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世相の風から 製造されない一円玉
自分の支払いスタイルを振り返ってみた。アナログ人間というのだろうか、ずっと現金主義で来た。若い人たちがカード決済を当たり前にしているのを横目で見ながら、小さな経済だもの、すべて現金で事足りるわと考えていたが、しばらくすると、カード使用は金額の大小には係わらないことを知った。ところで私の物事へのこだわり方はいたっていい加減。選択は好みの問題かもしれない。きっかけは思い出せないが、日常以外の買い物にカード決済することにした。こわごわとカードを持った。お財布に入れるのも気が気ではなかった。 やがてだいぶ慣れてきた。経済の管理も現金一点張りよりは複雑だが、わかってきた。ところが近年、電車の乗降にスイカが使われ出してからは初期のうちに使いだした。これは使わずにはいられない。切符を買うためにいちいちお財布を出したり入れたりしなくて済むのは、事故防止にも時間節約にも効果的である。そのうちに駅ビルなどの買い物にもスイカが使えるようになった。日常の小さな買い物にも使うようになった。レジの前で、お財布を取りだし小銭を数えることもなく、次に待っている方に迷惑をかけることない。大変便利だ。とうわけで、お財布はカード出し入れだけで、本物のお金を使うことが少なくなった。たくさんの?現金を持ち歩くこともなくなり、大きなお財布もいらなくなった。極端な話になるが、カードさえ持っていればいいというわけである。 もうひとつ、変わってきたことは、ネットでの買い物。これこそ、いちばんしなかったことだった。第一、現物を見ないでどうして買えようか。その考え方は今も変わらないが、ある時、本を買ってみた。ところが注文すると翌日には届くのである。宅配のお兄さんには申し訳ない気がするほど、たとえ一冊でも走って届けてくれる。この利便さには文句のつけようがない。中古本さえ買っている。低価格で新品と間違うほどの本が来る。世の中おかしいのではないかとさえ思ってしまう。これでは、お店が遠い方や、外出が困難な方や、お年寄りが利用するのも無理はない。しかし、そこには落とし穴があるから、心の財布の紐をきっちりと締めておかねばならないが。 しかし、自分のお財布の中身をじかにいつも自分の目で確かめながら生活してきた時の方が地に足のついた生き方ができていたような気がする。自分の分に応じた生活である。カード一枚で買い物をするのと、実際に現金を並べてするのとの間には、大きな隔たりがある。心にすきまができはしないか。現実感が薄く緊張感が欠如すると思う。漠とした虚構の世界があるようにおもう。そんなこと考えること自体、時代にそぐわない老人のたわごとかもしれないが。一円玉には穴が開いていないが、世相や自分の昨今を見せてくれた。 2013.02.25 Monday 17:45
日々の風から 早朝の祈り会へ
早朝の青山通りを歩いた。ある祈り会に証しの奉仕で招かれていた。ここ数年は一年に一度ほど伺う。以前は親しい友人もおられるので、自主的に頻繁に祈りの輪に参加していた。しかし、近いと思った青山も一年ごとに遠く感じるようになり、頻度が少なくなっていった。そうこうしているうちに世話人の姉妹から、証し者として奉仕に来てほしいと頼みこまれた。考えてみれば、文章で証しするのも、語って証しするのも根っこはひとつである。そんな経緯があって近年は一年に一度の怠惰な訪問者になった。 通勤時間帯だがJRではないせいかラッシュは殺人的ではない。さすがに座席はないが吊革に捕まる余裕はあった。オフィスへ急ぐ人たちの中に混じると、こちらの気持ちも引き締まってくるから不思議である。若返った気がしてくる。もう一度働きに出てみたいなどと、ふと、非現実だからこそであるが、思いは脱線して限りなく、気が付けば心が弾んでいる。 一年ぶりの祈り会は確実に出席者が減少していた。会えると思っていた兄姉も、ある方は施設に入ったとか、寒い日は外に出ないとか、急に入院した等、不本意な報ばかりで驚いてしまった。ここも高齢化の波高し、なのだ。それでも、十年一日のごとく、祈るためだけに集ってくる兄姉の皆様に深く心揺さぶられた。主はこの一途さをどんなに喜んでおられるだろうと思い、怠惰な我が身を恥じた。 97歳になるH兄のかくしゃくたる祈りの声が響く。兄は72歳で退職すると、食事の支度を筆頭に一切の家事を引き受けると宣言し、ずっと家庭を守ってきた奥様を家事から解放したそうである。ところが数年で奥様が天に帰ってしまった。自分の番もすぐだろうと思っているうちに97歳になってしまったとのこと。お世辞でなく、80代前半にしか見えない。命は神様の支配下にあるとはいえ、兄の抑制のきいた自己管理も長命に大きな功を奏していると思えた。週一度、この厳冬の早朝に、祈り会に欠かさず出席するだけでも並ではない。大先輩の前に低頭するばかりであった。 あかし文章活動を紹介すると、この日初めて参加された母娘の二人連れが、証しを書いてみたいと申し出られ、帰り際にしばらくお話しした。集会案内を送りますというとアドレスをくださった。新しい出会いがあるのもこうした超教派ならではの出来事である。今後を主の導きに期待したい。 証しでは、昨年の夏に旅したモンゴルの様子をお話した。皆さんはたいへん興味を持って聞いてくださった。やはり、日本ではモンゴルの国情などはあまり知られていないのだ。宣教師や教会や現地のクリスチャンのために祈りが捧げられた。これは貴重なことだ。帰宅後、早速宣教師にこの様子をメールした。たぶん励ましになったと思う。 ついでに、モンゴルでは、春の兆しは何に見られますかと質問した。 どんな返事がいただけるだろうか。楽しみである。 2013.02.20 Wednesday 21:48
日々の風から 紅梅・白梅 競い咲き
2013.02.16 Saturday 12:58
心の風から 名作の背景から 体罰あるいは虐待、折檻
第一冊目の初めの部分に、幼いデイヴィッドが、継父のいわば虐待方針で、愛する母から離されて送り込まれた寄宿制の学校生活が克明に描かれている。そこには、≪凶暴な韃靼人≫のような(この言い方は差別用語ではないか)校長に鞭打たれながら勉強する恐ろしい光景がある。手でたたくのではなく、鞭でひっぱたくのである。鞭など見たこともないし、それを振り回して叩くなど想像するだけでも恐ろしいの一言である。生徒たちは容赦なく振り下ろされる鞭の下で身もだえし、真っ赤なミミズ腫れの背中の痛みをこらえ、それでも我慢しながらたくましく成長していく。 ふと、最近、大きな社会問題になっている学校での体罰事件を思い出した。 体罰は今に始まったことではない。時々世相の表に現れるが、昔からあったことなのだろう。程度問題もあるが。殺人に至ったり、あるいは自殺に追い込んでしまうのは言語道断である。 中学生の頃、担任が若い男性だった。男子がいつも殴られていた。頬をぶたれていた。教室の後ろに10人くらい立たされて、端っこから順に大きな怒声を浴びながら激しくぶたれた。年中であった。原因はなんであったか覚えていないが、恐ろしくてじっと下を向き、身を縮めて終わるのを待っていた。 本では、よく体罰が描かれている。昨年読んだ『ジェーン・エア』にも陰惨な体罰と虐待の場面が延々と続いていた。『レ・ミゼラブル』ではコゼットが入った修道院の生活が身震いするほど恐ろしかった。日本でもそうだったのだろう。考えてみると幼い子どもたちはみなひどい目に会ったといえる。教育者たちは体罰や虐待を第一としてはいないのはもちろんだが、教育の過程でそうなるのだろうか。教育する者とされる者、訓練する者とされる者の間には、体罰や虐待が必然的に存在するのだろうか。《愛の鞭》という言い方があるが、これはそこから生まれた言い逃れなのだろう。 あるとき友人の教師が話してくれた。授業していると生徒の方から物が飛んでくる。けしごむであったり、紙つぶてであったりする。嫌がらせというか教師いじめである。冷静に講義するのは並大抵のことではないと。教師が脅かさないと生徒が脅かしてくる。なんという情けないことだろう。ここにも食うか食われるかという弱肉強食の構図があるのだろうか。 ふと思う。作家たちは思い思いに自分の子供時代を重ね合わせながら小説を書いているのだろうが、皆、心の奥深くに傷や痛みや恨みが消えないまま残っているのだ。思い出が強烈だから書くのだろう。あるいは傷が癒えていないから書くのだろう。暴力は人の人格を蝕む恐ろしい力を持っている。単に肉体を傷つけるだけでなく、むしろ、心の傷の方が大きい。暴力が大手を振るところに愛はかけらほどもない。愛の鞭なんて詭弁だ。感情に任せた暴力の中に人を生かし育てる力があるのだろうか。 教育や訓練の究極的な目標はなんだろう。学問では良い成績を得ること、スポーツなどの戦いでは勝利することだけであろうか。実利だけを負う成果主義ばかりが目につく。最終ゴールは高潔な人格を形成するためではないのか。これは空想めいた理想論だろうか。傷ついた心をいやすことこそ目指すところなに、かえって傷を深くしてどうなるのだろう。試行錯誤するだけで妙案はないが、一つだけわかるのは、受ける者、与える者の双方に愛と信頼が欠けているのだ。人間には心があるのだ。弱くて強い、ちょっとした刺激で生きもするし、死んでもしまう心があるのだ。考えはどこまで行っても止まらない。脱線したかもしれない。 また考えます。今は、教師側も生徒側も、お互いを尊重する同じ強さの愛と信頼で結ばれるように祈り願うのみである。 2013.02.11 Monday 11:45
日々の風から 立春は希望の風
だいだい的な大雪の予報に、先月の記憶も生々しい首都圏は大いにあわてている。JRを初め各交通機関は間引き運転を通達し、そのようにしているらしい。昨夜は、なんとなく気になって熟睡できず、何度もカーテンの裾をめくっては外を観察した。雪の気配はなかった。 先だっての大雪で、我が家のたった一つひとつの除雪武器であるシャベルの柄が折れてしまった。昨夕、娘があわてて買いに走った。2軒ほど回ったそうだが売り切れだったとか。長靴はやっと2足買えた。飛ぶように売れていたそうだ。無駄になるものでもないから備えておくにこしたことはない。災害?は忘れたころにやってくるとよく言われる。雪に限らず、できる範囲での防災は大切なことだと思う。私などはいつも無防備で、油断と隙のかたまりなのでちょっぴり反省している。 月曜、火曜と続けて外出したが、雪の予報の今日は在宅できる。もちろんお天気がよければ、用事をひねり出しても外へ出るのだが。じっと窓越しに様子をうかがっているが、みぞれではないだろうか。雪はない。このまま過ぎてくれればと願う。予報が外れたと言って非難することはない。災害予報は外れたほうが幸いである。関係当局も綿密な調査の上で発動した 対策なのだから。災害は人間の予測通りにはならない。 暦の上では立春を迎えたのだ。立春とはなんと快い響きだろう。たとえ現実は厳寒であり、意地悪としか思えないような寒風が吹いていても、すでに立春だと思うと心が強くなる。 うれしい約束の期日が日に日に近づいているのだと、わくわくしてくる。人間の心って面白いと思う。希望で生きられるのだ。希望の眼鏡をかけて現実を見ると、違って見えてくる。 もちろんその希望は単なる空想や楽観主義でなく、確実なものでなければならないが。 夕方にはこのみぞれも上がるだろう。この雨で、近くの梅園の木々も勢いを得てつぼみが膨らんだかもしれない。一つや二つ開花しているかもれない。 2013.02.06 Wednesday 09:56
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