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日々の風から せつない話
悲しいニュースが飛び込んだ。かつてともに活動した大先輩が、思いがけない事故で召されたという。はるかにご高齢なので昨今は接点がなかったが、訃報はいち早く聞こえてくる。大きな病気を抱えておられたから、それが原因かと思ったら外での事故とのこと。できることなら畳の上で、ではないが、病院のベッドでご家族に囲まれて最後を迎えたかったのではないか、そうした知らせならすんなりと受け入れられるのだが、事故と聞くとやりきれなさが残る。せつなくて胸が痛い。ご遺族も悔いが残るだろう。
お茶をした。近況を聞かされて、胸が騒いだ。危ういのである。私の思い過ごしか。 知人の話によると、家にいるとチャイムが鳴り、セールスレディの訪問だった。ちょっと立ち話をしたが、寒いからとどうぞと居間に通した。世間話に花が咲いた。離婚女性で小さな子どもがいる。その仕事は初めたばかりだという。ところがセールスはそっちのけで、知人の話に乗り、興味があるからまた聞かせてと言って、もう二度ばかり訪問してきているとのこと。私はとっさに胡散臭さを感じた。変な宗教じゃないのとまず訊いた。とんでもない、そんなことはないと、知人はけらけら笑って断言する。 私なら、絶対に家に入れない。チャイムで断る。玄関を開けることはない。訪問セールスから買い物はしたことがない。知人は無防備すぎるのではないか。この先なにがあるか、事が起こってからでは遅い。忠告したほうがいいだろうか。知人だって子供じゃないのだ、かえって、私のほうこそ世間に疎い人間なのだから余計なことは言えないと、躊躇する。でも、でも、である。杞憂に終わればこれに越したことはないのだから、ひとこと言うことにする。 いかがなものでしょうか。 もうひとつ、彼女の話に心配している。これから、多少は働きたい。収入を得たいとのこと。もっともである。最近、学びを始めた。公的な資格は取れないが、そこの機関で、いくつかのコースをクリヤーすれば、その技術を持って仕事ができるという。とても魅力ある仕事で、世の中にも役立つ、これからは脚光を浴びる仕事だとのこと。 学ぶのにお金がかかるんじゃないのとまず訊いた。そうだという。学びの費用が大変高い。明日にでも次のコースのためにうん十万払い込まなければならない。なんだか貯金がみるみる減っていくの。 私はドキドキしてしまった。これも世間によくある話で、半分騙されているのではないだろうかと思う。たとえ立派な資格が取れたとしても、それで収入を得ることは簡単ではない。うまく乗せられているのではないだろうか。それを気のいい知人は信じきっているのではないかと思う。大枚つぎ込んだ後で、気が付くのでは、せつなすぎる。 これも早く言わねばならないでしょう。いかがなものでしょうか。 2012.01.31 Tuesday 21:58
日々の風から 寒中散歩
我が家から5分ほどの明治通りを横切る北十間川、福神橋から 所用でJR一駅先まで行った。帰途のことである。歩こうと思った。おりしも午後1時。日差しは強く快晴に近い。風は強くないが冷え込みは強い。道路のところどころに先日の雪が残っている。除雪した雪が大きく積み上げられたところもある。寒中だから一刻も早く帰宅したくもあったが、歩いて帰ろう、寒中散歩をしてもいい、そんな思いになった。 コートの襟を立て、マフラーで喉と首をきっちりガードした。手袋もした。しばらくしたら、耳と顔がひどく冷たい。そこでマスクを取り出した。ついでに喉飴をほおばった。大笑いされそう。バッグに入っている文章書きの案内書には、行き詰ったら散歩するようにとのアドバイスがあった。それを思い出した。書きかけの原稿が浮かんできた。妙案はさておき、頭に風が入った。冷たい風だけど。そうこうしているうちに背中が熱くなってきた。まず、マスクを外した。次は手袋をしまった。自家発電の効果といえよう。 2012.01.27 Friday 15:36
日々の風から ただ今降雪中
午後8時から雨が雪に変わった。夜ではあったがどうしても投函したい文書があって、近くのポストまで出かけた。夕方から雨が降り続いていたが、その雨が急に雪になったのである。歩いている最中であったので、びっくりした。珍しいことだ。 2012.01.23 Monday 22:27
世相の風から 買い物場所異変
いわゆるコンビニ党ではない。買い物で使ったことはほとんどない。宅急便、メール便のためにだけ行くだけである。時として支払にも使うが。かつての郵便局の代わりである。最近、スーパーでよく見かけた人たちをコンビニで見かける。今朝は、長年スーパーのレジをしておられる女性の姿を見た。あら、ご自分の仕事先で買えばいいのにと思った。また、お年寄りも多い。カゴにはいろんな種類の食べ物が入っている。(つい、好奇心に駆られて覗きました) 若い知人に話をしたら、そうなのよ、老人たちはスーパーは行かない。広いところを歩き回って疲れるし、目当ての売り場もなかなか見つからない。コンビニならすぐわかるし、店員さんに声もかけやすいから、らくみたい。でも、困るのよ、レジに列ができることもある、たくさん買うので後ろで待つ者はイライラしてくる。コンビニって、一つ、二つをさっと買えるところのはずなのに、違ってきたわ、と。 コンビニの値段は安くはない。スーパーの特売のようなわけにはいかない。でも、コンビニを使う人たちは値段よりも、そのほかの理由があるのだ、便利さだけだろうか。 我が隣人の、一人暮らしの老姉も買い物の場所が変わってきた。一年前は徒歩やバスに乗って一番近くのJR駅まで毎日のように出かけていた。散歩を兼ねてるのよと言われた。それが、少し離れた大手スーパーになった。私はよく、今日はどこへ行ったのと尋ねる。老姉のそばに住む者としての見守りの積りもある。このところ、ますます行動の範囲が狭くなった。一番近いコンビニだけになった。同じくらいの距離に小さなスーパーがあるが、老姉はそちらへは行かなくなった。コンビニを選んでいる。買い物しやすいからだろう。 世の中は変わっていく。新聞の文字も、文庫本の文字も大きくなった。高齢化とか少子化だけの問題ではないような気がする。 2012.01.19 Thursday 12:12
日々の風から 最後の一葉のゆくえ
新年早々に意外な光景に出会った。午後のことだった。公孫樹の周りが騒々しい。モーターの音が聞こえる。車のエンジン音もする。その中に、ハサミの鋭い音が青空に響きわたっている。見れば数人が木に登っているではないか。剪定師という方々なのだろうか。幹から枝に跨って思い切り落としている。落とした枝は下にエンジンをかけたまま待機している車に積まれる。地に落ちた小枝や黄葉はバキュームがそばからどんどん吸い取っていく。手順の良さは面白いようである。 面白がって見とれているうちに大木は、余分なものはすべて落とされて主幹と大枝だけの彫像のようになってしまった。もちろん一枚の葉さえない。最後の一葉のみが、小枝たちも一本もない。人工の技が見事すぎて感傷に浸っている暇などはない。ここまで来ると味気ない。樹木が自分の命を守るために必死に自然と戦う、その物語を楽しもうと思っていたのに、そして心に何事かを受け、感じ、考えようと思っていたのに、そうした精神の働く領域をぴしゃりと強引に閉められたようで、何とも不満が残る。 2012.01.11 Wednesday 20:40
日々の風から 一年の初めに
前年に何があったとしても、年月に区切りがあるのはいい。 新しい年に変わるのがいい。 一年ごとに区切りがあるのはいい。 春夏秋冬、季節があるのもいい。 一か月の単位があるのもいい。 一週間ごとがまたいい。 なによりも日曜日があるのがいい。 夜があるのも、昼間があるのも、朝があり、夕があるのもいい。 神の作られたものは、みな麗しい。 一年の初めは、一年の終わりと同じように多くのことを考えさせてくれる。 終わりより初めがいい。先がわからいだけに希望がある。希望は夢をはらんでいる。 時に、途方もない夢を見る。決して人には言えないような。 人に言う必要はない、言ってわざわざ笑われることはない。 そのおかしさを一番よく知っているのは自分だ。 笑いながら希望を抱き、夢を見る。 見果てぬ夢はむなしいのか、 見果てぬ夢でいいではないか。 かなわぬ希望でいいのか、 かなわないから、希望なのだ。 希望は失望に終わることはないと、全能者は言われるではないか。 希望を抱き、夢を見る。 それこそ神の霊を宿す人間の人間たる証拠だ。 この年も大いに希望を抱き、大きな夢を見たい。 夢の中に希望の風はそよいでいる。 皆様の2012年がイエス・キリストの恵みで満たされますように。 2012.01.07 Saturday 20:12
書林の風から ネット読書会『カラマの会』今年は『白痴』
彼の作品一覧も覗き込み、決まったのが『白痴』です。やはりドストさんは世界文学ではゆるぎない最高峰です。だれも追随を許しません。いっそ、残る生涯、彼の全作品を書棚に並べたいといわれる熱狂的メンバーもおられたりして(私もです)人気はますますアップするばかりです。 書店に出向こうかと考えましたが、ネットで検索。これくらいの値段ならきっと安心できる本ではないかと注文しました。大晦日には注したのに、2日には届いたのです。正月なのにと、配達のお兄さんに申し訳なく思ったことです。世の中の変わり方に驚くばかりです。 手にした本は、新品とたいして変わらず、これもまたびっくりです。こんな値段で、居ながらにして買えてしまうのだもの、出版社も本屋さんも、作家も、厳しいことだと、妙な気分になりました。 この読書会にしてからが、座したまま開かれ、座したままメンバーの感想が聞け、座したまま、顔を合わせることもないのに、励まされ、教えられたりしながら、気が付くと、世界の大作を完読しているという設定です。世の中変わったなあと、ここでもまた深くうなずくことしきりです。分厚い上下2冊が「取りて、読め」とばかり、しっかり机上の一角を占めて、アッピールしています。ドストさんが見せてくれる新世界に期待が高まります。 読書についての名言をひとつ、ふたつ紹介します。
*書物は青年時代における道案内であり、成人になってからは娯楽である。(コリアー) *読書は充実した人間をつくり、会話は機転の利く人間をつくり、執筆は緻密な人間を つくる。(フランシス・ベーコン) 三番目のベーコンの言葉が響きます。なるほど、雑な人間が成長するために、執筆は有益なのだと、新年から大きな励ましを受けました。 2012.01.04 Wednesday 14:57
日々の風から 新年の風は希望の風
いただきものです。主からのプレゼントです。 造り主のみゆるしなければ、一日たりとも生きていけないのですから。 生かされている恵み、新年を確認し、迎えられる喜び、感謝にあふれます。 この年に主の光があふれますように。 願わくは自然の大災害や戦争や不幸と呼ばれる惨事が起きませんように。 立場の弱い者たちが抑圧されませんように。 何事かあったとき、こころが萎え、挫け、希望を失うことがありませんように。 願わくは、悲しむ者とともに悲しみ、泣く者とともに泣ける者でありますように。 キリストの愛に囲まれている事実を見る目を持てますように。 イエス・キリストから目を離さず、神の栄冠を得るために目標を目指して走れますように。 自分自身を写す鏡として詩篇第一篇の前に立ってみました。 詩篇第一篇 幸いなことよ。 悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、 あざける者の座に着かなかった、その人。 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、 罪人は、正しい者のつどいに立てない。 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。 しかし、悪者の道は滅びうせる。 2012.01.01 Sunday 17:54
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