人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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書林の風から 『海からの贈物』その3 アン・モロウ・リンドバーグ 吉田健一訳 新潮文庫

★ほら貝

アンの手の中にあるほら貝は、親指くらいしかない大きさです。一時やどかりが住んでいたのですが都合でそのほら貝を捨てて逃げ出したようです。アンは自分も何週間かの休暇の間、生活の殻から逃げ出してきたと言います。手の中にあるヤドカリが住んでいたほら貝は簡単なもので無駄は何もなく美しい。しかしいくら眺めても飽きることがないほどよくできている。アンは小さな貝をしげしげと眺めその様子を詳細に記しています。次にアンの思いは、抜け出してきたニューヨークの郊外の家や家庭生活に及び、多岐にわたる生活ぶりが書き出されています。

 

そしてアンは言うのです。

『私自身と調和した状態でいたい。義務や仕事に私の最善を尽くすために、私の中にしっかりした軸があることを望んでいる。神の心にかなうように与え、仕事をしたいと思う。いくつかの方法があるが、自分の生活を簡素にすることがその一つである。ヤドカリのように何でも運んで行ける簡素な殻の中に住みたい。しかしそれは私にはできないことで――』

 

アンは妻として5人の子どもの母としてのこまごまとした家庭生活の雑事、社会的な仕事や係わりを列記しています。それは極めて煩雑な生活です。

アンは言います。『それは私たちを統一ではなくて分裂に導き、恩寵を授ける代わりに私たちの魂を死なせる』と。

『生活が何かと気を散らさずにはおかない中で、どうすれば自分自身であることを失わずにいられるか。完全な答えがあるだろうか。ほら貝の簡素な美しさは私に、第一歩は生活を簡素化して、気を散らすことのいくつかを切り捨てることだと教えてくれる』

『無人島に一人で住むことも、自分だけ尼さんの生活をすることもできない。それをのぞんでもいない。その中間のどこかで釣り合いを取り、あるいは両極端の間を往復する律動を見つけなければならない』

 

たしかに、私自身もアンのいうとおり、家族を捨て社会から分離して隠者になることなど望まないし、何よりもそれは神様の望まれるスタイルではないと思います。

アンは、世間を離れて浜辺に一人になっている間に、世間での生活で役に立つ何かを学べるかも知れないと考え始めます。

 

アンは言います。

『浜辺での生活で第一に覚えることは、不必要なものを捨てることである。どれだけ少ないものでやっていけるかで、どれだけ多くではない。身の回りのことから始まって他のことにも広がっていく。最初に着物の数を少なくすることである。これは虚栄心を捨てることにつながる。次に住居、家具。家には本当に何も隠さずに話せる友達だけを呼ぶことにする。交際上の偽善をも捨てる。対面を作ろうことその仮面を捨てること』『簡素な生活はどんなに落ち着いた気持ちにさせるものかを発見する』

『外面的な生活を簡易にするだけではまだ足りない。外側は外側に過ぎないのだが、それでも私はそこから始めようと思う』

 

アンはほら貝の外側を見ながら、思いを中へ中へと進ませていきます。次にアンはつめた貝を手にしながら、また次々に思いを深めていきます。

 

 

 

 

 
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書林の風から 『海からの贈物』その2 アン・モロウ・リンドバーグ 吉田健一訳 新潮文庫
 

著者アン・リンドバーグは、世界的に著名な夫の妻であるだけでなく、アン自身女流飛行家の草分けの一人であり、今度の大戦後はヨーロッパに渡って、フランス、ドイツなどの罹災民の救援事業に乗り出し、その状況を発表している。アンは、アメリカ人で、本書を著した時はコネティカットに住んでいた。しかし、本書には自分の経歴など、過去、現在の個人的なことには一切触れていない。わかることは夫と5人の子どもの母だということだけ。

一人の主婦でありそれより一人の女性として、自分を見つめ、生き方を考え、探り、自分自身に語りかけているのである。本書は、アンが、ある時、家から遠く離れて、単身、ある島にしばらく(数週間という)暮らした時に思索した事柄が記されている。決して紀行文ではない。アンの思いは外側に散るのではなく、自分の内側へ内側へと深く鋭く向かっていく。その意味で、読者はアンについていくのに困難を覚えるときがある。翻訳がまた独特といったらいいのだろうか、早く言えばわかりにくいのだ。


目次を紹介します。

★序

★浜辺

★ほら貝

★つめた貝

★日の出貝

★牡蛎

★たこつぶ

★いくつかの貝

★浜辺を振り返って

 

浜辺で出会った貝の形や色や性質を通して、生き方を探求している。全編が見逃せない文章、あるいはフレーズばかりである。こうした類の本はどのように紹介したらいいのだろう。一言にまとめたら味気ない。かといって、全編を書くわけにはいかない。要旨もつまらない。

つじつまは合わなくても、アン自身の言葉を書きぬきたいと思う。

 

目次の項目に従ってみていくことにする。

 

★浜辺

アンは浜辺に、藁の籠に本や紙や返事を書くはずの手紙や、削りたての鉛筆や予定表などをいっぱい詰めて張り切って出かけていく。しかし何もせず、考えもしない。初めのうちは。

 

初めのうちは自分の疲れた体がすべてで、何もする気が起こらない。気抜けがして、ただそこに横になったままである。

 

二週間目のある朝、頭がようやく目覚めて、また働き始める。それは浜辺の生活なりにである。砕ける波とともに漂ったり、戯れたり、静かに起き上がったりする。砂の上には、ほら貝、つめた貝、たこぶねが打ち上げられるかもしれない。しかしこっちから探してはならない。海は物欲しげなものや、欲張りや、焦っている者にはなにも与えない。地面をひっくり返して探すのはせっかちであり信仰がない。忍耐が第一だと海は教える。忍耐と信仰である。我々は海からの贈り物を待ちながら、空虚になって横たわっていなければならない。

 

上記は抜粋です。

まず、一人っきりで離島の浜にやってきて、初めのうちは何もする気が起きず、二週間目にようやく頭が働き出すというのに驚いてしまいます。そんな体験はしたことがありません。

たぶん、夫と5人の子どもがいる主婦で、あるいは何か専門職を持っている方であっても、

そんな時間の使い方をする人は日本の女性ではいないと思ってしまいます。

 

いつも、体が疲れていて気力が起きないとは、うすうす感じながらも、われとわが身に鞭打って、働き続け、生活し続けてしまいます。もし、私に、数週間も一人で過ごせる場所があったとしたら、喜んで行くだろうか、まずそこから二の足を踏むだろうと思います。日ごろ、ゆっくりしたい、一人きりで山や海の見えるところで過ごしたいなどと、口では言うけれど、さて、実現するとなると、かえって困ってしまうかもしれません。

 

心身が本当に新しく目覚めるのには二週間もかかるのは驚きです。なにもできず、日がな一日中、浜辺に寝そべって、波や空を眺め、風に身を任せるのです。何も考えずにそうしていたら、そのままずっと考えない人間になってしまうのではないか、心身が退化してしまうのではないかと、変なことが心配になります。しかし、自然の中に溶けてしまいそうになるまでなすがままに任せていると、やがて頭が目覚めてくると、アンは体験したことを語っています。さらに海からの贈り物を得るためには忍耐と信仰がいると言います。(続く)

 

 

 

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書林の風から 『海からの贈物』アン・モロウ・リンドバーグ 吉田健一訳 新潮文庫
 

いままで聞いたことのない題名である。著者はどこかで聞いた気がした。巡り合いは、一冊の本の中である。須賀敦子のエッセー『遠い朝の本たち』に出ていた。須賀敦子を読みだしたきっかけ忘れてしまったが、河出書房新社からの全集を図書館から借りて次々に読んだ。10年も前のことだ。ハードカバーの厚い本だった。須賀敦子は98年に亡くなっている。

私の周辺にも須賀ファンがいて、顔が会うといいわねえとため息をつきながら話し合う。

 

今年になって、全集が文庫化されたのを買い始めた。本と本の合間に開く本にしている。他のことで忙しくなると息抜きのように手にしてはて須賀ワールドに浸ることもある。切れ目なくそんな読み方が続いている。何度でも読むからさすがに覚えている。登場してくる人物たちともおなじみになっている。ベネッチアやローマのゲットーの話が忘れられない。

それはさておき、全集の第4巻は須賀敦子が読んだ本にまつわるエッセーが収まっている。『遠い朝の本たち』や『本に読まれて』がある。 

 

『海からの贈物』はエッセー『葦の中の声』に書き込まれている。アン・リンドバーグは御主人とともに世界的なアメリカ人飛行家である。夫君チャールズ・リンドバーグは1927531日の朝、ニューヨークの飛行場を飛び立ってから33時間後に、パリのブリュージュ飛行場に無事着陸し、初めての大西洋横断単独無着陸をなしとげた冒険家、英雄である。そのときの体験が『翼よ、あれがパリの灯だ』の著書だそうだ。夫人のアンは夫の冒険飛行に参加し《女性飛行家の草分け》の異名がある。この夫妻がある時、アメリカから北回りで東洋へのルートを探るための飛行中に、北海道か千島列島の海辺の茂みに不時着したそうだ。

 

須賀敦子はその出来事を追いながらも、若いことからのアンへの、特にアンの文章に心奪われたことを強調している。そして、《ながいこと記憶にしみこんでいた》アンの著書に出会うことになった。それが『海からの贈物』であった。

 

アンの著書から須賀敦子は引用する。

『我々が一人でいるというのは、我々の一生のうちで極めて重要な役割を果たすものなのである。ある種の力は、我々が一人でいるときにしか湧いてこないものであって、芸術家は創造するために、文筆家は考えを練るために、音楽家は作曲するために、そして聖者は祈るために一人にならなければならない。しかし女にとっては、自分というものの本質を再び見いだすために、一人になる必要があるので、その時に見いだした自分というものが、女のいろいろな複雑な人間的関係の、なくてはならない中心になるのである。女はチャールズ・モーガンが言う、≪回転している車の軸が不動であるのと同様に、精神と肉体のうちに不動である魂の静寂≫を得なければならない』

 

『アンは、女が、感情の面だけによりかかるのではなく、女らしい知性の世界を開拓することができることを……私に教えてくれた。徒党を組まない思考への意志が、どのページにもひたひたとみなぎっている』             

 

私は、この文章に惹きつけられたのた。特に女性への言及の箇所が我が意を得たのだ。(ついでであるが、『海からの贈物』の訳がどういうわけかひどくわかりにくい。訳者の文体なのか、アンの文章がそうなのかわからないが、日本語をもう一度自分で言い直さないと理解できない個所が多々ある。それに、女という表現には違和感がある。女性としたい)

 

人が時に一人でいることの大切さは今に始まったことではない真理だ。しかし、特に女性にとってというところが斬新だ。最近、自分ももちろん含めてであるが、中年以降の特に初老の女性たちが、一口で言えば多動で多言、悪く言えば落ち着きがない。口八丁、手八丁の表現の通り、実によく気が付くし体も動く。親切で労をいとわない。己を捨てて愛の業に励む。まことに麗しいのだ。しかし、である。たえず、外に向かってのみ自分を使っている。自分の内側を満たす作業をしていない。これでいいのだろうかと思っていた。

 

私は『海からの贈物』を即刻買い求めた。アンの人生論や女性論をじっくり拝聴し、自分自身を吟味する秤にし、これからの生き方の知恵をくみ取りたいと思ったのだ。

 

アン・モロウ・リンドバーグは『序』で書いている。

『ここに書いたのは、私自身の生活のあり方、またその私自身の生活や、仕事や、付き合いの釣り合いのとり方について考えてみるために始めたものである。……女というもが皆新しい生活を求めたり、自分一人でものを考える場所を欲しがっている訳ではなくて、多くは自分の現在の生活で満足しているのだとも思った。その人たちの生活から受ける印象では、非常に旨くやっている、問題などなくて、あるいはすでに解決済みで、私が考えているようなことは興味も価値もない者と決めていた。……しかし、多くの女や、男も、本質的には私と同じ問題に取り組んで、考えたがっているのだった』

 

本の内容については次回に繋げます。

 

次いでながら、リンドバーグ夫妻には痛ましい事件がある。1932年にわずか18か月の長男が誘拐され、殺されてしまったのである。その後5人の子どもをもうけている。が、夫君は、外の女性に3人の子どもを産ませている。

 

多事多難な中で、アンは多くの仕事をもこなし、現実に埋没することなく、一人の人間として女性として、深い思索の中で生き方を探求した。そして、自立した女性としてたくましく生き抜いた。
2001年、95歳で没している。(続きます)

 

 

 

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日々の風から モンゴル紀行 後日語り・暖房のこと

教会付近
教会の周辺



昨日、モンゴルの気温と暖房のことを書きましたが、写してきた写真に中にかまど(ストーブ)がありましたので、載せました。一つは、ゲルの中央にあるかまど、もう一つは、グループホーム・グレイスセンターの入り口の奥に設置されていたものです。壁暖房にも使うものです。記事の中の宣教師の説明と合わせてご覧ください。今日のウランバートルの気温は
3度/−8度です。ガスも灯油もない人々の生活にしばし思いを馳せ、豊かな国に生かされている者の恵みを感謝しながら祈りたいと思います。

 

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日々の風から モンゴル紀行 後日語り


かまど2
ゲルの中心にあるかまど

モンゴルの旅から帰って、もう1ケ月半になる。モンゴル紀行と題したブログは9月ひと月をかけて12回アップした。まだ旅程の最後の日までは済んでいなかった。しかし、筆を擱いた。旅の一日一日は新鮮な出来事の連続である。記録したい物語の宝庫である。しかしそれを文章化するのは限度がある。心を残しながらも断念せざるを得なかった。

 

9月は暑かったが、一気に秋に突入し、今や冷気さえ感じる。衣替え、寝具替えと、日本の秋は毎年のことながらせわしいことだ。気温が日に日に下がっていく。在宅の時はあまり気にならないが、外出となると天気予報を知らないでは不安である。今ではネットで調べることが常習となってしまった。

 

最近していることは、ついでに世界の天気を開き、モンゴルを見ることだ。冬はマイナス40度を超えると聞いてきた。その通りに、ぐんぐん下がっている。そのたびに驚きの声を上げてしまう。今日はウランバートルで3度/−10度と出ている。−10度である。ため息が出る。あの、簡素な建物で−10度とどのように対処するのだろうか。

 

旅行中、暖房について聞くチャンスがなかったのでD宣教師にメールで質問した。ていねいなお返事をいただいた。ここに紹介します。

 

<ストーブの燃料、家の暖房について>

ストーブの燃料は、ウランバートル等の都市部では主に石炭と薪です。伝統的には(地方部の草原地帯では)乾燥した牛糞を燃やします。牛糞は未消化の繊維質が豊富で火持ちがよいそうです。ついでの情報ですが、都市部のゲルのストーブでは、燃えるゴミは何でも突っ込んで燃やしています。プラスチック、ビニール等々、日本では「そんな低温で石油製品を燃やしたら有毒ガスが、ダイオキシンが…!」と思うような状態ですが。地方部ではやたらめったらゴミをストーブにくべるということはしないようです。伝統的にゲルの中央にある火は神聖なものとして考えられているので、ゴミなんかをくべては火の霊が怒るからです。

ゲル集落にあるゲル以外の住居の暖房は、「壁暖房」という状態の暖房方式です。

韓国の伝統的な床暖房「オンドル」をご存知でしょうか。かまどで火をたいたその熱い空気を、床下に張り巡らした迷路状の空洞に通し、床全体に暖かい空気が行き巡るような構造になっているかと思います。

モンゴルの「壁暖房」は、もっと小規模で、かつ床ではなくレンガ壁の一部に、特別な形の空洞を作り、その空洞の中に熱い空気を通らせ、レンガ自体を熱くしてそのレンガから放射される熱で家全体を暖めます。壁自体は幅1.5~2m、高さ2m、厚み50cm位でしょうか。なかなかいい感じに暖かくなります。燃料はゲルと同じく、石炭と薪です。教会の暖房設備は実はまだ手を付けていないのですが(そろそろ着工予定)、燃料は同じく石炭です。教会は床面積が大きいので、ボイラー室で温水を作り、それを各部屋に張り巡らすセントラルヒーティング方式になる予定です。



かまど1
壁暖房にも使うかまど


旅先で出会った多くの方々が寒さやインフラの不備に負けないで元気に暮らしていただきたいと切に祈る。特に、日本から出かけているD宣教師、その他の主の働き人の皆さんがこれから始まる長い一冬を無事に過ごし、さらによい奉仕ができますように。主よ、皆様をぜひぜひ強くお守りください

 

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日々の風から 余韻と解放感と疲労

201210101216000.jpg
今ごろ元気のいい我が家のハイビスカス

 

日本クリスチャン・ペンクラブ創立60周年感謝の集いが終わって、ほっと一息ついている。参加された皆さんから高い評価とねぎらいのお言葉が次々に届く。今はメールがあるから数時間後にはもう聞こえてくる。素早い反応はうれしいものだ。もちろんこちらも処々にごあいさつする。そうした意味では60周年はまだ続いている。宴は終わりぬとばかり、余韻の中で少しばかり感傷的になり、また、開放感に浸るのは早すぎるようだ。

 

主催した側にはつきものだが、かなり残務があるものだ。まず、会計がある。担当者は連休返上で取り組んでくださりすぐに報告が来た。途中、時に不安もあったが、最終的に神様は必要を十分に満たしてくださった。これ一つを見ても、主が気にかけてくださり、見守ってくださり、喜んで支えてくださった証拠ではないか。主の御名を崇めます。

 

残務と言えば、どうしても参加できなかった会員への報告が進まない。祈り支えてくださったのだから、十分に感謝の意を表さなければならない。当日配布された講師のレジメなどもそえて、少しでも臨場感を味わっていただきたい。が、今ごろになって疲労が出てきている。きつく締めた気持ちの綱がいささかたるんでしまったのだろう。申し訳ありません。

 

めったに聴けない文学講演を思い出している。愛知教育大教授K師の『遠藤周作の文学と信仰』と梅花女子大教授O師による『夏目漱石の文学と聖書』である。まだいただいた資料をゆっくり読んでもいないが、私が汲み取ったエッセンスが響いている。

 

『弱者に寄り添うイエス』を強調する遠藤文学、『つぐない』を基調とする漱石文学のルーツは彼らの幼少のころからの原体験、原風景が強い影響を及ぼし、また色濃く投影されていると、お二人から同じことを教えられたようにおもう。いや、そのことが私の内に深くとどまり、強い納得となったのだ。

 

文学とは無関係だが、最近、出会ったり、マスコミや本で知った人々の行動や生き方を見るに、ひとりの人を本当に理解しさらに受容するには、その人の生育史を抜きにはできないと強く思うからだ。言動の奥にひそむ生い立ちが人格に大きく作用していると思う。

 

『文は人なり』とよく聞くが、この場合の『人』とはなにか。『文』からどこまでわかりうるのか。クリスチャン・ペンクラブの旗印は『文は信なり』である。信とは、イエス・キリストを信ずる者に与えられている信仰を指している。文章には必ず信仰が現れるから、常日ごろからキリストの福音にふさわしく生きることが大切だ。文章テクニックが第一ではないとの戒めである。

 

さて、文章にはその人自身が見える。ルーツも原体験もしのばれる。さらに信仰生活も隠せない。生育史がどうであれ、生育史を超える新しい人に新生して『あかし文章』を書きたいものである。

 

 

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日々の風から 継続のもう一つの力

60周年


所属してからちょうど25年になる伝道団体が創立60周年を迎えた。伝道とはイエス・キリストの良きおとずれを(福音)を伝えることをいう。それは教会のすることではないかと思う方もおられるであろう。そのとおり、伝道団体は広い意味での教会である。だから、パラ・チャーチともいう。しかし、いわゆる教会とはいさかか違う。伝道団体だけに属していて、地域教会に属さない人はいない。伝道団体は毎週、主の日に集まって礼拝をささげてはいない。礼拝中心ではなく、その団体が立っている特別の理念に基づいて、伝道および伝道を進めるための活動をしている組織体である。

回りくどい言い方ですみません。

 

日本クリスチャン・ペンクラブは、文章を通してイエス・キリストを伝える団体である。半世紀以上もそうしてきた。その文書も、『あかし文章』と呼んでいる。研究論文や説教ではなく、イエス・キリストの福音に生きる一般の信徒たちが、個人的な恵みの体験を書き綴り、それを読んでいただいて、聖書の神を知っていただこうとの意図からである。まことに地味な効率の悪い方法であるが、会員は運営の一切を自分たちの経済や能力をささげて(理念に協賛する外部からの支援者もいるが)、喜んでしている。神さまから託された使命だと確信してそうしている。

 

他のことよりも書くことが好きな人、書ける人、また書きたい人が集まっている。プロはいないのが特徴かもしれない。それがまたいいのだ。すぐに世の中に通用するような作文はできないので、文章作法の初歩から学ぶのである。学んでは書き、書きながら学び、やがて作品集を出版する。そうやって60年、私は25年になる。25年もやっていればたいていは一人前になる。しかし文章の世界はそうはいかない。もちろん少しは上達しているだろうが、これでいいということはない。イエス・キリストのすばらしさを伝えたい情熱だけで、さらに上を目指して学びつつ、書き続けている。終生そうなるだろう。

 

小さな団体だから全国に会員はいるけれど大勢ではない。でも60周年なので、ふだんは地域ごとに集まっている会員たちが今回は東京で一堂に会した。新幹線に乗って関西から中部から関東全域から、ある方は岩手から駆けつけた。会場も大きくはなかったのでぎゅうぎゅうで座った。朝10時半から午後4時過ぎまでびっしりのプログラムを楽しくこなした。

 

この時ばかりはプロのキリスト者文学者に講演をお願いした。一人の先生は『遠藤周作の文学と信仰』もうおひとかたは『夏目漱石の文学と聖書』と題して話された。読書や文学研究も文章道の一部だから怠ることはないが、その道に精通している先生方の講演は大きく心に浸みた。内容については後日に廻したい。

 

25年前に中心になっていた方々はすでに天に帰られたかあるいは高齢になられて現役の方はおられない。私などもいつのまにか古い部類である。その分、知らない会員はなく、長年の同志であり仲間がたくさんいる。それが何にも勝ってすばらしい。教会の友も肉親以上の関係だが、一つ志で結ばれた友人たちとの絆は固くいわば戦友である。書くことから始まって一身上の喜びも苦しみまで分け合い理解しあえる。この友情はかけがえがない。

 

継続は力なりと、個人的な実利だけが叫ばれるが、継続は多くの場合、友を産み、友との愛を産み、互いの成長力となり、喜びと楽しみになる。これも継続の力といいたい。継続の中にはいのちにあふれたみずみずしい希望の風が吹いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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風の仲間たち 天に帰った教友・今夜は前夜式


コスモス



まだ62歳である、地上を去るには早すぎるではないか。しかし姉妹の最期の言葉は『神様の御心のままにゆだねています』の一言だった。覚悟の言葉である。姉妹にはこの数年、壮絶な病魔との戦いがあった。発病、手術、そのあとの厳しい治療、再発、手術不可能、治療と副作用との苦闘が続いた。しかしどんなに化学療法をしても苦しいだけで病巣は消えなかった。

 

姉妹はある時決断した。一切の医療行為をやめようと。しかしそれは今までの医師と病院のと決別することなのだ。医師の指示に従わない、治療も拒否するとは、病院も医師も無視することだからこれ以上係わることはできないとのことなのだ。医療者としてはそうかもしれないが、せめて経過観察くらいはできないのだろうか。それは今の医療制度や習慣では通らないらしい。私にもその経験があるが。とにかく病院を変えるしかないのだ。

 

姉妹は、生活の質、QOLを優先した。何もしなければ一日一日平穏に過ごせる。その日々を大切にしたいと思ったのである。食事や運動や自然療法を積極的に採り入れ、特に温泉療法には真剣だった。楽しみもあったのだろう。が、東日本大震災後はふっつりとやめた。

 

そのころから、体調が狂いだした。自宅近くの病院を訪ね、自分の意思を告げた。検査だけが続けられた。確実に悪化していった。酸素補給の装置を持ち歩くようになった。それも無理になり入退院を繰り返した。8月の初めにも入院したが、今までのようにすぐに退院にはならず、ベッドが空き次第近くのホスピスへと進路が決まった。

 

8月下旬に私はモンゴルへ旅した。同行の旅ともはお住まいが病院の近くだったので、何かとよく見舞っていた。私たちは姉妹の最期には間に合わないだろうと(口には出さなかったが、帰国して早速病室を訪問し、意外にお元気な姉妹のお顔を見てほっとしてからささやき合ったが)気持ちを引き締めながら、旅の間中、朝に夕に祈り続けた。

 

モルヒネとステロイドが投与され、一時期驚くほどお元気になった。食欲も出てきて、車いすでご家族と外出し、食事し映画まで見たと聞いた。姉妹も薬の効能に驚いたようで、このまましばらく元気でいられると本気で思ったようだ。来年3月に生まれる初孫に会いたいと言われた。姉妹の欲心を見たのは初めてであった。胸が痛くなった。

 

924日にスカイツリーが真正面に見える錦糸町のホスピスに転院された。見舞ったとき、大きな窓から見える空に目を馳せながら、空を見ているのが最高に幸せと言われた。手を取り合って祈り合って、また来るねと別れたが、また来る日がもうないとは、そのときは微塵も思わなかった。主はあえて地上の日を縮められたのだろうか、そんなことはあるまい、すべては主の最善であったのだ。神の時であったのだ。姉妹もこれでよし、御心を感謝しますと微笑んだに違いない。思えば潔い人であった。また、妥協しない人生を選んだ人であった。


       『わたしの時は 御手の中にあります』 詩篇31・15


人のプライバシーに深く係わることではあるが、敢えて書かせていただいた。この世の旅の仲間、主にあるかけがえのない友として、御国で会える友として、長く記憶にとどめておきたい。希望の風の仲間として。

 

モンゴルの写真を数枚持っていったとき、これが好きと言われたコスモスを掲げます。

風の仲間たち comments(2) -
日々の風から ピンクのスカイツリー



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台風17号の進路には目が離せませんでした。ほとんど列島縦断です。よりによってこんなに細くて長い島国を集中攻撃しなくてもよさそうなものだとおもいますが、こちらの願いどおりにはなりません。昨夕から夜遅くまでハラハラしながら過ごしました。幸い、強い雨脚や風の音を聞いた程度で、被害もなく、明けて今朝は台風一過の青空を見上げることができました。しかし一日中強い風が吹いて暑い一日でした。耐え切れずにエアコンを入れてしまいました。不経済なことです。

 

9月いっぱい、ブログはモンゴル紀行で終わってしましました。まだ書いていない珍しい出来事がありますし、教えられたことや考えたこともたくさんあります。そのままにしていたら時ならずして風化してしまいます。私としては、つたない文であっても書き留めておきたいと思うのです。しかし時は過ぎていきます。時間に追いかけられているのです。

 

今日は都民の日で学校はお休みです。夕方から長女と孫たちに誘われてスカイツリーへ行きました。正確にはそらまちです。おりから、ピンクリボンキャンペーンにちなんで、ピンク色をまとったツリーが輝いていました。帰り際に携帯を傾けました。ツリーの根元から見上げると、迫力があっていかにも美しいです。あまりにも近すぎてうまく写せませんでした。

 

ツリーの反対側に、十六夜の月が単純な自然美で輝いていました。なぜか月を見たときの方がほっとした気分になれました。ツリーを見ても祈りごころは生まれませんが、月を眺めると、すぐ神様を思いだし、祈る気持ちが動き出します。そのためでしょうか、朝から、からみつかれていた一つの問題が小さくなっていきました。

 

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