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日々の風から 年度変わり
年度の切り替えのこの日、大きな区切りを迎える方々も多いのではないかと思う。もはやそうした深いかかわりを持たない日常ではあるが、それでも多少の感慨がある。 我が家では今のところ婿殿の転勤の報はない。今の職場は自宅からわりあい近いから少しでも長いほうがいいと、私は願っている。孫のS君はいよいよ中学三年生になる。受験の年に突入するのだ。Mちゃんは小学校最終学年六年生だ。この年はかなり緊張するだろう。 我が教会も大きく変動する。新しく副牧師が赴任してこられる。主任牧師の年齢のこともあって、その方向に決断した。新しい教師をお迎えするのは25年ぶりのことなので教会全体にはいささか緊張感がある。しかしこのことを通して主の教会の働きが強化、充実されることだろう。またそれを祈っている。私は一信徒なので、全体のバランスを見渡しながらできるところで心から奉仕し、主の教会の一枝になりたいし、その責務を果たしたい。 マイ・ミッションの証し文章活動はまだまだ働きは多い。来月早々に新しい講座が始まり、半年間はそちらに全力投球することになるだろう。受講される方々に失望されないように、お役にたてるように、主をあてにしながら進めていきたい。老いてきている心身が少々心配でもあるが、こちらもまた主におすがりするのみである。 日本クリスチャンペンクラブは創立60周年を迎えるので、仲間たちと特別な年にしたいと準備を始めている。記念の集いもさりながら、昨年から書き溜めたあかし文章の作品集を発行しようと計画している。目下、手分けしながら原稿の整理と編集作業を進めているところだ。細かい作業なのでノウハウとともに時間、労力が必要になる。 この半年はいくつもの働きを同時進行させることになる。壮年期のように長時間にわたって集中することができなくなった。すべて細切れでいくしかない。ミスしたり漏れたり忘れたりしないようにと、そうしたことに緊張する。人に迷惑のかかるような大きなミスをしないように祈るしかないが、同時にできるだけ仕事を分けたり、いっしょにして、一人で抱え込まないようにしている。助けたり助けられたりと、カバーし合える方法をとるようにしている。不測の事態がいつ起こるかわからない。いつでもだれかがすぐに代われるように心がけておきたい。 さあ、明日からは4月だ。 4月にはいつでも希望の風が吹いている。 希望の風の中で生まれ、希望の風の中で育てられた。 希望の風に包まれ、守られ、愛されて、今日がある。 希望の風を通って明日へ行く。希望の風が待っている。 2012.03.31 Saturday 23:18
風の仲間たち 亡き母の故郷へ
4歳年上の従兄が急に亡くなったと、奥さんから涙の知らせを受けた。母の里である銚子市外川町からである。従兄は母の実の姉の愛息であった。母は帰天してわずか3年であるが、姉は20年以上も前に亡くなり、従兄夫婦の時代になっていた。従兄は大きな手術をして療養の身ではあったが、老夫婦の静かな生活を送っていた。家で転んで意識を失い、病院に運び込まれたがすでに心肺停止だったとか。医師は心筋梗塞と判断した。 母の里へは家族をあげて終戦後疎開した。父の東京の会社が仕事を再開するまでお世話になった。母の姉は実家のすぐ近くに嫁いでいたので、一日に何度も本家や叔母宅を行ったり来たりしていとこたちと遊んだ。自然、みんな、実のきょうだい同士のようにくったくないおつきあいをした。ずっと、母が墓参や冠婚葬祭で帰郷するとき、私はほとんど同行していた。 母の親たちはもちろんだが、きょうだいたちもとっくに他界し、近年は私の従兄たちがぼつぼつと欠けだした。今回の従兄はまだまだ高齢者とは言えない。話の上手なやさしい人であった。3年前の母の葬儀の時は他のいとこたちと元気に駆けつけてこられた。一月の末に、電話でしばらく話した。奥さんの方が足腰が弱くなっている様子だったので、暖かくなったら海を観がてらお見舞いに伺おうと、すぐ下の妹と話をしていた矢先だった。大いに残念である。母の里がだんだん遠くなる。 疎開生活を覚えているのはすぐ下の妹だけである。だから、最近はなにかあると二人で行くことにしている。朝早く、しおさい号に乗った。陽のあるうちに帰京できる距離である。 奥さんが見ていられないほど悲しんでいた。いたわり合って静かに静かに、しかし満ちたりた日々を送っていたのであろう。お互いの情愛が深ければ深いほど別離の悲しみは大きいのだろう。若くないだけに、悲しみは長く続くのではないだろうか。これを機に、心身ともに弱ってしまうのではないだろうか。 帰りに、犬吠崎の灯台の見えるリゾートホテルのラウンジでお茶をした。海の色が濃紺だった。荒々しく白波がたって、まだまだ春の海ではなかった。これから先、母の里へは訃報の時しかこないのだろうか。いやいや、簡単に日帰りができるのだから、海を観に、波の声を聞きに、潮の香りを胸深く吸うために、海風に吹かれるために、来なくてはいけない。強くそう思った。 2012.03.26 Monday 22:26
日々の風から 意外な体験
形成電鉄と北総線が繋がっているのだ。ずっと先は成田国際空港である。矢切のあたりまで来ると雑木林が残っており畑もある。川ひとつで様相が一変するのだ。もはや都会とは言えない。漂う空気に心が和むのである。 二人の友人はバッグから何やら取り出してその一つを私に手渡した。なんと、双眼鏡である。鳥を観るのだという。いわゆるバードウォチングをしようというのである。最近二人はそれをはじめたようだ。私は観梅を楽しみにして来たのであるが、思わぬ展開になった。小鳥たちがいかに美しくかわいいか、その談義の熱気といったらない。話の合間にバッグから本を取りだして説明する。図鑑である。私はあっけにとられた。 ちょっと鳴き声が聞こえると声の方に視線を向け、木々が揺れたり、動く気配があると、まるで猟師のように駆け出すのである。私も遅れじと走らざるを得ない。知らないところに置いてけぼりにされそうなのである。花にカメラを向けていると、二人ははるかかなたで木の枝に双眼鏡を向けている。野鳥を観る会のようなものがあって、すでに会員らしい。 彼女たちは人生の仕事をほとんどやり遂げて、第一線から退いている。専門職を生かして多少働いているが、あくせくの時代は過ぎた。悠々自適とは言えないまでも、かなり優雅な人生の晩秋を迎えているのである。この時期、老親の介護などで厳しい人たちもおられるが、彼女たちはすでにそれも終えた。老い支度を目の前にしながらの小さな余裕なのである。 彼女たちは今までにさんざん山歩きをした。海外も数えきれないほど旅した。絵画にも音楽にも手を付けている。現在も同時進行であるが。今度は小鳥である。私はと言えば、長年、教会(信仰)を中心にした世界で生きているので、全く別の価値観があり、別の活動の場がある。山も海も旅も小鳥も大好きだが、双眼鏡を持って林を走り回る意志もエネルギーも時間もない。どんなに誘われても同じ歩みをすることはないだろう。 押し付けられた双眼鏡で、指差された方向を見ると、レンズの中に小枝に止まった小鳥の姿がくっきりと映る。なるほど可憐でうつくしい。胸やおなかや首から背中の色合いの違いなどが実に楽しい。またとない芸術作品のようだ。しかも生きている。それはそうだ、神様という巨匠の手になる作品だから。私が観たのは、こげら、ひよどり、ジョウビタキであった。 それはさておき、梅林は広々と見ごたえがあった。今年は何度も梅を追いかけた。春が遅いせいだろう。次は、間違いなく桜に会えるだろう。 2012.03.20 Tuesday 15:28
日々の風から ようやく梅花開く
今年の梅花は固い決意で無言を決め込んだ唇のように、 2012.03.16 Friday 21:28
日々の風から 3・11教会の祈り
今日の礼拝では、教団本部から全国の群れの教会へ送られた祈祷文に従って、公同祈祷がささげられた。私たちは声を合わせて祈った。
聖書 ■詩篇121篇1節、2節 1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。 2 私の助けは、天地を造られた主から来る。 序詞 東日本大震災から一年を迎えた今日、3月11日。私たちは今、天地を造られた主を見上げ、このお方から来る助けを待ち望みながら、言葉を合わせて、祈ります。 祈り 天地万物の造り主にして、その世界をいつくしみの御手で支えておられる父なる神よ。 いま私たちは心をあわせてあなたに祈っています。どうか私たちのささげる祈りに耳を傾け、あなたの全能の御手を動かしてください。 昨年3月11日の地震によって、この国は一変してしまいました。大地震と津波によって町や村、家々が押し流され、たくさんの尊いいのちが奪われました。愛する家族やかけがえのない人々を失った人々の上に、家や仕事、大切な財産を失った人々の上に、将来の希望を失った人々の上に、あなたの深いあわれみを豊かにお与えください。 東北の地、特に岩手県、宮城県、福島県、また茨城県、千葉県、あるいは長野県の栄村など、今回の地震で大きな被害をうけた被災地の上に、あなたの力強い御手が臨み、人々に生きる希望を与え、その希望を現実とするためのすべての必要を満たしてください。 福島第一原発事故は、多くの人々のいのちと自然を脅かしています。この出来事にあらわれた私たちのおごり高ぶりの罪を今、御前に悔い改めます。どうか私たちの社会が、誤った道から立ち返り、原子力に頼る過ちを捨て去り、あなたの委ねてくださった世界を正しく管理することができますように。今なお続く放射能汚染を一刻も早く止め、この地とそこにある人々、特に幼い子どもたちの健康をどうかお守りください。 救い主なる御子イエス・キリストよ あなたのからだである諸教会をどうぞ励ましてください。特に被災地にあって今日もあなたの愛に生きている東北、常磐の諸教会の上に、祝福を注いでください。あなたの十字架の愛だけが、まことに人々を癒し、生かし、立たせるものであると私たちは信じています。どうか悲しむ人々、恐れる人々、疲れた人々、傷ついた人々、望みを失っている人々が、あなたの愛によって、悲しみが慰められ、恐れが平安へと変えられ、疲れた心に健やかさが与えられ、傷ついたところに癒しがもたらされ、まことの希望が与えられますように。 慰め主なる聖霊よ あなたはどのような苦しみの中にあっても、私たちを慰めてくださるお方です。私たちの言葉、私たちの振るまい、私たちの愛の限界を超えて、あなたが人々の中に働いて、主イエス・キリストの愛と恵みをあかしし、まことの慰めを与えてください。 あなたは一致をもたらしてくださるお方です。引き続き被災地のために祈りの手を上げ続け、支援の働きを続けることができますように。共に働く諸教会、諸教団、さまざまな支援ネットワークの働きを祝福してください。そのために必要な働き手を引き続き起こしてくださるようお願いします。 主よ。私たちをあわれんでください。あなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見るとおっしゃった、あなたのお約束を信じます。どうか信仰の弱い私たちを励まし、あなたに望みを抱いて祈り続ける者とならせてください。今、私たちはあなたの弟子たちとして、あなたの教えてくださった祈りを、心をあわせて祈ります。 主の祈り。 天にましますわれらの父よ。 願わくは、御名をあがめさせたまえ。 御国をきたらせたまえ。 御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。 われらの日用の糧を今日もあたえたまえ。 われらに罪を犯すものを、われらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ。 われらをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。 国と力と栄えとは、かぎりなくなんじのものなればなり。 アーメン。 2012.03.11 Sunday 23:02
日々の風から 三月という月はーーー
明日は教会でも特別の礼拝がもたれる。いつもよりさらに深い祈りをささげると同時に、被災献金をささげることになっている。当然のことであろうけれど。 また、3月は、先の大戦で、東京が爆撃を受けた日である。私の住む東京下町は火の海と化したそうだ。教会にも戦火を潜り抜けた方がおられる。敷き布団を体に巻きつけて逃げたと聞かされた。そのとき私の家族は父が徴用で軍需工場に勤務していたため、東京を離れて船橋の奥にいた。東京大空襲の知らせを聞いて、父は翌日の朝早く、徒歩で親類の安否を問うために出発した。徒歩である。父の遠縁にあたる家は跡形もなかったという。もちろん親類たちも行方知れだそうだ。これは後で聞かされた話である。 3月は歴史をみても日本を揺るがす大事件が起こっている。この月は悲惨な月である。弥生三月はその年その年で違うが、春風とともに桜前線が北上する時でもある。冬が去って春が来る待望の月のはずだ。苦難の多い月でもあるのはなぜだろう。 翻って、私一人の人生でも、三月という月には、関ヶ原のような過酷な出来事が2回もあった。詳細を記すのはのちの日を待つが、こうしてブログなどものする時があろうとはつゆ思わなかった。主に手を引かれながら命からがら逃げ延びた。よくぞ今、生きていると思う。 大空襲から67年、10万人が犠牲になったという。東日本から丸一年、 2012.03.10 Saturday 22:37
心の風から 人生の七不思議
実に抽象的で理屈っぽくて回りくどく大げさな言い方だが、そうした事実に大いに驚き、それを人生の不思議などと、ドラマめかして言ってみて、一人うなずいてしまうことがある。年を重ねなければ知らなかった出来事であり、歳月を経なければ言い切ることのできない感慨の一つかもしれない。 基本的には今日生きていることそのものが、人生最大の不思議であり、不思議な出来事以外の何物でもない。つくづくそう思う。だた、小さな小さな人生の中にも、さらにいくつかの不思議があるのだ。
まともに聖書の勉強がしたくて、開校なった小さな学び舎に飛び込んだが、面白くて楽しくて出るに出られず、留年したわけではなく、立派?に卒業したのだったが、そのまま通い続け学び続けて、これも数えてみたら21年が経っている。尊敬してやまない建学者学院長が思いがけなく早く帰天され、机を並べたあの方この方もあちらに居場所を移してしまい、残された第一期生は化石のように標本箱に入れられそうな昨今である。ふと、長居をしすぎたと恥じ入り、上着をひっからげて逃げ出さねばと足が浮くこともあるが、こちらももう一年くらいはいいだろうと、鈍くなった判断力の刃を振り回しては独断してみる。そうして、これも我が人生の七不思議のひとつ、イエス様のくださった飴玉だとばかり、口に中で転がしてはその甘さを楽しんでいる。 教会の生活は七不思議の最たるものだ。教会の道は往路しかない。引き返して出ていく道はないように思える。細い狭い道はひたすら前に前に伸びている。その道を歩き続けている。便利な交通手段もない。徒歩しかない。こちらの歩みは50年をとっくに過ぎた。帰天者は数えきれない。父も母もそのお仲間だ。その間、主管牧師は老齢その他で代替わりし、まもなく4人目を迎えようとしている。しかし、教会は長居をしすぎたからと逃げ出すわけにはいかない。なにしろ往路しかないのだから。地上の終点は御国への入り口へ通じているのみ。 思えば、我が人生の七不思議はまだまだいくらもある。 不思議という言葉であるが、この言葉は光を含んでいると思う。幸福感を滲ませていると思う。喜びや感動が詰まっている気がする。 不思議の中にはイエス様がおられ、希望の風が吹いている。我が人生の七不思議はイエス様の御業そのものなのだ。人生の七不思議をもっともっと発見しよう。七つと言わず八つも九つも十も二十も。そう、私の人生は丸ごとイエス様の不思議で満ちている。希望の風の塊である。 2012.03.04 Sunday 18:18
日々の風から とにかく3月1日がきた!
ずっと、ずっと、ずっと、待ちわびていた3月を迎えて、今朝は感謝と感動の一声を発し、東の空を明るく染める朝日を浴びながら、思い切り脊伸ばしし、深呼吸をしたまではよかったのですが、あたふたとしている間に時が過ぎ、はや、就寝タイム。夜更かしは老年者には禁物なのです。明日にひびきます。とはいえ、一行でも、この喜びを書かねばと、今日最後の力を振り絞っています。 この3月をくださった神さまに感謝します。遅かったけど確実に春はくるのです。 昨日の驚きの雪は、春告げ雪とよぶそうです。 その通りに、今日はほかっと暖かです。 昨年の3月を、あの11日の、午後2時46分を思い出します。 あの日一日を鮮やかに思い出します。あれからの日々を思い出します。 この3月は、春を喜びつつも、未曽有の出来事を思い出しながら、まだその現実のただなかにいる方々を思いながら、心をきりりと立ち上がらせて、まごころで祈りの手を強く差し伸べたいと思います。ウソ偽りなく、一日も忘れたことのない3月ですから。 2012.03.01 Thursday 23:09
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