人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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日々の風から 2011年を回想する その2

 

その1は愚痴めいた重たい文になってしまった。今日は身辺雑記とすべきだろう。身辺整理整頓掃除が正解だ。いわゆる新年を迎えるに当たっての暮れの掃除である。捨て摩と異名のある私である、日ごろ気を付けているつもりだ、しかし、≪慣れ≫という見えざる敵には弱い。特に知らないうちに私の視界を占領する≪見慣れる≫という細菌は恐ろしい。

 

≪見慣れる≫が意気揚々と居座るのが我が机上である。我が机上は極小の世界ではあるが、小宇宙ともいえる我が城でもある。過去、現在、少し先までの将来の資料が、一目瞭然、すぐ手にとれるようになっている。しかし整然とはしていない。そこが悩みであり、弱みでもある。整然としていたら、そこは倉庫ではないかと思うが、それは開き直りか。

 

整理整頓掃除とは、詰めて言えば捨てることだ。文章の推敲に似ている。そんなことを思いながら、雑草のように茂り放題の雑ものを処分していく。これがなくて困るだろうか、あれがなくなって、どこかに迷惑をかけることがあるだろうか。廃棄の前に戸惑いがないわけではない。問題になったとき、謝罪して済むものもある。パソコンに保存してあるもの、どこかのサイトを開けば分かるものなど、逃れの道はいくつもある。

 

思い出のものもある。でも、いつ使うだろうか、いつ見るだろうか、自分に遠い何年先があるだろうか。そのとき正気だろうか。負の遺産は残してはならない。そんなことまで考えると、どんどん整理されていく。

 

娘が入ってきて、傍らの小さな机を、これ、なくなくてもいいんじゃないの、ないほうが部屋が広くなってさっぱりすると言った。う〜ん、なるほど。でもさびしい気がする。しかし、出す前はなかったのだ。そうか、原点に戻ろう。必要になったら出せばいい、とりあえず畳んでしまおうかとも思う。

 

親友たちから近況メールが入る。おせちを作っている最中、台所からよとか、足りないものを買いに行くとか、皆さん、現在は主婦業真っ最中のようだ。特に、外にいる息子、娘家族を迎える方々はかつての主婦以上に大仕事である。息子、娘だけでなく、お嫁さん、お婿さん、それに孫たちもいる。子孫の繁栄を楽しみ感謝するひと時でもあろう。さらに、舅、姑さんが加わる方もおられる。

 

私の場合は、今は主婦の座は長女である。おせち作りのほとんどはいつの間にか長女に移行した。食べ手も長女ファミリーだ。私は、彼らにはあまり人気のないお煮しめ専門である。彼らは、特に孫たちには、お雑煮さえあってもなくてもいいのだ。飛びついては来ない。しかし、不思議なことに、孫たちは栗きんとんを作るのに熱中する。お芋の裏ごしは近年S君の得意技になっている。今年もはりきるだろう。私は出来上がるのを待ち構えて、外野席を楽しんでいる。

 

部屋の東側の窓いっぱいに、公孫樹の街路樹が見える。一番手前のが葉を落とすのはいつもいちばん最後である。すべての樹がすでに裸木なのにまだまだ黄葉を着ている。しかし、北風の一撃でみるみる振り落されていく。私はそれをじっと見ているのだ。オー・ヘンリーの短編『最後の一葉』をどこかで思いながら。私には最後の一葉に希望を託すポリシーはないが、どれが最後の一葉になるか、その位置を確かめたい。見届けたいのである。昨年もそんなことを思ったが、記憶にない。最後の一葉を刺し貫いたのは、夜半の冷たい針風だったに違いない。

 

私の雑感は感傷に流れていく。今日の立ち位置、整理整頓掃除に戻らねば。私の担当のおせち作りにも。

 
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日々の風から 2011年を回想する その1

 

昨年の記録を開いたら、28日から年末雑感とタイトルして、何がしか作文していた。ことしは≪回想する≫というワンフレーズが浮かんだ。しかし、≪回想≫もミスマッチだ。今年のことは、思い出して感慨に浸るなどという過去完了的気分にはなれないのだ。いくつもの重い課題が現在進行中なのだ。どうしたわけか今年はそれが重なっている。

 

その筆頭は東日本大震災であろう。この年末に来て、マスコミはなお多くの新しい話題を報道しているが、日本人ならだれ一人として例外なく担い続ける課題である。直接に手を出すことがなくても、心において、思いにおいて、深く係わっていくものである。心の晴れる間はないのだ。過去形を使えるところなど一つもない。それどころか問題はますます深く大きくなっているのではないだろうか。

 

所属している団体のトップが重い病に倒れたのは昨年末であった。それ以来まもなく一年になろうとしているが、年初めに大きな手術をして以来、一喜一憂しながら春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎた。年末の今も見守り続けている。思えば、長く重い一年であった。ようやく希望が見えてきたのは一か月前ほどである。主の恵みでありこの上ない感謝であるが、まだまだ仕事に係れる体調ではない。今少し、緊張が続く。ご本人を思えば何も言えないが、こちらの心労もかなり大きい。

 

50年来の信仰の友が、秋ごろ突然嚥下作用に大きな支障がでた。お元気な方で、精力的に活動されていた。事態を知って、彼をよく知っている者たちは大きな衝撃を受けた。そんなことがあるのだろうかと、驚きが大きかった。食べることも飲むこともできなくなり、管による流動食、かろうじてとろみ食だそうで、みるみるやせ細ってしまった。今は大学病院に隔離されるようにして厳しい投薬治療が続いているとのこと。はたして再び彼に会えるのか、このままさらに悪化していくのか見当もつかない。私の心の憂いは大きい。

 

もうひとつ、もっと大きなウエイトで私の心にのしかかっていることがある。思えば、年の初めから今に至るまでそのことで苦悶し通しである。戦友のようにともに奉仕してきた親友に悲惨な出来事が起こったのだ。不明瞭な物言いしかできないが、彼女の心の闇は、そのまま私の闇となってしまった。まだ心乱れているので、整然と筆に乗せることはできない。

 

こうして2011年はいつもの年の瀬とはちがう心境に立たされ、晒されている。

しかし主は言われる。『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい』。主はやみくもに命じておられるはずがない。すべてをご存じの上でなお、呼びかけておられるのだ。主に近づこう。主の息が聞こえるほど近くに。何かわかるに違いない。希望の風が吹かないわけがないのだから。

 
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日々の風から クリスマスは終わりぬ

毎年のことながら、教会のクリスマス諸行事が終わるとほんとうにホッとする。今年はいつになくせわしかったと思う。全部のプログラムに参加したわけではないのだが。宣伝の効果があったのか、いつもより新来者が多かった。教会にとっては大きな喜びであり恵みである。

 

25日は過ぎたが、今日は最後のクリスマスの集いをした。我が家で、である。この一か月、教会で目覚ましく奉仕した近隣の女性たちが集った。持ち寄りのランチをメインにして。

テーブルに乗り切れないほどの手作り料理が並んだ。女性はタフだとつくづく思う。私も、最近は手抜きの食事が多いのだが、宿の主としては手ぶらでお迎えするわけにはいかない。

 

久しぶりで1日、2日前から材料を買い集め、昨日から準備をし、今朝も早くからキッチンに入り込んだ。しばらくすると、鈍っていた手足や頭が動き出し、忘れていたリズムがよみがえってくるのだ。体が軽く感じられ、動作も早くなる。不思議なものである。眠れる心身に刺激を与えたということか.億劫がらずに挑戦すべしとこれもつくづく思ったことだ。

 

メンバーは、常連が2名欠席で、6名であった。内、1名が、まだクリスチャンではない。私とは長いおつきあいで、教会にもイベントの時は必ず参加してくださる。教会でもすっかりおなじみさんなのである。我が家の集まりには必ず声をかける。今日も喜んで駆けつけてくださった。彼女のごちそうは、黒豆のお赤飯。自家製のぬかみそ漬け。さらにコーヒーメーカーを自転車に積んで来られ、薫り高いコーヒーを振舞ってくださった。

 

家庭集会と呼び名をつけていない。定期的でもない。私の気の向くままなのだ、時に、そろそろしてくださいと声がかかる。その声に応ずことが多い。しかしやるたびにもっと頻繁にしなければと反省する。

クリスマスの最後にふさわしく、クリスマス讃美歌に声を合わせ、聖書のクリスマスシーンを開いて、みことばからの恵みを分かち合った。これでほんとうにクリスマスは終わりぬ。

 

 
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クリスマスの朝に

 

今年は25日が日曜日になり、クリスマスらしい日取りになりました。

今日はどこの教会でも一日中クリスマスらしいプログラムが組まれているはずです。お出かけになりませんか。

 

小さな集いでお話ししたクリスマス向けのメッセージを紹介します。

 

クリスマスの中身・『飼葉おけに寝ておられるキリスト』

聖書・ルカの福音書28節〜16

 

日本中の繁華街はどこもかしこもクリスマスの装飾一色です。あるところでは、ヨーロッパのクリスマスマーケットを再現したそうです。一人の女性が「日本にいながら本場のクリスマスを味わうことができて最高です」などとコメントしていました。

でも、本場のクリスマスってなんのことでしょう。いつも思うのですが、日本人の理解しているクリスマスとはなんだろうかと。美しい電飾のツリーやクリスマスグッズ、あるいはチキンやターキーやケーキ、それがクリスマスなのでしょうか。

 

クリスマスの中心は教会であり、その中心はイエス・キリストであることが、ちっとも言われないのです。教会はどこでもそれなりに宣伝しているのですが、その声は弱くて小さくて、メディアの巨大な声に飲み込まれ、消されてしまって、ちっとも届かないようです。

つまり、私たちの国の人たちは、クリスマスの外側だけを見ていて、その中身を知らないのです。きれいに包装された箱だけを持って、箱だけを楽しんでいている、中は空っぽなのです。中抜きの箱、空っぽの箱を抱えて喜んでいるようなものです。滑稽ではありませんか。箱より箱の中身が重要なのはわかりきったことですのに。

 

クリスマスの中身は、飼い葉おけに寝ておられるみどりごです。聖書がそう言ったように、イエス・キリストなのです。このイエス様を見つけて、出会うことがクリスマスです。

では、イエス様と出会うとはどういう事でしょうか。

 

この飼い葉おけに寝ておられるみどり子こそ、私たちを罪から救うお方だと知ることです。

 

ところで、私たちはイエス様を、自分にとってどのようなお方であるか、知っているでしょうか。個人的によく知っているでしょうか。イエス様の何を知ることが、ほんとうにイエス様を知ることなのでしょうか。

 

イエス様は、いつもともにいてくださって、どんなときも変らない愛で愛してくださるやさしく忍耐深いお方だ、私がどんな人間であろうと、何をしても怒らないで赦してくださる、と知っていますね。頼りがいのあるお方だと知っています。もちろんそのとおりです。お母さんのように、お父さんのようなお方です。

 

でも、その前に私たちが知らなければならないことは、イエス様は罪人を救うために来られたと言うことです。飼い葉おけに寝ておられるみどりごは、私たちを罪から救うためにこられたのです。これは一番大事なことです。神は愛だからこそ、私たちを罪から救えるのです。神の愛は、罪からの救いです。別の言い方をすると、罪を赦してくださることです。その証拠として、代価としてご自分を犠牲になさったのです。

 

罪の支払う報酬は死です。ですからイエス様は自分のいのちで支払いをしてくださったのです。このことを私たちは一番に覚えておかなければならないと思うのです。イエス様は私の救い主とよく言いますが、何から救うのですか、病気から救ってくれるのですか、貧乏からでしょうか、その他の苦しみから救ってくださるから救い主なのですか。それもそうですが、されは二の次、三の次です、私たちの罪からの救い主なのです。

 

罪が許されるという実感はあまりないかも知れないのです。自分がそんなにひどい罪人などと思っていないのです。特に、周りを見て物事を判断する私たち日本人は罪意識がありません。人と比べてしまうからです。神様の前で自分を見る習慣のある国の人たちは罪がよくわかると思います。イスラムの人たちだってわかっています。

 

罪から救われるとは、イエス様の前で、赦してくださることを信じて、徹底的に謝ること、悔い改めをすることです。これが第一歩です。この部分が曖昧になっている、ぼやけている、軽視されていると私は思うのです。神様の御前で、いつもいつも悔い改めていないと、私たちはいつの間にか傲慢になります。神様の前での態度が大きくなります。神様を自分の都合のよいように使うようになります。神様を召使いにしてしまうのです。祈りも、願い事をするだけ、自分の欲望の一覧表を突きつけているのです。これは極端かも知れませんが。

 

ところで、箱の中身のイエス様は、はじめから箱の中にはおられないのです。

黙示録3章20節

『見よ、私は戸の外に立って叩く。だれでも私の声を聞いて戸を開けるなら、私は彼の所に入って彼と食事をともにし、彼もまた私と食事をともにする』

戸の外に立つイエス様のノックの音を聞いて、ドアーを開けることです。

これは悔い改めて救い主としてお迎えするということです。そのときイエス様はお入りになり、それ以後は、たとえ包装紙がぼろぼろになってもずっとずっととどまっていてくださる、もう、さよならといって出ていってしまうことはないのです。

 

『イエス・キリストを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っている』と、パウロは言いました。

 

 
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2011年クリスマスによせて ルター家の聖夜    

銀座のツリー

 

2011年クリスマスによせて 

 

         ルター家の聖夜        

 

いずこの家にも/めでたき音ずれ/伝うるためとて/あめよりくだりぬ

神なるイエスこそ/罪とがきよむる/きずなき小羊/救いの君なれ
                                                    
讃美歌一〇一番 マルティン・ルター作詞

 

ルター家の居間から、賛美の声が聞こえてくる。子どもたちがルター夫妻を囲んでいる。時は一五三五年クリスマスの宵。入り口のそばにはリンゴとローソクで飾られた背の高いもみの木が置かれている。ルターが寄宿している学生たちと近くの森から抜いてきたものだ。ルターは子どもたち一人一人に笑顔を向けながら、言い聞かせるようにゆっくり話し始めた。

「今年は、みんなには、お金で買ったプレゼントはないんだよ。でもこころからのプレゼントがある。これから父さんと母さんが歌う歌だ。今年のプレゼントはこの歌だよ」

 ルターと妻のカタリーナは、子どもたちの前にすくっと立ち上がると、胸を張り、リズムを取りながら歌い出した。以後、この歌はクリスマスには必ず歌われ、時にはみんなが手をうなぎ合って輪になって歌ったという。

 

こころの臥所(ふしど)の/塵をば払いぬ/愛するイエス君/靜かにいねませ

馬槽のそばにて/マリヤが歌える/み歌にあわせて/我らも主をほめん

 

ルターとは、宗教改革の英雄マルティン・ルターのことである。妻の名はカタリーナ・フォン・ボラ。もっともルターはケーテと、愛を込めて呼んでいたが。彼らはヴィッテンベルグ城教会からほど近くに住んでいた。フリードリヒ賢明王が提供してくれたものだ。王は、改革の嵐の中からルターの身柄を守り続けた。ルターには神からの使者とも思える命の恩人である。ある時、命を狙われたルターは、変装してアイゼナハのワルトヴルグ城に逃げ込み、身を潜めていたこともあった。

 

歌い終わるとケーテが胸をぽんと叩きながらやさしく言った。 

「みんなの大好物、お肉のお団子入りのスープが大鍋いっぱいに、できてますよ!」

子どもたちは歓声をあげた。

その夜、ルター家のクリスマスは讃美歌とスープしかなかったが、神の愛とルター夫妻の愛が満ち満ちていた。そこには五人の子どもたちだけでなく、親戚から押しつけられた十人の子どもたちと、ルターを頼って地方から来ている貧乏な学生たちが何人も寄宿していた。多いときは三十人もいたという。ルターの人柄が偲ばれる。それはまた、妻カナリーナの器量に寄るところが大きいはずだ。


  二人の結婚は、ルターは四二歳の時、カタリーナは二六歳だったとか。

当時の常識から言えば、聖職者が結婚するのは型破りも甚だしく、異端児でなければできないことだった。もっともルターは八年前の一五一七年を契機に、ローマカトリックの世界にプロテストしていた。ルターはいのちを賭けて自分の信じる神と聖書と聖霊に固く立って、信念の道をひた走っていたのだ。

 

カタリーナは、没落貴族の娘だった。幼いとき母を亡くした。父は口減らしのため修道院に送ったという。当時はそうした方法がまかり通っていたのだろうか。修道女たちの生活は過酷を極めたようだ。

一五二三年、ルターは友人たちと十二人の修道女たちの脱走を手助けし、彼女たちを救出した。解放された女性たちを故郷へ帰したり、結婚相手を探して家庭を持たせたりした。 


  カタリーナはその中の一人だったが、ルターへの思慕を募らせていた。さすがの英雄も、結婚には悩んだらしい。修道僧としてのルターの人生辞書には、結婚という文字はどこにも見あたらなかった。しかし、ルターは強い決意をして結婚に踏み切った。一五二五年のことであった。この結婚には理解者もいたが、激しい非難と、嘲笑を浴びせる者たちもいた。 


  主婦カタリーナは、聖書の【箴言】にある賢い妻以上に働いた。農場と果樹園を借り、畑仕事、家畜の世話、大家族の世話をこなした。心臓の悪いルターのために、独学で医学を学び看病した。カタリーナはただの女性ではなかったのだ。ルターにふさわしい、神が選ばれた伴侶だったといえよう。


    ルターは公言してはばからなかった。

    このドイツをくれるといわれても、

私は、それよりも、やさしい妻がいる家庭を選ぶ。


  ルター家には次々と子どもが与えられた。結婚の翌年に長男ヨハネスが生まれた。二人は六人の子どもの親になった。しかし長女エリザベスを生後八ヶ月で亡くし、後年、十三歳のマグダレーナを天に送らねばならなかった。

 

宗教改革は、当時の世界、ヨーロッパをずたずたにする一大出来事であった。ルターはその立役者の筆頭である。どんなにか厳しく、どんなにか多忙であったろうか。ゆかりの地に立つルター像や、友人カルナッハ描く肖像画を見る限り、彼はいつも聖書を胸に抱き、天を凝視している。しかし、ルターは愛の深い、情熱の人でもあった。妻を愛し、子どもたちをかわいがり、隣人へも心を砕いた。


  時代の嵐がどんなに激しくても、ルター家のクリスマスのキャンドルや歌声を消すことはできなかったのだ。ルター家のクリスマスは、五〇〇年の歳月を跳び越えて、すぐお隣の家のことのように思える。ドアーを開けて歌声に和し、肉入りのお団子スープのお相伴に与りたい衝動を覚える。きっとケーテさんは、大きくドアーを開けて迎えてくれるだろう。

 

マッチ売りの少女が雪の降りしきる寒空の窓越しに見たお金持ちの家の居間にはだれがいたのだろう。ノックしても開けてはくれなかったであろう。もしかしたら、《クリスマス・キャロル》の冷酷な守銭奴スクルージのような老人がひとりぼっちでいたのかもしれない。

 

マリヤとヨセフが迎えた初めてのクリスマスは、家畜小屋だった。しかし孤独ではなかった。羊飼いたちがどやどやと入ってきた。羊飼いから聞いた町の人たちも次々にやってきた。  遠く東の国から博士たちも訪れた。もちろん家畜たちもいた。


  ルター家のように、マリヤとヨセフのように、我が家の聖夜を祝いたい。 

 



                  この秋に、宗教改革の足跡を辿る研修旅行に参加し、

ルターが活動した現場を巡りました。そのときの見聞をもとに綴りました。

 

 











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日々の風から パソコンチェンジ物語

ツリー三越 

重篤のパソコンを相手に、ゆすったり、たたいたり、呼びかけたり、切ったり、入れたりと、原始的な対応をしながら、次の手立てを進めた。買い換えるにしても一人ではできない。娘夫婦が日ごろの私の使い方を見ながら、いろいろ考えてくれた末に、秋葉原に出かけて行った。大きな段ボールが二つ、玄関先に降ろされたときは、ほっとして大きなため息が出た。

 

しかし、セッティングしなければならない。時間が必要である。その間、重篤パソコン君は意識朦朧の中でも幾分か作業をし、何よりもデータの移し替えまで持ちこたえくれた。

 

年の瀬とクリスマスで、婿殿も娘も睡眠時間さえ削っている中での、面倒な出来事なのだ。恐縮するばかりだが、待ったのきかない私の性格をよく知っているのだろう、真夜中まで頑張ってセットしてくれた。その際、孫のS君がよくパパの手助けをした。その働きはめざましかった。いつどこでこれだけの知識と技術を会得したのだろうと、唖然とするほどだ。時代の子と言うべきなのだろう。子どもは時代が育てるのかもしれない。

 

かくして、時代からはみ出した老女は、家族みんなに助けられて、ぴかぴかのパソコンの前に座らされた。上げ膳据え膳の気分である。S君のセリフがいい、何でもわからないことがあったら、訊いてね。

 

その数日間、重篤パソコン君は、さらにさらに悪化していった。最後にまだ移していないデータを思い出した。大急ぎで娘が作業をしてくれた。取り出し終わった時であった、ほんとうに、まったく、動かなくなった。この時を知って、最後の力を振り絞って待っていたかのようだった。急に胸がいっぱいになった。もう二度と開けないだろう白い蓋をそっと撫でた。

 

それにしても、この1週間余り、気が気ではなかった。準備のできないうちに使えなくなったら、私的なことばかりではないので、そのほうに迷惑がかかったらと、心配したのだ。この危急を知った友が、祈っていますからねと声をかけてくださった。うれしかった。

 

なによりもイエス様が、あわてふためく私の様子を、また始まったとばかり半分呆れながらも、重篤パソコン君を支え続けてくださったと思えてならない。確かに奇跡だった。

 

今、私は闇から抜け出たようにさっぱりした思いに満ち満ちて、新しいキーボードを叩いている。デスクトップスタイルであり、キーボードは無線。どこへでも自由に動かせる。画面も前後左右に動かせる。それに大きい。使いやすくなった。機能は至ってシンプルらしい。

 

心配してくださった方々にお礼を申し上げます。

また、パソコン漬けと叱られそうですが、この小さな武器を駆使して、少しでも主の働きに参加したいと願っています。

 
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日々の風から パソコン重症
 

パソコンが、怪しい。怪しいどころが、今日明日の命なのだ。ずっと快調だったせいか、安心していたし、油断もあった。この数ヶ月、単発的にドキットすることが起こり出してはいた。何とかしなくてはと頭の片隅には不安が出始めたが、何とか間に合うのでそのままにしていた。ところがここに来て、もうだめだと、きっちり判断した。

 

サポートセンターにようやく繋がり、聞いていただき、操作もした結果、機械的な故障ですとの診断がくだった。修理に出せば結構な費用としかも日数がかかる。時間的に余裕はない。買い換える他はないのだ。ところが買うといっても、リンゴやキャベツを買うようなわけにはいかない。私一人ではどうにもならない。

 

思えば、一人では何もできないのに、それなしには一日もいられないなんて、どこかおかしい。使う資格がないのかも知れない。いろいろ考えると悲しくなり、暗くなり、すっかり落ち込んでいる。知人たちによく聞いてみると、2台お持ちの方が多い。

私だとてできればそうしたい。ずっとそう思ってきた。でも、順調になると、その思いはいつの間にかどこかへ行ってしまう。それが愚かなのだろう。今の現象は、一度クローズすると、再び立ち上がる保証はないのだ。今日いっぱいかも知れない。明日の朝は真っ暗のままかも知れない。

 

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旅の風から 空っ風の上州へ



アドベントxxx



朝から上天気である。風は冷たいが、昨日より気温も上がるらしい。ひさびさに次女の奉仕する教会へ出かける。群馬県である。東京よりはグッと寒いだろう。道中、山々が見えるにちがいない。近づけば妙義山が、遠くに浅間も見えるだろう。

 

教会の午後は被災地支援のチャリティー・コンサートがある。それに参加したいのである。

ミュージシャンの方々を多少とも存じ上げているのがなおうれしい。今日はクラシックのシンガーなので、クリスマスにふさわしい名曲が演奏されるだろう。

 

いまから出かけます。

東京駅へ出て、上越新幹線、または長野新幹線のとちらでも、都合のよいのにのり、高崎下車。そのあとはローカルです。アドベント第3週目の礼拝をささげ、午後の教会学校クリスマスを覗いて、夕方には帰京の予定です。

 
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世相の風から 我が町の姿変り 

槌音高くーーーではないが、昨今の我が町の変わりようには驚くばかりである。高層マンションがにょきにょきと建ち、また建とうとしている。古い家は取り壊され、体裁のいい一戸建てや階数の低い集合住宅に変わっていく。道路は直され街路樹も植え替えられていく。

 

スカイツリーが建ったがためである。我が家は同じ区内ではあるが、ツリーの真下ではない。徒歩だと15分ほどだろうか。部屋の中からは見えないが、一歩外へ出れば展望台の細部まで見えるほどだ。このあたりでも、周辺の姿が変わっていくのだ。真下では何が起こっているだろうか。特別な用事もないので近づいたことはないが、その変化は著しいのではないか。

 

皆、観光用である。本来は電波塔であるが、それよりも634メートルが魅力なのだ、売りなのだ。もっとも、展望台へ上がってみたいとは思っている。それもなるべく早く上りたいと思っている。でも、どうなのだろう。皆ひそかに気を揉んでいる。だれが先に上れるのだろうと。区が係わっているのだから、年の順に高齢者からにしてもらえないだろうか。まさか、高額納税者なんてことはないだろう。公平に抽選もいいが、そんな声は聞いたことがない。民間の鉄道会社も莫大な財を投じているのだから、そちらは利益を得なければなるまい。慈善事業ではないだろうから。とすると、区民の意向などあまり反映されないかも知れない。

 

区民としての優遇など考えないで、きちんと入場料を支払って上ればいいのだ。それだけのことだ。しかし、いつ実現することやら。焦らず待つことにしよう。

 

全塔に灯が入ったら美しいと思う。外から眺めるのは順番も入場料も要らない。それを待つことにしよう。起工は20087月だった。思えばあっという間だった。今年の3・11の時、一瞬、倒れやしないかと案じた。何事もなかったようだ。

 

ツリーは自然を破壊して建つのではないのがせめてもの救いである。犠牲者を出す立ち退きの悲劇も聞かない。それも幸いである。これから先のことは分からないが、本来は電波塔なのだから、それがよく機能することを願う。

 
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日々の風から 人生の初体験

ブーケ

 

この年齢まで生きてくると(実際には生かされて、ですが)、思いがけないことに出会うものだと、私の人生のシナリオ作家、神様の筆の行方をあらためて見詰めている。ひょんなことからテレビ出演の話が舞い込んできた。迷子の黄葉のように私の足下に落ちた。開局5周年を迎えた、生まれたばかりのキリスト教テレビ局からである。その局のことは、ちらちらと耳元をかすめてはいたが、テレビには全く疎いので、気にも留めなかった。第一いまだにアナログのお情けにすがっている。(2015年まで地域のケーブルテレビが地デジをわざわざアナログに戻してくださるのです)

 

話を元に戻すと、情報ソースは私が著わしてきた書物だそうである。それをもとに聖書の女性のお話をしてほしいとのこと。大いに躊躇した。今まで、オファーのあった働きを拒否したことはない。主から出たことと信じて、おっかなびっくりのこともあったが、謹んでお受けしてきた。(いや、させていただいたのです)でも、今回ばかりは退く思いが強くて、すぐにはお返事ができなかった。このテレビ局について、いろいろ調べた。ところが、意外にも存じ上げている先生方が中心的に支えておられ、出演もされていることを知った。また、知人の母上は毎日毎日全ての番組を観ておられ、学びや楽しみのために用いておられるとのこと。またしても私は時代音痴の井の中の蛙であった。

 

認識を改め、この奉仕もまた主から出ていることを確信して、させていただくことにした。

担当する番組は文化コラムといって、一回10分である。それを12回割り当てられた。しかし10分でひとまとまりにするのはかなりな難事である。聖書の女性のたかが一人といえども、私の作品で言えばだいたい原稿用紙50枚、少し詳しくすると100枚を越える。それを10分、正味9分では、どうにもならない。かつてラジオ伝道で、大御所の羽鳥明先生は3分、あるいは5分で福音を語られた。でも、それはプロの名人芸。気が遠くなりそうだった。

 

デジタル時計を見詰めながら、練習した。話の速度も毎回違ってしまうから同じ原稿でも5秒、10秒の差が出てくる。間違えることもある。自分の書いたものでも間違える。もつれたり、どもったり、途切れたりと、さんざんである。ますます気が遠くなった。

 

収録の日がやってきた。3回分を準備して出かけた。局の事務所は新宿にあるが、スタジオが完備しているわけではないようだ。近くの貸しスタジオにでかけた。カメラを担いだカメラマンと女性の担当スタッフの3人でスタジオ入りした。白い壁面だけの殺風景な空間である。隅にうずたかく積まれたパイプ椅子のひとつに座らされて、一メートルくらい先に据えられたカメラに向かってしゃべるように言われた。

 

私の話を聞く人は、カメラばかりを覗いているカメラマンとウォッチばかりを気にする女性スタッフのみ。カメラの下に女性が手の平を横にして差し出した。5秒前である、一本ずつおられていく。やがてスタート。しばらくすると5分前と大きく印刷されたA4版のシートが出される。3分前、そして1分前。まもなく、カメラの下にまた開いた手の平が横に出されて、最後の5秒がカウントされる。

 

女性スタッフはやさしく、初めてですから2本でもいいです。取り直しもできますからと、気持ちを落ち着かせてくださった。途中、案の定、口ごもったり、言い間違えたり、上手くろれつが回らなかったりしたが、取り直しはなく、あのまま使うらしい。一つの番組に多くの時間は使えないのだろう。そんな気がした。予定通り3本を収録できた。やれやれ。しかし感謝であった。まだまだ先は長いが、きっと導かれるだろうとの大きな安心感がある。

 

それにしても、未知の世界を垣間見させていただいたのは、主からのクリスマスプレゼントだと思う。もったいないことだ。御自身の御子をさえ惜しまずにくださった主が、その上、なお、おまけをつけてくださるのだ。世界一気前のいい主に、こちらも精一杯応えたいと願うことである。

 

 

 
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