人生の逆風の中で見つけた希望の風を、小説、エッセイ、童話、詩などで表現していきます。

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世相の風から わびしい話題

庭のホテル

 アートフラワーで飾られた見事なツリーを見ましたのでまずはご披露します。
厳しい世相の風の記事を書こうと思い立ったのですが、消化不良ですので。


わびしい話題 (30日に)  

 

11月は穏やかなよい日和より続きだった。あまり寒い思いをせずにすんだ。寒さに弱く、寒いのが苦手な私にはありがたかった。世界気象機関の報ずるところによると、今年10月までの世界の平均気温が2001年と並び、観測記録が残る1850年以降で10番目に高かったとのことだった。世界的に暖かいのだ。これも異常気象の一現象なのだろうか。

 

ちょっと歩くと汗ばむような陽気だが、世相に吹く風は肝を冷やすほどに冷たく、わびしい。

近頃ぎょっとしたことは、年金の受給年齢を上げるとか、年金額を下げる話題である。大震災のこともあるから、消費税アップはしかたがないと思っているが、年金に触られるのはぞっとする。出ていくお金は使い方次第だから工夫できるが、入ってくるものが減るのはどうにもならない。娘にこぼしたら、お母さんが減らされる額などわずかよ、もともと少ないんだから大丈夫よ、などと慰められた。そうそう、そうかも知れないと、妙な納得をした。


11
月最後の日が愚痴で終わるのは申し訳ない。天を見上げなければいけない。天に吹き上げる希望の風を感じなければいけない。今日まで生かされてきたのではないか。私を生かしてくださる神様は、明日のことを思い煩うなと語りかけておられる。今日一日生かされたのだから、みこころならば、明日も生かしてくださるだろう。

 

明日から12月。大災害に遭遇した被災地にも師走の風は吹く。穏やかな風であってほしい。ついつい自分のことばかりに目が向くが、反省します。被災者を思い、祈ります。

 

 

 

 

 

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日々の風から 今日は小雪
 

公園5

23日の今日は何をするにも絶好の日和となった。風はなく日差しは暖かく柔らかい。陰暦10月、現在の11月のこのようなお天気を小春日和というとは、小学生の時に習ったと思う。

空にはときおり青が透けて見える薄くて幅の広い雲がたゆとうている。

 

長女ファミリーは揃って教会の結婚式に出かけた。結婚式日和でもある。当事者はもちろん参列者もいっそううれしさが増すだろう。感謝である。

 

無人の家でせっせとパソコンに向かっていたが、こんな日に家に閉じこもっているのは目の前の宝物を見逃すようなものだと思った。急いで表に出た。休日だから大通りの交通量も少ない。通りを行く人たちの歩調もスローである。近くのミニ公園を横切った。絵に描いたように老人たちがベンチに並んでいる。ひなたぼっこのようだ。車いすの方もいた。ヘルパーさんに連れ出してもらったようだ。太極拳をしているグループもあった。何とのどかだろう。ほどよく紅葉した桜の落ち葉が幹を囲むように根元に重なっていた。

 

カレンダーの23日の欄には小雪(しょうせつ)とあった。二十四気の一つで、根雪にはならない程度の雪に見舞われる時分だそうだ。今日は暖かいし、東京はまだ身に応えるほどの寒い日はない。しかし所によっては雪がちらつくこともあるのだろう。間違いなく冬はすぐそこまで来ている。晩秋の一日がひどく名残惜しい。

 

心の中をのぞき込めば、心穏やかならぬこともなくはないが、行く秋を眺めいとおしむ小さな余裕があることは感謝である。これは与えられたものにちがいない。感謝。

 

 

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日々の風から 気が付けばアドベント


 


浦島太郎だとは思わないが、知らぬ間に月日だけが走りに走っていたのを感ずる。気が付いたら
11月も下旬なのだ。来週はアドベント第一週を迎える。教会のクリスマス行事はぎっしりと立てられ、それぞれの部署の準備が着々と進んでいる。その2,3に巻き込まれ(こんな言い方は無責任)、後ろの方からともかくもついて行っている。第一週の土曜日は恒例のレディース・クリスマス。メッセージや賛美はもちろんだが、飲食は大切な主役?的存在である。メニューを立てるのは、集会の内容を考えるのと同じほどのウエイトである。私も50人ほどのデザートを担当する。張り切らなくては!!

 

クリスマスの皮切りは、毎年11月最後の土曜に開かれる日本クリスチャン・ペンクラブのクリスマスの集いである。ふだんは文章の書き方や課題作品の合評など学び中心であるが、クリスマスだけは、ペンを置いて、イエス・キリストご降誕を手放しで喜び感謝する。外部講師の講演やミュージシャンのミニコンサートをプログラムしている。先週の土曜日に、委員会メンバーが我が家に集まった。九分がた準備のすんだ内容を点検し合い、それぞれの奉仕を確認し合い、祈り合った。この交わりもまたうれしく楽しい。 

 

椅子に座って会食し歓談し、メッセージや特別賛美を拝聴するだけでいいのは、お茶の水聖書学院のクリスマスである。参加するだけでクリスマスの恵みに満たされるのは感謝である。

 

今、教会の聖歌隊は練習たけなわである。今年も新曲が加わった。そのうちに歌詞をご紹介したいと思う。フランス民謡からのクリスマス賛美である。半音のフラットはついたり外れたりなど、私にとっては至難の音取りである。しかし、汗をかいて取り組んでいる。

 

思いがけない暖かい日があったり、冷え込んだりと、この時期の気候は定まらない。衣類の調整に神経を使っている。風邪は嫌だし、喉に負担がかかるのも困る。

 

イエス様のお生まれになった夜は、夜番の羊飼いがたき火を囲んでいるような絵がよくあるが、冷えて寒かったのだろうか。そんなことを考えながら、月末へと進んでいる。

 

 

 

 
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日々の風から いまだにそよぐ旅の風

軽井沢紅葉

  

あの旅を終えて早や一ヶ月余が過ぎた。その間、決して旅後休眠していたわけではない。何やかやと忙しくしていた。自分ではとうに日々の風の中に戻ったと思っていたが、そうでもなかったようだ。私の周辺には旅の風がそよぎ続けていたらしい。さすがにもうこのへんで終りとしたい。ブログもいちおう終えたし、レター用の編集も区切りがついた。さらに再会の集いも楽しく終わったことだから。

 

とはいえ、また旅の話になるが、最近、異な事に気が付いた。旅の記憶は日に日に薄れて、その速度はおぞましいほどであるが、違った現象が起きているのだ。肉眼で見たことは喪失しているのに、心に感じたことはその時点よりずっと膨らんでいる。今も進行している。現地で蒔かれた種が、芽を出し、葉を出し、成長していると言ったらいいのだろうか。花が咲き、実がなるのかも知れない。どんな花で、どんな実か、知らないけれど。

 

よく聞くことだが、旅を終えた直後は、疲労のせいもあるのだろうか、気分を害したことや失敗したこと、期待通りでなかったことなどが噴出するが、しばらくすると嫌なことは忘れて、楽しいことやうれしかったこと、益になったことでいっぱいになり、結果的にはよい旅だったね、もう一度ぜひ行きたいね、となるという。

 

人間の心の働きとは、実に健全だと思うのだが、もう一つ、旅とは本来そうしたものなのだろう。旅の期間だけを旅というのではないのだ。ずっと前から始まっており、ずっと後まで続くのだ。行きたい、行きたいという希望で始まって、また行きたいという希望で終わるのだ。旅はまさに希望の風で満ち満ちている。希望の風を手放すわけにはいかない。

 

 

 

 
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旅の風から 後物語・恨みの石畳み


石畳み4

石畳み3


石畳み2
 

石畳みの続くヨーロッパの古い町のイメージは、旅情をかき立てるまたとない材料です。この場合、旅ごころではなく音読みの熟語、旅情としたほうがより雰囲気を出してくれるように感じます。〈そぼ降る雨に濡れる聖堂へ続く石畳みの小径〉とくれば、それだけでロマンチックな小説の世界になるとは、日本の人気作家がどこかに書いているところです。確かにそう思います。

 

石畳みの道は幾世紀もの歴史を思い出させる証拠のひとつです。もちろん、その当時のままではないでしょう、当然、補修はしているでしょう。しかし、道路に残っている微妙な湾曲を見ると、もしかして王侯貴族を乗せた馬車が往き来したせいではないか、あるいは重装備をした敵の軍隊が攻め寄せた道ではないかなど、思いが走ります。

しかし、実際に歩いてみて、あることに気が付きました。

 

今回は、旅を終えて時差ぼけが収ったのに、疲れがいつまでも残ってすっきりしませんでした。原因をいろいろ考えました。何かのせいにしたかったのです。歳のせいにはなるべくしたくなかったこともあります。10日間という長い旅だったからだ、ちょっとハードだったのだ、連日の高温のためだ、などなど。

 

ふと、石畳みのせいではないかと思い始めました。とたんに納得がいったのです。そうだ、そうだ、あの石畳みが原因だと、ほんとうにそう思いました。石の小さな凹凸に靴底が当たる度に、真っ平らの上とは違う不規則な力が跳ね返ってきます。それが下肢から膝に、そして上肢、腰に伝わります。腰から上は、その衝撃を受け止めて体全体のバランスを取り転倒を未然に防ぐためにあちらこちらの筋肉や筋が必死に働きます。その結果、余計な疲労を起こすことになった、と、そんな素人判断に至ったのです。

 

私だけのこじつけかと思っていましたが、石畳み感想を検索してみますと、〈旅人の一番の負担になるのは、小石が敷き詰められた石畳の道〉、〈機能的にはちっとも合理的でない、車だけでなく歩行者もつまずく〉、〈ヨーロッパは石畳みが多いせいかやたらと疲れる印象がある、歩きづらい〉と、こんな言葉があちこちに見られ、疲れたのは私だけではないのだと、思わずにやりとしたことです。

 

思えば、今回の旅が文句なしの晴天続きだったのは実に感謝だったのです。雨に濡れた石畳みなどとても歩けません。滑ってしまうでしょう。それを用心していたら見学どころではなかったでしょう。疲労どころか怪我をしたかも知れません。恨みの石畳みになったでしょう。

 

恨みの石畳み、などと、たいそうな悪口を言いましたが、本気ではないことを申し添えます。

木の文化、紙の文化のDNAを受け継ぐ日本人ですが、自分たちには持ち合わせていない石の文化に、抑えがたいあこがれを感じるのです。しばらくしたら、あの石畳みの道をもう一度歩きたい、さらに、小雨に濡れた小径を歩きたいなどと言い出すかも知れません。

 

(写真は、1000枚の写真を撮ったY姉から提供していただきました)

 
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旅の風から・ドイツ、スイスへの旅 後語り

コーブルク3


 旅行記を書き終えて、余韻に浸っています。いえ、余韻と言うより、まだまだ未消化の胃の腑を抱えています。でも、放っておいたら、忘却という消化酵素によって跡形もなくなってしまうでしょう。特に昨今の忘却力はすさまじいですから。というわけで、熟成していないままですが、思いついたことを記録してみます。

 
最後まで考え続けたことは、ドイツになぜヒトラーが出て、あの惨劇が起きたのか、です。ドイツの土を踏んだなら、また、ドイツを見たなら、何か手がかりになることを垣間見、あるいは感じることができるのではないかとひそかな思いを抱いてきました。

しかし、ついにその片鱗も発見できませんでした。果てしなく続く穏やかな森と平原は、何も語ってはくれませんでした。見かけるドイツ人たちは実に素朴で愛想のいい笑顔を浮かべていました。この人たちが600万人ものユダヤ人の命を奪えるはずはない、この自然とこの人たちにあの狂気をもたらせるものは何もないと思いました。


 ではなぜ?。じっと考えるに、それは肉の目で探し出せるものではなのかも知れないと思いました。でも、それではどではどこにあるのでしょう。


 ふと、それはもともと人の心の中にあり、何かの引き金で引火し暴発したものではないかと、そんなことを考えました。そしてそれは過去の産物ではなく、またドイツ人だけに限ったことではなく、スイス人にも、日本人にも、私も含めて全ての人間のうちにこびりつくように巣っているもの、神様の最も忌み嫌う、罪ではないかと、いまのところそれしか思い浮かびません。

 
英雄ルターにしても完全な人間ではありません。『農民戦争』は未だにルター評価の分かれるところだそうです。またカルヴァンも信念に基づいたとはいえ、セルヴェを処刑したことは頷けません。二人とも大きな矛盾を抱えた『土の器』であったと思わざるを得ません。
その彼らを、神様はご自分のみ業のために時代を覆すほどの力を与えて貴く用いました。


 私は、ルターを、カルヴァンを、貶める積もりはありません。彼らを尊敬します。
 でも、及びもつかない神様の愛の御手の中にある一人として、今立たされている場を再確認しつつ、ひたすらに主を仰ぎみたいと思います。
 そして、「我、ここに立てり。神よ、我を助けたまえ」とのルターのうめきに耳を澄ませたいと思います。

 

 

 
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旅の風から 『宗教改革の足跡とバッハをたどる10日間』その16 ジュネーブ3 

サンピエール大聖堂

サンピエール大聖堂の尖塔

ぶどう畑1

ぶどう畑(バスの中から)
 

ぶどう畑2

レマン湖を望むぶどう畑(バスの中から)

シオン城から
シオン城からレマン湖と山々(バスの中から)

10
3日 8日目 最後の日

 

ジュネーブは2連泊です。連泊はとても便利です。今回の旅は連泊が多くてたいへん助かりました。ラップチヒの3連泊では、部屋友さんと相談して一日はお掃除をお断りしました。夕方、部屋に入ろうとしたらタオルなどの一式が大きな袋に入ってノブに掛けてあり、行きとどいたサービスに心が和みました。

 

さて、旅も最後の一日となりました。ブログもだんだん駆け足になって、省略が多くなっていますが、最後くらいはきっちりと終わりたいと思います。

 

ジュネーブの空はこの日も真っ青。まず、レマン湖畔を走って、西の奧にあるシオン城へ向かいました。途中、延々と続くぶどう畑には目を見張りました。シオン城は湖に付きだした古城でした。ガイドさんが隅から隅まで案内してくださいましたが、凹凸の激しい岩の通路や階段には閉口しました。ギプアップした箇所もありました。それに、宗教改革とはあまり深い関係になさそうですので、省きます。ただし、城や湖畔からの風景は絶品でした。湖畔に面したレストランで昼食をいただき、湖畔を散策し、観光気分を満喫しました。

 

さて、まもなく市内にとって返し、最後の見学地はサンピエール大聖堂、宗教改革記念碑、そしてカルヴァンのお墓です。カルヴァンづくしです。本望です。

 

カルヴァンは、現在のプロテスタント信仰者には、ルターより直接的に影響を与えています。もっともルター派の方もおられますから一概には言えませんが。私たち周辺の教会で教えられる聖書解釈は彼から発しているのではないでしょうか。有名な『キリスト教綱要』は、聖書の次に重要な信仰の鑑ではないかと思われます。

 

カルヴァンはそんなにも立派な働きをしたのに、なぜか人間としての親しみを感じさせてくれません。ルターもカルヴァンもあれだけの働きをしたのですから、内側には激しい情熱が燃えさかっていたと思います。ルターの手に触れてばこちらもすぐに温かくなれるような気がしますが、カルヴァンに触ると、いや、触れるなんてとんでもない、尻込みしたくなります。なぜでしょう、ルターは太っているから、カルヴァンは痩せて剣のように尖った風貌だからかもしれません。人はうわべを見ると聖書は警告していますものをーーー。

 

カルヴァンの椅子

カルヴァンの椅子と説教壇へ上る階段


ジュネーブにおけるカルヴァンの活動の拠点はサンピエール大聖堂です。カルヴァンの説教壇と彼が坐した椅子をつくづくと眺めました。さらに、バスチオン公園へと急ぎました。公園の中央あたりに巨大な宗教改革記念碑がいかめしく建っていました。左からギョームファレル、ジャンカルヴァン、カルヴァンの後継者べーズ、スコットランドのジョンノックスの4名の偉人たちです。腐敗したローマカトリックに命がけで戦った人たちです。碑とはいえないほど、生きて迫り来るスピリットに圧倒されました。 

 

そして、この旅路の最後の最後に一行が涙する場所がありました。カルヴァンのお墓でした。なかなか見つからずようやく探し当てたのです。そこはカルヴァンの人柄というのでしょうか、カルヴァンの心がありありと見えるところでした。カルヴァンは生前から自分の葬りについて遺言していました。

 

「私は希望する、この生命を終えた後には、喜ばしき復活の日が到来するまで、教会と市の慣例に従って遺体を埋葬されることを」でした。カルヴァンは自分の名が世に出ることを極端に避けたといわれています。そして希望通り、市営墓地の片隅に葬られたのでした。質素で小さなお墓はキリスト者のお手本でした。これでいいのだ、これでいいのだと強く教えられました。さすが名説教者カルヴァンさんです。お墓が説教していました。心に深くしみ入る説教でした。



宗教改革記念碑

宗教改革記念碑(左から2人目がカルヴァン)

カルヴァンのお墓
カルヴァンのお墓

こうして『宗教改革の足跡とバッハをたどる10日間』は、ルター生誕地アイスレーベン洗礼盤からカルヴァンの終焉地ジュネーブのお墓まで、全行程を無事に終えたのです。その夜は市内のレストランで感謝の夕食会となりました。

 

一行29名はテマサトラベルの社長御自らの添乗によって、配慮にあふれる旅を続けることができました。大きなトラブルはなく、体調を崩された方も一人もなく、皆さんお元気でした。これは何よりのことで、神様の大きな守りがあり、恵みに依るものだと信じます。

 

29人が一つの大家族のようでした。おひとり一人に再度心からお礼を申し上げます。部屋友となったM姉とは10年分くらいたくさんおしゃべりし合いました。最後に、私のスーツケースの重量が2キロオーバーしてしまいましたが、その2キロを、成田までご自分の手荷物に入れてくださったH夫人に心から感謝します。さらに、スイスのお土産店で、カードを入れた場所を忘れて、慌てふためく私のために祈ってくださったF師夫人には頭が上がらないほど感謝します。

 

皆様に助けられ支えられて生涯の思い出になる旅ができました。ハレルヤ!ハレルヤ! まだまだ整理中ですから後日物語も生まれるでしょうが、ひとまず擱筆。


追・ちなみにアップした写真は92枚、記事の文字数は約16000字、400字原稿用紙換算で40枚になりました。期間はおよそ1ヶ月、私には大仕事でした。でも、ちょっと記事の分量が少なく、時間ばかり多くかかりすぎました。反省です。忍耐強くお読みくださった皆様に厚く感謝します。!! 

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旅の風から 『宗教改革の足跡とバッハをたどる10日間』その16 ジュネーブ3 

カルバンの像

 宗教改革博物館内のカルヴァン像


ジュネーブ 天井

博物館内の天井に記された世界の聖書の表紙(日本語が見えます)


この日は朝ライプチヒからフランクフルト、乗り換えてジュネーブへと、飛行時間は短いものの、慣れない飛行機に2回も乗り換えましたので、かなり疲労していたと思います。待望の国際宗教改革博物館へ入ったのは午後4時頃でした。しかしここはカルバン系の宗教改革の拠点です。単に資料を見学するための博物館ではありません。

 

そもそもジュネーブとはフランス語でカルバンの都市(la cité de Calvin)というのだそうです。さらに驚くことはこの博物館は1536521日に宗教改革が承認された場所なのです。ユグノー(フランスのプロテスタントの蔑称)のマイエ氏という実業家が、サンピエール大聖堂の一部を買い取って屋敷を建てたその場所を、後世の人たちが博物館にしたそうです。博物館と教会は地下で続いているのです。

 

宗教改革の出来事は単にドイツだけに起こったことではありません。殆ど期を同じくしてフランスでも始まりました。ところがカトリックの勢力の強いフランスでは新教徒つまりプロテスタントを激しく迫害しました。追われた人たちがジュネーブへ逃れてきました。その他ヨーロッパ中のプロテスタントが逃れてきたのです。町は彼らを積極的に受け入れました。カルヴァン自身も逃れて来た人です。ジュネーブの人たちは自分たちの建物を上部に継ぎ足して三階、四階にして彼らを住まわせたそうです。ガイドさんが指さしながらそうした建物を教えてくれました。

 

ユグノーたちはジュネーブに住み着いて自分たちの仕事に精を出しました。優秀な技術や能力を発揮しました。また、実業家や銀行家もいました。スイスの時計は世界的に有名ですが、ユグノーたちが持ち込んだ技術だそうです。こうしてジュネーブの町は経済力も強めていきました。宗教改革がなかったら現在のジュネーブはないとまで言われるそうです。

 

キリスト教綱要

ガラスのケースに収められているキリスト教綱要の初版本
 

博物館の展示物はおびだたしいもので、説明されても頭にとどめようもなく、しかも足早に次から次へと進まなければなりません。せめて半日くらいは時間を取ってじっくり見、聞きたかったと残念でたまりません。館長さんは、普通は写真は禁止なのですが、私たちが聖書学院の者だということで特別に許可してくださいました。ジュネーブ人の寛容を見たような気がしました。しかし心ならずも心を残して次のスポットへ向かわねばなりませんでした。


博物館内2


博物館内4


博物館内3

 

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旅の風から 『宗教改革の足跡とバッハをたどる10日間』その15 ジュネーブ2

  レマン湖の彼方に微かに見えるモンブラン
(湖の真ん中の6本の杭の真上の木々のすぐ上に浮かぶひとかたまりの白っぽいもの)


スイスの国旗
どの建物にも国旗が掲げられている

サンピエール大聖堂が見える
至る所から見えるサンピエール大聖堂

ジュネーブ到着後専用バスに乗ってすぐに国際宗教改革博物館に向かいました。ドイツは一日も雨知らずで通しましたが、ここスイス、ジュネーブはさらに気温が高くまるで真夏のようでした。バスはレマン湖畔を進みますが、彼方にうっすらとモンブランが見えたのです。もちろんガイドさんに言われなければわかりません。雲だと見過ごすでしょう。でも、目を凝らすと確かに雲ではなく山だと認められるのです。大きな感動でした。バスの中から夢中になってシャッターを押しましたがアップするのはためらいます。でもせっかくですから載せますが、いかがでしょうか。

 

私にとってスイスは初めてなのです。スイスとは、どこを知らなくても知っていた国の名、ではないでしょうか。絶対に戦争をしない永世中立国と教えられて、立派だなあと単純に感心したのがはじまり。それが、よその国の戦争のために傭兵を出していると聞いて大きくイメージダウンしましたが。それでも、アルプスの少女ハイジはまだまだ美しく心に残っています。それに、なんと言ってもアルプス山脈です。登山はできないまでもそば近くで見てみたいものだと、この夢はまだ捨てられません。

 

ジュネーブの名もよく知っています。しかし今回の旅まで知らなかったことは、ジュネーブはスイスの中心にあるのではなく、フランスとすれすれの西の端だったことです。言葉もフランス語が主のようです。ちなみにスイスは4つの言語を使っているのです。ドイツ語、フランス語、イタリヤ語、それにオーストリア国境近くではロマン語という言語があるそうです。日本の九州ほどの国土、たかだか760万人の小さな国なのに何と複雑なことでしょう。また、ユーロ圏なのに通貨はスイス・フランです。面倒なこと固持しているなあと思いましたが、ユーロも使えるらしいので、交換しませんでした。その通り、ユーロもカードも円もOKでした。

 

ジュネーブに入って急にびっしりと巨大なビルが並び、車の量も多く、人々があふれているので、なにやら東京と近い雰囲気を感じ、馴染んだ水に戻ったような気がしました。湖あり山ありで、そのことからも日本に近い印象を受けました。何しろドイツはすてきなのですが、変わり映えのない果てしない森と平野、それに中世に来たような古風な町々でしたから。都会の喧噪の中に入って元気が出るのはおかしなことかもしれませんが、私だけでなく皆さんもちょっとテンションが高くなったように感じました。

 

街角でバスを降り、アップダウンの多い石畳みの道を歩いて、まずは国際宗教改革博物館へ急ぎました。

 

 博物館の門を入ったところ

ジュネーブ国際宗教改革博物館

 

 

 

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旅の風から 『宗教改革の足跡とバッハをたどる10日間』その14 ジュネーブへ 


ドイツを後に 

ライプチヒ郊外のリンダーホテルに三連泊しながらルターとバッバを追いかけた旅もいよいよ終り、ドイツとはお別れです。旅はすでに7日目に入りました。半分以上過ぎてしまいました。これからはスイスのジュネーブへまっしぐらです。そこにはジョン・カルバンがあのいかめしいお顔の下に笑顔を忍ばせて歓迎してくれるはずです。

 

102日日曜日の朝、ホテルの一室に集合して、主の日の礼拝を守りました。メッセンジャーの藤原先生はエペソ人への手紙21節〜6節を開き、『救われたのは恵みによる』と、信仰による義を発見し、全世界に訴えた英雄ルターを例にして、まことに宗教改革の旅にふさわしい説教をしてくださいました。古くはアブラハムを通し、新約初期はパウロを通し、そして16世紀のルターを通して、神様は信仰によって義としてくださる永遠の恵みを、この朝も私たちに教えてくださいました。

 

国内線操縦室
国内線の操縦室

さて、空は今日も青く、スイスへの期待はいやましに膨みます。まず、空路でライプチヒからフランクフルトへ、乗り換えてジュネーブへ入るのです。両方とも飛行時間は
1時間です。たいした時間ではありません。眼下にはアルプスがあるのです。


レマン湖畔

 ジュネーブ・レマン湖畔(バスの中から)

ジュネーブ花時計

 花時計(バスの中から)


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