人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から イースターの朝に 受難週に召天したI牧師を想う

サクラ 3

このブログで、『春の憂い』、『花冷えの悲嘆』と書いてきたI牧師が2年半の壮絶な闘病の末、イエス様のみふところに引き上げられたのは22日。告別式は受難中のさなかの洗足日28日であった。洗足とは、最後の晩餐の席上、弟子たちへの愛に感極まったイエス・キリストが、一人一人の足を洗った出来事である。

 

I牧師はこういわれた「本を出したり、立派な仕事をするよりも、身近なひとりひとりをどれほど深く愛したか、その方がずっと大切だと思う」。そしてお孫さんたちの頭を撫でておられたという。私はこの言葉を生涯忘れまいと思う。一人一人を愛し、その一人一人と深く交わり、主を喜び合うこと、これ以上に貴いことはないと強く深く思い、師に共感するからだ。

 

そのI師の告別式が洗足日であったことは、まさに主のお計らいであると思う。イエス様が足を洗った中には、ユダがいた。イエス様はユダの裏切りを承知しながら、黙ってユダの足を洗われた。ユダよ、罪を犯すなと祈りつつ願いつつ、ユダの足を洗ったのだ。愛を最優先させたI師の背後に弟子たちの足を洗ったイエス様が重なる。

 

I師は多くの人に慕われた。それはI師がまず一人一人をこよなく愛したからであろう。中にはユダ的な人もいたであろうが。愛されたとは、何かをしてもらったという物理的実体だけとは限らない。目には見えないが心の中の確かな跡である。受け入れられ、気遣われ、寛大に扱われたという、えもいわれぬあたたかな刻印だ。先生は身近なひとりひとりのこころに愛のしるしを遺された。今、それぞれがそのしるしをじっと見つめて先生を忍び、地上の別れを辛く思って泣いている。

 

先生が牧師をされた教会では31日今日が召天後、初めての礼拝を迎える。それが復活祭とは、ここにも周到な神様のご計画をまざまざとみる思いがする。牧師を失って初めて迎える礼拝である。信徒の方々の悲嘆は教会員でなければわからない大きなものだろう。私の悲しみも、教会の方々に比べたら物の数ではない。毎週、毎週、肉の家族以上に顔を合わせ、声を聞き、ともに主を拝し、祈り、賛美し、食し、教会の喜怒哀楽を分け合ってきたのだ。悲しみに底があるなら、そこまで沈んでおられるだろう。

 

やがて、かの日には、天の御国で再会できると、クリスチャンは確信している。それは大きな大きな喜びであり希望であり悲しみ越えさせる唯一の力である。その力の源が、イエス様のよみがえりである。イエス様の復活を知る時、イエス様の約束を信じる時、地上での別離の悲嘆の視線は下でなく上に向けられ、天からの慰めと励ましの光を受けることができる。

この朝、教会ではイエス様のよみがえりの事実を聖書からまざまざと知らされ、説かれる。

どうか、遺されたご家族と教会に、復活の主がダイナミックに表れてくださいますように。

 

一人一人に向けられた生前の先生の笑顔をくっきりと思い出し、復活信仰によって雄々しく立ち上がる時であるようにとひたすらに祈ります。

 

『なぜ、泣いているのですか。だれを捜しているのですか』

『あの方はよみがえられました』

 

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日々の風から 花冷えの悲嘆

 

主よなぜ彼は死なねばならないのですかと、問うていたお方が、問の答えを聞かないうちに天に引き上げられた。主は黙したままである。ホスピスへ入居してわずか半月であった。おそるおそる重い心で訪問した。と、この方はぱっと顔を輝かせて満面の笑みで迎えてくださった。一秒でも、一分でもお会いできればいいと、半ばあきらめつつ、それでもお会いしたくて出かけたのであった。

 

「さあ、賛美しましょう」と明るい声で言われ、促されるようにして歌った。『輝く日を仰ぐとき』を歌い、手を握って祈りあった。床の上に起き上がることはできなかったが、Vサインで写真に納まり、送り出してくださった。

 

明日は告別式。先ごろの暖かい日がウソのように寒が戻り、満開の桜が雨に濡れている。

花もこのお方との別れを惜しんでいるかのようだ。とはいえ、そのご生涯を思い、最期のご様子を知るにつけ、高らかに天に凱旋したのだとの確信に満ちてくる。明日はもっともっとたくさんの主のご栄光を拝することになるだろう。祈りつつ参列します。

 

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日々の風から 春風のプレゼントその2 グループホームの友人訪問

すみれ



昨年の夏に、教会と我が家の近くに突然のように大規模な老人施設がオープンし、そこのグループホームに、積年の教友K姉が早々に入居したことは、何度も記事にした。その後姉妹はずっと昔から住んでいたかのようにごくごく自然体で訪問者を迎えてくれた。入居当時は心配やら好奇心で毎日のようにお訪ねしたが、もう、手助けすることもないので、足が遠のいていた。K姉妹には毎週礼拝で、祈祷会でお会いできるのでなおさら訪問はしなくなった。教会へは車で教会へ来られる方が交代で送迎してくださっている。徒歩でもわずかなのだが、やはり足の衰えは防ぎようがない。

 

冬に入って、まずノロウイルスを予防するため、次にインフルエンザを予防するため、外部からの訪問者お断り、入居者の外出も禁止となり、姉妹も風邪をひいたりして、年末年始からずっと隔離状態であった。施設ではそういうことがあるのだ。先ごろようやく解禁になり、教会へ来ることも、外部から訪問することもできるようになった。

 

おりから姉妹の誕生日がやってきた。そこで、数か月ぶりに訪問した。と言っても、朝の祈祷会に来られた姉妹を送りがてら、姉妹のお部屋に伺ったというわけである。K姉は初めて私ともう一人の姉妹を迎えたように歓待してくださった。当初は2人しかいなかったが、この半年の間に9人のグループが満員になっていた。皆さんは共用のスペースにゆったりとくつろいでおられた。

K姉の入り口には担当者の氏名も書き込まれていた。行き届いたケアを受けてK姉は何不自由なく、また何の心配もなく快適に過ごしておられるのだ。なんという恵み、なんという幸いであろう。姉妹のお城であるお部屋で、3人で感謝の祈りを捧げた。周辺には開花した桜が春を謳歌していた。姉妹はよい季節に誕生したものである。生まれる前から姉妹を愛しておられた主が、桜花の真ん中へ姉妹を置かれたのだろう。

85歳を迎えた姉妹は、自然の老いはあるものの、一度も命に係わる病に罹ったこともない。入院騒ぎもない。体にメスの入ったこともない。なんと幸いな人生であろう。来年もつつがなく誕生日が迎えられますようにと、命の主に祈ったことである。ここにも希望の風はあふれていた。

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日々の風から 春風のプレゼント

国技館

 

3部

今日は
S君の卒業式。最後になる中学生の制服を着て家を出た。玄関先で、正装したママと記念撮影。カメラマンはおばばの私である。三年前、入学の時を思い出す。三年間で20センチ以上は伸びたと思う。はるかに見上げる背丈になった。いつ、どうして大きくなったのだろう。つくづく成長させるのは主であるとの聖書の一節を実感する。

 

しばらくすると、ママから携帯メール。大事なものを忘れたから、式の終わるころ両国駅へ持ってきてとのこと。折から春爛漫、それ以上に夏のような陽気である。ウキウキとコートなしの街着で出掛けた。ちなみに、S君の中学は両国である。国技館の横を通り、江戸博物館の手前を左に行く。あたりはこぎれいに整えられた歩道が続き、すっかり開いたさくらが青空いっぱいに広がっていた。またメールで、今ちょうど校庭に出てくるところだから見にに来ないかと。ひどくラフな服装が気になったが、年寄りの開き直りで駆けつけた。

 

15歳の少年少女たちが、学生服やセーラー服の胸にコサージをつけて、ぞろぞろと出てきた。先頭のクラス担任は花束を抱えている。先生の方が上気した顔をしている。さすがに女の子たちは目を真っ赤にしている。なんと初々しい姿であろうか。みんな立派だ。だれもかれもが受験戦争という試練の波を潜ったのだ。試練は人を成長させる。三年前の彼等とは大きく違う。頼もしい。この子たちが明日の日本を背負っていくのだ。大人の責任も大きいけれど、彼らの肩にも相応の任務がある。気を張って高校生活をスタートしてほしいと切に祈る。

 

先ごろ、S君に、入学した全員が卒業できたのと問うと、いや、かなり減ったと。中には不登校の生徒もいるということらしい。お気の毒なことである。もちろんさまざまな考え方や価値観があるから、いちがいにお気の毒といってはいけないのかもしれないが。

 

校門を出た生徒たちは、江戸博物館の屋上に上がっていった。広いスペースがある。思い思いに写真を撮りあったり、グループでおしゃべりして別れを惜しんでいるようだった。私の居るところではない。そうそうに帰宅した。

 

自分のあのころを思い出そうとするが、どこを探しても記憶にはない。それこそ風化してしまったようだ。むかし昔のことである、自分にそんな時代があったなんて、夢よりももっともっと淡く遠い。泣きたいほどせつなくなるが感傷はやめることにする。

今日、この日、おもいがけなくもこんなに美しい光景を見せてくださった神様に感謝するのみである。春風のプレゼントである。春は希望の風の季節である。

 

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日々の風から 春の憂い
 

一人の方のいのちが尽きようとしている。いのちとは地上の物理的活動をする肉体である。尽きるとは、地上の生涯にピリオドが打たれることである。それも医学的にである。この世の常識の物差しを当てる時にである。

 

この世の別れは例えようもなく悲しい。

顔と顔を合わせ、笑い合い、言葉を交わしあうことができなくなるのは限りなくせつない。仲間たちとスクラム組んで、目を高く上にあげ、イエス・キリストを見つめながら、一歩、また一歩と歩んだ、30年近い歳月がたまらなくいとおしい。小さな者に、弱い者に、歩幅を合わせてくださった、やさしい歩調がなつかしい。

 

主よ、なぜですかと問うことは愚かだという人がいる。さぞ信仰の深い人に違いない。信仰の薄い私にはできない。主よ、なぜですかと、なんどでも問うてしまう。

 

この方は、半月ほど前に言われた。桜の花の下を、自分の足で歩きたいと。31日の復活祭には、病院から教会に行きますと。

 

この方は、一週間前に言われた。いよいよ私も義の冠が待っているところに行きます。霊的にはとても元気ですと。電話口の向こうのお声は、春の光の矢のような透明な力強さと明るさに満ちていた。私の耳元に春の希望の風が転がり込んできた。

 

それでも、不信仰な私の心にはふっと憂いが、悲しみが、あふれる。

主よ、なぜですかと、問うてしまう。

 

 

 

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日々の風から 今朝の礼拝 3・11の痛みを新たに・『とりなす者がいなければ』
 

 今朝の礼拝はいつものテキストから離れて、特別に丸二年を経た311を風化させないための祈りとメッセージがされました。聖書はイザヤ書591516節でした。

 私たちはイエス・キリストのいのちをかけたとりなしによって救われたものであるから、今なお苦しみの中にいる被災者のために日々とりなしの祈りを捧げ、できるだけの奉仕をしていこうと奨めがありました。また、所属教団から全教会に配布された合同の祈りを、全員で捧げました。その全文を掲載します。なお、我が教団の被災地へ取りくみや下記の全文は『日本同盟基督教団』のHPをご覧ください。

 

東日本大震災から二年を迎えての私たちの祈り

 

序詞

明日、3月11日で、東日本大震災から二年を迎えようとしています。私たちは今、私

たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神をほめたたえ、全国

の同盟教団の諸教会とともに、心を合わせ、言葉を合わせて、祈ります。

 

聖書

■コリント人への手紙二13節〜5

3 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえら

れますように。

4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たち

、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰める

ことができるのです。

5 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによって

あふれているからです。

 

祈り

慈しみ深い父なる神よ。

いま私たちはあなたの父としての慈しみを信頼して、あなたの子どもたちとして祈って

います。どうか私たちのささげる祈りに耳を傾け、あなたの恵みを注いでください。

東日本大震災から明日で二年を迎えようとしています。あの時以来、月日が流れました

が、今なお、時がとまったままのように立ちすくんでいる人々がいます。地震と津波によ

って町や村、家々が押し流され、たくさんの尊いいのちが奪われました。今なお人々の心

は傷ついています。目に見えるところでは少しずつ復興が進んでいるように見えますが、

人々の心はなお痛んでいます。愛する家族やかけがえのない人々を失った人々の上に、家

や仕事、大切な財産を失った人々の上に、将来の希望を失った人々の上に、あなたの深い

あわれみを豊かにお与えください。

その一方で、震災はもはや過去の出来事のように忘れ去られようとしています。忘れや

すい私たちの罪、無関心を装う私たちの罪をお赦しください。あれほどの事故が起こった

原子力発電所を、再び動かそうとするこの地震国の指導者たちを押し止め、より賢明な道

を選ばせてください。苦しむ人々のことを忘れて、自分たちのことばかりを考える私たち

の自己中心の罪をどうぞお赦しください。あなたが慰めを与え続けておられる人々のもと

に、私たちもまたとどまり続けることができるように、あなたの愛を与えてください。

 

慰めにあふれておられる御子イエス・キリストよ

私たちは今、あなたの十字架の御苦しみを覚える受難の季節を過ごしています。あなた

の十字架こそが私たちの救いです。十字架においてあらわされたあなたの愛だけが、私た

ちを慰め、励まし、生かすものであると信じます。どうか今なお深い悲しみの中にある人々、

疲れ果てている人々、恐れの中にある人々、生きる力を失いかけている人々に、あなたの

愛を、十字架の愛を豊かに注いでくださいますように。

私たちは、あなたの十字架の御苦しみの向こうに、復活があることを知っています。復

活こそが希望です。どうか傷ついた人々が、絶望した人々が、あなたにある希望に生きる

ことができますように。そのために、希望の福音を託された諸教会を祝福してください。

福音を語るために遣わされている牧師たちを祝福してください。いのちの望みを語ること

ができますように。罪の赦しを語ることができますように。本物の愛を語ることができま

すように。そして人々が福音に生きることができるようにしてください。

 

慰めと励ましの主なる聖霊よ

あなたは父なる神と御子イエス・キリストから遣わされた慰めと励ましの霊として、今

も私たちとともにあり、うちに住んでいてくださることを感謝します。どうか今、慰めと

励ましを必要としている人々、被災地の人々、被災地の兄弟姉妹たち、被災地の伝道者た

ちを慰め、励ましてください。またあなたは派遣の霊でもあられます。どうか私たちを遣

わしてください。祈りをもって、献金をもって、また許されるなら私たち自身をもってあ

なたが必要とされるところにお遣わしください。あなたの慰めを届ける器として私たちを

用いてください。

引き続き同盟教団の諸教会を祝福してください。あなたの愛に結ばれた教団として、心

を一つに祈りの手を上げ続け、支援の働きを続けることができますように。共に働く諸教

会、諸教団、さまざまな支援ネットワークの働きを祝福してください。その中で同盟教団

が主のしもべとしてよく仕えることができるようにしてください。そのために必要なすべ

てのものを豊かに与えてくださいますように。

今、私たちはあなたの弟子たちとして、あなたの教えてくださった祈りを、心をあわせ

て祈ります。

主の祈り。

天にましますわれらの父よ。

願わくは、御名をあがめさせたまえ。

御国をきたらせたまえ。

御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

われらの日用の糧を今日もあたえたまえ。

われらに罪を犯すものを、われらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ。

われらをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは、かぎりなくなんじのものなればなり。

アーメン。

 

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日々の風から 私の小さな春


江戸川べり


じゅん采池の鴨


標識



妹その3から近くの梅がきれいだから見に来ないかと誘いが来た。妹その1も参加して江戸川を渡った。ふたりとも最近は鳥女になっている。バードウオッチャーである。すでに双眼鏡を手にしている。二人はそれぞれにあちこちのグループに入って地方まで観鳥に出掛けている。そういえば誘いの言葉は、観鳥、観梅に来ませんかだった。早速二人は私越しに両脇から何どりをどこで観たと、ひとしきりさえずりが続いた。

 

北総線矢切からじゅん菜池に降りていく。道々、確かに鳥の鳴き声が聞こえる。あれはヒヨドリ、あれはしじゅうから、あれはつぐみなどいちいち説明が入る。声の方へ視線を向けては目で位置を確かめ、やおら双眼鏡を当てるのである。人間ってこんなに一つのことに夢中になれるものかと思うほど、いや、あきれ果てるほど、熱中している。私は梢の鳥を探すより足元を見るほうに気を使っている。うっかりすると転びそうになるからだ。

 

そういえば昨年の今頃も同じことをした。梅の林の中を鳥を追いかけて走り回ったのだった。周辺には立派なカメラ付双眼鏡をセットした初老の男性たちがいる。リュック姿の女性もいる。楽しんでいるのだ。観鳥ツアーのパンフレットも見せてもらった。日本の隅から隅までツアーがあるのだ。おどろいてしまう。専門家に同行すると、必ず珍しい鳥を観ることができるらしい。

 

近くの花の農園に立ち寄り、恒例の野菜カレーをいただいた。まだ花盛りではないが、広いガーデンいっぱいに樹木の間に苗や鉢が置かれ、芽吹いたり開花している。我が家から荒川、江戸川と渡っただけなのにすっかり田園風景である。

 

妹その3の家でお茶してから、江戸川の土手に出た。そこから里見公園に入った。ここにも双眼鏡とカメラのついた装置をこしらえて、椅子に座ってじっと鳥を負っている人々がいた。鳥の飛来時刻まで知っているらしく、そんな話し声が聞こえてきた。今回、木の枝の間にうずくまっているゴイサギをみた。フクロウのようにじっとうずくまっていた。夜行性だそうだ。サギでもこんな種類がいるのかと、生き物の世界の不思議を垣間見た気がした。

私のちいさな春の一日であった。階段やでごぼこ道をずいぶん歩いたが、過度の疲労はなく、爽快であった。

カレー


 
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日々の風から 我が家の春 その2
 

高校生になる孫に、我が家がいちばん先にしたことは、なんと、彼が携帯電話を持つことだった。全くいまどきの話である。とはいえ、高校生になって初めて携帯を持つのは、笑われるくらい遅れているらしい。早い子は小学生時代からすでに持っている。この場合はご両親とも働いており、祖父母の同居もないいわゆる核家族の家庭だそうだ。親と子の連絡のためにも携帯は必携品になる。中学生になると、学校への持ち込みは禁止らしいが、大方の子どもが持っている。

 

我が家は高校生になってからに決めた。ところが子どもたちの間では小学生の間からメールのやり取りが盛んにおこなわれている。我が家のS君もMちゃんも無関係ではいられない。そこで、パソコンにアドレスを作って、親のパソコン、あるいは私のパソコンから交信している。従来の電話を使い合うことはめったにない。二人とも私の部屋に入ってきては「パソコン貸してね」といって、自分のページを開く。時には使い途中で席を譲らされる。ついでに私の使い方がおかしいと直したり教えてくれたりするが。

 

S君はようやく念願の自分だけの携帯が持てるので大喜び。この際、Iphoneだそうである。

今までも私は家族ぐるみの契約の中に入っていた。こんどもそれで行く。会社を変えるそうである。ずいぶん研究していた。「お母さんはどうするの。Iphoneにするの」と問われたたが、私にはその気は全くない。私の携帯の役割はもっぱら連絡のみである。メール、それも外出の時に簡単な伝言ができればそれで十分なのだ。ほとんど家からPCで送っている。ゲームをするわけではないし、音楽も聴かない。家で聴けばよい。とうわけで、今までのスタイルでいいことにした。でも、会社が変われば新しいのを持つことになる。おかげで、すてきな携帯を持つことになった。春色で、うれしい。

 

多少の問題はMちゃんある。中学生になる。好奇心いっぱい、所有欲もいっぱいである。周りの友達は全員と言っていいほど持っているらしい。でも我が家のルールは知っている。覚悟はしているのだが、気持ちがおさまらない。ましてIphoneである。興味津々なのだ。

ママのをどんどん使っている。私のも盛んに使っている。何かの時は持って行っていいよといってある。それで気持ちが済むらしい。今までも、私の携帯はS君がよく持って出かけた。

 

その契約をするために、近くのヨドバシに行った。いつもパソコンのインクなどを買いに行く店である。ちょうど都立入試の終わった日の夕方だった。入り口近くに携帯会社がずらりと並び店員が大声で宣伝している。いつも素通りするのだが、お客のいない時もある。ところがである。どの会社の前にも人があふれている。奥のカウンターには座りきれないほど人が並んでいる。S君の学友が何人もご両親らしき人といる。びっくりした。

 

我が家は一度に4台契約するのだ。しばらく待っていたが終わりまではとても無理だと思って、あとはすべてお任せと言って、一足先に帰宅してしまった。第一、寒かったのだ。具合が悪くなりそうだった。ところが、一足どころではなかった。彼らが帰宅したのは3時間もあとだった。

 

改めて、昨今の社会現象を見た気がした。これが今の社会の主要な断面なのだ。経済的にはたぶんどの家庭も厳しいだろう。もちろん富裕層とか言われる人々もおられるだろうが。

子どもが高校へ中学へと進学すれば必ず経済問題が付いて回る。我が家のように公立一本で行くにしても親の負担は並大抵ではないとおもう。思えば携帯電話など不要のたぐいではないか。それを第一に持つのが当然以前の当然になっている世の中を、違和感を持って眺めざるを得ない。かくいう私も時代に巻き込まれて、パソコンをし、携帯を持って喜んでいるのだが。この種の業界を引っ張ってきた実業家たちの華々しい働きがよく報道される。日本だけでなく世界的な現象らしい。世の中は変わったのだ。これからもどんどん変わっていくのだろう。変わり方には受容できるものとそうでないものがある。古きに固執することはないが、身の丈に合った選択をしたい。

 

あれから数日たって、私も新しい携帯を楽しんでいる。だいぶ使い慣れてきた。アドレス帳に初めてS君が加わった。
これが我が家の春風第二陣である。

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日々の風から 我が家の春

 

ついに3月を迎えた。待ちに待っていたのである。今年はいつになく1月、2月が長くて辛かった。寒さの問題ではない。まったく個人的な庶民的な理由からである。おばばバカとしての理由である。同居の初孫S君が高校受験で奮闘していた。なにしろ我が家では初体験。

長女夫婦は親としてむろんだろうが、妹のMちゃんも心遣いをしていた。お友だちを家に招いてはしゃぐこともしなかった。みんなでできる限り協力した。何にもまして、教会の方々が熱い祈りをささげてくださった。

 

祈られて、主の憐れみと助けをいただいて、若者は戦場に出て行った。武者震いをしただろう。たぶん、この一年で、彼は信仰的にそして人間的に深いところで成長したと思う。こうした経験は大事である。楽な道もあろうが、彼はまっすぐに困難を目指して進んだ。その分、ハラハラした。昨日、本命であった都立難関校の合格を手にした。みんな喜びの涙にくれ、主の御名を崇めた。私もおばばバカ丸出しで、多くの方々に祈っていただいた。

 

皆様、ありがとうございました。

心から感謝のお礼を申し上げます。

 

希望の風の家にも、恵みの春一番が、勢いよく香り高く吹きこみました。 ハレルヤ!!

 
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