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書林の風から ドストエフスキーの『白痴』 雑感
今年はおなじドストエフスキーの『白痴』です。分厚い文庫本で3冊。かなりな大作です。しかし、全員がとっくに読み終えました。同じドスト氏のものでありながら、たいへん読みやすい。その分、軽く感じますが。しかしドスト氏ですから、決して甘くはありません。 『白痴』とは、主人公のムイシュキン侯爵が陰で呼ばれる蔑称です。しかし単なる悪口ではなく、侯爵は癲癇を病に持つある種の精神病者です。そもそも物語は、スイスの山中にあるシュネイデル診療所で長い療養を終えて(完治ではない)、祖国ロシアに戻る侯爵を乗せた列車の中から始まります。たまたま一つのボックスに向い合せに座ったムイシュキン侯爵とロゴージンがこの物語を牽引する二大主人公というわけです。二人は例えれば光と闇、善と悪です。 この二人が、つまり光と闇(善と悪)が、二人の女性ナスターシャとアグラーヤを巡って、愛の争奪戦を展開します。ナスターシャは一目見てだれもが虜になるような美貌の女性。悲惨な生い立ちのいわば悪魔のような娼婦。アグラーヤも美人ですが、貴婦人です。ただし進歩的女性です。ところが、侯爵もロゴージンも、悪魔的なナスターシャを命がけで愛するのです。愛し方には違いがありますが、究極のところで同じです。侯爵もロゴージンもナスターシャの奥底にある神の手になる魂を愛しているのです。ロゴージンの自己欲はついにナスターシャを殺してしまいます。ナスターシャの遺体の前で侯爵とロゴージンがさめざめと泣き合うシーンは忘れられません。 その後、ロゴージンは刑に服し、侯爵は持病再発で再びスイスのシュネイデル診療所に送られます。もう侯爵は誰彼の見分けもつかないほどのいわゆる『白痴』です。 私は、『カラマの会』の書き込み欄に、下記のようなコメントをしました。 ドスト氏はこんなことを言っています。 ドスト氏は自分の文学において『完全に美しい人間』『無条件に美しい人間』を描きたいと願っていたようです。この世にただひとりそうした条件を備えて存在したイエス・キリストを思ってのことです。 ムイシュキン公爵をもって、ドスト氏はイエス様を表わそうとしたのです。でも、ドスト氏自身恐れているように、不可能だったと思います。 完全に美しい人間の最後を、正常な人間として描けないということは、文学の限界であり、天才文豪でも無理な挑戦だったのでしょう。 どうしてドスト氏は『完全に美しい人間』『無条件に美しい人間』を書きたかったのかと思います。ドスト氏の魂の欲求でしょうか。ドスト氏は神様ではないのです。イエス様を、たとえ文学の中でも創作しようとしたことはいきすぎです。 ムイシュキン公爵の中に『完全に美しい人間』『無条件に美しい人間』の片りんを見て、この物語は全体的に透き通った天井の光を放っていると思います。それが読者の心をすがすがしくしてくれます。 しかし、光をクローズアップするためには闇であるロゴージンや、ナスターシャを造らなければならなかったし、公爵の最後を狂人にしなければならなかったのです。ドスト氏の野望は砕かれてしまいました。 しかし、もしかしたら、ドスト氏は無理を承知でムイシュキン公爵を生かしたのかもしれません。それによって『完全に美しい人間』とはイエス様しかいないことを強調したかったのかもしれません。そして、闇、罪は死で終り、光である公爵は、多くの人の善意の中で生かされている、そんなメッセージを発信したのかもしれないと思うのです。これは、『希望の風の気まぐれ風』であるかもしれませんが。 今、読了してから二、三か月を経過してみて、ドスト氏の書きたかった『完全に美しい人間』『無条件に美しい人間』へ思いが捕えられ伸びています。文学とは、人間の真相、ドロドロとしたどうしようもない部分を赤裸々に描くものだ、きれいごとは許されないと、よく聞きます。もちろん勧善懲悪、いつもハッピーエンドでは紙芝居の世界かもしれません。 しかし、ドスト氏の着目しているところまた目標としているところに、たいへん心惹かれます。要するに、『完全に美しい人間』『無条件に美しい人間』の中に神であるイエス・キリストを証ししたいのです。飛躍した、とんでもなく飛躍したドスト氏解釈ですが、これが『希望の風』ワールドです。もっと、ドスト氏を読みたくなりました。 2012.05.30 Wednesday 10:10
日々の風から スカイツリーの【そらまち】へ
設計に際しては威圧感を持たせないようにしたそうだ。巨大建築にありがちな国威や権勢をすらりと脱ぎ捨てた、雅(みやび)と粋(いき)を象徴しているそうだ。(5月22日天声人語参照)。 通りに出てしばし眺める。見入ってしまう。いつまでも飽きない。これから毎晩見られると思うとやはり心が弾む。幸いなことかもしれないと、素直に感謝した。 こうなったからには、行かずにはいられない。展望台は当分無理だろうが、【そらまち】へ行けないことはない。とうわけで、徒歩で行くことにした。歩けない距離ではないが、これまでは用事もないので歩いたことはなかった。時間を計って歩き出した。ちょうど20分。万歩計は2500歩を数えていた。 【そらまち】はいわゆるショッピングモールである。水族館やプラネタリウムもあるが、それは後日に回して、とにかく一通り歩いてみた。大混雑だが、銀座も新宿もお台場も同じようなものだ。出店しているお店はたいていのモールで見かける御馴染みのところが多い。おかしくなってしまった。
2012.05.24 Thursday 22:34
世相の風から スカイツリーの墨田区に住んでいて
華やかな話題と言えば、戦前から愛唱されている『隅田川』があるが、川は墨田区と台東区の境を流れているから、二つの区の共有財産と言える。両国橋を渡った国技館、大江戸博物館は墨田区に利があるだろうか。 墨田区にスカイツリーが建設されるまでには様々ないきさつがあったようだが、電波塔としての役目が第一であることは言うまでもない。観光目的だけはないのだが、今や、墨田区だけでなく、日本の新観光名所に位置付けられたようだが、住民としては気持ちがついていけない。 22日はいよいよ正式にオープンとあって、マスコミが最大級の鳴り物入りで報道していた。新聞や広告など、ペーパーでも報道ラッシュが続いている。『そらまち』という不思議な言葉が聞こえだして、今に至ってようやく理解した。なるほど、実に巧みな表現だとすっかり感心してしまった。展望台はさておき、『そらまち』を散歩してこようかと言い合っている。 地方の友人たちからオープンしましたねと声をかけられてびっくり。希望の風さんの墨田区、希望の風さんのスカイツリーとまで言われ出した。さあ、たいへん。珍しい話題の一つや二つお届けしなければと思ってしまった。 気長にお待ちください。犬も歩けば棒に当たるってこともありますから、なるべくアンテナを張って歩いてみることにします。 朝、御茶ノ水の眼科に定期検診に出かけました。19階の待合室から東方面を眺めたところ、筑波山までくっきりでした。スカイツリーを写メールしてみました。肉眼よりはるかに小さいです。肉眼のすばらしさを改めて確認し、創造主に感謝しました。 2012.05.23 Wednesday 13:00
書林の風から 久々の詩集 長田弘『詩の樹の下で』
このところひとりの詩人を追いかけている。長田弘である。ファンは多いだろう。追いかけているといっても研究しているわけではない。きまぐれに詩集やその他の作品を手にしては楽しんでいるだけの、いわば、一ファンである。 昨年末に新しい一冊がでた。ようやく我がものとした。『詩の樹の下で』である。 長田氏は樹を題材にすることが多い。『人はかつて樹だった』という詩集もある。長田氏は福島県出身である。そこは3.11では地震と津波のほかに原発被害の著しい地域である。おそらく長田氏はこの出来事に心を激しく揺さぶられたに違いないと、そのことにも関心を寄せながらページを繰った。本の帯にFUKUSIMA REQUIEM と記されている。 あとがきにそれをみつけた。 『春近く、体調を崩し入院。喫緊の手術が決まって、一旦自宅に戻った日に、今まで経験したことのない大揺れに襲われ、立ち竦んだ。大地震、大津波、原発の大事故。恐るべき惨状が次々と伝えられるなか、再入院し、早朝よりほぼ十一時間に及ぶ手術を受けーーーー、 私は福島市の生まれである。五十年前に家ごと東京に移ってそれきりになったものの、東日本大震災の被害を受けた福島の土地の名の一つ一つは、わたしの幼少期の記憶に強く深く結びついている。幼少期の記憶は、「初めて」という無垢の経験が刻まれている。いわば記憶の森だ。その記憶の森の木がことごとくばさっと薙ぎ倒されていったかのようだった』 記憶の森の木がことごとくばさっと薙ぎ倒されてーー。 長田氏の心情がわかる気がする。記憶の森の木を失った長田氏はこれからどんな木を見つけて詩を書くのだろう。ふと、そんなことを考えた。詩集に収められているのはほとんど震災前の詩である。39の木の詩である。その木のモチーフは『樹や林、森や山のかさなる風景に囲まれて育った幼少期の記憶だ』といわれる。長田氏は故郷の木を失ったが、記憶は失われれてはいないだろう。これからは記憶の森の木を詩人魂でより生き生きと再生させ、失われた故郷への、そして、人々への祈りの詩を生み出していただきたい。 2012.05.15 Tuesday 21:39
日々の風から アフターGW
かくして、大型GWすべての喜怒哀楽は歴史の大袋に包み込まれて過去の堆積場に積み上げられ、2012年5月は立夏を越して、先へ先へと大股で歩を進めて行く。我に返り、気を取り直して、自分に与えられている今日一日を、自分の歩幅にあった速度で、進んでいきたい。 余話であるが、このところ墨田区民は、オープン前のスカイツリーに上る特権に浴している。まず、子どもたちが学校から全員で上った。我が家の孫たちもそれぞれ行ってきた。350メートルの第一展望台までであるが、50秒で上ったそうだ。彼らはわりにクールに物語ってくれた。小学生はカメラは禁止だそうだが、中学生は可であった。S君は我が家の近くまでしっかり写してきた。 6日の夜、ツリーに火が入った。外に飛び出して、足元から見える場所で、しばらく見つめた。いまやいたるところですばらしい映像や写真がアップされている。どうぞそれらをご覧ください。私の手には負えません。
夏立ちて 月は東に スカイツリーは西に と遊んでみた。 2012.05.08 Tuesday 10:02
旅の風から エンジョイGW その2 けぶる新緑
その後、妹その2は退職を2年ほど早めて完全にそちらに居を移してしまった。もうセカンドハウスではなく、山梨県民になった。東京組はますます喜んで遠慮なく訪問しては、そのたびに妹をドライバーに変身させ、山梨はおろか長野県まで美しき山野を走り回ってもらっている。ここ十年余りの間に、春夏秋冬すべての季節の顔に出会うことができた。 今回は、山桜もまだ残っているよとのコメントがあった。私は名残の桜と芽吹きして若々しく装った樹木を目当てにした。ところが二人の妹たちは最近鳥追い女になった。バードウオッティングである。日帰りの旅にしては大きなリュックを背負っている。何事かと問えば、なんと観察用の望遠鏡が二つも三つも入っているのだ。私のためのもあるらしかった。それに鳥類図鑑である。鳥に会うたびに図鑑で調べて確認するのである。大した熱の入れようである。 私は鳥の後は追えない。花や山や樹木はこちらを待っていてくれる。しかし鳥は飛び立つのである。じっとしてはいない。とっさに姿をとらえて望遠鏡をかざすのは至難の業である。体力と訓練が必要だろう。物好きな私だが、これには挑戦しないつもりである。 霧と雨にけぶる中にここかしこと山桜が咲いていた。同時に、さかんに木々が芽吹いている。じっと動かない樹木の中に躍動するいのちを激しく感じる。それが伝わってきて私の体からも何かが芽生えて吹き出すようだ。古い余分なものが一掃されるような気もする。新陳代謝というべきか。リフレッシュともいうべきか。 2012.05.03 Thursday 22:42
日々の風から エンジョイGW
夕食後長女ファミリーから声がかかった。 「これからちょっと散歩に行くけど、どう?」 最近とみに一人一人多忙を極める長女ファミリーが、全員早めに夕食するなんて、GWでもなければ見られない光景である。 「どこへ?」 「ゲートブリッジを渡ってくるの」 「!! ぜったいに行く!」 「あら、今日は行くの」 最近は、私の新現象であるが、誘われても面倒だとの思いが先に立ち、断ることが多くなっている。しかし、この誘いを断るわけにはいかない。一人では絶対にいけないところ。車しかつかえないところだ。それに、ぜひ渡ってみたいと、ひそかに激しく願っていたホットスポットなのだ。こんなに早く願いが叶うなんてと、「早く支度してね」の声も消えないうちに、飛び出した。夜のことだし、どこへも寄らないだろうし、正装することはない。 東京湾の埋め立て地、中央防波堤と江東区若洲を結ぶ2600メートルの橋である。12日に開通したばかりで、我が家から20分ほどひたすら海に向かって走ればいいのだ。東京湾周辺の橋はほとんど渡っているが、なんといっても初回は胸が躍る。橋は川に架かるものだが、この橋は海を渡るのである。両岸が迫ってこない。光の帯に乗って宙を飛んでいるようである。 走りっぱなしなので写真は難しかった。写真を撮るより、遠くの夜景を見るほうが忙しい。まさに光の饗宴。人工美ではあるが、なんと美しいことか。感動したのは、空から降りてくる飛行機である。羽田に着陸するのだ。ひっきりなしに降りてくる。真正面から見たのは初めてであった。見送るたびに飛行機のマークが見える。あれは○○だ、あれは△△だと、飛行機会社の名を叫びながら見入った。 渡れば間もなく築地、そして銀座。隅田川を新大橋で越えて、錦糸町、そして我が家である。 わずか一時間足らずのナイトドライブであったが、大いに気分転換になった。 スカイツリーで我が町はいたるところ湧きかえっている。孫たちは開通前に学校から行くようである。それも興味津々であるが、地元だからそのうちに行けるだろうと高をくくっている。しかし、そういえば、いまだに東京タワーに上ったことはない。 2012.05.01 Tuesday 10:45
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