人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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旅の風から 子・孫に牽かれて高原巡り その1

 

 

 

 

 

 

この夏のショートショート休暇に入った婿殿に誘われて、長女家族と一泊の旅をすることになった。夏のバカンスのためには半年も前から予約すると聞くが、我が家はいつもとっさに決める。感謝なことに我が家のニーズに合った宿が見つかった。

移動は車である。車は何でも運んでくれる。旅行バッグだけでなく、紙袋も、レジ袋も、勢ぞろいして出発となった。宿は志賀高原高天ケ原。朝
6時半出発。まずは首都高から外環道、関越道から上信越道の佐久平ハイウエイオアシスまで一気に走った。二時間ほどであった。雨模様。時々やんだり降ったりである。まずは、今回の旅のハイ・スポットをご披露します。

 

 

 

 

 


 

 



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日々の風から 真夏の風景・孫たちの夏休み

 

今年の夏は梅雨明けが早く、早々に猛暑が続いたから、すっかり夏気分でいたが、学校はカレンダーどおりである。子どもたちの夏休みが始まった。大人は変わり映えしない日々だが、子どもたちが家にいるようになると、ほんとうの夏気分になる。我が家の脇の道を通学する小学生、中学生の姿もめっきり少なくなった。

 

とはいえ、子どもたちの夏休みもすっかり姿変わりした。40日丸ごとフリーなんてことはないらしい。学校も様々なプランを立て、それにしたがって子どもたちは登校する。小刻みに忙しいのだ。

 

我が家の二人の孫たちの昨今を見てみる。しかし、同居しているとはいえ、私は親ではないから彼らの動向を知りつくしている訳ではない。詮索もしない。いや、できるだけ控えている。情報はそれとなく耳に入ってくることだけでる。二人とも地元の中学、高校へは行っていない。電車通学をしているから夏の間も定期券が必要だ。

 

夏休みが始まった昨日も、今朝も、二人ともいつものように登校していく。高校一年生のS君はお弁当持参である。ふだんよりは軽そうなバッグとバイオリンのケースを持っている。夏中、部活動はあるらしい。彼はオーケストラに入った。楽器は幼稚園時代から細々とではあるが続けているヴァイオリン。部活動はとても楽しいらしい。しかし、それだけではない。彼の高校は、他の塾へいかなくてもいいように、夏季講習のプログラムがびっしりと準備されている。受講は自由らしいが、受講料は無料なのだ。S君はそれを受講することにした。

講習と部活の二つのために、朝から夕方まで学校へ行くのである。来週は長野県で合宿だそうだ。これも楽しみらしい。秋には定期演奏会があるようだ。これは私も楽しみである。ちょっと運動が足りないなあと感ずるが、体はひとつしかないから、仕方がないのか。

 

さて、中学一年生のMちゃんも学校へ行った。部活だそうだ。朝、2時間の練習だから、お昼には帰宅する予定。体操着姿である。Mちゃんも体育系ではない。なんと、演劇部に入ったのだ。ほーーーなぜーーーと思ったが、なにか興味を感じたのだろう。演劇部なのである。活動の様子を訊いてみたら、いまのところ、筋トレや発声練習をしているようだ。たぶんセリフのためなのだろう。早口ことばの複雑なものを繰り返している。秋には出し物を上演するそうだ。これもおばばには楽しみだ。

 

もうひとつのこと、Mちゃんにはピアノがある。昨日はコンクールに行ってきた。私も見学してきた。地域予選を無事通過できて、本選へ進むらしい。私には複雑な機構はわからないが、発表会ではないのでもっともっと緊張するようだ。なにしろ、大勢の審査員の方々が採点するのだから。思うに、こうした訓練は人生の訓練の一つになるだろう。知情意のレベルを上げ磨いていくチャンスになると思う。

 

今の子どもたちは幸せだと、おばばは深い感慨にふける。我が家は小さな庶民の家庭だった。学校にはプールさえなかった。都会の真ん中で40日間をどのように過ごしたのだろう。

 

 

 
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書林の風から 夏の勢い・幸田文とブラームス

 

小さなきっかけから一人の文学者の大きな世界へ引きずり込まれてしまった。その人の名は幸田文。誰一人として知らぬ有名人なのに、いままでしっかり対面したことがなかった。今回は、文さんの方から手が出てつかまれた気がするほど、引力が強い。一冊、また一冊と文庫本を開くうちにはや12冊。今や私の足腰が立ち、逆に私の方から追いかける気持ちになっている。

 

岩波から全集が出ている。1994年から1997年まで、全巻23冊である。図書館に行ったら、墨田区ゆかりの作家として特別コーナーに並んでいた。そうなのだ、幸田文は私と同じ墨田区で生まれた。もっとも生地は、当時、東京府南葛飾郡大字寺島村と呼ばれていた。そこに関東大震災に遭ってこの地を離れるまで、19歳まで、暮らし続けたのだ。震災直後は千葉県四街道市に避難、その後は小石川に転居する。父親露伴はこの家を蝸牛庵と名付けた。露伴は、蝸牛庵とは、家がないということ、身ひとつでどこへでも行ってしまうということさ、といったそうな。

 

幸田文全集は23巻である。今のところ読破しようと、大きなことを思っている。大きすぎるかもしれない。夏のエネルギーに乗せられて、心身が高揚しているせいかもしれない。

 

しかも、この暑いのにブラームスの、それも大曲を聞き続けている。暑苦しいではないかと思われそうだが、理屈などなんのその、体の奥にずいずいっと快く入っていく。幸田文とブラームスなんて、どこにもリンクするところがないとおもう。ミスマッチの代表のようだ。もっともマッチさせようと思ったわけではない。自然の成り行きである。しかし、もしかしたら、幸田文がブラームスを呼んだのかも知れない。とかく不思議に満ちているのが真夏の世の夢だから。

 

これから時どきこのブログに幸田文が登場するかもしれない。ちなみに幸田文といえば終生着物(きもの・和服)を着続けた人である。『きもの』という小説もある。自伝的小説だが、その主人公の名は、るつ子なのだ。一瞬、ルツ記を思い出したのは私だけではないだろう。幸田文もルツ記を重ねていることは疑いない。

キリスト教の色濃い環境で育っている。聖書は体いっぱいに入っているはず。ところが幸田文はそれをきものの奥に隠してしまったのか書き物にはほとんど出てこない。洗礼も受けている。家庭で日曜学校を開いて、子どもたちの世話をし、お話までしているのだ。先ごろのブログにも書いたが、私はこの謎に迫ってみたい。真夏の世の夢で終わらせたくない。

 

 
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日々の風から 目撃・路上老老介護
 

 

 

外出途上、JR総武線亀戸駅交差点を駅に向かって横断しようとして信号を待っていた。おおぜいの人と折からの35度の炎熱のさ中である。老夫婦が目に留まった。大柄な老人と30キロもないだろう小柄で痩せ細った老婦人がまごまごしている。ご主人は奥さんに早く歩けと怒鳴っている。ところが、奥さんは一歩も足が前に出ない。靴を見ると、室内履きのようないわゆるズックだが、大きすぎる。靴の後ろが三分の一ほど空いている。しかしそれで歩けないのではないようだ。足が棒のようになって出ないのだ。パーキンソンの症状を思い出した。痛々しいかぎりである。ご主人は構わず手を引っ張る。前につんのめりそうである。ハラハラして、ついついじっと見てしまった。

 

奥さんはご主人の腰のあたりのシャツにしがみつこうとした。ご主人はその手を邪険に払いのけて引っ張るのだ。引っ張ったって足が出ないのだ。アッというまに奥さんは前のめりになり、膝を折って転んでしまった。固いコンクリートに膝や脛をしたたかに打ち付けたのではないだろうか。私は思わず「あっ!」と叫んだ。同時に叫んだ人がいた。私と同年配くらいの女性であった。二人で奥さんのそばに駆け寄り抱き起した。重い。とても私一人ではできない、痩せているとはいえ、力が要った。

 

「どこへ行きたいのですか」と尋ねた。「タクシーに乗りたい」とご主人が言う。タクシー乗り場は信号を渡った駅前にある。しかし、そこまで歩けるような状態ではない。私は横断歩道に飛び出し、走ってくるタクシーを止めた。もう一人の女性といっしょに奥さんを両脇から抱きかかえて、ともかくもタクシーに乗せた。乗せる時も容易ではない。足が上がらず体が動かない。それでもどうにか乗り込んでタクシーは走り出した。どこへ行くのか知らない、どのようにして降りて、その後どこへ行くのだろうか。そこまではお付き合いできない。

 

すっかり考え込んでしまった。これを老老介護というのか。ご主人の様子を見ると、上手に介護しているとはとても思えない。もちろん無理もないことなのだろう。路上なのに荒々しい言葉が飛び出していたから、人の目のない家庭内だったらどんなであろう。二人暮らしならのだろうか。介護支援は受けていないのだろうか。こんな状態なら外出時には援助があるはずだ。子どもはいないのだろうか。

 

老老介護は珍しいことではないだろう。しかし、地域の見守りや本人たちの意志でどのようにでもなるはずだ。かかりつけ医がいるはずだから適切な指導があるはずだ。時に、介護など、他人の手をすべて拒否する方もいるらしい。それでもなんとかしなければいけないと思う。

 

タクシーのドアーが閉まる寸前に奥さんが「見ず知らずの者に、ご親切にしてくださってありがとうございます」といわれた。静かで落ち着いた物言いだった。ご夫婦はお二人とも80歳ほどか。認知症の気配は感じられなかった。これでは公的介護の手は遠いのだろうか。

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日々の風から たじたじする自然界のマイペース


 




七夕前の梅雨明は珍しいと、どこかで報じていた。今年は梅雨入りも早かったが明けも思いがけなく早かった。そして、明けたとたんに

35度の猛暑である、一日でへなへなした。

 

 

自然界は人の思惑にはおかまいなくマイペースでずんずんと進む。気象予報士もあわてておられるだろう。もっとも『梅雨明け10日』とは、母がよく言っていた。案外、昔からのことなのかもしれない。もちろん神様のご意志の範疇であろうと思う。

 

さて、そこへ追い打ちをかけるように頭の真上から雷鳴と土砂降りの襲来である。あわててパソコンの電源を切って様子を見た。雨はいったんは上がって日が差した。ちょうどその時帰ってきた孫のS君は虹を見たと言った。外へ飛び出したが、出会えなかった。少したって帰ってきたMちゃんは気の毒なほどずぶ濡れだった。両肩に掛けたかばんは十数キロはある。走ろうにも走れない。布製の白い紐靴は中までぐっしょりと濡れていた。あふれる水の中を歩いたそうだ。まあ、たいへんだったねと甘いおばばは駆け寄ったが、ふと、若いんだもの、こんな経験も時にはいいかもしれないとそっと思ったことである。

 

それにしても、近年、自然界は荒々しくはないだろうか。日本だけでなく、アメリカの竜巻なども含めて、異常ではないかと思う。311のような大災害はちょっと脇に置くとして、小さな日々の中の一瞬の様相が険しくなったと思えてならない。日本の自然とは、春夏秋冬その都度に見せてくれる素顔に、心打たれ心和み、変わり映えしない日常に、楽しみと慰めをもたらしてくれるものだと大づかみに考えてきた。だから、牙をむいて突進してくるような自然にはおろおろしてしまう。

近頃、天災は人災だともいわれる。自然のせいばかりではないのかもしれない。自然界のマイペースはどこらあたりに境界線があるのだろう。

 

 
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旅の風から 甲州路に山影見えず

 


一年ぶりに中央線『あづさ』号に乗った。梅雨のさ中だからお天気は期待しない。それでもせっかくの旅だからなるべく荒れ模様は避けたい。天気予報をにらみながら、八ヶ岳南麓の一隅に暮らす妹家族を訪問した。妹とははつい先ごろ父母の墓参で我が家に泊して会っている。緊急の用があるわけではない。私の本命はあちらの自然美に浸ることである。今はまみどりの時。みどりがしきりに恋しくて腰を浮かしたのだ。

 

まみどりがこんなにも旺盛な命を孕んでいたとは気が付かないことだった。春が起き出した頃、枯れ枝に梅や桜が咲きだし、まもなく芽吹きが始まると、自然界ってすばらしいと目を見張ることはいつものことだが、その新緑があっという間にまみどりに変わり、大枝小枝にびっしりと大きな葉が重なり合うようになると、珍しくもなくなる。

 

しかし最近は、名は知らないが、木々のみどりが慕わしくなった。街中の一本、二本の樹木を見上げては、もっとたくさん一度に見たい、時を忘れてまみどりのなかに座していたいと、無い物ねだりのわがままがふつふつしてきた。すぐ下の妹もそんな思いになったのだろう。あっという間にことは決まり、決行となった。

 

八ヶ岳の山々も、南アルプスも、時には楽しめる富士山もすっかり雲隠れであったが、まみどりだけは裏切らずどこもかしこもそれぞれの緑で染め上げていた。みどり滴るとは使い古された言葉だが、古人の言語感覚はさすがに巧みで、これ以上の言い方はない。貧しい私のことば袋からは何も出てこない。まみどりの中に身を沈めて楽しむだけであった。

 

もうひとつ、思いがけなく楽しんだのは、涼しさである。小淵沢から富士見高原をまわった。風は涼しいどころではなく、冷たくて寒かった。首元を閉めたり一枚羽織ったりして寒を防いだ。束の間だが贅沢であろう。終点の新宿駅に降り立つとじとじとと蒸し暑かった。

妹宅の庭から摘んできたラベンダーが強く香りを発して、役目を果たしてくれた。

 

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日々の風から 半年路を越え来て

 

今年も6つの月をやり過ごし、7番目の月に入った。と言えば、なんだか一人でずんずんと歩いてきたような不遜な言い方であるが、決して、決してそんなことは思っていない。若い時、あるいは壮年の活力にあふれた時代ならば、多少は、自分の足音に満足感を抱いたかもしれないが、今となっては一人歩きなんてとんでもない。主がともに歩いてくださらなければ、一日路はおろか半日だって、一時間だって進めない。ちょっとした買い物に行くのにも、「主よー―」と呼びかけて自分の行動をお知らせし、見守ってくださることを信じ確認する。道々も、ずっと、かたわらの主を意識しつつ祈りながら(話しかけながら)、である。

 

東京の今年の梅雨はいままでのところどうみても雨が少ない。今は日足がいちばん長い時期だから、お天気の良い時は夕闇までの時間がたっぷりある。7時半すぎてもまだ明るい。闇が動きを止めてしまったようだ。いかにも穏やかだ。湿気が少ないせいか風がなんとも爽やかである。まるで高原にいるようだ。こんな気候は一年に何日もない。これが7月かと疑ってしまう。夜はなんとなく冷えさえ感ずのは老いの身の私だけだろうか。

 

なにはともあれ、7月路を歩き出している。一年の中で一番好きな月なのだ。こんなに爽やかでなくても、かっかと燃える陽が照りつけても、梅雨が暴れて大雨になっても7月は好きだ。私の性に合っているのだ。毎年のことながら、一年で一番体が軽い。主が与えてくださった生来の命が活発に働いているのを感ずる。実にうれしく楽しい。冬はしょぼんとしてしまうが。夏っ子なのだろう。そういえば久しく海を見ていない。今年の夏は一度くらいは海風に当たりたい。潮のにおいを嗅ぎ、波を心行くまで眺めたい。遊び心が蠢いた。

 

 

 

 

 

 
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