフトが動き出すとすぐに乗り込んだ。山頂は霞んでいる。眺望は希望通りにはいかないかもしれないが、リフトは乗るべし、山頂には立つべしと、スタートした。いたる所日光キスゲとヤナギランの群生に出会った。雲が切れてきて、周辺の山波や眼下の集落が姿を現した。感謝!。ところが山頂はリフトを降りた地点ではない。そこから徒歩が始まった。私にとってはかなりきつい。幸田文さんの、人の三倍かければ行ける、を思い出しながら

立ち止まっては息を継ぎ、腰をさすっては歩きだすマイペースのリズムで頑張った。

 

午後はすっかり晴れ上がり、白根山のカルデラ湖を見下ろす頃は日焼けを気にするほどだった。そこも登山だった。駐車場から山頂までわずか2300mだろうが、歩きやすいように造られた人口の道を行くのだ。幸いなことに登り口に杖が用意されていた。2本使った。

なんと楽なことよ。杖ってこんなに役に立つのかと感動した。

 

カルデラ湖は、ずっと昔、眺めた時と同じ青さをたたえていた。いや、もう少し小さくて、もう少し青が深かったように思う。そして、もっと近づけたのではなかったか。記憶も薄れるが、自然も変わるのではないかと思った。帰途は、草津温泉街に入り込み、湯の香にむせながらお蕎麦を食べ、国道292号をひたすら走って渋川伊香保インターから関越道へ入り、往路と同じ道で夜8時に無事帰宅。

 

全走行距離750余キロだと婿殿から聞いた。わずか一泊のショートなバカンスであったが、濃すぎるほど詰め込まれた中身であった。ともかくも若い者たちと行動を共にできたのだから我ながら大したものだと、これからに希望を持った。が、もしかしたら彼らはひどくペースダウンしてくれたのかもしれない。(終わり)

 

 

 

 

 

旅の風から comments(0) -
旅の風から 子・孫に牽かれて高原巡り その2
 

 

 

 


 


車で行く旅は寄り道自由なのがいい。一目散に目的地に到着するのが主ではない。夕方までに辿りつけばいい、そこまでの道こそ旅なのである。というわけで、佐久の次は、小布施ハイウエイオアシスで休憩。道の駅でおもわず野菜物を買いこんでしまった。プラムが気に入った。上信越道を信州中野インターで降りていよいよ志賀高原へ入っていった。

初めから計画していたスポットの一つは野猿公苑である。サルが露天の温泉に入るので有名な場所である。しかし、そこへたどり着くまでが容易ではない。私にとってはであるが。車を止めてから山あいの道を上り下りして渋温泉地獄谷の源泉を経てなお奥へと入る。温泉の源泉はすさまじかった。柵で囲ってあるが、轟音とともに蒸気の柱が天を突いて吹き上げる。感動して見上げたものの、少しでも地殻変動が起こって足元が揺れたら命はない。恐ろしくなった。私はサルの群れる谷までは入らなかった。足元が悪すぎる。入り口の小屋で座っていた。

3時には予約していたホテルに着いた。ネットで探して予約したのである。ハイシーズンだから急には無理なのだ。それでもなんとか見つかったのは感謝だ。やれやれ、今夜は温泉に入り、夕食をいただいてゆっくり旅気分に浸れる。まずは準備されているお茶とお茶うけをいただきましょうと座り込んだが、娘たちはチェックインの時に探した何種類かのパンフレットに見入り、iPhoneを開き、すぐにでも散歩に出かけるという。近くに湿原があり、木道が通っているから行ってみよう、一時間もかからないからと誘われた。ちょっと腰は重かったが、なにやらに牽かれてーーー行くことにした。

 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 




旅の風から comments(0) -
CALENDAR
S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< August 2013 >>
PROFILE
MOBILE
qrcode
COMMENT
ARCHIVE
RECOMMEND
美しき姉妹たち
美しき姉妹たち (JUGEMレビュー »)
三浦 喜代子
最新本です。
ぜひお読みください。
SPONSORED LINK