人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 夏休みらしくない我が家

とまと風景

 

朝早くから長女ファミリーのキッチンは賑々しい。夏休みに入ってから特にそうである。この夏休みは今までと様子が違う。全く違ったといえる。婿殿の会社勤務はいつも通りだが、40日間夏休みのはずの孫たちがアクティブである。

 

まず、中三受験生のS君であるが、勉強一筋に打ち込んで?いる。そうせざるを得ない立場にいる。塾へ行くのだ。朝から夕方までお弁当を持っていく。実はキッチンの物々しい音はお弁当作りのためなのだ。学校なら給食があるが、塾はない。外の物を買って済ませる生徒もいるようだが、長女はせっせとお弁当を持たせる。この準備が一仕事なのだ。ついでにMちゃんのも作る。Mちゃんは、中学受験はしないから塾へは行かない。その代り、学校のプールや近くの児童館の活動、区の子どものイベントにはどしどし参加する。Mちゃんは活動の合間に帰宅して、家でお弁当をいただいてはまた飛び出していく。

 

夏休みなのに、孫たちがそれぞれの場にいち早く散ってしまって、我が家は森閑としている。夏休みらしくないのだ。孫たちの小さなひ弱かった翼は、いまはない。いつのまにか強くたくましくなって大空を飛翔しているのだ。

 

パパよりも背が伸びて、

パパよりも大きな靴を履き、

パパよりも太い声で、

パパよりもずっとたくさん食べて、

私を軽々とおんぶしたSくん。



すでに真っ黒に日焼けし、

明日にでも私の背丈を追い越しそうなMちゃんは、兄のS君の勉強ぶりに刺激されたのか朝いちばんから自室にしっかりこもって自主的に勉強に取り組んでいる。

その姿勢に強い意志を感じる。女の子は手がかからないと言われるが、甘えが見られない。

すでに未来の女性を感じさせる。

 

Mちゃんは、今日から出身の幼稚園の教会学校サマーキャンプに出掛けた。2泊3日で山中湖畔である。すばらしいキャンプ日和ではないか。大きなリュックを2つ持って、あっという間に家を出た。ついでながら、我が教会には幼稚園がない。孫たちは隣の区の教会付属の幼稚園に通った。キリスト教幼児教育ほど大切なものはない。最近つくづくおもう。

 

幼稚園を卒業するとそのまま教会学校へ移行する。孫たちはその時点で親たちの教会へ行くようになったが、サマーキャンプには必ず案内が来る。しっかりしたプログラムが組まれていて安心して送れるので、娘も参加させてきた。今年はS君は無理だが、Mちゃんは張り切って出かけて行った。かつての友達や、おなじみの先生たちもおられる。楽しいだけでなく、キャンプは人を育てる最高の場である。最適な実践教育である。Mちゃんはまた一回り成長するだろう。

 

夏休みらしくない、森閑とした我が家では、朝の主婦役からひとまず解放されてエプロンを外した娘が、書斎にこもって仕事に没頭している。私は、先ごろも書いたが、24時間使い放題を感謝しながら、さかんにパソコンのキーを叩いている。運動不足を懸念してはいるが。

 

『どうか、朝には、あなたの恵みで、私たちを満ちたらせ、

 私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむようにしてください。

 あながたが私たちを悩まされた日々と、

私たちがわざわいに会った年々(としどし)に応じて、

私たちを楽しませてください』詩篇901415

 

 

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世相の風から 日本女性の平均寿命2位へ転落

畑の歌3


世界最高位だった日本女性の平均寿命が下がって、26年連続のトップの座を香港にゆずったそうです。毎年、毎年、世界一を聞き続けてきたせいか、あるいはまだ自分の死をまともに考えてこなかったせいか、平均とはあくまで平均で個々人とはあまり関係がないと思っていたせいか、しいて言えば、私の人生観からはこの世の命に執着する考え方はないということなどなどで、平均寿命論には関心が薄かったことは確かです。

 

昨今私も含めて親しい方々が急速に自分の老いを自覚し始め、話題に上ることも多くなり、天に帰る方も出始めると、まだ若いのに残念、とか年に不足はない、平均を上回ったから長生きしたのだとかで、平均寿命がある種の尺度になっていることを知ります。

 

今回の厚労省の発表を聞いて、妙な気になりました。減っていくという言葉から受ける印象なのですが、増えていくと聞くと、自分の命がそれだけ増えたと思ってどこかで安心し、減ったことには、自分の命が短くなり、削られたような喪失感があったのです。

もちろん、きちんと考えれば、増えたからどうなのか、減ったからどうなのか、何の問題もないと答えられるのですが、自分の中に一瞬、ふっとよぎった揺れに気が付き、おかしくもあったのです。

 

生きる力は神様の創造の賜物ですから、どんな被造物も本能的に持っているものなのでしょう。私も創造主の御業の中で、順当に、生を終わりまで全うしたいと思っています。途中で短縮したいとは毛頭思いません。かといって何が何でも生き延びたいとの執着もありません。その日その時は神様しかご存じないのだから、神様の領分にまで踏み込もうとは思いません。いちおう、考えの中でもまた情緒的にも、生きるも死ぬのも主のお考え一つだと、神様にお任せしているつもりです。

 

それなのに、平均寿命が短くなったと聞いて、ギクッとするのはなんでしょう。本能でしょうか、それとも我欲でしょうか、それとも真夏の狂気に冒されたのでしょうか。

 

 

 

 

 

世相の風から comments(2) -
風の仲間たち 我が隣人旧宅明け渡し
 

畑の歌1

  


教会の老姉、我が隣人が近くの高齢者施設内のグループホーム入居して3週間過ぎた。今日で二年半姉妹の城であった旧宅をオーナーに返還する。ホームは体ひとつで入っても十分生活できるようになっている。大きな家具はいらない。コンパクトな収納設備が備えられているし、冷蔵庫もレンジも炊飯器もいらない。もちろん洗濯機も。エアコンも暖房機も不要である。教会の兄弟姉妹で一つ一つ選別し、衣服や履物その他愛用の物だけを運び出して、あとは産廃業者に全部お任せすることにした。地方からただお一人の血縁である甥御さんご夫妻が何度も上京しては係わってくださった。何一つトラブル事もなく無事に今日に至った。

 

たった一つ私の手元にあった合鍵もオーナーへお返しした。もちろんのことであるが。まさかの時のためにと、隣人の私が預かっていた。忘れてはいけないと、教会用のバッグの内ポケットに収めておいたのだ。思い出して時々確認することもあった。しかし、ただの一度も使うことはなかった。なんと感謝であろう。

 

新居であるホームの一室に移った姉妹は至ってお元気である。木曜日祈祷会と日曜日の礼拝時には代わる代わる送迎する。その合間にも、近くに住む私は夕方のお使いがてら訪問することもある。姉妹は大喜びで、遠いところをありがとうと、恐縮しながら迎えてくださる。遠いところへ引っ越したような感覚があるのだろう。事実、そのあたりは再開発されたところなので、土地勘のある私でも一瞬知らない街に来たような気がするほどだ。

 

旧宅へ帰りたいとも言わない。ここの皆さんは親切にしてくださるから感謝だという。さらに、皆同じような年寄りだから、昔話をしあって楽しいと言われる。思っていた通り、姉妹は環境順応力が抜群であったのだ。残されている能力を発揮して、お元気でホーム生活を続けてほしいと願う。

 

暑くなったせいもあるだろうし、行動範囲が施設内だけになったためか、足元がおぼつかない。急に足腰の衰えが見える。転倒の危険も無きにしも非ず、徒歩で教会を往復するのは無理と感じた。そこで涼しくなるまで、車で送迎できる人がお世話しようと話し合った。

 

秋になったらーーーまた、姉妹と歩こう。ふと、そんなことができるかしらと、希望の風が消えてしまいそうな不信仰風がよぎるが、主だけがご存じのことによけいな詮索はやめよう。

 

 

 

風の仲間たち comments(0) -
心の風から 24時間使い放題 その4

一日は24時間がいい


ある日、忽然と思った。一日は
24時間でじゅうぶんだと。これ以上長くてその時間も何かしていたら、疲労困憊のあまり死んでしまうと、そう思った。たぶん60歳半ばを超えて、体力の限界を感じた時だったのだ。適当な時間に就寝できるのがどんなに幸いなことか、つくづくと思い知った。そして、ああ、神様はすべてお見通しだったのだと叫んだ。一日が24時間では少なすぎる。あと数時間あれば、あれもこれもできると、主のみわざにクレームをつけたことを、深く深く恥じて、亀のように首をひっこめ、身を縮めて、お詫びした。

 

改めて見直す一日24時間は、なんとバランスよく輝いて見えることか。主からいただいた貴い賜物なのだ。いとおしささえ感じる。この一日を感謝して、かけがえのないものとして、大切に使おう、使わせていただこうと、意気も高く喜びにあふれてそう思った。

『この日は主が造られた。この日を喜び楽しもう』聞き慣れたみことばが新鮮に思い出された。

 

手のひらに乗っている24時間は、今の私には使い放題なのだ。思い通りに自由に使えるのだ。この幸いなる境遇、この自由を心底ありがたく思う。24時間は希望の風の代名詞だ。

 

使い放題の24時間の自由を挙げてみた。

 

フラワーショップに何度でも通える自由

一鉢のお花を買える自由

好きな時に好きなだけ読書できる自由

好きなだけパソコンに向かえる自由

いつでもどこでも祈れる自由

大きな声で賛美できる自由

いつでも一杯のコーヒーを淹れてくつろげる自由

バッハを、ショパンを、メンデルスゾーンを聴ける自由

 

いつまでも雨の音を聞いていられる自由

いつまでも夕暮れの空を見ていられる自由

いつまでも、星や月をめでていられる自由

夜更けて、本を取り落とすまで、読書できる自由

真夜中に目が覚めたとき、座りなおして祈れる自由

今を感謝できる自由

何事も思い煩わないでと諭される主の御声を聴き分ける魂の自由

 

 

24時間使い放題余話


いつのまにか時間を軸にしたミニ半生史めいてしまった。しかし考えてみると人の一生は、時間とは切っても切れない関係にある。関係どころか、時間無くして人生は成り立たない。人生は時とともにある。時そのものである。ある時は時間を楽しみ、ある時はその戦いの上に人生が築かれていく。時に押し流されたり、時を追い越そうとしたり、時に置き去りにされてきた。時と歩調を合わせて上手に付き合えたことはあまりない。それは神様の意思に逆らう自我の表れでもあったのだ。

 

『年を正しく数えなさい』のみ声の前で『私の時は御手のなかです』と完全降伏した時、24時間、つまり人生の一日一日が使い放題の宝物として与えられたように思える。

 

さて、では、今日一日をどのように過ごしましょうか。

この宝の使途明細書を感謝してささげられますように。(おわり)

 

 

 

 

 

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心の風から 24時間使い放題 その3

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時間を気にし出したのはいつごろからだろうか。じっと幼い時からを思い出してみる。自分というものを意識しなかったごく幼少のころは、たぶん時間の存在も知らなかったろう。親のもとで、言われるままに寝起きし、言われるままに三度の食事をいただき、親の視界の中で子どもらしく生活していたのではないか。ちっとも時間など気にすることはなかったはずだ。気にする必要がなかったのだ。ここには24時間という区切りも制限も所有もなかった。時間は数えるもので、使い方次第では余ったり足りなくなるものだということも知らなかった。といっても、時間の外にいたわけではない。無意識に24時間使い放題の幸いの中にいたのだ。無意識だからそのときの自分がいかに幸いな者であったか、そのことすら認知しなかった。

 

時間を意識したのはいつごろからだろうか。

たぶん、学校生活が始まってからではないか。朝何時には家を出て学校へ行き、何時から一時間目が始まり、何時には下校して家に帰るという、時間に区切られた生活をするようになってから初めて、時計を気にしながら生活するようになったと思う。親も、遊びに行こうとすると何時には帰ってきなさいとか、もう何時だから寝なさいと、時間を告げたと思う。

夏休みになる前に、一日24時間の円グラフの中に、起床時間、就寝時間を決め、あとの時間をどのように使うか、計画を立てて書き込んだものだ。そのころから24時間は使い放題ではなく、円グラフに書き込んだ通りの制約された24時間を過ごす努力が始まった。それは自分と時間との最初の戦いだった。計画通りにできると満足し、そうでない時は敗者の失望を味わった。時間戦争が始まったのだ。

 

時間に追われるようになったのはいつごろからだろうか。

中学生になって、自分のしたいことと勉強がうまく24時間と折り合わなくなり、時間戦争は激しくなったように思う。そのころから次第に強く、一日が24時間では足りない!どうしてもっと長くないんだろうともどかしく思うようになった。せめて、あと数時間長かったら、もっと読書や勉強や友達とのおしゃべりに使えるのにと悔しかった。それでも24時間は自分の支配下にあったのだから、時間戦争の敵は自分自身だったのだ。

 

時間泥棒を知ったのはいつごろからだろうか。

社会に出て仕事に就くようになると、勤務時間は完全に他人のものである。どうあがいても私用はゆるされない。仕事は嫌ではなかったが、時間を拘束されるのはいい気持ではなかった。その頃になると、自分のしたいこともはっきりしてきて、そのためにもっと時間を使いたいと欲求が起こった。欲求が激しくなると、拘束時間が惜しくてたまらなくなった。我がままと言えば、そうなのだが、私の時間を奪わないで!と叫ぶこともあった。時間泥棒がいることに気が付いた。(もっともこの時間泥棒は『モモ』に登場するのと別種だが)

 

時間は神様から与えられるもの

家事も、育児も、教会奉仕も、私の人生をカラフルに染め上げてくれた、なくてならない時期だった。それに費やした時間が惜しいなんて決して思わない。むしろ、そうしたことに時間を使えたことに意義を感じ、そうしてくださった神様に感謝している。私の人生は神様のもの、時間の所有者は神様であり、私の私有物ではないとわかったのはいつごろからだったろうか。24時間丸ごと神様のものだ、そのなかで生かされているのだと、悟りきって、厳しく自己管理しながら、目の前に山と積まれたあれこれに24時間すべてを注入した。睡眠時間を削ることも惜しくなかった。50代から60代の十数年は、本心で、一日が48時間だったどんなに仕事ができるだろうと、ため息をついた。(つづく)

 

 

 

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心の風から 24時間使い放題 その2

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あれも足りない、これも、いつなくなるかーーー。

すきま風のもたらした土埃りのたまり場になったわが心に、神様は一条の明るい光を差し込んだ。7月の光である。もちろん希望の風に乗せて。

 

一瞬にして私は悟った。24時間使い放題の日々があるではないか。

時間はいのちと等価である。下世話には時は金なりともいう。その論からいえば、24時間使い放題というのは、使い放題のいのちと財宝を持っているということだ。つまり、私は稀有な宝を有する資産家なのだ。大真面目でそう思う。なんと感謝であろうか。

 

なぜ、私がそのような視点から自分を評価するかと言えば、昨今、近くの友人知人、あるいは遠方の方々が、様々な厳しい時間戦争のさなかで苦闘しておられるのを見聞きするからだ。

 

世の常とは言え、老親の介護に明け暮れておられる方がいる。入院、手術、遠方までの度重なる訪問、施設探し、手続き、そこへの訪問など、24時間気が休まらないそうだ。

 

ある方は、伴侶の老いと戦っている。伴侶の場合は心の戦いも大きく複雑らしい。ふと、若き日のまぶしいような思い出がよみがえるのだろう。あの壮烈な企業戦士であった夫、世界を走り回った夫、頼もしい父親であった夫―――が、である。大きな病に侵され苦しんでいる。特に、認知症が入ってきたとなると、葛藤は大きく、重い心に耐えながら、24時間目を離す暇もなく付き添わねばならないそうだ。

 

それに加えて自分自身の健康不安もある。逆に、お元気なご主人のお世話になる場合もある。

 

私はーーといえば、

 

伴侶はとっくにいない。

両親は、15年前に父が、3年前に母が、多少介護の時期があったがすでにイエス様の御国の民になった。私自身の健康は、明日はわからないが、今のところ自由に出入りができる。

同居の孫たちは、今やそれぞれの未来へ向かって全力疾走中である。私のところに宿題を抱えてくることもなくなった。こちらの方が時に手を曳かれる始末である。

 

身軽になったのだ。自由になったのだ。24時間使い放題の身分になったのだ。なんと幸いなことか。しかしである。これは神様からのいただきもの。預かりもの、賜物ではないか。

賜物とは神様の御用に使うべきもの。私的乱用は御法度だ。神さまに言われたわけではないが、そう思う。この24時間使い放題の自由な時間を、友のために、イエス様の喜ばれることのために費やしたいと切に思う。

 

不平不満、不安恐れを孕んだすきま風を、心に入れてはいけない。スキがあるからすきま風につけ込まれるのだ。心はイエス様の吹かせる希望の風で満ち満ちていなければならない。

 

『力の限り見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。』 箴言423

 

 

 

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