人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- - -
日々の風から せつない話




根っこ

あっという間に1月も晦日を迎えた。一月は いぬ(往ぬ、去ぬ)、二月は逃げる、三月は去る(さる)四月は退く、などと、古人は月と時の経過を言葉遊びで面白く表現したようだが、1月は今日で行ってしまう。数年ぶりの強い寒気に喘ぐ日々であるが、全面冬眠とはいかず、ざわつく外界と対峙せねばならない。消費税アップ、年金減額とせつない話である。

 

悲しいニュースが飛び込んだ。かつてともに活動した大先輩が、思いがけない事故で召されたという。はるかにご高齢なので昨今は接点がなかったが、訃報はいち早く聞こえてくる。大きな病気を抱えておられたから、それが原因かと思ったら外での事故とのこと。できることなら畳の上で、ではないが、病院のベッドでご家族に囲まれて最後を迎えたかったのではないか、そうした知らせならすんなりと受け入れられるのだが、事故と聞くとやりきれなさが残る。せつなくて胸が痛い。ご遺族も悔いが残るだろう。


私よりいくらか若い独身の知人が定年退職され、何十年ぶりなのだろう、在宅の日々があり、あるいは気ままに外出して自由を楽しんでおられる。ご両親を看取られ今は独居である。有能な方だからまだまだ働きたいとの願いがある。独身貴族を通してこられたが、女性のことである、悠々自適とは言えないらしい。私も想像がつく。純粋な気のいい女性である。

お茶をした。近況を聞かされて、胸が騒いだ。危ういのである。私の思い過ごしか。

 

知人の話によると、家にいるとチャイムが鳴り、セールスレディの訪問だった。ちょっと立ち話をしたが、寒いからとどうぞと居間に通した。世間話に花が咲いた。離婚女性で小さな子どもがいる。その仕事は初めたばかりだという。ところがセールスはそっちのけで、知人の話に乗り、興味があるからまた聞かせてと言って、もう二度ばかり訪問してきているとのこと。私はとっさに胡散臭さを感じた。変な宗教じゃないのとまず訊いた。とんでもない、そんなことはないと、知人はけらけら笑って断言する。

 

私なら、絶対に家に入れない。チャイムで断る。玄関を開けることはない。訪問セールスから買い物はしたことがない。知人は無防備すぎるのではないか。この先なにがあるか、事が起こってからでは遅い。忠告したほうがいいだろうか。知人だって子供じゃないのだ、かえって、私のほうこそ世間に疎い人間なのだから余計なことは言えないと、躊躇する。でも、でも、である。杞憂に終わればこれに越したことはないのだから、ひとこと言うことにする。

 

いかがなものでしょうか。

 

もうひとつ、彼女の話に心配している。これから、多少は働きたい。収入を得たいとのこと。もっともである。最近、学びを始めた。公的な資格は取れないが、そこの機関で、いくつかのコースをクリヤーすれば、その技術を持って仕事ができるという。とても魅力ある仕事で、世の中にも役立つ、これからは脚光を浴びる仕事だとのこと。

 

学ぶのにお金がかかるんじゃないのとまず訊いた。そうだという。学びの費用が大変高い。明日にでも次のコースのためにうん十万払い込まなければならない。なんだか貯金がみるみる減っていくの。

 

私はドキドキしてしまった。これも世間によくある話で、半分騙されているのではないだろうかと思う。たとえ立派な資格が取れたとしても、それで収入を得ることは簡単ではない。うまく乗せられているのではないだろうか。それを気のいい知人は信じきっているのではないかと思う。大枚つぎ込んだ後で、気が付くのでは、せつなすぎる。

 

これも早く言わねばならないでしょう。いかがなものでしょうか。

日々の風から comments(4) -
日々の風から 寒中散歩



スカイツリー天神橋


 

スカイツリー福神橋

我が家から5分ほどの明治通りを横切る北十間川、福神橋から


大寒もすぎ、立春の声が待たれる。声だけでいい、聞きたいものだと、寒極まる日々だけに鶴首の思いである。小寒からから立春までのおよそ一か月を寒中というのだそうだ。寒中お見舞いを出したり、いただいくことがめっきり少なくなった。暑中お見舞いのほうがまだ生きている、ふと、そんな思いがわく。これもめったに聞かれないが、寒稽古というのがあったなあと思い出した。散歩の途中で思い出したのである。正確に言えば散歩などではない。

 

所用でJR一駅先まで行った。帰途のことである。歩こうと思った。おりしも午後1時。日差しは強く快晴に近い。風は強くないが冷え込みは強い。道路のところどころに先日の雪が残っている。除雪した雪が大きく積み上げられたところもある。寒中だから一刻も早く帰宅したくもあったが、歩いて帰ろう、寒中散歩をしてもいい、そんな思いになった。

 

コートの襟を立て、マフラーで喉と首をきっちりガードした。手袋もした。しばらくしたら、耳と顔がひどく冷たい。そこでマスクを取り出した。ついでに喉飴をほおばった。大笑いされそう。バッグに入っている文章書きの案内書には、行き詰ったら散歩するようにとのアドバイスがあった。それを思い出した。書きかけの原稿が浮かんできた。妙案はさておき、頭に風が入った。冷たい風だけど。そうこうしているうちに背中が熱くなってきた。まず、マスクを外した。次は手袋をしまった。自家発電の効果といえよう。


途中、蔵前通りを横切る横十間川の天神橋のたもとと、明治通りを横切る北十間川にかかる福神橋のたもとから、スカイツリーを撮った。携帯だから肉眼よりずっと遠くに写ってしまい、残念である。

 

 

 

 
日々の風から comments(0) -
日々の風から ただ今降雪中

23日雪


 

午後8時から雨が雪に変わった。夜ではあったがどうしても投函したい文書があって、近くのポストまで出かけた。夕方から雨が降り続いていたが、その雨が急に雪になったのである。歩いている最中であったので、びっくりした。珍しいことだ。

明日の予報には晴れマークが見えたので、すぐやむと思っていたが、今、午後
10時半だが、ますます激しさを増している。今夜いっぱいい降ったら明朝の都心はマヒするだろう。そろりそろりと車が走っていく。

 
日々の風から comments(0) -
世相の風から 買い物場所異変

いわゆるコンビニ党ではない。買い物で使ったことはほとんどない。宅急便、メール便のためにだけ行くだけである。時として支払にも使うが。かつての郵便局の代わりである。最近、スーパーでよく見かけた人たちをコンビニで見かける。今朝は、長年スーパーのレジをしておられる女性の姿を見た。あら、ご自分の仕事先で買えばいいのにと思った。また、お年寄りも多い。カゴにはいろんな種類の食べ物が入っている。(つい、好奇心に駆られて覗きました)

 

若い知人に話をしたら、そうなのよ、老人たちはスーパーは行かない。広いところを歩き回って疲れるし、目当ての売り場もなかなか見つからない。コンビニならすぐわかるし、店員さんに声もかけやすいから、らくみたい。でも、困るのよ、レジに列ができることもある、たくさん買うので後ろで待つ者はイライラしてくる。コンビニって、一つ、二つをさっと買えるところのはずなのに、違ってきたわ、と。

 

コンビニの値段は安くはない。スーパーの特売のようなわけにはいかない。でも、コンビニを使う人たちは値段よりも、そのほかの理由があるのだ、便利さだけだろうか。

 

我が隣人の、一人暮らしの老姉も買い物の場所が変わってきた。一年前は徒歩やバスに乗って一番近くのJR駅まで毎日のように出かけていた。散歩を兼ねてるのよと言われた。それが、少し離れた大手スーパーになった。私はよく、今日はどこへ行ったのと尋ねる。老姉のそばに住む者としての見守りの積りもある。このところ、ますます行動の範囲が狭くなった。一番近いコンビニだけになった。同じくらいの距離に小さなスーパーがあるが、老姉はそちらへは行かなくなった。コンビニを選んでいる。買い物しやすいからだろう。

 

世の中は変わっていく。新聞の文字も、文庫本の文字も大きくなった。高齢化とか少子化だけの問題ではないような気がする。

 

 

 

世相の風から comments(0) -
日々の風から 最後の一葉のゆくえ

剪定

 公孫樹2

公孫樹3


年末の30日に、私の窓から一番近い公孫樹の街路樹の落葉の様子を書いた。最後の一葉が気にかかり、できれば見届けたいものだ、しかし、おそらく真夜中の寒風の中に消えていくだろうと。年を越して、ますます葉を落とし、裸木寸前になり、マッチ棒ほどの無数の小枝が空を突き刺していた。しかしまだそこここに最後の一葉の栄冠を得よと、幾枚かがちらちらと風に踊っていた。

 

新年早々に意外な光景に出会った。午後のことだった。公孫樹の周りが騒々しい。モーターの音が聞こえる。車のエンジン音もする。その中に、ハサミの鋭い音が青空に響きわたっている。見れば数人が木に登っているではないか。剪定師という方々なのだろうか。幹から枝に跨って思い切り落としている。落とした枝は下にエンジンをかけたまま待機している車に積まれる。地に落ちた小枝や黄葉はバキュームがそばからどんどん吸い取っていく。手順の良さは面白いようである。

 

面白がって見とれているうちに大木は、余分なものはすべて落とされて主幹と大枝だけの彫像のようになってしまった。もちろん一枚の葉さえない。最後の一葉のみが、小枝たちも一本もない。人工の技が見事すぎて感傷に浸っている暇などはない。ここまで来ると味気ない。樹木が自分の命を守るために必死に自然と戦う、その物語を楽しもうと思っていたのに、そして心に何事かを受け、感じ、考えようと思っていたのに、そうした精神の働く領域をぴしゃりと強引に閉められたようで、何とも不満が残る。

思えばこれが都会生活の象徴なのだ。こうして街路樹は温室の花のように手厚くこぎれいに寒さ対策を施され、この先の寒に向かうらしい。こうなると愛しさも中ぐらいである。

 

日々の風から comments(0) -
日々の風から 一年の初めに 



神田川

人々が2012年に寄せられる期待はいつになく大きいものを感じます。昨年の悲劇が身に染みているからでしょう。恐怖が尾を引いているからでしょう。実際には昨年と今年の間に明確な境界があるわけではないのですが。古きを忘れたり軽んじたり水に流すわけではないけれど、新しい年に立つと、心に弾みを感じます。

 

前年に何があったとしても、年月に区切りがあるのはいい。

新しい年に変わるのがいい。

一年ごとに区切りがあるのはいい。

春夏秋冬、季節があるのもいい。

一か月の単位があるのもいい。

一週間ごとがまたいい。

なによりも日曜日があるのがいい。
礼拝の日があるのはいちばんいい。

一日がきちっと
24時間になっているのもいい。

夜があるのも、昼間があるのも、朝があり、夕があるのもいい。

 

神の作られたものは、みな麗しい。

 

一年の初めは、一年の終わりと同じように多くのことを考えさせてくれる。

終わりより初めがいい。先がわからいだけに希望がある。希望は夢をはらんでいる。

時に、途方もない夢を見る。決して人には言えないような。

人に言う必要はない、言ってわざわざ笑われることはない。

そのおかしさを一番よく知っているのは自分だ。

笑いながら希望を抱き、夢を見る。

 

見果てぬ夢はむなしいのか、

見果てぬ夢でいいではないか。 

かなわぬ希望でいいのか、

かなわないから、希望なのだ。

希望は失望に終わることはないと、全能者は言われるではないか。

 

希望を抱き、夢を見る。

それこそ神の霊を宿す人間の人間たる証拠だ。

この年も大いに希望を抱き、大きな夢を見たい。

夢の中に希望の風はそよいでいる。

 

皆様の2012年がイエス・キリストの恵みで満たされますように。

 
日々の風から comments(0) -
書林の風から ネット読書会『カラマの会』今年は『白痴』


本



小さな小さな読書会が7年目を迎えます。一年に一冊のお気楽な歩みです。最初の年はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』でした。一人ではなかなか読めない長編を読むことが、第一の目標です。全員がクリヤーしました。二年目は『エデンの東』、次いで『クオ・ヴァデス』、『レ・ミゼラブル』、『戦争と平和』。昨年は漱石の『こころ』でした。今年は何を読もうかと年末から話し合い(メールで)が続き、再びドストさんに軍配が上がりました。

 

彼の作品一覧も覗き込み、決まったのが『白痴』です。やはりドストさんは世界文学ではゆるぎない最高峰です。だれも追随を許しません。いっそ、残る生涯、彼の全作品を書棚に並べたいといわれる熱狂的メンバーもおられたりして(私もです)人気はますますアップするばかりです。

 

書店に出向こうかと考えましたが、ネットで検索。これくらいの値段ならきっと安心できる本ではないかと注文しました。大晦日には注したのに、2日には届いたのです。正月なのにと、配達のお兄さんに申し訳なく思ったことです。世の中の変わり方に驚くばかりです。

手にした本は、新品とたいして変わらず、これもまたびっくりです。こんな値段で、居ながらにして買えてしまうのだもの、出版社も本屋さんも、作家も、厳しいことだと、妙な気分になりました。

 

この読書会にしてからが、座したまま開かれ、座したままメンバーの感想が聞け、座したまま、顔を合わせることもないのに、励まされ、教えられたりしながら、気が付くと、世界の大作を完読しているという設定です。世の中変わったなあと、ここでもまた深くうなずくことしきりです。分厚い上下2冊が「取りて、読め」とばかり、しっかり机上の一角を占めて、アッピールしています。ドストさんが見せてくれる新世界に期待が高まります。

 

読書についての名言をひとつ、ふたつ紹介します。


*良書をはじめて読むときには、新しい友を得たようである。前に精読した書物を読みなおす時には、旧友に会うのと似ている。(ゴールドスミス)

*書物は青年時代における道案内であり、成人になってからは娯楽である。(コリアー)

*読書は充実した人間をつくり、会話は機転の利く人間をつくり、執筆は緻密な人間を つくる。(フランシス・ベーコン)

 

三番目のベーコンの言葉が響きます。なるほど、雑な人間が成長するために、執筆は有益なのだと、新年から大きな励ましを受けました。

 
書林の風から comments(2) -
日々の風から 新年の風は希望の風

正月の花


主の2012年を感謝します!

いただきものです。主からのプレゼントです。

造り主のみゆるしなければ、一日たりとも生きていけないのですから。

生かされている恵み、新年を確認し、迎えられる喜び、感謝にあふれます。

 

この年に主の光があふれますように。

願わくは自然の大災害や戦争や不幸と呼ばれる惨事が起きませんように。

立場の弱い者たちが抑圧されませんように。

 

何事かあったとき、こころが萎え、挫け、希望を失うことがありませんように。

願わくは、悲しむ者とともに悲しみ、泣く者とともに泣ける者でありますように。

キリストの愛に囲まれている事実を見る目を持てますように。

イエス・キリストから目を離さず、神の栄冠を得るために目標を目指して走れますように。

 

 

自分自身を写す鏡として詩篇第一篇の前に立ってみました。

詩篇第一篇

幸いなことよ。

悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、

あざける者の座に着かなかった、その人。

まことに、その人は主のおしえを喜びとし、

昼も夜もそのおしえを口ずさむ。

その人は、水路のそばに植わった木のようだ。

時が来ると実がなり、その葉は枯れない。

その人は、何をしても栄える。

 

悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。

それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、

罪人は、正しい者のつどいに立てない。

まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。

しかし、悪者の道は滅びうせる。

 

 

日々の風から comments(2) -
CALENDAR
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< January 2012 >>
PROFILE
MOBILE
qrcode
COMMENT
ARCHIVE
RECOMMEND
美しき姉妹たち
美しき姉妹たち (JUGEMレビュー »)
三浦 喜代子
最新本です。
ぜひお読みください。
SPONSORED LINK